Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『レスラー』

 
Twitterでよく見かける「飲み会行くのやめました」「子育てをナメてました(やってみたらとても大変でした)」などのイクメン系ツイートが死ぬほど苦手です。
「ぼくは要領が悪くて融通も利きません」って公言しているようなものなのに・・・。コメント欄でさぞかし「飲みくらい行け、ヘタレが」「おむつ替えを一大事業にすんな」と怒られているのだろうなと思いきや、「素敵です!」って持ち上げられていました。ワオ。
 
奥さんからは案外と「ちょろちょろすんな」と思われていると思う。思われているにチュッパチャップス一本を賭ける。
 
本日は、イクメンとは正反対の男の映画『レスラー』です。
 
 
◇あらすじ
人気レスラーだったランディも、今ではスーパーでアルバイトをしながらかろうじてプロレスを続けている。そんなある日、長年に渡るステロイド使用がたたりランディは心臓発作を起こしてしまう。妻と離婚し娘とも疎遠なランディは、「命が惜しければリングには立つな」と医者に忠告されるが…。(映画.com)
 
レクイエム・フォー・ドリーム(2000年)は言わずもがな、ブラック・スワン(2010年)もかなり好きな作品なので、私はたぶんアロノフスキー監督が好きです。
ランディ・“ザ・ラム”を演じたミッキー・ローク『ナインハーフ』(1985年)エンゼル・ハート(1987年)などで主演を努め、1980年代セックスシンボルとして人気を博した俳優。また、プロボクサーの資格を取ったことでも話題になったらしいですね。私はあまり知らないのですが、夫がボクシング好きだったこともあり、当時のミッキーには割と思い入れがあるらしい。では
語ってもらいましょう。
 
--------------------------------------------------
ミッキー・ローク

 

ミッキーのことなら良く知ってるよ。とにかく色気があってカッコよかったね。代表作の『ナインハーフ』は、エロビデオを簡単に見られる環境になかった俺達にとっては、適度にエロくてドキドキする映画だった。金曜ロードショーとかで普通に流れていたんだ。いい時代だったね。氷プレイには本気で憧れたもんさ。昔の女に試そうとしようとしたら、すごい勢いで怒られ・・・あ、いや、ゴホ、ゲホゲホゲーッボッ!
 
・・・ああ、大丈夫。気にしないでくれ。
格闘技が大好きだった俺は、そのミッキーがプロボクサーの資格を取り、1992年両国国技館で試合すると知って心躍った。しかも、ユーリ海老原の世界タイトルマッチというメインの前座だ。俺はテレビの前でわくわくしながら試合に備えた。だがミッキーは、本人は後に「手首のスナップを効かせた」と語るも傍目には「ニャア」としか見えない猫パンチを繰り出し、しかも勝利するという八百長丸出しの試合で、ファンを心底がっかりさせたんだ・・・。
--------------------------------------------------
 
はい。ということがあったんですね。
その後は離婚や整形を経て、当時の色っぽく美しい顔つきから、今や見る影もない皮膚の垂れた太ったおっさんになってしまいました。
 
 
◇本題
兎にも角にも、ミッキー・ローク自身の今昔に思いを馳せずにはいられないロークのためのロッキン・プロレス映画である。彼の半生を抑えておき、また80年代と90年代のロックシーンを知る人であればより楽しめると思う。当初、製作会社側は主役にニコラス・ケイジを考えていたが、アロノフスキー監督がミッキー主演に拘ったのだとか。
 
・・・ニコラス・ケイジの“ザ・ラム”、それはそれで観てみたい気もする。だって華やかな過去と落ちぶれた現在がそのまま反映されたって意味では、ニコラスだって外れていないじゃない?余談だけど、ニコラス・ケイジニコラス刑事(デカ)という呼び方を浸透させたいと思っています。
 
冒頭、二十年前には栄光の只中にいた花形プロレスラー、ラムが老いた肉体で変わらずリングに向かう姿が描かれる。そこから数十分黙々と映されるのは、栄光時と同じ作業を丹念に続けるラムの姿だ。いつもの店に通って肌を焼き髪を金髪に染め、身体作りを怠らない。
 
とりわけ面白いのが、試合の前に敵役のレスラーと善玉役悪玉役を確認し、試合の流れを打ち合わせる様子だ。リング上でパイプ椅子を相手の頭に振り下ろすのは、レスラー同士が憎み合っているからではない。ヒール(悪役)が観客にブーイングされるためにどんな卑劣な手段が必要か、武器はどのようなものを使用するのかなど、進行にシナリオがあることを説明するシーンとなっている。
 
これは、プロレスを知らない観客への配慮なのだろうか、それともアメリカでは「プロレスにシナリオがある」ことは公然の事実なのだろうか。少なくとも、日本のプロレスにシナリオは存在しない(※)。リング上で繰り広げられる戦いは本気の戦いだし、レスラーは男の中の男でありプロのショーマンだ。
 
※正確には「存在しないことになっている」。日本のプロレスファンに「あれ台本があるんでしょ」などと気軽に言えば、ブチギレられるので気を付けられたい。彼らはプロレスラーの強さとプロレスがキング・オブ・スポーツであることを信じているので、「ヤラセだろう」の揶揄いはタブー、ガチで怒られるよ。実際は、大筋のストーリーは決まっているのではと思うが、しかし台本通りに演じただけでは起こりえないドラマがあるのも事実。
 
ちなみに私はラップ好きでもプロレス好きでもありません。一般教養です。
 
ミッキーの現在のハコは、全盛期とは比べ物にならない場末のリングだ。特に彼が「ハードコア」と呼ぶ、鉄条網やガラス、ホチキスなどの小道具を使用するショーは、日本では鉄条網プレイに活路を見出した大仁田厚がその道を突き進んで一定の地位を築いたが(※これも一般教養だぞ、メモれ!)、トップレスラーならば、まずやらないパフォーマンス。
舞台裏に引っ込めば、血だらけの背中からガラスの破片を抜いてもらう地味な後処理と老いた背中が痛々しく、だが一方でカメラは、試合後に敵役のみならずスタッフが彼を労う様子、またラムが若手のレスラーたちと交流する様子を映す。いまだこの世界で彼はレジェンドだし、とにかく彼がプロレスを愛していることを感じさせる映画前半。
 
リング上のプロの仕事ぶりと、裏側での地道なメンテナンスや暖かな先輩としてのふるまい、とにかくミッキー・ロークがカッコいい。もちろん美しさや若さはないのだけど、笑顔の唇や目元に、そこはかとない色気と愛嬌が漂う。うん、ニコラスデカじゃなくてよかった。
 
後半、バイトでスーパーの総菜売り場を担当することになったラムが、売り場に入る前に、観客の声援を聞く演出が面白い。始めは不慣れだった場で、彼は徐々に得意の『パフォーマンス』を見せ始める。ラムが長年続けてきたのは何よりサービス精神が必要とされるショー、サービス業に向いていないわけがない。結局、骨の髄までショーマン。なんだ、『グレイテストマン・ショー』はこの映画だったのかー。
 
また、ラムが贔屓にするストリッパー、キャシディを演じたマリサ・トメイがとても魅力的。撮影当時、44才だって!そりゃ胸に張りはないけれど、逆にセクシーなんだ。それでいて超身持ちの堅い女。それでいて、情を捨てきれない女。全40代婦女子の地上の星、じゃなかった、希望の星となるヒロインだった。
キャシディが肉体と年齢のピークを過ぎた現在も若いころと同じ作業を続け、客に袖にされる姿の痛々しさにはラムと通じるものがあり、ラムがキャシディを好ましく思うのは、その点も大きいのだろう。
 
ある日試合後に倒れたラムは医者からプロレスを諦めるよう宣告される。それをきっかけに初めてプロレス以外の世界に目を向け、キャシディと客以上の関係を築こうとしたり、絶縁状態であった娘と復縁するための努力を始める。しかし、不器用なラムは他の職にも家庭人にも徹底的に向いていない。本来あるべき自分と乖離した平凡で忌々しい日常は、徐々に彼の歯車を狂わせる。歯車が一つ狂えば崩壊するのは必然、修正する術をラムはこれまでの人生で学んでいない。
 
前半はいわば時計が止まったままの空間で生きていたラムが、急に動き出した世界に戸惑い、人間そうそう変われるものではないとの厳しい現実を突きつけられる後半となる。
 
 
80年代VS90年代
洋楽に詳しくないので迂闊なことは言えないが、監督は、分かりやすくラムの境遇と音楽をリンクさせてくれている。最初に、「(90年代オルタナティブロック代表の)ニルヴァーナになってダメになった」とぼやく通り、ラムは80年代から抜け出せない男。
 
栄光の時代に留まり時流についていけなかった80年代レスラーは、ラムだけではない。閑散としたサイン会場で、サインを求められるラムはまだマシで全く客が訪れずに寝てしまう仲間のレスラーの画は侘しい。別の職業へ転身を遂げて、90年代を謳歌する仲間もいるというのに。
 
同じ思いを共有するキャシディと、「80年代の音楽が最高。デフ・レパード、ガンズ・アンド・ローゼス」「90年代は最低、大嫌い」と歌って叫び合うバーのシーンがとても良い。居残ったものと前に進んだものの間にラインが引かれ、もちろんここにミッキー自身の姿が重なる。監督にとって、映画そのものを体現する役者として絶対に譲れない条件だったのだろうと確信が深まる、納得のミッキー起用だ。
デカは完全に消えた。
 
全てを壊してしまったラムが最後のリングに向かうときに、再び流れるガンズ・アンド・ローゼズの曲が、改めて彼が80年代にしか生きられない男であることを強調する。
限界を迎えた心臓で、必殺技「ラム・ジャム」を決めようとポールに上ってポーズを決めるラム。スポットライトを背負った、老いた肉体がめちゃくちゃカッコいい。「俺に辞めろという資格があるのはファンだけだ」のマイクパフォーマンスもまた、ミッキー自身の独白のようだ。飛ぶ直前、ラムは一瞬、先程までキャシディがいた方を見る。
 
この数年前にロッキー・ザ・ファイナル公開され、個人的には、爺さんファイター映画を続けて鑑賞することになった。ロッキーには、天に召されたといえ最愛の伴侶エイドリアンがいる。しかしラムには誰もいない。無人のカーテンの隙間が彼に「飛ぶ」ことを決意させた。ロッキーを観たあとだと余計に物悲しいのだが、同時にラムの無骨な生き様がとても好ましい。
 
ミッキー、お疲れ。 
 

f:id:yanagiyashujin:20190510150724j:plain

(C)2008 Wild Bunch