Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『SHINOBI』

f:id:yanagiyashujin:20190823083312j:plain

監督:下山天 キャスト:仲間由紀恵オダギリジョー/2005年
 
少し前のこと、うちの会社の営業担当(※三十歳すぎのチャラ男、サイコパスぎみ)が帰社するなり、「クリステルと小泉が結婚しましたね」と言ってきました。その瞬間は何のことやら分からなかった。仮にも営業なら、いっぱつで伝わるように話して欲しい。
 
滝クリってババアだったんすね」というので「私、同い年なんだけど」憮然とすると、「まあ、仕方ないっすよね」と口笛を吹いて歩いていきました。おいコラ。
 
だいたいね、20歳そこそこならともかく、それなりの年齢の男が40代の女を「ババア」としか言えないなんて、それはもう良い女性経験を積んでこなかったのねって話なわけ、わかるぅ~?
 
今の滝川クリステル、初めてテレビに出てきた頃よりもずっと年齢相応の美しさで輝いているじゃないですか。そんなこともわからないとは、どうかしてるぜ。
 
本日は「どうかしてるぜ」をテーマにお送りします。
 
さて、前回の『パッチギ!』で話題にしたオダギリジョーのワースト映画。そう、こちらのSHINOBIですネ。異論はございますか?
 
以下の方が、とんちんかんな予測をして下さいました!
 
とんぬらさん『東京おかんタワー』。ぼけぼけなさっているので仕方ないですが、恐らく東京タワー オカンとボクと、時々、オトンのことをおっしゃっているのかと思います。
 
ikukoさん『有頂天』。映画の題名を呼びたいように呼ぶ人たち。困ります。THE 有頂天ホテルね。違います。

ツイッター友デンデロ・ワシントンさん(ジョン)、『たみおのしあわせ』なんだそれ? 言ってなかったけど、私もオダジョーの映画全部観てるわけじゃないからさ。

8マンさん
「ワタイ、オダジョーは過大評価されてると思ってんザンスよ」。はい、出た、8マン節!コーヒーたらふく飲んどいて下さい。
 
コンマさん『ゆれる』。ノーコメント。皆さんのブログにお邪魔できないことを日々猛省しているコンマさんです。
 
見事に『SHINOBI』の名を挙げたのは、コメントをくれた私の大好きなリアル友、B級映画の帝王&浅草橋のプリンスことつっちーと、LINEで参戦してきた親友のリエコです!お前たち、さすが。つっちーは『バジリスク』も好きだしね。
 
また、「もっと坂口拓のこと知りたい!」というお便りを100通くらい頂いたため、本作では伊賀方の忍び夜叉丸(やしゃまる)を演じている拓ちゃんをピックアップしていきましょう!
 

f:id:yanagiyashujin:20190823082344j:plain

拓ちゃん as 夜叉丸!
 
メイクに失敗した松田龍平じゃねーぞ!
 
 
 ◇あらすじ
甲賀卍谷と伊賀鍔隠れの忍び一族は、数百年の間、不倶戴天の敵同士だったが、互いに次期頭と目される甲賀組の弦之介オダギリジョーと伊賀組の朧仲間由紀恵は恋仲にあった。二人の縁をきっかけに、長きに亘った確執も解けるかと思われる中、徳川家康より徳川家の世継ぎを賭けて戦うよう命が下り、精鋭各5名が対決することとなる。
 
 
◇原作ファンからも主演からもバッシングされる
弦之介役のオファーを受けたオダジョーは「これは自分向きじゃない」と何度も断ったが、監督の熱意に負けて渋々出演することにしたらしい。いざ映画が公開されると、原作の甲賀忍法帖及びその漫画化バジリスクの根強いファンからブーイングを受け、オダジョー本人も、出演して後悔した映画として挙げていた記憶がある。確かに、この映画のオダジョーは、ひどい。この人は元々、役にハマったときは独特な味を出すのだが、「合わない」「苦手」と感じたときには恐ろしいくらい下手な芝居をする俳優で。そういうとこも好きなんだけどね。

この映画では、本人の乗り気でない感じがモロに出た。とにかく滑舌の悪さや棒読みが目立つが、ビジュアルもまずい。
 

f:id:yanagiyashujin:20190823082551j:plain

 

 

甲賀の頭領というよりは、田舎の高校生。

 
当時、オダジョー好きが最高潮だった私は、リエコを引っ張って映画館にて鑑賞。リエコが、途中オダジョーの「頭(かしら)は俺だー!」「急ぎ出立の支度を3&'%###?+~!!」と叫ぶ場面で盛大に吹き出したのと、椎名桔平が映る度に忍び笑っていたことは今も記憶に新しい。きっぺいについては後述する。
 
設定の変更、忍びの面々の個性や忍術の掘り下げ不足が、原作ファンの逆鱗に触れ、映画への評価は低いものとなった。良い評価を付けているのは大体「原作は読んでいませんが」という人々。
 
でも、ちょっと待って。あまりにも感情的になりすぎではないだろうか。つまり、低評価の主な理由は、(CGがしょぼいなどの感想を除けば)「人物設定や展開があまりに原作と違う!」「浅い!」というものだ。私も小説と漫画を読んでいるけれど、別物として観られないかしらね?賢明な映画好きたちは再三言っておりますよ、小説あるいは漫画を「忠実に」映画化することなど不可能だし無意味だと。
 
結論から言うと、これは結構楽しめる映画なのだ。
 
100分間で、忍びたちの人物像と忍術を丁寧に描き、各々の戦いをつぶさに見せ、弦之介と朧の悲恋まで盛り込むのは土台無理な話。映画化にあたって、恐らく腹を括ったであろう監督は、旬な役者たちを如何に魅力的に映すかに注力し、また予算のほとんどをアクションシーンにぶっ込んだ(多分)。冒頭、家康の御前に召されたそれぞれの里の代表が技を披露するシーンや、伊勢山中、三河渥美の宿での甲賀VS伊賀の戦いは十分に見応えがある。

大体、ストーリーなんて元々ないようなもんだろうよ。山田風太郎が神格化されすぎなんだよ。
 
 
◇アクション
CGとワイヤーアクションを駆使した忍び同士の対決シーンは、技術的にはしょぼいのだろうが、私は今観ても十分に楽しんだ。アクション監督は下村勇二。
 
個人的に初めて名前を知ったのは、インディーズ製作ながら根強い人気を誇る北村龍平監督の『VERSUS』(2001)だった。その後、GANTZ(2011)、図書館戦争(2013)、アイアムアヒーロー(2016)、いぬやしき(2018)、BLEACH 死神代行篇』(2018)、また直近では『キングダム』(2019)など話題作に軒並み参加、日本のアクション映画には欠かせない人物なのだ。
 
坂口拓は、下村勇二と『VERSUS』以来の旧友で、同作では主演も務めた。下村が監督した『RE:BORN リボーン』(2017)でもタッグを組んでいるし、『SHINOBI』でのキャスティングも恐らく下村との縁が無関係ではないだろう。また、『キングダム』のラスボス左慈役では、その身のこなしが只者ではないと観客をザワつかせたらしい。私に言わせれば、今更だけどね。
 
『狂武蔵』で燃え尽きて俳優を引退し忍者になっていた暗黒時代を抜け、本来あるべき場所へ戻っただけのこと。坂口拓の現在をググれば、精悍な44歳の姿を見ることができる(暗黒時代はビジュアルもひどい)。ちなみに本人は口を開けば、のほほんとしたおじさんで、かなりアホっぽいのだが、それもまた実はめちゃめちゃ強い人であることの裏返し。
 
何が言いたいかというと、下村勇二×坂口拓のアクションは最強であるはずなのだ。本作では、ワイヤーアクションがバカにされがちだが、あれだけスピード感とキレのある動きが見せられるのは、坂口拓の身体能力あってこそなんだよ、わかってるぅー?
 
改めて本作の夜叉丸を観ると、これまでの役柄とは随分趣が異なる。全身黒づくめ、黒髪長髪の玲瓏とした男の役なのだが、鑑賞中、リエコが「こいつのどこが美男やねんー、もっとイケメン持ってこいやー」とうるさかったこと!

分かってない、お前は坂口拓の魅力をまったく分かってない。どうかしてるぜ。確かに、河村隆一の顔面面積を広げたような顔しているけれど。

 

f:id:yanagiyashujin:20190823082718j:plain

このワンラインジャージ着物がまたイケてる♡ 私のツーラインアディダス着物とおそろいだね♡
 
 
夜叉丸の見せ場は、冒頭の御前試合と、伊勢山中での筑摩小四郎(虎牙光揮←知らん)との対決。ここで筑摩小四郎に敗れて死んでしまうが、二人の戦いに尺が取られていたことを考えれば、監督の力の入れ方が分かろうというものだ。
楽しもう、坂口拓虎牙光揮のワイヤーアクションを。
 
 
◇映りの良し悪しに差がありすぎる
この映画に出演して得をしたのは恐らく、毒で男を屠る陽炎(かげろう)を演じ黒谷友香と、朧を慕う少女蛍火(ほたるび)を演じた沢尻エリカだろう。前者は妖艶、そして後者の可憐なこと。また、お肌のピチピチ度の点で、完全に沢尻エリカの後塵を拝した仲間由紀恵ではあるが、現在の貫禄のつき方に比べればフレッシュで瑞々しい。特に、蛍火を殺されて怒り、破幻の瞳の術を炸裂させる場面は美しく、私のお気に入りです。女優陣に関しては、総合的によく撮れていたと言っていいのではないか。
 
対して損をしたの男性陣、こうがのとうりょうことオダジョーと、そして椎名桔平だ。どっかのレビューサイトには「オダジョー、かっこいい」「椎名桔平がカッコよかった!」などコメントがされていたが、皆さん目がどうかしている。オダジョーは既述の通り台詞回しも顔もひどい上、元々大きくはない背丈の印象を助長する撮り方がされてしまっている。オダジョー特有の、しゅっとしたスマート感が全くなく、小男感がすごい。そりゃ、本人も自分史から消したいだろうよ。
 
椎名桔平に関しては、一つか二つか三つくらい良いショットがあるが、他は、テーマカラーが紫の奇矯なコスプレをした下膨れのおっさんといったところ。コスプレ椎名きっぺい、略して、コスプれっぺい。せっかく「長髪」という武器があるのに、膨らんだ頰を隠す道具に使わないとは本人も撮影する方も、どうかしている。
 
 

f:id:yanagiyashujin:20190823083128j:plain

コスプれっぺい、連続ショット。
 
 
◇えーと
擁護してはきたが、もちろん決して上質な作品ではない。ただ、坂口拓と下村勇二が先導するアクション、黒谷友香がチラリと見せる足、コスプれっぺいなど、見どころは多いのよと伝えたい。
 
何よりラストの、朧が家康らの前で自らの両眼を潰してみせる、駿府城登城シーンである。それこそ比較するなら、原作では自害するところ、映画版では弦之介の遺志を継いで里のために生きることを選んだ。いいじゃないですか。この映画オリジナルの脚本、好きだよ。
 
血の涙を流しながら「どうか、この通りでございます」と頭を下げる仲間ちゃんを見て心が動かないなんて、どうかしてるぜ?
 
勝手にオダジョー・ワーストに挙げてしまったが、彼に合わなかった役という意味でのワーストであって、「原作と違う」で片付けてしまうには勿体ないエンタメ作品だ。
 
ところで、早く『キングダム』が観たいな!

『パッチギ!』

f:id:yanagiyashujin:20190822075512j:plain

監督:井筒和幸 キャスト:塩谷瞬高岡蒼佑沢尻エリカ/2004年

  

◇あらすじ

敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くよう、担任に言われた府立東高校2年生の康介塩谷瞬は、そこでフルートを吹く女子高生キョンジャ沢尻エリカに出会い、一目惚れする。ところが、彼女は朝高の番長アンソン高岡蒼佑の妹だった。(映画.com)

 

井筒監督って・・・最近なにしてるんでしょうね?昔、『パッチギ!』公開の少し前辺りに、井筒監督が話題映画を自腹で鑑賞して評論する『こち虎自腹じゃ』っていう深夜のバラエティコーナーがあったんです。毒舌が面白くて、よく観ていたなあ。それから、『モンスター』(2003)で役作りのために激太りしたシャーリーズ・セロンを、日本のマスコミが「これぞ女優魂!」と持ち上げる中、「役者なんだから当たり前」と冷ややかに斬っていたのが印象的でした。

さて、本日は、学生運動ベトナム戦争、敗戦の影響が色濃く残る時代を背景に、高校生の恋を描いた青春映画『パッチギ!』を紹介します。

 

舞台は1968年の京都。鴨川を挟んで日本人と朝鮮人の住む場所は明確に別れており、日本人側からは対岸を「朝鮮部落」と呼んでいた。歌謡曲イムジン河』の日本語訳者である松山猛の自伝を原作とし、そこに当時監督自身が肌に感じていた時勢や体験が重ねられ、画面に生き生きと投影されている。

一方で、在日朝鮮人側に主眼を置いたため、また、テーマ曲『イムジン河』が彼らの悲哀を歌ったものであるとして、偏った反日の主張が為されていると多くの反感を買った。

私としては、訳の分からない熱を孕んだ時代を感じさせてくれることと、歌詞の内容はどうあれ曲の良さが好きだよねえ。今では想像もつかない濃い社会情勢に、ギターとフォークソングの音色の映えること。『イムジン河』の日本語版を初めて歌ったザ・フォーク・クルセダーズのリーダー加藤和彦が音楽担当で参加しており、この点も無視できない。

 

 

◇映画の設定は「設定」だよ

良い青春映画であるとの意見は共通しながらも、この映画が強い反発を受けるのは、言うまでもなく、後半の葬式のシーンのためだ。

朝鮮人の友人の葬式に参列した塩谷瞬演じる康介は、笹野高史演じる親族の老人から、日本人は帰れと罵倒される。そして周囲から次々と「我々は紙切れ一枚で故郷から強制連行された」「日本人が食べ残した豚の餌を食ってきたのだ」と厳しい言葉を浴びせられる。

この箇所を挙げて「一方的に日本を非難していて不快だ」とする意見がとにかく多い。一応、プロの批評家を名乗る前田有一に至っては、レビューの中で朝鮮半島の言い分に共感する者は感動できるが、愛国者の日本人であれば激怒する映画」と述べ、敢えて点数を付けずに時価、としている。

 

呆れて物が言えない。

 

忘れてはいけないのは、これは映画だということだ。

事実と、そこから発想を得た映画の中の設定をごっちゃにすべきでない。言うまでもなく、笹野の人物は映画上のキャラクター設定であり、「豚の餌を食わされた」は台詞だ。その言葉の内容の是非を問い、「映画の批評」として議論の俎上に上げるなどナンセンスの一言。

笹野の言葉に「そうだったんだ」と目を潤ませる者は★5つをつけ、反感を覚える者は★1つとする、感情移入できないとの理由で作品そのものを評価しない、批評ってのはそういうものじゃないでしょう。そんな議論は、映画の外でやればいいことである。映画でお勉強した気になるなって、おねーさんいつも言ってるよねええ。

井筒監督の中に、当時、急に発生した韓流ブームに対し「ちゃんと歴史を知っときなさいよ」という思いはあったろう。だがこれを、朝鮮側に偏った思想をぶちまけた映画だプロパガンダだと取るのはあまりに浅薄というもの。もしそうならば、あんなストレートに分かり易い日本糾弾のシーンは作らない。昨今のプロパガンダというのは、ひっそりと潜め、人々にそうとは気付かせずに洗脳するものでなければ意味がないのだから。

これはロミオとジュリエットの話だ。彼らの間にはバルコニーの代わりに、鴨川に象徴される境界線がある。

葬式の場面は、民族間の隔たりとしてしか境界線を捉えておらず、努力次第で飛び越せると思っていた無知な康介が、強烈に横っ面を張り飛ばされるシーンだ。康介がその場で感じたであろう、衝撃、反感、理不尽、羞恥。監督が観客に汲み取って欲しかったのは、そういったものでいいはず。この出来事があったからこそ、キョンジャは自転車で自ら境界線(鴨川)を越えるのだし、恋は成就するのだ。

 

 

◇オダジョーの『悲しくてやりきれない』

葬式会場から、鴨川に掛る橋へふらふら歩いてきた康介がギターを欄干に叩きつけてぶっ壊す。このとき後ろに流れる、オダギリジョーが歌う『悲しくてやりきれない』が至高。

オダギリジョーといえば、プロ意識の高さゆえ使い易いとは言えない役者であり、処世術と無縁のため、結婚会見では新婦と二人して押し黙り取材陣を困惑させた。私は昔からこの人が大好きで。まあカッコいいよね、声も甘くていいよね。そしてダメな作品に出たときは驚くほどカッコ悪いよね。出演作品を厳密に選定するが、必ずしも作品選びに成功しないところが愛すべき点。

作品選定に成功したときには自然体でありながら存在感を示し、個人的に一番の成功例が、この『パッチギ!』の坂崎さんだと思っている。『悲しくてやりきれない』は、最近ではこの世界の片隅に』(2016)コトリンゴが歌い、それも良かったけれど、私にしてみたら、やっぱりどうしたってオダジョーの方なのである。

彼の出演作の中で好きなのは、次点は『あずみ』(2003)の美女丸役。ワーストは蟲師』(2006)か、次回レビューをしようと考えているある作品だ。

ある作品、どうぞ予想してください。我こそはという人はコメント欄でどうぞ。何か賞品がもらえるかもよ。ちなみに『蟲師』は、初めて映画館で爆睡した。

 

f:id:yanagiyashujin:20190822081206j:plain

坂崎さんステキ。映画後半には、みうらじゅんみたいになってしまう。

 

塩谷瞬のギター叩き割りからの、大友康平「バァカ!どんな理由があろうとな、この世に歌ったらあかん歌なんかあるわけないんだよ!」以降は怒涛の泣かせ展開。

境界線は康介とキョンジャの間にだけ引かれているのではない。報復に向かうアンソンの車と陣痛に耐える桃子楊原京子が乗るバスの境、朝鮮学生と日本学生の間に流れる鴨川も同様だ。

康介がギター1本で歌い始めた『イムジン河』にオーケストラの演奏が重なり、桃子の出産、鴨川の乱闘の場面を経て徐々に境が崩れていく。そこから生まれた希望は、アンソンと桃子の赤ん坊、また康介の歌が流れるラジオを泣きながら親族に掲げるキョンジャの姿に象徴される。何回観ても私はここで泣く。

つまらないことばっか言ってないで、エリカちゃんの泣き顔を観なよ。

 

 

◇パッチギの呪い

パッチギ!』に出演した役者は、その後、多くがトラブルを起こして消えていき、そのため呪いの映画と言われているが、単純に順序が逆。元々強烈な役者が集まっただけの話だ。

沢尻エリカについては触れる必要がないので割愛。オダギリジョーは前述の通りだし、高岡蒼佑と言えば言葉をオブラートに包むことを知らない、売られた喧嘩はガチで買うリアルパッチギ野郎。二股俳優こと塩谷瞬が元からアホなのは疑いようもなく、真木よう子仲代達矢主宰「無名塾」で目をかけられながら、日課のマラソンをサボったサボらんで仲代と喧嘩し、退塾となった問題児だ。

 

例えマラソンをサボったとしても、この映画のパンチパーマ真木よう子は、死ぬほどかわいい。

 

坂口拓に触れとかないとね。知ってる?坂口拓

劇中では、途中日本学生側の助っ人として現れる大阪ホープ会のボス、最後に高岡に、これがパッチギじゃあ!って頭突き喰らう人ね。

八極拳少林寺拳法、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ等あらゆる格闘技に精通し、現代殺陣や時代殺陣もこなす日本最強のアクション俳優兼アクション監督。

数年前に、世界初「ワンシーンワンカットで77分戦い続ける侍ドキュメンタリー映画『狂武蔵』」を撮影(未完成)、燃え尽きて俳優を引退し、忍者になった(現在は俳優に復帰)。『狂武蔵』撮影中、奥歯を砕き指を骨折したが、自分の口で骨折した指を元に戻して撮影を続行。人体を内側から破壊する”ムーブなる技を体得し、「アウト×デラックス」で山ちゃんに1%の力で披露、悶絶させた。完全にイカれた人間だ。

まだ消費されていない桐谷健太の怪演もいいよねえ!

ということで、問題児予備軍をまとめあげた監督の手腕を褒めていきましょう。日本はこの作品もっと誇っていいと思うんです。熱っていうのは、こういう映画から生まれるんじゃないの?

『アンタッチャブル』

f:id:yanagiyashujin:20190807083227j:plain

 
私は変な人に懐かれがちなのですが、「ヘンな奴だな」って感じた人は、どこまでもヘンなものですよね。数年前、職場に中途採用の女性が入ってきました。年齢は私のちょっと下、人懐こくてコミカルな性格、名を仮に佐々木さんとしましょう。
 
何回か昼ごはんに行くうち、わざわざ会社のメールで「やなぎやさんに、さん付けで呼ばれるのイヤです!ササって呼んで下さい!」と言ってきた辺りからイヤな予感がしたのね。
 
ササは、私や仲の良い同僚たちが着物好きと知ると、自分も着付け教室に通い、私がよく行っていた古着専門の着物屋さんに足繁く通い出しました。それは別にいいのだけど、私が気に入って、でも結局棚に戻したものを「買わないんですかー、じゃあ買っちゃう~」と買うのが嫌だった。
 
どんなに練習しても着付けはド下手クソだし、一度、数人で着物で出かけたとき、思いっきり左前に着てきて全員絶句。「コーヒーには絶対牛乳を入れる」と拘りがあって、海外に行ったとき、お店の人が牛乳はないと言うのに粘って無理やり出させたことを武勇伝にしていた・・・。
 
あ、思い出すと気分が暗くなるわ。ヘンな人だなと感じているのに付き合い続けるものじゃないよね、時間の無駄遣い。
イヤな話をしてごめんなさいね。彼女が大好きといつも言っていた映画がアンタッチャブルだったの。『アンタッチャブル』にちょっと泥が付いたよね。
 
相変わらず、この作品の位置づけも監督の他作品との比較も他人のレビューも研究しないままのだらだらした感想となります。ブライアン・デ・パルマ監督は好きなんだな!
 
 
◇あらすじ
1930年、禁酒法下のシカゴ。財務省から派遣された特別捜査官エリオット・ネスケビン・コスナーは街を牛耳るギャングのボス、アル・カポネロバート・デ・ニーロに敢然と戦いを挑む。ベテラン警官のマローンショーン・コネリーを始め、射撃の名手ストーンアンディ・ガルシア、税理士のウォレス(チャールズ・マーティン・スミス)といったメンバーに支えられ、ネスの捜査が始まる。しかし巨悪カポネの差し向けた殺し屋によって、ひとり、またひとりと犠牲者が・・・。(映画.com)
 
私たちの世代の映画好きにとって、避けて通れない俳優、それがケビン・コスナー。『アンタッチャブル』で成功したコスナーは、フィールド・オブ・ドリームス』(1990年)、『JFK』(1991年)、『ボディガード』(1992年)、『パーフェクト ワールド』(1993年)などで更に名を売った。繰り返し観ていたせいか、当時はダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)が好きだった。皆さんもやりましたよね、人差し指で角を作り、「タ、タンカ」と言いながら走り回ってバッファローの真似をしたでしょ?
 
その後のコスナーは、額の領土侵攻とともに、『ウォーターワールド』(1995年)、『ポストマン』(1997年)など駄作への出演が重なり段々と忘れられてしまいました。
それでも、やっぱり私達世代には人気の高いコスナー。さあ、敢えて言いましょう。
 
 
声がねえ・・・。
 
 
そう、『必死剣 鳥刺し』にて問題視した豊川悦司と張るくらいに声がひどい。豊川悦司はヘリウムガス系だけど、コスナーは、なさけな系。あと肩幅がとても狭い。従って、バッファローを追いかけようが、犯罪者やポストマンを演じようが、声と肩幅が観る者の脱力を誘う、なさけな型俳優代表が私の中のコスナー。
 
そして、実にイメージ通りの役を演じたのが、この『アンタッチャブル』となっております。この映画、コスナーがカッコイイと皆言うが、カッコいいか!?
 
 
◇なさけな特別捜査官
コスナー演じるエリオット・ネスがどんなキャラクターかは、最初の倉庫手入れシーンで分かる。張り込み車中、ワイフが書いた「あなた、がんばって!」というメモを見てニヤけながらサンドイッチを頬張り、新米の警官に「手入れは初めてか?俺についてこいよ」などと言うが、あんたこそド新任、そして初めての手入れです。
 
この捜査は当然、賄賂を掴まされた警官からカポネ側に漏れており、ネスが酒のボトルだと思って引き抜いたのが和傘の柄という間抜けな結果に。さらに、その傘を開いちゃうところが、まさに私のコスナー。
 
まずはシカゴ暗黒街の洗礼を受けるのだが、ネスのピュアピュアで何の警戒心も抱いていない様子が腹立たしく、また失態を揶揄した新聞記事を、戒めに部屋に貼る優等生ぶりも好かない。
 
しかもこのボンボン、偶然の勢いを借りて、関係のない人々を戦争に引き込む。ストーンはピチピチの警察官だから良しとしても、何事もなく定年を迎えたいベテラン警官のマローン、畑違いの経理のウォレスは完全に巻き込まれ事故。そしてこの二人が、カポネの殺し屋の犠牲者となるのだ。
 
 
男のロマンのテーブル
まあ、男のロマンの映画ですよね。男のロマンなんか知らないけど。巻き込まれ事故、とは書いた。だが実際は、マローンもウォレスも、理性と諦めの中で眠らせていた本能に目覚め、一世一代の狩りに血を滾らせる。マローンはこれまでの鬱憤を晴らすかのように嬉嬉として先陣を切り、ウォレスもカウボーイの気持ちになって興奮する。
 
ネスが妻子を余所へ逃がして身軽になったところで、カポネと闘う決意を新たにし、どこか浮わつきながら夜の道を走る四人。並んで馬を駆るカナダ国境のシーンでは、西部劇に出てくる正義の保安官さながらだ。行き当たりばったりに集まった「アンタッチャブルズ」は、徐々に結束を強めていく。
 
カポネを演じたロバート・デ・ニーロは、本作でも髪の毛を抜いて役になり切る得意のメソッド演技で臨んだ。このスタイルは多少映画を観る人には大体、評判が良くなく、私の周囲では友人のシネフィルS氏などもデ・ニーロを嫌っている。でも、やっぱりカッコいいし愛嬌があるし、私はデ・ニーロ好きだな。「デ・ニーロ」って聞くと、いつもこの映画のオペラを観て咽び泣く顔が思い浮かぶ。
 
ところで、主役の四人とカポネの組織の力関係が「食卓」で表現されるのが面白い。
デ・ニーロ=カポネが権力を誇示する画面は、彼を丸く囲む人々やゴージャスな円卓のディナーなど、円形が特徴的だ。一人や二人欠けたとしてもカポネに何の影響も及ぼさない、組織の巨悪さを誰しもが連想するだろう。
 
対して、ネスら四人が祝杯を上げるのは、ダイナーの四角いテーブル。こじんまりしていて、全員の距離がギュッと近い。各辺を為す四人の、誰か一人欠けても「アンタッチャブルズ」が成り立たないことを示唆している。だからこそ、一人、また一人と欠けていく展開が寂しいのだ。四人でなければ、このテーブルを囲むことはできないのだから・・・。
 

f:id:yanagiyashujin:20190807084635j:plain

結束のテーブル。
 
 
◇爺さんの殴り合いと、長回し
私のお勧めナンバーワンは、元は同期だが、片や犯罪組織に膝を折って出世した警察署長と、片や矜持を貫いたヒラの老刑事マローンが、裏通りで殴り合うシーンだ。お互いに自負とコンプレックスを抱かずにはいられない相手で、常日頃はすれ違いざまに嫌味を言い合う程度であったが、ついに本音が爆発。
 
「悪人に尻尾振りやがって」「うるせえ、負け犬」と罵り合いながら、腹の出た身体でよたよたと殴り合う。キレも俊敏さもない無骨なストリートファイトは、視覚的には滑稽で、だが二人の心情を慮れば少々もの悲しい。舞台を照らす赤いライトが、否が応でも雰囲気を盛り上げる。私はこのシーンがとても好きだ。
 
散々に語り尽くされているが、ウォレスとマローンが殺されるときの長回しは見応えがある。特にウォレスの場面は、スタートから嫌な予感しかしない。
 
直前の西部劇のパートで、カポネの組織の一人を捕らえる勝利を収め、警察署に凱旋した四人。カメラは、興奮冷めやらぬままエレベーターに乗り込むウォレスと、中で目を光らせる殺し屋ニッティを映した後、そのまま廊下を歩いてくるネスとマローンへと向けられ、しばらくの間、会話する二人を追う。この間が、観客にとっては嫌な知らせを待つ時間だ。
 
マローンのシーンでは、カメラは、彼を自宅の窓の外から再び長回しで追いかけ、観客にウォレスの死を思い起こさせる。異なるのは、このカメラが殺し屋の視点になっていることだ。殺し屋は、部屋の窓を開けて中へと侵入し、マローンの背に迫る。マローンが銃を持って振り返ったときにはホッとするのだが、切り替わったカメラが映す殺し屋はニッティではない。「どこかにアイツがいるからそっち行っちゃだめ~」との祈り虚しく、殺し屋を銃で脅して追い立てたマローンは、外に潜んでいたニッティに蜂の巣にされてしまう。何度も観ても、ショッキングだ。
 
 
◇ネスさんが本領を発揮する
さて、マローンの自宅に駆けつけたネス。野次馬を掻き分けて家の中に飛び込み、血塗れで倒れているマローンを発見、そして叫ぶ。
「ガァッ、デェーム!」
 
 
ちょ、待てよ(キムタク)。
 
 
この時ほどコスナーの声の高さを呪ったことはない。吐き捨てるでもなく、低く口の中で呟くでもなく、「ガァッ、デェーム!」と甲高い、こう言ってはなんだけどアホみたいに軽い声なのだ。
 
マローンは老骨に鞭打ってストリートファイトを演じ、命と引き換えに重要な情報を入手した。しかしネスと来たら、何ひとつ役に立たない上に、一度は戦いを投げ出しかけたのだ。まったく、こっちがガッデムだよ。
 
それにしても、マローンを演じたショーン・コネリーは死に掛けの演技が本当に素晴らしい(大事にしていたキーチェーンを投げ捨てるのが泣ける!)。 インディ・ジョーンズ 最後の聖戦で、ドノヴァンに撃たれた後の、今にも死にそうなパパ・ジョーンズもいい〜。
コネリーさんには、特別賞として『死に掛けでショーン』を贈りたいと思います。喜んでもらえるかしら?
 
名シーンと語り継がれる駅の階段シーンは、もちろん名シーンだ。異論はない。しかしカッコいいのはストーンである。走りながらネスに銃を投げ、落ちてくる乳母車の下に身体を滑り込ませて足で平衡にキャッチ。その態勢のまま、帳簿係を人質に取ったマフィアの男に、ひたと狙いを定める。どれだけマルチに仕事をこなすのか。
 
ここで、ネスの「狙いは?」との問いかけに対するストーンの台詞については、皆さん自分なりのベストがあるようで。私は昔、洋画劇場で観た際の「完璧です」なんだな。大人になって以来、何度も観ているけれど「完璧です」には当たったことがない。「任せろ」とか「バッチリ」とか、どれもしっくり来ない。
 
さて、場面を少し前に戻そう。ストーンの動きは冷静かつスピーディ、だが、そこに至るまでのネスの行動がドンくさい。ネスだけでなく、件の乳母車を押した母親が異様にドンくさい。階段の下で、赤ん坊(というにはデカい子供)を乗せた乳母車と荷物を抱えて右往左往し、荷物を置いてみたり、やっぱり持ったまま乳母車を一段ずつ引き上げたり、かれこれ30分ほども(やなぎや体感時間)エッチラオッチラ、のたくっている。
 
そしてネスも、身を潜めて帳簿係を待ち伏せながら母親のことが気になってしまい、「えー、どうしよ、手伝うべき?でもなあ」と、これまた30分ほども(やなぎや体感時間です)、のたくっているのである。手伝うなら、とっとと手伝いなさいよ。
 
結果的に、ネスの優柔不断が先程の事態を招き、ストーンにケツ拭いてもらう図式なんやでええ。偉そうに「狙いは?」じゃないわ。
 
さらに、ネスはラストで感情に任せて殺し屋ニッティを屋上から突き落としてしまう。その際の顔と言葉はまるで小学生。ここでも毎回、「成長のないやっちゃな・・・」と幼稚さに呆れるのだが、他の皆さんはどうなのだろうか。是非とも聞いてみたいです(ほら、ササと話しても、お約束通り階段のシーンがカッコいい!しか聞けなかったもんで)。
 
ここまでの感想で誤解を生んでしまったかもしれないが、私はコスナーが好きだし、この映画も、かなり好きである。

終始ネスのダメっぷりに着目している私から観れば、これは「警察官」の映画だ。門外漢の役人が気焔を吐いて捜査に乗り出すが、何もできず警官たちに助けられ教えを受ける。だが最も敬愛する警官を失い、警察を去る悲しい男の物語。
 
ネスがストーンに、マローンの形見のキーチェーンを渡すのは、単に彼が警察官であるからでなく、自分は「そちら側」には立てなかったことへの苦い思いがあるのではないかと思うのだ。
 
ところで、やなぎやは地獄の盆休みに入ります。映画があまり観られません。島に行きます。海とプールが、あんまり好きじゃありません、焼けるし頭痛くなるしベタベタするし。アジアのどっかを、ひたすら歩く旅行なんかがしたいよなー。

『あの頃、君を追いかけた』

f:id:yanagiyashujin:20190802075120j:plain

監督:長谷川康夫 キャスト:山田裕貴齋藤飛鳥/2018年
 
おはようございます。
最近、夫が息子や娘のお迎えによく行くので、私の周辺の人は、「旦那さん、子育てや家事に積極的ね」と思っていると思います。うふふ。そうなの、色々やってくれてるの!ただ、それには理由があってね?
 
 
夫の会社が潰れました。だから、ずーっと夏休み!
仕事から帰ると掃除も
洗濯も済んでるし、夕ご飯だって出来ている!
帰宅したら人の作ったご飯が出てくる、これぞハッピーライフ!
 
真面目な話、60年くらい続いていた会社だったんだけど、儚いものです。
それにしても夫の伝え方がひどかった。ある日の夜11時に「お話が二つあります」と。普段こんなこと言わないので、絶対ヤな話です。
 
「はい」
「一つ目、夏のボーナス出ません」
「え。」
「二つ目、明日、会社が潰れます」
 
え。『今日は会社休みます』じゃなくて?
 
まあ、でも、今は一旦ビジネスのしがらみや通勤電車の鬱陶しさを忘れ、高校生のピュアな恋愛映画でも楽しんではどうでしょうか。きっと半年後には「『あの頃、君(職)を追いかけた』よね」なんつって、懐かしく振り返っているよ。
 
半年後、それは失業保険が切れるとき。そのときまだ職を追いかけていたら、私が箒を持ってお前を追いかける。
 
 
◇あらすじ
台湾で大ヒットを記録した同名作品の舞台を日本に移し、「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴、「乃木坂46」の齋藤飛鳥主演により再映画化。地方都市の高校に通う水島浩介は、悪友たちとバカなことばかりしながら、気楽な高校生活を楽しんでいた。ある日、浩介の度を越した悪ふざけによって授業が中断。激怒した教師が浩介のお目付け役として任命したのが優等生の早瀬真愛だった。(映画.com)
 
「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴?違うでしょ、「闇金ドッグス」シリーズの山田裕貴でしょ!闇犬の素晴らしいレビューは、↓をどうぞ。あと、これだけ言わせて。
 
忠臣さんが高校生役を!?
 
 
 
本作の監督はホワイトアウト』(2000年)や、亡国のイージス』(2005年)『真夏のオリオン』(2009年)『空母いぶき』(2019)など、やたらと福井晴敏護衛艦駆逐艦が絡む作品の脚本を手掛けた人で、監督としてはあまり実績がないのですね。今挙げた映画も観てないんで、全然分かりません。
 
あらすじにもある通り、オリジナルは台湾の人気作家ギデンズ・コーが自伝的小説を自ら映画化した作品。私は台湾版を先に観ました。比較に意味がないのは分かってるんだけど、観ちゃったもんで、思いっきり比較論に突っ走るね。
 
 
まずは突っ込まねばならない
鑑賞を終えまして、一言。「信号、青だけど渡らないの?」。
もう一言。「言うほど追いかけてない」。
 
二人は前後の席になり接点を持った瞬間から、互いに憎からず思っている。教師公認のマンツーマン家庭教師に二人きりの夜の学校、見上げる満月、約束のポニーテール。GOサイン揃ってるよー。
 
浩介の友人たちも真愛に恋しているが、陰で好き好き言いながら誰一人本気でぶつかる男子はおらず、さらに真愛の親友の詩子松本穂香は幼いころから浩介を好いているのだが、「真愛を応援するよ」と、抜け駆けることはない。
 
みんな交通ルールを守りながら、どうぞどうぞと譲り合い、浩介と真愛のために道を開けているんだけど、肝心の二人が停車したままっていうね。
 
冒頭で紹介される仲間たち(スポーツの天才、秀才、ゲイとつぶぞろい)、行動や言葉が、ステレオタイプで記号的だ。台湾版では主役コートンを始めとする五人が、教師も手を焼く悪タレとしてユーモラスに描かれていたが、日本版は全員、小奇麗。小綺麗ががんばってワルガキを演じている。どう見ても、クラスの人気者とそのご学友にしか見えない連中に「悪ガキなんです」と無理やり札を貼る不自然さ(なので、教師が真愛に浩介の指導役を命じる流れも不自然)。
 
唐突にじゃれあったり踊ったり、特に何も生まない画の連続。監督自身の体験ゆえか、青春期の無鉄砲が微笑ましく映し出されていたオリジナルに比べると、ちょっとわざとらしさがあって。
 
オリジナルの後なので、点が辛くなるのは自覚しつつ、見ていてモゾモゾしてしまう。そもそも自分にとって教室って、こんな悪意なくキラキラした場所じゃなかったな。「ははん、こりゃ恋愛というより、教室という特殊で異常な空間を一時的に共有する中で生まれた錯覚ですな」とか囁くわけ、リトル・ヤナギヤが。
 
「女王蜂」のアヴちゃんだって歌っているよ、
 
 先生あんた教室に
 あたしら詰めてどうすんの?
 こんな中で愛し合え?
 命の尊さ教え合え?
 笑かすな
 
ってね。
 
ただ、青春ラブストーリーとしては凡庸だが、二人が結ばれなかった理由が割と痛かったり、些細なすれ違いへの後悔などに着目すると、十分に楽しめるよって感想になっております。
 

f:id:yanagiyashujin:20190802080928j:plain

こんなゴージャスなワルガキいる?
 
 
台日ヒロイン対決!
台湾の空気は、日本で古き良きと表される時代のものと似ている。例えば、誰かが困っていたら躊躇なく声を掛ける、お年寄りが電車で立っていれば遠くの席の若者が大声で手招き席を譲る。年長者や弱者を労わる気持ちが、まだ国民の間に浸透している国だ。

対して日本は、マナー面で比較するならば、本来マナーとは「相手を気持ち良くするもの」であるはずだが、自分が火の粉を浴びないよう防御するための手段になりつつある(全てとは言わない)。
 
こういった国の違いが、各作品のヒロインに投影されている。台湾版のヒロイン、チアイーは健康的な美少女で、世話焼き学級委員長タイプ、感情表現も豊かでダイレクトだ。齋藤飛鳥が演じた真愛は、達観した目つきの、落ち着きある少女。オリジナルのヒロイン像を採用せず、あくまで現代日本を象徴するような、やや醒めた優等生としたのが良かった。
 
逆に言えば、そのようなヒロイン像だからこそ、齋藤飛鳥はこの映画でギリギリ成り立っていた。山田裕貴の変顔(多分アドリブ)に、恐らく本気で笑ってしまったシーンは愛らしくてほっこりしたけれど、全体的に表情は人形めいており、泣き顔はたぶん目薬。残念ながら、男子が劣情を催すに足る少女期の生生しい色気もなければ、マドンナ感は全くない。細木のような手足と幼い顔は、発育不全のリスといった感じで、、、。
 
言い過ぎだな、読者様にファンがいたら、どうするのよ。ええっと、今時こんな小学生もいるよねと思うほどのあどけなさ、、、。あわわフォローになってない、どうしよ、貴重な読者が減ったら。何しろ、この映画で初めて道玄坂48」というアイドルグループの存在を知ったもので申し訳ない。
 
台湾版のミシェル・チェンのマドンナ感は圧倒的であったので、まずはこの点で作品の評価が別れるのは無理もないだろう。
 
ところで、我らが山田裕貴だが、目の印象が強烈すぎるため、ヤンキーや元ヤクザやらがベスポジであると思っていた。本人も、実際の涙脆くて熱い性格にも関わらず、ダークサイドの役柄が本当の自分に近いと感じるときがあると発言している。どこかの局でやっていた刑事ドラマの熱血刑事役は目も当てられなかったし、ヤンキーから脱却できるのだろうかと勝手に心配していたが、この映画を観て、ウン、やっぱり、いい役者だよ。わたしうれしい。
 
ただ、本作では、存在感の強さゆえに他の仲間の存在を消しており、先も書いたようにコートン演じたクー・チェンドンのような堂々たる悪ガキ感はなかったので、ウン、頑張れ。
 
ヒロイン像の違いは、「二人が結ばれなかった理由」にも影響している。台湾版に感じるのは互いの「幼さ」で、多くの台湾のドラマがそうであるように、思考や展開がベタだ。「恋は成就したら形を変えてしまう、もっと追っていて欲しかった」とのチアイーの心理は少女らしい傲慢さに満ちている。
 
日本版では、真愛が浩介との恋に踏み切れなかった理由を「恐れ」とし、脚本は、より繊細だ。詩子が浩介を指して言う「あいつの中には芸術家と犯罪者がいる」との言葉は少々気取り過ぎで、要は、内で何かが渦巻き爆発を求めているが、どう扱っていいか分からずにいる若者といったところ。衝動を捌ききれずに、浩介は脈絡のない突発的な行動を取り、物事に「意味」を求める真愛はそれについていけない。
 
真愛は彼を理解しようと格闘技の試合を見に行くが、逆に、自分の理解の及ばない浩介に、ひいては二人の未来に「恐れ」を抱いてしまう。また、彼女は「浩介は私の表面しか見ていないのでは?」との不安も感じている。真愛の用心深さが、二人の決定的な違いを浮き彫りにする。この辺りの脚本は、ヒロインが複雑さを内包した、日本版が優れていたように思う。
 
 
台日キミオイ対決!
ところで、このリメイク、過ぎるくらいにオリジナルをリスペクトしている。オリジナルは素晴らしい出来だ。だが、構図やロケーションまで忠実に真似た意図はなんなのだろう。日本なりのアプローチはなかったのだろうか。
 
台湾の空気の中でこそ成り立っていた設定をスライドしているので、唐突さ珍妙さが拭えない。例えば浩介が没頭する中国武術。また、教師に逆らったメンバーが罰として課される独特のポーズも謎だし、二人がデートする場所に観客は「ここはどこ?」と首を傾げることだろう。
 
 

f:id:yanagiyashujin:20190802081309j:plain

どこ?なに食べてんの?
 
 
何より、台湾版では呆れ笑いを誘う下ネタが、時折とってつけたように投下されるのが、こっ恥ずかしい。
 
下ネタを入れるなら振り切ればよかったと思うが、これも今の日本映画の問題かもしれない。不可侵なアイドルをヒロインに起用しているので、行き過ぎた下ネタはご法度なのだろう(だからキスシーンも超ソフト)。公開当時、映画の外では互いのファンが誹謗中傷気味なコメントをし合ったり、雑音が鬱陶しかったしね~。どちらもお前らのもんになることは100パーセントないから、安心してよく寝て下さい。
 
そして、オリジナルにオマージュを捧げながら、オリジナル版を10年の時をかけたラブストーリーたらしめた「時間」の描写を取りこぼしたのは、失敗だ。
 
一つは、観る者の郷愁を誘う時代の空気の描写。
両作の冒頭を見れば明らかで、台湾版では自転車を漕ぐコートンの画に、「あの頃、俺は16歳だった。チャン・ユーションの事故死前で、ジャッキー・チュンのミリオンヒットの後。プロ野球はまだ八百長がなく人気で、アーメイが歌番組で勝ち抜き25連勝。そんな時代だった」とモノローグが重なる。観客の誰もが、その時代に思いを馳せるだろうし、青春時代を終えた人間にこそ向けた映画であることがよく分かる。日本版は、さらりと人物紹介に入ってしまい、ノスタルジーに浸る時間はない。
 
また、一つは高校卒業後の二人の物理的な距離と時間の流れの描写だ。

地震の後、二年ぶりに電話で話しながら、それぞれの場所から月を見上げる二人。片方は着実に自分の道を歩み、片方はいまだ地元で、もがき続けている。台湾版では、コートンが見上げるのは遮るもののない空に浮かぶ満月、だが、チアイーが見るのはビルで半分姿が隠された月だ。
同じ月を見ていても、あのときとは異なる月であること、距離は広がり続けることを示す画であるし、この作品のキーワードにもなっている「パラレルワールド」を視覚化している。
 
だが日本版は、これを無視する。二人が見ているのは当時も現在も同じ満月で、ならば現在君らを隔てるものは何だい?と疑問符が浮かんでしまうのだ。
 
 
◇どちらもラストはグッド
とはいえ、ラストの結婚式のシーンには涙を誘われる。
「花嫁にキスしたいなら、まず私を通してもらわないと」という花婿、その冗談に笑う旧友たちの前を横切って、浩介が花婿にダイブ&キッス。10年間の思いの丈を真愛(実際は婿)にキスしながらぶつけ、この恋と決別する笑い泣き必至のシーン。回想の中真愛に言う「ごめん、幼稚すぎたよ」は言うことのできなかった言葉で、浩介の後悔の深さに、ぐっときてしまう。
 
けれどやっぱり、チアイーが言った通り、「叶わなかった恋だからこそ美しい」のだ。
 
というわけで、今後も『Yayga!』では山田裕貴を応援します。そして読者にも応援することを強要します。

山田くん、がんばれ。つまんないドラマ御用達になるな。あと、あちこちで泣くな。
 

f:id:yanagiyashujin:20190802132128j:plain

村山オマージュ!
 
 
引用:(C)「あの頃、君を追いかけた」フィルムパートナーズ

『ザ・ハント ナチスに狙われた男』

f:id:yanagiyashujin:20190719160545j:plain

監督:ハラルド・ズワルト キャスト:トーマス・グルスタッド 、ジョナサン・リース=マイヤーズ/2017年
 
皆様は漫画や本を、巻ごとに本棚に並べる?私は気にならないんです。そりゃ引っ越した時に作者や本の大きさで、ざっとはまとめました。けど、漫画を一巻から順に並べていく、そんな必要性を感じなくて。
 
先日、マークスの山のドラマを観た後、夫が高村薫の原作を読もうと本棚を探していて(高村薫は私の大好きな作家なので私のテリトリーにある)「上巻はあるけど下巻がない・・・」と言う。結果、斜め右下の棚にあったのですが、上下巻が並んでいないのが理解できないというのです。ヘンな人ですよねえ?それに、上巻を読んでから考えればよくない、下巻のことは。
 
またあるとき、「ねえ、『動物のお医者さん』って2巻で終わり?んなことないよね?」というの。よく探しなさいよ、そのずーっと右側に3巻あるじゃないの。それもモヤモヤするというのです。変わった人でしょ?
 
私はなんとなーく目の端で、どの本がどこにあるか把握しとるんですよ。
ところが困ったことが起きた。私は中学生くらいの頃からエロイカより愛をこめてという漫画をこよなく愛し大事にしています。美術品専門の怪盗「エロイカ」とNATOのドイツ人の少佐「鉄のクラウス」が、国際的な事件に巻き込まれてはひっちゃかめっちゃかする半分スパイ半分ギャグの漫画なのですが、昔から、とにかく少佐が理想の男性だったの(だから彼氏が全くできなかったのかな)。
 
その『エロイカより愛をこめて』の21巻がない・・・どこにもない。ないよ~。どこにいったか知りませんか~。
 
本日は、少佐繋がりで、ナチス親衛隊少佐に追われるノルウェーレジスタンスの逃亡劇を描いた映画です。同じドイツの少佐でもこちらはSS、『エロイカ』の少佐はお父さんが国防軍だったので、こりゃドエライ違いですね。一緒にしたら、鉄のクラウスに怒られます。でも『エロイカ』の中でも主張される「国防軍ナチスとは違う!」は都市伝説だと思います。そうとでも考えなきゃ、敗戦後のドイツ国民は立ち直れなかったのでしょう。
 
 
◇あらすじ
第二次世界大戦中、ドイツ占領下のノルウェー。ロンドンに逃れた亡命政府は抵抗を続けていた。イギリスで訓練を受けたヤン・ボールスルド中尉を始めとする12人の工作員は、ドイツ軍の航空管制塔破壊の任務のため、ナチス支配下の祖国に潜入する。しかし作戦は実行前に失敗。ただ1人逃れたヤンは雪の中、ナチスの追跡を避けながら中立国スウェーデンを目指す。
 
戦争と雪の組み合わせと聞けば、観ない手はない。と言っても、そんなに沢山の選択肢があるわけではないので、最高峰はやはりスターリングラード』(1993年)ということになってしまうのだけど。過酷を極めたと言われる東部戦線で、ソ連に侵攻したドイツ軍がスターリングラードの極寒の冬に阻まれ悲惨に敗戦していく様子を描いたもの。キャッチコピーを知っていますか?「この世で最も美しい、涙さえ凍るマイナス50度の氷の戦場」。
いつかレビューを書きたいと思いつつ、あまり書ける気がしない。
 
さて本日の映画は『スターリングラード』とは逆に、ドイツが追う側となっております。
ナチスに祖国を侵略されたレジスタンスが、イギリスの自国亡命政府の指令で、破壊工作に挑む。以前どこかで読みましたね。そう、『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016年)
 

f:id:yanagiyashujin:20190719160523j:plain

きゃー、キリアン!
 
キリアンはカッコいいけど、ああもうひどいわ、題名が。今回の作品の邦題もなかったことにしたい。なんなの『ザ・ハント』って。『ナチスに狙われた男』って。なんでも「ザ」とか副題をつければいいってもんではないよ。パッケージだけ見るとすごいB級臭だけど、最近のナチス関連映画量産の中では、なかなかに気合が入った良作だと思うんだ。原題は『Den 12. mand』つまり『12人目の男』です。
 
 
◇リレーバトンとしてのヤン
この当時、ドイツの勢いと威光の前に、ヨーロッパの小国は為す術がなかったのが実情。ノルウェーはその中でも粘って抵抗を続けた国だった。デンマークなどは速攻降伏したために、戦禍は比較的小さく済んだと言う(諸説あり)。
『ハイドリヒを撃て!』のレジスタンスが暗殺作戦実行までは漕ぎつけたのに比べ、本作はいきなり男たちがナチスに捕らえられる場面から始まる。場所は寒々しいトフテ・フィヨルド。一人はその場で銃殺、十人は拘束され、岩陰に隠れたヤンだけが雪の上を走って逃亡するのだが、なぜか片方の足が裸足だ。そして逃げ出した際に受けた銃撃で裸の親指が吹き飛び、この傷がヤンを終始苦しめることとなる。

なお、なぜ片方の足が裸足だったかは途中で判明する。
 

f:id:yanagiyashujin:20190719161651j:plain

長い逃亡生活のスタート地点である。
 
非常に地味な映画だ。だって、作戦が実行前に頓挫してるからね。無駄足踏んで、何なら無駄に足の指をなくし、観客はヤンが指の壊疽と、極寒と飢えに耐える長い潜伏の画を見せられることになる。
 
しかし、ヤンの悪運の強さと生への執念には鬼気迫るものがある。狭い小屋や雪山で何日も悪夢にうなされ、壊死した指を切り落とし、吹雪に阻まれ、洞窟で長い時間チャンスを待つ。観る方にとっても我慢の展開。しかし、退屈、長いなどとは言っていけない。ヤンの狂気をここで感じておいて頂きたい(私は、一体どんな立場からこんな言い方を?)。
 
注目すべきはヤンを匿う人々の連携だ。虫の息で逃げ込む先で、老若男女問わず皆が彼を助ける。それぞれが持つコネクションと土地勘を駆使し、役割を終えた者は次の協力者へとバトンを繋ぐ。途中から、ヤンは傷と憔悴のために自分では動けなくなるので、協力者たちは彼をソリに乗せて急斜面を行き、肩に担いで海の中を歩き、ヤンというバトンを文字通り運んでいくのである。
 
本作での本当の「レジスタンス」はノルウェーの国民に他ならない。ヤンはノルウェー国民の意地、その象徴だ。ナチスに一矢報いる手段も武器も失ったヤンを助ける意味はないのだが、十二人の勇者の生き残りをスウェーデンに逃すこと、ノルウェーの人々にとっては、それがナチスとの戦いなのだ。
 
厳しい捜索網と悪天候を如何に掻い潜るか。機会を待つ間に、衰弱していくヤンの生命はいつまで保つのか。じりじりする展開、また引継ぎがうまくいかず、数日間雪山に放置されるアクシデントなどが、十分にサンスペンスフルで面白い。
 
 
◇ジョナサン・リース=マイヤーズ
ヤンを追うナチス親衛隊少佐クルト・シュターゲを演じたのはジョナサン・リース=マイヤーズ。なんか、久々に聞いた!?私だけ!?
 
アル中、治ったの!?
 
トフテ・フィヨルドで、ヤンを取り逃がしたのは同じくSS将校のヴェンダースだった。彼は部下の言をそのまま入れて「この寒さで海を泳いで渡れるはずがない」と、全員死亡を国家保安本部に報告するよう主張する。
 
ヴェンダースはふくよかで色白な顔がいかにも良家のボンボン風、対してジョナサン演じるシュターゲは剃刀のような風貌の男だ。これまで反乱分子を全て捕らえてきたことを誇りとし、野心が彼の原動力である。また、もし失態を犯せば、いつこの地位から転落するかもしれない危機感を持ち、「全員死亡ってことでいいんじゃない?」「拷問しても話さないのは話すことがないからじゃないの?」など呑気なヴェンダースとの対比が、よりギラついた野心家の顔を際立たせる。
 
また、拷問の末に十人が処刑される横で、二人がそちらをほとんど見向きもせず、本部への報告をどう上げるかを議論するシーンでは、彼らの傲慢さ冷酷さが表現されている。
 
それにしてもジョナサンは怜悧な頬と猛禽類のような目が滅法カッコよく、これぞSS将校の理想像を体現してくれた。ドイツ語を喋っているところも素晴らしい。トム様は『ワルキューレ』(2008年)でのシュタウフェンベルク大佐を、英語で押し通されたからね!
 
ナチスは極悪だが、軍服を着た将校はカッコいい。これは純然たる事実で、なんら矛盾するところはない。そりゃそうだろう、見てくれで選別された男があんなデザインのいい服着てるんだから。現実と映画は別。
 

f:id:yanagiyashujin:20190719160834j:plain

 
 
◇愛が一方的
しかし、このシュターゲ少佐、雰囲気猛禽類と呼ぶべきか、ヤンを逃して悔しがり、よくヴェンダースに野心を語りはするものの、切れ者たるエピソードがあまりない(民家の捜索ではヤンをほぼ手中にしながら直前で引き返すなど運も悪い)。ヤンの生存を証明するために、自ら氷点下の海に入り、途中で「チクショー、もうだめ」と上がるなど少々間抜けなのね。がんばれよ、そこは
 
従って、粘着っぽい雰囲気を醸し出しながら粘着度が足りないというか。それに、彼がヤンを意識するほど、実はヤンは彼に拘っていない。ヤンの主たる敵は己自身と指の傷。シュターゲのことは新聞で見ただけで、割と眼中にないのである。愛が一方通行。
 
唯一の二人の接触が、漁師から「捜索は沿岸に集中している」とアドバイスされたヤンが、敢えてナチスだらけのリュンスアイデドを突っ切るところ。シュターゲの勘が働き、すれ違った男が自分の追う相手であると気づく。そして雪山を逃げるヤンは、戦闘機で追撃されるのだが、絵的にはシュターゲ自ら戦闘機のパイロットを務めるくらいの執着があって然るべきではないか。いや、現実的に考えれば、少佐自らそんなことをするはずがないのだが。
 
でも、『エロイカ』では、人質として捕まった少佐がシベリアのウスペンスキー基地でソ連のミグ25をブン取って、ソ連のヘリ部隊に機関砲撃ちまくるのがめっちゃ面白かったのー。その報告の電話を受けた少佐の上司が「彼がなにかやらかしましたか?ほう、シベリアからミグ25を。。ふむふむ。なにせ任務に燃えた男ですからなあ」と電話を切ったあと、「わしが部長止まりなのはあいつのせいなのだ…」って頭抱えるのが最高に好き!だから、シュターゲも戦闘機くらい操縦せいや。21巻どこいったのかなー。
 
そんなわけで、粘着度にやや不満はあれど、ジョナサン・リース=マイヤーズは良い仕事をしました。
 
 
◇国境越えは必見
ヤンがスウェーデンへ一歩でも足を踏み入れれば、リレーバトンを繋いだ国民の勝利、シュターゲには屈辱的な敗北となる。さて、人々はヤンをスウェーデンに逃がすことができるのか?できないのか!?
 

結論から言うと(いうのかい)。
 
 
ヤンはラストでスウェーデン入国に成功する(冒頭、そのシーンから始まるのでこれはネタバレではない)。
そこまでの長く狂気に満ちた時間の描写は辛いが、国境を越える思いがけない方法と解放感を、未見の人にぜひ味わってほしい。これはネタバレしちゃいけない、楽しいから。
ノルウェー脱出の瞬間は、ヤンの眦が裂けそうな恐ろしい顔に胸が高鳴る。
 
 

f:id:yanagiyashujin:20190719160749j:plain

 
シュターゲは、ヤンの最大の協力者グドゥルンとマリウスを責め立てている最中に国境越えの事実を知って憤怒の表情を浮かべ、それに見た二人は殴られた傷だらけの顔で微笑む、このシーンが間違いなく本作の真骨頂。この逃亡劇で、勝利者は彼らである。
 
引用:@1996-2019, Amazon.com, Inc. or its affiliates
 

『世界にひとつのプレイブック』

f:id:yanagiyashujin:20190711075447j:plain

監督:デビッド・O・ラッセル キャスト:ブラッドリー・クーパージェニファー・ローレンスロバート・デ・ニーロ/2012年


10年ほど前、フレディというウェールズ人の青年に英語を習っていました。かなり繊細というか偏屈な人でした。ある日、焼き鳥屋に行こうとなったんだけど「日本の鶏はぎゅうぎゅう詰めで飼育されてストレスの塊だろ。そんな気の毒な鳥の肉は食べられない」とか「タコを尊敬しているから、絶対に食べない」とか。またある時「君は歩きながら物を食べる?」と訊かれ、「行儀悪いからしない」と答えると、「僕は時間短縮のためにそうしているのに、日本に来てからマナーが悪いと非難される!」いきなり怒られました。 

フレディはサッカー誕生の地で育ちながら、サッカーを嫌い、ラグビーをこよなく愛する男でした。曰く「サッカーのサポーターは全員ヤクザ。ラグビーは敵味方が入り混じって応援しても友好的、紳士のスポーツだよ。君はマナーを大事にするのによくサッカーなんて観られるよね?」(←歩き食べの件から、マナーにうるさい人として何かとイヤミを言われるように)

2008年のEURO(UEFA欧州選手権)にイングランドが出られなかったときは、「あ~、よかった。ホント、あんな大会出るもんじゃない。バカなサポーターが海越えてやってくるんだから、キミみたいなね!」(やなぎや訳)。しかし2016年、ウェールズ代表がEUROで快進撃を見せたときは「国中がサッカーの話をしているよ!」と興奮したメッセージを送ってきました。どっちやねん。

そんなこんなで本日は、多分スポーツへの情熱を知っておいた方がより楽しい、世界にひとつのプレイブックです。

7/13に同監督の『世界にひとつのロマンティック』が公開されるが、ちょっとひどいよね、この題名。私のジェイクが出演するので観に行きたいけど。それにしても、ジェイクってば、スパイダーマンの新作に続き、『ゴールデン・リバー』『ワイルドライフと出演作が多くて追いつけない。

 

◇あらすじ

妻の浮気が原因で心のバランスを崩したパットブラッドリー・クーパーは、仕事も家も失い、両親とともに実家暮らし。いつか妻とよりを戻そうと奮闘していたある日、事故で夫を亡くして心に傷を抱えた女性ティファニージェニファー・ローレンスに出会う。愛らしい容姿とは裏腹に、過激な発言と突飛な行動を繰り返すティファニーに振り回されるパットだったが・・・。(映画.com)

 

まず、ブラッドリー・クーパーが苦手と言ってきたことをお詫びする。この映画のブラッドリーは良かった。ただ、私の目的はとにかくジェニファー・ローレンスウィンターズ・ボーン』(2010年)はお気に入りの映画の一つだが、そのときに彼女の顔ヂカラにやられた。ハンガー・ゲームシリーズも、眠りそうになりながら完走。最後に幸せそうに微笑むジェニファー以外、大体忘れたが、カットニス・エヴァディーンというヘンな名前はなかなか忘れない。

本作『世界にひとつのプレイブック』出演時、ジェニファーは22、3歳。ダイエットに興味がないと公言している通り、生命力溢れるバディと健康的に張った頬は彼女の魅力で、それが堪能できるダンス大会のシーンは、二人の下手なダンスも含めて見所だ。しかし若干不満なのは、ジェニファーの顔の映りがシーンごとにちぐはぐだった点で、ティファニーの荒れた心を表す凄みのある表情にハッとさせられるときもあれば、子供のように幼く見えてしまうときもあった。

 

 

◇深刻だがユーモラス。ユーモラスだが深刻。

ストーリーはそれぞれに心に深い傷を負った男女が出逢い、ぶつかり合ううちに恋に落ちていくというもの。

パットは自分は「まとも」で、妻ニッキとの間にまだ愛情があり障害を乗り越えてこそ愛はより深まると信じている。この思い込みがまさにパットの精神不安定の原因なのだが、本人は全く自覚しておらず、そのため周囲も腫れ物に触るように扱う。
一方のティファニーは、夫の死のショックから性的な自傷行為を繰り返している。

好印象を抱くのは、二人の病状を観客に伝える描写が、笑いを誘いながらシリアスであることと、そのバランスだ。

例えば、パットがランニングするときにゴミ袋を被るルーティンと、そのランニングコースにティファニーが「ヘイ!」と乱入してきて追いかけっこになる場面はつい笑いが漏れる。しかし、このシーンでは、二人の問題が判り易く表現されている。「発汗のため」とゴミ袋を着続けるパットの思い込みは強迫観念じみているし、自分の感情を構わず押し付けるティファニーは、人との距離の取り方を見失っている。

パットは思ったことを全部口に出しまう。心を開いて自分の荒れた所業を打ち明けたティファニーに、「ヤッた中に女もいた?」などと訊き、その後は笑いながら彼女をアバズレ扱い。しかし翌日には実家を訪ね、「彼女は賢くて芸術家だ」などとのたまう。いやいや、コロコロ言うこと変えて、お前の本心はどこ。しかし、全てが、そのとき刹那刹那のパットの本心なのである。

考えずに発言する癖は、これぞ躁うつ病と思わせるが、必ずしもそれだけが理由でないことが家庭の描写で明らかになる。ロバート・デニーロ演じる父親はアメフトの地元チーム、イーグルスを妄信的に愛し、試合があるときはリモコンの位置を揃えハンカチを握る。ジンクスと言えば聞こえはいいものの、これも一種の強迫性のものだろう。

兄は、何もかも失った弟に、「言いにくいな。お前は妻に逃げられ俺は婚約する。お前は家と仕事を失ったが、俺は新居を建てるし仕事は順調」とやっぱり思ったことを全部口に出す。優秀であるはずの兄の、傍若無人ぷりに笑いが漏れるが、実はパットの抱える問題、恐らくニッキとの家庭が崩壊した理由も、家庭が元凶であることが分かる。

どうでしょう、こう考えると、「笑いの要素も多いよね」とコメディパートだと思いつつ観ていたシーンが、「あれ?よく考えるとこれって深刻の裏返しだよな?」と思うでしょう。思いますね?

 

f:id:yanagiyashujin:20190711080026j:plain

ゴミ袋を着用するクーパー氏。

 
◇ジェニファー

さらに穿った見方をすれば、小型犬のように愛らしいパットの母親は、家庭内で重要な何かが決定されるとき選挙権を持たない(旦那がノミ屋開業したり全財産を賭けたら窓から蹴り出すでしょう)。男たちが揉めると周りでおたおたするか、またそうでないときは大体カニのスナックを作っている。つまり、パットの育ったのは夫権家庭なわけだ。もちろんデニーロが演じた父は愛すべきキャラだけど、あれはあれで困るよねってこと。

だからこそ、勝負の二倍賭けが行われるシーンで、男たちを黙らせるティファニーが非常に痛快だ。異を唱えることを許さない強引な理論、攻撃的で滑らかな口調、ここぞとばかり発揮される強烈な目ヂカラ!やっぱジェニファーは持ってくわああ。オヤジをやり込めた後で、シュポンッとビールの栓抜いて煽る仕草が気持ちいいよね。

ティファニーの人とのコミュニケーションの取り方は基本的にケンカ腰、沸点が低くてキレやすい。パットとティファニーが互いの傷を抉るような言葉を叩きつけ合うのにハラハラするが、やがてこのぶつかり合いが精神に不安を抱える者同士にしか為し得ないセラピーなのだと気づく。「怒鳴り合いのシーンが多くてうるさい」と批判するレビューも見かけるが、怒鳴り合いはこの映画に必要だ。感情の爆発の中で本音をぶちまけ整理し、少しずつ傷や悲しみを浄化していく、いわば荒療治なのだから。

破天荒で乱暴な言動のため、ティファニーの人柄がカーテンの向こうに隠れがちだが、彼女は心優しい女性であり、グッとくるのが、いじらしすぎるこじらせ。パットがニッキに書いた手紙への返事を、ティファニーが書いていたことは一読瞭然で、いじらしさにキュンとなる。ラストは二人の傷が癒えていくさまに、そしてティファニーの思いが成就したことに思わず落涙。

 

◇余談です

以前『ボストン ストロング』の感想でも書いた通り、度々映画の中で描かれるスポーツでのチーム愛は、時に人生を捧げるほどに強烈だ。イーグルス中心の生活を送る父親や、球場での乱闘などを理解不能と断じてしまえば、この映画の魅力は半減してしまう。日本にも、一部サッカーに熱狂的な地域があることは、以前も語った。ここでも余談でサッカーのことを書こうと思うのだけど、疲れてきたので、突然ですが、リトル・ヤナギヤ(※)にバトンタッチします。

※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑ACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間では、決断に迷って自問自答する際に使用される。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」

 

リトル・ヤナギヤ:

お久しぶりでーす。前に『エール!』で登場したときには、やなぎやさんの友達のリエちゃんに「『ゴシップガール』みたいな会話だね」って言われたんです。ウフ。これからもゴージャスでスウィートな女子を目指していきたいと思っているの。

ところで、やなぎやさんのパパ友にさーちゃんて人がいてね、子供の運動会に黄色いグラサンかけて、ギターケース型のバッグだかギターケースだかを背負ってぶらりと現れるような変人、じゃなかった、イケダンなんだけど、さーちゃんサッカーアレルギーなのね。

なぜかっていうと、昔W杯の時に知り合いに、「え!?W杯観ないなんて非国民なの?」って言われたみたいで・・・。可哀そうよね・・・。
サッカーがね、さーちゃんじゃなくて。にわかサッカーファンを憎んでサッカーを憎まず」って標語もあるじゃない?

そんなさーちゃんのような人のために今日は私、「こんな人はサッカーファンじゃないわよ」を教えるわね。じゃあ、早速読んでみて!

 

・「Jリーグは観ません」という
・「え!?W杯観てないの!?」という
・「リーガ・エスパニョーラセリエA中心っすね、Jってレベル低くて」
・「女子サッカーとか、パススピードのろくて見てられなくないすか」
・日本代表の実力を見誤っている(過大評価、過小評価ともに)

 

 いるいる~!

 

・点を決められると「ああ、終わったね」という
・「松木の実況(あるいは北澤の解説)って馬鹿にしたものじゃないっていうか、何気にあれこそ純粋なサッカーの楽しみ方?」
・W杯、もしくはチャンピオンズリーグのときだけ「ね、昨日の試合観た!?」と言ってくる(←EUROのときは言ってこない)

 

 ああ・・・いる、わね、こういう人。

 

・ゴール裏にいる監督気取り
・ゴール裏にいる戦術家気取り
・ゴール裏にいる解説者気取り
・ゴール裏にいるヤジラー
・Jの贔屓のチーム一筋型。「代表の試合?逆にぜんっぜん観ない~。うちのチームの選手が出てれば観るけど!」
・「『ファン』じゃなくて『サポーター』な?」という
・「メッシ、メッシ」しか言わない出っ歯の芸人

 

ホントに多いのよね、物事の一部しか見てない片手落ち野郎。もちろん自称ヨーロッパサッカー好きやニワカもウザイけど、Jの地元チーム好きをステータスにし過ぎて、他は排除する保守的「チーム愛」標榜かんちがい野郎もウゼええええ。

サッカー好きってこたあ、あまねくレベルと規模と国と性別のFOOTBALLを愛するということよな?サッカー好きっつッてんのに「あ、バルサしか観ないんで」じゃねーよな?

じゃあバルサの選手全員、言ってみ?

メッシとスアレスとピケとブスケツラキティッチビダル以外言ってみ?

言えないのか?

 

そりゃァおかしいですわいなァァ?バルサの試合でメッシが出たときだけ、試合時間と夕飯の時間が合えばメシ食いながら観る程度には好きです、メッシ好きだけに」くらいにしとけ。サッカー好き名乗るのは辻褄合わんよな??辻と褄が駅でバイバイしてもうとるよなあ!??

 

うふ。ちょっと興奮しちゃったけど、これで「こんな奴はサッカーファンじゃねェ。消えろ」のコーナーを終わりまーす。またね、バイビー。

 

 

◇「クレイジー」ってなにかね?

なんでしたっけ。あ、『世界にひとつのプレイバック Part2』。

私としてはパットの友人ロニーがツボで。ロニーがストレスを訴える仕草や、それに対するパットのすっとぼけた反応がおかしいのだが、ここには特に笑いに交えた、痛烈な皮肉が込められていて。ロニーは、自宅のモダンな内装、壁中に飾られた幸せそうな家族写真、美しいテーブルセットに手の込んだ料理、妻が血道を上げて飾り立てた理想の我が家に、そして妻自身に押し潰されそうになっているのだ。それこそ、いつ精神の病を患ってもおかしくないくらいの抑圧だよなあ。

つまり、最後のパットの台詞「みんなクレイジーな部分はあるだろ?」がすべてだ。

病気というハンデを負い、じたばたする者がクレイジーなのか?では、世間が決めた「よい仕事と家」のステータスに振り回される人間はクレイジーではないのか?「メタリカ」を大音量でかけるのがクレイジー?どの部屋でも子守歌が流れ、壁に暖炉があるような家はクレイジーじゃないのか?

クレイジーと非クレイジーの境目を決める規準などない、自分らしくあれと、シリアス且つユーモラスに歌い上げた悩める者への応援歌、それが『世界にひとつのプレイブック』。

私はブラッドリー・クーパーを克服しました。

今日は余談が長かったね。

 

f:id:yanagiyashujin:20190711081647j:plain

ジェニファー、キュートだね。

 

引用:(C)2012 SLPTWC Films, LLC. All Rights Reserved.

『ドント・ブリーズ』

f:id:yanagiyashujin:20190704075433j:plain

監督:フェデ・アルバレス キャスト:ジェーン・レヴィ、ディラン・ミネット、スティーブン・ラング/2016年
 
◇あらすじ
街を出るための資金が必要なロッキージェーン・レヴィは、恋人のマニー(ダニエル・ゾヴァット)と友人のアレックス(ディラン・ミネット)とともに、大金を隠し持っていると噂される盲目の老人スティーヴン・ラングの家に強盗に入る。しかし、その老人は目が見えないかわりに、どんな音も聴き逃さない超人的な聴覚をもち、さらには想像を絶する異常な本性を隠し持つ人物だった。暗闇に包まれた家の中で追い詰められたロッキーたちは、地下室にたどり着くが、そこで恐るべき光景を目の当たりにする。(映画.com)
 
おはようございます。皆さまは、「ベートーベン」派ですか、それとも「ベトベーン」派ですか?
 
小学二年生の娘が音楽の授業でベートーベンの名を知ったらしく、「あのね、ベトベーンてね」と弟に話してました。笑いを堪えつつもちろん訂正はしないわけですが、先日偶然テレビでベートーベンの特集かなんかをやったんです。ああ、これ見て間違いに気づいちゃうかな・・・と思っていたら、二人でプッと吹き出して、
「お母さん、テレビの人、ベトベーンの言い方間違ってる。小学生でも知ってるのに」
「ね、だって、ぬ~ベ~(←地獄先生とかいう有害なアニメ)も、ベトベーンて言ってたもんね!」と言ってきて、たくましいなあと思いました。
 
そんなわけで本日は、あなたは「音を出してはいけない」派?「息をしてはいけない」派?どっちでもない派!? 無理やり『ドント・ブリーズ』の感想です。
 
あ、もし『ドント・ブリーズ』大スキ!な人がいたら読まないでネ(このエクスキューズ、めちゃくちゃクダラネエと思っているので、こんりんざい一度しか言わないネ)。
 
 
◇『クワイエット・プレイス
 
「○○してはいけない」パニック系ホラーが流行りました。「約束ごと」がある家、その家で起こる怪現象、大好物です。シャマランの『ヴィジット』のキャッチコピーになった「楽しく過ごすこと」「好きなものを食べること」「夜9時半を過ぎたら部屋を出てはいけない」の三つの約束なんか、ゾワゾワして好きだな。シャマラン流のユーモアが爆発した楽しい映画だった。
 
最近話題になったクワイエット・プレイスは、パニック映画のツボをうまく捉えた良作だったと思う。
まず「音を立ててはいけない」という設定に対してぶつけてきた「どうしたって音を出さざるを得ない状況」の発想が良い。最大の痛みが襲う瞬間と、どう努力しても止めようのない音、そう、妊婦が陣痛を迎えて出産するときと、赤ん坊の泣き声。出産を経験した女性からの「うわ~!つらいつらいつらい!」の声をゲットすべく考えられたマニアックな視点が非常にナイス。
 
そして、例の釘である。
踏むって踏む~!とヒヤヒヤする時間を意地悪く長引かせ、エミリー・ブラントがそれは見事にぶっすりと踏むのだが、その後も釘の存在を観客に意識させる。子供が踏む!?いや、もしかして「何か」(バケモノ)が踏むのか!?・・・って踏まないのかい!
 
また釘に次ぐ、私のお気に入りはサイロのシーン。「何か」に細心の注意を払っていたのに、まさかのトウモロコシで窒息死しそうになる裏切りの展開。「こういう可能性、考えてなかったでしょ~」という作り手のニヤニヤ笑いが想像できそうで、サイロといい釘といい、絶妙なすかし方だった。これ、監督にかなり遊び心があると思うよ。観客との間に粋なコミュニケーションがあった。
 
そして、多くのレビューが突っ込んでいる「滝の近くでなら大声を出せるなら、滝の近くに住めばいいじゃん?」について。
 
チッ、チッ、チッ。甘い。
 
じゃあ、「何か」が近づいてきたとき、どうするの?
水音で自分たちのたてる音が消せる、しかしそれすなわち、仮に「何か」が近づいてきたときに、自分たちもその音に気付くことができないということだ。それは危険だね?だから滝の側には住めないよね?わかりましたね?
 
そんなわけでクワイエット・プレイスは、「観客の目」を意識した、クレバーな作品であったと思います。
さて『ドント・ブリーズ』、「息をしてはいけない」方は果たして?
 

◇どこが超人的な聴覚だコラ
 
触わりから「低予算ホラー」を確信させる作り。低予算イコール、多くは知恵を絞った脚本や奇抜なアイディアに頼る映画となる。ならばその点で楽しませてもらわなきゃ。
アレックスの父親は警備会社を経営しており、顧客宅の鍵を自宅に保管している。これを拝借して、三人は堂々と玄関から入りこみ強盗を繰り返していた。マニーの発案で、元軍人の老人宅を最後のヤマとして狙うことになる。
 
ターゲットの老人は、ある富豪の女が起こした車の事故で娘を亡くし、その際に支払われた高額な慰謝料を隠し持っているという。ところがいざ押し入ってみると、孤独で哀れなはずの老人は身体はムキムキ、軍隊で培ったサバイバル能力を持ち、視力がないゆえに他の感覚に優れた恐るべき相手だった・・・。いいわー、わくわくするー。
 
しかーし。
 
初っ端から、脚本のお粗末さがぽろぽろと露呈していく。
先に言っておくが、私は常日頃、話のアラや矛盾を探しまくっているわけではない。ただ、相手が人間だろうが霊だろうが、絶叫系だろうがサイレントだろうが、ホラー映画で矛盾を感じたくないの。なぜなら、矛盾を覚えれば疑問が生じ、気が散って怖がれなくなるから。「うひー、怖い怖い!」って悶絶したいの。世には、なぜわざわざ怖がるために映画を観るのか理解できない人民もいれば、ホラーを全く怖がらない人民もいるが、そんな連中のことは知らん。私はソファの上で転げまわりたいの!だから、お粗末な話はやめて。低予算で金の足りないところは人力で補って。
 
さて。アレックスらは老人宅を遠巻きにチョロチョロとお情け程度に観察し、その晩に計画を決行。しかし玄関の扉は何重にも施錠されており、アレックスが父親のデスクから持ち出した鍵は役に立たなかった(下見って、そういうの含めてだよね)。
計画外の事態にパニクった三人は、裏口に回り、何が何でも侵入を遂行しようと試みる。
 
早いな、破綻し出すのが・・・。
鍵を持っていてこそのイニシアチブだろうよ。こういう自滅系が一番好きじゃないんだわ。
業を煮やしたロッキーは、なんとガラスを割って家の中に侵入する手段に出る。しかも彼女が内側から鍵を開けるのを待つ間、外の二人は今しなくてもいい小競り合いをおっ始める。うるさいって。帰ってからやれって。
 
聴覚に優れた人間を完全に甘く見ているわけだ。聴覚に優れた人間、それは私、やなぎやさんちの奥さんです。
めちゃめちゃ耳が良くて夫からはデビルイヤーと呼ばれている。階の異なる部屋で、誰かが扇風機を付けたらウィーンという音が、プレステの電源を入れたらピッという音がはっきりと聞こえます。ピザを頼めば、遠方から近づくバイクの音が聞き分けられます。ピザ屋のお兄ちゃんはチャイムを鳴らした瞬間にドアが開いてびっくりすることになります。
 
ガラスなどが割られればもちろんのこと、家の側であんなにわちゃわちゃやられたら、間違いなく起きる。それに、用心すべき状況で「ガラスを割る」という手段を取らせるとは、なんていい加減な製作陣だ!
 
このように、全体を通して納得がいかないのはジイさんが五感(視を除く)、特に聴覚に優れているにも関わらず、都合のいい時にしかそれが発揮されない点だ。どっちかというと、「地の利」一本で押し切ってくる。途中、靴の匂いを嗅ぎ当てて、侵入者が複数だと気づくシーンがあるが、そんなものを嗅ぎ当てられるなら、廊下でアレックスと鼻先すれすれですれ違ったときに、人の気配や体臭を感じるはずだろう。
 

f:id:yanagiyashujin:20190704082913j:plain

なんでこれは察知しないのさ。
 
 
◇ジジイがイニシアチブ握る理由なし
 
ロッキーがガラスを破った映画開始20分、早くも無表情気味に鑑賞する私。
バイオハザードのような映像が続き、何故だか忘れたが、仲間のマニーが老人に見つかって銃で殺される。そして老人は入り口を施錠、窓をトンカン塞いで家を密室とし、ロッキーとアレックスにとって恐怖の時間が始まる・・・はずなのだが、全然カケラも怖くないっていうね・・・。
 
ここら辺の怖がらせ方ときたら、いないと思っていた場所にいつの間にかジジイが立っていた、バーン!ってやつで。これがだだっ広い屋敷ならそれはまた不気味だが、狭い家の中で目を払うべき箇所は限られているのになあ。

また、相手が優勢でこちらが劣勢、という状況を決定付ける条件や道具が何もない。元軍人、感覚が鋭敏。・・・で?そうはいってもジジイは目が見えないのである。後ろを取って殴り倒すくらい訳がないのだが、チャンスがない。ジジイのガードがよくてチャンスがないわけではなく、奇襲が成功すれば映画が終わってしまうので、話の都合上そうさせない、シラけるパターンだ。
 
 
◇超人過ぎ
 
こっからネタバレします。
私の無表情の理由をちょっとは理解して頂けたと思うが、一番気に食わなかったのが、「人間が怖い」ホラーにおける禁じ手を打ったこと、これに尽きる。目が見えない人間の限界を全く無視している。つまり、なんでもあり。
 
地下室に逃げ込んだロッキーとアレックスは信じられないものを見る。そこには若い女性が鎖で繋がれていた。老人は娘を轢き殺した女を攫って監禁し、さらに失った我が子に代わる赤ん坊を産ませようと、おぞましい計画を進めていたのだ!
うそ~!なにこれ、よめなかった。ちょういがいなてんかい!
 
 
ちょ、待てよ(キムタク)。
 
 
盲目の老人が、どうやったらこんな活きのよさそうな女を誘拐して来られたのか。生活パターンを把握して尾行して、人に目撃されずに攫ってこなきゃいけない、超えるべきハードルは多い。そしてこの女のために大金を払った親は、消えた娘を探さないの?隠し部屋などがあるならともかく、見た感じ、女は地下室で剥き出し状態で繋がれているのだが、行方不明者の捜索をどうやって逃れているのか。
 
それに、ジジイの、娘の幼いころのビデオを流しながら眠る習慣と、娘を殺した張本人を妊娠させてもう一度子供を得ようって思考がまったく繋がらないんだよねえ。老人の狂気と精神崩壊を表すような説得力もなく、それらしくて観客が驚くようなオチを入れちゃえってだけ。剛腕に見せてるけど、めちゃめちゃ細腕。
 
ロッキーとアレックスはうまいこと地下室にジジイを手錠で繋ぎ、家の外に出ようとするが、鍵を開けた瞬間、アレックスが追ってきたジジイに撃たれる。
 
 
・・・手錠は・・・どうやって?
 
 
外に逃げ出したロッキーはゴーストタウンを走り、柵を超え、相当な距離を逃げる。追ってきた老人の犬をどうにか退けるが(犬との攻防は面白い)、背後に現れた老人に殴られ、再び連れ戻されることになる。
 
・・・。
これはもう、ジジイの目、見えてるよね?
 
 
どうやってロッキーの位置を知り、こんな距離を追ってきて、気づかれずに背後に回ったん?ここまではチクチクとケチをつけている自覚はあったけど、ダメダメ、これは見逃せない。最初は「目が見えない」「感覚が超人並み」設定だったものの、だんだん無理が出てきて、「も、いっか。このジジイはね、元軍人なの、それに人を恨んでるの。だからものーすごくつおいの!」で押し切りやがった。いや、全然押し切れてないよ。ホラーと呼びますか、そんな映画を。
 
あと、「観客への目配せ」感が強い。老人から金盗むっていう行為を正当化するために同情すべき事情を作ったり。この子たちワルだけど、老人も実は変態じみた狂人だったんでトントンですよね?って。多分この映画一番の見せ場の、ロッキーと犬との闘いにしても、犬はあくまで殺さず(あんな凶暴な犬は殺せ)、動物愛護団体に目配せしよったな。怖くないわ、ドキドキもしないわ。
 
テレビを消そうとしたとき、エンドロールに私は見た。
「製作:サム・ライミ」の文字を。
 
 
なるほどなるほど。合点がいった。
 
 
ポルターガイスト』(2015年)、『ゴースト・ハウス』(2007年)、『スペル』(2009年)、『ポゼッション』(2012年)、どれも私は『ドント・ブリーズ』と同じ反応をしてきた。そう、鑑賞後、ソファの上で無表情になっていたのだ。あまつさえ、育休時代、せっせとホラーを観ていた期間のインスタに「サム・ライミ製作のホラー、つまらん」と書いているではないか。ここは、自分のブレなさに拍手を贈らせて下さい。
死霊のはらわた』は好きよ。
 
f:id:yanagiyashujin:20190704083436j:plain
私が描いたのではありません。以前夫が描きました。
 
 
作監フェデ・アルバレスドラゴン・タトゥーの女の続編で話題作蜘蛛の巣を払う女を最近撮影されたが、イマイチな出来だった。リスベットはイーサン・ハントと違うのになー。