『バーフバリ』
監督:S・S・ラージャマウリ、キャスト:プラバース、ラーナー・ダッグバーティ/2017年
第一回目の『軍旗はためく下に』の感想を書いた後、各所から「一発目はもっと明るい映画にすればよかったのに」と意見を頂きました。ただし親友のリエコからは「次は『キャタピラー』で」と言われました。
あと、ブログ名を考えてくれた同僚から突然請求書が届きました。ネーミング考案費100万×5件、プロジェクト管理費500万、しめて税込1080万円。聞いてないよ。
しかも「戦争万歳、戦争万歳言ってんじゃねェ」と言われたので、私の反戦の気持ちは一ミリも伝わらなかったようです。
さて本題です。 明るい映画、書いたる。
◇「バーフバリーィ!」
観た人はみんな「バーフバリ!バーフバリ!」と我を失い、観てない人は滝つぼに落ちるらしい。イヤ、滝つぼめっちゃ怖い。というわけで、今更感がありましたが、観ました。
前編『伝説誕生』と後編『王の凱旋』から成り、マヒシュマティ王国の正当な王バーフバリの波乱の生涯を描いたもの。バーフバリ息子の現在パート⇒バーフバリ父の過去パート⇒再び息子パートと展開していきます。ストーリーはまあいいでしょう、パッケージを見ればわかるんで。
ネガティブな感想になるので先にフォローしとくと、私もそれなりに熱くなり、飼い猫の前足で「ニャーフバリ」と遊んでたし、「これを法と心得よ!」は今も家庭で使っている。「マヒシュマティ」の響きはなんかクセになるし、カッタッパの両膝ズシャー!スライディングからの「バーフバリーィ!」は楽しいシーンだ。
だが総じてキツかった。
◇エフェクトと恐喝演出がいくらなんでも鬱陶しい
昼に撮影した映像にエフェクトをかけた夜のシーン。夜という夜がエフェクトの嵐だもんで、平衡感覚に異常を来しそうでした。夜は夜でしょ?夜って大事なものだよ、夜の雰囲気を活かそう?「闇夜のバーフバリの顔」を躍起になって映さなくても、伝わるから彼のすごさは。
さらにCGとスローモーションの多用で悪酔いしそう。これでもかと繰り返される、「みなこの男を愛せ」と恐喝してくる演出も辛い。民衆は都度都度パアッと彼に見惚れ、カッタッパがまたパアッと見惚れるんだわ、つぶらな瞳で。年甲斐もなく。
私が基本的に、不言実行、言わぬが花、「負けなければいい」っていう人(ヤン・ウェンリーとか、ヤンとかウェンリーとか)が好きなので醒める、いや楽しいんですよ観てる最中は、でも段々白目になっていくのは否めないのよ。
◇各キャラクターにわりと魅力がない
主要人物はみな一見魅力的なんだけど、基本的にバーフバリを溺愛するか憎悪するかのみでキャラが成り立っているので、最終的にダダダとダダ崩れる印象。例えばシヴァガミ妃は、『伝説誕生』では威厳深く意志を持つ女性として描かれていたのに(川から腕一本の画はよかった)、結局つまらぬ嫉妬と意地で自滅する。
なによりバーフバリと親子に等しい関係であり、ラブラブな蜜月を過ごしまくったカッタッパが、なぜああいった決断に至ったのかがスカスカなので消化不良なのだ。
大体カッタッパってば、ご飯は別の場所で食べているけど、シヴァガミ妃には重用されてるしバーフバリには慕われてるし、バラー親子への態度は割と不遜、あまり奴隷の悲哀が感じられないのである。王家に囚われる奴隷の抗いがたい立場と苦悩をもう少し描いていれば、あの決断シーンにもっと深みが生まれたのではないだろうか。
◇権威に対する畏怖が理解の範疇外
最後はこれよ。バーフバリ自身は、奴隷を父と慕い、母より妻の言に耳を貸す現代的な人なんだけど、彼を取り巻く人々の、権威的なものに対する浮かされ方が尋常でない。
男らしさをこれ以上なく体現するバーフバリに、男勝りのヒロインは自分が女であることを知らしめられ、兵も奴隷も民も彼を愛し運命を託す。バーフバリが一声発すれば、誰もが極限状態で奮起する。
全編通し、権威的なものに対する盲目的な崇拝、依存、熱狂、それに逆らった者に対する報復の苛烈さが異様で、カーストという独特の制度が根付く社会から生みだされたことを考えると、何とも居心地が悪い。
あと、端的に飽きた。本来ならば一番盛り上がるべきラストのバラーとの対決シーンで、「やれやれまた始まるのか、どっこいしょ」と掛け声をかけなければ起き上がれなかった私。
始めは「わあ『ベン・ハー』みたい」とわくわくしたバラーの乗り物も、ラストでは「あ、まだこれに乗ってたんだ。この牛って、見たことない感じだけど何種?なにとなにが掛け合わさって出来た種?」など冷静。
映画に矛盾だタブーだ言うのは好きじゃないし、不自然な設定や違和感を二の次に、ねじ伏せられてしまうような映画はもちろん存在すると思うんだけどね。さすがに長すぎたのでは。カーラケーヤとの戦闘シーンは好きだったけどなあ。