Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『セブンティーン・アゲイン』

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こんにちは。当ブログを読んで下さっている皆さまには驚かれるでしょうが、わたくしは案外と毒吐き屋なんです。驚かないんですか?どうかしてますね。
 
本題より前置きを楽しみにしてくれているどこかの新潟県人が、「給湯室でだらだら話しているようなゆるい雰囲気」をお好みのようなので、毒は抑えてます。まあ、自分でも「つまんないこと言っちゃったな」って後悔するのは嫌だしね。職場の女々しい奴のネタだけで数十本は記事を書ける気がするんだが、ソーシャルメディアポリシーだのコンプラだのうるさいし、「女々しい」って書いただけで、あーだこーだ言われる時代です。
 
そんなで毒は吐きませんが、一個だけいいかな。
 
「紳士のスポーツ」「紳士のスポーツなんやで」って言ってたラグビーサポーターが、日本対スコットランド戦のプチ乱闘を受けて、「スコットランドは紳士じゃない」ってツイートしていたのには笑ったよね。
 
あと、こぞって言うね、「ラグビーは敵味方のサポーターが混ざり合って応援し互いを讃え合うスポーツ」って。芋づる式に言う。ずるずるずるずる言う。
 
そうなんだね。対戦相手同士で罵り合ったり日韓で蹴り合ったり、ゴール裏に『F○CK』の絵文字を作ろうとして作れなかったり(永遠に語り継がれる鹿島アントラーズの愚行)、そんな相手を「やーりなおーせ」と煽ったり、「Japanese Only」って段幕掲げて協会から制裁喰らったり(永遠に語り継がれる我が浦和レッズの愚行)、南で相手サポーターと小競り合いが起こってふと自陣の北を見たらコア連中がいるはずの中心ががっぽり空席になってて「やっべ、連中、南に殴り込んだわ」って青ざめた経験なんてないわけだ。
 
そりゃあ、スコットランドは紳士じゃないわね。
となると、スコットランドが負けて、「イェェェェ、ざまぁぁぁ!」と叫んでいたイングランド人の位置づけはどうなるのだろう?
 
いや、ラグビーそのものに対して、いいとか悪いとか、犬派とか猫派とか言っていないですよ。事実と純粋な疑問を提示したまでです。当ブログのモットーは多様性でございますので・・・。
 
 
◇あらすじ
バスケットボール部のスター選手として活躍する高校生マイクは、恋人スカーレットの妊娠をきっかけにバスケの道を断念する。それから20年後、冴えない中年男になってしまった彼は、ひょんなことから17歳の姿に変身。人生をやり直そうと2度目の高校生活を送りはじめるが・・・。(映画.com)
 
アメリカのティーンズ青春映画を観るたび疑問なのだが、ボート部とかアメフト部とかバスケ部とか、脳筋連中の地位が校内で異常に高いのは何故なのだろう。頭がいい奴がトップ・オブ・スクールカーストではないのか?運動神経がいいと単純にカッコよく見えるのと、その種のスポーツができるということは家庭も裕福、かつ将来的にも有望だからということなのか。だとしても、部員が大体お揃いで着ているダッさいロゴ入りジャンパーみたいのがイヤ。青と黄色の配色のやつ。私は青と黄色の組み合わせの服装が好きだけどね。紫×黄色もよく着ます。
 
冒頭は将来有望なバスケ部の花形選手として、充実した高校生活を送るマイクの姿に始まる。マイクは、高校のスポーツ選手と聞いてイメージする脳筋ではなく、努力家であるし、大学のスカウトが見ている大事な試合の前にチアのダンスに飛び入り参加してしまうようなお調子者、無邪気で憎めない奴といった感じ。とてもかわいい彼女がいる。その彼女スカーレットに妊娠していることを告げられる。
 
あろうことか、スカーレットが事実を打ち明けたのは、大一番の試合直前のコート横。
直前やで。スカーレットも動揺していたのだろうが、もう少し考えてから話せば良かった。「この試合でマイクがスカウトされれば将来は約束されたも同然。籍は入れさせた上でマイクを大学に行かせ、私は実家の世話になりながらマイクの出世を待つ。将来設計バッチリやでぇぇ。だから絶対にこの話は今言ったらあかん。スカウトさせるのが先や」と冷静に頭を働かせるべきだった(関西方面の方にはお詫びします)。
 
17歳ですなあ。私の心は腐った大人です。
 
しかし、その後、試合をおっぽり出してスカーレットを追いかけていき、「一番大事なのは君だ」と告げて逃げなかったマイクに私も胸キュン。何歳になっても、乙女心は捨てきれないのです。
 
だが、世間知らずのガキの幻想など、簡単に挫くのが世間というもの。バスケの道を諦めて凡庸な大人となったマイクは、どうやら無邪気な性格そのままに、「あのときのことがなければ、庭を整えるのに人くらい雇えたのに」などに代表される無神経発言を繰り返し、スカーレット(レスリー・マン)の心を少しずつ削っていったようだ。
そんなわけで現在の二人は離婚直前。マイクは職を失い子供たちにも軽んじられ、高校時代からの親友、オタクのネッド(トーマス・レノン)の家に居候している。反対にスカーレットは、得意の造園の技術を活かして自立しようとしていた(個人的にはスカーレットに庭造りのセンスがあるとは思えないが)。そんなとき、不思議な老人により、マイクは17歳へと戻されてしまう。
 

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面白いのが、これがタイムスリップではなく、マイクだけが高校生の身体に戻ってしまったこと。だから「離婚調停の日なのにどこにいるの!?」とスカーレットから電話がかかって来るし、ネッドが偽造した書類で入学した高校には、自分の子供であるマーガレットとアレックスがいる。そのため、「違う将来のためにやり直す」はずだった当初のマイクの目的は、如何に子供たちの道を正し、より良い環境を作ってやるかへとシフトしていくことになる。
 
17歳のマイクを演じたのがザック・エフロン。言うまでもなくハイスクール・ミュージカル(06)で一躍有名になったアイドル系俳優だ。そこからアホな役ばかりやっているイメージだけど、いい作品も多い。以前、当ブログで取り上げたグレイテスト・ショーマンでは、作品にもザックにもいいところが感じられなかったが、『セブンティーン・アゲイン』の後に観た主演『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』(15)はとても良かった。
 
 
監督のバー・スティアーズの他作品は、同じくザックとタッグを組んだ『きみがくれた未来』(10)が割と面白く、脚本を勤めた10日間で男を上手にフル方法(03)ではベタなラブコメをきちんとベタなラブコメにしていたのが印象によい。
 
 
◇母娘で観よう
ザック・エフロンのイケメンぶりに、同世代の女子たちがキャアキャアなったのは間違いないが、別の年齢層のハートも鷲づかみにしたことを忘れてはいけない。言わずもがな、スカーレット世代のお母さんたちだ。スカーレットを愛しそうに見つめたりハグするのは、ザックにとっては実に自然な行為なのだが、こちら側(アラフォー&育児と生活に疲れた誰かの妻または誰かの母親)から見れば、自分たちがピチピチなイケメンヤングに迫られているようなもの。
 
スカーレットがザックに言う「あなたたち世代って、母親くらいの女と寝てみたいんでしょ」の台詞に「マジで!?」と目ン玉が飛び出そうになり、スタイルのいいザックにリードされダンスを踊るシーンには、ときめくはず。つまり、高校生の夫と現在のままの自分という設定が憎いわけ。
 
ちなみにうちでは、後ろからチラチラ観ていた夫が、ザックがスカーレットを抱き上げるところで「イヤァァ!本人って言ったって、こんなのもう別人じゃないのよ!若い方がいいの!?」とおネエ言葉で騒いでいたが、うるさい、若い方がいいに決まっとろうがボケェ。
 
というわけで、17歳のザックに、それぞれ心を乱されるスカーレット&マーガレットは、そのまま画面のこちら側の観客層と合致する。母娘で鑑賞すれば、最高に盛り上がる映画なのではないでしょうか。
 
 
◇選択は同じ
女子二世代のハートをかき乱しながらも、この映画があくまで嫌味なく爽やかであるのは、ザックの行動が常に父親目線であるからだ。
 
ザックに迫ってくる尻軽な3人のギャルに「君たち、座りなさい」と説教するシーンが好き。「自分を大事にしないと軽く見られるだろ」というザックに、「軽く見て・・・」「わたし軽いの」と聞く耳持たずのギャルズ。挙句「名前も覚えてくれなくていいから」というギャルに他の二人が、「ワオ、それってすっごく軽い!」と、なぜか誰が一番軽いかの競い合いに発展。ザックお父さんもお手上げである。
 
ビッチ気味な娘は、とんでもなくアホそうな男(バスケ部)と所構わずチュッチュッしているし、息子はバスケ部員たちにいじめられている。流行りのファッションと髪型で外見を整えて、いざ再びの青春を謳歌するのかと思いきや、父親として子供たちの世話を焼いてしまうザックの焦り気味の行動がおかしい。性教育のクラスで、「婚前交渉はすべきじゃない」とイケイケの外見とは大きく矛盾する演説を打ったり、諭し方がいちいちおじさんくさかったり、これこそギャップ萌えというやつ。
 
そうかあれか、父、母、娘で観て楽しむ映画なのかっ!
 
と思いきや、離婚を進める裁判で、スカーレットへの手紙を読むあたりから、じんわりさせられるので油断がならない。個人的にああいう、咄嗟のアドリブ展開が好きなのだ。書かれていたはずのことが書かれてないとか、あるはずのものがないとか、ないと思ったらあったとか。分かるでしょうか。
 
さらに、20年前の状況が再現されるラストシーン。スカウトの前で行われる大切な試合で、ザックの行動に動揺したスカーレットは、あの日と同じように会場から出て行く。追うか否かの選択を迫られるザック。そして、結局のところ、「何度、過去をやり直しても自分の選択は同じ」であること、あのとき自分は人生最高の選択をしたはずなのにそれを忘れていたことを思い知る。
 
20年の時を経て、二人が「君は重くなったな」「あなたこそダイエットしないとね」と交わす会話が素敵である。17歳は輝いていた。37歳、綺麗な腹筋は消えて考え方も古くさくなったけれど、代わりに重ねたものがある。ここからまた20年後を、二人は違う形で迎えるはず。ほっこりしつつも身につまされる映画でした。
 
※疲れた主婦がイケメンヤングにときめく云々は一般論であり想像であります。また、やなぎや個人の趣味とは関係ありません。17歳とか、ザック・エフロンにときめくかボケェ。
 
引用:(C)2008 NEW LINE PRODUCTIONS