Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『昼下がりの決斗』

f:id:yanagiyashujin:20200325153222p:plain

監督:サム・ペキンパー キャスト:ランドルフ・スコット、ジョエル・マクリー/1962年

 

皆さん、こニャンちは。お久しぶりの更新となります。

何が忙しいって、在宅勤務&期末のダブル攻撃もしんどいけど、休校中の小二の娘がずっと家にいたり仕事が終わればすぐ保育園に息子を迎えに行ったりと、なかなか自分の時間が取れない。でも、娘とずっと一緒なのも楽しい。
 
娘は、本当に姉弟か?と疑いたくなるほど息子とは真逆で、明るく優しく、ちょっと甘えん坊で、それでいて自分の意志を貫くことができるカッコいい女子です。
好きな食べ物はナスと蕎麦。趣味は温泉に入ること、好きなおやつは茎わかめ。今も隣で食べてます。

そんな娘の今日のハイライトは、「(HUNTER×HUNTERの)ハンターが現実の職業だと思っていた」です。
 
ちなみに息子の最近のハイライトは、「おかあさーん、私のパジャマ、襟が伸びてきちゃった~」と言う娘に対し、「ああそれね、おねーちゃんが寝てる間に、きんにくもりもりの人がおねーちゃんのパジャマ着て『フンッ!』って力入れて伸ばしてたよ」とゲラゲラ笑っていたことです。どっから来るんだよ、その発想。
 
本日はサム・ペキンパー監督の『昼下がりの決斗』の感想です。
 
 
 
◇あらすじ

ティーブ・ジャッドは、かつて名保安官として鳴らした男だったが、今では西部の人々からも忘れ去られていた。ところが、シエラ山中のコース・ゴールドに金が発見され再び彼が脚光を浴びることになった。コース・ゴールドの人たちが、掘り当てた金を預け入れるために銀行の出張を熱望したため、その重任にふさわしい人として正義の男ジャッドが選ばれたのだ。黄金を預かっての帰りの山道はあらゆる危険が予想されるため、彼は協力者2人を雇うことにした。(映画.com)

サム・ペキンパー監督第二作目だそうです。 

ふかづめさんが「フォード、ワイルダー、ホークスは見といて損ないよ、あんたはペキンパーとかアルドリッチがいいんじゃない?」と言ったので、まずはジョン・フォードを全部観ようとしてたら、「もういいでしょ、次に行きなさいよ」と言われたので、ペキンパーに移りました。真面目なオーバーフォーティ、滝川クリステルと同い年です。

フォードはわが谷は緑なりき(1941)が素晴らしかったですね。

 

いやでも、ホントに観始めてみて良かった。俳優の知識がないので、その辺の話はまったくできませんが、楽しいです。
ちなみに、これまで観たことがあるペキンパー作品は戦争のはらわた(1977)のみだった。思い出しただけで鳥肌が立つ文句なしの名作である。むっさいけど。
 
ペキンパー=バイオレンスのイメージであると聞くが、この頃は(と言っていいのか)バイオレンス色はなく、かつては優れた保安官であった老人が残り火を燃やすさまが、哀愁深く情感豊かに描かれる。
鉱山から銀行へ金を運ぶ仕事のために、ある町にやってきたスティー(ジョエル・マクリー)。彼の名声は過去のものであることが、冒頭から説明される。スティーブが町に入ると人々から歓声が上がり、彼はそれが自分に向けられていると思い応えるが、実は馬のレースへ送られたもの。「どけ、爺さん」などと言われてしまう。また、銀行で渡された契約書を裸眼で読むことができず、トイレに行き老眼鏡を取り出して読んだりする。
 
危険な仕事ゆえに協力者として雇うのが、偶然再会したかつての助手ギルランドルフ・スコットだ。ギルもまた老いており、詐欺まがいの商売で小銭を稼ぐ日々だった。ギルは自分の子飼いで血の気の多い青年ヘック(ロナルド・スター)を同行させ、道中で金を奪おうと目論む。
 
結束のない三人の旅の物語は、山に向かう途中で立ち寄った牧場の娘エルサ(マリエット・ハートレイ)の登場から、方向性を変える。ヘックがエルサに一目惚れしてしまうのだ。そこからは、ヘックがエルサにちょっかいを出したり、エルサがまんざらでもなさそうだったり、敬虔すぎるクリスチャンでエルサに近寄る男を異様に警戒する封建主義の父親と揉めたり殴られたりといった展開が続く。
 
 
あの・・・。まだ目的地に着いてもいないよ。早く出発しませんか。
 
 
ついでに私も脱線するが、いい加減にしてくれないかな、『決闘』という言葉のつく題名たち。書き始めるまで、この映画のことを荒野の決闘(1946)だと思ってたけど、それはジョン・フォードだったでしょ。でも『真昼の決闘』(1952)って映画もあるでしょ。
 
大体さあ、『荒野の決闘』の原題って『My Darling Clementine』だよ? 最初に流れる「オーマイ ダーリン、オーマイ ダーリン、オーマイ ダーリン クレメタイン♪」の曲が素敵なのに、それが何故『決闘』になってしまうの。
それにしてもさあ、この歌って、日本では勝手にどっかの山岳部の連中が「雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに♪」って歌詞にしちゃって、それが罷り通るんだから意味がわからないよね。
 
 
 
◇悪夢の結婚式
さて、大輪の薔薇ならぬ野に咲く花といった風情のエルサは、見た目通り雑草魂を持ったジャジャ馬だった。鉱山で金を掘る男たちの中に求婚者がいるらしく、「あたし、山に行ってビリーと結婚する!」と家出してスティーブ一行に加わる。カメラはエルサの雑草パワーと、彼女のことが気になって仕方ないヘックへと向けられ、ジジイ二人は恋に浮き立つ若者の諫め役に回る事態に。
 
私が「ああ、そういう話なのね」と気づくのが遅かっただけで、本作は金を無事に運べるか?に纏わるサスペンスや、敵役となる悪たれ五人兄弟とのガンアクションがメインではなく、かつては活躍した老人たちが、新しい世代のために道を拓いてやる話なのだよね。途中までは若者たち中心の物語が続くが、だからこそ最終的に、老いたるものの魅力が光る。
 
エルサが求婚者のビリーの元へ辿り着いた辺りからは、実に不穏な空気が漂い出す。掘っ建て小屋のバー兼売春宿で二人の結婚式が執り行われるのだが、付き添い人となる女主人と美しく着飾ってはいるが空虚な女たちは、何かを含んだ視線をエルサに送る。ビリーの四人の兄弟たちは、花嫁を得る兄をからかう、というには行き過ぎた野卑な言動を繰り返す。それもそのはず、ビリーらは、花嫁として一族に加わる女を「共有」することを慣習としてきたのだ。
 
 
うえ~、最悪や~。おまけに全員クサそう。
 
 
げらげら笑いながら踊る招待客、毒々しい化粧の女主人、ベロベロに酔っ払いながら結婚宣言を行うアル中の判事、襲いかかってくる夫の兄弟たち。悪夢のような乱痴気騒ぎの中、エルサを救いに現れたのはスティーブだった(ヘックも来たが、すぐ殴り倒された)。
この事件をきっかけに、エルサを親の元へ帰そうとするスティーブ、怒りながら花嫁を奪還しようと追ってくるビリーら兄弟との闘いが始まる。
 
 
 
◇毒には毒を
草臥れながらも自尊心を失わない正義漢スティーブと、そのスティーブに半分は尊敬の念、半分は嫉妬心やコンプレックスという複雑な思いを抱え、どこかケチな男として描かれるギル。そして、この物語をより面白く盛り立てるのはギルの方だ。なぜならギルは、誠実なまま老いたスティーブと異なり、悪党の側へ片足を突っ込んでいるからだ。だからこそ、スティーブには思いもつかない方法で、コトを片付ける。
 
例えば、悪たれどもからエルサを取り返す手段。一番の障害は、この結婚が正式な資格を持つ判事が認めたリーガルなものであることだ。スティーブは、あくまで正論で立ち向かおうするが、そんなものが通用しないと知るギルは、酔っ払っている判事にさらに酒を浴びせて脅し、彼の資格を無いものとすることで無理やり結婚を無効にしてしまう。
 
まさに毒を以て毒を制す。こういうときに、毒の役を担うキャラクターが魅力的に見えるのは当然のことではないかー。
 
その後、スティーブと衝突して一行から離脱したギルは、エルサの父の牧場で待ち伏せていた五人兄弟とスティーブらの銃撃戦を高見から見物する。だが、スティーブが撃たれたのを見ると、条件反射のように馬を走らせて参戦。
 
うわ~、ここ、じわっとなる~。
 
何だかんだ言いつつ友のピンチに本能で身体が動く。そして、悪党になりかけていても、かつて名保安官の隣にあった日々のことは身に刻まれているのだ。
 
若者を中心に映していたカメラは、本来の主役の老人たちへと向けられ、その老骨魂をしっかと観客に届けてくれる。確執を乗り越え、「もちろん昔のように正面突破だ」と敵に向かって同じ歩幅、同じリズムで歩き出す二人の姿にグッと来る。お勧めの激シブ西部劇です。
 
さて、そんな感じで、やなぎやは、また在宅勤務へ戻ります。
 
ところでさ~、ランボー ラスト・ブラッドの公開、6月12日から26日に延びた~。
同じ12日に、『犯罪「幸運」』と同じくフェルディナント・フォン・シーラッハ原作の『コリーニ事件』が公開になるから、ハシゴしようと思ってたのにッ。