Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『ミッション・トゥ・マーズ』

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監督:ブライアン・デ・パルマ キャスト:ゲイリー・シニーズティム・ロビンス/2000年

やあやあ、こんにちは。週4日の在宅と、卒園&入学などの雑用が重なって滞ってしまいました。卒園式は明日だけど、今の時点で開始時間も分かってないよん。

話が変わるが、職場で映画好きの女の子2人と仲良くしていて、社内チャットで映画ルームを作っています。先日1人から、こんなコメントがありました。

女子A「10年くらい前に観たもののタイトル確認漏れのためずっと探してる映画があります。父親(もしくは保護者の立場にある成人男性)と子供との関係が最終的に改善されるお話で、父は宇宙学とか天文学とかの研究者みたいな立場。途中、二人が一緒に皿を壁に投げつけるシーンがあって、最後は父が自分の学会だかの予定を子供の授業参観に変えるとこで終わった気がします。もしお心当たりあれば教えて下さい。ハートフルヒューマンドラマなので、間違いなくやなぎやさんの守備範囲外だとは思いますが・・・」

最後の一文が気になるね。

女子A「ちなみにバーサーカーではありません」

確かに「皿 投げつける 映画」で検索すると『バーサーカー』が出てくるね。
すると、もう一人の女子からすぐさまコメントが。

女子B「『ホーム・アローン』だな」
女子A「ちがう」
私「『怪盗グルーの月泥棒』じゃない?」
女子A「ちがいます」
女子B「『晴れの日は会えない~』とかいうやつ」
私「『雨の日は会えない~』だから。そこ間違えると映画の内容が変わってくるんだよ。」
女子A「どっちにしろ違います!」

質問を受けた側に全く考える気がなく結論が出ていません。父子が皿を投げ付け合って和解する映画、知ってる人がいたら教えて下さい。

さて、本日はミッション・トゥ・マーズの感想を書くが、この映画を観たのにはちょっとしたきっかけがあった。
先日『ライフ』鑑賞後、Amazonが火星関係の映画をしつこくお勧めしてきやがった。その中に「有人火星探査計画で事故が起こり、宇宙飛行士たちは火星を脱出したが、死んだと思った仲間が生きていて火星に置き去りになってしまった。さあ、彼をどう救う!?」みたいな予告があり、寝ぼけながら「面白そう」と思った。
次の日、覚えていたのが「火星」というワードだけだった。私はブライアン・デ・パルマが好きなのに『ミッション・トゥ・マーズ』は見逃していて、だから多分いつも頭の片隅に火星があったのでしょう、火星=マーズ、あ、そうか、『ミッション・トゥ・マーズ』だったか、と思って辿り着いた次第です。

お気付きだろうが、前日の予告は『オデッセイ』(2015)のものだった。すぐにどうやら間違ったなと気づいたが、面白かったのでそのまま続行、結果、素晴らしい映画だった。後日、改めて『オデッセイ』も観たが、こちらは凡作の域を出ない作品という感想。棚からボタ餅、嘘から出たまことって、このことね。

 


◇あらすじ

2020年、史上初の有人火星探査機マーズ1号が火星に降り立つが、調査を行なっていた乗組員たちが巨大な砂嵐に巻き込まれてほぼ全滅。生き残った1人も消息を絶ってしまう。当初マーズ1号に乗る予定だったジムは、マーズ2号に乗り込んで救出へと向かうが・・・(映画.com)

『キャリー』(1976)、殺しのドレス(1980)、ミッドナイトクロス(1981)、スカーフェイス(1983)、アンタッチャブル(1987)、カリートの道(1993)、ミッション:インポッシブル(1996)などの沢山の代表作を持つ御大パルマ氏が2000年にお撮りなった作品である。

ぎゃッ、「映画.com」での評価低い!
ひッ、パルマ氏のウィキに、「『ミッション・トゥ・マーズ』が酷評の嵐に見舞われハリウッドから干される」って書いてあるぅぅ!!

えー、そうなんだ。え~、めっちゃ面白かったのになぁ。この作品がパルマ氏のキャリアの中でどういう位置づけになるのか分からない(調べるの面倒くさい)ので、今度『シネトゥ』運営者のふかづめさんに聞いときます。ふかづめさんは今、行方不明だけど、私は絶対、彼はこの映画が好きであると踏んでいます。おい、そうだろ、ふかづめ!お前、この映画好きだろう!

軽快な音楽と共にロケット型の花火が青空に打ち上げられるタイトルバック。カメラがゆっくりと地上に向けられると背景のカラーは段々と火星を思わせる土の色へと変化し、火星探査ミッションを控え壮行パーティを楽しむ宇宙飛行士たちの様子を長回しで映していく。優秀な操縦士ジムゲイリー・シニーズは、やはり宇宙飛行士だった最愛の妻を病気で亡くしたことで探査隊メンバーを辞退し、旧知のウッディティム・ロビンスリーコニー・ニールセン夫妻とともに宇宙ステーションでのサポート任務に就くことが決まっている。ゲイリーが、ふと足元の土を、妻と共に踏むことを夢見た火星の土に重ねた次のショットでは、13ヶ月後、探査隊のルークドン・チードルらが火星で作業を行う場面へとジャンプする。

多分、ハチャメチャな映画なのだとは思う。
序盤は、誰よりも火星探査を熱望していた妻の死を乗り越えられずにいるゲイリー・シニーズの失意の姿と、彼の目を通したティムとコニーの仲睦まじい様子を中心に人間ドラマの色合いが濃い。

だが、探査隊が奇妙な音を発する小山を発見する辺りから雰囲気は一変。小山にレーダーを向けた途端に凄まじい砂嵐が発生、ドン・チードル以外の探査隊クルーは命を落とす。不快指数の高い不吉な音、意志を持って襲ってくる砂の塊、何よりクルーらの死に様が無残で、画面は一気にホラー色に彩られる。

その後、ドン・チードル救出のため捜索隊に名乗りを上げたゲイリー、ティム、コニー、フィルジェリー・オコンネルらが火星に向かうシークエンスでは、宇宙空間という舞台を存分に活かした危機的状況にハラハラさせられることになる。スペースデブリ宇宙ゴミ)により損傷した船内で空気レベルが低下、破損個所を見つけるためにドクター・ペッパーを絞り出しその行き先を追うといった遊び心ある問題解決や、破損個所を修繕するも実は燃料パイプが受けた致命的な損傷に気づいておらず、そこから漏れた燃料が宇宙空間で固って漂い、エンジン点火へのカウントダウンがそのまま爆発へのカウントダウンになるなど、次々とサスペンスが畳みかけられる。

また、デ・パルマとは何度めかのタッグとなるエンニオ・モリコーネが作り出す不穏な効果音により、否が応でも緊迫感が高まる。さらに、爆発した船を捨ててREMO(補給物資モジュール)ヘの移動を試みた先では、ティム・ロビンスが妻や仲間のために身を犠牲にする、とても悲しい展開が待っている・・・。

映像も特徴的だ。何カ所で見られる、宇宙から船を引きで撮ったカメラが段々と近づいてきて回転しながら窓の中に入ってくるといった手法、そして何より、回転式遠心装置とそれをグルグル回りながら映すカメラには頭の中が掻き回されるようで、とっても気持ちが悪い(見慣れないから気持ち悪いのであって、映像的に不快なわけではない)。

2000年に撮られたとは思えない、どこか古びた映像には、恐らく2001年宇宙の旅(1968)を筆頭とした過去作品への敬意と、本作はそれらに続くものだという意図が込められているのだろうが、ああもぐるぐるとカメラを回されては目が回る。映画の中でビデオを見るというややこしい構図も然り、話も映像も目まぐるしい作品といった印象だ。
大体、事故から半年経っているとは言え仲間を救出しに行く船内で、イチャつきながら宇宙遊泳ダンスを踊るティム&コニー夫妻の神経も少々おかしい。お前らの目の前にいるゲイリーは妻に死なれて傷心なんだぞ&よりによって音楽がヴァン・ヘイレン

ただ、全体的に熱っぽくて、とにかく面白いんである。
ところで、『2001年宇宙の旅』を最近観直したのだけど、何よりも感想は「よく冒頭あれだけサルの映像流し続けたよね・・・」だった。

 


◇オデッセイ

ゲイリーたちが火星に到着する前に、せっかく観たから『オデッセイ』の感想を書いておく(ネタバレよ)。

私の知識と理解力が不足していることは前提としつつ、火星に取り残されたマット・デイモンのやってることが大体わからなくて参った。種類問わず考証を必要とする映画では、あまり矛盾を追求せず細かいことを気にしないようにはしているのだが、それにしても、ジャガイモって水と人間のウンであんなにたくさんピチピチ育つの?とか、何でNASAと文字で交信できるようになったの?(ここの論理が全く分からん) 何でアレス4に向かうときローバーの屋根にあんな穴開けたの?そもそも次回ミッションに使うアレス4のMAVがもうあったのは何故?宇宙服ってあんなに簡単に穴あくの?など、ハテナの連続だったのだ。
※その後、SF好きのユーセ コーイチさんに「『オデッセイ』の考察は結構まあまあ正しいよ」と教えて頂き、「へ~」って思ったことを付け加えておきます。

あとは、なんかこう、「取り残された宇宙飛行士」を軸に周囲がドッタンバッタン騒ぐ予定調和な描写にココロがあんまり躍らない。別に宇宙へのリスペクトなどない私が言うけど、特段、火星や宇宙を撮りたい!!っていうのがないの。一人の人間が苦難を味わうための舞台装置感が強いというか、主人公が手際よく困難に見舞われ、手際よくそれが片付けられていく様子が、教科書通りで真に迫ってこないというか。ド派手な映画であるはずなのに味気ないというか(そのくせ、最後の「無事救出!」の報を受けてヒューストンの職員「ワァーーー!!」」の画はしっかり押さえてくる。それ、またやるんか)。

後半、「コイツなんかやりそう」って思っていたリッチ・パーネルがようやく動き、画期的な救出策が提案される。曰く火星から地球へ帰還中の宇宙船ヘルメスを地球の重力を利用して火星へと反転させる(フライバイ)。マットはそれに合わせアレス4用に置いてあるMAVにて火星を脱出、ヘルメスは軌道上でMAVとマットを回収し、今度は火星の重力を利用して地球へ戻る・・・というもの。

うんうん、フライバイは何となく分かったしヘルメスを使うっていうのも盲点で面白かった。ヘルメスの宇宙飛行士たちは知らなかったとはいえ生きているマットを置いてきてしまったことに責任を感じているのだ。そうだ、船長のチャステイン姉さんの出番が少ないぞ!もっと出せ。しかし、そもそも宇宙で人一人を違わず回収できる確率とは?狂わぬタイミングでMAVを打ち上げ、ヘルメスと相対速度を合わせるなんてことが可能なのか?んで、軽くするためにMAVのあっちゃこっちゃを捨てて布切れで屋根作ったんだけどマジか?それで宇宙行くんか?と、冒頭の疑問符だらけ状態に戻る・・・。

ここまでくると、リドスコ先生が加速するのは疑いようもなく、最後はチャステイン姉さん自らが船外に出てマットをキャッチする役に名乗りを上げるのである。ダメだろ、頭が自ら行っちゃ。私が出番少ないって言ったからって。
上手いことマットの乗ったMAVを視界に捉えるが、しかしヘルメスとチャステイン姉貴を繋ぐテザーの長さが足りず、マットに手が届かない!するとマットは宇宙服に穴を開けスラスター(推進システム)代わりにしてMAVを脱出、飛んできたマットを姉貴がキャーッチ!

・・・マジかよ。
中国で頻発する、ベランダから落ちるガキをキャッチするのとはワケが違うんやで。んなことあるか?宇宙服はビニール袋か?そんな上手いこと方向調整できるのか?首を傾げる私をよそに、ヒューストン「ワァーーー!!」。うん、良かったネ。そんな感想。
まあ、正直私も姉貴がマットキャッチするところでは「ワァーーー!!」ってなったし、マットが姉貴の音楽の趣味を「時代遅れのディスコミュージックばかりでどうかしてる」と一人しつこく腐すのは、かなり好きだったけど。

 


◇最後はすごいところに着地する

さて、火星に到着したゲイリーらは無事にドン・チードルと再会し、砂嵐の後に現れた『顔』の謎の解明に成功する。『顔』の内部へと誘われた彼らを待っていたのは、一人の火星人だった。火星人は、ここにはかつて文明があったが滅びたこと、仲間たちは既に新しい星へ移ったこと、さらに地球の生命は火星が起源であったことを示してみせる。

ここでゲイリーはある選択をする。妻マギーの残した「古代神話や文明に火星が登場するのには意味があるはず」「命は命を繋ぐ」の言葉を啓示と取り、地球には戻らず火星人と共に新天地に向かうことを決意するのである。

おお〜、そうかあ(泣)。お前行っちゃうのか。だが、ゲイリーの妻と火星への想いを知る我々は、彼に思いもかけない救いの手が差し伸べられたことを喜ぶしかない。
火星人が見せる宇宙創造の幻想的な映像とエンニオ・モリコーネの紡ぐ音楽に乗せて、虚無の空気に包まれていたゲイリーが魂を再生させるかの如く生き生きとした表情になっていくさまに胸が熱くなる・・・(私は、ヘンに火星人の姿をボカさなかったのがよかったと思う)!

さらにグッとくるのが、彼の選択を知ったコニーが一瞬ハッと息を飲み、すぐに理解の表情を浮かべることだ。そして、亡き夫ティムが大事にしていたロケットをゲイリーに渡して別れを告げる。別れの時に受け継がれる形見は、『アンタッチャブル』でも描かれていたよね。

火星の『顔』の岩といい生命起源論といい、世に溢れる仮説を基にしたストーリー自体に工夫はないが、結局のところ本作は、火星までの旅を介して、絶望の淵にいた男の魂が救われるまでを描いた映画だ。彼がまるで妻に導かれるように宇宙の彼方へ飛び立っていく結末は、壮大でロマンティックだった。

ロマンあるSFと言えば、最近藤子・F・不二雄のSF短編集を読んだのだけど、そのうちの一つ、宇宙で漂流した少年少女が最後に氷で宇宙船を作って飛び立つ話『宇宙船製造法』が素晴らしかった。SFがどんなジャンルか未だ分からないけれど、間違いなくロマンは不可欠である。こんな理解でオーケーでしょうか?

ではまた!