Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『最初に父が殺された』

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監督:ジョンジョリーナ・ジョリー キャスト:スレイ・モック・サリウム、ポーン・コンペーク/2017年
 
◇あらすじ
1970年代、内戦下のプノンペン。少女ルオンは政府の役人である父や家族に囲まれて裕福な暮らしを送っていたが、反米を掲げるクメール・ルージュの侵攻により、わずかな荷物だけを持ってプノンペンを追われることに。(映画.com)
 
忙しくて泣きそうです。しかし以前、実弟に「すぐ忙しいっていう奴ってアレよね」と鼻で笑われたので、耐えております。そんな中でも更新する私をほめて。でも、前にインスタに書いた映画なのは許して。
 
私の友達は愉快な人が多いですが、中でもピカイチ面白いつっちーが以前『最初に父が殺された』の感想を読んで、「まず題名がカッコいいな。『風呂場でイチャイチャしてるやつらが最初に殺された』じゃ締まらないもんな」と言っていました。それは13日の金曜日だね。好きだな、いつも、君の発想。
 
◇ジョンジョリーナ
ご存知の通り、私はジョンジョリーナが好きではない。ご存知じゃない。すみません。
特に
「ウッハー!」系の映画だと顔がうるさいのであまり観ないのだが、低評価の主な原因は彼女が監督した駄作『不屈の男 アンブロークン』のせいだ。内容を簡単に言うと、ジョンジョリーナとコーエン兄弟が作った、第二次大戦中に日本軍にとっ掴まってイビられながらも頑張ったアメリカ軍パイロットの話。
 
ジョンジョリーナは自分のライフワークの延長で映画を撮っていると理解している。初監督作品の『最愛の大地』は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台に、戦争の前では愛すら無力であるというテーマを淡々と描いてみせた、なかなかの良作だった。ジョンジョリーナの経験が生きた映画だったし、これは割と好きだった。彼女が監督として評価されるとしたら、自分の興味や熱意でテーマを掘り下げる、努力型、研究型としてではないでしょうか。 
 

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セルビア人の男とムスリム系の女の悲劇的な恋愛を描いた『最愛の大地』。レイプシーンが結構キツイ。
 
しかし、『不屈の男』はスシ・ゲイシャ・フジヤマレベルの浅い日本観でお撮りになったため、内容がぺらぺらだ。戦争映画は敵側もきちんと描いてもらわないと!鼻息を荒くしている、とある日本婦女子の怒りを買った。また、ねちねち虐待を繰り返す日本軍伍長を演じたのは何故かミュージシャンのMIYAVIで、彼に遺恨はないが、あまりになまっちろい上、何故そんな絶大な権限を持っているのかがわからない点も消化不良。さらに申し訳程度にその伍長もまた人間なんだよ的な演出を入れるなど、映画を観て反感を覚えるだろう日本人側にやっすい配慮見せやがって、気分が悪いわ!やるなら徹底的にやれ。平等な戦争映画なんてあるはずないんだから。
 
念を押しておくけれど、日本人だからつまらないと感じるわけではなく、たぶん全世界の映画好きが「退屈だわあ」と感じると思う、そういうこと。
この映画でジョンジョリーナとコーエン兄弟は日本に全く興味がありませんと公言してみせた。別に興味もってほしい訳ではないのだが、ならあんな映画も撮らないでほしい。しかし彼女がもし日本人の養子を迎えたならば、風向きが変わったと判断してオーケーです。
ほら、ライフワークの延長だから。
 
カンボジア人の養子は迎えているので、『不屈の男』の何十倍もの誠意をもって、『最初に父が殺された』を撮ったことは明白なのです。
 
◇本題だよ
カンボジアでのポル・ポト政権による大虐殺について、私が浅い知識を披露します。
アメリカがベトナム戦争に敗北して撤退すると、カンボジアではアメリカの後見を受けていたロン・ノル政権が崩壊。首都プノンペンに、反ロン・ノル政権の共産主義組織クメール・ルージュが乗り込んでくる。このクメール・ルージュ(KR)の最高指導者が悪名高いポル・ポトですね。
 
KRは中国に支援を受けていたため、ソ連との関係が深い隣国ベトナムと対立する立場を取り、また極端な原始共産主義を掲げた。これは一切の私財と身分を捨てて得たものは平等に分け合う、生計の道は労働のみとし、宗教や学問、技術など文化的なものは全て否定するというもの。僧侶や知識人、技術者、政府の職員などは排除の対象であり、彼らが多く居住している都市部から人々を農村に移動させ、過酷な労働を強いた上、虐殺した。
本作では、父親が政府高官である裕福な家族が都市部から追われ、7歳の娘が生き残るまでの過程を描いている。
 
この映画のポイントは、言うまでもないのだが、少女の目線を徹底しているということ。子供は、理解のできない状況になると押し黙る。理不尽を感じても、その原因もわからないし抵抗する術を思いつかないためだ。主人公のルオンは勇敢で賢い子だが、ほとんど言葉を発さないのは子供の本能のためだろう。そのため、劇中ではセリフや音楽が極力排除されており、カメラは周囲の状況とルオンの表情のみを追う。
過酷な状況が無表情と色の少ない画像で表現されるのに対し、ルオンが時々見る夢は色彩豊かで、過去と現在の境遇の落差を表す。
 
ジョンジョリーナが撮りたかったのは、子供がどれだけ柔軟に周囲の環境に順応していくかと、それゆえの恐ろしさ。
最後の望みの綱である姉の行方が分からなくなってからは、無表情のルオンに初めて表情が生まれる。それはルオンから自発的に生まれたものではない、KRに刷り込まれたベトナムを倒せ!の精神によるもので、明らかに意志を持った顔つきで軍事訓練に励むようになる。
 
彼女が一介の少女から兵士になりかけていたことは、カンボジアに侵攻し結果的にルオンたちを解放したベトナム軍の兵士を激しく睨む視線に表れる。だが、その後に森の中で、ルオンたちが以前埋めた地雷に民衆が次々吹き飛ばされる凄惨な光景を目の当たりにし、こちら側に引き戻される。
 
『ジョニー・マッド・ドッグ』の子供達は「完成」してしまっていて、彼らが戻れないことの悲劇を描いていた。それに対してルオンは未完成の状態で引き返すことができた、そういう意味で『ジョニー・マッド・ドッグ』や『最愛の大地』とは異なるハッピーエンドだった。子供の思考、反応をよく知るジョンジョリーナが扱う作品として良いチョイスだったなと思う。
 
アレ?なんだよ、ジョンジョリーナ。反日の映画も撮り直せ!
 
気が付けば半分は『不屈の男』への文句になりました。
誰か、ジョンジョリーナの女優としての魅力を教えてください。
よい週末を!