Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『アリー スター誕生』

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監督:ブラッドリー・クーパー キャスト:レディー・ガガブラッドリー・クーパー/2018年

皆さん、こんにゃちは。コロナはだいじょーびですか?

息子が新一年生になり忙しい日々を送っていました。しかし息子は、「お友達できるかな」とドキドキしながら通い始めた姉とは異なり、当たり前のような顔で出かけていき、当たり前のような顔で帰ってくる。

数日経って「お友達できた?」と訊くと「できないよ」と言う。しばらくして同じ質問をしても答えは同じ。時々、教室に様子を見に行ってくれているらしい娘(←優しい)によれば、「皆校庭に遊びに行ってるのに、一人で椅子に反対に跨りひたすらガタガタさせていた」「廊下で一人、タコのように踊っていた」らしいので、ちょっと不安に思っていた。が、通学班班長のミサリンから「朝、校門で男の子と『おう、○○!』ってタッチして一緒に教室行ってたよ」という情報がもたらされ、息子に「友達できたんだね」と再び訊くと「仲のいい子が3人いるよ」。「だって、いないって言ったじゃない?」と言うと、「おんかが『友達できた?』って訊いた日にはできていなかった」と。

なるほど・・・。息子の思考回路や発想は私のものとは異なるので気を付けねばなりません。

さて、そんなこんなで、本日は『アリー スター誕生』です!

 

◇あらすじ

音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。(映画.com)

映画好きの鬱陶しい友人S氏に「『アリー スター誕生』を観たよ」とメールしたら、「イーストウッドビヨンセで撮るはずだったんだよな」と返ってきた。多少の映画好きならまずそう言うだろうし、無視できない事実だよね。イーストウッドを愛するS氏がコレを観たならば、「イーストウッドなら、こう撮っただろうになあ」とイメージが湧くんだろうけど、私はイーストウッドについて知見がないので、そういった想像ができなかったのが残念。ちなみに知見があるS氏は、本をよく読むくせに言語化の能力を著しく欠いており、脳内でしか文章を書けないので代筆してもらえないのも残念です。


◇ガガ様が愛しくて仕方ない

歌手になることを夢見ながら地元のバーで歌うアリーレディー・ガガが、有名ロックバンドのボーカル、ジャクソンブラッドリー・クーパーに見出され、スターダムに駆け上がっていく様を描いた本作。

鑑賞後に少し巷のレビューを読んだんだけど、皆さんおっしゃる通り、アップショットが多いね。ってか、アップショットの嵐だね。観た後、映画好きの同僚(美女。好きな音楽映画は「ファッキン、テンポー!!」)にお勧めしたんだが、やっぱり「よかったけど、意味のないアップにちょっと笑ったわ」と言っていた。ただ私は、前半はそれがまったく気にならなかった。つまり、気にならないほど、物語に夢中になってしまったのであーる!
ガガが成功を手にするまでの胸が躍るような展開や歌唱シーンがとても好き。スーパーの駐車場で即興で歌を作るシーンや、クソみたいなバイト先を飛び出し、クーパーが手配したプライベートジェットでライブ会場に向かうシーンなどから伝わる高揚や疾走感、恋愛の喜びと歌に捧げる二人の情熱に、こちらの胸も熱くなる。

もちろん、この評価には、映画には直接的には関係しないガガの素晴らしい歌声が影響している。それくらい、ガガの歌にはグッとくるものがある。

さらに、激変する状況に追いつけず戸惑うガガの細かな仕草が愛しいこと。地元のバーの楽屋にクーパーが訪ねてきたときの「ワオ、嘘でしょ?」という表情だったり、大観衆の前で尻込みし、歌い出しはするものの何度も顔や口を覆ってしまう素振りなどが好ましい。彼女がプロのアーティストに徹し始める後半から振り返ると猶更、それらがなんとも初々しく、現実のガガも最初はこうだったのかな~、と想像してしまうほど素朴で自然体なのだ。もちろん、この映画には、「鼻を直さないと売れない」と言われたことなど実際のエピソードが採用されているわけだけど。

ちなみに現実のガガについて、あの独特の表現方法や言動は好きだが、楽曲はあまり響いてこない。私の中の好きな音楽の一つの基準として「聴き続けられるかどうか」があり、例えば最近で言えば、『オフィシャル髭男dism』とかKing Gnuとかさ、単発では「あ、いいじゃない」って思うんだけど、不思議と聴き続けてはいられないんだよねぇ。二、三曲で、もういっかな、となってしまう。残念ながら、ガガの音楽はこちらに分類される。

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◇クーパーが愛しくて仕方ない。

芸術やエンターテインメントの分野で成功を収める物語では、一旦は成就し、その後に今一度障害があり、愛する人や周囲の人間に助けられて立ち直るまでを描くのが定石だろうと思う。面白いのは、本作では堕ちていくのが、スターになったガガではなくパートナーのクーパーだということだ。ガガは、この映画の中で超優等生である。クーパーのバンドで歌ううち、著名プロデューサーにスカウトされて契約する。当初は「私の武器は歌よ」と主張するものの、彼のアドバイス通りダンスを学び衣装や髪型を変えて、歌手に留まらないアーティストとしてグラミーにノミネートされるまでになっていく。そして、その傍ら、アル中のクーパーを支え続ける。

つまり、人に頼りながら依存せず、自分の道を突き進むために努力を怠らない真面目で賢明な人物であるわけだが、クーパーの方は残念ながら、彼女ほど心の強い人間ではなかった。恐らく近い将来絶たれてしまう音楽の道、また離れていくガガに焦燥し、孤独感に苛まれて酒に溺れていってしまうのだ。ここからの、酒に逃げ、立ち直ろうと酒を止め、障害にぶち当たってまた酒に逃げる・・・を繰り返すクーパーにはハラハラさせられる。特にグラミー授賞式で最悪の失態を犯す際の演技はリアル。

突然ですが、ここで、誰よりも酔っ払いに詳しい私、やなぎやが酔っ払いについて解説しましょう。私自身は酒が飲めません。それほど親しくない保育園のママに飲み会で「やなぎやさんは、まずポン酒でOK?」といわれ、ある知り合いの夫婦に酒飲めないと告げたら、「今年一番驚いたな」「ホントね・・・」という、本来夫婦二人になってから交わすべき会話を目前で聞かされた私ですが、体質的に飲めないんだよね。なのに、なぜか周囲は夫を筆頭に酒好きばかり。しかもこいつらが「明日を考えて飲むなど愚の骨頂」みたいな飲み方するので、素面で付き合っている側にしたら、思うところは色々あらぁな。

<酔っ払い初級>
・言葉が通じない。
・性格のイヤなところが出る。
・その場で寝る。起きない。
・翌日、何も覚えていない。

<酔っ払い中級>
・帰宅して素っ裸で寝ていたら、マンションの窓を掃除していた人と目が合う。
・できないくせに、意地でもなんか(皿洗いとか)やろうとする(結果できない)。
・トイレに行ったと思ったら、全く別の店から「何階だっけ?」と電話してくる。
・帰ってきたと思ったら、大量のクリスピー・クリーム・ドーナツを持っている。
・超、爪を立ててくる。
・財布を掏られる。

<酔っ払い上級>
・接待中、トイレに行くと言ってそのまま帰宅。
・帰りの電車で隣に座ろうとしたデブを「座らないでくれる?」と睨む(理由:デブだったから)。
・ホームレスと一緒に段ボールを被って夜を明かす。
・新宿に向かっていたはずなのに、雀宮(栃木県宇都宮市)にいる。
・栃木名物「レモン牛乳」の写真を送ってくる。

 

ムカつくぜぇぇぇ。こんだけやらかして、「俺たち(私たち)アホでーす。同じアホなら飲まなきゃ損、損!」とか思ってるのがホントむかつくわぁぁぁ。

だからさ、グラミーのシーンは、「ああ、やめて・・・今はやめて。むりしなくていいから家に帰って。」と祈りながら観たよ(そういう意味では、私の中でこの映画の主役はクーパー)。

でも。でもね、奥さん。ダメンズと嫌う前に聞いて。クーパーの愛らしさはヤバイんですよ。大体、この男、超イイ奴なのだ!アル中って点を除けばね。ガガの怪我した手に冷凍豆の袋を巻きながら、孤独な生い立ちを語るあたりからモウダメ。ファンのサイン要求に快く応じ(しかも偽オッパイにサインしてくれとか言う)、何か歌ってよという不躾な願いにも誠実に応えてくれる。スーパーの店員に無断で写真を撮られても、嫌な顔一つしない。スターであるのに傲慢さがないのだ。

ガガを自分たちのステージに引っ張り出し、彼女がようやく歌い始めたときの嬉しそうな顔。そして、ガガが別の世界に踏み出すと知ったときの、無言で頭をぐりぐり押し付けてくる嫉妬の示し方とかさ、うわー!ダメなやつなんだけど、かわいい。過去に「映画の登場人物に感情移入して、共感できないから評価しないなんておかしくない?」と偉そうに言ってきたが、私はこの映画でクーパーに思い入れた、感情移入しまくって泣いた。矛盾してるんじゃないかって?うるせえ、矛盾せずに生きてる人間なんかいんのか。

ただですねぇ、ただですよ、奥さん。この辺りから、うむ、アップショットが気になり出した。前半の華やかさに対し、後半は否が応でもクーパーの危うい精神状態に目を向けることになるので、それまで気にならなかったものが目についてしまったって感じかな。特にクーパー&ガガ、クーパー&アル中施設の職員のおじさん、ガガ&パパなどの一対一での会話場面が多く、さらに長く、交互にアップで映すだけなのはツライ。

それで思い返してみれば、この映画の欠点は、肝心のライブシーンに奥行きが感じられないってことではないだろうか。例えば、地元のバーでガガが『ラ・ヴィ・アン・ローズ』を歌う二人の出会いの場面、ここは無名時代だからこその、客との距離の近さが重要だと思うのだが、ステージからガガが下りてくるところ、そして客の間を歩くシーンでは彼女の上半身しか映っておらず、全体の雰囲気が分からないのだ。バンドのツアーに参加してからは、これまでとは比較にならないハコで歌っているにも関わらず、大歓声は聞こえど、ガガから見た客席、逆に客席から見たガガという画がほぼなく、臨場感が伝わってこない。ライブシーンが良かっただけに勿体なかった。

役者としての二人はとても素晴らしかったと思う。監督としてのブラッドリー・クーパーは・・・分からない。

引用:
(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC