Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『あの頃、君を追いかけた』

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監督:長谷川康夫 キャスト:山田裕貴齋藤飛鳥/2018年
 
おはようございます。
最近、夫が息子や娘のお迎えによく行くので、私の周辺の人は、「旦那さん、子育てや家事に積極的ね」と思っていると思います。うふふ。そうなの、色々やってくれてるの!ただ、それには理由があってね?
 
 
夫の会社が潰れました。だから、ずーっと夏休み!
仕事から帰ると掃除も
洗濯も済んでるし、夕ご飯だって出来ている!
帰宅したら人の作ったご飯が出てくる、これぞハッピーライフ!
 
真面目な話、60年くらい続いていた会社だったんだけど、儚いものです。
それにしても夫の伝え方がひどかった。ある日の夜11時に「お話が二つあります」と。普段こんなこと言わないので、絶対ヤな話です。
 
「はい」
「一つ目、夏のボーナス出ません」
「え。」
「二つ目、明日、会社が潰れます」
 
え。『今日は会社休みます』じゃなくて?
 
まあ、でも、今は一旦ビジネスのしがらみや通勤電車の鬱陶しさを忘れ、高校生のピュアな恋愛映画でも楽しんではどうでしょうか。きっと半年後には「『あの頃、君(職)を追いかけた』よね」なんつって、懐かしく振り返っているよ。
 
半年後、それは失業保険が切れるとき。そのときまだ職を追いかけていたら、私が箒を持ってお前を追いかける。
 
 
◇あらすじ
台湾で大ヒットを記録した同名作品の舞台を日本に移し、「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴、「乃木坂46」の齋藤飛鳥主演により再映画化。地方都市の高校に通う水島浩介は、悪友たちとバカなことばかりしながら、気楽な高校生活を楽しんでいた。ある日、浩介の度を越した悪ふざけによって授業が中断。激怒した教師が浩介のお目付け役として任命したのが優等生の早瀬真愛だった。(映画.com)
 
「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴?違うでしょ、「闇金ドッグス」シリーズの山田裕貴でしょ!闇犬の素晴らしいレビューは、↓をどうぞ。あと、これだけ言わせて。
 
忠臣さんが高校生役を!?
 
 
 
本作の監督はホワイトアウト』(2000年)や、亡国のイージス』(2005年)『真夏のオリオン』(2009年)『空母いぶき』(2019)など、やたらと福井晴敏護衛艦駆逐艦が絡む作品の脚本を手掛けた人で、監督としてはあまり実績がないのですね。今挙げた映画も観てないんで、全然分かりません。
 
あらすじにもある通り、オリジナルは台湾の人気作家ギデンズ・コーが自伝的小説を自ら映画化した作品。私は台湾版を先に観ました。比較に意味がないのは分かってるんだけど、観ちゃったもんで、思いっきり比較論に突っ走るね。
 
 
まずは突っ込まねばならない
鑑賞を終えまして、一言。「信号、青だけど渡らないの?」。
もう一言。「言うほど追いかけてない」。
 
二人は前後の席になり接点を持った瞬間から、互いに憎からず思っている。教師公認のマンツーマン家庭教師に二人きりの夜の学校、見上げる満月、約束のポニーテール。GOサイン揃ってるよー。
 
浩介の友人たちも真愛に恋しているが、陰で好き好き言いながら誰一人本気でぶつかる男子はおらず、さらに真愛の親友の詩子松本穂香は幼いころから浩介を好いているのだが、「真愛を応援するよ」と、抜け駆けることはない。
 
みんな交通ルールを守りながら、どうぞどうぞと譲り合い、浩介と真愛のために道を開けているんだけど、肝心の二人が停車したままっていうね。
 
冒頭で紹介される仲間たち(スポーツの天才、秀才、ゲイとつぶぞろい)、行動や言葉が、ステレオタイプで記号的だ。台湾版では主役コートンを始めとする五人が、教師も手を焼く悪タレとしてユーモラスに描かれていたが、日本版は全員、小奇麗。小綺麗ががんばってワルガキを演じている。どう見ても、クラスの人気者とそのご学友にしか見えない連中に「悪ガキなんです」と無理やり札を貼る不自然さ(なので、教師が真愛に浩介の指導役を命じる流れも不自然)。
 
唐突にじゃれあったり踊ったり、特に何も生まない画の連続。監督自身の体験ゆえか、青春期の無鉄砲が微笑ましく映し出されていたオリジナルに比べると、ちょっとわざとらしさがあって。
 
オリジナルの後なので、点が辛くなるのは自覚しつつ、見ていてモゾモゾしてしまう。そもそも自分にとって教室って、こんな悪意なくキラキラした場所じゃなかったな。「ははん、こりゃ恋愛というより、教室という特殊で異常な空間を一時的に共有する中で生まれた錯覚ですな」とか囁くわけ、リトル・ヤナギヤが。
 
「女王蜂」のアヴちゃんだって歌っているよ、
 
 先生あんた教室に
 あたしら詰めてどうすんの?
 こんな中で愛し合え?
 命の尊さ教え合え?
 笑かすな
 
ってね。
 
ただ、青春ラブストーリーとしては凡庸だが、二人が結ばれなかった理由が割と痛かったり、些細なすれ違いへの後悔などに着目すると、十分に楽しめるよって感想になっております。
 

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こんなゴージャスなワルガキいる?
 
 
台日ヒロイン対決!
台湾の空気は、日本で古き良きと表される時代のものと似ている。例えば、誰かが困っていたら躊躇なく声を掛ける、お年寄りが電車で立っていれば遠くの席の若者が大声で手招き席を譲る。年長者や弱者を労わる気持ちが、まだ国民の間に浸透している国だ。

対して日本は、マナー面で比較するならば、本来マナーとは「相手を気持ち良くするもの」であるはずだが、自分が火の粉を浴びないよう防御するための手段になりつつある(全てとは言わない)。
 
こういった国の違いが、各作品のヒロインに投影されている。台湾版のヒロイン、チアイーは健康的な美少女で、世話焼き学級委員長タイプ、感情表現も豊かでダイレクトだ。齋藤飛鳥が演じた真愛は、達観した目つきの、落ち着きある少女。オリジナルのヒロイン像を採用せず、あくまで現代日本を象徴するような、やや醒めた優等生としたのが良かった。
 
逆に言えば、そのようなヒロイン像だからこそ、齋藤飛鳥はこの映画でギリギリ成り立っていた。山田裕貴の変顔(多分アドリブ)に、恐らく本気で笑ってしまったシーンは愛らしくてほっこりしたけれど、全体的に表情は人形めいており、泣き顔はたぶん目薬。残念ながら、男子が劣情を催すに足る少女期の生生しい色気もなければ、マドンナ感は全くない。細木のような手足と幼い顔は、発育不全のリスといった感じで、、、。
 
言い過ぎだな、読者様にファンがいたら、どうするのよ。ええっと、今時こんな小学生もいるよねと思うほどのあどけなさ、、、。あわわフォローになってない、どうしよ、貴重な読者が減ったら。何しろ、この映画で初めて道玄坂48」というアイドルグループの存在を知ったもので申し訳ない。
 
台湾版のミシェル・チェンのマドンナ感は圧倒的であったので、まずはこの点で作品の評価が別れるのは無理もないだろう。
 
ところで、我らが山田裕貴だが、目の印象が強烈すぎるため、ヤンキーや元ヤクザやらがベスポジであると思っていた。本人も、実際の涙脆くて熱い性格にも関わらず、ダークサイドの役柄が本当の自分に近いと感じるときがあると発言している。どこかの局でやっていた刑事ドラマの熱血刑事役は目も当てられなかったし、ヤンキーから脱却できるのだろうかと勝手に心配していたが、この映画を観て、ウン、やっぱり、いい役者だよ。わたしうれしい。
 
ただ、本作では、存在感の強さゆえに他の仲間の存在を消しており、先も書いたようにコートン演じたクー・チェンドンのような堂々たる悪ガキ感はなかったので、ウン、頑張れ。
 
ヒロイン像の違いは、「二人が結ばれなかった理由」にも影響している。台湾版に感じるのは互いの「幼さ」で、多くの台湾のドラマがそうであるように、思考や展開がベタだ。「恋は成就したら形を変えてしまう、もっと追っていて欲しかった」とのチアイーの心理は少女らしい傲慢さに満ちている。
 
日本版では、真愛が浩介との恋に踏み切れなかった理由を「恐れ」とし、脚本は、より繊細だ。詩子が浩介を指して言う「あいつの中には芸術家と犯罪者がいる」との言葉は少々気取り過ぎで、要は、内で何かが渦巻き爆発を求めているが、どう扱っていいか分からずにいる若者といったところ。衝動を捌ききれずに、浩介は脈絡のない突発的な行動を取り、物事に「意味」を求める真愛はそれについていけない。
 
真愛は彼を理解しようと格闘技の試合を見に行くが、逆に、自分の理解の及ばない浩介に、ひいては二人の未来に「恐れ」を抱いてしまう。また、彼女は「浩介は私の表面しか見ていないのでは?」との不安も感じている。真愛の用心深さが、二人の決定的な違いを浮き彫りにする。この辺りの脚本は、ヒロインが複雑さを内包した、日本版が優れていたように思う。
 
 
台日キミオイ対決!
ところで、このリメイク、過ぎるくらいにオリジナルをリスペクトしている。オリジナルは素晴らしい出来だ。だが、構図やロケーションまで忠実に真似た意図はなんなのだろう。日本なりのアプローチはなかったのだろうか。
 
台湾の空気の中でこそ成り立っていた設定をスライドしているので、唐突さ珍妙さが拭えない。例えば浩介が没頭する中国武術。また、教師に逆らったメンバーが罰として課される独特のポーズも謎だし、二人がデートする場所に観客は「ここはどこ?」と首を傾げることだろう。
 
 

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どこ?なに食べてんの?
 
 
何より、台湾版では呆れ笑いを誘う下ネタが、時折とってつけたように投下されるのが、こっ恥ずかしい。
 
下ネタを入れるなら振り切ればよかったと思うが、これも今の日本映画の問題かもしれない。不可侵なアイドルをヒロインに起用しているので、行き過ぎた下ネタはご法度なのだろう(だからキスシーンも超ソフト)。公開当時、映画の外では互いのファンが誹謗中傷気味なコメントをし合ったり、雑音が鬱陶しかったしね~。どちらもお前らのもんになることは100パーセントないから、安心してよく寝て下さい。
 
そして、オリジナルにオマージュを捧げながら、オリジナル版を10年の時をかけたラブストーリーたらしめた「時間」の描写を取りこぼしたのは、失敗だ。
 
一つは、観る者の郷愁を誘う時代の空気の描写。
両作の冒頭を見れば明らかで、台湾版では自転車を漕ぐコートンの画に、「あの頃、俺は16歳だった。チャン・ユーションの事故死前で、ジャッキー・チュンのミリオンヒットの後。プロ野球はまだ八百長がなく人気で、アーメイが歌番組で勝ち抜き25連勝。そんな時代だった」とモノローグが重なる。観客の誰もが、その時代に思いを馳せるだろうし、青春時代を終えた人間にこそ向けた映画であることがよく分かる。日本版は、さらりと人物紹介に入ってしまい、ノスタルジーに浸る時間はない。
 
また、一つは高校卒業後の二人の物理的な距離と時間の流れの描写だ。

地震の後、二年ぶりに電話で話しながら、それぞれの場所から月を見上げる二人。片方は着実に自分の道を歩み、片方はいまだ地元で、もがき続けている。台湾版では、コートンが見上げるのは遮るもののない空に浮かぶ満月、だが、チアイーが見るのはビルで半分姿が隠された月だ。
同じ月を見ていても、あのときとは異なる月であること、距離は広がり続けることを示す画であるし、この作品のキーワードにもなっている「パラレルワールド」を視覚化している。
 
だが日本版は、これを無視する。二人が見ているのは当時も現在も同じ満月で、ならば現在君らを隔てるものは何だい?と疑問符が浮かんでしまうのだ。
 
 
◇どちらもラストはグッド
とはいえ、ラストの結婚式のシーンには涙を誘われる。
「花嫁にキスしたいなら、まず私を通してもらわないと」という花婿、その冗談に笑う旧友たちの前を横切って、浩介が花婿にダイブ&キッス。10年間の思いの丈を真愛(実際は婿)にキスしながらぶつけ、この恋と決別する笑い泣き必至のシーン。回想の中真愛に言う「ごめん、幼稚すぎたよ」は言うことのできなかった言葉で、浩介の後悔の深さに、ぐっときてしまう。
 
けれどやっぱり、チアイーが言った通り、「叶わなかった恋だからこそ美しい」のだ。
 
というわけで、今後も『Yayga!』では山田裕貴を応援します。そして読者にも応援することを強要します。

山田くん、がんばれ。つまんないドラマ御用達になるな。あと、あちこちで泣くな。
 

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村山オマージュ!
 
 
引用:(C)「あの頃、君を追いかけた」フィルムパートナーズ