Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『血と砂』

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監督:岡本喜八 キャスト:三船敏郎、団令子、仲代達矢/1965年

 
期末終わったと思ったら、期初も忙しいんです。
私の仕事は専門職なので、よく客先を訪問したり、お仕事受けたら途中経過を説明しに行ったりします。先日ある仕事の途中で、こちらが作った叩き台を、顧客が上層部に見せて承認を得るということになりました。担当の人に「もしここで上から修正が入ったら、納期が遅れますか?」と訊かれ、「『なんじゃこりゃあ!』とちゃぶ台返しが入らなければ問題はありません」と答えました。

お客さん達は「はっはっはッ、ちゃぶ台返し」「卓袱台返しって不思議な言葉だよね」とか言ってるんですが、違うだろ、そこは。
「『なんじゃこりゃあ!』って松田優作ですか」だろ。ったくもー。
 
さて本日は、岡本喜八っつぁんの血と砂となります。『トワイライト』との差がすごいって?トップの三船敏郎が怖いって?知らんがね。
 
近しい人間から「そろそろ、ガッツリしたの読みたいんですけど」と言われた。なにそれ。メニューをリクエストするならともかく「なんかサッパリしたもの」とか抽象的なこと言われるのが一番困るのよねッ。それにしても、「ガッツリしたの」って、この映画じゃない気がするのよねッ。
 
 
◇あらすじッ
太平洋戦争末期。百戦錬磨の戦歴を誇る曹長の小杉三船敏郎は、軍楽隊の少年たちを最前線に送ろうとする師団司令部に歯向かったため、北支戦線への転属を命じられる。転属先の隊長佐久間大尉仲代達矢は小杉と少年たちに、要所となる砦「火葬場(ヤキバ)」の奪取を命じる。
 
昭和二十年夏、北支戦線。「支」は「支那」、中国のことですネ。うちのじいちゃんは中国のことをずっと「支那」と呼んでいました。1937年に始まった日中戦争は、途中から太平洋戦争の流れに組み込まれ、第二次世界大戦の一枠となる。アジアの片隅のそのまた北方の一戦場が本作の舞台。
あと、劇中で三船敏郎が言う「パーロ」は、敵軍である中国共産党八路軍のことですネ。
 
昭和二十年の夏と聞けば、ラストまでなんとなく展開が予測できるわけだが、映画は敗戦色とは真逆の賑やかな演奏で始まる。その後も二時間を通して映画を彩るのは、軍楽隊によるジャズや童謡の演奏だ。モノクロの画面がとっつきにくいという人でも、少年たちが荒野を軽快に行進しながら奏でる『聖者の行進』と、そこに合流する三船敏郎の笑顔に、抵抗感をなくすことだろう。最初に強調しておくけれど、めちゃめちゃ面白い映画なんです。
 
 
◇リズミカルな戦争映画
冒頭の演奏シーンに象徴される通り、全編、ユーモアとリズムに彩られている。
難関のヤキバ攻略には、軍楽隊の十三人と小杉の他、葬儀屋の持田一等兵、板前の犬山一等兵、通信兵の志賀一等兵らが加わるが、それぞれにクセが強く個性豊かな顔ぶれだ。銃弾の降り注ぐ緊迫した局面においてもブレない彼らのマイペースさが笑いを誘う。また、同じくどのような状況下でも、寄せ集め集団の能天気を笑顔ひとつでフッと流す、小杉曹長の豪胆ぶりにはうっとり。
 
理不尽な暴力や飢えなど、戦争映画につきものの描写はない。カメラは、小さな砦を奪おうとする者、奪い返そうとする者を映すのみで、この戦いの意義を誰かに語らせることもない。敵の八路軍についても、「奴らは死体を丁重に扱う」と礼節を知る民族として描いている。
 
ジャズを始めとする音楽は、BGMではなく、兵士たちの心情や状況を伝える表現手段として常に中心にある。敵前逃亡の罪で射殺された若い見習士官に送る葬送曲、ヤキバ奪取出発前の『夕焼け小焼け』、売春婦のお春さんを思った『お春さん』の歌。どれも言葉を必要としない、感情豊かな演奏だ。
小杉が軍楽隊のメンバーを担当する楽器の名で呼ぶのは、彼らを兵士ではなく「楽団員」として扱うためで、なんとか生き残らせてやりたいという意思が伝わってくる。
 
諸所の動作で刻まれるリズムが、ユーモアと悲哀を調和する重要な要素となっている。例えば、突撃訓練の「イチニサンシ、ニニサンシ、ダダダダ、ダダダダ!」といった独特のリズム。ヤキバで、小杉が元甲子園児原田に手榴弾を投げさせる時の、「いち、に、さん!」「レフト、センター、ライト!」のリズム。
 
また、葬儀屋持田が、小杉らが敵を一掃した後のヤキバに突撃する際のスローモーション。持田は、誰もいない宙に向かって無我夢中で銃剣を突き出し、ステップを踏む。本作でスローモーションが使用されたのは、多分ここだけではないだろうか、直前に楽隊のリーダーであった原田とトロンボーンが戦死したことを知る観客の目には、このスローテンポなステップが滑稽かつ切なく映る。
戦争映画でありながらリズミカルな映画となっていて、1965年の作品なのに今観ても古臭さを感じさせない。
 
 
◇萌えキャラおります。
小杉と、登場時は融通の利かないエリートである佐久間大尉の対立が、どこかすっとぼけたテイストで描かれるのもユーモラスだ。
転属早々、ある理由から小杉は佐久間を殴り拘束されるが、殴られた方と殴った方ともに少年たちの演奏を眺めつつ、「なんだあの曲は」「見習士官への追悼でありましょう」「それなら『海行かば』が決まりだ」「明るい曲でないと寂しすぎます。そうは思いませんか」「思わんね」とやり取りするのがなんとも微笑ましく。
今、君らは殴り殴られ、営倉に向かう途中なのだが・・・。先程の殴り合いは、二人にとって予想内の出来事であったのか、はたまた佐久間が天然ボケなのか。
 
この印象を裏切らず、佐久間大尉は始めこそ鼻持ちならない職業軍人だが、実は思慮深く、情を解する人物であることが徐々に明かされる。後日、小杉の暴力を不問に付すこととし、「軍法会議にかけなくていいのですか」と進言する部下に、
 
「なんだ?雨の音で聞こえん」
「全く、聞こえん」
 
と無表情に言うところがすごく好き。
戦争映画に付随しがちな「理不尽な上官」を排除した点が気持ちよい。
 
ってか、佐久間大尉、なんていい男だと思ったら、仲代達矢なのかあぁぁ。
 
めっちゃカッコいいいいのお!めっちゃ好み。
厳めし顔のくせに、つつき甲斐があるってところがもう最高。
(謎の童貞設定は一体なに?)
 

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まあ素敵。
「指揮官は、進むときは先頭、退くときは最後尾!」のリズミカルな台詞も痺れる。
 
 
◇女性賛歌
もう一つ、この映画に華を添えるのが、お春さんを代表とする売春婦だ。
小杉を慕って、この戦線にやってきたお春さんは、恐らく中国人で現地徴用の売春婦なのだろう。薄い肢体やぺろりと出す舌が艶めかしい一方、小杉への一途な思いは純な少女のよう。慰安所の売春婦たちもみなあっけらかんと明るく、抱かれるか否か選択の主導権は彼女たちにある。ここには騙されて個室に閉じ込められ、一日何十人もの男に足を開くような娼婦の姿はない。
 
現実に、そういう場もあったし案外とこういう女たちもいたということなんだろう。少なくともこの映画は、悲惨な境遇の売春婦の姿を必要としない。「キスしてあげよっかー?」とじゃれたり、無防備に濡れた着物姿を晒す女たちは気ままに磊落だ。
小杉の「謹んで敬礼してから抱け」 の言葉といい、女たちへの感謝とリスペクトが捧げられている。
 
お春さんが相手する男たちが全員ヒゲ面の兵士なら、そこは抵抗感もあるのだろうが、何しろ全員未経験の少年音楽隊。お春さんに抱いてもらい、夢見心地になったり飛び跳ねたりするシーンは、呆れ笑いと同時に、彼らが生涯にこの一度しか女を抱けないことの悲しさに満ちている。
 
ここで監督は、少年らを見守る葬儀屋の持田(なぜかこいつも童貞設定)に、八路軍の旗は赤旗だが、こいつらが仰ぐ旗は軍旗ではなく、お春さんの赤い腰巻だ」と言わせる。
娼婦の下着を軍旗と見なすとは、当時は反発もあったのではないだろうか。だけどまあ、そんなもんだろう。老い若い関係なく、ちっぽけな一拠点のために死のうとするときに国を思う人間などいない。初めて抱いた女のために死ぬ。建前をとっぱらったら、人間の行動原理なんてそんなもの。誰が旗や知らない相手のために死ねるんだとの皮肉気なメッセージを、下ネタとユーモアの中に込めるセンスに脱帽。
 
モノクロ映画だけど、イロ(情婦)鮮やかなんだよね。
なんつって。 
 

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「小杉曹長大好き」お春さん。愛らしい。

 
終盤、次々と死んでいく少年たちの姿に、過剰な演出はなく愁嘆場も少ない。小杉曹長の死の場面はそれなりに丁寧ではあったが、今際の際の言葉がお春さんへの「ホントにありがとう!」であるのがまた、軍人の死に様らしくなくて良いよなあ。
 
巷で評価されているような、戦争アクションエンタテインメントというと、ちょっと違和感があるなと思っている。冒頭と同じ『聖者の行進』を演奏しながら、少年たちが死を待つラストシーン、音楽から徐々に「楽器」が欠け落ちていくさまは悲劇以外の何ものでもない。

ユーモア色が濃ければ濃いほど、その分悲哀が際立つのは当然のこと、お涙頂戴の演出を徹底して避けカラリと描きつつも、その明るさが逆に影を色濃くする、そんなコントラストを喜八っつぁんは狙ったのではないかと考える。
 
板前士官こと犬山(佐藤允)の最期の台詞「お前らはメシ抜きだ!」が笑いのダメ押しで。
皆死んだのに、まだ笑わせるのか!と。
 
ブログ初回の『軍旗はためく下に』は、迂闊にはお勧めしにくいけれど、この映画は全力でお勧めする。