『イングロリアス・バスターズ』
◇あらすじ
難しいことはいい。クリストフ・ヴァルツ&メラニー・ロランの貌、史実ドン無視!ヒトラーが蜂の巣になる爽快感を楽しもう!
◇真剣に妄想する人だよね
2位 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)
3位 『ジャンゴ』(2012)
4位 『ジャッキー・ブラウン』(1997)、『ヘイトフル・エイト』(2015)
6位 『キル・ビル』(2003)、『パルプ・フィクション』(1994)、『レザボア・ドッグス(1992)』
劇中、ヒトラーに「(『国家の誇り』は)君の最高傑作だ」と言われたゲッベルスが感極まり涙するのも、ヒトラーに家族で殉じるほど心酔していた史実を押さえたもの。事実を押さえて、その上で映画に落とし込むために真剣に妄想をする、そこが好き。
◇スイ~トなランダ大佐
「私はエスプレッソ、こちらのお嬢さんには、そうだな、ミルクを」
ちょうざわざわする!
◇ショシャナ
ショシャナに関しては、表現力不足語彙不足ですみませんが、この言葉しかない。
◇ところで、ブラピが出てるんだよ
『グランドフィナーレ』
◇あらすじ
曲のタイミングに合わせた動きや編集を観せられるのが苦手だ。
多分これがS氏が嫌ったショットのひとつ。
◇テーマは「老い」
◇少し気にすれば、ひたすら対比の物語
◇己を知るものと知らないもの
もちろん、ただ皮肉な画面ばかりが続くわけではない。
「若さ」の概念を担う者、つまりダノやんとレイチェル・ワイズには、救いの手が差し伸べられ、再生のチャンスが与えられる。ダノやんは、ある少女から「あなたのこと知っている」と声をかけられ、またしても厭世顔をするのだが(ミス・ユニバースとのやり取りからは何も学ばなかったらしい)、少女に「ロボット役じゃなくて父親役よ」と言われて、ぱあっとした顔になる。
そうそう、本作には、パワーワードがあった。
それは、レイチェルの夫が離婚の理由として言い放った言葉、「パロマ(浮気相手)はベッドで最高なんだ」。
◇卒業できないマイケル・ケイン
この二人のイチャイチャよかったよ。
『SHINOBI』
ツイッター友デンデロ・ワシントンさん(ジョン)、『たみおのしあわせ』。なんだそれ? 言ってなかったけど、私もオダジョーの映画全部観てるわけじゃないからさ。
◇あらすじ
◇原作ファンからも主演からもバッシングされる
この映画では、本人の乗り気でない感じがモロに出た。とにかく滑舌の悪さや棒読みが目立つが、ビジュアルもまずい。
甲賀の頭領というよりは、田舎の高校生。
◇アクション
◇映りの良し悪しに差がありすぎる
◇えーと
『パッチギ!』
監督:井筒和幸 キャスト:塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ/2004年
◇あらすじ
敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くよう、担任に言われた府立東高校2年生の康介(塩谷瞬)は、そこでフルートを吹く女子高生キョンジャ(沢尻エリカ)に出会い、一目惚れする。ところが、彼女は朝高の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹だった。(映画.com)
井筒監督って・・・最近なにしてるんでしょうね?昔、『パッチギ!』公開の少し前辺りに、井筒監督が話題映画を自腹で鑑賞して評論する『こち虎自腹じゃ』っていう深夜のバラエティコーナーがあったんです。毒舌が面白くて、よく観ていたなあ。それから、『モンスター』(2003)で役作りのために激太りしたシャーリーズ・セロンを、日本のマスコミが「これぞ女優魂!」と持ち上げる中、「役者なんだから当たり前」と冷ややかに斬っていたのが印象的でした。
さて、本日は、学生運動にベトナム戦争、敗戦の影響が色濃く残る時代を背景に、高校生の恋を描いた青春映画『パッチギ!』を紹介します。
舞台は1968年の京都。鴨川を挟んで日本人と朝鮮人の住む場所は明確に別れており、日本人側からは対岸を「朝鮮部落」と呼んでいた。歌謡曲『イムジン河』の日本語訳者である松山猛の自伝を原作とし、そこに当時監督自身が肌に感じていた時勢や体験が重ねられ、画面に生き生きと投影されている。
一方で、在日朝鮮人側に主眼を置いたため、また、テーマ曲『イムジン河』が彼らの悲哀を歌ったものであるとして、偏った反日の主張が為されていると多くの反感を買った。
私としては、訳の分からない熱を孕んだ時代を感じさせてくれることと、歌詞の内容はどうあれ曲の良さが好きだよねえ。今では想像もつかない濃い社会情勢に、ギターとフォークソングの音色の映えること。『イムジン河』の日本語版を初めて歌ったザ・フォーク・クルセダーズのリーダー加藤和彦が音楽担当で参加しており、この点も無視できない。
◇映画の設定は「設定」だよ
良い青春映画であるとの意見は共通しながらも、この映画が強い反発を受けるのは、言うまでもなく、後半の葬式のシーンのためだ。
朝鮮人の友人の葬式に参列した塩谷瞬演じる康介は、笹野高史演じる親族の老人から、日本人は帰れと罵倒される。そして周囲から次々と「我々は紙切れ一枚で故郷から強制連行された」「日本人が食べ残した豚の餌を食ってきたのだ」と厳しい言葉を浴びせられる。
この箇所を挙げて「一方的に日本を非難していて不快だ」とする意見がとにかく多い。一応、プロの批評家を名乗る前田有一に至っては、レビューの中で「朝鮮半島の言い分に共感する者は感動できるが、愛国者の日本人であれば激怒する映画」と述べ、敢えて点数を付けずに時価、としている。
呆れて物が言えない。
忘れてはいけないのは、これは映画だということだ。
事実と、そこから発想を得た映画の中の設定をごっちゃにすべきでない。言うまでもなく、笹野の人物は映画上のキャラクター設定であり、「豚の餌を食わされた」は台詞だ。その言葉の内容の是非を問い、「映画の批評」として議論の俎上に上げるなどナンセンスの一言。
笹野の言葉に「そうだったんだ」と目を潤ませる者は★5つをつけ、反感を覚える者は★1つとする、感情移入できないとの理由で作品そのものを評価しない、批評ってのはそういうものじゃないでしょう。そんな議論は、映画の外でやればいいことである。映画でお勉強した気になるなって、おねーさんいつも言ってるよねええ。
井筒監督の中に、当時、急に発生した韓流ブームに対し「ちゃんと歴史を知っときなさいよ」という思いはあったろう。だがこれを、朝鮮側に偏った思想をぶちまけた映画だプロパガンダだと取るのはあまりに浅薄というもの。もしそうならば、あんなストレートに分かり易い日本糾弾のシーンは作らない。昨今のプロパガンダというのは、ひっそりと潜め、人々にそうとは気付かせずに洗脳するものでなければ意味がないのだから。
これはロミオとジュリエットの話だ。彼らの間にはバルコニーの代わりに、鴨川に象徴される境界線がある。
葬式の場面は、民族間の隔たりとしてしか境界線を捉えておらず、努力次第で飛び越せると思っていた無知な康介が、強烈に横っ面を張り飛ばされるシーンだ。康介がその場で感じたであろう、衝撃、反感、理不尽、羞恥。監督が観客に汲み取って欲しかったのは、そういったものでいいはず。この出来事があったからこそ、キョンジャは自転車で自ら境界線(鴨川)を越えるのだし、恋は成就するのだ。
◇オダジョーの『悲しくてやりきれない』
葬式会場から、鴨川に掛る橋へふらふら歩いてきた康介がギターを欄干に叩きつけてぶっ壊す。このとき後ろに流れる、オダギリジョーが歌う『悲しくてやりきれない』が至高。
オダギリジョーといえば、プロ意識の高さゆえ使い易いとは言えない役者であり、処世術と無縁のため、結婚会見では新婦と二人して押し黙り取材陣を困惑させた。私は昔からこの人が大好きで。まあカッコいいよね、声も甘くていいよね。そしてダメな作品に出たときは驚くほどカッコ悪いよね。出演作品を厳密に選定するが、必ずしも作品選びに成功しないところが愛すべき点。
作品選定に成功したときには自然体でありながら存在感を示し、個人的に一番の成功例が、この『パッチギ!』の坂崎さんだと思っている。『悲しくてやりきれない』は、最近では『この世界の片隅に』(2016)でコトリンゴが歌い、それも良かったけれど、私にしてみたら、やっぱりどうしたってオダジョーの方なのである。
彼の出演作の中で好きなのは、次点は『あずみ』(2003)の美女丸役。ワーストは『蟲師』(2006)か、次回レビューをしようと考えているある作品だ。ある作品、どうぞ予想してください。我こそはという人はコメント欄でどうぞ。何か賞品がもらえるかもよ。ちなみに『蟲師』は、初めて映画館で爆睡した。
坂崎さんステキ。映画後半には、みうらじゅんみたいになってしまう。
塩谷瞬のギター叩き割りからの、大友康平の「バァカ!どんな理由があろうとな、この世に歌ったらあかん歌なんかあるわけないんだよ!」以降は怒涛の泣かせ展開。
境界線は康介とキョンジャの間にだけ引かれているのではない。報復に向かうアンソンの車と陣痛に耐える桃子(楊原京子)が乗るバスの境、朝鮮学生と日本学生の間に流れる鴨川も同様だ。
康介がギター1本で歌い始めた『イムジン河』にオーケストラの演奏が重なり、桃子の出産、鴨川の乱闘の場面を経て徐々に境が崩れていく。そこから生まれた希望は、アンソンと桃子の赤ん坊、また康介の歌が流れるラジオを泣きながら親族に掲げるキョンジャの姿に象徴される。何回観ても私はここで泣く。つまらないことばっか言ってないで、エリカちゃんの泣き顔を観なよ。
◇パッチギの呪い
『パッチギ!』に出演した役者は、その後、多くがトラブルを起こして消えていき、そのため呪いの映画と言われているが、単純に順序が逆。元々強烈な役者が集まっただけの話だ。
沢尻エリカについては触れる必要がないので割愛。オダギリジョーは前述の通りだし、高岡蒼佑と言えば言葉をオブラートに包むことを知らない、売られた喧嘩はガチで買うリアルパッチギ野郎。二股俳優こと塩谷瞬が元からアホなのは疑いようもなく、真木よう子は仲代達矢主宰「無名塾」で目をかけられながら、日課のマラソンをサボったサボらんで仲代と喧嘩し、退塾となった問題児だ。
例えマラソンをサボったとしても、この映画のパンチパーマ真木よう子は、死ぬほどかわいい。
劇中では、途中日本学生側の助っ人として現れる大阪ホープ会のボス、最後に高岡に、これがパッチギじゃあ!って頭突き喰らう人ね。
八極拳、少林寺拳法、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ等あらゆる格闘技に精通し、現代殺陣や時代殺陣もこなす日本最強のアクション俳優兼アクション監督。
数年前に、世界初「ワンシーンワンカットで77分戦い続ける侍ドキュメンタリー映画『狂武蔵』」を撮影(未完成)、燃え尽きて俳優を引退し、忍者になった(現在は俳優に復帰)。『狂武蔵』撮影中、奥歯を砕き指を骨折したが、自分の口で骨折した指を元に戻して撮影を続行。人体を内側から破壊する”ムーブ”なる技を体得し、「アウト×デラックス」で山ちゃんに1%の力で披露、悶絶させた。完全にイカれた人間だ。
まだ消費されていない桐谷健太の怪演もいいよねえ!
ということで、問題児予備軍をまとめあげた監督の手腕を褒めていきましょう。日本はこの作品もっと誇っていいと思うんです。熱っていうのは、こういう映画から生まれるんじゃないの?
『アンタッチャブル』
イヤな話をしてごめんなさいね。彼女が大好きといつも言っていた映画が『アンタッチャブル』だったの。『アンタッチャブル』にちょっと泥が付いたよね。
◇あらすじ
それでも、やっぱり私達世代には人気の高いコスナー。さあ、敢えて言いましょう。
◇なさけな特別捜査官
◇男のロマンのテーブル
◇爺さんの殴り合いと、長回し
◇ネスさんが本領を発揮する
終始ネスのダメっぷりに着目している私から観れば、これは「警察官」の映画だ。門外漢の役人が気焔を吐いて捜査に乗り出すが、何もできず警官たちに助けられ教えを受ける。だが最も敬愛する警官を失い、警察を去る悲しい男の物語。
『あの頃、君を追いかけた』
仕事から帰ると掃除も洗濯も済んでるし、夕ご飯だって出来ている!
帰宅したら人の作ったご飯が出てくる、これぞハッピーライフ!
「一つ目、夏のボーナス出ません」
「え。」
「二つ目、明日、会社が潰れます」
◇あらすじ
◇まずは突っ込まねばならない
もう一言。「言うほど追いかけてない」。
あたしら詰めてどうすんの?
こんな中で愛し合え?
命の尊さ教え合え?
笑かすな
◇台日ヒロイン対決!
対して日本は、マナー面で比較するならば、本来マナーとは「相手を気持ち良くするもの」であるはずだが、自分が火の粉を浴びないよう防御するための手段になりつつある(全てとは言わない)。
◇台日キミオイ対決!
地震の後、二年ぶりに電話で話しながら、それぞれの場所から月を見上げる二人。片方は着実に自分の道を歩み、片方はいまだ地元で、もがき続けている。台湾版では、コートンが見上げるのは遮るもののない空に浮かぶ満月、だが、チアイーが見るのはビルで半分姿が隠された月だ。
◇どちらもラストはグッド
山田くん、がんばれ。つまんないドラマ御用達になるな。あと、あちこちで泣くな。
『ザ・ハント ナチスに狙われた男』
◇あらすじ
◇リレーバトンとしてのヤン
『ハイドリヒを撃て!』のレジスタンスが暗殺作戦実行までは漕ぎつけたのに比べ、本作はいきなり男たちがナチスに捕らえられる場面から始まる。場所は寒々しいトフテ・フィヨルド。一人はその場で銃殺、十人は拘束され、岩陰に隠れたヤンだけが雪の上を走って逃亡するのだが、なぜか片方の足が裸足だ。そして逃げ出した際に受けた銃撃で裸の親指が吹き飛び、この傷がヤンを終始苦しめることとなる。
なお、なぜ片方の足が裸足だったかは途中で判明する。
◇ジョナサン・リース=マイヤーズ
◇愛が一方的
◇国境越えは必見
結論から言うと(いうのかい)。
そこまでの長く狂気に満ちた時間の描写は辛いが、国境を越える思いがけない方法と解放感を、未見の人にぜひ味わってほしい。これはネタバレしちゃいけない、楽しいから。