Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『エール!』

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監督:エリック・ラルティゴ キャスト:ルアンヌ・エメラ、エリック・エルモスニーノ/2014年
 
席で仕事してると、なんやかんやと邪魔が入るので、リフレッシュスペースで仕事してたのに、今度は仲のいい同僚が「ねえ、この紅茶の匂い嗅いで~。大好き、この香り~」などとティーパックを鼻先に突き付けてくる。いい気なものね。
 
今日は間に超無駄話が入っているので、さっさと映画のご紹介に入ります。
 
 
◇あらすじ
フランスの田舎町で酪農を営むベリエ家は、高校生のポーラ(ルアンヌ・エメラ)以外の全員が聴覚に障害を持つ。家族の手伝いに追われ、好きな男子に声も掛けられない高校生活を送っていたポーラだが、音楽教師のファビアン・トマソン(エリック・エルモスニーノ)に歌の才能を見出される。だが、耳の聞こえない家族から理解は得られず・・・。
 
イケてない高校生活、男子生徒へ憧れと失望。身につまされるわ。
 
意志の伝達手段が手話のみのポーラの両親には、会話をオブラートに包む習慣がなく、感情表現はオーバーかつストレート。個の強い人間に囲まれている上、日常生活の多くが家族のサポートで占められるポーラは、友人に比べて未成熟であり、これは高校生になってもまだ生理が来ていない状況に明らかだ。
 
そんな中、音楽教師ファビアンに歌の才能を見出されたポーラは、やがてパリの音楽学校に進学するための試験を受ける決意をする。歌を介した、憧れのガブリエルとの接近も、新たな世界への扉を開くこととなる。
 
自分の可能性の発見、閉鎖された場所からの脱出、自立といったテーマは、大好きなリトル・ヴォイス(1999年)やリトル・ダンサー(2000年)と共通するものがあるなあ。ただこの映画が面白いのは、ポーラの才能が、家族には理解したくとも理解できないものである点だ。
 
リトル・ダンサー』におけるダンスは、父親にとって受け入れがたいという点で乗り越えるべきハードルは高かったのだが、最終的に父は息子の意志を尊重し、それにより息子の才能を知ることができた。だが、ベリエ家がポーラの歌声の素晴らしさを実感することは、どう頑張ってもできない。なんとも皮肉な話である。
 
パパとママはセックスにやたら貪欲で開けっぴろげだが、これは「人の目」や世間の常識からフリーであるため、性的なものに対して羞恥する習慣がないだけのことだ。ポーラには、二人の獣のような声が壁越しにも聞こえるし、他人の、家族を揶揄するヒソヒソ声も聞こえてしまう。聞こえない人間の無頓着な気楽さと、聞こえるがゆえの苦痛。ベリエ家の中では不幸なのは障害を持つ三人ではなく、聞こえてしまうポーラということになる。

社会では「普通」の自分が、家族という重要なコミュニティでは異質、これはなかなかに辛いことではないだろうか。だからポーラは、家から学校に向かうとき、大きな音で音楽を聴き、「音」に対する自由を味わう。
 
愛しいと同時に鬱陶しい、それが家族。
 
 

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束の間の自由を満喫するポーラちゃん。

(C)2014 - Jerico - Mars Films - France 2 Cinema - Quarante 12 Films - Vendome Production - Nexus Factory - Umedia
 
 
 
さらに語るべきは、この年頃の男子特有のデリカシーのなさ。デュエットの練習のためポーラ宅を訪れたガブリエルは、そこで起こったある出来事と家族の変人っぷりに尻込みしてしまう。ガブリエルに「恥」を見せてしまったポーラは、彼の良識に期待するのだが、彼は見事にそれを裏切る。パリで育ち、貴公子的な容姿を持つガブリエルも、所詮中身はガキということだ。
デリカシーを持って相手を思いやる、そんな気の利いたガキなど高校生にまずいない。
 
ちょっと鼻息が荒いね。ここは私の中のリトル・ヤナギヤ(※)と話して落ち着こうかしら。
 
※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑ACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間では、決断に迷って自問自答する際に使用される。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」
 
リトル・ヤナギヤ「随分ムキになるじゃない?何か苦い思い出でもあるのかしら」
やなぎや「高校時代を思い出しちゃたわ。近くの男子校のコーラス部のコを好き
になって、友達伝手で連絡してデートすることになったの」
リトル・ヤナギヤ「あらすてき!それで?」
やなぎや「デートの日、彼は友達を連れてきた上、『緊張しすぎたから帰る』って
マックでメシ食って帰ったわ」
リトル・ヤナギヤ「オウ。。」
 
やなぎや「後日、そのコがうちの文化祭にくるって友達から聞いたの」
リトル・ヤナギヤ「仕切り直しってわけね!」
やなぎや「ところで私と同じ部活に、他校の男子と遊び回っているビッチがいたわ。
そのビッチとトラブッた男子生徒が、文化祭当日うちの部に押しかけてきたの。ビッチは『やなぎや、ごまかして!』と隠れてしまい、『ねえ、○○(ビッチ)どこ』とキレて詰め寄る男子生徒に、私は口を半開きにしてひたすら相手の目を見つめるという戦法に出、ついに追っ払った。後輩たちに、やなぎやさんカッコいい!って騒がれたものよ」
リトル・ヤナギヤ「で、あなたの目当ての彼は・・・」
やなぎや「来なかったわ」
リトル・ヤナギヤ「それから連絡は・・・」
やなぎや「ないわ。3年間女子だけで楽しく過ごしたわ」
リトル・ヤナギヤ「オーケー、そろそろ映画に戻りましょう?」
 
 
 
この映画は、ラストが感動的と高評価される一方で、「下ネタが多い」「子供のことより自分を優先する両親が信じられない」との理由で批判もされている。後者は、どうでもいいので割愛。
下ネタ問題について、ポーラの両親の赤裸々な会話と行為は、夫婦間の性を隠す傾向の強い日本人には受け入れがたいのだろう。特に子供ができると、パパとママの顔が優先され、子供の前で男女の関係を見せるのは気恥ずかしく、やがてタブーとなっていってしまう。
 
そんな日本人の、さらに真面目な人々からしてみれば、娘に夫婦のセックス問題を通訳させたり、隣の部屋で大音量で喘ぐなど言語同断。つまりは下ネタがキツイというより、蓋をしておくベき夫婦の性的な関係を堂々曝け出していることに対する拒否反応、嫌悪感なのだよ、わかったか。しかしもっと柔軟になった方が人生楽しいよ。
 
また子供たちにもそれぞれ、性を意識させる場面が訪れるが、子供期を脱出して青春期に向かうにあたり、これも避けては通れない扉。ガブリエルとの間に官能を覚えたことでポーラが初めての生理を経験するのは「性の目覚め」を意味し、歌の才能の開花とともに、ポーラが違う世界に飛び立つことを示す重要な題材だ。

これらを「下ネタ」と呼んで眉を顰めるのは、特に羞恥心の強い日本人特有の感覚なのではないかしら。他国で、不快感を伴う表現として捉えられているのか是非知りたいものだ。
 
 
◇何といっても、歌!!
劇中で取り上げられる歌はすべて、1970年代に多くのヒット曲を生んだフランスの歌手、ミシェル・サルドゥの楽曲だ。古き良きフランス歌謡曲という位置付けなのだろうか、ファビアンが、クラスの課題曲としてサルドゥの名を挙げると、生徒から「ダサい」という声が飛ぶ。現代の高校生から見れば古くてダサい、日本でいうなら昭和の歌謡曲のような扱いなのだろう。

ファビアンは「希望がないときは、ミシェル・サルドゥしかない」と反対の声を一蹴。
昔は華やかな仕事に就きながら現在は落ちぶれている男の、妙に説得力のある台詞だ。
 
生徒たちが発表会で合唱した「La Maladie d’amour(恋のやまい)」は非常に美しい曲で、エンディングでも流れるから是非余韻に浸って頂きたい。またこの曲は、私たちのジュリーこと沢田研二が「愛の出帆」という題名でカバーしたことでも有名。これも是非、聴いて頂きたい。ジュリー、最高。
 
サルドゥの歌は抒情的で郷愁を帯び素晴らしいが、どの楽曲も、ポーラの状況とマッチする形で使われているのがまた良い。ガブリエルとのデュエット曲「Je vais t’aimer(愛の叫び)」は、ポーラの性の目覚めとリンクしていたし、パリの試験会場で歌った「Je Vole(青春の翼)」は彼女の心境を完璧に代弁している。
 
 ねえ パパとママ 僕は行くよ 旅立つんだ 今夜
 逃げるんじゃない 飛び立つんだ
 
発表会で「愛の叫び」を披露するシーンでは、敢えて観客の耳を両親の耳にする演出が為された(つまりなにも聞こえない)。ポーラが「青春の翼」を歌い出しても、家族の反応は発表会のときと同様、音のない歌を見つめるのみだ。
 
同時に無音を経験した観客の心情は、ポーラを応援する気持ちからいつの間にか、娘の声を聴くことができない両親の方へと傾いている。
それゆえ、試験の場でポーラが咄嗟に行ったパフォーマンスは、両親を驚かせると同時に観客も驚かせることになる。無音はうまい演出だった。
 
場面が転じるとポーラが荷物を詰めており、試験に受かって家を出ていくことがわかる。これも『リトル・ダンサー』を思い出してしまうよね。

何度繰り返し同じような映画が作られようと、私は少年少女が田舎町から羽ばたく映画が好きなんだよ。
 
リトル・ヤナギヤ「あ、ジュリーの愛の出帆を聴いてくださいね。」