監督:デビッド・O・ラッセル キャスト:ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンス、ロバート・デ・ニーロ/2012年
10年ほど前、フレディというウェールズ人の青年に英語を習っていました。かなり繊細というか偏屈な人でした。ある日、焼き鳥屋に行こうとなったんだけど「日本の鶏はぎゅうぎゅう詰めで飼育されてストレスの塊だろ。そんな気の毒な鳥の肉は食べられない」とか「タコを尊敬しているから、絶対に食べない」とか。またある時「君は歩きながら物を食べる?」と訊かれ、「行儀悪いからしない」と答えると、「僕は時間短縮のためにそうしているのに、日本に来てからマナーが悪いと非難される!」いきなり怒られました。
フレディはサッカー誕生の地で育ちながら、サッカーを嫌い、ラグビーをこよなく愛する男でした。曰く「サッカーのサポーターは全員ヤクザ。ラグビーは敵味方が入り混じって応援しても友好的、紳士のスポーツだよ。君はマナーを大事にするのによくサッカーなんて観られるよね?」(←歩き食べの件から、マナーにうるさい人として何かとイヤミを言われるように)
2008年のEURO(UEFA欧州選手権)にイングランドが出られなかったときは、「あ~、よかった。ホント、あんな大会出るもんじゃない。バカなサポーターが海越えてやってくるんだから、キミみたいなね!」(やなぎや訳)。しかし2016年、ウェールズ代表がEUROで快進撃を見せたときは「国中がサッカーの話をしているよ!」と興奮したメッセージを送ってきました。どっちやねん。
そんなこんなで本日は、多分スポーツへの情熱を知っておいた方がより楽しい、『世界にひとつのプレイブック』です。
7/13に同監督の『世界にひとつのロマンティック』が公開されるが、ちょっとひどいよね、この題名。私のジェイクが出演するので観に行きたいけど。それにしても、ジェイクってば、スパイダーマンの新作に続き、『ゴールデン・リバー』『ワイルドライフ』と出演作が多くて追いつけない。
◇あらすじ
妻の浮気が原因で心のバランスを崩したパット(ブラッドリー・クーパー)は、仕事も家も失い、両親とともに実家暮らし。いつか妻とよりを戻そうと奮闘していたある日、事故で夫を亡くして心に傷を抱えた女性ティファニー(ジェニファー・ローレンス)に出会う。愛らしい容姿とは裏腹に、過激な発言と突飛な行動を繰り返すティファニーに振り回されるパットだったが・・・。(映画.com)
まず、ブラッドリー・クーパーが苦手と言ってきたことをお詫びする。この映画のブラッドリーは良かった。ただ、私の目的はとにかくジェニファー・ローレンス。『ウィンターズ・ボーン』(2010年)はお気に入りの映画の一つだが、そのときに彼女の顔ヂカラにやられた。『ハンガー・ゲーム』シリーズも、眠りそうになりながら完走。最後に幸せそうに微笑むジェニファー以外、大体忘れたが、カットニス・エヴァディーンというヘンな名前はなかなか忘れない。
本作『世界にひとつのプレイブック』出演時、ジェニファーは22、3歳。ダイエットに興味がないと公言している通り、生命力溢れるバディと健康的に張った頬は彼女の魅力で、それが堪能できるダンス大会のシーンは、二人の下手なダンスも含めて見所だ。しかし若干不満なのは、ジェニファーの顔の映りがシーンごとにちぐはぐだった点で、ティファニーの荒れた心を表す凄みのある表情にハッとさせられるときもあれば、子供のように幼く見えてしまうときもあった。
◇深刻だがユーモラス。ユーモラスだが深刻。
ストーリーはそれぞれに心に深い傷を負った男女が出逢い、ぶつかり合ううちに恋に落ちていくというもの。
パットは自分は「まとも」で、妻ニッキとの間にまだ愛情があり障害を乗り越えてこそ愛はより深まると信じている。この思い込みがまさにパットの精神不安定の原因なのだが、本人は全く自覚しておらず、そのため周囲も腫れ物に触るように扱う。
一方のティファニーは、夫の死のショックから性的な自傷行為を繰り返している。
好印象を抱くのは、二人の病状を観客に伝える描写が、笑いを誘いながらシリアスであることと、そのバランスだ。
例えば、パットがランニングするときにゴミ袋を被るルーティンと、そのランニングコースにティファニーが「ヘイ!」と乱入してきて追いかけっこになる場面はつい笑いが漏れる。しかし、このシーンでは、二人の問題が判り易く表現されている。「発汗のため」とゴミ袋を着続けるパットの思い込みは強迫観念じみているし、自分の感情を構わず押し付けるティファニーは、人との距離の取り方を見失っている。
パットは思ったことを全部口に出しまう。心を開いて自分の荒れた所業を打ち明けたティファニーに、「ヤッた中に女もいた?」などと訊き、その後は笑いながら彼女をアバズレ扱い。しかし翌日には実家を訪ね、「彼女は賢くて芸術家だ」などとのたまう。いやいや、コロコロ言うこと変えて、お前の本心はどこ。しかし、全てが、そのとき刹那刹那のパットの本心なのである。
考えずに発言する癖は、これぞ躁うつ病と思わせるが、必ずしもそれだけが理由でないことが家庭の描写で明らかになる。ロバート・デニーロ演じる父親はアメフトの地元チーム、イーグルスを妄信的に愛し、試合があるときはリモコンの位置を揃えハンカチを握る。ジンクスと言えば聞こえはいいものの、これも一種の強迫性のものだろう。
兄は、何もかも失った弟に、「言いにくいな。お前は妻に逃げられ俺は婚約する。お前は家と仕事を失ったが、俺は新居を建てるし仕事は順調」とやっぱり思ったことを全部口に出す。優秀であるはずの兄の、傍若無人ぷりに笑いが漏れるが、実はパットの抱える問題、恐らくニッキとの家庭が崩壊した理由も、家庭が元凶であることが分かる。
どうでしょう、こう考えると、「笑いの要素も多いよね」とコメディパートだと思いつつ観ていたシーンが、「あれ?よく考えるとこれって深刻の裏返しだよな?」と思うでしょう。思いますね?
ゴミ袋を着用するクーパー氏。
◇ジェニファー
さらに穿った見方をすれば、小型犬のように愛らしいパットの母親は、家庭内で重要な何かが決定されるとき選挙権を持たない(旦那がノミ屋開業したり全財産を賭けたら窓から蹴り出すでしょう)。男たちが揉めると周りでおたおたするか、またそうでないときは大体カニのスナックを作っている。つまり、パットの育ったのは夫権家庭なわけだ。もちろんデニーロが演じた父は愛すべきキャラだけど、あれはあれで困るよねってこと。
だからこそ、勝負の二倍賭けが行われるシーンで、男たちを黙らせるティファニーが非常に痛快だ。異を唱えることを許さない強引な理論、攻撃的で滑らかな口調、ここぞとばかり発揮される強烈な目ヂカラ!やっぱジェニファーは持ってくわああ。オヤジをやり込めた後で、シュポンッとビールの栓抜いて煽る仕草が気持ちいいよね。
ティファニーの人とのコミュニケーションの取り方は基本的にケンカ腰、沸点が低くてキレやすい。パットとティファニーが互いの傷を抉るような言葉を叩きつけ合うのにハラハラするが、やがてこのぶつかり合いが精神に不安を抱える者同士にしか為し得ないセラピーなのだと気づく。「怒鳴り合いのシーンが多くてうるさい」と批判するレビューも見かけるが、怒鳴り合いはこの映画に必要だ。感情の爆発の中で本音をぶちまけ整理し、少しずつ傷や悲しみを浄化していく、いわば荒療治なのだから。
破天荒で乱暴な言動のため、ティファニーの人柄がカーテンの向こうに隠れがちだが、彼女は心優しい女性であり、グッとくるのが、いじらしすぎるこじらせ。パットがニッキに書いた手紙への返事を、ティファニーが書いていたことは一読瞭然で、いじらしさにキュンとなる。ラストは二人の傷が癒えていくさまに、そしてティファニーの思いが成就したことに思わず落涙。
◇余談です
以前『ボストン ストロング』の感想でも書いた通り、度々映画の中で描かれるスポーツでのチーム愛は、時に人生を捧げるほどに強烈だ。イーグルス中心の生活を送る父親や、球場での乱闘などを理解不能と断じてしまえば、この映画の魅力は半減してしまう。日本にも、一部サッカーに熱狂的な地域があることは、以前も語った。ここでも余談でサッカーのことを書こうと思うのだけど、疲れてきたので、突然ですが、リトル・ヤナギヤ(※)にバトンタッチします。
※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑がACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間では、決断に迷って自問自答する際に使用される。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」
★★★★★★★★★★★★★
リトル・ヤナギヤ:
お久しぶりでーす。前に『エール!』で登場したときには、やなぎやさんの友達のリエちゃんに「『ゴシップガール』みたいな会話だね」って言われたんです。ウフ。これからもゴージャスでスウィートな女子を目指していきたいと思っているの。
ところで、やなぎやさんのパパ友にさーちゃんて人がいてね、子供の運動会に黄色いグラサンかけて、ギターケース型のバッグだかギターケースだかを背負ってぶらりと現れるような変人、じゃなかった、イケダンなんだけど、さーちゃんサッカーアレルギーなのね。
なぜかっていうと、昔W杯の時に知り合いに、「え!?W杯観ないなんて非国民なの?」って言われたみたいで・・・。可哀そうよね・・・。
サッカーがね、さーちゃんじゃなくて。「にわかサッカーファンを憎んでサッカーを憎まず」って標語もあるじゃない?
そんなさーちゃんのような人のために今日は私、「こんな人はサッカーファンじゃないわよ」を教えるわね。じゃあ、早速読んでみて!
・「Jリーグは観ません」という
・「え!?W杯観てないの!?」という
・「リーガ・エスパニョーラかセリエA中心っすね、Jってレベル低くて」
・「女子サッカーとか、パススピードのろくて見てられなくないすか」
・日本代表の実力を見誤っている(過大評価、過小評価ともに)
いるいる~!
・点を決められると「ああ、終わったね」という
・「松木の実況(あるいは北澤の解説)って馬鹿にしたものじゃないっていうか、何気にあれこそ純粋なサッカーの楽しみ方?」
・W杯、もしくはチャンピオンズリーグのときだけ「ね、昨日の試合観た!?」と言ってくる(←EUROのときは言ってこない)
ああ・・・いる、わね、こういう人。
・ゴール裏にいる監督気取り
・ゴール裏にいる戦術家気取り
・ゴール裏にいる解説者気取り
・ゴール裏にいるヤジラー
・Jの贔屓のチーム一筋型。「代表の試合?逆にぜんっぜん観ない~。うちのチームの選手が出てれば観るけど!」
・「『ファン』じゃなくて『サポーター』な?」という
・「メッシ、メッシ」しか言わない出っ歯の芸人
ホントに多いのよね、物事の一部しか見てない片手落ち野郎。もちろん自称ヨーロッパサッカー好きやニワカもウザイけど、Jの地元チーム好きをステータスにし過ぎて、他は排除する保守的「チーム愛」標榜かんちがい野郎もウゼええええ。
サッカー好きってこたあ、あまねくレベルと規模と国と性別のFOOTBALLを愛するということよな?サッカー好きっつッてんのに「あ、バルサしか観ないんで」じゃねーよな?
じゃあバルサの選手全員、言ってみ?
メッシとスアレスとピケとブスケツとラキティッチとビダル以外言ってみ?
言えないのか?
そりゃァおかしいですわいなァァ?「バルサの試合でメッシが出たときだけ、試合時間と夕飯の時間が合えばメシ食いながら観る程度には好きです、メッシ好きだけに」くらいにしとけ。サッカー好き名乗るのは辻褄合わんよな??辻と褄が駅でバイバイしてもうとるよなあ!??
うふ。ちょっと興奮しちゃったけど、これで「こんな奴はサッカーファンじゃねェ。消えろ」のコーナーを終わりまーす。またね、バイビー。
★★★★★★★★★★★★★
◇「クレイジー」ってなにかね?
なんでしたっけ。あ、『世界にひとつのプレイバック Part2』。
私としてはパットの友人ロニーがツボで。ロニーがストレスを訴える仕草や、それに対するパットのすっとぼけた反応がおかしいのだが、ここには特に笑いに交えた、痛烈な皮肉が込められていて。ロニーは、自宅のモダンな内装、壁中に飾られた幸せそうな家族写真、美しいテーブルセットに手の込んだ料理、妻が血道を上げて飾り立てた理想の我が家に、そして妻自身に押し潰されそうになっているのだ。それこそ、いつ精神の病を患ってもおかしくないくらいの抑圧だよなあ。
つまり、最後のパットの台詞「みんなクレイジーな部分はあるだろ?」がすべてだ。
病気というハンデを負い、じたばたする者がクレイジーなのか?では、世間が決めた「よい仕事と家」のステータスに振り回される人間はクレイジーではないのか?「メタリカ」を大音量でかけるのがクレイジー?どの部屋でも子守歌が流れ、壁に暖炉があるような家はクレイジーじゃないのか?
クレイジーと非クレイジーの境目を決める規準などない、自分らしくあれと、シリアス且つユーモラスに歌い上げた悩める者への応援歌、それが『世界にひとつのプレイブック』。
私はブラッドリー・クーパーを克服しました。
今日は余談が長かったね。
ジェニファー、キュートだね。
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