Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『ボストン ストロング』

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監督:デビッド・ゴードン・グリーン、キャスト:ジェイク・ギレンホール、タチアナ・マズラニー、ミランダ・リチャードソン/2017年

 

この映画を観た日は偶然にも、私の弟君が神戸マラソンを走る日でした。

直前まで「20キロ以上走れる気がしない」と言っていたので、私は「完走できない」に1000円くらい賭けていたのですが、私の弟君といえば某私大を入学費から何から奨学金とバイト代の自費で卒業なさり、某新聞社に二年がかりで入社なさって今社説を書いているような、まさに「Stronger」。それはもう意志という意志の塊、リタイアなどするはずがないのでした。パチパチパチ。

ヤツが走り出して二時間ほど経ってから「あれ、そう言えばアイツ走ってるんじゃない?」と気付き「がんばれ~」と一言、今読むはずもないメールを送りました。
そして「マラソンなんてする奴の気が知れんぜ」と思いながら『ボストン ストロング』を観たのでした。

以下、脱線しまくりな完走ですが、あ、感想だったウフ、ちゃんとしたレビューは、いつかふかづめさんがしてくれると思います。 

 

◇あらすじ

ボストンで暮らしていたジェフ・ボーマンは、元恋人エリンの愛情を取り戻すため、彼女が出場するボストンマラソンの応援に駆けつけるが、ゴール地点付近で発生した爆弾テロに巻き込まれ、両脚を失う大ケガを負ってしまう。意識を取り戻したボーマンは警察に協力し、ボーマンの証言をもとに犯人が特定されると一躍ヒーローとして脚光を浴びるが・・・。(映画.com)

 

ジェイク・ギレンホールが大好きなのですが、映画観ない人には「知らん」と言われ、映画好きな人には「あー、はいはい」と思われちゃうんだよねえ。でも「この俳優が出ているから」という理由で映画を観るのはジェイクくらいなんです。キリアン・マーフィも大好きなんだけど、なにしろあの方は子育てに忙しいらしくて。 

ジェイクは以前から出演作品に製作でも関わっているが、最近製作会社ナイン・ストーリーズサリンジャー好きは以前から公言しておられる)を立ち上げ、本格的なプロデュース作品第一弾として作ったのがこの映画であります。 

 

◇ストレスフルな家庭環境

息子が両足を失ったというのに、アル中気味のお母さんを始め、親族にはデリカシーも配慮もない。バリアフリーにしろとまでは言わないが、ジェフがトイレで苦戦していても誰一人手を貸すことすら思いつかず、舞い込む取材やスポーツイベントへの出演オファーに夢中だ。
ジェフは、その環境に慣れているがゆえ諦めているのか、あるいは性格上の問題か、不満を口にせず、タオルで口を押えて叫び発散する。足を失っているというのに…。ただ彼自身、仕事にやる気も責任感もなく、母親に思ったことを言えず、元カノに未練タラタラなやや甘ったれの青年として描かれる。

元恋人のエリンは唯一まともな人物で、正面から状況に向き合い、ジェフを真摯に支える。彼女は彼女で、ルーズなジェフが約束通り自分の応援に来たこと、それが原因で足を失った事実に苦しんでいる。

「あなたが立ち直れないのは足を失くしたからじゃない、いつまでも子供だからだ」の台詞は厳しいが真っ当な言葉だ。
ただ、ジェフの母親の同意を得ずに引っ越してきて、朝、いかにも一緒に寝ておりましたの格好でスタスタ部屋から出てきて冷蔵庫を漁るのはいかがなものでしょうか。つまり、何か誰でも好きに出入りしているというか、ごちゃついた環境だなあ。 

 

◇ある青年が再生する話

ジェフは最初、足を無くしたことにそれほどショックを見せないのだが、徐々に不自由な日常生活(これは多分に家族の責任)とつらいリハビリにストレスを溜めていく。何より、被害者でありながら犯人特定に貢献したことで、テロに屈さず復興を目指すスローガン「ボストン ストロング」を象徴する英雄として周囲から持て囃され、実際の自分とのギャップに苦しむ。そして、一番傷つけたくなかったであろうエリンを傷つけるという最悪の状況に陥ってしまう。

演じるジェイクは、またしてもとても良い。
終盤に挿入されるテロ直後のシーンと「他の人間を助けてくれ」というジェフの言葉は、そんなに自分の価値を低く見ているのか・・・、と観ている側に改めて思わせる。

また、直後には騒然とする現場のシーンを映さず、後にジェフを襲うフラッシュバックにより観客に同じ衝撃を体験させたり、恩人カルロスの顔を終盤の対面時に初めてはっきり映すことで、前に進もうとするジェフの目線に合わせたりと、演出には工夫が見られる。

「英雄」という言葉を使っているのは周囲のみで、ジェイクが演じたのは変わることで再生しようとする青年の姿に他ならない。

 

◇ボストンの空気を想像する必要がある

ボストンっ子という言葉がある通り、スポーツに熱狂的でパワフルな、特徴ある土地柄なのだろうと思う。以前ボストンの会社に勤めていた友達にも聞いたが、レッドソックスに対する人々の思い入れは尋常ではない。生まれたときから衣食住に次ぐものとしてそこにある。こういったスポーツへの熱狂や、チームの地域密着性は、日本人なら特に馴染みがない部分だろう。

だが、長年浦和レッズサッカーチームだよ)のファンである私には、この雰囲気がよく理解できる。浦和の街にどれほどフットボールが浸透しているかは、ファン以外の人間はもちろん知る由もない。

ホームスタジアムは、保守的で穏やかな日本人のイメージを裏切るまったくの異世界だ。レッズファン(粗暴と言われることには滅茶苦茶反論があるんですが、それは置いといて)は、ユーモアとサッカーの知識に他のどのチームのファンより富み、試合中、独特な空間を作り出す。チームとサポーターの間では議論が交わされ、時にぶつかり合い、最後は和解する長い歴史を繰り返している。

浦和の街では、冬になるとサラリーマンのおじさんらが普通に防寒具としてレッズのマフラーを首に巻いている。居酒屋では日常的にサッカー談義が為され、時に浦和レッズコールが起こり、店の前を偶然通った老夫婦が当然のごとくそれに手拍子で合わせたりするのだ。そして突然、選手が吉野家に現れ、その場の全員に牛丼を奢ったりする。

私の職場の人間が、わざわざ一人暮らしの場所に浦和を選び、「レッズ怖いです」と言っているが、うっさい住むな。地元だったら気持ちはわかるが、わざわざ住むな。不動産屋からも絶対忠告があったはずだ。

昨年日本を代表するパッパー議員、へちゃむくれ小百合こと上西が「他人に自分の人生に乗っけて応援した気になってんじゃない」とレッズファンに喧嘩を売ったが、直後に一人の選手が「今日も他人の人生背負って走りまーす!」とコメントした。そういう関係性。そういう場所なのだ。

 

私、浦和に住んでないんだけどね。

 

まあつまり、ラスト、ジェイクがレッドソックスの試合で登場するシーンは、我々の想像以上に重要なシーンだ。爆発テロの後、レッドソックスは即座に「ボストン ストロング」をテーマにしたグッズを売り出し、売上で復興に貢献した。レッドソックスが試合に勝利することが人々に寄り添うことに繋がる、そういう土地なのだろうと思う。

その大事な舞台で、勇気の象徴とされたジェフがパフォーマンスを行うのは、ボストンの人々にはこれ以上ない希望であり、裏返せばジェフにとっては責任を伴う仕事だった。重責をこなし、裏方で人々から声を掛けられたジェフが握手で応えていくシーンは、だから決して偽善的な行為を映した場面ではない。ごく普通の青年が足を失ったことで自分の弱さと対峙して再生し、それがボストンの人々に力を与えることを表したシーンなのだ。

ジェイクの作品選びは本当に良いなと思う。今後もキャリー・マリガンジェシカ・チャステインとの共演が控えているらしく楽しみ。