Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『駆込み女と駆出し男』

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監督&脚本:原田眞人 キャスト:大泉洋戸田恵梨香満島ひかり/2015年

以前通っていた着付け教室のメンバーと仲良くしていますが、着物なんか着ようとする人ってやっぱり酔狂で変わってますよね。ケイちゃんという人がいます。酸いも甘いも噛み分けた感じのオモロい人で、動じないキレない、基本酔っ払いだけどとにかく人に優しい。詳しいことは知らんのですが、本業を持ちつつセミプロの歌手らしく、度々どっかでライブをやっているらしい。

先日「2/9に私の生誕祭をやるから来て」と言われて、どこかの店でわいわいやる感じらしいので「ちょっと顔出そうかな」ってことだったんです、はじめは。しかし、日が近づくにつれ、「ちょっと歌うことになった」「何かドリームバンドが集まった」となり、ついに「完全ライブになりました、遅刻厳禁!」と告知がありました。

先程「席あるんだっけ?」とうっかり訊いたら、「だーかーらー、椅子なんかないよ。三十人くらいの三時間立ちっぱなしライブだって言ってるでしょ!」と怒られました。

どんな、誕生会なのでしょうか・・・コワイ。

そんなわけで、明日は立ちっぱなしの私がお送りする、日本史のおべんきょうができるかもしれない映画感想となります。しかし、この映画のポスターと題名ね。コメディかと思うよね。コメディじゃないんですよ。

 

◇あらすじ

舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。(映画.com)

時は1841年、天保十二年。
天保と聞けば日本史好きな人ならば、天保の改革、老中水野、倹約令などが頭に浮かぶだろう。さらに倹約令により弾圧された当時の風俗や文化、具体的な著名人の名前が思い浮かべばなお良し、逆に時代の見当がつかない観客は、始まりから戸惑うこともあるかもしれない。

何らかの罪により、市中を引き回される女たち。「おんなぎだゆう」の単語が聞き取れるが、漢字が思い浮かばないと彼女達が縛されている理由を察するのは難しい。
続けて、堤真一演じる堀切屋が、男たちを贅沢にもてなす座敷の場面。ある男に「しゅんすいさん」と呼びかける通り、座敷の一人は春色梅児誉美を代表作とした戯作者の為永春水だ。江戸後期を代表する文化人で、人情本と呼ばれる主に男女の色恋話を描き人気を博したが、内容が淫らであるとの理由でお咎めを受け、そのときの刑が原因で死んだ。

また「ほうかん」という言葉も出るが、これは「幇間」で所謂たいこもち、酒席などで芸者・舞妓を助けて場を盛り上げ、客の機嫌取りをする役割の男たちのこと。堀切屋らを監視する男は鳥居耀蔵で、老中水野忠邦の右腕として苛烈な質素倹約を庶民に強いた。

これだけの情報が、最初10分に詰まっているから堪らない。簡単に言うと、上から贅沢禁止令が出て、ちょっとエロい本や芝居、落語などの娯楽、絹の着物など華美な装いが禁止された。大泉洋演じる信次郎の「楽しいことは全部悪いことかよ!」の叫びが、庶民の叫びと思えばいい。

それにしても、堤真一の滑舌には問題があるよね・・・。クライマーズ・ハイでも、新聞社内の激論は聞き取りづらかった。しかしあの映画で、墜落原因について探る堺雅人が「隔壁ですね?」とカマかけるシーンはすごくカッコよかった。

あ、脱線した。

為永春水だけでなく、人々の雑談の中には、浮世絵師であり戯作者であった山東京伝の名も挙がる。雑談の場である特徴的な形の大衆浴場は、式亭三馬浮世風呂への目配せだろう。そういう情報をキャッチするたび、日本史好きとしてはアガる。

特に『八犬伝』の作者曲亭馬琴は、劇中で当時の文化人代表と位置付けられ、信次郎にも色々な意味で特別な存在となる。『八犬伝』は、犬の生まれ変わり的八人の青年が、腐敗したご政道を正すために戦う長編の読み本で、八人のキャラにイケメン、力持ち、女装青年、ショタなど各種メンズを揃えた萌え本。最後は失明した馬琴が、息子の嫁に口述筆記させ、二十八年をかけて完成させたライフワークだった。ちなみにわたしも八犬伝が大好きで。。。あ、また脱線するぅ。

とにかく、庶民の愛する風俗や表現がお上により弾圧された時代だった。進退窮まった女たちを描く舞台に、この時代を選んだことは良いアイディアではないでしょうか。監督は、江戸庶民の生活を撮り続けた溝口健二に影響を受けていると語っており、当時の町人言葉や人々が口ずさんでいた歌を取り入れることに拘った。特に言葉への拘りは、御用宿の利平が「素晴らしい」を「すぼらし」(みすぼらしい)と勘違いした際、信次郎がそれを正して「素敵」という言葉を教える場面などに顕著だし、早口の長台詞や川柳などもバンバンと放り込まれる。

 

◇言葉強い

「言葉にこだわった映画」とはおかしな言い方で、映画は言うまでもなく映像で表現を為すメディアだ。小説こそが、この物語の本当の舞台だろう。言葉での情報が過多であるとの指摘、「早口で何言っているかわからん」との不満もあるだろうが、監督の、そういった批判は織り込み済みの挑戦である点を強調しておく。会話の詳細が分からずとも、当時の庶民の息遣いを感じてほしいとのメッセージを大事にしたい。

また、「聞いたことない言葉が多い」の不満は、単なる知識の問題で、低評価の理由として堂々と挙げるものではないと思う。時代劇好きな私としては、当時の人名や言葉を、よくぞ大衆に阿らずにぶちこんでくれたと感心した。

なお、ストーリーは、信次郎が戯作修行のために事情を抱えた女達を「人見」し、それぞれの人生に立ち会うものだし、テンポのよい場面も多く、物語として十二分に楽しめるようにできている。

御用宿で繰り広げられる信次郎と女衒の三八親分の口喧嘩は大きな見せ場の一つ。信次郎が、東慶寺とはどんな寺かを口八丁で親分に説き、追い返そうとする。曰く「東慶寺は権現様(徳川家康)お声がかりの寺ですよ」。

東慶寺千姫所縁の寺であり、千姫の養女天秀尼が住持となった際に、家康から寺法に対するお墨つきを得たという伝承に触れた台詞だ。また信次郎は、会津藩堀主水一族のエピソードを持ち出すが、これは簡単に言えば、会津のお殿様が、部下の主水に諌められたのに激怒して主水らを誅殺。妻子らは東慶寺に逃げ込み、殿様は東慶寺側に女達を差し出せと迫ったが、天秀尼は断固として応じず逆に殿様を失脚させた話を指している。なんかこういう漫画あったでしょ、柳生十兵衛が堀の女たちを鍛えて殿様に復讐する・・・ってちょっとエロい時代劇漫画。

ここでの、大泉洋さんも苦労したであろう長口上の台詞は、東慶寺がおいそれとは踏み込めない場所であることを、観客および三八親分に知らしめるわけである。

堂々と「かいえき」などと言わせるあたり(改易)、観客に対する配慮は相変わらず見えず、そこが気持ち良くて、もっとやれーと煽りたくなるが、「言ってることはよくわからんかったけど、とにかく信次郎が口だけでヤクザ者を追い払ったのね」との目線でも十分楽しむことができる。ひとえに大泉洋と三八親分のキャラクターとパフォーマンスのおかげである。

だからアレコレ言ったけど、別に日本史知らなくても楽しめるの、わかった?

 

一方で、映像の美しさを楽しむのもよいと思う。東慶寺の厳かさ、四季の移り変わり、駆け込んだものの何の未来も約束されない女たちの物悲しさ、それを視覚で伝える黒の衣。一転して初夏の爽やかな浴衣、衣替えに華やぐ女たちのひそやかな笑いが少しずつ傷の癒えるさまを鮮やかに映している。

さらに女達のエピソードに合うよう、映像的な工夫が為されているのも良いのである。
寺中において妊娠疑惑の生じたおゆきの「大審問」では、庭を挟んで見守る女達をパノラマのように広く映した画が芝居の舞台を思わせ、「大審問」の名に相応しい。また、足抜けした花魁のおせんが姉と再会するシーンは、抱き合う姉妹の体温が感じられるように雪の舞台とし、家族に降りかかる雪を美しく映す。死を間近にした満島ひかりがお山を下りるシーンでは、女達の夏の涼しげな着物が、まるで弔い装束のように目を打つ。


◇キャスト強い

これだけ揃えればそりゃあね、とオマケはついてしまうが、やはり役者が強烈だった。狂言回しの信次郎は、大泉洋は演技する必要がなかったのではと考えたくなるほど、そのまんま大泉洋だった。満島ひかり演じたお吟の婀娜っぽさは説明不要。また、お吟が今生の別れに、戸田恵梨香演じる”じょご”に贈る「べったべった、だんだん」は、渾身の「べったべった、だんだん」だった・・・。意味不明だろうから、観て下さい。東慶寺に駆け込んだ理由が一番ドラマティックだし、愛しい堀切屋に見送られながら事切れるのも良いのである。

また、戸田恵梨香が良かったと思う。つまらないドラマや映画で人形みたいな役しか見たことがなくて特徴のない顔の印象だったが、今回のじょごはなんとも愛らしい。満島ひかりの強烈な存在感を影として陽の部分を担い、過去を脱ぎ捨てて未来に向かう女性を凛々しく演じていた。

そのまんま大泉洋、怪物樹木希林キムラ緑子、神野三鈴など癖ある個性派ばかりの中で、法秀尼を演じた陽月華さんがおもしろかった。周囲が強いので、芝居はたどたどしく映るのだが、人を疑うことを知らないお嬢様である法秀尼に、そのたどたどしさが無垢さとしてハマる。他の尼を黙らせるときの「もうよい!」のアクションや「法秀が良いと申しました」の高慢な物言いが大変可愛らしい。

日本映画にも、こんないい作品がある。粋、人情、美は、まだ日本映画の得意分野のはずなのだ。頑張ってほしいものです。

 

あと、オープニングが大変よろしいです。信次郎を追う役人の呼子の音に、朗々とした独唱が重なる。これは、やはり『浮世風呂』に出てくる海老屋甚句という歌らしく、当時の舟乗りたちはみな舟を漕ぎながら口ずさんだそうだ。歌詞のように、荷を積んだ子舟が堀切屋の裏手につくところから物語は始まる。その流れが「素敵」だった。