Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『グレイテスト・ショーマン』

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四歳の息子は赤ちゃんの頃から「面白い」のツボを押さえており、様々な場で愛想を振りまき笑いを取ってきました。しかし現在、その面白さが毒気を含んだものに変わりつつあるのです・・・。世間の四歳児のブームは「ウ○コ」だと思いますが、息子のブームは「ブタみたいだね。」です。
 
普段使いは当然のこと、先日は私の顔を両手で挟み、「お母さんカワイイね・・・お花のお顔だよ」と言うので「ありがとう~」と喜んだら、「でも耳はブタみたいだけどね」(ゲラゲラゲラゲラ)。
 
ちょっと・・・。保育園ではどういう教育をしているの?
 
またいかにも下の子らしく自由で。例えばグミやらマーブルチョコなどのお菓子を与え、「半分食べていいよ」と言ったとします。娘は守るんですね、褒められたいから。しかし息子は瞬時にガガガーッ!と口にぶち込み、もぐもぐしながらモジモジと寄ってきて「お母さん?はんぶんねって言ったけど、ちょっと忘れちゃってね?」。
 
ほう、食べた後に思い出したんか。
 
将来が不安ですな。きっとろくでもない男になる。
本日は、子供と観たい映画『グレイテスト・ショーマン』です。
 
夢が躍り出すぜ。
 
 
◇あらすじ
貧しい家に生まれ育ち、幼なじみの名家の令嬢チャリティと結婚したフィニアスヒュー・ジャックマン。妻子を幸せにするため努力と挑戦を重ねるフィニアスはやがて、さまざまな個性をもちながらも日陰に生きてきた人々を集めた誰も見たことがないショーを作り上げ、大きな成功をつかむ。しかし、そんな彼の進む先には大きな波乱が待ち受けていた。(映画.com)
 
 
グレイテスト・しょーもないマン
私はこれをずっと「グレイテストマン・ショー」だと思っていました。グレイテストなマンがショーをするのだと。実際には「ユニーク」な人々を集めてサーカスを興行し、成功を収めたショーマンの話をミュージカル仕立てにしたもの。差別に敏感なこの時代に、描き方によっては反感を買う題材だが、さすがに不快感を抱かせるような下手な真似は作り手もしていない。ある男のサクセスストーリーと同時に、主題として「マイノリティの苦しみ」があるのだが、そもそも彼らの容姿をビジネスに利用するストーリーである時点で、差別に関する話は別次元にある。バーナムは商売で成功したい、マイノリティ側は人目を気にすることなく表舞台に立ちたい、両者は基本的に利害が一致した関係だ。
 
それにしてもバーナムが単細胞な俗物だ。マイノリティを見世物にしたサーカスで一発当て、その後、「本物の」歌手ジェニーと出会って鞍替えする。愚痴も言わずに彼を支えた妻を疎かにしたり、長年犬猿の仲であった妻の両親に和解を求められても応じず恨み言をぶつける。グレイテストなショーマンどころか、「グレイテスト・しょーもないマン」となっております。ちなみに、ヒュー・ジャックマンは私の中のどーもない俳優ベストテンに入っております。
 
 
とにかく都合がいい
最初に言っておくと、私はミュージカル映画、歌や音楽を扱った映画は大好きです。別にストーリーに関係ないダンスが入ろうが、突然歌い出そうが気にならない。だが、この映画では、なぜだろう、初っ端のダンスと歌、バーナムと令嬢チャリティの幼い恋物語のミュージカルに全くノれない。
 
長じてバーナムの妻となったチャリティミシェル・ウィリアムズは、お嬢様育ちでありながら、彼が仕事をクビになろうが、博物館やると妄言を吐こうが、博物館を見世物小屋にしようが、翻って歌手を招いて劇場にしようが、ポリシーのない行動を意見もせずニコニコと支える。ただしかし、愛に裏切りを感じたときだけは怒る。どんだけ頭がお花畑なんだえ。
 
バーナムがサーカスの発想を得たのは、娘のどっちか(見分けがつかん)の「死んだものじゃなく生きているものを置かなきゃ、ユニークなものを」の言葉がきっかけだ。どれだけ世の需要を把握しターゲットを絞り込んでの提案か。いまやビジネスチャンスは子供なんぞの何気ない一言から生まれるものではないというのにねぇぇぇ。

ユニークなもの=マイノリティを探し始めたバーナムは、レティという名の、髭面ゆえに人目を避ける女性を訪ねる。彼女はたまたま歌が超絶上手かった。レティも、最初は拒否反応を示す青年も、バーナムの特に捻りのない言葉でサーカス入りを決意。人前に出ることに尻込みする彼らに、ある一人の子供がニッコリと笑いかけると、場は一気に和み、幸せな空気に包まれるのだった・・・。
 
 
すごい人格者の子供だわ。息子に見習わせたい。
 
 
バーナムの幸運は更に続く。偶然目にした新進気鋭の劇作家フィリップザック・エフロンに目をつけ、よくわかんない歌を歌ってるうちに口説き落とす。待って待って、今どんな魅力的な申し出があった?ちょっとつまらなくてボーッとしちゃったから戻そう。真面目な私はもう一度観直したが、それでも良く分からなかった。
 
また、偶然バッキンガムで見かけた有名な女性歌手ジェニーに目をつけて劇場で歌ってくれと持ちかけ、これもよくわからんうちに口説き落とす。彼女に「私の歌を聞いたことあるの?」と問われ、咄嗟に「ええ」と嘘をついたザックの気遣いを、バーナムは「いいえ」と台無しに。ドヤ顔で「私は自分の耳より世間の評判を信じる」。
 
手練手管を放棄したクソ度胸に思えるが、これはジャンプの少年漫画的アプローチと変わらない。HUNTER×HUNTERでのキルアとゴンなどに見る、したたかさより馬鹿正直が勝利するパターン。ジャンプ的アプローチにより、ジェニーは「ハハハ、お前、馬鹿な奴だナ(飾らない人ね)」と陥落。バーナムのビジネスパートナーとなる。
 
現実で、馬鹿正直が奏功することはほぼないですからね。
嘘をついている自分に罪悪感を覚えるな、エイエイオー!
 
ハイ。期初の数字の圧迫と、連日のワンオペ育児が私の精神を追い詰めております。
 
各パートがドラマとして繋がっていない点も問題だ。例えば、素人のレティらが、喝采を浴びるほどのショーを作り上げるまでの苦労などは描かれない。また、バーナムとマイノリティ達との相互理解、心の交流などもないので、終盤にレティらが彼に手を差し伸べるシーンに繋がってこない。さらに、人を次々オトして成功するバーナムなのだから、その理由があるはずだ。例えば抜きんでた商才、動物的な勘や眼力、人たらしの天性。だがそういったことを示すエピソードはなく、ただ歌とダンスで力技をかましてきやがる。
 

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(C)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation

なんなんだろうなー『シカゴ』とかは大好きなんだけど。
 
 
素麺展開
物語はスルスルとした素麺のように喉元を通過する。初っ端感じた通り、ダンスも歌もあまり響かない。ザック・エフロンのパフォーマンスもヒューの歌もジェニー嬢が歌うシーンも、うんまあ、ちょっと値の張る素麺だね、みたいな。ミュージックステーションに出てたらすごいけど。

レティらが心の叫びをぶつける「This Is Me」はよかった。憤りを叩きつけるように踊るシーンは、「フリークスは消えろ」という罵声、雪の中のかがり火、彼らを拒絶する看板といった周囲の装置が効いていて良かったと思います。
 
最後は、ご丁寧にもサーカスが焼け落ち、豪邸は銀行に差し押さえられる不運なソーメン展開。消沈するバーナムに、レティらマイノリティ達が手を差し伸べる。ここの不自然さは前述した通りだ、そもそも両者にそんな絆があったっけ。

さて、サーカスを立て直す金がない。しかし、パートナーのザックは、新進気鋭の劇作家という設定でありながらその価値がわからずここまで来たが、なんと浪費家バーナムを心配してコツコツと金を貯めていた。作家としてではなく、へそくり主婦としてこそ真価を見せた。
 
 
雇っててよかった・・・!
そしてサーカスは復活を遂げる。象も飼う。
 
 
多くの人が夢みるサクセスストーリーを気持ちよく描いてくれているので、これは子供が観るにはベストですよ。美術は素晴らしいようだしミュージカルシーンは華やか、ラブストーリーでもあるがベッドシーンなし、なにより外見で人を差別してはだめだよと、まず人間として学ぶべき点を学ばせてくれる(ここだけは息子に教えたい)。
 
冒頭で「子供と観たい映画」と紹介をしたのですが、正直に言いましょう、「童心に帰らないとキツイ映画」です。まああれだ、こういう映画に難癖つけるのはつまらないのだろうけど、「楽しんだもの勝ち」という勝ち方があるのだから、「せいいっぱい努力したが楽しめなかった」権利もあるべきだよね。
 
あ、ミシェル・ウィリアムズが終始、健康そうなピンクのつやつやしたほっぺをしていたのは見所でした!落ち込んだりもしたけれどブロークバック・マウンテン』『ブルー・バレンタイン』に比べたら、こんなことなんでもないよ。