『ランボー ラスト・ブラッド』
監督:エイドリアン・グランバーグ キャスト:シルベスター・スタローン、パス・ベガ/2019年
皆さん、こんにゃちは。
先日、友人のリエコから電話がかかってきて「長野に移住することになった」と言われて一瞬頭が真っ白になった。人付き合いはそれなりにあっても、気の置けない人間関係はごくわずか。リエコに長野なんぞに行かれたら、誰が私に10万円する靴をお揃いで買おうと囁いたり、BL漫画を勧めてくれたり、「旦那が使えなくて震える」とぼやいて笑わせてくれたりするのでしょうか。
と思ったら、「2週間だけだけど」「『移住村』ってところに滞在するのだから移住でしょう」とか言いやがって、ばーかーやーろー。驚かせるな!
さて、私のランボー愛は以前の記事で語った通り。5作目に当たる『ラスト・ブラッド』はコロナのせいで公開延期となったと思っていたら、いつの間にやらレンタル開始していた。
映画館にリエコを誘って断られたため、今回もう少し詳しく、何故ランボーを評価しないのかを聞いてみた。
リエコ「う~ん、君はランボーのバックグラウンドを含めて好きなわけでしょ? まあ『可哀想な過去だね』『お気の毒さま』とは思うよ。でも、こっちは日々疲れてるからさ~、行動理念とかトラウマのないシュワちゃんこそ大衆の味方であって、スタローンについては『頼んでもないのにピザ来た』『ここじゃない場所でやってくれる?』って感じなんだよね」
・・・。
疲れた主婦の味方はスタローンでなくシュワちゃんだというのか。
◇あらすじ
ランボーは祖国アメリカへと戻り、故郷のアリゾナの牧場で古い友人のマリア、その孫娘ガブリエラとともに平穏な日々を送っていた。しかし、ガブリエラがメキシコの人身売買カルテルに拉致されたことで、ランボーの穏やかだった日常が急転する。(映画.com)
監督はエイドリアン・グランバーグ。誰だ知らんごめん。でもこれって、原案と脚本にスタローン入っているんだよね?いまの「でもこれって」で分かるように、ちょっとアレな映画でしたねえー、悲しいよ。
まず知りたいのは、主軸をこれまでの国際的な紛争から至極パーソナルで身近な問題に切り替えたのは意図的であったのかってところ。そうなら百歩譲って良しとする。一足先に海外版DVDを観たGとかいう人が『ミセスGのブログ』とかいうブログで書いていたように、「この世界に蔓延る闇に対し、ランボーが救出しにいくガブリエラは『光』の象徴」「私たちが闇をまだ見ぬ赤ちゃんを本能的に守ろうとするように、純真無垢だからこそ守らなければならない」ことを伝えたかったのだとの意見にはウンウンと頷くし。だが、単にホットな社会問題を取り上げたいのなら続編は作らないでくれ。んー、やっぱり、どっちの場合でも、もう作らないでくれー。
◇「器用な復讐者」となったランボー
ランボーがどうあるべきか、にもちろん正解はなく、こちらの理想を押し付けているに過ぎないのだが、それでも私がランボーに期待するのは、国に見捨てられながら国を捨てられないことへの葛藤、本能から繰り出される暴力で人を救い、だがそれによって人から忌避されるという矛盾を抱えた、孤独で不器用な男の姿だ。
映画を観るうち、感じたのは「ランボー、器用になっちまったな・・・」だった。ウーとかアーとか、「お前が決めろ」くらいが精一杯だった無口なランボーも、いまや疑似家族を形成して穏やかな食卓を囲むようになり、ガブリエラを実の孫娘の如く慈しんでいる。なぜか住居の地下にトンネルを掘って生活しているのだが、いかにも塹壕を彷彿とさせる地下道をガブリエラのお友達の見学ツアーのために提供するなど柔軟さも身に着け・・・。まず、なんなのこのトンネル?と観客は疑問に思うことだろうが、後半の見せ場で、人身売買組織のチンピラどもを誘い入れ、『ランボー』と『プレデター』が混ざったような罠をあっちゃこっちゃに仕掛けては殲滅するための場所なのである。
トレードマークのバンダナも取ってしまったランボーは馬の調教を介してガブリエラとの絆を深め、「ほう、大学に行くのか。寂しくなるが君の道をゆけ」などと一端の父親のようなことも言う(いや、いいんやで、別にいいんだけど!)。そのガブリエラが、自分を捨てた実の父親に会うためにメキシコへ行き行方不明になると、メキシコに飛んで彼女を騙した友人を脅しつけ、誘拐現場であるクラブに潜入する。
これ・・・、『96時間』じゃダメなの?
超人のような強さを「元CIAだから」(FBIだったか)の一言で片づけて悪人どもを千切っては投げ千切っては投げて義憤を晴らすことで有名な怒れるお父さんの味方映画『96時間』。リーアム・ニーソンに主人公を演じてもらい、『96時間 ラスト・ブラッド』としたらアラ不思議。。。スタローンよりも余程しっくりくるじゃない?
人身売買はもちろん深刻な問題だが、その描き方が端的につまらなくて。せめて人身売買の凄惨さや仕組みの巧妙さなどが表現できていれば、また違ったと思う。何もこってりと状況を説明せずとも、その恐ろしさを数カット、ワンシーンで伝えられることは、ドゥニ・ヴィルヌーヴが『ボーダーライン』(2015)で証明してみせたのだし・・・。
売っ払われたガブリエラちゃんがヘロインを打たれて男たちの慰みものになる下りも、これならば『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ2』(2013)の方がよくできていたのでは、、、と思ってしまうレベルの出来。敵組織は規模感からしても単なるチンピラの集まりで、また敵のボス役が、あまりにしょぼいィィ・・・(あれなら拓ちゃんをキャスティグして欲しかったナー)。
「彼女を返せ」と真正面から話しに行ってボコられるランボーもアホなら、フルネームを知っているのに仲間を殺されるまでランボーを消しにかかってこない相手も間抜けすぎる。動機を「私怨」に落とし、さらにランボーを単なる復讐者としてしまう、あまりにこれまでの作品に対するリスペクトを欠いてはいないかい。
今回の敵、コレよ。
◇「という名の戦争」じゃ満足できない
まあ、要は、やっぱり戦争がないとランボーじゃないよねって話。
本作も愛する者を守るための、そして復讐という名の「戦争」であるとの見方もできるのかもしれないが、「という名の」と置き換えた時点で、それは似て非なるものでしかない。大義を捨てきれず、弱者を見捨てられないがゆえに図らずも戦場に引きずり戻されるランボーの哀愁を排除し、図らずもどころか、ランボーを暴力に目覚めさせることだけを目的とした流れが設定されている。
目には目を歯には歯を、そんな器用さがランボーに必要か。
前作『ランボー 最後の戦場』もある意味、ランボーシリーズにおいては禁じ手というか、魔球のようなものだったとは思う。その理由はもちろん、ランボー個人の戦争であった三作と異なり、スタローンが現実の国際紛争に触発されて製作したという背景のためだ。私と同じように『最後の戦場』を評価する人たちは、そのイレギュラー性こそ良しとし、またランボーがボランティアの人々の理想を甘っちょろい絵空事としながらも命を賭して救うヒロイックなストーリーが奏功して、他国の戦争に勝手に首を突っ込んでカタルシスを得る経験をエンタメと割り切って楽しんだのではないかと思う。
本作をダメにした要因の一つは、間違いなく不要なグロ描写で、これも恐らく『最後の戦場』に影響を受けたのだろうが、敢えて極端な方法を取った前作の意図を理解せず、コレを見て溜飲を下げろとばかりに散りばめられた陳腐な人体破壊描写は、軽率と言わざるを得ない。
仇の胸を割き心臓を掴み出す、首を切り落として見せしめとする。カルテルそのもののやり口で人を殺すランボーなど誰が見たいだろうか?
戦争の地続きでギリギリ許されていた「報復」と「殺戮」を、私怨を晴らす手段にした時点で、本作のランボーは引き継ぐべきだったヒーロー性を失った。
色々書いたが、一番よろしくないのは、単純に話も映像もつまんない、ってことだ。襲撃シーンとか寝そうになって、「早く終わんねーかな」と思ってしまった、あるまじきこと!やっぱり、百歩譲れない、良しとできない!
可愛さ余って今年ワーストだなあ。
バンダナは失くしたが、コンパウンドボウは健在だった。
引用:(C)2019 RAMBO V PRODUCTIONS, INC.