Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『砂漠でサーモン・フィッシング』

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お久しぶりです。秋は何故かバタつきます。
 
昨日、同僚たちと昼ご飯を食べていたとき、一人が「流行語大賞に入ってるドラクエウォーク』ってなに?」と言い出し、全員知りませんでした。しかし、私の頭には、以前ふかづめさんが『シネ刀』の中で使っていた「ドラクエ歩き」という言葉が鮮烈に残っていた。ふかづめさんが生み出したアルマゲドン歩き」(数人で横に広がって歩くこと)と相対する言葉として使われていたのだ。
 
もう予想はついたでしょうが、私は「『ドラクエウォーク』って、広がらず縦一列に並んで歩くことだよ!」と堂々、知識を披露した。みな、「それ、流行語大賞候補になる?」と首を傾げたが、重ねて「反対語は『アルマゲドン歩き』だよ!」(ってふかぴょんが言ってた)と言うと、これが全員のツボに入り、最終的に「アルマゲドン歩きは、ローラー作戦時にもっとも効果的」というところに終着して昼が終わりました。
 
しかし席に戻って若い衆に聞いたところ、なんと『ドラクエウォーク』はポケモンGOに似たゲームの名前だというではないかっ。「ドラクエ歩き」は流行語大賞になんら関係なく、ましてや「アルマゲドン歩き」はもっと関係ないことが判明。しかし、「アルマゲドン歩き」は再びその場の全員のツボに入り、誰かがエアロ・スミスの歌まで歌った。
 
どわな くろーじゅ まあーいず〜♪
ふかぴょん、荒んだ東京砂漠に潤いをありがとう。
 
はいッ、というわけで本日は、無類の犬好きで知られるラッセ・ハルストレム監督がお撮りになった『砂漠でサーモン・フィッシング』ですネ。
 
え?犬好き違うの?
 
だってリチャード・ギアに「HACHI!」と言わせたことで有名だし、僕のワンダフル・ライフ(2017)、『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019)で犬好きたちを号泣させた人でしょう。
 

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めっちゃカッコいいんだが、ラッセ・ハムストレス。
 
 
◆あらすじ
英国の水産学者ジョーンズ博士のもとに、イエメンの大富豪から、鮭釣りがしたいのでイエメンに鮭を泳がせてほしいという依頼がもちこまれる。不可能と一蹴したジョーンズだったが、中東との緊張緩和のため英国政府や首相まで巻き込んだ荒唐無稽な国家プロジェクトに展開してしまう。(映画.com)
 
ハルストレム監督と言えばギルバート・グレイプ(1993)ですね。あの映画はよかったよねぇ。デカプーがバスタブでガタガタ震えていたのが印象的です。監督は他にも、『やかまし村の子どもたち』(1986)、『やかまし村の春・夏・秋・冬』(1986)を撮っていて、『やかまし村』といえば、『長靴下のピッピ』『ロッタちゃん』シリーズでもお馴染みの児童文学の名手アストリッド・リンドグレーンの代表作。私の娘も大好きで、本当に素晴らしい児童文学であります。
 
ラッセ監督はあれか、動物と子供が好きなんだな。本作で加わるのは魚ときた。
 
金持ちの道楽で始まったトンデモ計画が、投資コンサルタントや水質学者、政府官僚まで巻き込んで、てんやわんやするくだりと、癖のある脇役たちが面白い。特に、政府の広報官マクスウェルを演じたクリスティン・スコット・トーマスが最高だった。
 
クリスティン登場シーンでは度々画面が複数に切り分けられ、電話で罵り気味に指示を飛ばしまくる様子、人にぶつかっても気に留めず早足で歩く様子などが同時に映され、彼女の頭が目まぐるしく回転するさま、そして傍若無人っぷりが一発で伝わる。

また、クリスティンと首相とのメールの会話がすごくコミカルで。それぞれの写真のアイコンに吹き出しが出るたび、ホワンッと間抜けな音が響く(クリスティンのアイコンの顔も好き)。
 
「首相、釣りは?」
「場合による」
「釣り人の有権者は何と200万人!」
「なら
、得意だ」
 
さらに後日。
「首相、釣れますね」
「うん」
「本当に?」
「ごめんむり」
「じゃあ外務大臣を」
 
この流れでイエメンに連れてこられた外務大臣が全く釣りできないのにも笑う。
 
クリスティンが絡めば、事態は常人が追いつけぬ速さで動き、思いも寄らない方向へと突き飛ばされる。 
こんな人、現実にいないと思いますでしょ?うちの会社にいますのよ、ええ。周囲の事情や状況、人情や気遣いは優先順位としてゲゲゲの下、「今目の前にあるタスク」を「自分の思うあるべき形」で解決すべく一点集中&中央突破してくる感じがそーっくり。映画で他人事として観ている分には楽しいが、実際に関われば地獄を見る女、それが本作のクリスティン・スコット・トーマスです。
 
テンポのいいクスッと感とユルさがこの映画の魅力。多分、私が個人的に、深刻な問題の裏側で当事者たちは割に能天気でいい加減な会話しているような、ヌケ感が好きなんだわね。

 
◆養殖鮭としてのユアン
イエメンの大富豪シャイフ・ムハマド(アムール・ワケド)による「砂漠に川を作ってシャケを泳がせたい」との荒唐無稽な計画を実現しようと奮闘するのが、彼の投資コンサルタントエミリー・ブラント。私の中では誰よりも防弾チョッキと銃が似合う女優だが、本作では知的でキュートな女性を演じている。エミリー・ブラントから相談を受けてプロジェクトに加わるジョーンズ博士がユアン・マクレガーだ。
 
ハルストレム監督が哺乳類と魚類好きなら、ユアン・マクレガーだって負けてはいない。リトル・ヴォイス(1998)では、話し相手は主に鳩の鳩寵愛青年を演じ、本作では魚を愛する中年を演じる。「トビケラの報告書が云々」などと、相変わらず内向的な男を演じさせたらピカイチだ。
 
しかし、『リトル・ヴォイス』での純な青年と比べると、本作でのユアンは、嫌いな上司の写真を職場の部屋の扉に貼り、ルアーをぶつけてストレス発散するなど、なかなかに陰湿。また仕事至上主義の妻メアリーとうまく行っておらず、言い争いになると、話の途中で庭の池へと逃げる。そして、鯉にエサをやりながらブスくれる。メンドくせェ。
 
ユアンは、家庭内でもビジネスライクなメアリーと対照的に、鮭プロジェクトに真摯に取り組むエミリー・ブラントに惹かれていく。それを知ったメアリーが「あなたは私の元へ戻って来る。それがあなたのDNAよ」と言うように、イエメンに放流される鮭には、ユアン自身が投影されている。
 
本能を殺された養殖の鮭と、つまらない日常に雁字搦めになったユアンは言わば同類。そして最終的に見事、遡上を始めた鮭と同様、ユアンも本能に従って行動する。
 
また、計画の発案者であるシャイフの真意は、一見不可能な物事に対して「信念」を貫くことが如何に大切か、身を以て示すことにあった。まるで養殖の鮭のように、本能を失ってフラフラと迷っていたユアンが、エミリーとシャイフから信念を学ぶ。これが、「鮭釣り」を通じて描かれる乙な作品となっているんだ。
 
 
◆ケチをつけます
だがしかし、いまひとつ、胸に迫ってこないのはどうしたわけか。
 
第一の問題は、国家をも巻き込む難題プロジェクトであるはずが、その苦労と苦悩があまり表現されていないことだろう。鮭を一時的にでなく生息させるためには、鮭の本能とも言える「遡上」をさせ、産卵させる必要がある。だから、流れのある川を作らなければいけない。現実的な手段としては、ダムを作って放流し人工の川を作ること。なるほどそれは大変だと思ったら、「ダムは2年前に完成している」とユアンに告げるエミリー。
 
あ、ダムは、もうできてるんだ? サンキューね。助かったわ。
 
いや、サンキューね、じゃねーよ。川作りはやらないの?そこが観たいよ。
 
まあね、「砂漠でフィッシング」がメインであって、「砂漠にダムを作ろう」ではないから、すっ飛ばすもありだろう。しかしそうなると、プロジェクトの課題は「鮭をどう手配するか」と「どのようにイエメンまで運ぶか」となり、当初想定していた難易度に照らすと、「なんとかなるんじゃね?」と。
 
シャイフの不屈の精神は立派だ。ハンパでない金持ちらしい常識に囚われない感性もステキだし、何より超イケメン。こんな人格者なら、たくさんいる妻の一人に加えて頂きたいものである。が、ダムは既に完成しており、プロジェクトの最重要課題が「シャケ、どう運ぶ?」になった今、シャイフの「困難だから諦めるのか?」と言った精神論が立派過ぎて浮いてしまっていて。
 
また、一番の問題は、ユアンとエミリーの恋の成就が、どうにも腑に落ちないことだろう。
 
ユアン夫妻の危機の原因は、昇進のためにジュネーヴに行ってしまう妻にもあるが、先にも書いた通り、やっぱり私は、ブスくれては鯉にエサをやりに行くユアンが気になる。めんどくせェ。意中の相手が出来た途端、碌に話し合いもせずにメールでメアリーとの関係を切ろうするのにもモヤモヤ。
 
またエミリー側の脚本も強引だ。彼女の恋人は軍人で、途中、極秘の軍事作戦により死亡と報告される。精神的にどん底に陥ったエミリーはユアンと過ごすうちに彼を憎からず思う。それはいい。ところが、実は恋人は生きていた。
 
余談だが、この恋人生存の事実をすぐにエミリーに教えずイエメンの地で再会させ、劇的感動の場面を中東との関係緩和に利用するマクスウェル(クリスティン)の悪辣冷酷な戦略には、うっとりするわー。
 
さてユアンが身を引くのかと思いきや、この軍人の恋人が、「シャケをイエメンで泳がせる?アホなこと言いなや」と、劇中でご法度とされてきた信念のない考えをぽろっと露呈、エミリーの顔を曇らせる。それを布石として、最後は突然「君が好きな方を選んでいいんだ」とエミリーを解放。
あまりに都合よく、いい加減じゃないかい、死地から生還した恋人の人物像がさ。
 
そして、放流されたエミリーは本能に従い、ユアンに向かって遡上する。
 
つまり、エミリーは砂漠で男を釣ったし、ユアンは女を釣った。シャイフは夢を釣った。

で?

「シャーケシャーケ(そうけそうけ)、みんなハッピーでよかったねえ」と拍手しろと?
 
いやいや、エミリーとユアンが無事くっついてめでたしのロマンスが、あまりに杜撰じゃないの。イエメンで鮭が跳ねる画を背景に、幸せそうな二人の姿を撮りたいがため、各パートナーを疎かにした監督は、劇中、強引な広報活動を行うクリスティン・スコット・トーマスと同じ。
 
なんだかエミリーは不実に見えてしまうし、ユアンは最後まで情けな&ちょっとイヤなヤツの印象のまま。私としては「シャーケシャーケ、よかったのう」と言うわけにはいかなかった。
 
そんなわけで、不満は残りますが、全体的に面白い映画なので、おススメです。
ところで、『I Don't Want To Miss A Thing』が頭から離れません。
 
どわな くろーじゅ まあーいず〜♪は1分12秒あたりから!