『世界にひとつのプレイブック』
監督:デビッド・O・ラッセル キャスト:ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ/2012年
10年ほど前、フレディというウェールズ人の青年に英語を習っていました。かなり繊細というか偏屈な人でした。ある日、焼き鳥屋に行こうとなったんだけど「日本の鶏はぎゅうぎゅう詰めで飼育されてストレスの塊だろ。そんな気の毒な鳥の肉は食べられない」とか「タコを尊敬しているから、絶対に食べない」とか。またある時「君は歩きながら物を食べる?」と訊かれ、「行儀悪いからしない」と答えると、「僕は時間短縮のためにそうしているのに、日本に来てからマナーが悪いと非難される!」いきなり怒られました。
フレディはサッカー誕生の地で育ちながら、サッカーを嫌い、ラグビーをこよなく愛する男でした。曰く「サッカーのサポーターは全員ヤクザ。ラグビーは敵味方が入り混じって応援しても友好的、紳士のスポーツだよ。君はマナーを大事にするのによくサッカーなんて観られるよね?」(←歩き食べの件から、マナーにうるさい人として何かとイヤミを言われるように)
2008年のEURO(UEFA欧州選手権)にイングランドが出られなかったときは、「あ~、よかった。ホント、あんな大会出るもんじゃない。バカなサポーターが海越えてやってくるんだから、キミみたいなね!」(やなぎや訳)。しかし2016年、ウェールズ代表がEUROで快進撃を見せたときは「国中がサッカーの話をしているよ!」と興奮したメッセージを送ってきました。どっちやねん。
そんなこんなで本日は、多分スポーツへの情熱を知っておいた方がより楽しい、『世界にひとつのプレイブック』です。
7/13に同監督の『世界にひとつのロマンティック』が公開されるが、ちょっとひどいよね、この題名。私のジェイクが出演するので観に行きたいけど。それにしても、ジェイクってば、スパイダーマンの新作に続き、『ゴールデン・リバー』『ワイルドライフ』と出演作が多くて追いつけない。
◇あらすじ
妻の浮気が原因で心のバランスを崩したパット(ブラッドリー・クーパー)は、仕事も家も失い、両親とともに実家暮らし。いつか妻とよりを戻そうと奮闘していたある日、事故で夫を亡くして心に傷を抱えた女性ティファニー(ジェニファー・ローレンス)に出会う。愛らしい容姿とは裏腹に、過激な発言と突飛な行動を繰り返すティファニーに振り回されるパットだったが・・・。(映画.com)
まず、ブラッドリー・クーパーが苦手と言ってきたことをお詫びする。この映画のブラッドリーは良かった。ただ、私の目的はとにかくジェニファー・ローレンス。『ウィンターズ・ボーン』(2010年)はお気に入りの映画の一つだが、そのときに彼女の顔ヂカラにやられた。『ハンガー・ゲーム』シリーズも、眠りそうになりながら完走。最後に幸せそうに微笑むジェニファー以外、大体忘れたが、カットニス・エヴァディーンというヘンな名前はなかなか忘れない。
本作『世界にひとつのプレイブック』出演時、ジェニファーは22、3歳。ダイエットに興味がないと公言している通り、生命力溢れるバディと健康的に張った頬は彼女の魅力で、それが堪能できるダンス大会のシーンは、二人の下手なダンスも含めて見所だ。しかし若干不満なのは、ジェニファーの顔の映りがシーンごとにちぐはぐだった点で、ティファニーの荒れた心を表す凄みのある表情にハッとさせられるときもあれば、子供のように幼く見えてしまうときもあった。
◇深刻だがユーモラス。ユーモラスだが深刻。
ストーリーはそれぞれに心に深い傷を負った男女が出逢い、ぶつかり合ううちに恋に落ちていくというもの。
パットは自分は「まとも」で、妻ニッキとの間にまだ愛情があり障害を乗り越えてこそ愛はより深まると信じている。この思い込みがまさにパットの精神不安定の原因なのだが、本人は全く自覚しておらず、そのため周囲も腫れ物に触るように扱う。
一方のティファニーは、夫の死のショックから性的な自傷行為を繰り返している。
好印象を抱くのは、二人の病状を観客に伝える描写が、笑いを誘いながらシリアスであることと、そのバランスだ。
例えば、パットがランニングするときにゴミ袋を被るルーティンと、そのランニングコースにティファニーが「ヘイ!」と乱入してきて追いかけっこになる場面はつい笑いが漏れる。しかし、このシーンでは、二人の問題が判り易く表現されている。「発汗のため」とゴミ袋を着続けるパットの思い込みは強迫観念じみているし、自分の感情を構わず押し付けるティファニーは、人との距離の取り方を見失っている。
パットは思ったことを全部口に出しまう。心を開いて自分の荒れた所業を打ち明けたティファニーに、「ヤッた中に女もいた?」などと訊き、その後は笑いながら彼女をアバズレ扱い。しかし翌日には実家を訪ね、「彼女は賢くて芸術家だ」などとのたまう。いやいや、コロコロ言うこと変えて、お前の本心はどこ。しかし、全てが、そのとき刹那刹那のパットの本心なのである。
考えずに発言する癖は、これぞ躁うつ病と思わせるが、必ずしもそれだけが理由でないことが家庭の描写で明らかになる。ロバート・デニーロ演じる父親はアメフトの地元チーム、イーグルスを妄信的に愛し、試合があるときはリモコンの位置を揃えハンカチを握る。ジンクスと言えば聞こえはいいものの、これも一種の強迫性のものだろう。
兄は、何もかも失った弟に、「言いにくいな。お前は妻に逃げられ俺は婚約する。お前は家と仕事を失ったが、俺は新居を建てるし仕事は順調」とやっぱり思ったことを全部口に出す。優秀であるはずの兄の、傍若無人ぷりに笑いが漏れるが、実はパットの抱える問題、恐らくニッキとの家庭が崩壊した理由も、家庭が元凶であることが分かる。
どうでしょう、こう考えると、「笑いの要素も多いよね」とコメディパートだと思いつつ観ていたシーンが、「あれ?よく考えるとこれって深刻の裏返しだよな?」と思うでしょう。思いますね?
ゴミ袋を着用するクーパー氏。
◇ジェニファー
さらに穿った見方をすれば、小型犬のように愛らしいパットの母親は、家庭内で重要な何かが決定されるとき選挙権を持たない(旦那がノミ屋開業したり全財産を賭けたら窓から蹴り出すでしょう)。男たちが揉めると周りでおたおたするか、またそうでないときは大体カニのスナックを作っている。つまり、パットの育ったのは夫権家庭なわけだ。もちろんデニーロが演じた父は愛すべきキャラだけど、あれはあれで困るよねってこと。
だからこそ、勝負の二倍賭けが行われるシーンで、男たちを黙らせるティファニーが非常に痛快だ。異を唱えることを許さない強引な理論、攻撃的で滑らかな口調、ここぞとばかり発揮される強烈な目ヂカラ!やっぱジェニファーは持ってくわああ。オヤジをやり込めた後で、シュポンッとビールの栓抜いて煽る仕草が気持ちいいよね。
ティファニーの人とのコミュニケーションの取り方は基本的にケンカ腰、沸点が低くてキレやすい。パットとティファニーが互いの傷を抉るような言葉を叩きつけ合うのにハラハラするが、やがてこのぶつかり合いが精神に不安を抱える者同士にしか為し得ないセラピーなのだと気づく。「怒鳴り合いのシーンが多くてうるさい」と批判するレビューも見かけるが、怒鳴り合いはこの映画に必要だ。感情の爆発の中で本音をぶちまけ整理し、少しずつ傷や悲しみを浄化していく、いわば荒療治なのだから。
破天荒で乱暴な言動のため、ティファニーの人柄がカーテンの向こうに隠れがちだが、彼女は心優しい女性であり、グッとくるのが、いじらしすぎるこじらせ。パットがニッキに書いた手紙への返事を、ティファニーが書いていたことは一読瞭然で、いじらしさにキュンとなる。ラストは二人の傷が癒えていくさまに、そしてティファニーの思いが成就したことに思わず落涙。
◇余談です
以前『ボストン ストロング』の感想でも書いた通り、度々映画の中で描かれるスポーツでのチーム愛は、時に人生を捧げるほどに強烈だ。イーグルス中心の生活を送る父親や、球場での乱闘などを理解不能と断じてしまえば、この映画の魅力は半減してしまう。日本にも、一部サッカーに熱狂的な地域があることは、以前も語った。ここでも余談でサッカーのことを書こうと思うのだけど、疲れてきたので、突然ですが、リトル・ヤナギヤ(※)にバトンタッチします。
※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑がACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間では、決断に迷って自問自答する際に使用される。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」
★★★★★★★★★★★★★
リトル・ヤナギヤ:
お久しぶりでーす。前に『エール!』で登場したときには、やなぎやさんの友達のリエちゃんに「『ゴシップガール』みたいな会話だね」って言われたんです。ウフ。これからもゴージャスでスウィートな女子を目指していきたいと思っているの。
ところで、やなぎやさんのパパ友にさーちゃんて人がいてね、子供の運動会に黄色いグラサンかけて、ギターケース型のバッグだかギターケースだかを背負ってぶらりと現れるような変人、じゃなかった、イケダンなんだけど、さーちゃんサッカーアレルギーなのね。
なぜかっていうと、昔W杯の時に知り合いに、「え!?W杯観ないなんて非国民なの?」って言われたみたいで・・・。可哀そうよね・・・。
サッカーがね、さーちゃんじゃなくて。「にわかサッカーファンを憎んでサッカーを憎まず」って標語もあるじゃない?
そんなさーちゃんのような人のために今日は私、「こんな人はサッカーファンじゃないわよ」を教えるわね。じゃあ、早速読んでみて!
・「Jリーグは観ません」という
・「え!?W杯観てないの!?」という
・「リーガ・エスパニョーラかセリエA中心っすね、Jってレベル低くて」
・「女子サッカーとか、パススピードのろくて見てられなくないすか」
・日本代表の実力を見誤っている(過大評価、過小評価ともに)
いるいる~!
・点を決められると「ああ、終わったね」という
・「松木の実況(あるいは北澤の解説)って馬鹿にしたものじゃないっていうか、何気にあれこそ純粋なサッカーの楽しみ方?」
・W杯、もしくはチャンピオンズリーグのときだけ「ね、昨日の試合観た!?」と言ってくる(←EUROのときは言ってこない)
ああ・・・いる、わね、こういう人。
・ゴール裏にいる監督気取り
・ゴール裏にいる戦術家気取り
・ゴール裏にいる解説者気取り
・ゴール裏にいるヤジラー
・Jの贔屓のチーム一筋型。「代表の試合?逆にぜんっぜん観ない~。うちのチームの選手が出てれば観るけど!」
・「『ファン』じゃなくて『サポーター』な?」という
・「メッシ、メッシ」しか言わない出っ歯の芸人
ホントに多いのよね、物事の一部しか見てない片手落ち野郎。もちろん自称ヨーロッパサッカー好きやニワカもウザイけど、Jの地元チーム好きをステータスにし過ぎて、他は排除する保守的「チーム愛」標榜かんちがい野郎もウゼええええ。
サッカー好きってこたあ、あまねくレベルと規模と国と性別のFOOTBALLを愛するということよな?サッカー好きっつッてんのに「あ、バルサしか観ないんで」じゃねーよな?
じゃあバルサの選手全員、言ってみ?
メッシとスアレスとピケとブスケツとラキティッチとビダル以外言ってみ?
言えないのか?
そりゃァおかしいですわいなァァ?「バルサの試合でメッシが出たときだけ、試合時間と夕飯の時間が合えばメシ食いながら観る程度には好きです、メッシ好きだけに」くらいにしとけ。サッカー好き名乗るのは辻褄合わんよな??辻と褄が駅でバイバイしてもうとるよなあ!??
うふ。ちょっと興奮しちゃったけど、これで「こんな奴はサッカーファンじゃねェ。消えろ」のコーナーを終わりまーす。またね、バイビー。
★★★★★★★★★★★★★
◇「クレイジー」ってなにかね?
なんでしたっけ。あ、『世界にひとつのプレイバック Part2』。
私としてはパットの友人ロニーがツボで。ロニーがストレスを訴える仕草や、それに対するパットのすっとぼけた反応がおかしいのだが、ここには特に笑いに交えた、痛烈な皮肉が込められていて。ロニーは、自宅のモダンな内装、壁中に飾られた幸せそうな家族写真、美しいテーブルセットに手の込んだ料理、妻が血道を上げて飾り立てた理想の我が家に、そして妻自身に押し潰されそうになっているのだ。それこそ、いつ精神の病を患ってもおかしくないくらいの抑圧だよなあ。
つまり、最後のパットの台詞「みんなクレイジーな部分はあるだろ?」がすべてだ。
病気というハンデを負い、じたばたする者がクレイジーなのか?では、世間が決めた「よい仕事と家」のステータスに振り回される人間はクレイジーではないのか?「メタリカ」を大音量でかけるのがクレイジー?どの部屋でも子守歌が流れ、壁に暖炉があるような家はクレイジーじゃないのか?
クレイジーと非クレイジーの境目を決める規準などない、自分らしくあれと、シリアス且つユーモラスに歌い上げた悩める者への応援歌、それが『世界にひとつのプレイブック』。
私はブラッドリー・クーパーを克服しました。
今日は余談が長かったね。
ジェニファー、キュートだね。
引用:(C)2012 SLPTWC Films, LLC. All Rights Reserved.
『ドント・ブリーズ』
◇『クワイエット・プレイス』
まず「音を立ててはいけない」という設定に対してぶつけてきた「どうしたって音を出さざるを得ない状況」の発想が良い。最大の痛みが襲う瞬間と、どう努力しても止めようのない音、そう、妊婦が陣痛を迎えて出産するときと、赤ん坊の泣き声。出産を経験した女性からの「うわ~!つらいつらいつらい!」の声をゲットすべく考えられたマニアックな視点が非常にナイス。
踏むって踏む~!とヒヤヒヤする時間を意地悪く長引かせ、エミリー・ブラントがそれは見事にぶっすりと踏むのだが、その後も釘の存在を観客に意識させる。子供が踏む!?いや、もしかして「何か」(バケモノ)が踏むのか!?・・・って踏まないのかい!
水音で自分たちのたてる音が消せる、しかしそれすなわち、仮に「何か」が近づいてきたときに、自分たちもその音に気付くことができないということだ。それは危険だね?だから滝の側には住めないよね?わかりましたね?
◇どこが超人的な聴覚だコラ
先に言っておくが、私は常日頃、話のアラや矛盾を探しまくっているわけではない。ただ、相手が人間だろうが霊だろうが、絶叫系だろうがサイレントだろうが、ホラー映画で矛盾を感じたくないの。なぜなら、矛盾を覚えれば疑問が生じ、気が散って怖がれなくなるから。「うひー、怖い怖い!」って悶絶したいの。世には、なぜわざわざ怖がるために映画を観るのか理解できない人民もいれば、ホラーを全く怖がらない人民もいるが、そんな連中のことは知らん。私はソファの上で転げまわりたいの!だから、お粗末な話はやめて。低予算で金の足りないところは人力で補って。
業を煮やしたロッキーは、なんとガラスを割って家の中に侵入する手段に出る。しかも彼女が内側から鍵を開けるのを待つ間、外の二人は今しなくてもいい小競り合いをおっ始める。うるさいって。帰ってからやれって。
めちゃめちゃ耳が良くて夫からはデビルイヤーと呼ばれている。階の異なる部屋で、誰かが扇風機を付けたらウィーンという音が、プレステの電源を入れたらピッという音がはっきりと聞こえます。ピザを頼めば、遠方から近づくバイクの音が聞き分けられます。ピザ屋のお兄ちゃんはチャイムを鳴らした瞬間にドアが開いてびっくりすることになります。
なんでこれは察知しないのさ。
◇ジジイがイニシアチブ握る理由なし
また、相手が優勢でこちらが劣勢、という状況を決定付ける条件や道具が何もない。元軍人、感覚が鋭敏。・・・で?そうはいってもジジイは目が見えないのである。後ろを取って殴り倒すくらい訳がないのだが、チャンスがない。ジジイのガードがよくてチャンスがないわけではなく、奇襲が成功すれば映画が終わってしまうので、話の都合上そうさせない、シラけるパターンだ。
◇超人過ぎ
うそ~!なにこれ、よめなかった。ちょういがいなてんかい!
これはもう、ジジイの目、見えてるよね?
「製作:サム・ライミ」の文字を。
『暁に祈れ』
監督:ジャン=ステファーヌ・ソベール キャスト:ジョー・コール、ポンチャノック・マブラン、ビタヤ・パンスリンガム/2017年
あまりに子らが水溜まりの件をからかってくるんで、顔にパックをした状態で「チャカチャンチャ~、チャカチャンチャ♪」と踊り出て、「みずぶったりま かと思ったら~ 水溜まりーでーした~♪ ア チクショーー!!」と追いかけ回してやりました。そうしたら、大ウケしてしまい・・・毎日やらされてます・・・。
ダブルミーニングかよ、ア チクショーーー!!
◇あらすじ
こういったロジカルな理由により、私はジョー・コールが好きです。
◇本題
インタビューによれば、キャスティングには一年もの時間をかけ、またワークショップを行って交流を図ったとのことだ。演技指導はしなかったという。
ムエタイチームの監房に移るまでの、ビリーを恐怖に陥れる監房内の描写が圧巻だ。顔から足まで身体中入れ墨に覆われた半裸の男たち、汚らしい壁や床、訳の分からない言葉の渦。突然、触れられ小突かれる。ビリーが周囲の言葉を理解できない(または理解する気がない)うちはタイ語に字幕がつかず、ビリーの感じる恐怖と混乱をダイレクトに観客に伝える。
人間の醜い行為を如何に生生しく撮るか、それがリアリティに通ずると監督には信念があるのだろう。残虐なものを見慣れた人間にとってこそ、このシーンの無機質な残酷さは衝撃だと思う。
◇アップショット
◇ドラマの排除
また、ビリーはムエタイチーム加入後も再び薬に手を出して仲間を殴ってしまうが、報復しようとする相手を制止する囚人は、当初はビリーとぶつかっていた男だ。そして、再びチームに受け入れてもらうため、初めて人に詫びるビリーに「お」となるし、最終的に謝罪を受け入れた男は、その後、ビリーが大会に出るまで傍でサポートしてくれることになるのだ。また、彼らとの交流の中で初めてビリーの笑顔を見ることもできる。思わず「お、笑った、ビリーが笑った~」となること請け合い。悪党どもの中に存在する情や人間関係に、思いの他、心を揺さぶられる。
『バウンド』
監督:アンディ&ラリー・ウォシャウスキー(現リリー&ラナ・ウォシャウスキー) キャスト:ジェニファー・ティリー、ジーナ・ガーション、ジョー・パントリアーノ/1996年
◇あらすじ
しかし、実は兄弟が姉妹であったことを知った上で『バウンド』を観れば、なるほどと思う点もあって。レズビアンの二人がマフィアの金を騙し取るとなれば女の狡猾さがクローズアップされるよう想像しがちだが、それよりも女同士の間の生真面目さや初志貫徹する強さが印象的だ。身勝手に押し付けられる男の願望やイメージを置いてけぼりにする爽快感もある。
◇ジーナ・ガーション
『Lの世界』きってのスケコマシ、シェーンを演じたキャサリン。(photobucket.com/gallery/user/dylanface23/)
シェーンに誘われて断れる女がいたら今すぐに名乗り出ろ。声がまたいいんだぞ!
まあまあ、それは冗談として、本作でのジーナのカッコよさは文句なし。ただ主役はヴァイオレットを演じたジェニファー・ティリーの方だろう。
◇本題
計画は、シンプルなようでいて理に適っている。シーザーと、マフィア幹部ジーノの息子ジョニーの犬猿の仲を利用し、消えた金はジョニーが盗んだように思わせるというもの。「人は信じたいものを信じる」の心理を逆手に取った、確率の高い作戦だ。
だが、その後のシーザーの行動を読み切れなかったことが災いし、計画は大きく狂うことになる。
◇小道具
◇三色の色
ファーストシーンの、エレベーターの内装は真っ赤だ。これはヴァイオレットがこの時点で、シーザーの囲われ者であることを示す。部屋の床は赤、重要な客を迎えるとき、普段黒を好む彼女にシーザーが選ぶドレスの色も赤。この映画では支配者を象徴する色である。
◇シーザーかわいそう?
幹部のジーノ親子を殺したシーザーは、そのために生じた綻びを一人で忙しく繕うことになる。死体の始末、消えた金の捜索、銃声で駆け付けた警官たちの対処。何より、ミッキーが金を受け取りに来る時間が迫っている。そんな中で実は恋人が裏切者であったことが判明。傍目から見れば、非常に気の毒なシーザーだ。降り掛かる難題に錯乱するさまを汗だくで演じたジョー・パントリアーノがよかった。『マトリックス』にも出てますね、
汗だく一人芝居と、腹の立つ胸クソ顔に拍手。
『必死剣 鳥刺し』
◇あらすじ
藤沢周平の短編小説は多く映画されていて、そのうち「隠し剣シリーズ」を原作としているのが『隠し剣 鬼の爪』(2004年)、『武士の一分』(2006年)と本作『必死剣 鳥刺し』ですね。割と評判のよい『たそがれ清兵衛』(2002年)も観たはずなんだけど、ぼやっとした記憶しかないんだよなあ。ということで、本作を観る前に『たそがれ』と『鬼の爪』を観直しました。どちらも山田洋次監督の作品です。
◇『たそがれ清兵衛』鑑賞後、感想
「わかるー」
「あと、米櫃の底が見えた時の悲しい気持ち」
「それな!」
◇やった、月代剃ってるッ
◇声って重要・・・
帯屋隼人生、これね。↓
あ、こっちでした。↓
◇他の作品との差別化
・本来ならば即打ち首となるところ、なぜ一年の閉門程度の軽い罪ですんだのか?
・三左エ門のみが使う、発動するときには遣い手は半ば死んでいるという「必死剣 鳥刺し」とはどのような剣術なのか
一人は特別な思いをもって、一人は気づかずに、行き合う。
観客が期待する殺陣を、相応しい舞台できっちり見せてくれた点もポイントが高い。
肩衣から腕を抜いて「お手迎いいたしますぞ」と応じ。。。え、また吸った!?
その点、本作は「生への執着」に繋がる理由として女への情愛=濡れ場を描くことから逃げず、他作品との差別化を図っていたところが非常に評価できる。ただ、なぜか豊川悦司の背中が異様にテカテカしていたのが気になった・・・。
『きみはいい子』
先日保護者会に行きましたが、それはもう想像を絶する若さでした。緊張のあまり汗だくになっちゃって、「本日はお暑い中お越し頂きありがとうございます」から始まり(4月の爽やかな日)、「生徒や周囲の先生方に助けられ」を連発。
◇あらすじ
高良健吾の受け持つ四年生のクラスにはよく見れば問題がいくつもある。だが高良は、気が付かないのか思考がストップしているのか、帰宅せず校庭の隅にいる男子生徒には「学校好きだなー」と見当外れな声掛けをし、ある女子生徒が持って来た、別の女子へのいじめの手紙を「誰にも言うなよ、先生もキミが持ってきたこと言わないから」と机に引き出しにしまう。これだけで、どれほどのヘタレ教師かが分かるだろう。
男子生徒が家庭で暴力を受けていると知ってからは行動をしようとするのだが、子供側に立ってやることもできず、かといって保守的な学校の機構を理解していないのでその中で立ち回ることもできない。子供ではないが大人でもない、情けな教師を高良が好演している。
◇ママ友ばなし
池脇千鶴が演じる二児の母も公園にやってくる一人だが、他のメンバーから疎ましがられていて、疎ましがられる原因のキャラや見た目がまたリアル。見なりも構わなければ、ベビーカーを「乳母車」と呼び、その乳母車の左右にこれでもかと引っかけた大荷物が、本人同様いかにも鈍重だ。声もアクションも大きく、現実にもたまにこういう人がいるが、例外なくちょっと気持ちが悪い。
尾野は、正反対のタイプの池脇に戸惑いながらも興味を隠せず、それが分かるのが子供を叱るときの描写だ。彼女は当然、外で娘に手を上げないが、娘が転べばグズなわが子に苛立ち、反射的に「なにやってるの!」と叱咤する。しかし同様の状況で池脇の口から出るのは「大丈夫!?」の言葉で、子供に触れ抱きしめながら怒る。それを見つめる尾野。全編、強張った顔の演技だった。虐待シーンの子供の泣き声は痛々しいが(殴っているのは子役ではなく尾野自身の手だろう)、加害者側の尾野真千子の役作りというか、撮影中の精神状態の保ち方は大変だったのではないだろうか。
それにしても、池脇千鶴ってこういう人だったっけ!?もっとカワイイ系じゃなかった?
◇あまり好きじゃなかった点
『映画対談(前半)』
ふふふふ、おはようございます。
金曜日ですね、ふふふふ。
なんでご機嫌かというと、ちょっと前に、ふかづめさんとコツコツコツコツ会話を重ねた映画対談が記事としてアップされたのです!
ふかづめさんと言えば、京都在住の気むずかしいシネフィルで、驚異の知識量と文章力を持ち、シネマだけでなく媚び諂うものを斬って捨てる孤高の天才です。すごい強烈なプロフィール。
気むずかしい、ってのは、私の中では完全に褒め言葉ですよ。(ツイッター経由で)会話する中で、感じた人柄は色々あるのですが、思いのほか恥ずかしがりやっぽいので、やめときます。
で、肝心の対談記事ですが、長くなっちゃったし、話があっちゃこっちゃ飛んだので、編集には苦労しました。それで前後半に分けました。
さも私が苦労したみたいに言ってみたけど、やったのは全部ふかづめさんです。あと、ホントはチャッチャッと編集してました。
全テキストを送ってくれて「そちらのブログ用に編集していいよ」と言ってくれたんだけど、私はそんなことできないので、リンク貼らせてもらいます。
みなさん、是非読んでくださいねー!