Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『きみはいい子』

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監督:呉美保 キャスト:高良健吾尾野真千子池脇千鶴/2015年

 
こんにちは。悪童伝説絶賛更新中の息子に悩んでます。昨日、朝食中にふと目を離したら、ピザトーストからチーズとサラミを引っぺがしてモグモグしていました。ジャムじゃなかったから油断したわ・・・(ジャムだけベロベロ食べるので要注意)。で、昼食中に、ふと目を離したら、冷やし中華の具だけ全部食べていました。普通に注意しても「え、気付かなかった・・・。愛してるよ」みたいに返してくるだけなので、叱るにもひねりがいるというね。
 
ところで、二年生の娘の担任が、大学を卒業したばかりの二十二歳なんです。
先日保護者会に行きましたが、それはもう想像を絶する若さでした。緊張のあまり汗だくになっちゃって、「本日はお暑い中お越し頂きありがとうございます」から始まり(4月の爽やかな日)、「生徒や周囲の先生方に助けられ」を連発。
 
一所懸命は一所懸命なんですよ。それで、恐らくもう見ていられなくなった誰かが大きく拍手をし始め、最後は満場の拍手で「とにかく大丈夫だから」と丸めて終わりました。それ以外どうしようもないよねえ、新卒で初担任なんて。
そんなわけで、今日は教育の現場からお送りする『きみはいい子』となります。 
 

 

◇あらすじ
新米教師の岡野高良健吾は、ひたむきだが優柔不断で、問題があっても目を背け、子供たちから信用されていない。雅美尾野真千子は夫の単身赴任で3歳の娘と2人で生活し、娘に暴力を振るってしまうことがあった。一人暮らしの老人あきこ喜多道枝はスーパーで支払いを忘れ、認知症を心配するようになる。(シネマトゥデイ
 
先日万引き家族を観て、感想は評判通り安藤サクラやべぇ」に尽きるのだが、高良健吾池脇千鶴が出ていたため、思い至って本作を再鑑賞。
 
この作品では、子供を中心とした物語が、複数の人物を主軸に進行していく。
高良健吾の受け持つ四年生のクラスにはよく見れば
問題がいくつもある。だが高良は、気が付かないのか思考がストップしているのか、帰宅せず校庭の隅にいる男子生徒には「学校好きだなー」と見当外れな声掛けをし、ある女子生徒が持って来た、別の女子へのいじめの手紙を「誰にも言うなよ、先生もキミが持ってきたこと言わないから」と机に引き出しにしまう。これだけで、どれほどのヘタレ教師かが分かるだろう。

男子生徒が家庭で暴力を受けていると知ってからは行動をしようとするのだが、子供側に立ってやることもできず、かといって保守的な学校の機構を理解していないのでその中で立ち回ることもできない。子供ではないが大人でもない、情けな教師を高良が好演している。
 
一人暮らしの老人あきこは、毎日家の前を通る自閉症の少年と交流を持つが、この少年は高良が勤める学校の特別学級に通う生徒だ。特別学級の教師を演じたのが、呉監督作品に続けての出演となる高橋和也昔々、ジャニーズに「男闘呼組」というグループがありまして、好きな人は好きだったんですよ? このグループの元メンバーね、高橋和也本作では、当時の印象をまったく裏切らない暑苦しい役を演じている。彼の担当するクラスの生徒たちには、否が応でも同じ目線に背丈を落とし、一人一人と向き合わなければならない。気の遠くなるような作業を腐らず繰り返す高橋は、腐りっぱなしの高良とは対照的な存在として描かれる。 
 

 

◇ママ友ばなし
そして、なんといっても見どころは、同じく対照的な母親を演じた尾野真千子池脇千鶴だ。
この監督の得意分野なのだろうが、ママ友連中の表面上の付き合いの描写はなかなかに生々しい。毎日集まる公園で、一人が作ってきたクッキーを子供同士が取り合いぶちまけてしまう。原因となった子の母親が過剰に叱り、クッキーを作った母親もなぜか謝り返す。この加害者被害者が「ごめん」「ううん、逆にごめん~」と謝り合う場面は、現実のママ友関係の中で驚くほど目にする。本音は、子供なんてお菓子を巡って争うもんだし、落とされた側にしてみれば「せっかく作ったのに、クソガキが」ってなもんだろうが、表に出すわけにはいかない。
 
それが原因で輪から弾かれれば、子供に寂しい思いをさせるかもしれない。また母親たちは「情報」が入って来なくなることを恐れている。良い幼稚園の情報、習い事はいつ始めるのがベストか、水泳がいいのか体操がいいのか。あの小学校の先生の質は?役員はいつ何をやるのが一番楽に済むのか?
断言するが、こういった情報はほとんどが提供する個人の主観に依ったものなので、なくても全く困らない。だが子育てという責任重大な作業に、母親たちは手探り状態で怯えている。結果、クチコミ情報を過剰に有難がり、それを提供してくれるコミュニティに属していればとりあえずは安心というわけだ。その姿勢への賛否はさて置き、子育ての中で最大の敵は、子にとっても母にとっても「孤独」であることは間違いない。
 
尾野真千子演じる雅美は、夫が海外に赴任しており、娘との生活の閉塞感から事あるごとに娘に暴力を振るい、次第にエスカレートしつつある。彼女にとって公園は、密室で娘と二人きりにならないためのシェルターだ。
池脇千鶴が演じる二児の母も公園にやってくる一人だが、他のメンバーから疎ましがられていて、疎ましがられる原因のキャラや見た目がまたリアル。見なりも構わなければ、ベビーカーを「乳母車」と呼び、その乳母車の左右にこれでもかと引っかけた大荷物が、本人同様いかにも鈍重だ。声もアクションも大きく、現実にもたまにこういう人がいるが、例外なくちょっと気持ちが悪い。
 
ママ友たちは「顔」を作ろうとしない池脇を嫌っている。この「顔」には二重の意味があって、邪気なくズケズケと振る舞う池脇が単純に不快だし、また深層心理の部分では、裏表の顔を使い分けずにコミュニティに入って来られる彼女に脅威を感じているのだろう。

尾野は、正反対のタイプの池脇に戸惑いながらも興味を隠せず、それが分かるのが子供を叱るときの描写だ。彼女は当然、外で娘に手を上げないが、娘が転べばグズなわが子に苛立ち、反射的に「なにやってるの!」と叱咤する。しかし同様の状況で池脇の口から出るのは「大丈夫!?」の言葉で、子供に触れ抱きしめながら怒る。それを見つめる尾野。全編、強張った顔の演技だった。虐待シーンの子供の泣き声は痛々しいが(殴っているのは子役ではなく尾野自身の手だろう)、加害者側の尾野真千子の役作りというか、撮影中の精神状態の保ち方は大変だったのではないだろうか。
 
また、ママ友のマンションの部屋のチャイムを鳴らす前に、ドアに耳を当てる演出がよかった。自分と同じく子供を罵倒する声を確かめるために、他人の家の様子を窺う行動が、尾野の追い詰められた心理をうまく表している。
 
尾野が腕時計をした手首を長袖で隠すショットが何回かあるのだが、私は当初「時間を見たくない」ことを示す演出だと理解した(本当は過去に受けた虐待の傷を隠すため)。いつ何がきっかけで子供に手を出すかわからない恐ろしい時間がまた始まる。雨を見つめるショットが示すものも同じだ。部屋の中で子供と一日を過ごす恐怖を思う。これらのシーンの怯えた表情が印象的だった。
 
さてさて、特筆すべきは池脇千鶴であり、『万引き家族』との違い。
 
万引き家族』での池脇の役柄は、「本当の家族だったらそんなことしないでしょう」「産まなきゃ母親になれないでしょう」というワードを当然のように発する、「世間一般」代表の警察官。血の繋がりこそが家族であると疑いもしない、絶対的な社会正義の代弁者だった。安藤サクラに異星人のような目を向けていたが、安藤サクラからも異星人のような目を向けられている、そういう役だ。
 
本作では、のちのち判明するが、前述の高橋和也の教師と池脇は実は夫婦だ。同監督『そこのみにて光輝く』での役柄と比較すると尚更楽しいのだけど、この作品では紛うことなき似た者夫婦。イタさを禁じえないオーバーアクションで鬱陶しい主婦を演じた池脇の存在感が大きかった。そして「顔」を持たないと思われた池脇も実は裏の顔を持っており、それを知って尾野の強張りが氷解する二人のシーンが素晴らしい。
それにしても、池脇千鶴ってこういう人だったっけ!?もっとカワイイ系じゃなかった?
 
 
◇あまり好きじゃなかった点
教師、母、老人のすべてのパートにおいて、希望を提示して終わる本作だが、欠点は「宿題」が少々くどく感じられる点だろうか。高良が生徒たちに「家族の誰かに抱きしめられてきなさい」と課題を出して、その結果を聞くシーン、あれは恐らくアドリブだろう。子役たちに同じ宿題をさせて、そのまま撮影に臨んだのだろうと思われる。一人ひとりの生徒たちのアップショットを、ドキュメンタリータッチに映したのが私はあまり好きではなかったのだけど、世間的にはどうなんでしょう。
 
それにしても、高良健吾のアドリブは頂けない。のったらのったらと場を弛緩させた挙句、「うーん、先生も何でこの宿題出したのか、わからないよ」って。まあヘタレ教師らしくはあるんだけど、この段階ではキミはちょっと成長してなきゃだろー?
 
このシーンで、最初にクラスでのいじめの事実を高良に訴えに来た女子生徒の答えは、「私は(宿題にされるまでもなく)毎日抱き締められている」というものだった。結論を、子供を抱き締めれば世界が平和になるとしたこの映画、ちょっと甘っちょろいですかね。けれど、それを信じて子育てをしている立場から観ると、印象の深い作品と言える。