Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『必死剣 鳥刺し』

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監督:平山秀幸 キャスト:豊川悦司池脇千鶴、吉川晃司/2010年
 
先日、北海道でガーデンとお菓子作りに勤しむ美しい主婦knoriさんがこの映画をレビューしていました。私も好きな作品なのですと言ったら「やなぎちゃん。書きなさい。明日にでも書きなさい」と美しく諭されました。ふかづめさんにも「やーれ、やーれ」と囃し立てられたような気がするので、リクエスト回ですね、いわば。
 
ついでのようで申し訳ないのですが、普段直接やり取りのない読者の方、いつも読んでくださって星をつけてくれて、ありがとうございます。私が互いに読者登録している方はとても少ないのですが、その分丁寧に読んでおります。これからもよろしくお願いします。気が向いたら、恐れずにコメントくださいね。
 
 
◇あらすじ
天心独名流の剣の達人・兼見三左エ門豊川悦司は、海坂藩の藩政に悪影響を与える藩主の側室を殺める。しかし処分は軽いもので、その腕を買われた三左エ門は藩主と対立する別家の帯屋隼人正(おびやはやとのしょう)殺害の命を受ける。一方、三左エ門の亡妻の姪・里尾池脇千鶴は、密かに三左エ門に恋心を寄せていた。(映画.com)

藤沢周平の短編小説は多く映画されていて、そのうち「隠し剣シリーズ」を原作としているのが隠し剣 鬼の爪』(2004年)『武士の一分』(2006年)と本作『必死剣 鳥刺し』ですね。割と評判のよいたそがれ清兵衛』(2002年)も観たはずなんだけど、ぼやっとした記憶しかないんだよなあ。ということで、本作を観る前に『たそがれ』と『鬼の爪』を観直しました。どちらも山田洋次監督の作品です。
 
 
たそがれ清兵衛』鑑賞後、感想
 
うん、やっぱ、ぼやっとして辛気臭いわ。
 
初回も確かそう思ったのよ。観た後で何が残ってる?って訊かれたら、真田広之の月代(※)のうっすら伸びた薄汚い頭と、土ぼこり色の寒々しい景色。
 
※念のためですが、「さかやき」と読みます。ちょんまげ左右の、頭髪を剃りあげた部分です。もちろん綺麗に剃っていることが身だしなみ。
 
真田広之はカッコいいし、宮沢りえも文句なく美しいのだけど。禄高50石の下級武士の極貧の生活の様と、朋江(宮沢りえ)との恋模様が、のったらのったらと進んでいくが、ようやくの見せ場である、謀反人余吾善右衛門を討ちに行くあたりが特にいただけない。
 
一刀流の使い手、余吾を討つよう藩命をうけた清兵衛は、相応しい見なりを整えるための手助けを朋江に頼む。ここまで、私は清兵衛の月代が気になって気になって。序盤は分かりやすい貧乏の表現として仕方ないにしても、途中から、なんぼなんでも髪剃る暇くらいできたと思うの。で、さすがにこの場面では凛々しい真田広之が見られるだろうと思ったが、こざっぱりした着物に着替えたのに月代はボウボウのまま!なんでよ!
 
余吾の立て籠る家に踏み込む清兵衛。「奴は獣ですぞ!」という警告の声に、ぞろ緊張が増すが、いざ部屋に入ってみれば敵はベロベロと酔っ払い「まあ座れ、話をしようや」「俺は逃げるつもりだ」と言い出す。え~。拍子抜けとはまさにこのこと。二人はグダグダ話すうち、
 
「うちも女房、労咳だったからさ。夕方に熱出さなかった?」
「わかるー」
「あと、米櫃の底が見えた時の悲しい気持ち」
「それな!」
 
と、すっかり意気投合。しかし気を許した清兵衛が「実は、この刀って竹光なん」とアホな暴露をすると相手の空気が一変。これまでの茶番を挽回するように斬り合いへと転じるのだが、おせーわな。雑談で弛緩した空気を今更締めようとしても時既に遅し、観客にもタイミングというものがある。まさかこの流れから清兵衛が死ぬとも思えないので、命のやり取り感がまったくない。ただのドタバタ劇を見ることになる。
 
しかも、敢えて室内に篭り地の利を得て闘っていたはずの余吾が、振り上げた刀を鴨居に突っかけ、清兵衛がその隙を突く工夫のない決着。
不完全燃焼とはこのことよ。例えるならばW杯決勝、気持ちを最高潮にTV前で構えたのに、互いに相手の出方を見合った結果、審判がシュミレーションに引っかかってPKで決着ついたみたいな感じ。
 
さてさて『必死剣 鳥刺し』は、そんな『たそがれ』らと比べれば猶更に、見せ所をきちんと押さえた締まった映画だった。
 
 
やった、月代剃ってるッ
監督は、平山秀幸モントリオール世界映画祭国際批評家連盟賞や日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した愛を乞うひとや、『OUT』『しゃべれどもしゃべれどもで知られている。余談ですが、『OUT』原作者の桐野夏生は昔ナンバーワンに好きな作家でしたわ。『グロテスク』が最強
 
場所は多くの藤沢作品の舞台となっている山形県庄内地方の架空の藩、海坂藩。入りの能のシーンがまずは印象的だ。藩主右京太夫村上淳の側に控えた側室連子関めぐみが、舞手に拍手を贈る。派手な衣装に勝気そうな顔、公の場での主を差し置く行動が如何にも不遜だが、右京太夫は微笑んで彼女に倣う。つまりは藩主に強い影響力を持つ女であるということだ。人々が退出する中、するすると連子に近づいた三左エ門がその腕をつかみ、とん、と柱に押し付け「御免」と胸に刀を差し込む。静かで滑らかな動きの中で、突然、側室殺しが起こることの違和感に、思わず見入るファーストシーンだ。
 
その後は、一年の閉門を申し渡され刑に服す三左エ門と甲斐甲斐しく世話をする亡妻の姪、里尾の様子に、過去のシーンが挿入され、海坂藩が危機的な状況にあることが明かされていく。
 
三左エ門は、物静かな人格者だが、屋敷を見て分かる通り身分の高い武士ではない。下級武士の主人公が武士の本分を守って主君の無謀な命令に耐え、最後には個人の意思を貫くのが「隠し剣シリーズ」の共通したテーマだ。しかしテーマが何であろうと、映画が始まってから私がまず目を向けたのは月代。
 
実は『隠し剣 鬼の爪』でも、永瀬正敏の薄汚い月代を終始見せられた。気になってストーリーどころではない。なによりこの『鬼の爪』、『たそがれ清兵衛』ととても似ている。土埃に覆われたような画面。主人公は風貌と性格がそっくり。嫁ぎ先で辛い目にあって出戻ったヒロインと、二人が一度はすれ違う展開。ぎゃあぎゃあと口うるさい親戚のジジイにボケた婆さん。立て籠った謀反人を討つよう下される藩命、討つ相手は一刀流の名手。なんでここまでそっくり同じに作る必要があったのか?(そして隠し剣の見せ方がいくら何でもショボすぎる)
 
山田洋次が撮る武士は、「出世も富もいらないの。冴えないボクだけど愛してよん。」というショボい感じがしていかんな。
 
そのようなわけで、本作で豊川悦司演じる三左エ門の綺麗な月代を見たときの爽快感!やっと、やっと剃ってくれた。あと、シャキッとしてるわあ!まあ、禄高があちら30~50石、こちら280石と全く違うから身なりも違うわけだけどね。
 
 
声って重要・・・
さて月代でまずは好印象を勝ち取った豊川悦司は、体つきといい軽く苦みが入った甘い顔といい、着物映えのするいい男だ。見た目はね。
残念でならないのは、ヘリウムガスを吸ったかのような、あの声。あれねえ・・・。ヒモ役とかさ、狂人の浪人とかなら良いのかもしれないけど、それなりのお役目を預かる武士となるとさ・・・。ご本人には申し訳ないんだけど、どの場面でもトヨエツが声を発するたびに「オウ、ノウ」と悶絶してしまう。隠し剣シリーズめ、月代の次は声で私を苦しめるのか。
 
豊川悦司を食う勢いの存在感を見せ、声の面でも完全に私を生き返らせてくれたのが吉川晃司だ。演じたのは、藩主の御別家(※ごべっけ/分家のようなもの)、帯屋隼人生。政に女の意見を入れて藩の財政を傾けるバカ当主村上淳とは正反対に、人望厚く質実剛健。優れた剣の遣い手で、極めた流派はシンバルキック直心流。
 
 
 
 

オラァーーーーーー!これがオレの直心流じゃあああ。
 
 
 
そもそも「帯屋隼人生(おびや はやとのしょう)」って名前がクールだし、漢気ある役柄が吉川の兄貴にドハマってえらくカッコいい。この人は、声よし、顔よし、ガタイよし、撮り甲斐があるんだろうなあ。時代劇に起用されるのも頷ける。

帯屋隼人生、これね。↓

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・・・? なんか違うような気がする。
 

あ、こっちでした。↓

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作品を間違えてしまったでござるよ。おろ~。
 
 
 
他の作品との差別化
武士の本分と個人の意思の間で葛藤するメインストーリーに、ミステリー要素が多く絡められている点も面白い。
 
・なぜ、三左エ門は連子を殺したのか?
・本来ならば即打ち首となるところ、なぜ一年の閉門程度の軽い罪ですんだのか?
・三左エ門のみが使う、発動するときには遣い手は半ば死んでいるという「必死剣 鳥刺し」とはどのような剣術なのか
 
ミステリー×時代物は楽しい。これらはスッキリ解決するものもあれば、しないものもあるが、まあ大した問題ではない。
 
一番の見せ場は終盤の三左エ門と御別家(吉川)の対決だ。締まった空気もさることながら、暗愚の主君のために、君主の器である相手を斬らなければならないジレンマを孕んでいるのが非常にドラマティック。
 
以前年貢の値上げに耐えかねて蜂起した領民たちとの一触即発の事態を、御別家が鎮めたことを三左エ門は知っている。領内を旅している際に偶然すれ違った御別家の姿は、一揆の件で見せた裁量の深さと共に三左エ門の脳裏に焼き付いており、実は密かに敬意を抱いている相手なのだ。この、片方は相手に特別な思いを抱き、片方は何も知らずにすれ違うシーンが良い。
 
主君のためという呪いの鎖に縛られて個を殺し、斬りたくない相手を斬る。状況は他二作と同じだが、本作にある、矛盾する複雑な心理が二作では描写されていただろうか。
 

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一人は特別な思いをもって、一人は気づかずに、行き合う。

 

観客が期待する殺陣を、相応しい舞台できっちり見せてくれた点もポイントが高い。

これから起こる凶事を予知するように、ざあざあと振る雨(しとしとじゃないところがいい)。雨の中ゆっくりと城へと向かっていくる御別家は、これまた死神のように不吉だ。藩主を逃がし、襖を閉じて振り向く三左エ門の仕草が、二人の死闘の幕開けを表す。廊下で三左エ門と対峙し、斬り合いを避けられないと知った御別家の、羽織を脱ぎ捨てる仕草が滅法カッコいい。
 
対する三左エ門はなりませぬ」とこちらも渋く。。。いや、なんでそこでヘリウムガス吸うの!?

肩衣から腕を抜いて「お手迎いいたしますぞ」と応じ。。。え、また吸った!?
ちょ、カット、カットー!誰か豊川さんに台詞言う前にガス吸うなって言ってくれない!?
 
二人の対決は、三左衛門の咄嗟の機転から、御別家の刀が弾かれて切っ先が鴨居に刺さり、その隙をついたことで三左エ門が勝利する。『たそがれ清兵衛』では、前述の通りのお粗末ぶりだったので、まるで、「こうでもなきゃ、武士が鴨居に刀ひっかけねェだろ」と皮肉っているようで、ちょっと笑った。
 
御別家との対決は言わば静の戦い、その後は雨の降りしきる庭で、多勢に囲まれた動の戦いに転じる。以前は生きる気力を失っていた三左エ門だったが、ザンバラ髪で見苦しく剣を振り回す姿に観客が見るのは、恨みを上回る生への執着だ。あれほど物静かに藩命に従ってきた男の、自分の命に拘る幽鬼のような姿に目を奪われる。
 
もう一つ、三左エ門を慕い続けた里尾の想いが実った際、二人の濡れ場があったことに着目したい。どうも『武士の一分』『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』などで不満なのは、妻あるいは想い人が主人公にとって最重要な存在であるのに(しかもどの女優もとても美しいのに)、身体を重ねるシーンが一切ないことだ。画面上は完全なプラトニックである。まるで生々しい情欲を描けば、主人公の清廉さが失われると言わんばかりに、主人公の誠実な人柄と静かな愛情のみを映す。

その点、本作は「生への執着」に繋がる理由として女への情愛=濡れ場を描くことから逃げず、他作品との差別化を図っていたところが非常に評価できる。ただ、なぜか豊川悦司の背中が異様にテカテカしていたのが気になった・・・。
 
逆に明らかに不足していのは、「三左エ門が連子を殺すに至るまで」が描かれなかったこと。妻を亡くして、後顧の憂いなくご政道を正したのだとする最低限の落としどころはあるにせよ、三左エ門が直接的に連子の毒を感じる場面はない。他人の噂話や伝聞のみを頼りに主君の側室殺しという大罪を犯したようにも見え、思慮深いキャラクターと矛盾する。それを決意した瞬間があれば良かった。
 
あと、岸部一徳の言うことは、信じちゃだめだって!
 
引用:(C)2010「必死剣鳥刺し」製作委員会