Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『大鹿村騒動記』

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監督:阪本順治 キャスト:原田芳雄大楠道代岸部一徳/2011年

 

みなさん、こニャちは。

あ~、漫画買いたい。『キングダム』重版出来!軍靴のバルツァーが欲しい。あと、最近読んだ自転車屋さんの高橋くん』がめっちゃ良かったよ。

私と夫の漫画の趣味が異なるので、うちには、たくさん漫画がある。家を建てるとき、壁一面を本棚にするなんて夢もあったけれど叶わず、今は半分くらいパントリーにしまっている状態。そこも溢れそうなのに、夫がちょこちょこ買っては詰め込んでいたことが判明し、もう一旦止めとこうって言ったのに!と責めた。ってか、パントリーの奥にある、みうらじゅんとか根本敬とかの漫画どーすんだ。息子は絶対そのうち探し出すぞ。

とかなんとか、漫画のスペースについて言い合っていた。

うちは私の両親が一階に住んでいる二世帯住宅で、そのときたまたま、母が用があって二階に来ていたのね。それで、私がふと、小声で「・・・10年後には一階にスペースができるかもしれないだからさ」と言うと、夫が「こら!なんてことを言うんだ!」と怒ってみせた後、声を潜めて「・・・10年後に空くかは分からないだろう」。それで二人でゲラゲラ笑ってる向こうで母が、「全部聞こえてるんですけど・・・」と呆れていたわ。

いや、家庭がブラックだから、つい外でも出てしまってやり過ぎることがあるから気を付けましょうって話です。
そんな感じで、今日は『大鹿村騒動記』でっす。

 

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◇あらすじ

南アルプスの麓に位置する大鹿村は、大鹿歌舞伎の伝統を300年以上守り続けている。鹿肉料理専門の食堂『ディア・イーター』を営む風祭善原田芳雄は、歌舞伎の主人公平景清を演じる花形役者でもある。東京からやってきた青年、大地雷音(らいおん)冨浦智嗣をアルバイトに雇い入れ、今年の舞台を数日後に控えて稽古に励んでいたある日、18年前に駆け落ちした妻貴子大楠道代と幼馴染の治岸部一徳が突然、村に帰ってくる。慌てふためき、激怒する善だったが、貴子は記憶障害を患っており・・・。

主演の原田芳雄が他のテレビドラマの収録のために大鹿村を訪れた際に、村歌舞伎の存在を知り、映画化を提案したとのことだ。出演者はメイン三人の他、松たか子佐藤浩市、でんでん、石橋蓮司三國連太郎錚々たる面々が顔を揃え、そこに瑛太冨浦智嗣が村の次世代を担う若者たちとしてフレッシュさを加える。阪本監督と荒井晴彦の小気味よい脚本に、映画の印象そのままのリズミカルな演出が作用し、観終わった後は、ただただ「ああ、いい映画を観たなあ」という気分になる。ラストで流れる忌野清志郎『太陽の当たる場所』がまた良いんだ~。なお、原田は映画の公開を待たずに亡くなり、本作は彼の遺作となった。

まず言及したいのが、役者陣のお芝居の老獪さ秀逸さ。特筆すべきは、やっぱり原田芳雄で、気短かでデリカシーもないが「怒ってもどこか道化臭が漂う」キャラクターは、そのため、どんなことでも受け入れてしまうのでは?と錯覚しそうなほど包容力に満ちている。実際にドタバタの中で、結局は妻と友を許してしまうのだし、ワケありの雷音を何も問わずに自宅に住まわせる。

また、岸部一徳のダメっぷりは見ものだ。もう、岸部一徳のダメっぷり芝居など山ほど観てきているのに、「また更新する!?」と叫んでしまいそうなほどのダメっぷりよ・・・。村に帰ってきて、その妻を奪った友人に発する言葉が「面倒見切れないから、返す!」だからねぇ。原田と取っ組み合いのケンカをした末に大楠道代に水をぶっかけられた次のショットで、風呂から上がってくるときの能天気な顔ときたら。

家に居候(?)することになった大楠道代は、問題なく日常生活を送っていたかと思うと、突然醤油や時計が理解できなくなったり、豹変して辺りのものを手当たり次第口に入れ出すなど目が離せないのだが、以前に自分が演じていた道柴の台詞だけははっきり覚えていて、舞台に立たせれば18年前と変わらぬ芝居を見せる。折しも大楠出奔後に道柴を引き継いでいた佐藤浩市が豪雨による土砂崩れに巻き込まれて怪我を負い、かくして原田と大楠は、18年ぶりに共に歌舞伎の舞台に立つことになる。

ところで脱線するけれど、忌野清志郎ってさあ・・・20代はもう知らないのかな?私がこの間、会社の新卒二年目の新潟男子に清志郎の話をしたら、知らなかったのよぅ・・・。スマホで調べて(何でもすぐスマホで調べんな!)、「ああ・・・こういう感じですか」って。そりゃ、外見だけ見りゃ「ああ・・・」だろうけど。でも私と同年代の同僚のブチに言ったら、「いや、それは音楽好きか否かによるでしょ」と。「ある一定の音楽好きだったら清志郎さん(←さんづけだった)は知ってるよ、そりゃ、T-BOLAN知ってるかって言ったら知らないだろうけど」。

離したくはない~♪

 

 

私は「演出」というものをぼんやりとしか理解していないのだけど、湿っぽくもドラマティックにもできそうな内容を、全編カラリとユーモラス且つリズミカルに仕立てたのには、これぞ演出の力だろうと思った。

例えば、「俺では貴ちゃんを支えられなかった」という岸部一徳の言葉の理由は、寝言一つで説明される。原田が洗濯機から取り出す洗濯物を見た瞬間に、観客は雷音くんが村にやってきたワケと彼が抱える悩みを知る。また、村の人たちが何度か口にする「雷音くんに聞いたんだけどさ」という台詞、この一言で、内輪で交わされていた会話や事情が周知の情報となり、同時に、余所者ゆえに正体不明な雷音の、世話焼きでおしゃべりな人物像が浮かび上がってくる。

あるシーンでは、『ディア・イーター』の入り口付近を映した固定カメラの前に、役者を入れ替わり立ち替わり登場させ、数分で多くの状況をパパッと説明してしまう。原田の食堂がバイカーや観光客などでそれなりに繁盛していること、大楠がどさくさに紛れて原田宅に溶け込んでいること、村を出ようとしていた一徳が結局村に留まらざるを得なくなり温泉旅館で働き出す理由。超省エネ、と言っては味気ないけれど、各人物の事情や感情をコテコテと語るような場面を排除し、たった一つの台詞やショットで完結させてしまう、贅肉を削ぎ落としたかのようなスリムな演出によって物語は実にスムーズに流れていく。

それでいて、全体が淡々とした印象にならずにドラマティックに展開していくのは、代替わりしていく歌舞伎の舞台と、歌舞伎を担う各世代の人々のドラマが重ねられるためだ。

手酷い裏切りを、取っ組み合いとバケツの水で水に流してしまう三人の幼馴染の歴史、また、恐らく次に村の伝統を背負っていくであろう佐藤浩市松たか子の恋模様。さらに、次に舞台を引き継ぐであろう瑛太と雷音には、同性同士のカップル(になるかもしれない)といった、いかにも現代風な多様性に満ちた世相が投影されている。

 

 

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 しかし、コミカルなやりとりを楽しんでいると、突然三國連太郎に泣かされるので油断しないでね。
全編、伝統芸能が育まれるにふさわしい雄大南アルプスの山々の風景が美しく映されるのだが、同時に、この村が、定期的に訪れる暴風雨への警戒を必要とする地域でもあることが度々示唆される。大楠が原田を捨て、一徳との駆け落ちを決行した日も、そのような嵐の日だった。駆け落ち当日に大楠と行き合い、また現在は暴風雨への警戒を放送して回る松たか子は、そのために、大楠にとって不実や裏切りといった『恐ろしいもの』の象徴だったのである。

晴れた空を突然覆う暗雲のように、三國連太郎が、かつて共に舞台に立ち、シベリア抑留で亡くなった友の無念の死を語りだす。「あいつは四度目の冬を超えられなかった」と目に涙を湛える場面と、最後に彼が亡くなった人たちの墓を訪ね、「また、歌舞伎やろうなあ」と語りかける場面は、落涙必至だ。ただ、芝居が極まりすぎているのか年のせいか、大体何を言っているのか分からないため、三國連太郎が出てきたら、ボリュームを上げて下さいね。

ここで村の人々が情熱を掛けて守り続ける大鹿歌舞伎で演じられる物語はどんなものなのかを紹介しましょう。誰のために。私のために。劇中で瑛太がチャッチャッチャーと説明してくれるが、あまりにチャッチャとしていて全く分からなかった。
あ、ちなみに歌舞伎の内容が理解できなくても、映画を楽しむのに全く問題はない。

 

原田らが演じる「六千両後日之文章 重忠館の段」は大鹿村だけに伝わり残る演目とのことだ。平家滅亡後、源頼朝(でんでん)の重臣・畠山二郎重忠(石橋蓮司)は、平清盛の曾孫である六代御前こと平高清を捕らえる。重忠は平家筋の道柴(大楠道代)を妻にしており、平家への未練を捨てるよう妻を諭す。道柴は、夫の命に応えるために、主君の血筋に当たる六代を折檻してみせる。
平家の武士、平景清原田芳雄)は六代御前を救い出し、源氏に再び戦いを挑もうと試みるが、やがて敗北を認め、頼朝らの目前で自らの両眼をくり抜く。 

 

そういう話だったのね。

私は歌舞伎は全くわからないのだけど、そこまで各人物の悲喜交交を観てきたがゆえに、その集大成ともなる舞台には見入ってしまう。また、芝居の締めとなる「仇も恨みも、是まで、是まで」という、平景清の恨みを終わらせる台詞は、現実の状況にも向けられているもので。三國にとっては友を奪った戦争。松たか子にとっては不実な恋人。雷音くんにとっては自分を受け入れなかった人々。そしてもちろん、景清を演じた原田自身が、一徳と大楠に向ける言葉ともなる。

鑑賞後には、しばらくの間なんとも暖かい気持ちに包まれるような、素晴らしい映画だった。これこそが幸福な映画体験だよねと思った。ここで「日本映画だって・・・」などとお決まりのつまらない台詞を吐くのは避けて(本当は言いたいけど)、阪本監督のこれからの作品にも大いに期待したいと思う。

じゃあ、最後に聞いて下さい、忌野清志郎 で『太陽の当たる場所』。

 

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