Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『殺されたミンジュ』

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監督:キム・ギドク キャスト:マ・ドンソク、キム・ヨンミン/2014年

毎日寒いですね。朝、電車に乗るまで手袋をしていますが、黒っぽい皮の手袋なんです。インディ・ジョーンズ 最後の聖戦でマイケル・バーン演じるナチのヴォーゲル大佐が嵌めていた手袋を思い出します。

ヴォーゲルがパパジョーンズことショーン・コネリーのほっぺたを、外した手袋で叩きながら「手帳には(パシッ)、なにが(パシッ)、書いてあるんだ(パシッ)」とヤな感じに尋問するシーンがあって、パパジョーンズが何度目かで手首をつかみ、「お前らみたいな低能は、本を焼かずに読めと書いてあるんだよ」っていうんだけど、ここが好きで。

こういう手袋持ってたら再現したくなります。それでたまに夫の顔を手袋で叩いて「さあ、ほら、パパジョーンズのセリフ!」というんですが、ちょ、いてッ、知らねえし。あほか!」と言われるだけでつまらない。

しかし本日は、インディではなく『殺されたミンジュ』です。初、韓国映画

 

◇あらすじ

ある晩、ソウル市内の市場で女子高生ミンジュが屈強な男たちに殺害された。しかし事件は誰にも知られないまま闇に葬り去られてしまう。それから1年後、事件に関わった7人の容疑者のうちの1人が、謎の武装集団に拉致される。(映画.com)

キム・ギドク監督作品で最近続いている、社会問題へ警鐘を鳴らすタイプの、しかも観念的な映画。

女子高生殺害の実行犯達は上層部の「命令」に従っただけで、少女が殺されねばならなかった理由を誰一人知らず、観客に対しても彼らが属する組織や立場は説明されない。ただ、労働者階級に対して上流階級に属し、搾取を行う側の人間達であることだけが示唆される。

ある時から、少女の殺害実行犯が一人ずつ、謎の集団に拉致され拷問を受ける。当初この集団は、正義に基づき悪に制裁を加える組織のように見えるのだが、実は搾取される者の寄せ集めであることが描かれていく。ミンジュの近親者であるらしいリーダーのみ使命感を持ち、それ以外のメンバーは金を受け取って拷問に参加し、憂さを晴らしているだけだ。

そのため、私刑組織がミンジュ殺害の実行犯を傷めつける流れは「ゲーム」感覚が強い。都度、服装や場所のシチュエーションが異なり、拷問もターゲットごとに手を変え品を変える。面白いのは「楽屋」があることで、彼らは一仕事を終えると、衣装や偽の武器、ライトのついた鏡が揃う楽屋へと引き上げて着替え、何を食おうかとか次は誰だなどを暢気に話し合う。その後、リーダーが車で一人ずつ自宅へ送り届ける様子は、さながら小劇団が今日の演目を終えて解散するかのよう、誰一人これを使命などとは思っていない。

本作のポスターや最初の拉致シーンでは、軍のヘルメットのシルエットが不気味でカッコよく、苛烈な報復の展開になることを予感させるのだが、金や憂さ晴らしのためにゲームに参加している面々の様子と「楽屋」のシーンを経て、この映画が復讐劇ではないことがわかってくる。

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 (C)2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

 

リーダーを演じたのはマ・ドンソク兄貴!好きです新感染 ファイナル・エクスプレスで単細胞だが心優しい筋肉マンを演じて以来、私の中では兄貴なのだが、えっと、ちょっと待って下さい、年下だったらどうしよう・・・ごそごそ。

大分 年上でした!  

 
◇茶番劇

社会的な地位の低い私刑集団のメンバーは、実は進んで搾取される道を選んでいる。
客から蔑まれる日々に抑圧されているカフェバーの店員、知り合いに金をだまし取られ廃墟に住みつく男、借金のある男、アメリカに留学したものの職がなく兄夫婦宅で厄介者となっている青年。象徴的なのが、紅一点のアン・ジヘが情夫に暴力を受けながら、金とセックスに流されてしまうシーンだ。彼女は「よいときもある」と現実から逃げ、不毛な関係を清算しようとしないし、ドンソク兄貴の過熱する暴力を非難しながらも、抜けることはしない。 

上記の加害者、つまり情夫や借金取りや兄すべてを、同じキム・ヨンミンが演じた。ミンジュ殺害犯側で拷問される「一番目の男」も演じているので、ここでいう加害者としては一人七役といったところか。メンバー各々の苦境が描かれるが、その度にキム・ヨンミンが服装や髪形を変えては加害者に扮し、ついには、顔に大きなホクロをつけて登場。

ホクロといえば芝居の小道具、しかも一人七役。それこそ寸劇を見ている感覚に陥り、「搾取される側」の人々にとって、芝居はゲームから現実に戻っても続いていると皮肉るかのようだ。搾取する側は顔のない権力のために動いているが、される側はされる側で、己の不遇を他者のせいにして茶番を演じている。

話は脱線するが、以前、束縛体質のどうしようもない彼氏と同棲している知り合いがいたんだ。折に付け愚痴られるんで「あんた次第でどうにもなるんやで?」と言ったら、「正論だけど冷たい」と言う。私は「わかってるんだけどどうしようもないの」みたいな弱い人に冷たいらしい。

後日彼女は、別の男を見つけるやいなや、その男に手伝わせて彼氏不在の間に自分の荷物を全て撤収、夜逃げ作戦を敢行。しかも近所に不審に思われないよう、新彼を引越し屋に化けさせたという。強いじゃん。

一方、ドンソク兄貴は弱者に優しい。借金取りに追われる男が「俺が無能なんだ」というのに対し、兄貴は「いや、世の中のシステムが悪い」と返す。彼はこの時点では本気でそう信じている。

しかし、怒りのあまり拷問をエスカレートさせる兄貴と、躊躇し始めるメンバー達の間には徐々に亀裂が生じる。ついに殺人事件の首謀者を手中にしたときに、亀裂は決定的なものになる。兄貴は弱者のためを思って動いてきたが、強者と弱者は互いを必要とし作用しあっているのだと気付く。

 

◇システムへの警鐘

結局のところ、ミンジュの素性も、彼女とドンソク兄貴の関係も一切明かされない。それらは象徴的な事柄でしかないからだ。重要なのは、ミンジュを殺した犯人たち自身が殺した理由を知らないことの馬鹿馬鹿しさ、私刑集団の面々の意志のなさ。また、互いに組織に属しながら、「顔」=「意志」を持つのはドンソク兄貴と敵としてのキム・ヨンミンだけという事実だ。キム・ヨンミンの「一番目の男」は、最終的にシステムに組み込まれていた自分を嫌悪し、命令を下した組織上層部の人間を殺して内側からシステムを喰い破る役も担っている。

この映画は韓国で民主主義が死んでいることに対する警鐘だ、と監督自身が語っている。世界でも有数の自殺大国であることに言及し、社会的な格差や貧富に関係なく、精神的に抑圧された人々が多いことが現代韓国の問題だという。
作った本人がそう言ってるので間違いないんだろうが、個人的には、システムの中で「与えられる立場」に甘んじていた人々の描写から、民主主義を殺すのは意志なきものだという皮肉を感じ、それが印象的だった。

ちなみに撮影も監督が行っており、どうやら未熟な部分が目立つらしいが、私にはわかりませんでした。

韓国の映画には、自社会に内省を求めるものが多く、ギドク監督『嘆きのピエタは金貸しを通しての貧困問題がテーマだった(らしい)。私はこの映画に関しては、主人公が超ツボで萌え通しだったのと、爆笑ラストのせいで、貧困問題はそっちのけになってしまったけれど。

資本主義への批判では、ポン・ジュノ『オクジャ』が捻りがある上にスマートだったなあと思う。資本主義など知らない少女が、システムに逆らうのではなく、システムの中で資本主義的解決を見せたのがすごいなと。

逆らうことにかけては専門職の国において、そんな映画を作ることがポンちゃんのすごさだというのか。

強引にまとめますが、韓国って国はすぐ権利盗んだり、すぐ飛び蹴りしやがったり捏造したりサルの真似したり(主にサッカーにて)、かと思うと猛烈に内省してみせたり、ワケの分からん国だが、そのせいなのか映画はめっちゃ面白いなと思うわけです。

ギドク監督には、『魚と寝る女』みたいに、ぬるっとした作品もまた撮って欲しい。