Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『恋の罪』

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監督:園子温 キャスト:水野美紀冨樫真神楽坂恵/2011年

 

園子温監督作品と相性が良くない。愛のむきだし(2008)、冷たい熱帯魚(2010)、リアル鬼ごっこ(2015)、新宿スワン(2015)を観て、苦手を通り越して不快になったので、これは相性がよくないんだなと結論づけた。不快の理由は、いわゆるエログロと表現される作風について、不謹慎だとか過激だとかそんなことではなく、ここまでやっちゃうオレ&お上品で保守的な日本映画界に泥団子を投げつけちゃうオレって剛腕でしょと過剰なドヤ顔で目前に迫られているような感じが、どうにも受け入れがたいんだ。

特に『愛のむきだし』がマジの苦手で。当時はインスタに感想を書いていたのだが、読み返したら、”一人で部屋で遊んでてくれ””パンチラに異様に執着する童貞””『冷たい熱帯魚』は”破壊と死をこねくりまわして、ぐちゃぐちゃに盛ったに過ぎない”と、ぷんすかしていた。まあ、数年前のことだが若かったんだろう。ちょっと言い過ぎたと自分でも思う。今も『愛のむきだし』は思い出すとイライラするが、言い過ぎた。でもやっぱり苦手なんだよ。

ただ、今回の恋の罪がやたらと胸に刺さる映画だったので、クリスマス気分を盛り上げるために紹介します。

 

 

◇あらすじ

21世紀直前に起こった、東京・渋谷区円山町のラブホテル街で1人の女性が死亡した事件を軸に、過酷な仕事と日常の間でバランスを保つため愛人を作り葛藤(かっとう)する刑事、昼は大学で教え子に、夜は街で体を売る大学助教授、ささいなことから道を踏み外す平凡な主婦の3人の女の生きざまを描く。(映画.com)

言うまでもなく東電OL事件に着想を得て独自の解釈を加えたものだ。同様の作品に、私の知る中では桐野夏生『グロテスク』があり、こう次々に掘り返されては被害者遺族にとって堪ったものではないだろうが、残念ながら、あの事件はそれほどに作家の好奇心と創作意欲を掻き立てるらしい。

舞台は90年代の渋谷円山町のホテル街。いわゆる立ちんぼが暗がりで客の袖を引いていた時代だ。露骨なラブホテルの造形や安っぽいネオン、売春婦たちの崩れた化粧が画面をねっとりと塗りつくし、観る者の視覚に強烈な印象を残す。なんだろう、私が90年代円山町を語るのもヘンなんだけど、映し出される低俗で胸が悪くなるような人間の悪意や欲望がやたらとリアルで淫靡だ。上述の桐野夏生が長年「悪意」を描いてきたこと(そして最近の作品では薄れてしまったこと)は、過去にどっかの記事で書いたが、まさにその絶頂期の悪意の表現を映像で見せてもらったような気分だった。

余談だけど、数年前までうちの会社のオフィスは円山町のすぐ裏にあった。総合して真面目な固い会社なんで、完全に場違いだったんだけど、当時は色々な事情があってね。周囲の会社はベンチャーばかり、道玄坂には夕刻ともなれば黒塗りの車がズラーッと並び、朝は朝キャバのキャッチがうるさいし、酔っ払いがそこらに倒れていて・・・。近くの他の会社の男のコは、横断歩道で信号待ちしてたら後ろからナイフを突きつけられたことがあると言っていたし、オフィスビルのエレベーターの壁に血がついていたこともあったらしい。あ、あと同僚のブチが、ランチに出たら道で男に「ここらへんでヌケる店ってどこっすか」って聞かれたって言ってた。引っ越してよかった。

 


◇三人の女

映画はいくつかのチャプターで構成され、廃墟で見つかった首のない死体の事件を捜査する刑事、吉田和子水野美紀のパートから始まる。次のチャプターでは少し過去に戻り、著名な小説家の夫を持ち何不自由なく暮らす主婦菊池いずみ神楽坂恵が、AVディレクターのエリ(内田慈)に声を掛けられて、徐々に裏の世界に足を踏み入れていくさまが描かれる。そのうち、繁華街で男を物色するようになったいずみは、娼婦の尾沢美津子冨樫真に出会う、といった具合にストーリーは進んでいく。

平凡な主婦(というにはおっぱいデカすぎだが)という点で、観客のほとんどが神楽坂恵に着目して映画を観ることになるだろう。『冷たい熱帯魚』で吹越満の妻役を演じた女優であり、公私ともに園監督のパートナーである。神経症でナルシストの夫を演じた津田寛治は、私にとっては闇金ドッグス』の「オーケー、グー。オーケー、グーですよ」が口癖の悪徳芸能プロダクション社長のイメージが強いのだが、こういうクセのある役をやらせると最強な人。冨樫真については良く知らないが、知らない分衝撃的ではあった。

神楽坂恵冨樫真の関係が濃厚に絡み合っていくのに対し、水野美紀は直接二人と関わることはない。だが、チャプターを横断して三人には「性」という共通点がある。水野美紀の存在意義が薄いというコメントをどこかで見た。確かに他二人の感情のぶつかり合いと全身全霊の演技は強烈だが、ギリギリのラインで何とか理性を保っている水野の褪めた佇まいがあってこそ、あの狂乱芝居が活きたことを忘れてはならない。

水野美紀が演じたキャラクターは複雑だ。彼女は夫の友人と泥沼の不倫関係にある。また、過去に目撃したある女の自殺が忘れられず、「自分はいつ境界線を越えるのか」に怯えているのだが、水野の夫は妻のことなど何も知らず、その事件を笑いながら酒のつまみにする。女にとって「肉」の支配は男にとってのそれより深刻で、「業」にすらなるということが水野を通して映される。

水野のパートでは必ず陰惨な雨が降る。単純に神楽坂恵冨樫真のパートとの視覚的な対比でもあるのだが、さらに重要なのは、男と情事を行っているとき雨なりシャワーなりが彼女に注ぎ、雨が情欲、もっと言えば愛液のメタファーとなっていることだ。男が愚かであること、だがその支配がなければ生きて行けない女の業が同時に描かれるのである。

水野美紀が、変態的なまでにストイックな役者であることはここで語るまでもない。誰が『踊る大捜査線』の雪乃さんがこんなふうになると想像したでしょう。でも、あのシリーズで多くの役者が「いかに変わらずに続けるか」と努力する中、水野美紀だけが変化によって存在感を強めていったと思うんだ。

ちなみに水野美紀は冒頭で全裸を見せ、まるで続くように神楽坂恵冨樫真も同様にフルヌードになるが、エロティックさはなく、画面から感じられるのは、武装することも飾ることも諦めた、女たちの痛々しい剥き出しの精神のようなものだった。まぁ、あるいは考え過ぎで、女子高生にパンチラさせまくる園子温のことだから、「大人の女にゃフルヌードやあ」ってなっただけかもね。

 


◇城に入れない二人

さて、いよいよアクの強い二人の話である。

父親への成就しない想いを、決して入り口に辿り着けないカフカの「城」に準えた冨樫真は、昼は名門大学で教鞭を取りながら夜は男に身体を売り、「城」の周りを彷徨っている。神楽坂恵は、夫への愛情の代替物として他人に肉の繋がりを求めるのだが、面白いのは彼女が「全く自分がない女」ということだ。何故なら、AVへの出演から廃屋で身体を売り、ついにデリヘルに勤め始めるに至るまで、そこに彼女の意志は一ミリも介在していないからだ。

ホテル街で冨樫に出会った神楽坂恵は一目で彼女に惹きつけられる。夫との関係において同様に「城」の周りを彷徨う神楽坂は、冨樫に直感的に共鳴し、冨樫の方は「ここまで堕ちてこられるか?」という狂暴な動機から、彼女と関わりを持つようになる。

文学の助教授である冨樫は、神楽坂に自分の講義を見せ次のように諭してみせる。

本当の言葉はみんな肉体をもっているの。肉体を伴わなければ言葉はただのカケラにすぎない。
貴女は言葉に身体がついてきていないの。そのうち経験が伴って、言葉が体になってくるわ。だから一緒に経験していきましょう?

 

全く以て意味が分からない。

それもそのはず、一応の本心ではあるのだろうが、ここは神楽坂を誑かすため、得意な言葉を弄しているにすぎないのだ。見知らぬ女のさも意味のありそうでその実何の意味もない言葉に「はい!」と元気よく返事をする、そして、始めは内田慈に次に冨樫に食い物にされながら、身体を売って得た五千円を前に「これは私の記念碑」「私は解放された」などと一人ごちる神楽坂恵の素直なこと、そして疎ましいこと。

彼女は男と寝るのに金を取るようになり、愛のあるセックスとそうでないセックスの境界線は金であると学びを得ていくが、なんてことはない、それも冨樫に刷り込まれた概念に過ぎない。そしてもちろん、冨樫は彼女が自分の元に戻ってくることを確信して罠をかけたのである。

冨樫は、救いを求める神楽坂に慈悲の笑みを見せたかと思うと、次には怒りを爆発させ、自分のいる場所に引きずり込もうとする。
「夫はピュアすぎるのだ」と語るが、人に教えられたことをそのまま受け入れ実践する神楽坂こそがピュア中のピュア、そして闇に棲むものがピュアなものに目をつけるのは当然のこと。冨樫が見せる目まぐるしい感情の爆発と、慈悲と憎悪のループは、どれもが嘘でなく、彼女が賢く絶望した女だからこそ、何もを知らずに彷徨う神楽坂を救ってやりたいと思いながら同時に憎まずにいられない。冨樫と神楽坂の関係は、慈悲と憎悪の関係に他ならず、これを表現した二人は凄かった。

冨樫は、愛する男との間に肉体、つまり「意味」を交わすことのない苦しみを共有する神楽坂を助けたかったのか、あるいは、まだ「苦しんでいられる」状態の神楽坂を穢したかったのか。はたまた、その両方だったのか。最終的に神楽坂は、化粧を塗りたくっては「城」という言葉や詩を呪文のように口にする場末の娼婦となり、客前で平気で弁当を食べる悪癖までを真似て、冨樫そのものへと変貌してしまう。

 


◇珍場面集

園子温特有の(というほど観てないが)、悪ふざけシーンも今回はツボだった。

 

1.段々大きくなっていくソーセージ
当初、閉塞的な生活に耐え兼ねた神楽坂は、夫に許可を得てパートに出る(そこでAVに勧誘されるわけ)。スーパーでのソーセージの実演販売の仕事に就き(なんかもっと他にあったろう)、パート初日はオドオドとポークヴィッツを売っているのだが、やがて自信が芽生えるのに比例して、手にした商品がウィンナー、最後はフランクフルトになるのには、ただ笑ってしまった。何を表しているかは言うまでもない。なんつーか、低レベルというか中学生男子的発想というか(笑)。

 

2.お茶に誘われてついていってみたら。
神楽坂は、如何にも才女といった雰囲気の昼の冨樫に「うちでお茶でもしましょう?」と自宅に招かれ、そこで彼女の母親を紹介される。広い食卓を囲み、気まずい雰囲気でお茶を飲んでいると、母親が上品な仕草で第一声、「あなた、売春の方はどんな感じですの?」。

 

お茶吹くわ。

 

その後も母親は、「うちの娘はそりゃあもう淫乱で」「生まれながらにしてどうしようもない淫売ですのよ」とキラーワードを吐きまくり、やがて親子は包丁を持ち出して「死ねぇぇ、淫売ィィ」「お前が死ねよ、ババアァァァ!」と盛大な親子喧嘩を始める。
いや、ここは冨樫が身体を売る理由が明かされる重要な場面なんだけど、それにしても、お茶の席で「売春、どんな感じ?」からの「キェ~、しねぇええ」っておかしすぎるだろ。

 

3.アスリート水野美紀
途中、水野の同僚の刑事が披露する「ゴミ収集車を追いかけて見知らぬ街まで行ってしまった主婦」という都市伝説を伏線とし、監督はラストで水野美紀を主婦と同じ状況に置いて、めちゃめちゃ走らせる。水野美紀だから、鍛えてるから、そんなに走らせるんでしょ!?

 


◇しかし、苦手の理由は変わらない

だがしかし、やっぱり、私が園子温が苦手な理由なんだけど、しつっこいんだよね・・・天こ盛るの。もう、「バターはもう十分です」って感じなのに、もっともっと、おかわりバター!とばかりに塗りたくってくるんだわ。。。

例えば、AV出演を経験した神楽坂が、鏡の前で全裸になり様々なポーズを取っては、「いらっしゃいませ、おいしいソーセージですよ」と販売の練習をしながら開眼していく場面なんだが、端的になげぇ。どんだけ、素っ裸でソーセージネタ続くんだよ。よほど監督の好みなんでしょうネ・・・いろんな方向から、ポーズ撮りたかったんでしょうネ。

また終盤近く、デリヘルの仕事でホテルに出向いてみたら客が夫(津田)だったの場面では、まあ、ヤッた後に夫に金を払わせるところ(すなわち既に愛はないと示すところ)などは見応えがあるんだが、その後、なぜか冨樫が部屋に戻り、津田寛治に跨ってもう一回ヤリ出すとこでは、はい、また悪い癖出たわ、、、って感想だった(大体あの状況で勃つ男いないだろ)。その後の廃屋でのシーンも長いし、女二人の髪を振り乱しての芝居も、ここまでくるとお腹いっぱい、食傷気味。
あ、バター、ホントにもう結構なんで。。。え??ジャムもあるの??

冷たい熱帯魚』でも感じたが、きっと、監督自身がここまでやんないと達せないんでしょうね。そりゃ私が好きで選んでこの映画を観てるわけだけど、でも、何で私はこの人のオーガズムがどこでピークに達するかを映画通じて見せられてんだろうなって、ちょっとゲンナリするよね。

その点を除けば、総合的にすごい映画だったと思う。
クリスマス気分を盛り上げるって書いたけど、あれは嘘で、クリスマスにはお勧めしないよ。じゃあ、またねっ。