Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『アリー スター誕生』

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監督:ブラッドリー・クーパー キャスト:レディー・ガガブラッドリー・クーパー/2018年

皆さん、こんにゃちは。コロナはだいじょーびですか?

息子が新一年生になり忙しい日々を送っていました。しかし息子は、「お友達できるかな」とドキドキしながら通い始めた姉とは異なり、当たり前のような顔で出かけていき、当たり前のような顔で帰ってくる。

数日経って「お友達できた?」と訊くと「できないよ」と言う。しばらくして同じ質問をしても答えは同じ。時々、教室に様子を見に行ってくれているらしい娘(←優しい)によれば、「皆校庭に遊びに行ってるのに、一人で椅子に反対に跨りひたすらガタガタさせていた」「廊下で一人、タコのように踊っていた」らしいので、ちょっと不安に思っていた。が、通学班班長のミサリンから「朝、校門で男の子と『おう、○○!』ってタッチして一緒に教室行ってたよ」という情報がもたらされ、息子に「友達できたんだね」と再び訊くと「仲のいい子が3人いるよ」。「だって、いないって言ったじゃない?」と言うと、「おんかが『友達できた?』って訊いた日にはできていなかった」と。

なるほど・・・。息子の思考回路や発想は私のものとは異なるので気を付けねばなりません。

さて、そんなこんなで、本日は『アリー スター誕生』です!

 

◇あらすじ

音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。(映画.com)

映画好きの鬱陶しい友人S氏に「『アリー スター誕生』を観たよ」とメールしたら、「イーストウッドビヨンセで撮るはずだったんだよな」と返ってきた。多少の映画好きならまずそう言うだろうし、無視できない事実だよね。イーストウッドを愛するS氏がコレを観たならば、「イーストウッドなら、こう撮っただろうになあ」とイメージが湧くんだろうけど、私はイーストウッドについて知見がないので、そういった想像ができなかったのが残念。ちなみに知見があるS氏は、本をよく読むくせに言語化の能力を著しく欠いており、脳内でしか文章を書けないので代筆してもらえないのも残念です。


◇ガガ様が愛しくて仕方ない

歌手になることを夢見ながら地元のバーで歌うアリーレディー・ガガが、有名ロックバンドのボーカル、ジャクソンブラッドリー・クーパーに見出され、スターダムに駆け上がっていく様を描いた本作。

鑑賞後に少し巷のレビューを読んだんだけど、皆さんおっしゃる通り、アップショットが多いね。ってか、アップショットの嵐だね。観た後、映画好きの同僚(美女。好きな音楽映画は「ファッキン、テンポー!!」)にお勧めしたんだが、やっぱり「よかったけど、意味のないアップにちょっと笑ったわ」と言っていた。ただ私は、前半はそれがまったく気にならなかった。つまり、気にならないほど、物語に夢中になってしまったのであーる!
ガガが成功を手にするまでの胸が躍るような展開や歌唱シーンがとても好き。スーパーの駐車場で即興で歌を作るシーンや、クソみたいなバイト先を飛び出し、クーパーが手配したプライベートジェットでライブ会場に向かうシーンなどから伝わる高揚や疾走感、恋愛の喜びと歌に捧げる二人の情熱に、こちらの胸も熱くなる。

もちろん、この評価には、映画には直接的には関係しないガガの素晴らしい歌声が影響している。それくらい、ガガの歌にはグッとくるものがある。

さらに、激変する状況に追いつけず戸惑うガガの細かな仕草が愛しいこと。地元のバーの楽屋にクーパーが訪ねてきたときの「ワオ、嘘でしょ?」という表情だったり、大観衆の前で尻込みし、歌い出しはするものの何度も顔や口を覆ってしまう素振りなどが好ましい。彼女がプロのアーティストに徹し始める後半から振り返ると猶更、それらがなんとも初々しく、現実のガガも最初はこうだったのかな~、と想像してしまうほど素朴で自然体なのだ。もちろん、この映画には、「鼻を直さないと売れない」と言われたことなど実際のエピソードが採用されているわけだけど。

ちなみに現実のガガについて、あの独特の表現方法や言動は好きだが、楽曲はあまり響いてこない。私の中の好きな音楽の一つの基準として「聴き続けられるかどうか」があり、例えば最近で言えば、『オフィシャル髭男dism』とかKing Gnuとかさ、単発では「あ、いいじゃない」って思うんだけど、不思議と聴き続けてはいられないんだよねぇ。二、三曲で、もういっかな、となってしまう。残念ながら、ガガの音楽はこちらに分類される。

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◇クーパーが愛しくて仕方ない。

芸術やエンターテインメントの分野で成功を収める物語では、一旦は成就し、その後に今一度障害があり、愛する人や周囲の人間に助けられて立ち直るまでを描くのが定石だろうと思う。面白いのは、本作では堕ちていくのが、スターになったガガではなくパートナーのクーパーだということだ。ガガは、この映画の中で超優等生である。クーパーのバンドで歌ううち、著名プロデューサーにスカウトされて契約する。当初は「私の武器は歌よ」と主張するものの、彼のアドバイス通りダンスを学び衣装や髪型を変えて、歌手に留まらないアーティストとしてグラミーにノミネートされるまでになっていく。そして、その傍ら、アル中のクーパーを支え続ける。

つまり、人に頼りながら依存せず、自分の道を突き進むために努力を怠らない真面目で賢明な人物であるわけだが、クーパーの方は残念ながら、彼女ほど心の強い人間ではなかった。恐らく近い将来絶たれてしまう音楽の道、また離れていくガガに焦燥し、孤独感に苛まれて酒に溺れていってしまうのだ。ここからの、酒に逃げ、立ち直ろうと酒を止め、障害にぶち当たってまた酒に逃げる・・・を繰り返すクーパーにはハラハラさせられる。特にグラミー授賞式で最悪の失態を犯す際の演技はリアル。

突然ですが、ここで、誰よりも酔っ払いに詳しい私、やなぎやが酔っ払いについて解説しましょう。私自身は酒が飲めません。それほど親しくない保育園のママに飲み会で「やなぎやさんは、まずポン酒でOK?」といわれ、ある知り合いの夫婦に酒飲めないと告げたら、「今年一番驚いたな」「ホントね・・・」という、本来夫婦二人になってから交わすべき会話を目前で聞かされた私ですが、体質的に飲めないんだよね。なのに、なぜか周囲は夫を筆頭に酒好きばかり。しかもこいつらが「明日を考えて飲むなど愚の骨頂」みたいな飲み方するので、素面で付き合っている側にしたら、思うところは色々あらぁな。

<酔っ払い初級>
・言葉が通じない。
・性格のイヤなところが出る。
・その場で寝る。起きない。
・翌日、何も覚えていない。

<酔っ払い中級>
・帰宅して素っ裸で寝ていたら、マンションの窓を掃除していた人と目が合う。
・できないくせに、意地でもなんか(皿洗いとか)やろうとする(結果できない)。
・トイレに行ったと思ったら、全く別の店から「何階だっけ?」と電話してくる。
・帰ってきたと思ったら、大量のクリスピー・クリーム・ドーナツを持っている。
・超、爪を立ててくる。
・財布を掏られる。

<酔っ払い上級>
・接待中、トイレに行くと言ってそのまま帰宅。
・帰りの電車で隣に座ろうとしたデブを「座らないでくれる?」と睨む(理由:デブだったから)。
・ホームレスと一緒に段ボールを被って夜を明かす。
・新宿に向かっていたはずなのに、雀宮(栃木県宇都宮市)にいる。
・栃木名物「レモン牛乳」の写真を送ってくる。

 

ムカつくぜぇぇぇ。こんだけやらかして、「俺たち(私たち)アホでーす。同じアホなら飲まなきゃ損、損!」とか思ってるのがホントむかつくわぁぁぁ。

だからさ、グラミーのシーンは、「ああ、やめて・・・今はやめて。むりしなくていいから家に帰って。」と祈りながら観たよ(そういう意味では、私の中でこの映画の主役はクーパー)。

でも。でもね、奥さん。ダメンズと嫌う前に聞いて。クーパーの愛らしさはヤバイんですよ。大体、この男、超イイ奴なのだ!アル中って点を除けばね。ガガの怪我した手に冷凍豆の袋を巻きながら、孤独な生い立ちを語るあたりからモウダメ。ファンのサイン要求に快く応じ(しかも偽オッパイにサインしてくれとか言う)、何か歌ってよという不躾な願いにも誠実に応えてくれる。スーパーの店員に無断で写真を撮られても、嫌な顔一つしない。スターであるのに傲慢さがないのだ。

ガガを自分たちのステージに引っ張り出し、彼女がようやく歌い始めたときの嬉しそうな顔。そして、ガガが別の世界に踏み出すと知ったときの、無言で頭をぐりぐり押し付けてくる嫉妬の示し方とかさ、うわー!ダメなやつなんだけど、かわいい。過去に「映画の登場人物に感情移入して、共感できないから評価しないなんておかしくない?」と偉そうに言ってきたが、私はこの映画でクーパーに思い入れた、感情移入しまくって泣いた。矛盾してるんじゃないかって?うるせえ、矛盾せずに生きてる人間なんかいんのか。

ただですねぇ、ただですよ、奥さん。この辺りから、うむ、アップショットが気になり出した。前半の華やかさに対し、後半は否が応でもクーパーの危うい精神状態に目を向けることになるので、それまで気にならなかったものが目についてしまったって感じかな。特にクーパー&ガガ、クーパー&アル中施設の職員のおじさん、ガガ&パパなどの一対一での会話場面が多く、さらに長く、交互にアップで映すだけなのはツライ。

それで思い返してみれば、この映画の欠点は、肝心のライブシーンに奥行きが感じられないってことではないだろうか。例えば、地元のバーでガガが『ラ・ヴィ・アン・ローズ』を歌う二人の出会いの場面、ここは無名時代だからこその、客との距離の近さが重要だと思うのだが、ステージからガガが下りてくるところ、そして客の間を歩くシーンでは彼女の上半身しか映っておらず、全体の雰囲気が分からないのだ。バンドのツアーに参加してからは、これまでとは比較にならないハコで歌っているにも関わらず、大歓声は聞こえど、ガガから見た客席、逆に客席から見たガガという画がほぼなく、臨場感が伝わってこない。ライブシーンが良かっただけに勿体なかった。

役者としての二人はとても素晴らしかったと思う。監督としてのブラッドリー・クーパーは・・・分からない。

引用:
(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

乳腺外科で出会ったヨーダ

皆さん、こんニャちは。

本日は映画以外のことを書きます。死んだと思ったら生きてたふかづめさんの真似をするわけじゃないんだけど、新学期のバタバタやら在宅やらで、映画の記事のストックはゼロどころかマイナス、しばらく落ち着いて観られなそうだから時間稼ぎです(自分へのね)。

 

乳がん検診で引っかかる

昨年6月の健康診断で受けたマンモグラフィー&超音波(エコー)検査で「所見あり(乳腺腫瘤)」、要はしこりがあるよとの結果が出て、イヤっちゃイヤなので、夏休みを取ったとき、近くの乳腺外来のある総合病院に行ってきました。

そこで診てくれたのが、50代くらいのヨーダみたいな顔した強烈なキャラクターの先生で。この人は、都内の大学病院の乳腺外科に所属していて、毎週金曜日だけ、うちの近くの病院に出向して来ているのね。で、私の受診理由を聞いた途端、「またか!オレは健康診断結果で『所見あり』って書くヤツが大っ嫌いなんだよ。どの辺りとかどういう状態だとか何センチとか詳細を寄越せないヤツは、死ねばいいのにと思ってる」とプンプン怒り出した。

「お医者さんが『死ねばいいのに』とは」と苦言を呈すると、ヨーダ「今のはよくなかった」と反省。その後、「ちょっと、下行ってね、ビャーッとマンモ取って、その後エコー取ってビャーッと帰ってきてくれる?」。

ビャーッとできたかは分からないけれど、言われた通り検査を受けて戻ってくると、結果を見ながら「この病院さー、機械が古いのよ!特にエコーがダメ、全然見えない」と、今私がしてきたことを台無しにするようなことを言い、「ココ、悪の事務長が仕切ってんだよ、そいつが金出さない」と裏情報をリークし出した。

さらに、自分は以前別の大学病院にいたが、現在の病院に「何でも好きにしていい」とヘッドハントされ、金も全く違ったので話に乗ったなどと頼んでもない自己紹介を披露、それをフンフン聞いていた私の前に突然、撮影した写真を突きつけて「うーん、針刺そっか」と言った。

※「針を刺す」・・・ヨーダは簡単に言うが、今となれば、そんなに気楽に言わないで欲しい痛めの生体検査。私がやったのは注射針より少し太い針を麻酔なしで胸にブッ刺し、バネの力を利用して組織を採取する「コア針生検」で、取った組織を病理に回して悪性か否かを検査するのだ。

ヨーダが言うには、私の場合は微妙なラインで悪性の可能性は10%くらい、だが疑いがある以上潰しておきたい、この病院では設備がないので本来自分がいる都内の病院に来てほしいとのこと。「もう少し様子を見ましょうという先生もいるだろうが、乳がんは初期に発見して手術すれば助かる病気。皆がもっと検査に来て、痛いからと検査を避けなければ、日本の乳がん死亡率はもっと下げられるんだ!」と熱弁され、拒否するつもりはなかったので予約をした。

一応「痛いんですかね」と訊くと、「全然痛くないよ」と断言された。

 

◇大学病院へ

結論から言うと、痛かった。というか不快感の強い検査だった。ヨーダは痛くないと言う割に「血が垂れる」「服が血で汚れると困るから」と繰り返していて、後になって考えてみればそれくらい血が出るような太さの針ってことだもんね。それにしても、またマンモとエコーを受けさせられ、どんだけ私のおっぱい潰すんだ!と思った。最近では、男性でも知らない人は少ないと思うが、上下左右にめっちゃ潰して、うすーくしてX線撮影するのね。しかしヨーダによれば、地元の病院の機器では「全然見えない」ので、再度受けるのも仕方ないか。

さて、その後、あれよあれよという間に看護師さんたちがベッドなどを準備して(皆「血が垂れるからねー」と言う)、いよいよ胸に針を刺された。痛い痛い、なんだろう、刺される痛みより、ぐーっと異物が肉に入ってくる感覚とたまに神経に触れるのか身体がビクってなることの不快感、バチン!バチン!とバネがハネるたびに組織が取られていると分かる感じが気持ちが悪い。まあ、注射関係でこれまでに一番痛かったのは帝王切開の時に2回経験している脊髄麻酔で、それよりはマシなんだけど、「痛くないんだ~」と思っていた分、天国から地獄。

「先生、痛いんですけど」と文句を言うと、ヨーダの奴、「ごめんウソついた。だって、痛いって言ったらみんな受けないんだもん!」。

ヨーダのウソは許せないが、このときの結果は悪性ではなく問題なし、となった。

 

◇定期検診

さらに昨日、半年後の定期検診に行ってきた。またしても下でビャーッとマンモとエコーを撮ってヨーダのところに戻ると、写真を見ながら、早速うちの地元の病院の悪口を言い出した。「あそこホント悪の事務長が金出さないからね。あ、でも、マンモはすごいいいヤツ入れたよ。あと、敷地広げるらしくて針も刺せるようになる」。私が「じゃあ、もう御免ですけど、次に生検受ける事あったら地元で受けられるんですね」というと、ヨーダのやつ、「エコーは全然ダメだけどね。もうね、潜水艦のレーダーかってくらい何も見えない」。

マジかよ・・・。潜水艦のレーダーって。今どれくらいの性能なのか正確には知らないけども。敵の位置しか見えないイメージなんだが。

そんなことを聞かされて呆然としている私に、ヨーダは撮影した写真を突きつけて「乳腺の方はまったく問題なしだったんだけど、ついでに撮った首のとこ、甲状腺に腫瘍が見つかっちゃったから、針刺そっか」と言った。

・・・。せめてもうちょっと、前置いてから言って欲しいです・・・。今日は私、定期検診だと思って気楽に来ているんで。

でも仕方ないので、まるで『ホステル』で殺されるのを待つ女のように、首を剥き出しにして、今度は首に針を刺してきました。「痛くないから」と言われたので、「いや~、先生、前回ウソついたじゃない」と言うと、先生も看護師さんたちもドッと笑って、今度はホントにあそこまで痛くはないですよ、とのこと。これもイヤな検査だったが、痛めの注射くらいだったかな。

こちらの結果はまだだけど、この先生「可能性を潰す」主義で、わずかでも疑いがあれば、すぐに組織検査するタイプの医者だと思うのね。だから大丈夫だと思います。

ちなみに、エコー写真の結果、「あなた、43歳!?43歳のおっぱいじゃないね、若い!」と言われたので、今度から「若いおっぱいのやなぎや」と呼んで頂ければと思います。

ではまた。チャオ。

『ヘッドハンター』

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監督:モルテン・ティルドゥム キャスト:アクセル・ヘニー、ニコライ・コスター=ワルドー/2012年

皆さん、こんにちは。娘が連日観ている『名探偵コナン』の海で溺れそうなやなぎやです。事件とか謎解きはいいんだけど(全然よくないんだが)、「二人って付き合ってるんですかぁー」「えっ、ちょ、ちょっとやだ!コイツとはただの腐れ縁!」「そ、そうだよ、誰がこんなヘチャむくれと」「なんですってぇ」と飽きもせず繰り返される何も生まないというよりむしろ毒ガス相当のやり取りを死んだ魚のような目で見てる。名探偵コナン』において、「幼馴染」と「付き合っている」ことの威力たるや国家資格レベル。

娘にコナンの口真似をしたり、「もうッ、どこ行ってたん!?うちと○○(娘)は血の絆で結ばれとんのやからねッ!」(関西カップルの女の真似)と抱きついたりしていたら、無事怒られました。なんでこんな話をするかと言うと、コロナで延期されていた映画の新作が4月16日から公開されるからだよ~。一人でアンパンマンを観に行く方がマシ。せめてここで愚痴らせて。夫に愚痴ったら「(たかだか子供のアニメにそこまで暴走できるなんて)大変だね」と生ぬるい微笑みを向けられたから。

というわけで『ヘッドハンター』を紹介します。
全面的にネタバレです。

 

◇あらすじ

物語は、一人の男が高級住宅街の留守宅に侵入し「末路は二つ。最高価値の芸術品に出会うか、あるいは捕まるかだ」という独白と共に手際よく絵画を偽物とすり替える、妙にスタイリッシュな映像で始まる。
舞台はノルウェーオスロ。有能なヘッドハンターとして成功を収めたロジャー(アクセル・ヘニー)は、美術品専門の窃盗犯という裏の顔を持っていた。ロジャーの何よりの宝物はゴージャスな妻のダイアナ。一方で168センチの身長に過剰なまでの劣等感を抱いており、分不相応な妻を芸術品のように崇めて生身の人間として向き合うことを避け、その鬱憤を他の女で晴らしている、なかなか最低なこじらせ男である。

ダイアナの画廊のオープンパーティの日、ロジャーはオランダ人のクラス・グリーブニコライ・コスター=ワルドーを紹介される。クラスはGPS開発で著名なHOTE社の重役だったが早期退職し、祖母から相続した家で暮らすためこの地にやって来たという。クラス宅にルーベンスの『カリュドンの猪狩り』が保管されていることを知ったロジャーは、警備会社に勤める協力者のオヴェとともに絵画を盗み出すが、クラスがただの早隠居のイケ男でなかったために窮地に立たされることになる・・・。

この辺りまでは「お膳立て」の様相が濃く、蜃気楼のように危ういロジャーの幸福な生活が瓦解する予感を煽ると同時に、瓦解後の事態収拾に向けた布石が敷かれていく。例えば、共犯であるオヴェの部屋に仕掛けられた売春婦を映すための隠しカメラの存在、絵画強盗を捜査中の刑事シュペレの、敏腕だが、メディア戦略に長けた政治的野心を持つ人物であることなどなど・・・。あとからコレ関係してくるよ〜みたいなことが、思わせぶりに説明されるのね。

それにしても、身長168センチでここまでこじらせてしまうとは気の毒な話である。また妻ダイアナの背丈が抜きんでて高いもので、ロジャーとの身長差が特に目立つのだ。しかし、外見や金や社会的立場云々以前に、「自分に劣等感を抱いている男」ってのはそれだけでモテない、誓ってモテない。

脱線ついでに言うけど、北欧の連中って全体的に暗くない?なんであんな無表情でシャバシャバ話すの?寒いから、感情や表情筋の動きが最小限になるのかな?そして、陰惨でグロ系のミステリーを作るのが好きで、でもその割に大味というか大雑把というか、ちゃんと解決を示さず「あれはどうなったんだーい」と突っ込みたくなることしばしば、そしてヘンな小ネタを挟んでくるので「それはシリアスなの?笑っていいの?」と迷うこともしばしば・・・(北欧系のミステリー大好きなんです)。

 

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これだと伝わらないが、ロジャー役のアクセル・ヘニー、大塚寧々に似てます。

 

◇ロジャーの逃げっぷりがすごい

さて、絵画を盗んだ後からロジャーの命を付け狙い、どこに逃げても追っかけてくるクラス、実は、彼はロジャーの雇い主パスファインダー社の技術を盗むため送り込まれたHOTE社のスパイだった。さらに、ジェルに混ぜて付着させることが可能な超小型GPSの開発者であり、元軍人で追跡のプロ。通常なら逃げ切れるはずもないところ、ロジャーは裏稼業で培った(のか知らんが)驚くべき危機察知能力と判断力そしてサバイバルスキルの高さを発揮して、邪魔する人や犬をなぎ倒し、クラスの魔手から逃げ続ける。

このカラッポな男には最初から全く好感が持てないのだが、あまりのズタボロっぷりに応援する気持ちになってくるから不思議だ。ロジャーが観客を味方につけるきっかけは、やはり、クラスの追跡から逃れるため汲み取り式の便所でウンの中に潜る「ぼっとん便所かくれんぼ事件」であろう。ここは見逃せない。いや、人間、命の危険を感じたらアレぐらいやるのかもしれないけど、あの時点で物も言わずに追ってくるクラスの目的はまだ分からず、むしろ観客にとって悪印象なのは、(はずみで仲間のオヴェを殺した)ロジャーの方なんである。私だったら、ウンに潜る前に「なんで追っかけてくるの?」ってまず訊くと思う。

しかしこのシーン、ロジャーの選択肢がそれしかないのを悟りつつ「え、ウソ!そこ隠れるの?」と息を飲んで見守るのが楽しい。てか、便所もうちょっと掃除しといてー、でも、掃除してたら潜れてないのか。
その後も、「い、いぬ~!」「この超デブの双子の警官はなに?」など小ネタの連続。真剣なのか笑わせようとしてるのか分からない北欧センスが爆発する。

だが、文句をつけたいのは、ロジャーの暴走とともに物語だけが暴走していることだ。例えば、便所脱出後にオヴェに間違われて警察に捕まり、パトカーの中で「なぜクラスは正確に自分の居場所を把握できるのか」に気付くシーン。髪にGPS混入ジェルが付けられていることを前触れもなく悟るため、「やたらとカンが鋭いヤツ」で処理されてしまう。観客に対して「ほら、あのジェルだよ」と目くばせするようなショットというか、絵的な面白さがないんだよね。例えば、隣にいる警官が「お前が暴れるから髪が崩れちまったよ」と髪を直すとか、「こいつ、髪がやけにベタついてるな」と不審な顔をするとかさ、色々工夫があると思うんだけど・・・。

それに、ジェルやオヴェの部屋のビデオといった小道具を揃えつつ、クラスの部屋に置き忘れられていたダイアナの携帯に何の仕掛けもなかったのは間抜けだ。クラスとの浮気疑惑から、ロジャーはジェルをつけたのはダイアナではないかと疑うのだが、やがて犯人は自分の遊び相手の女だったことが発覚。おお、じゃあ浮気は誤解だったのねと思いきや、「あれは遊びよ、寂しかったの」とさめざめ泣くダイアナ。浮気はホントにしてたんかーい、携帯はただ置き忘れただけかーい。


◇面白いが、突っ込みどころも満載

そんな感じで首を傾げるところも多く、まぁ、もっとも突っ込むべきは、たかだか企業スパイが他国で警官までぶっ殺すのか?という点なんだが、ラスト、風呂敷の閉じ方もなかなかである。

ロジャーはGPSを利用し、クラスをオヴェ宅へとおびき寄せる。ベッドにはオヴェの死体とその横に座ったロジャー、彼らに対峙するクラス。隠しカメラの存在を知るロジャーの誘導により、カメラにはクラスだけが映っているという仕掛けだ。クラスとロジャーは互いに銃を発砲するが、事前にクラスの家を訪れたダイアナにより彼の銃の弾は抜かれており、クラスだけが被弾して死亡する。現場に残ったのは、オヴェとクラスの死体、そして証拠のビデオ。斯くして、二人が相打ちになったように見せかけるロジャーの偽装計画はまんまと成功したのだった・・・。

 

ちょ、待てよ(キムタク)。 ←久々だわぁ~。

 

この時点で多くの観客が思った(はず)。「いやいや、オヴェとクラスの死亡時刻が全然違うじゃん」と。私も思った。

オヴェをうっかり殺してからロジャーは農場に逃げてウンの中に隠れ、トラクターを盗んでクラスの犬を串刺しにし、夜道で事故って病院に運ばれた。その後警察に捕まり、パトカーで移送されてる最中に崖から落とされ、命からがら家までたどり着いた。どう少なく見積もっても、二日間は経っているはずである。半日でした~とか一日しか経ってませんでした~とかの言い訳は通らないわよッ。それで済んだら警察いらん。

ところが、ところがである!
ロジャーは「担当刑事のシュペレは敏腕だが野心家だ。彼は自分に解決できない事件があることを恥じるだろう」と予測、そしてシュペレはロジャーの予測通り、死亡推定時刻の矛盾を無視して事件をクローズするのである。

担当刑事の権力強すぎだぞ!さらに、警察は途中でロジャーをオヴェだと誤解して農場主殺害の容疑で拘束しているわけで、それなのに、ここまで容疑者の自宅を捜査しない警察がどこの世界にいるのよォォォ。

そんな私の文句などなんのその、こちらの剛腕北欧ミステリー、ラストは冒頭と同じくやたらとスタイリッシュっぽいカットと軽快な音楽に乗せて「私はロジャー・ブラウン。身長は168センチ。だが、それで満足だ」とかの気取った台詞で終わる。いやお前、直接的には三人、巻き添え喰った農場主や警官入れたら全部で八人殺してるからねェ~~!?「私はロジャー・ブラウン、身長168センチ」じゃ済まされませんよッ?

あんたの身長のことなんか、こちとら便所に置き忘れてきたってのに、なにを最後は「コンプレックスを克服しました」系美談に落ち着かせようとしてるのっ!?

そんな感じで、笑ったり首傾げたり忙しい映画だった。
後半の疾走感ある展開で、脚本がもっと丁寧だったらよかったなとは思うが、ロジャーの「ぼっとん便所かくれんぼ事件」あたりからのサバイバルスキルの高さには見るべきものがあるので、私はこれを食事時に観ることをお勧めします。

あと、途中で出てくるすごいデブの双子の警察官、ちゃんと双子のデブの理由があるからそこは注目だよ☆

では、また!

(C)YELLOW BIRD NORGE AS, FRILAND FILM AS, NORDISK FILM A/S, DEGETO FILM GMBH 2011

『ミッション・トゥ・マーズ』

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監督:ブライアン・デ・パルマ キャスト:ゲイリー・シニーズティム・ロビンス/2000年

やあやあ、こんにちは。週4日の在宅と、卒園&入学などの雑用が重なって滞ってしまいました。卒園式は明日だけど、今の時点で開始時間も分かってないよん。

話が変わるが、職場で映画好きの女の子2人と仲良くしていて、社内チャットで映画ルームを作っています。先日1人から、こんなコメントがありました。

女子A「10年くらい前に観たもののタイトル確認漏れのためずっと探してる映画があります。父親(もしくは保護者の立場にある成人男性)と子供との関係が最終的に改善されるお話で、父は宇宙学とか天文学とかの研究者みたいな立場。途中、二人が一緒に皿を壁に投げつけるシーンがあって、最後は父が自分の学会だかの予定を子供の授業参観に変えるとこで終わった気がします。もしお心当たりあれば教えて下さい。ハートフルヒューマンドラマなので、間違いなくやなぎやさんの守備範囲外だとは思いますが・・・」

最後の一文が気になるね。

女子A「ちなみにバーサーカーではありません」

確かに「皿 投げつける 映画」で検索すると『バーサーカー』が出てくるね。
すると、もう一人の女子からすぐさまコメントが。

女子B「『ホーム・アローン』だな」
女子A「ちがう」
私「『怪盗グルーの月泥棒』じゃない?」
女子A「ちがいます」
女子B「『晴れの日は会えない~』とかいうやつ」
私「『雨の日は会えない~』だから。そこ間違えると映画の内容が変わってくるんだよ。」
女子A「どっちにしろ違います!」

質問を受けた側に全く考える気がなく結論が出ていません。父子が皿を投げ付け合って和解する映画、知ってる人がいたら教えて下さい。

さて、本日はミッション・トゥ・マーズの感想を書くが、この映画を観たのにはちょっとしたきっかけがあった。
先日『ライフ』鑑賞後、Amazonが火星関係の映画をしつこくお勧めしてきやがった。その中に「有人火星探査計画で事故が起こり、宇宙飛行士たちは火星を脱出したが、死んだと思った仲間が生きていて火星に置き去りになってしまった。さあ、彼をどう救う!?」みたいな予告があり、寝ぼけながら「面白そう」と思った。
次の日、覚えていたのが「火星」というワードだけだった。私はブライアン・デ・パルマが好きなのに『ミッション・トゥ・マーズ』は見逃していて、だから多分いつも頭の片隅に火星があったのでしょう、火星=マーズ、あ、そうか、『ミッション・トゥ・マーズ』だったか、と思って辿り着いた次第です。

お気付きだろうが、前日の予告は『オデッセイ』(2015)のものだった。すぐにどうやら間違ったなと気づいたが、面白かったのでそのまま続行、結果、素晴らしい映画だった。後日、改めて『オデッセイ』も観たが、こちらは凡作の域を出ない作品という感想。棚からボタ餅、嘘から出たまことって、このことね。


◇あらすじ

2020年、史上初の有人火星探査機マーズ1号が火星に降り立つが、調査を行なっていた乗組員たちが巨大な砂嵐に巻き込まれてほぼ全滅。生き残った1人も消息を絶ってしまう。当初マーズ1号に乗る予定だったジムは、マーズ2号に乗り込んで救出へと向かうが・・・(映画.com)

『キャリー』(1976)、殺しのドレス(1980)、ミッドナイトクロス(1981)、スカーフェイス(1983)、アンタッチャブル(1987)、カリートの道(1993)、ミッション:インポッシブル(1996)などの沢山の代表作を持つ御大パルマ氏が2000年にお撮りなった作品である。

ぎゃッ、「映画.com」での評価低い!
ひッ、パルマ氏のウィキに、「『ミッション・トゥ・マーズ』が酷評の嵐に見舞われハリウッドから干される」って書いてあるぅぅ!!

えー、そうなんだ。え~、めっちゃ面白かったのになぁ。この作品がパルマ氏のキャリアの中でどういう位置づけになるのか分からない(調べるの面倒くさい)ので、今度『シネトゥ』運営者のふかづめさんに聞いときます。ふかづめさんは今、行方不明だけど、私は絶対、彼はこの映画が好きであると踏んでいます。おい、そうだろ、ふかづめ!お前、この映画好きだろう!

軽快な音楽と共にロケット型の花火が青空に打ち上げられるタイトルバック。カメラがゆっくりと地上に向けられると背景のカラーは段々と火星を思わせる土の色へと変化し、火星探査ミッションを控え壮行パーティを楽しむ宇宙飛行士たちの様子を長回しで映していく。優秀な操縦士ジムゲイリー・シニーズは、やはり宇宙飛行士だった最愛の妻を病気で亡くしたことで探査隊メンバーを辞退し、旧知のウッディティム・ロビンスリーコニー・ニールセン夫妻とともに宇宙ステーションでのサポート任務に就くことが決まっている。ゲイリーが、ふと足元の土を、妻と共に踏むことを夢見た火星の土に重ねた次のショットでは、13ヶ月後、探査隊のルークドン・チードルらが火星で作業を行う場面へとジャンプする。

多分、ハチャメチャな映画なのだとは思う。
序盤は、誰よりも火星探査を熱望していた妻の死を乗り越えられずにいるゲイリー・シニーズの失意の姿と、彼の目を通したティムとコニーの仲睦まじい様子を中心に人間ドラマの色合いが濃い。

だが、探査隊が奇妙な音を発する小山を発見する辺りから雰囲気は一変。小山にレーダーを向けた途端に凄まじい砂嵐が発生、ドン・チードル以外の探査隊クルーは命を落とす。不快指数の高い不吉な音、意志を持って襲ってくる砂の塊、何よりクルーらの死に様が無残で、画面は一気にホラー色に彩られる。

その後、ドン・チードル救出のため捜索隊に名乗りを上げたゲイリー、ティム、コニー、フィルジェリー・オコンネルらが火星に向かうシークエンスでは、宇宙空間という舞台を存分に活かした危機的状況にハラハラさせられることになる。スペースデブリ宇宙ゴミ)により損傷した船内で空気レベルが低下、破損個所を見つけるためにドクター・ペッパーを絞り出しその行き先を追うといった遊び心ある問題解決や、破損個所を修繕するも実は燃料パイプが受けた致命的な損傷に気づいておらず、そこから漏れた燃料が宇宙空間で固って漂い、エンジン点火へのカウントダウンがそのまま爆発へのカウントダウンになるなど、次々とサスペンスが畳みかけられる。

また、デ・パルマとは何度めかのタッグとなるエンニオ・モリコーネが作り出す不穏な効果音により、否が応でも緊迫感が高まる。さらに、爆発した船を捨ててREMO(補給物資モジュール)ヘの移動を試みた先では、ティム・ロビンスが妻や仲間のために身を犠牲にする、とても悲しい展開が待っている・・・。

映像も特徴的だ。何カ所で見られる、宇宙から船を引きで撮ったカメラが段々と近づいてきて回転しながら窓の中に入ってくるといった手法、そして何より、回転式遠心装置とそれをグルグル回りながら映すカメラには頭の中が掻き回されるようで、とっても気持ちが悪い(見慣れないから気持ち悪いのであって、映像的に不快なわけではない)。

2000年に撮られたとは思えない、どこか古びた映像には、恐らく2001年宇宙の旅(1968)を筆頭とした過去作品への敬意と、本作はそれらに続くものだという意図が込められているのだろうが、ああもぐるぐるとカメラを回されては目が回る。映画の中でビデオを見るというややこしい構図も然り、話も映像も目まぐるしい作品といった印象だ。
大体、事故から半年経っているとは言え仲間を救出しに行く船内で、イチャつきながら宇宙遊泳ダンスを踊るティム&コニー夫妻の神経も少々おかしい。お前らの目の前にいるゲイリーは妻に死なれて傷心なんだぞ&よりによって音楽がヴァン・ヘイレン

ただ、全体的に熱っぽくて、とにかく面白いんである。
ところで、『2001年宇宙の旅』を最近観直したのだけど、何よりも感想は「よく冒頭あれだけサルの映像流し続けたよね・・・」だった。


◇オデッセイ

ゲイリーたちが火星に到着する前に、せっかく観たから『オデッセイ』の感想を書いておく(ネタバレよ)。

私の知識と理解力が不足していることは前提としつつ、火星に取り残されたマット・デイモンのやってることが大体わからなくて参った。種類問わず考証を必要とする映画では、あまり矛盾を追求せず細かいことを気にしないようにはしているのだが、それにしても、ジャガイモって水と人間のウンであんなにたくさんピチピチ育つの?とか、何でNASAと文字で交信できるようになったの?(ここの論理が全く分からん) 何でアレス4に向かうときローバーの屋根にあんな穴開けたの?そもそも次回ミッションに使うアレス4のMAVがもうあったのは何故?宇宙服ってあんなに簡単に穴あくの?など、ハテナの連続だったのだ。
※その後、SF好きのユーセ コーイチさんに「『オデッセイ』の考察は結構まあまあ正しいよ」と教えて頂き、「へ~」って思ったことを付け加えておきます。

あとは、なんかこう、「取り残された宇宙飛行士」を軸に周囲がドッタンバッタン騒ぐ予定調和な描写にココロがあんまり躍らない。別に宇宙へのリスペクトなどない私が言うけど、特段、火星や宇宙を撮りたい!!っていうのがないの。一人の人間が苦難を味わうための舞台装置感が強いというか、主人公が手際よく困難に見舞われ、手際よくそれが片付けられていく様子が、教科書通りで真に迫ってこないというか。ド派手な映画であるはずなのに味気ないというか(そのくせ、最後の「無事救出!」の報を受けてヒューストンの職員「ワァーーー!!」」の画はしっかり押さえてくる。それ、またやるんか)。

後半、「コイツなんかやりそう」って思っていたリッチ・パーネルがようやく動き、画期的な救出策が提案される。曰く火星から地球へ帰還中の宇宙船ヘルメスを地球の重力を利用して火星へと反転させる(フライバイ)。マットはそれに合わせアレス4用に置いてあるMAVにて火星を脱出、ヘルメスは軌道上でMAVとマットを回収し、今度は火星の重力を利用して地球へ戻る・・・というもの。

うんうん、フライバイは何となく分かったしヘルメスを使うっていうのも盲点で面白かった。ヘルメスの宇宙飛行士たちは知らなかったとはいえ生きているマットを置いてきてしまったことに責任を感じているのだ。そうだ、船長のチャステイン姉さんの出番が少ないぞ!もっと出せ。しかし、そもそも宇宙で人一人を違わず回収できる確率とは?狂わぬタイミングでMAVを打ち上げ、ヘルメスと相対速度を合わせるなんてことが可能なのか?んで、軽くするためにMAVのあっちゃこっちゃを捨てて布切れで屋根作ったんだけどマジか?それで宇宙行くんか?と、冒頭の疑問符だらけ状態に戻る・・・。

ここまでくると、リドスコ先生が加速するのは疑いようもなく、最後はチャステイン姉さん自らが船外に出てマットをキャッチする役に名乗りを上げるのである。ダメだろ、頭が自ら行っちゃ。私が出番少ないって言ったからって。
上手いことマットの乗ったMAVを視界に捉えるが、しかしヘルメスとチャステイン姉貴を繋ぐテザーの長さが足りず、マットに手が届かない!するとマットは宇宙服に穴を開けスラスター(推進システム)代わりにしてMAVを脱出、飛んできたマットを姉貴がキャーッチ!

・・・マジかよ。
中国で頻発する、ベランダから落ちるガキをキャッチするのとはワケが違うんやで。んなことあるか?宇宙服はビニール袋か?そんな上手いこと方向調整できるのか?首を傾げる私をよそに、ヒューストン「ワァーーー!!」。うん、良かったネ。そんな感想。
まあ、正直私も姉貴がマットキャッチするところでは「ワァーーー!!」ってなったし、マットが姉貴の音楽の趣味を「時代遅れのディスコミュージックばかりでどうかしてる」と一人しつこく腐すのは、かなり好きだったけど。


◇最後はすごいところに着地する

さて、火星に到着したゲイリーらは無事にドン・チードルと再会し、砂嵐の後に現れた『顔』の謎の解明に成功する。『顔』の内部へと誘われた彼らを待っていたのは、一人の火星人だった。火星人は、ここにはかつて文明があったが滅びたこと、仲間たちは既に新しい星へ移ったこと、さらに地球の生命は火星が起源であったことを示してみせる。

ここでゲイリーはある選択をする。妻マギーの残した「古代神話や文明に火星が登場するのには意味があるはず」「命は命を繋ぐ」の言葉を啓示と取り、地球には戻らず火星人と共に新天地に向かうことを決意するのである。

おお〜、そうかあ(泣)。お前行っちゃうのか。だが、ゲイリーの妻と火星への想いを知る我々は、彼に思いもかけない救いの手が差し伸べられたことを喜ぶしかない。
火星人が見せる宇宙創造の幻想的な映像とエンニオ・モリコーネの紡ぐ音楽に乗せて、虚無の空気に包まれていたゲイリーが魂を再生させるかの如く生き生きとした表情になっていくさまに胸が熱くなる・・・(私は、ヘンに火星人の姿をボカさなかったのがよかったと思う)!

さらにグッとくるのが、彼の選択を知ったコニーが一瞬ハッと息を飲み、すぐに理解の表情を浮かべることだ。そして、亡き夫ティムが大事にしていたロケットをゲイリーに渡して別れを告げる。別れの時に受け継がれる形見は、『アンタッチャブル』でも描かれていたよね。

火星の『顔』の岩といい生命起源論といい、世に溢れる仮説を基にしたストーリー自体に工夫はないが、結局のところ本作は、火星までの旅を介して、絶望の淵にいた男の魂が救われるまでを描いた映画だ。彼がまるで妻に導かれるように宇宙の彼方へ飛び立っていく結末は、壮大でロマンティックだった。

ロマンあるSFと言えば、最近藤子・F・不二雄のSF短編集を読んだのだけど、そのうちの一つ、宇宙で漂流した少年少女が最後に氷で宇宙船を作って飛び立つ話『宇宙船製造法』が素晴らしかった。SFがどんなジャンルか未だ分からないけれど、間違いなくロマンは不可欠である。こんな理解でオーケーでしょうか?

ではまた!

『ライフ』

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監督:ダニエル・エスピノーサ キャスト:ジェイク・ギレンホールレベッカ・ファーガソンライアン・レイノルズ/2017年

皆さん、こんにゃちは。

子供らの間ではまだまだ鬼滅が熱いわけで、近所の姉妹は毎日揃って鬼滅柄のマスクをしてます。うちの子供はそこまで鬼滅にハマっていないのですが、その姉妹と仲が良いため影響され、あの金髪の、映画の主役になったライオンみたいな、ホラ、穴があったら入りたい的な、ホントにド忘れしたんだけど、あの男の台詞「不甲斐なし!」をしょっちゅう叫んでいるわけ。

私も仲間に入ろうと思っ「ふがいなしふがいなし、ふがしはおかし。ナナナナー、ナナナナー」(ジョイマン)と踊ってみせたりしているのですが、子らはジョイマンを知らないらしく、娘に冷たい目線を向けられています。優しい子なのに・・・。ヨハン、素敵な名前なのに。ヤバイ、ちょっと在宅勤務が続きすぎて頭がおかしくなってるわ。相変わらず調子の出ない私をどうぞよろしくお願いします。

今日は子供たちの「わくわくする映画が観たい」のリクエストを受けて一緒に観た『ライフ』を紹介します。ベン・スティラー監督のやつじゃなくて、私のジェイクが出ている方よ。完全ネタバレですから、お気をつけあそばして。


◇あらすじ

国際宇宙ステーションISS)に滞在する六人の宇宙飛行士は、火星探査機の回収に成功し、探査機が持ち帰った土から生命体の細胞を採取する。初の地球外生命体の発見に喜ぶクルー達だったが、やがてその生命体は成長し、彼らを襲い始める。

これを観た次の日、LiLiCoがTVで「あっと驚くドンデン返し」映画として紹介していました。うーむ・・・ドンデン返しと言えばそうなんだろうけど、あのラストってもう少し別の意味があって、そして醍醐味は別にドンデン返しではないと思うのよ(リリコの映画紹介は好きだよ)。

監督はダニエル・エスピノーサチャイルド44 森に消えた子供たち(2015)がガッカリな出来だったこと以外知らん、すまん。脚本はデッドプール(2016)のレット・リース&ポール・ワーニックが担当し、同じく『デッドプール』のライアン・レイノルズがクルーの一人として出演しているが、一番先に死んでしまいます。

私のジェイクとして知られるジェイク・ギレンホールは、好んで473日間もISSに滞在し続けている変わり者の医師デビッドを演じた。「80億人のバカがいる地球には戻りたくないから」って考え方がヒネくれてる上に、相変わらずキュートォ。
検疫官ミランダ・ノースに、『ミッション・インポッシブル』シリーズのいくつかに出演しているレベッカ・ファーガソンどのミッションだったかは忘れたけれど、黄色いドレスから片足を剥き出しにしてライフル構える姿がカッコよかったよね。私は断然、ミシェル・モナハンよりレベッカ派だよ。

しかし、今回見るべき俳優は何といっても、「ショウ ムラカミ」という語呂のいい名の日本人システムエンジニアを演じた我らがHiroyuki Sanadaである!女のせいで日本からハリウッドに行ったのかと思ってたら、ちゃんと活躍していて、ヨカッタヨカッタ。

うちの子供たちは、Hiroyuki Sanadaが一番のお気に入りで、「この人好き!死なない?ねえ、死なない?」と何度も確認してくるの。ククク、死ぬで。Hiroyuki Sanadaが生命体に追っかけられるトコとか「ダメ!」「逃げて!」とすごい騒ぎだったで。
自分も覚えがある事なんだけど、この頃の映画の見方って、お気に入りのキャラ見つけてその人を応援する・・・なんだよね。不思議だわぁ。

 

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◇カルビン、コワかわ

生命体の発見は地球でも一大ニュースとなり、ある小学生によって「カルビン」と名付けられる。ちょっとだけ育ったカルビンはひらひらと動く様がまるで妖精のように美しく、宇宙生物学者ヒュー(アリヨン・バカレ)の指にじゃれついたりして、アリヨンはカルビンの養育にすっかりのめり込む。しかしカルビンはかわいい名前に反し、少しずつ不穏な形になっていく(アリヨンって響きもちょっとカワイイ)。ガーッ!ってくる形よねソレ。私の経験上、そういう形の善意の生物はいない。点検ミスによる圧力の変化でカルビンの動きが停止してしまい、アリヨンが蘇生させようと行った電気ショックが悲劇の始まりであった。

さて、見どころは何と言っても「無重力」を活かした映像である。クルーを追うカメラの動きは浮遊感があって心地よく、カルビンから逃げるときのスピード感の演出も良かったが、それ以上に重力空間とは異なる現象、液体の表現にこだわっているのがクールだった。もっと分かりやすく言うと、んー、なんだろう、「汁気」を映さなかったこと?

カルビンは、宇宙で襲ってくることでお馴染みのアイツのように、移動した後にネトネトした粘液を残したりヨダレを垂らしたり、傷口からヘンな液体を漏らしたりしない。獲物の動脈を掻っ切って血を飛ばしたりもしない。

最初の犠牲者デッドプールの死のシーンは是非見てもらいたい。カルビンがデッドプールの口から侵入したとき、多くの観客が腹を割いてピンぎゃーーー!!と血まみれで飛び出してくることを予測し期待したはず。しかし実際にはそのような派手な表現はなく、デッドプールの口からゴポッゴポッと吐き出された血が水玉のように無重力空間に浮かび、死体とともにゆらゆら漂う。血飛沫を飛ばしてみせれば観る側の恐怖感も増すし生命体の残虐性も一発で印象付けられるが、敢えてそうせず、これから起こる絶望的な出来事を予感させつつ映像美に徹した点で、数多のバケモノ退治アクション映画と一線を画したのではないかと思う。

進化と共に出来上がってくるカルビンの顔は、不気味ではあるのだが、その造形が妙にキレイで、致命的なものだと分かっていても目を離せなくなる魅力がある(もっとも最後はタコなんだけどさ)。


◇バカが住む地球と崇高な宇宙

ISS内の人間関係に雑音がないのもイイ感じだ。触わるなと言う機器に触わるバカもいなければ、隊列から離れて小便に行くバカもいない。バケモノに追いかけ回される中でドアをロックして仲間を生贄にしその隙に逃げる小賢しい奴も、カルビンをサンプルとして地球に持ち帰る極秘ミッションを遂行する奴もいないんだ!

ある程度のところで、ジェイクとレベッカを残して皆死んでしまうのだが、この死にはドラマ以上の意味がある。つまり、ジェイクの「80億人のバカがいる地球」と言う言葉の通り、宇宙から見た地球は俗で鬱陶しい場所であり、宇宙で任務のため散った彼らは崇高な精神を持つ存在なのである。

え?考えすぎだって?いやいや、だってさ。クルーたちは順番に、仲間を守るために死んでゆくのよ。デッドプールは気絶したアリヨンを助けようとして、司令官オルガ・ディホヴィチナヤはカルビンをステーション内に入れないために、自らの身を犠牲にする。そしてHiroyuki Sanadaも、生まれたばかりの子の写真を手に絶対に帰ると誓いながら、ジェイクとレベッカを巻き添えにしないよう彼らの手を振りほどき、宇宙へと消えて行くのである・・・。

さらにレベッカが辿る運命。地球のバカどもから、危険な生命体を乗せたISSを宇宙の彼方へ葬るためのソユーズが送られてくる。いざという時はクルーごと犠牲にするこの提案をしていたのは実はレベッカで、そのレベッカはどうなっただろうか。そう、他の仲間同様身を挺したジェイクによって地球に逃がされたはずが、結局一番孤独で悲惨な死を迎えることになるわけだ。

そして地球に上陸したカルビンは、バカどもを食い尽くしにかかる・・・。

タコに生きながら喰われてるジェイクが悲惨でないかどうかは、この際置いておこう。
是非、アイツに比べて汁気ないなーって視点で観て欲しい。面白いので、お勧めです。

警報:子供向けではありませんでした。

 

引用:(C)2016 CTMG, Inc. All Rights Reserved.

『ロープ 戦場の生命線』

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監督:フェルナンド・レオン・デ・アラノア キャスト:ベニチオ・デル・トロティム・ロビンス/2015年

皆さん、明けましておめでとうございます!いやあ、年明け感ゼロですねぇ。おかしいな、まだ明けたばかりのはずなのに・・・。

突然ですが、子供の頃、手の指でカエルを作る遊びをやりましたか?

6歳の息子がこれを覚えてからというもの、始終指でカエルを作っている。指の位置や組み方を微妙に変えては「ねえ、おんか、新しいカエルができた」「これは笑っているカエル」「これは怒っているカエル」など新作カエルを見せてくる。私はほぼ変わらないカエルを見せられることにうんざりしており、「すごいねー」「こないだと目が違うねー」と適当にあしらっているのだが、それでも何かにつけ、例えば、汚れた着替えを洗濯に出さずに叱られたとき、食事中「おんか、ティッシュ取ってくれる?」と手を差し出すとき、その手はカエルを作っている。これは既に何かのカエルに取り憑かれていてお祓いが必要なのでは?と疑いを抱いているレベル。

正月には、従兄たちと風船でバレーボールをしているときに一人ぼーっと突っ立ってカエルを作っていたので、その隙に得点されて泣くということがあった。

先日私と娘がソファにいると、またしても指でカエルを作った息子がやってきて、「ねえ、これ何に見える?」と言ってきた。私は娘と目を見交わし、(ここまで山ほどカエルを作ってきた息子が、わざわざ『何に見える?』と訊くからには、これはカエルではなく別の生物なんだろうね)と頷き合い、娘が「わからなーい、なんだろう?」とグッドな返事をした。すると息子は超不審そうな顔で「え?カエルよ?おねえちゃん、大丈夫?」と返してきて、二人で「カエルなんかーい」とソファから落ちた。

以上、現在も続く我が家のカエル騒動の報告でした。だれか助ケロ。
本日は『ロープ 戦場の生命線』を紹介します。

 

◇あらすじ

1995年、停戦直後のバルカン半島。ある村で井戸に死体が投げ込まれて生活用水が汚染され、国際活動家「国境なき水と衛生管理団」のマンブルゥベニチオ・デル・トロらが現地に派遣される。しかし死体を引き上げている最中にロープが切れてしまい、代わりのロープを探しに行くことに。1本のロープを求め、武装集団や地雷の恐怖にさらされる危険地帯へと足を踏み入れるマンブルゥたち。やがて不良にいじめられていた少年ニコラと一緒に彼が住んでいた家を訪れたマンブルゥたちは、そこで驚くべき事実に直面する。(映画.com)

映画好きの間で話題になっていた映画で、確かに面白い。っていうか、上手い。井戸の死体の素性や何故井戸に投げ込まれたのか?の背景にはほぼ触れられず、死体がただ引き揚げを阻害する重量物(=デブ)として描かれるところからしてブラックなんだけど、ブラック加減とユーモア加減が絶妙で。主張(反戦)を真っ向から主張しないという点も洒落れていますな。

 

◇とにかくデル・トロープ

死体のデブのせいでロープが切れてしまい、デル・トロらは水の汚染を阻止すべく、代わりのロープを求めて奔走する。たかがロープ、されどロープ。物資の少ない村では簡単にロープなど見つからず、見つかったと思っても様々な事情から所有者は彼らにロープを渡すことを拒む。
死体を排除する道具そのものである他に、ロープはさまざまなものを象徴する。ロープを探す当て所ない道中、どこまでも続く曲がりくねった細い山道、地雷が仕掛けられた牛の死体や現地民兵の妨害などにより混迷していく事態。

さらに、デル・トロのクセの強さが見ものだ。デル・トロープのロープ癖がとにかく悪いのである。奴は数年前に関係を持ったカティヤオルガ・キュリレンコとこの地で再会し、気まずさゆえに首を竦めて隠れようとする。

元々、デル・トロープにとってレンコとのことは遊びだったが、レンコの方は割と本気だったようで、恋人がいながら自分と寝たロープに怒っており、ロープはロープで、レンコが腹いせに恋人に浮気を暴露したことを苦々しく思っている。いがみ合う二人だったが、レンコの方がデル・トロープのロープに未練たっぷりなのは明らか。ロープの方もあわよくば・・・といった目つきでレンコを見つめる。始めは「くたびれてるし腹出てるなあ」「古谷一行」とか思っていた観客側(というか私)も、デル・トロープの男くささに段々とヤラれてしまう。

途中、一行(古谷じゃなくて「国境なき水と衛生管理団」の一行よ)は地雷のせいで道で夜を明かさなければならなくなり、緊張の糸が切れたことでレンコの本音が爆発、彼が恋人の写真を財布に入れていなかったこと、すなわち恋人の存在を隠していたことを責める。この財布を勝手に見るというはしたない行為にさ、レンコの必死感が表れているというか、本気だったんだなって思ってレンコに肩入れしちゃうのよね。
ところがデル・トロープは流し目をくれながら、「そっちが『恋人はいるか?』と訊かなかったから言わなかっただけ」「それに言ったとしても結果は同じだったろう?」と不遜な言葉を吐く。レンコは反論できず、観客(私)も「ぐぅ・・・」と黙らざるを得ないデル・トロープの圧倒的色気。こうしてまた、レンコはデル・トロープのロープに絡め取られてしまうのである・・・。

私は観終わってすぐ、映画好きの異常な友人S氏に「『ロープ』面白かったよ」とメールした。ヒッチコックの話が返ってきたから、「ヒッチコックの『ロープ』じゃない」と言ったら、「じゃあ、なんのロープなんだよ」と困惑していた。S氏すらデル・トロープに翻弄されてしまった・・・

ひどい文だね、自覚してる。どーも調子が出ないわ。ちなみに原題は『A Perfect Day』。ロープ関係ないんかい。

オルガ・キュリレンコ『007 慰めの報酬(2008年)、オブリビオン(2013年)と華やかな出演作を持つ綺麗な人なんだが、どうも何回見ても忘れる。レンコ以外は、そんなに私の好みではないのかもしれない。しかし、『オブリビオン』は面白かった。

 

◇ロープの話をやめます

「国境なき水と衛生管理団」の古参メンバーであり、人格破綻気味のリーダー、ビーのキャラクターが良かった。ビーを演じたティム・ロビンスは、私の中で「掘られ俳優」として不憫な印象の人だったので、ロックをガンガンに鳴らしながら地雷の仕掛けられているだろう牛の死体に車で突っ込む破天荒な所作がとても痛快だった。

新人ソフィーメラニー・ティエリー)と、デル・トロ、ティム・ロビンスの関係性は、同じくデル・トロ出演の『ボーダーライン』(2015)と似ていて、ルールや権利を盾にあるべき正義を貫こうとする若者と、そんな彼女に遠い昔の自分を見るような生暖かい視線を送る百戦錬磨のおじさん二人といった構図を思い出す。

ただし他の戦争映画と一線を画すように、本作では直接的には死体も虐殺も映されないし、地雷だらけの大地を行きながら地雷が爆発するシーンもない。セルビアムスリム民族浄化を描いた作品であれば過激なレイプと殺戮が売り物であるにもかかわらず、だ。また、停戦の直後とした設定がよかった。内戦は終わったと言っても、実際には捕虜は堂々と殺されているし、子供の元に親は帰ってこない。治安維持のために駐留する国連軍はルールと法案のグレーゾーンの中で全く役に立たず、それはデル・トロたちも同様である。

 

 

◇あんたら何もできなかったねという結論が意地悪

最初に、この地の人々はユーモアのセンスを重視することが説明され、それに応えるように映画全体がユーモアに彩られている。デル・トロらは、一見この映画の主人公なのだが、実際にはブラック・ユーモアのネタにされた、被害者のようなものだった。

ようやく死体の引き上げが成功するかに見えたそのとき、冒頭でメラニー・ティエリーが規則一辺倒の国連軍に対し、彼らの融通の効かなさを逆手に取るつもりでついた嘘が、逆に引き上げを阻む原因となってしまう。ロープは切られ、死体は井戸の中に逆戻り。メラニー・ティエリーは自分の無力さに怒り、通訳のダミールは兵士に食ってかかるが、抵抗や反発が徒労に過ぎないと知るデル・トロとティム・ロビンスは装備を解いて気だるげに煙草に火をつける・・・メラニー・ティエリーの熱意や使命感が完全に裏目に出たとした点で、皮肉に満ちたシーンだった。

井戸から手を引いたデル・トロたちは、今度は難民キャンプで便所が溢れたとの報告を受け修繕に向かうことになる。「雨が降らなきゃ楽勝さ」というティム・ロビンスの言葉に被せるように叩きつけるような豪雨が・・・。その雨は井戸の水を溢れさせて死体を浮き上がらせ、死体は地元の住民たちの手によって取り払われる。
デル・トロらがあれほど苦労して成し得なかった作業はあっさりと完了し、さらに彼らの次の仕事を困難にする雨は、住民らにとって救いの雨になるという二重の皮肉

浮いた死体を発見するのは、映画の冒頭で国連軍の兵士が止めるのも聞かず地雷原に入って行ってしまう老婆だ。彼女は警告を尻目に、牛が歩いた後を辿って安全な道を確保する。国際組織が復興を支援するつもりでいる土地で、彼ら自身が引いた線によって雁字搦めになる一方、住民は自分たちの知恵で危機を回避し生活を立て直していく。

まるで、勝手に人んちに入ってきて正義だ救済だと何を騒ぎ立てているんだ?とでも言わんばかりのラストは、クスリと笑えもするが、ここまでに増して意地悪でブラックな展開だったと言える。

面白いし時間も短いし、お勧めの映画だよ。ではまた!

『2020年に観た映画雑感&ベスト3』

皆さん、こんにちは!リトル・ヤナギヤです♡
やなぎやがトイレに入っているので、先に始めるわね。
映画に関係ないんだけど、どうしても言いたいことが2つあるから、先に言わせて。

西大伍が浦和に来たのよ・・・。

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え?西大伍(にしだいご)知らない?西と言えば、Jリーグ滅びればいいランキング一位の鹿島アントラーズに過去所属していて、そのエグいプレーによりレッズサポからは「サイコパス」と忌み嫌われていたDFよ。大きな声じゃ言えなかったけど、私は西のプレーは勿論、日本人離れした強心臓とユーモアセンスがすごい好きで、でも鹿島にいるから好きになれない、以前はそんなジレンマに日夜身を焼いていたんだから。鹿島→浦和の直通だと難しいところ、神戸という乗り換え地点を経たことと、慎三はんという先駆者がいたことで、今回の移籍の道はまだ平坦だったと言えるわね。っていうか、超好き。顔も好き。

笑ったのが、Twitterで西をブロックしていたレッズサポが、移籍が濃厚になった途端、ブロック解除&フォローして、それをこぞってツイートし出したことね、ぶっは、あんたらのブロックもフォローも、西に伝わってないし気にもされないから。

やなぎや、まだトイレから出てこないわよね?もういっこがね。やなぎやの子供がここ数日、香水がどうたらって歌を死ぬほど歌ってくるから、頭にこびりついちゃって、うっかり手とか洗いながら口ずさんだりして地獄なわけ。だって、クッソみたいな歌じゃない?超キライな感じの歌の上、「ドルチェ&ガッバーナ」がまたクソみたいなブランドだから、なおさら不愉快。ドルガバの香水ってドンキかよ。私たちの世代では「DGのベルトした男の横には座るな」って暗黙のルールがあったものよ。今、「これでいいのだ~、これでいいのだ♪」ってバカボンで上書きしようとしているところ。あ、オーナーがトイレ行ってるのにクソクソ言っちゃいけないわね、オホホホ・・・。あ、出てきた。

やなぎや「大丈夫だった~?」
リトル「バッチリ。模倣サイトとブランド侵害リスク、その対処法について語っておいたわ」
やなぎや「そう、良かった。さて、今年もあっという間に一年が過ぎて、ヤナデミー賞の季節がやってきました。ヤナデミー賞、命名ikukoさんね。去年のはこちら」

 

yanagiyashujin.hatenablog.com


やなぎや「でもベスト10は無理だ~、それくらい映画観なかった。自粛中の完全在宅で生活リズムが狂ったし、仕事で頭悩ますことがすごく多かった。なので、観たものの寸評にしようかと」
リトル「いや、それ以上にドラマを見まくってたじゃない。『BOSCH』6シーズン、『THE WIRE』5シーズン、『ホームランド』8シーズン!これだけ見れば時間取られる以上に、頭ん中もドラマになるわ」
やなぎや「そうなんです」
リトル「挙句、『RE:BORNリボーン』だかショボーンだか分かんない映画の感想とか書いてさ」
やなぎや「謝って!今のは拓ちゃんに謝って」

 

◇『運び屋』
2018年製作/116分/アメリ
監督:クリント・イーストウッド

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リトル「『ダーティ・ハリー』とか『サンダーボルト』なんかだと色気がすごいけど、イーストウッドのおじいちゃんの包容力とかノーテンキさに包まれるような、愛すべき年寄りの話だったわね」
やなぎや「家族に罪滅ぼしするために麻薬運んで金稼ごうって動機もいい加減だし」
リトル「長いドライブで、車ん中で歌を歌いまくる場面が何と言ってもよかったわ。何回か繰り返すうちに、ただ『捕まえないであげて~』って感じだった」
やなぎや「あと、好きなのはギャングの連中と顔見知りになるうちに、あちらが気を許してくるとこ。イーストウッドがニコニコ現れると、みんな顔緩ませて、よぉじいさん元気かって。だってみんな、おじいちゃんおばあちゃんには弱いものだよ、万国共通。日本人のラッパーなんて、大体じいちゃんばあちゃんマジ感謝とか歌ってるじゃん」
リトル「・・・たまにラップの話するけど、好きなの?」
やなぎや「推しはCreepy Nutsクリーピーナッツ)BAD HOPです」


◇『MUD マッド
2013年製作/130分/アメリ
監督:ジェフ・ニコルズ

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やなぎや「私の人生は『マシュー・マコノヒーとは何なのか?』っていう疑問の繰り返しで」
リトル「あんたの人生で」
やなぎや「遥か昔に観た『コンタクト』(1997)、確かマシューは一見チャラ系の学者だったと記憶してるんだけど、映画自体面白かったし好印象。評決のとき(1996)は当時ジョン・グリシャム好きで、マシューがカッコよかったし、何度か観たなあ」
リトル「U-571(2000)とかイマイチじゃなかった?」
やなぎや「多分そこら辺で観なくなってしまった。けど、これはドラマだけど『TRUE DETECTIVE』でやっぱりすごいって衝撃受けて。と思ったら、次に観たダラス・バイヤーズクラブ(2013)が全然ハマらなかった
リトル「マコノヒーちょっとキモいじゃん。撫で肩だし」
やなぎや「それね、ちょっとキモイんだよね。でもやっぱり好き」
リトル「『MUD』は少年の目を通した愛の話。マシューが演じるマッドは、好きな女のために人を殺して島に隠れ住んでいて、主人公の少年は彼の逃亡に協力しようとする」
やなぎや「両親の不仲を日々目の当りにして、『愛し合って結婚したのではなかったのか?』ってどうしても理解できないんだよね。だから、マッドと彼女に以前の両親の姿を重ねて成就させたいと思う」
リトル「自分自身も女の子に恋して、でもすれ違って、愛ってのは理想通りの美しいものじゃないという経験を経て、また次の恋をする。大人になっていくわけよ。それが、寂しいような、頼もしいような」
やなぎや「あと場所がよかったよ。船を家にして魚取って生活している人が一定数いる土地でさ。ヤクザ連中に襲撃受けたとき、川向いのじいさんがライフルでバシバシ仕留めるとことか、手に汗握った」
リトル「ただ、私的には最後は蛇足だったなあ。あんなにきれいに回収する必要あったのかしら?あれで、ちょっとお伽話みたいになってしまったと思う」

 

◇『晩春』
1949年製作/108分/日本
監督:小津安二郎

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リトル「ついに小津を観出したわね」
やなぎや「東京物語』『晩春』を観た。あと麦秋『早春』秋刀魚の味は観るつもりなのと、S氏からは『生れてはみたけれど』『風の中の牝鶏』を勧められている。最後のはどんな映画なのか想像もつかんな」
リトル「ホークスやペキンパーもちょこちょこ観てるよね」
やなぎや「もちろん、あの人の影響なんだけど」
リトル「あの人ってふかづめさんでしょ?もういいから呼んで来ようよ。どうせ炬燵に入って首にネギ巻きながら、めかぶと焼酎を交互に飲んでるんだろうからさぁ。ちょっと、ふかづめさん!ふかづめさん! ご飯食べに行こー!めかぶは主食じゃねぇんだよコラ・・・え?ふかづめさんちにG子がいた・・・どういうこと・・・」
やなぎや「余計な創作して、波紋広げないでくれる?ただひたすら面倒くさいから」
リトル「ふかづめの今年のパワーワードは『大きな画面で映画を観ることを豊かな映画体験と思っている野郎この野郎』とかそんな感じのやつだよね」
やなぎや「そんな言い方はしていないと思うよ。あと、呼び捨ては良くないよ。」
リトル「そんなことより小津よ」
やなぎや「今更あれこれ言う人ではないわけだし、技術的なことは分からないのだけど、それでも美しい構図だなとかすごい編集だな、くらいは素直に感じた。観てて心地よいの。ゆったり揺蕩うようにずーっと観てたい気持ちになる」
リトル「話としては、『晩春』よかったわ」
やなぎや「はっきりストーリーがあるもんね。映画とは離れた話になっちゃうんだけど、簡単に言えば結婚する気のない原節子を皆してお節介焼いて縁付かせちゃう話でしょ。笠智衆演じる父親が、原節子に嫁に行く決意させるためにある嘘をつくんだけど、女は生家を出るものだし結婚こそ女の幸せ、ってのが疑いもなく前提にある」
リトル「そうね、さも当然のように。当時はそれが当たり前だったわけだから」
やなぎや「でもそれって、女の権利が叫ばれ出して、『結婚は?』と訊くことすらが許されなくなった現在からすると、シンプルというか、余計な思考や主義が必要ないから映画がするりと入ってきたんだと思う。だって、父は自分亡き後、娘を託す男を探すもんだろうし、親戚のおばちゃんはお節介を焼くもんじゃん。以前からモヤモヤしてるんだけど、結婚するかしないかは私の自由ですよねって考えと、『結婚はまだ?』っていう周囲の考えをさ、真正面からぶつける必要ってあんのかね?だって、特におばちゃんおじちゃんは言うんだよ、『結婚は?』『二人目は?』って。田舎に行けば行くほど。たとえ旧態依然の価値感だとしても、根にはこっちを心配する気持ちとか、しかも一応結婚を経験して総合した結果メリットがあるという体験に裏打ちされてるわけじゃない?はいはいって言ってればいいと思うんだけど、『女の幸せは結婚』というワードに対する反発の大きさが、逆に視点を一点に絞った映画を制作する妨げになっているように思ったり」
リトル「まぁ、状況や相手にも依るし、無神経な人、超イヤな思いをしている人いるだろうから極端な考え方だとは思うけど、多様性によってややこしくなったものはあるかも。要は『結婚が女の幸せか?』という『雑念』に囚われないで素直に観られたということね」
やなぎや「そうそう、原節子だって『結婚だけが幸せじゃない』とはっきり言っているから、もちろん分かっているわけよ、小津監督だって。それでも、お前なら幸せになれると信じて送り出す父の映画だからさ、そのまんま受け取ればいいのだし」
リトル「後妻をもらった叔父に、汚らしいわ不潔よと唇を尖らせるせっちゃん、しぶしぶ見合いした男が案外と好印象で、でも結婚という行為自体にどこか生臭みを感じてたから、手の平返しで喜ぶことを気恥ずかしくも感じてるせっちゃんが愛らしかった」
やなぎや「そういえば、『東京物語』でも、母の葬式が済んですぐに形見分けの話をし出す姉に、年若い妹が嫌悪感を示すシーンがあった」
リトル「でも、せっちゃんが、『そういうものよ』とちょっと達観した目つきで、愛しそうに少女を諭す」
やなぎや「潔癖な少女が大人の女性になっていくこととかさ、家族模様を描く中での、個々人の成長、変化の表現がとっても細やかだよね~」

 

◇『少年と自転車

2011年製作/87分/ベルギー・フランス・イタリア合作
監督:ジャン=ピエール& リュック・ダルデンヌ

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リトル「これもふかづめ推し?」
やなぎや「いい加減にしないとネギで叩かれるよ」
リトル「とってもいい映画だったわよね」
やなぎや「よかった。主人公の少年は、いずれ迎えに来るという父親の言葉を信じて養護施設で生活している。ある日、父親が少年の自転車を売ったという話を聞き、信じずに父に真意を確かめに行く」
リトル「切ない話」
やなぎや「父親のダメっぷりにイライラするんだけど、少年は頑固に父を求める。だからこそ、年上のワルにひっかかってしまう。男性からの庇護や父性を求めてるんだよね。面白いなと思ったのが、母親は何故いないのか、どこにいるのかが一切出てこない。少年は初めから母性に期待してないんだよ。だからこそ、里親となった女性から差し伸べられた手をなかなか掴めない。父を諦め、母を得る話、そんな感じかなあ、難しいことはわからないけど。あと、赤色がキャッチー」
リトル「自転車はなんなの?」
やなぎや「自転車」
リトル「自転車の話なんでしょ?」
やなぎや「自転車は、、父性と母性のマクガフィンであり、、」
リトル「わかんないならいいよ。あとマクガフィンの話は今年で終わりにしてね。」
やなぎや「赤い自転車」
リトル「色はいいよ」


◇『ローマンという名の男 信念の行方』

2017年製作/129分/アメリ
監督:ダン・ギルロイ

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やなぎや「『黒い司法 0%からの奇跡』(2020)の関連で観始めたら、かなり面白かったから、あらすじから紹介します(『黒い司法』も面白かったよ!)」
リトル「デンゼル・ワシントン演じるローマン・J・イズラエルは、優秀なんだけど、人と話すのが苦手な弁護士。ある日、ローマンの保護者的存在であった法律事務所の経営者ウィリアムが倒れて亡くなってしまう。法廷に立ったり人と折衝する役はウィリアムが担い、ローマンは膨大な知識や記憶力で彼を支える役割だったから、急にほっぽり出された形になってしまうのね。生活のため職を探すのだけど、何しろ表舞台が苦手だからうまくいかない。ウィリアムに事務所の清算を頼まれた大手弁護士事務所の経営者ピアスコリン・ファレルはローマンの能力に目をつけ事務所に引っ張る。でも、本来の主義を曲げて働くうち徐々に歪みが生まれて・・・みたいな感じかしら」
やなぎや「いや~、もう、痛々しくて終始ドキドキしていた映画だった。経験や知識は確かなのに、人に対する術や物言いを知らないから、どんどん裏目に出ていってしまうんだよねぇ」
リトル「あと、割と珍しい発想なんじゃないの?アメリカの映画に出てくる弁護士って、いろんな困難に襲われはするけど、基本的に『弁は立つ』ことは前提で。この映画では、優秀だけど能力を活かすことができない男の葛藤が描かれているの。あれね、すっごいいい野菜作っても、販売戦略がないと売れないよってことね」
やなぎや「私、例えを出された途端、よく分かんなくなるからやめてくれる?多分、かなり太って撮影に臨んだであろうデンゼルの野暮ったさも見ものだけど、コリン・ファレルいやあ、カッコよかった。また役柄がよくて、依頼人よりも事務所の運営を優先する拝金主義の弁護士だったんだけど、ローマンの不器用さや人柄にあてられちゃって、考えを変えていく」
リトル「でもウィリアムが、鞘に納めた刀のごとくローマンの使い方を知っていたのに比べて、ピアスでは使いきれなかった・・・っていうラストね」
やなぎや「例えをやめてってば。G子はこれ観たのかな?絶対観た方がいいよ

 

ボヘミアン・ラプソディ

2018年製作/135分/アメリ
監督:ブライアン・シンガー

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やなぎや「MAMAーーー!」
リトル「あ、うん」
やなぎや「Ohhhーー!」
リトル「はいはい」
やなぎや「たったいま人を殺してしまったー」
リトル「そこは日本語なんだ」
やなぎや「遅ればせながら観まして、良かった、ホントに良かった!超胸が熱くなった。最後のライブ・エイドのところは涙が溢れた」
リトル「私はクイーンには全く触れていないけど、これ、世代ド真ん中でクイーンが好きな人には、たまらなかっただろうねぇ」
やなぎや「S氏によると、史実と違うって理由で非難している人もいるらしいよ」
リトル「死ねよな」
やなぎや「でも、私は物語的にはちょっと不満あるんだ。簡単に言うと、王道過ぎて。お父さんからの無理解、バンドメンバーとの軋轢、最愛のパートナーであるメアリーとの離別。これらのドラマ自体はいいんだ、ただ細部に、一世を風靡した人物に相応しい気難しさが感じられなかったというか」
リトル「もっと、ムッチャクチャでもよかったのではと」
やなぎや「そうそう。バンドのリーダーでありスターだよ。困難はあったけど、本人が少し視点を変えて心を入れ替えたら、お父さんも彼女もメンバーも周りに戻って来る。終生の恋人となるジムとのエピソードも手早かったし。。。もっとコイツどうにもならんな!みたいな気難しさが映画自体に欲しかったかなって」
リトル「でもそれを置いといても、ライブ・エイドのパワーにはひっくり返されるよね」

 

◇翔んで埼玉
2019年製作/107分/日本
監督:武内英樹

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リトル「これはアウトだったな」
やなぎや「なんだろう、ギャグ中心の映画なのに、面白くないという・・・」
リトル「めっちゃ笑うつもりで観たのに、笑いきれなかった消化不良感ね」
やなぎや「これは、漫画→映画化に問題があったと思うのよ。あの漫画ってすごく古いじゃない?当然、笑いの感覚も古い。アレンジしないで、そのまんま映像化しようと努力した結果、うまく落とし込み切れなかったのではないかな」
リトル「それが中途半端さを生んだと」
やなぎや「だって、笑いの感覚だけじゃなくて、人の反応にしても価値観にしても、今とは全然違うわけじゃない。同じテイストで映像に持ってこようとしても無理。ただ、この作品自体が、あの世界観でなければ意味がないわけで、だから、これに関しては特に映画化という試み自体が失敗だったってこと」
リトル「そういえば、ローランドってド天然で面白いなって思ってるんだけど」
やなぎや「(?)うん。何で天然?」
リトル「前にTVで、ホストたちを香港に連れてって、すごい夜景の見える高級ホテルに泊まって、ガラス張りのフロから夜景を見下ろしてワイン片手に『お前らもこういうものを手に入れられるようになれ』って語ってるのに爆笑したのよ。やっぱ成功の象徴が、高層マンションと夜景とワインなんだなって。部屋とYシャツと私くらいベタ」
やなぎや「ああ、確かにね(スルー)。他人が作った価値観だし。普段も何も目新しいことは言ってないよね。時間は守るとか、ビジネスの相手は敬う、自分が雇った人間には責任を持つ。ある意味、それを徹底的に貫ける人間が少ないわけで、エライんじゃない?」
リトル「で、最近本屋で見かけたローランドの本の帯に『俺は特別じゃない、凡人代表なんだ』ってあったから、あ、ちゃんと自分のことわかってるんだなって感心したわ」
やなぎや「それより、なんでローランドの話するの?」
リトル「だって、この映画に出てたでしょ?」
やなぎや「・・・出てたのは、ローランドじゃなくてGACKTだよ」
リトル「あら、そうだった!?まあ、いいや、似たようなもんじゃない。だって、GACKTって周囲のスタッフに自分のこと『若』って呼ばせてるのよ。私だったら恥ずかしくてベッドから出て来られないわ」
やなぎや「だから、私たちは凡人ってことなんでしょ」

 

◇ベスト3

やなぎや「今年観た映画のベスト3は挙げてみることにしました!」

■3位『グラントリノ
2008年製作/117分/アメリ
監督:クリント・イーストウッド

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リトル「イエー。超良かった、これ」
やなぎや「最近のイーストウッドの中で一番好き。偏屈&頑固なクソジジイっぷりがホントに楽しすぎた」
リトル「人種で区別することと偏見を以て人に接するジジイを描くことの遠慮のなさ。田舎のジジイなんてこんなもんだぜっていう当たり前な言い分ね。全部が全部目くじら立てるものでもないし、言われた人間だって冷や汗一つで流すこともあるのに、当事者を置いてけぼりに関係ない世間が、何でもかんでも人種差別と騒ぎ立てる現状を皮肉ってる感じがあるわよね」
やなぎや「『運び屋』でも、物議を醸しそうなシーンっていうか、ギクッてなる場面があってさ」
リトル「あれでしょ、車の故障で立ち往生している黒人のカップルに、『白人がニグロを人助け』ってニカニカ笑うとこでしょ。
やなぎや「うん、で、当のカップルは『おじいさん、今はニグロって言わないのよ』って呆れてる。現場はそんなもんですよ、って感じだったよね」
リトル「スパイク・リーとあんなやり合ったのに、またやった!って爆笑したわ」
やなぎや「『グラントリノ』では、隣のモン族の家族に対して最初、偏見100%の態度で臨むんだけど、その家の少女と交流を持つにつれ情が上回り、『人と人との繋がりが何より大事』ってとこに帰結する爺さんに、めちゃめちゃ可愛げがあった」
リトル「ラストがイカしていたわー」
やなぎや「懲りない爺さん、って感じだよね、本人も演じるキャラクターも。まだまだ長生きして欲しい」

 

2位『東京物語
1953年製作/135分/日本
監督:小津安二郎

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リトル「名作来たね」
やなぎや「構図の素晴らしさにまず目を奪われ、独特な台詞回しに耳を奪われる。なんだろう、すっごい繰り返すの。例えば最初に、東京の子供たちに会いに行くため旅支度をしてるときに、『空気枕、持ちました?』『お前に渡したろう』『こっちにはありゃしませんよ』、これを繰り返すの」
リトル「あれも。『ほうか、あかんのか』の繰り返し」
やなぎや「泣いた!!」
リトル「それを言うなら、笠智衆東山千栄子の、もはや似た者夫婦の域を超えたそっくりな座り方と、収まりの良さがすごかった。旅支度のシーンや熱海の堤防で座ってるシーンとか、おんなじ格好だものね」
やなぎや「だからこそ、のちに一人が抜けた空間が目に痛い」
リトル「そしてせっちゃんよね。ラストで、そこまで全部『いいえぇ』『とんでもない』と受け流してきたせっちゃん、そして『大人になると(皆自分の生活第一になるのは)仕方ないものなのよ』と少女を諭してきたせっちゃんがさ、笠智衆に、『私だって○○さん(死んだ旦那で笠智衆達の次男)のことばかり考えてるわけじゃない、皆さんがおっしゃるように貞淑なばかりではない』と告白して涙を流すとこが本当によかったわあ。いいんだよう、生きてる方を大事にしていいんだようって泣いたね」
やなぎや「本当の親子より、笠智衆とせっちゃんの間に親子の絆を感じた」

 

■1位『ショート・ターム』
2013年製作/97分/アメリ
監督:デスティン・ダニエル・クレットン

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リトル「なるほど、これなんだ」
やなぎや「今年の気分に合ったって感じかな。ブリー・ラーソンめっちゃ良かった。ブンむくれ顔女優ナンバーワン」
リトル「『ルーム』(2015)より前の映画なのね。ブリー・ラーソンが演じたのは、ティーンエイジャーを預かる短期保護施設『ショート・ターム』で職員をしているグレイス。同僚でボーイフレンドのメイソンは優しくて、幸せな日々を送っているんだけど、実は子供たちと同様、心に深い傷を負っていて」
やなぎや「グレイスやメイソンを始めとする職員たちには何の権限もなくて、ただ子供たちに寄り添い、生活の面倒を見るだけ。だから、子供たちが敷地の外に出たら何もできない」
リトル「パニックを起こして走り出してしまったり、脱走しようとする子供を敷地の外に出してしまったら彼女たちにはどうすることもできないから、まずは敷地から出さないこと。追いついたら両腕を掴んで座って子供が落ち着くのを待ち、いいタイミングで『落ち着いた?』『話したい?』と声をかける。いうなれば、できることはそれだけなのよね」
やなぎや「問題を抱える子供たちに対する『構えなさ』が心地よい映画だった」
リトル「でも実は、グレイス本人が敷地の外に出ることに怯えていた、とも言えるわね。虐待を受けているある少女に過去の自分を重ねて、敷地を飛び出し権限を逸脱した行動を取ってしまったときに抑えていた壁が崩壊してしまうの。でも、それをきっかけに、また新しいものを構築していく、子供たちと同じように」
やなぎや「最初と最後、おんなじシチュエーションのシーンがあるのね。勤務に就く前と仕事を終えた後に職員たちが外で寛ぎながらおしゃべりしている。最初の、映画冒頭での世間話から伝わるのは、自分たちの無力さやこの仕事の無意味さ。でも最後に話しているのが、数少ないながら芽生えた希望の話なのがすごく良かったね。映画自体がさ、ほとんどが困難で不幸なことばかりだけど、成就するものもある、と示して終わるの」
リトル「最後の話は観ながらこちらも笑顔になったわね!」


やなぎや「ってことで、もうすぐ一万字です」
リトル「終わろう。疲れた。どっかで毒舌発動しようと思ったけど、疲れてできなかった」
やなぎや「いや、十分ですよ。それでは、皆さん、よいお年を~!」
リトル「来年もよろしくお願いします!」