Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『殺人者の記憶法』『殺人者の記憶法 新しい記憶』

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監督:ウォン・シニョン キャスト:ソル・ギョング、キム・ナムギル/2017年
 
こんにちは。うちの家の近所は、とにかく老人が多いんです。
 
そうそう、今朝、職場(赤坂)の駅のエレベーターにコンビニで買ったコーヒーを持って乗っていたら、小さい爺さんが「そのコーヒーは、ちゃんと暖かいのですか?」と上品に話しかけてきました。「持ってみますか?」とカップを渡したら、「ほっほ、結構熱いのですね」と微笑まれまして、降りるときは「レディ・ファーストですから」とエレベーターのドアを開けてくれました。
 
そんな爺さんならいいんですよ。しかし、うちの近所のジジイどもは、そうではなぁい。真後ろの家のジジイと左側の路地奥のジジイについては、新居を建てている最中、音がうるさいだのお宅の住宅メーカーの営業の態度が悪いだの文句言われたことを、私は根深く恨んでいるのです。
 
引っ越し当初、「やるならやったるでー」と腕まくりしていたのですが、夫が「あんな分かりやすい人たちを転がせないでどうすんのよ」と、どらやきを持って出掛けていき手懐けてきました。ちっ。
 
住んでみれば、やはり例のジジイ二人が突出して横柄。また暇なもんで、朝早くからふらふらと近所をパトロールしているのですが、あちらから挨拶をしない。私は毎日会うたびに、「今日こそお前から挨拶せェや。なんで毎回毎回私から挨拶せなあかんのじゃ」とジトーッと見るのですが、してこない。仕方なく「おはようございます」というと「はい、おはよう」。なんだよ、はいおはようって、うちの社長かよ。
 
と夫に話したら、夫が笑って「俺には、普通にあっちから挨拶するよ」。
きー。ジジイども、人見て使い分けてやがる。
 
なお、私が将来目指す老人像は動物のお医者さんのハムテルのおばあさんです。
 
というわけで・・・というわけでって、全然繋がってないよもー。本日は、老いた殺人鬼VSルーキー殺人鬼の戦いを描いた映画をご紹介、これが同じ話を2つのパターンで別の映画にした変わり種です。あなたは殺人者の記憶法派?それとも、殺人者の記憶法 新しい記憶』派!?ネタバレはしませんが、予想できてしまうかもしれないので、よろしくネ。
 
 
◇あらすじ
かつて連続殺人犯であったビョンスソル・ギョングは、アルツハイマー病に侵され、記憶の喪失に度々悩まされつつも、娘のウンヒ(キム・ソリョン)と静かな日々を送っていた。ある日、道路で接触事故を起こした相手の男ミン・テジュ(キム・ナムギル)が、自分と同じ殺人鬼ではないかとの疑いを持つ。
 
ったくねー。面白い映画を作りやがるよねー、韓国は。こんな不穏ながら哀愁に満ちたサイコスリラーを、今の日本に作れるかしら。きー、悔しいわあ。
 
観る順としては『殺人者の記憶法』が先なのだろうが、私は何も考えずに『殺人者の記憶法 新しい記憶』から観てしまった。特に問題はないが、片方を観たら、もう片方が気になるのは間違いない。
 
内容は、古参の殺人鬼と新参の殺人鬼が偶然に出会い、互いに相手を消し去ろうとするもの。家族を虐待する父親を殺したことをきっかけに、制裁を受けるべき人間への私刑を繰り返してきたビョンス。彼は、十七年前の事故が原因でアルツハイマーを患っている。ある日、霧の濃い道で接触事故を起こしてしまい、ぶつかった車のトランクから血が流れていることに気づく。そして、事故の相手ミン・テジュが自分と同じ殺人者であること、最近付近で起こっている女性の連続殺人が彼の仕業であると確信を抱く。
 
「同類」の匂いを感じ取る霧のシーンから二人の戦いは始まる。「殺人鬼」という一風変わった設定ではあるものの、要はベテランVSルーキーの意地のぶつかりあい。新旧世代交代が為されるのか、経験値の高い方に軍配が上がるのか?緊迫感のあるストーリーとなっております。
 
 
ソル・ギョングが素敵。
ビョンスを演じたソル・ギョングの出演作はシルミド』(2003)力道山』(2005)が有名だと思うが、イ・チャンドン監督の『ペパーミント・キャンディ』(1999)『オアシス』(2002)がとても良い。韓国とNHKの合作である『ペパーミント・キャンディ』は、ソル・ギョング演じる一人の男が、同窓生がピクニックを楽しむ河原にふらりと現れて鉄道で自殺を図る場面から始まり、そこに至るまでの20年間を過去に遡りつつ、七つのパートに分けて描いた映画だ。
 
疑り深く汚い人間である男の辿ってきた人生を追い、20年前は写真家を夢見る心優しい青年であったことを知る頃には、なんとも言えない感動に包まれる。「次に何が起こるのか」がよく読めないまま少しずつ過去に戻り、戻る度に、初恋の女と添い遂げられなかったこと、その理由などが明らかになる。嫌な男が、映画が進むに連れ、少しずつ嫌な男ではなくなっていく、これが不可思議な感覚を生む。
 
過去への遡るたび、電車の逆回しのショットが挿入されるが、印象深いのは、三つに分かれた分岐のうち一つの線路から電車が逆走していく画だ。過去から未来に進むのであれば、男には様々な選択肢があるはず。違う分岐を選べば、もしかしたら警察官にならず暴力を振るわずに済む未来があったかもしれない。あるいは、初恋の女に正直な思いを告げられていれば。愛のない結婚をしていなければ。だが、電車が戻る先の線路は一本で、もはや変えられない過去を示している。床に散らばる、二人の純愛の象徴であるキャンディの白さも切ない。
 
すっかり『ペパーミント・キャンディ』に脱線してしまいました。いい映画なのでお勧めです。
 
さて、本作では体重を落とし、老いた殺人者を演じたソル・ギョング。言われなければ『ペパーミント・キャンディ』の主人公と同一人物とは気づかないほど念の入った役作りだ。『力道山』では体重を増やしていたしね。
 
ビョンスに記憶の消失が起こるときの合図が顔左側の痙攣なのだが、この恐ろしい反応を境にした、殺人者の顔から好々爺への変貌ぶりは見ものである。ただ、役作りよりも何よりも、本作で楽しいのはソル・ギョングの一人芝居。悶々したり鬱々したり頭を掻きむしったり、とにかく一人芝居が多い。緊迫した雰囲気と矛盾して、ちょっと微笑ましく思えるほどだ。
 
特にね、ミン・テジュを疑っているときに「町内に殺人犯が二人。」と独りごちるのが好き。「町内に」って。「ご町内に芸能人が二人も」とかじゃないんだからさ。「この街に」とかで良くない?いや、翻訳の問題なんだけど。
 

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ご町内に殺人鬼は一人でいいのだ」と怒るビョンスさん。
 
また、キム・ナムギルの、ピチピチでフレッシュなサイコパスぶりもよい。ナムギル演じる新参の殺人鬼ミン・テジュは表の顔は警察官。犯罪者を追っている最中、ガタイのいい相手に捕まり首を締め上げられる。その状態のまま無表情に腰のベルトを外し、壁を使って逆に相手の首を絞めるシーンが恐ろしい。この数分で、彼が修羅場をくぐってきた人物であることと、冷徹な人格がビシッと印象付けられる。
 
・・・ビョンスだのギョングだの、ナムギルだのテジュだの分かりにくいでしょうが、一応、劇中の話をするときは役名で、俳優の話をしたいときは俳優の名前で書いてます、だから頑張って。
 
 
アルツハイマーの使い方
面白いのが、アルツハイマーによる記憶の消失が、ビョンスの思考を邪魔するノイズ・障害となる一方で、彼の別の顔、煩わしい記憶や不安や柵から自由になった素の部分を引き出し、ユーモラスに見せる装置となっている点だ。
 
ノイズは「あいつが連続殺人犯だ」「あいつは娘を狙っている」と頭に刻み付けたはずの警告を、全て反故にしてしまう。だが、痙攣を起こした後ですっかり記憶を失ったビョンスが、「以前お会いしましたっけ」「娘をよろしくお願いします」など邪気ない目でテジュを見つめるそのギャップが面白い。観客は基本、ビョンスの裏の顔を見ており、彼が殺人鬼の仮面を取った後の「表の顔」はどのようなものなのだろうという純粋な好奇心を満たしてくれるわけである。
 
例えば、ビョンスが映画館で娘ウンヒを探すシーン。テジュはビョンスへの威嚇のためにウンヒに近づき、ウンヒは魅力的なテジュに惹かれている。ビョンスは彼女を連れ戻そうと、映画館に駆けつけるが、途端に例の痙攣が起こってしまい、次のショットでは座席に座り、他人のポップコーンをばくばく食べつつ映画を楽しんでいる。人より反応のタイミングが遅れると序盤に説明される通り、他の観客が大笑いしているときは真顔、周囲が真剣な表情で画面に見入るときに大笑いをするズレが、なんともおかしい。
 
まさかこの映画を観て、「アルツハイマーの描き方が医学的に正しくない」「病人を笑うなんて不謹慎だ」などと言う人がいないことを祈ります・・・。
 
残念なのは、レコーダーがうまく活かされなかった点。
ビョンスは、度々欠落する記憶を補うため、日々の出来事をレコーダーに録音している。当然こちらとしては、終盤、このレコーダーがカギとなり、例えばメメント(2000)のように、これまでの認識や記憶がひっくり返されることを期待する。
 
しかし、ビョンスが録音を聞いて知るのは、あくまで「過去に起こった事」であるので、彼にとって初耳でも、観客にしてみれば既成の事実の繰り返し(少なくとも『殺人者の記憶法』では)。また、知らぬうちにウンヒがレコーダーに吹き込んでいた内容を聞いて娘の危機を知るなど、あくまで事実を一歩遅れて認識するに過ぎない(ストーリー上いくつかの引っかけはあるが、これにレコーダーは何ら関係してない)。
 
 
◇二作品の違い
殺人者の記憶法』『殺人の記憶法 新しい記憶』との違いだが、構成や編集が若干異なるのと、いくつかのシーンが追加・削除されている。

殺人者の記憶法』の方のみにある、ウンヒがビョンスの髪を切るシーンは、父と娘の暖かな繋がりを感じさせる。また、テジュとの対決に備えて突然筋力トレーニングを始めたビョンスが「十七年のハンデは大きい」と床に倒れ込むところや、「昔は簡単に握り潰せた」はずのリンゴを潰そうとウンウン格闘し、最後は勢いで齧りつくなど(これも全部一人芝居ね)、生身の人間くささを微笑ましく感じる場面も多い。
 
これらが『新しい記憶』から削除された理由は明白で、それこそが二作の一番の相違点に関係している。『新しい記憶』のラストでは、これまで描かれてきたことと真逆の事実が観客に示される。軽くネタバレになるが、両作品のパッケージがある意味思いっきり違いを示唆しているので、勘のいい人なら途中で十分、予測可能だろう。
 
さて、二つの作品、どちらの方がいいかと言えば、私としては別にどちらでもいい。
『新しい記憶』を作りたかった気持ちはよく分かるし、仮にこちらの結末が気に入らなかったとしても、『殺人者の記憶法』が台無しになるわけではない。
 
ベテランとルーキーが生死をかけてぶつかり合う姿と、ソル・ギョングの一人芝居が見どころとなっていて、どの部分がビョンスの妄想であったのか、現実であったのかは些細なことだと思う。
 

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誰よりも爪楊枝の似合う男、オ・ダルスも出ているよ。
 
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