Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『砂漠でサーモン・フィッシング』

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お久しぶりです。秋は何故かバタつきます。
 
昨日、同僚たちと昼ご飯を食べていたとき、一人が「流行語大賞に入ってるドラクエウォーク』ってなに?」と言い出し、全員知りませんでした。しかし、私の頭には、以前ふかづめさんが『シネ刀』の中で使っていた「ドラクエ歩き」という言葉が鮮烈に残っていた。ふかづめさんが生み出したアルマゲドン歩き」(数人で横に広がって歩くこと)と相対する言葉として使われていたのだ。
 
もう予想はついたでしょうが、私は「『ドラクエウォーク』って、広がらず縦一列に並んで歩くことだよ!」と堂々、知識を披露した。みな、「それ、流行語大賞候補になる?」と首を傾げたが、重ねて「反対語は『アルマゲドン歩き』だよ!」(ってふかぴょんが言ってた)と言うと、これが全員のツボに入り、最終的に「アルマゲドン歩きは、ローラー作戦時にもっとも効果的」というところに終着して昼が終わりました。
 
しかし席に戻って若い衆に聞いたところ、なんと『ドラクエウォーク』はポケモンGOに似たゲームの名前だというではないかっ。「ドラクエ歩き」は流行語大賞になんら関係なく、ましてや「アルマゲドン歩き」はもっと関係ないことが判明。しかし、「アルマゲドン歩き」は再びその場の全員のツボに入り、誰かがエアロ・スミスの歌まで歌った。
 
どわな くろーじゅ まあーいず〜♪
ふかぴょん、荒んだ東京砂漠に潤いをありがとう。
 
はいッ、というわけで本日は、無類の犬好きで知られるラッセ・ハルストレム監督がお撮りになった『砂漠でサーモン・フィッシング』ですネ。
 
え?犬好き違うの?
 
だってリチャード・ギアに「HACHI!」と言わせたことで有名だし、僕のワンダフル・ライフ(2017)、『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019)で犬好きたちを号泣させた人でしょう。
 

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めっちゃカッコいいんだが、ラッセ・ハムストレス。
 
 
◆あらすじ
英国の水産学者ジョーンズ博士のもとに、イエメンの大富豪から、鮭釣りがしたいのでイエメンに鮭を泳がせてほしいという依頼がもちこまれる。不可能と一蹴したジョーンズだったが、中東との緊張緩和のため英国政府や首相まで巻き込んだ荒唐無稽な国家プロジェクトに展開してしまう。(映画.com)
 
ハルストレム監督と言えばギルバート・グレイプ(1993)ですね。あの映画はよかったよねぇ。デカプーがバスタブでガタガタ震えていたのが印象的です。監督は他にも、『やかまし村の子どもたち』(1986)、『やかまし村の春・夏・秋・冬』(1986)を撮っていて、『やかまし村』といえば、『長靴下のピッピ』『ロッタちゃん』シリーズでもお馴染みの児童文学の名手アストリッド・リンドグレーンの代表作。私の娘も大好きで、本当に素晴らしい児童文学であります。
 
ラッセ監督はあれか、動物と子供が好きなんだな。本作で加わるのは魚ときた。
 
金持ちの道楽で始まったトンデモ計画が、投資コンサルタントや水質学者、政府官僚まで巻き込んで、てんやわんやするくだりと、癖のある脇役たちが面白い。特に、政府の広報官マクスウェルを演じたクリスティン・スコット・トーマスが最高だった。
 
クリスティン登場シーンでは度々画面が複数に切り分けられ、電話で罵り気味に指示を飛ばしまくる様子、人にぶつかっても気に留めず早足で歩く様子などが同時に映され、彼女の頭が目まぐるしく回転するさま、そして傍若無人っぷりが一発で伝わる。

また、クリスティンと首相とのメールの会話がすごくコミカルで。それぞれの写真のアイコンに吹き出しが出るたび、ホワンッと間抜けな音が響く(クリスティンのアイコンの顔も好き)。
 
「首相、釣りは?」
「場合による」
「釣り人の有権者は何と200万人!」
「なら
、得意だ」
 
さらに後日。
「首相、釣れますね」
「うん」
「本当に?」
「ごめんむり」
「じゃあ外務大臣を」
 
この流れでイエメンに連れてこられた外務大臣が全く釣りできないのにも笑う。
 
クリスティンが絡めば、事態は常人が追いつけぬ速さで動き、思いも寄らない方向へと突き飛ばされる。 
こんな人、現実にいないと思いますでしょ?うちの会社にいますのよ、ええ。周囲の事情や状況、人情や気遣いは優先順位としてゲゲゲの下、「今目の前にあるタスク」を「自分の思うあるべき形」で解決すべく一点集中&中央突破してくる感じがそーっくり。映画で他人事として観ている分には楽しいが、実際に関われば地獄を見る女、それが本作のクリスティン・スコット・トーマスです。
 
テンポのいいクスッと感とユルさがこの映画の魅力。多分、私が個人的に、深刻な問題の裏側で当事者たちは割に能天気でいい加減な会話しているような、ヌケ感が好きなんだわね。

 
◆養殖鮭としてのユアン
イエメンの大富豪シャイフ・ムハマド(アムール・ワケド)による「砂漠に川を作ってシャケを泳がせたい」との荒唐無稽な計画を実現しようと奮闘するのが、彼の投資コンサルタントエミリー・ブラント。私の中では誰よりも防弾チョッキと銃が似合う女優だが、本作では知的でキュートな女性を演じている。エミリー・ブラントから相談を受けてプロジェクトに加わるジョーンズ博士がユアン・マクレガーだ。
 
ハルストレム監督が哺乳類と魚類好きなら、ユアン・マクレガーだって負けてはいない。リトル・ヴォイス(1998)では、話し相手は主に鳩の鳩寵愛青年を演じ、本作では魚を愛する中年を演じる。「トビケラの報告書が云々」などと、相変わらず内向的な男を演じさせたらピカイチだ。
 
しかし、『リトル・ヴォイス』での純な青年と比べると、本作でのユアンは、嫌いな上司の写真を職場の部屋の扉に貼り、ルアーをぶつけてストレス発散するなど、なかなかに陰湿。また仕事至上主義の妻メアリーとうまく行っておらず、言い争いになると、話の途中で庭の池へと逃げる。そして、鯉にエサをやりながらブスくれる。メンドくせェ。
 
ユアンは、家庭内でもビジネスライクなメアリーと対照的に、鮭プロジェクトに真摯に取り組むエミリー・ブラントに惹かれていく。それを知ったメアリーが「あなたは私の元へ戻って来る。それがあなたのDNAよ」と言うように、イエメンに放流される鮭には、ユアン自身が投影されている。
 
本能を殺された養殖の鮭と、つまらない日常に雁字搦めになったユアンは言わば同類。そして最終的に見事、遡上を始めた鮭と同様、ユアンも本能に従って行動する。
 
また、計画の発案者であるシャイフの真意は、一見不可能な物事に対して「信念」を貫くことが如何に大切か、身を以て示すことにあった。まるで養殖の鮭のように、本能を失ってフラフラと迷っていたユアンが、エミリーとシャイフから信念を学ぶ。これが、「鮭釣り」を通じて描かれる乙な作品となっているんだ。
 
 
◆ケチをつけます
だがしかし、いまひとつ、胸に迫ってこないのはどうしたわけか。
 
第一の問題は、国家をも巻き込む難題プロジェクトであるはずが、その苦労と苦悩があまり表現されていないことだろう。鮭を一時的にでなく生息させるためには、鮭の本能とも言える「遡上」をさせ、産卵させる必要がある。だから、流れのある川を作らなければいけない。現実的な手段としては、ダムを作って放流し人工の川を作ること。なるほどそれは大変だと思ったら、「ダムは2年前に完成している」とユアンに告げるエミリー。
 
あ、ダムは、もうできてるんだ? サンキューね。助かったわ。
 
いや、サンキューね、じゃねーよ。川作りはやらないの?そこが観たいよ。
 
まあね、「砂漠でフィッシング」がメインであって、「砂漠にダムを作ろう」ではないから、すっ飛ばすもありだろう。しかしそうなると、プロジェクトの課題は「鮭をどう手配するか」と「どのようにイエメンまで運ぶか」となり、当初想定していた難易度に照らすと、「なんとかなるんじゃね?」と。
 
シャイフの不屈の精神は立派だ。ハンパでない金持ちらしい常識に囚われない感性もステキだし、何より超イケメン。こんな人格者なら、たくさんいる妻の一人に加えて頂きたいものである。が、ダムは既に完成しており、プロジェクトの最重要課題が「シャケ、どう運ぶ?」になった今、シャイフの「困難だから諦めるのか?」と言った精神論が立派過ぎて浮いてしまっていて。
 
また、一番の問題は、ユアンとエミリーの恋の成就が、どうにも腑に落ちないことだろう。
 
ユアン夫妻の危機の原因は、昇進のためにジュネーヴに行ってしまう妻にもあるが、先にも書いた通り、やっぱり私は、ブスくれては鯉にエサをやりに行くユアンが気になる。めんどくせェ。意中の相手が出来た途端、碌に話し合いもせずにメールでメアリーとの関係を切ろうするのにもモヤモヤ。
 
またエミリー側の脚本も強引だ。彼女の恋人は軍人で、途中、極秘の軍事作戦により死亡と報告される。精神的にどん底に陥ったエミリーはユアンと過ごすうちに彼を憎からず思う。それはいい。ところが、実は恋人は生きていた。
 
余談だが、この恋人生存の事実をすぐにエミリーに教えずイエメンの地で再会させ、劇的感動の場面を中東との関係緩和に利用するマクスウェル(クリスティン)の悪辣冷酷な戦略には、うっとりするわー。
 
さてユアンが身を引くのかと思いきや、この軍人の恋人が、「シャケをイエメンで泳がせる?アホなこと言いなや」と、劇中でご法度とされてきた信念のない考えをぽろっと露呈、エミリーの顔を曇らせる。それを布石として、最後は突然「君が好きな方を選んでいいんだ」とエミリーを解放。
あまりに都合よく、いい加減じゃないかい、死地から生還した恋人の人物像がさ。
 
そして、放流されたエミリーは本能に従い、ユアンに向かって遡上する。
 
つまり、エミリーは砂漠で男を釣ったし、ユアンは女を釣った。シャイフは夢を釣った。

で?

「シャーケシャーケ(そうけそうけ)、みんなハッピーでよかったねえ」と拍手しろと?
 
いやいや、エミリーとユアンが無事くっついてめでたしのロマンスが、あまりに杜撰じゃないの。イエメンで鮭が跳ねる画を背景に、幸せそうな二人の姿を撮りたいがため、各パートナーを疎かにした監督は、劇中、強引な広報活動を行うクリスティン・スコット・トーマスと同じ。
 
なんだかエミリーは不実に見えてしまうし、ユアンは最後まで情けな&ちょっとイヤなヤツの印象のまま。私としては「シャーケシャーケ、よかったのう」と言うわけにはいかなかった。
 
そんなわけで、不満は残りますが、全体的に面白い映画なので、おススメです。
ところで、『I Don't Want To Miss A Thing』が頭から離れません。
 
どわな くろーじゅ まあーいず〜♪は1分12秒あたりから!
 

『モネ・ゲーム』

 
英語が話せないことで有名な日本人ですが、私の周囲は両極端、仕事場には英語が流暢で外国人とのコミュニケーションにも手馴れている人が多いです。
しかし、当ブログに何度か登場している友リエコなどは「そちらさんが日本語を話されたらええでっしゃろ」の姿勢を崩しません。
 
ある日、お店で食事をしていたとき。リエコが隣でビジネスランチ中の七、八人のフランス人に「ちょっといいですか」と突然話しかけ、「その料理ってなんですか?私も同じものを頼もうと思って」と完全に先方の会話をぶった切ったのには冷や汗をかきました。
 
またある日、着物で歩いていたら、外国人からパシャリと写真を撮られました。リエコはツカツカとそちらに歩み寄り、「いま何したの?写真?みせて」とデジカメを確認。そして、「コレ、写りが悪いから撮り直してくれる?」と撮り直しをさせていました。
 
なんで通じるんだろね?
 
こんな話をするのは、今日の映画と関係があるような。ないような。
 
コリン・ファースの雇い主ライオネルの商談相手として、日本人の集団が出てきます。英語は全く話せず通訳頼み(また通訳の英語がひどい)、全員揃ってドーモドーモとお辞儀する姿は、歪曲された悪しきイメージのジャパニーズ・ビジネスマン。脚本が日本に興味がないコーエンズなので(やなぎやの持論です)仕方ないと思いつつも、ここだけ観ると、あまりにも極端で悪意を感じるの。
 
実際、「人種差別だろ」なんてレビューも見かけましたが、よーしよし、どうどうどう。これ、フリなので大丈夫です。んー、フリなのかな?そうじゃないのかな。まあ、「敢えての描写」とだけ言っておきます。コーエンも監督も、そんなバカじゃないでしょ。
 
ネタバレ全開でいきます。
この映画のラストを指して「どんでん返し」とするレビューの多さにびっくりしております。
 
断言するが、本作のオチは、どんでん返しではなぁい。
 と思うよ!
 

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◆あらすじ
ジョエル&イーサン・コーエン兄弟が脚本を手がけた犯罪コメディ。学芸員のハリー(コリン・ファース)は、相棒の”少佐”(トム・コートネイ)と共に、印象派の巨匠モネの名画「積みわら」の贋作を制作する。協力者のPJ(キャメロン・ディアス)が絵画の所有者になりすまし、億万長者シャバンダーをカモにしようとするが、次々とトラブルに見舞われる。
 
泥棒貴族(1966)のリメイクですが、似て非なる映画となっております。
 
簡単に言うと、大手メディアグループの経営者ライオネル・シャバンダー(アラン・リックマン)の絵画蒐集癖に付け込み、彼の専属キュレーターであるコリン・ファースが、仲間の”少佐”と共に、贋作を売りつけようする話だ。ターゲットとなる絵画がクロード・モネ『積みわら』。一言に『積みわら』と言っても、同じ対象物を異なる時間や季節、天候の下で描き分けたもので、わらクズの山の絵が何十枚と存在する、素人にしてみれば、けったいな美術品だ。
 
ライオネルが執着しているのは『積みわら(夜明け)』と『積みわら(夕暮れ)』で、前者はオークションで日本人実業家に競り勝ち、現在彼の屋敷の美術室に収まっている。コリンらの計画は、贋作名人である少佐が書いた『積みわら(夕暮れ)』の絵がライオネルの目に留まるように仕向け、持ち主に仕立てたPJに1200万ポンドで交渉させるというもの。
 
 
英国紳士の印象が強いコリンだが、本作ではコミカルで間抜けな姿を見せてくれる。ライオネル・カモ作戦を現実にするため、テキサスにPJを訪ねるコリンと少佐。事はトントン拍子に進み、彼女は喜んで計画に参加、ライオネルをうまいこと騙くらかし、華麗に1200万ポンドを奪取する・・・という冒頭の一連の流れは、まさに観客がコリンに期待するスマートな展開だ。
 
しかし、これは全て妄想。劇中のコリンは人と話すのも下手なら空気も読めず、やることなすこと裏目に出てしまう間抜けな人物である。
 
コリンの妄想の中のライオネルは粗野な振舞いやファッションセンスが笑ってしまうほどひどいのだが、これはコリンの恨み辛み(想像するに逆恨み)と嫉妬から生じた歪んだ虚像で、実際のライオネルはビジネスセンスを具えた傑物だ。
 
こんな情けないコリン・ファース、イヤよねー。
この冒頭で、きちんと説明されている、コリンは「都合よく妄想してしまう人物」であることが。ここを忘れないで欲しい。
 
 
アンジャッシュ的「すれ違いコント」が秀逸
たまたま私のツボにハマったのか、ハリーのSAVOYホテルのホテルマンとのやり取りや、飾られていた美術品を盗んで右往左往するくだりは爆笑もの。
 
フロントでのチェックインの場面。前のシーンで、ハリーはズボン(股間に近い部分)を氷で濡らしてしまう。濡れた箇所を拭いていた少佐のハンカチにオイルがついていて逆にシミになってしまったなどと、「ズボンのシミが取れない」描写が不自然なほど続くのだが、これはフロントマンとのコントのための前振り。
 
コリンとキャメロンは、「少佐の(ハンカチの)せいで、シミが」「少佐は百戦錬磨なんだぞ」と、仲間の”少佐”を指して話しているのだが、フロントマンの二人「少佐=コリンの下半身」であると解釈する。隠喩を用いた会話術を余儀無くされる職種だからこその、心得顔がイチイチおかしい。
 
同じ事について話しているのに、互いの解釈が異なることで生まれるズレ、要はお笑いのアンジャッシュのすれ違いコント的手法と言えば分かってもらえるかしら。
 
さらに、ハリーはバカ高いホテル代を捻出するため、廊下に飾ってあった明の壺を盗み、ホテル内を右往左往するうちにズボンを失う。

・・・あ、唐突でしたかね、スボンの失い方が。めんどくさいので、ここは観て頂戴。とにかくズボンを無くしてパンツ一丁でウロウロするうち、一人で滞在している婦人の部屋に侵入してしまう。そこに例のホテルマンがバレエのチケットの件で、婦人の部屋をノック。
 
婦人は、部屋の中のコリンに気付いていない。ホテルマンからは、下半身パンツ一丁のコリンが見える。
 
テルマン「・・・チケットは一枚でよろしいので?」
婦人「?」「ええ、もちろん」
テルマン「では、よい夜を。この部屋には誰も取り次ぐなと言っておきますので」(ドヤ顔)
婦人「?」「すぐベッドに行くわ。夫も出かけているし」
テルマ「・・・それはそれは、さぞお寂しいことでございましょう」(ウインク)
 
との会話が為され、ホテルマンは、コリンの”少佐”が相手問わずの百戦錬磨である確証を得る、と。
 
文章で書いても面白さが伝わらないので、是非観て頂きたい!
 
 
◆スマートなコリンを疑え
コリンの中では、優秀な自分と成金ライオネルだが、現実は反対である。コリンの無能さに愛想をつかしたライオネルは、代わりのキュレーターとしてドイツ人のザイデンベイバー(スタンリー・トゥッチ)にオファー。これを知ったコリンは姑息な手段で、ザイデンベイバーの方からオファーを断るよう仕向ける。
 
そんな中、ライオネルの別荘で行われたパーティでは、日本人ビジネスマンとの商談と、キャメロンが持ち込んだ『積みわら(夕暮れ)』の鑑定と価格交渉が行われようとしていた。
 
ここまで『積みわら』の存在を忘れていたでしょう!私もです。
 
ライオネルの美術室に入り込み、『積みわら(夜明け)』(ライオネルが過去に競り落とした本物)をいじくり回すコリン。その後ろを、どこからやってきたのかチョロチョロ動き回る変な種のネコ。何度目か、コリンが違和感を感じて振り返ると、そこにはネコではなく、ライオンがいた。
 
・・・ここはもう流しましょう。ライオネル曰く「特別なセキュリティ」らしいが、あまり深く考えても仕方ない。「ライオン」=ライオネルorコリンが理想とする自分自身、「ネコ」=実際のコリン、のメタファーかと思うので。
 
キャメロンがテキサスで鍛えた投げ縄によりライオンを捕獲すると(ウソや)、絵をいじくり回されたことに激怒してライオネルがやってくる。三人の目の前には、本物の『積みわら(夜明け)』と、”少佐”の描いた贋作の『積みわら(夕暮れ)』。
 
本来ならコリンが贋作を本物と鑑定する作戦だが、そもそもライオネルに全く信頼されていないので、始めから計画は破綻している。ここに突然、隣室のドアがバンと開き、ザイデンベイバーが入って来て、おもむろに『積みわら(夕暮れ)』の鑑定を始める。
 
さあ、ピンチである。追い払ったはずのザイデンベイバーは、ドイツで実績と名のある学芸員。しかし、驚いたことに彼は贋作を「本物だ!」と断言。と思ったら、コリンが「いや、これは偽物だ」と、芸術を愛する者としてのプライドを見せるのである。消沈するライオネルを残し、堂々と別荘を後にするコリンとキャメロン。
 
ここからが「どんでん返し」だ。
 
コリンと”少佐”が空港に向かうと、例の日本人ビジネスマンの集団と、以前ライオネルと『積みわら(夜明け)』を競ったタカガワ氏が待っている。そう、コリンの狙いは始めから、ライオネルが所蔵する『積みわら(夜明け)』を贋作とすり替え、タカガワ氏に渡すこと。ジャパニーズと組んで企てた計画だったのである。
 
かくして、タカガワ氏から絵の代金を受け取ったコリンと”少佐”は、意気揚々と華麗に去っていく…。
 
 
ちょ、待てよ。(キムタク)
 
 
ういー、待った待った!なんでこれが「意外な結末!」「そういうことだったのね!」となるのか!?
 
繰り返すが、コリンは「都合のよい妄想をする」名人なのだ。ちょっと、ザイデンベイバーがいきなりバーンと入ってきたところまで戻って欲しい。
 
大体、何故、ザイデンベイバーは招待客としてではなく隣室から湧いて出たのか。タイミングも都合がよすぎる。そして、確かな鑑定眼を持つ彼が、なぜ贋作を「本物だ」と見誤るのか。なぜ、ここまでプライドの欠片もなかったコリンが、突然絵画に対する敬意を示してみせたのか。
 
もちろん、「ザイデンベイバーがバーン!」の時点から、コリンお得意の妄想に移行しているのである。
 
 
さらに言えば、”少佐”も虚構の人物であろう。
コリンが作り出した、都合のよい相棒だ。根拠はシンプル。少佐は二度ほど、「有能なディーン氏(コリン)にも」「いかに優秀なディーン氏と言えども」と言う。コリンが優秀であるのは妄想の中のみ、つまり少佐も妄想が作り出したキャラクター。
 
大体、「少佐」っておかしいじゃないの、皆さん違和感は持っていたでしょう。何者なのよ?二人の関係は?なんでいつも、ぴったりとコリンの横にいるの?って。
 
カッコいいことを言うと、『モネ・ゲーム』自体が、観客に仕掛けられたゲームだよということだ(やなぎやさんカッコいい!)。現実、コリンがどうなったかはどうでもいいが、まあライオンに殺されたのかもしれないね!
 
それにしても、私が知る限りでは、どんでん返し自体がコリンの妄想であること、少佐が虚構の存在ではないかと指摘するレビューはなかった。逆に不安なので言っておく。もしそういったレビューがあったとしても、本日の感想に断じて他人の文章を参考にした点はなく、私独自の解釈です。
 
では最後は、大変素敵だったアラン・リックマンが、キャメロンを口説く際の唸り声でお別れしましょう。
 
「まだキミにシャバンダー・ライオンを紹介していなかったかな・・・。ガルゥ」
 
がるるゥ!
 
引用:(C)2012 Gambit Pictures Limited

『セブンティーン・アゲイン』

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こんにちは。当ブログを読んで下さっている皆さまには驚かれるでしょうが、わたくしは案外と毒吐き屋なんです。驚かないんですか?どうかしてますね。
 
本題より前置きを楽しみにしてくれているどこかの新潟県人が、「給湯室でだらだら話しているようなゆるい雰囲気」をお好みのようなので、毒は抑えてます。まあ、自分でも「つまんないこと言っちゃったな」って後悔するのは嫌だしね。職場の女々しい奴のネタだけで数十本は記事を書ける気がするんだが、ソーシャルメディアポリシーだのコンプラだのうるさいし、「女々しい」って書いただけで、あーだこーだ言われる時代です。
 
そんなで毒は吐きませんが、一個だけいいかな。
 
「紳士のスポーツ」「紳士のスポーツなんやで」って言ってたラグビーサポーターが、日本対スコットランド戦のプチ乱闘を受けて、「スコットランドは紳士じゃない」ってツイートしていたのには笑ったよね。
 
あと、こぞって言うね、「ラグビーは敵味方のサポーターが混ざり合って応援し互いを讃え合うスポーツ」って。芋づる式に言う。ずるずるずるずる言う。
 
そうなんだね。対戦相手同士で罵り合ったり日韓で蹴り合ったり、ゴール裏に『F○CK』の絵文字を作ろうとして作れなかったり(永遠に語り継がれる鹿島アントラーズの愚行)、そんな相手を「やーりなおーせ」と煽ったり、「Japanese Only」って段幕掲げて協会から制裁喰らったり(永遠に語り継がれる我が浦和レッズの愚行)、南で相手サポーターと小競り合いが起こってふと自陣の北を見たらコア連中がいるはずの中心ががっぽり空席になってて「やっべ、連中、南に殴り込んだわ」って青ざめた経験なんてないわけだ。
 
そりゃあ、スコットランドは紳士じゃないわね。
となると、スコットランドが負けて、「イェェェェ、ざまぁぁぁ!」と叫んでいたイングランド人の位置づけはどうなるのだろう?
 
いや、ラグビーそのものに対して、いいとか悪いとか、犬派とか猫派とか言っていないですよ。事実と純粋な疑問を提示したまでです。当ブログのモットーは多様性でございますので・・・。
 
 
◇あらすじ
バスケットボール部のスター選手として活躍する高校生マイクは、恋人スカーレットの妊娠をきっかけにバスケの道を断念する。それから20年後、冴えない中年男になってしまった彼は、ひょんなことから17歳の姿に変身。人生をやり直そうと2度目の高校生活を送りはじめるが・・・。(映画.com)
 
アメリカのティーンズ青春映画を観るたび疑問なのだが、ボート部とかアメフト部とかバスケ部とか、脳筋連中の地位が校内で異常に高いのは何故なのだろう。頭がいい奴がトップ・オブ・スクールカーストではないのか?運動神経がいいと単純にカッコよく見えるのと、その種のスポーツができるということは家庭も裕福、かつ将来的にも有望だからということなのか。だとしても、部員が大体お揃いで着ているダッさいロゴ入りジャンパーみたいのがイヤ。青と黄色の配色のやつ。私は青と黄色の組み合わせの服装が好きだけどね。紫×黄色もよく着ます。
 
冒頭は将来有望なバスケ部の花形選手として、充実した高校生活を送るマイクの姿に始まる。マイクは、高校のスポーツ選手と聞いてイメージする脳筋ではなく、努力家であるし、大学のスカウトが見ている大事な試合の前にチアのダンスに飛び入り参加してしまうようなお調子者、無邪気で憎めない奴といった感じ。とてもかわいい彼女がいる。その彼女スカーレットに妊娠していることを告げられる。
 
あろうことか、スカーレットが事実を打ち明けたのは、大一番の試合直前のコート横。
直前やで。スカーレットも動揺していたのだろうが、もう少し考えてから話せば良かった。「この試合でマイクがスカウトされれば将来は約束されたも同然。籍は入れさせた上でマイクを大学に行かせ、私は実家の世話になりながらマイクの出世を待つ。将来設計バッチリやでぇぇ。だから絶対にこの話は今言ったらあかん。スカウトさせるのが先や」と冷静に頭を働かせるべきだった(関西方面の方にはお詫びします)。
 
17歳ですなあ。私の心は腐った大人です。
 
しかし、その後、試合をおっぽり出してスカーレットを追いかけていき、「一番大事なのは君だ」と告げて逃げなかったマイクに私も胸キュン。何歳になっても、乙女心は捨てきれないのです。
 
だが、世間知らずのガキの幻想など、簡単に挫くのが世間というもの。バスケの道を諦めて凡庸な大人となったマイクは、どうやら無邪気な性格そのままに、「あのときのことがなければ、庭を整えるのに人くらい雇えたのに」などに代表される無神経発言を繰り返し、スカーレット(レスリー・マン)の心を少しずつ削っていったようだ。
そんなわけで現在の二人は離婚直前。マイクは職を失い子供たちにも軽んじられ、高校時代からの親友、オタクのネッド(トーマス・レノン)の家に居候している。反対にスカーレットは、得意の造園の技術を活かして自立しようとしていた(個人的にはスカーレットに庭造りのセンスがあるとは思えないが)。そんなとき、不思議な老人により、マイクは17歳へと戻されてしまう。
 

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面白いのが、これがタイムスリップではなく、マイクだけが高校生の身体に戻ってしまったこと。だから「離婚調停の日なのにどこにいるの!?」とスカーレットから電話がかかって来るし、ネッドが偽造した書類で入学した高校には、自分の子供であるマーガレットとアレックスがいる。そのため、「違う将来のためにやり直す」はずだった当初のマイクの目的は、如何に子供たちの道を正し、より良い環境を作ってやるかへとシフトしていくことになる。
 
17歳のマイクを演じたのがザック・エフロン。言うまでもなくハイスクール・ミュージカル(06)で一躍有名になったアイドル系俳優だ。そこからアホな役ばかりやっているイメージだけど、いい作品も多い。以前、当ブログで取り上げたグレイテスト・ショーマンでは、作品にもザックにもいいところが感じられなかったが、『セブンティーン・アゲイン』の後に観た主演『WE ARE YOUR FRIENDS ウィー・アー・ユア・フレンズ』(15)はとても良かった。
 
 
監督のバー・スティアーズの他作品は、同じくザックとタッグを組んだ『きみがくれた未来』(10)が割と面白く、脚本を勤めた10日間で男を上手にフル方法(03)ではベタなラブコメをきちんとベタなラブコメにしていたのが印象によい。
 
 
◇母娘で観よう
ザック・エフロンのイケメンぶりに、同世代の女子たちがキャアキャアなったのは間違いないが、別の年齢層のハートも鷲づかみにしたことを忘れてはいけない。言わずもがな、スカーレット世代のお母さんたちだ。スカーレットを愛しそうに見つめたりハグするのは、ザックにとっては実に自然な行為なのだが、こちら側(アラフォー&育児と生活に疲れた誰かの妻または誰かの母親)から見れば、自分たちがピチピチなイケメンヤングに迫られているようなもの。
 
スカーレットがザックに言う「あなたたち世代って、母親くらいの女と寝てみたいんでしょ」の台詞に「マジで!?」と目ン玉が飛び出そうになり、スタイルのいいザックにリードされダンスを踊るシーンには、ときめくはず。つまり、高校生の夫と現在のままの自分という設定が憎いわけ。
 
ちなみにうちでは、後ろからチラチラ観ていた夫が、ザックがスカーレットを抱き上げるところで「イヤァァ!本人って言ったって、こんなのもう別人じゃないのよ!若い方がいいの!?」とおネエ言葉で騒いでいたが、うるさい、若い方がいいに決まっとろうがボケェ。
 
というわけで、17歳のザックに、それぞれ心を乱されるスカーレット&マーガレットは、そのまま画面のこちら側の観客層と合致する。母娘で鑑賞すれば、最高に盛り上がる映画なのではないでしょうか。
 
 
◇選択は同じ
女子二世代のハートをかき乱しながらも、この映画があくまで嫌味なく爽やかであるのは、ザックの行動が常に父親目線であるからだ。
 
ザックに迫ってくる尻軽な3人のギャルに「君たち、座りなさい」と説教するシーンが好き。「自分を大事にしないと軽く見られるだろ」というザックに、「軽く見て・・・」「わたし軽いの」と聞く耳持たずのギャルズ。挙句「名前も覚えてくれなくていいから」というギャルに他の二人が、「ワオ、それってすっごく軽い!」と、なぜか誰が一番軽いかの競い合いに発展。ザックお父さんもお手上げである。
 
ビッチ気味な娘は、とんでもなくアホそうな男(バスケ部)と所構わずチュッチュッしているし、息子はバスケ部員たちにいじめられている。流行りのファッションと髪型で外見を整えて、いざ再びの青春を謳歌するのかと思いきや、父親として子供たちの世話を焼いてしまうザックの焦り気味の行動がおかしい。性教育のクラスで、「婚前交渉はすべきじゃない」とイケイケの外見とは大きく矛盾する演説を打ったり、諭し方がいちいちおじさんくさかったり、これこそギャップ萌えというやつ。
 
そうかあれか、父、母、娘で観て楽しむ映画なのかっ!
 
と思いきや、離婚を進める裁判で、スカーレットへの手紙を読むあたりから、じんわりさせられるので油断がならない。個人的にああいう、咄嗟のアドリブ展開が好きなのだ。書かれていたはずのことが書かれてないとか、あるはずのものがないとか、ないと思ったらあったとか。分かるでしょうか。
 
さらに、20年前の状況が再現されるラストシーン。スカウトの前で行われる大切な試合で、ザックの行動に動揺したスカーレットは、あの日と同じように会場から出て行く。追うか否かの選択を迫られるザック。そして、結局のところ、「何度、過去をやり直しても自分の選択は同じ」であること、あのとき自分は人生最高の選択をしたはずなのにそれを忘れていたことを思い知る。
 
20年の時を経て、二人が「君は重くなったな」「あなたこそダイエットしないとね」と交わす会話が素敵である。17歳は輝いていた。37歳、綺麗な腹筋は消えて考え方も古くさくなったけれど、代わりに重ねたものがある。ここからまた20年後を、二人は違う形で迎えるはず。ほっこりしつつも身につまされる映画でした。
 
※疲れた主婦がイケメンヤングにときめく云々は一般論であり想像であります。また、やなぎや個人の趣味とは関係ありません。17歳とか、ザック・エフロンにときめくかボケェ。
 
引用:(C)2008 NEW LINE PRODUCTIONS

子供の「ごっこ遊び」がフツーじゃない

金曜日ですね。
 
昨夜一時過ぎに寝たもので、「今日の午後は死亡だな。」と思っていたのですが、他部署のカワイイ女のコから「やなぎやさん」と、きらきらした目で話しかけられ、「十二国記がお好きと聞きました!わたしもです!」と手を握られたので、一気に目が覚めました。
 
十二国記』シリーズ
小野不由美著、異世界十二国」を舞台に繰り広げられるファンタジー小説。一作目『月の影 影の海』(1992年)を皮切りに、六作品八冊を刊行(講談社文庫版/短編集除く)、2001年の『黄昏の岸 曉の天』を最後にストップしていたが、このほど十八年ぶりに新作が発表されることになり、その発売日が関東台風直撃が危ぶまれる明日10月12日なのです!びちょびちょになっても買いにいくよ。大塚の24時間営業の本屋では、今夜0時から発売だって。マジか。誰か~。チラッ(→ダンナ)。
 
話題は変わりまして。ジブリアニメの中で、多くのキッズが好きなセリフとして、
 
・「すり抜けながらかっさらえ!」「40秒で支度しな」「見ろ、人がゴミのようだ」「目が、目がぁー!」(天空の城ラピュタ
・「お前んち、おっばけやーしきー」(となりのトトロ
・「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」(紅の豚
 
などが挙げられると思いますが、息子(5歳)のお気に入りの台詞は風の谷のナウシカから、「セラミック刀が欠けちゃった。うふふ、アハハ」です。
 
さて、うちの子供たちは、あまりおもちゃを持っていません。娘の保育園時代、服も物もふんだんに与えられている女の子がいて、その子の家に遊びに行った際、ドレスやらキッズ用のメイクセットやら人形やら、リカちゃんハウス、おままごとセットなど品揃えにビックリしたものです。思わず、「あわわ」と、娘の様子を横目で伺いました。別に、「たくは○○式育児を取り入れてますの」「物でなく人と関わることこそ情操教育上、重要であって」などの主義はないです。おもちゃって、何買っていいかまったくわからなかったのです・・・。
 
その結果、姉弟は二人で、私の父が若いころ登山に使っていたザイルだのカラビナだのランプだの、ダンボールだのを使って(空きダンボールが出ると奪い取りに来る)、「ごっご遊び」を毎日延々やっております。「じゃあこれがお屋敷ってことね」「僕は飼い猫で、泥棒が襲ってきたってことね」。脅威の想像力を駆使して、おもちゃ不在を補っている。なんと不憫な。ううう・・・。しかし隙あらば「お母さんは●●ってことね」と引っ張り込まれるので、ごっこ遊びが始まると、私は出来る限り存在を消すようにしています。
 
先日夕飯の前、二人はまた何やらのごっこ遊びに興じていました。ごはんだよーと呼んで食卓についたら息子の様子がヘン。片肘をつき、拳にムニと片頰を乗せ、ニヒルにこちらを見ている。「肘つかないよ」と言ったら、低いニヒルな作り声で、こう言ってきた。
 
 
「くだらねぇ世の中だな」。
(~エレファントカシマシ『ガストロンジャー』より~)
 
 
一旦無視することにし、「暑くない?窓開けない?」というと、「バカだな。雨が降るかもしれないだろ?」と言う。「降ったら閉めればいいじゃない」「それもそうだな、ふっ」。その後はスプーンで食事しながら「うまいな。」と低い声で呟くので、耐えきれず娘に「あの人だれ?」と訊くと娘は澄まして、「あ、あの人はロッシガードさんです」。怖くて、なにごっこなのかが訊けませんでした。
 
また別の日は、階段にロープを張り巡らし、宇宙飛行士ごっこをしていました。宇宙飛行士の何たるかも知らないので、「わあ、海だ」「あ、あれってニモじゃん!?よーし、すいせんかん(※潜水艦)に変身だー」とかやってて、そんな軽い宇宙飛行士に最先端の技術使ってミッションを与えたくないなと思った。そこからお風呂に入るときには、二人でお尻をぷりぷりさせながら、「あのブラックホールをどうにかしないとねー」と話していたので、まあ、ちょっとは宇宙のこと知っているのね。
 
特にゴッコが加速したのは、今年の夏、祭りで娘はウサ耳、息子は音が超うるさい光る剣を手に入れた直後でした。私は、本当に、この遊びに巻き込まれるのがイヤで身を潜めているのですが、そのときは捕まってしまった。「僕がベルトっていう戦士で、お姉ちゃんがラビットちゃんていう相棒、お母さんは博士ね」(←なぜか私はいつも博士)。
 
ちなみに息子の戦士ベルトは、『幽☆遊☆白書』のアニメの飛影がモデル。ご存知の方は、あの憎ったらしい声で再生して下さい。
 
ベルト「さっき悪者から『今日の11時にベルトの剣を盗む』と予告状が来たぜ」
はかせ「うわー大変、隠さなきゃ!」(棒読み)
ラビットちゃん「じゃあ、気がついたら盗まれてたってことね」(隠した意味なし)
 
ラビットちゃん「大変、剣が盗まれてる!」
ベルト「しかし、まだ夜の11時じゃないぞ?」
ラビットちゃん「11時って、昼の11時だったのよ。。。」
 
これは、『名探偵コナン』の見過ぎ。
 
ベルト「実は俺はロボットなんだ。・・・やめろ、服をまくるな、中身だけロボットってこと!」
はかせ「じゃあ、塩をかけたらサビちゃうの?」
ベルト「ああ。だから悪者は世界中の塩を持っていて、俺がロボットかどうか確かめるために塩をかけてくる。まいるぜ
 
 
世界中の塩。
 
 
ラビットちゃん「ベルトは一度、塩をかけられて死んじゃったのよね」
ベルト「ああ。それで宇宙救急車で運ばれた」
 
 
宇宙霊柩車じゃない?
 
 
はかせ「でも、生きてるよね?」
ベルト「ラビットが生き返らせたんだ。・・・あ、、バタ」(ベルト倒れる)
ラビットちゃん「大変、電池が切れたんだわ!」
 
 
ベルト、とんだ旧式ロボット。
 
 
ラビットちゃん「待って、今電池を入れ替えるわ。きゅいーん、ベルト大丈夫!?」
ベルト「ところで、俺たちは普段、城に住んでいる」
 
生き返ったそばから、話題転換がすごい。
 
ラビットちゃん「でも、お城が広いから、ベルトは時々迷子になるの」
ベルト「ンふ、まあな」(←足を組みながら)
 
最終的には、「○○(息子の名前)、アホすぎ!」「アホっていうな!」と小競り合いが勃発して終わります。
 
どうでしょうか。楽しそうですか?それは他人事だからです。私は、この「ごっこ遊び」に二時間付き合ったことがあります。地獄です。
 
それでは皆さん、良い週末を!

『殺人者の記憶法』『殺人者の記憶法 新しい記憶』

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監督:ウォン・シニョン キャスト:ソル・ギョング、キム・ナムギル/2017年
 
こんにちは。うちの家の近所は、とにかく老人が多いんです。
 
そうそう、今朝、職場(赤坂)の駅のエレベーターにコンビニで買ったコーヒーを持って乗っていたら、小さい爺さんが「そのコーヒーは、ちゃんと暖かいのですか?」と上品に話しかけてきました。「持ってみますか?」とカップを渡したら、「ほっほ、結構熱いのですね」と微笑まれまして、降りるときは「レディ・ファーストですから」とエレベーターのドアを開けてくれました。
 
そんな爺さんならいいんですよ。しかし、うちの近所のジジイどもは、そうではなぁい。真後ろの家のジジイと左側の路地奥のジジイについては、新居を建てている最中、音がうるさいだのお宅の住宅メーカーの営業の態度が悪いだの文句言われたことを、私は根深く恨んでいるのです。
 
引っ越し当初、「やるならやったるでー」と腕まくりしていたのですが、夫が「あんな分かりやすい人たちを転がせないでどうすんのよ」と、どらやきを持って出掛けていき手懐けてきました。ちっ。
 
住んでみれば、やはり例のジジイ二人が突出して横柄。また暇なもんで、朝早くからふらふらと近所をパトロールしているのですが、あちらから挨拶をしない。私は毎日会うたびに、「今日こそお前から挨拶せェや。なんで毎回毎回私から挨拶せなあかんのじゃ」とジトーッと見るのですが、してこない。仕方なく「おはようございます」というと「はい、おはよう」。なんだよ、はいおはようって、うちの社長かよ。
 
と夫に話したら、夫が笑って「俺には、普通にあっちから挨拶するよ」。
きー。ジジイども、人見て使い分けてやがる。
 
なお、私が将来目指す老人像は動物のお医者さんのハムテルのおばあさんです。
 
というわけで・・・というわけでって、全然繋がってないよもー。本日は、老いた殺人鬼VSルーキー殺人鬼の戦いを描いた映画をご紹介、これが同じ話を2つのパターンで別の映画にした変わり種です。あなたは殺人者の記憶法派?それとも、殺人者の記憶法 新しい記憶』派!?ネタバレはしませんが、予想できてしまうかもしれないので、よろしくネ。
 
 
◇あらすじ
かつて連続殺人犯であったビョンスソル・ギョングは、アルツハイマー病に侵され、記憶の喪失に度々悩まされつつも、娘のウンヒ(キム・ソリョン)と静かな日々を送っていた。ある日、道路で接触事故を起こした相手の男ミン・テジュ(キム・ナムギル)が、自分と同じ殺人鬼ではないかとの疑いを持つ。
 
ったくねー。面白い映画を作りやがるよねー、韓国は。こんな不穏ながら哀愁に満ちたサイコスリラーを、今の日本に作れるかしら。きー、悔しいわあ。
 
観る順としては『殺人者の記憶法』が先なのだろうが、私は何も考えずに『殺人者の記憶法 新しい記憶』から観てしまった。特に問題はないが、片方を観たら、もう片方が気になるのは間違いない。
 
内容は、古参の殺人鬼と新参の殺人鬼が偶然に出会い、互いに相手を消し去ろうとするもの。家族を虐待する父親を殺したことをきっかけに、制裁を受けるべき人間への私刑を繰り返してきたビョンス。彼は、十七年前の事故が原因でアルツハイマーを患っている。ある日、霧の濃い道で接触事故を起こしてしまい、ぶつかった車のトランクから血が流れていることに気づく。そして、事故の相手ミン・テジュが自分と同じ殺人者であること、最近付近で起こっている女性の連続殺人が彼の仕業であると確信を抱く。
 
「同類」の匂いを感じ取る霧のシーンから二人の戦いは始まる。「殺人鬼」という一風変わった設定ではあるものの、要はベテランVSルーキーの意地のぶつかりあい。新旧世代交代が為されるのか、経験値の高い方に軍配が上がるのか?緊迫感のあるストーリーとなっております。
 
 
ソル・ギョングが素敵。
ビョンスを演じたソル・ギョングの出演作はシルミド』(2003)力道山』(2005)が有名だと思うが、イ・チャンドン監督の『ペパーミント・キャンディ』(1999)『オアシス』(2002)がとても良い。韓国とNHKの合作である『ペパーミント・キャンディ』は、ソル・ギョング演じる一人の男が、同窓生がピクニックを楽しむ河原にふらりと現れて鉄道で自殺を図る場面から始まり、そこに至るまでの20年間を過去に遡りつつ、七つのパートに分けて描いた映画だ。
 
疑り深く汚い人間である男の辿ってきた人生を追い、20年前は写真家を夢見る心優しい青年であったことを知る頃には、なんとも言えない感動に包まれる。「次に何が起こるのか」がよく読めないまま少しずつ過去に戻り、戻る度に、初恋の女と添い遂げられなかったこと、その理由などが明らかになる。嫌な男が、映画が進むに連れ、少しずつ嫌な男ではなくなっていく、これが不可思議な感覚を生む。
 
過去への遡るたび、電車の逆回しのショットが挿入されるが、印象深いのは、三つに分かれた分岐のうち一つの線路から電車が逆走していく画だ。過去から未来に進むのであれば、男には様々な選択肢があるはず。違う分岐を選べば、もしかしたら警察官にならず暴力を振るわずに済む未来があったかもしれない。あるいは、初恋の女に正直な思いを告げられていれば。愛のない結婚をしていなければ。だが、電車が戻る先の線路は一本で、もはや変えられない過去を示している。床に散らばる、二人の純愛の象徴であるキャンディの白さも切ない。
 
すっかり『ペパーミント・キャンディ』に脱線してしまいました。いい映画なのでお勧めです。
 
さて、本作では体重を落とし、老いた殺人者を演じたソル・ギョング。言われなければ『ペパーミント・キャンディ』の主人公と同一人物とは気づかないほど念の入った役作りだ。『力道山』では体重を増やしていたしね。
 
ビョンスに記憶の消失が起こるときの合図が顔左側の痙攣なのだが、この恐ろしい反応を境にした、殺人者の顔から好々爺への変貌ぶりは見ものである。ただ、役作りよりも何よりも、本作で楽しいのはソル・ギョングの一人芝居。悶々したり鬱々したり頭を掻きむしったり、とにかく一人芝居が多い。緊迫した雰囲気と矛盾して、ちょっと微笑ましく思えるほどだ。
 
特にね、ミン・テジュを疑っているときに「町内に殺人犯が二人。」と独りごちるのが好き。「町内に」って。「ご町内に芸能人が二人も」とかじゃないんだからさ。「この街に」とかで良くない?いや、翻訳の問題なんだけど。
 

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ご町内に殺人鬼は一人でいいのだ」と怒るビョンスさん。
 
また、キム・ナムギルの、ピチピチでフレッシュなサイコパスぶりもよい。ナムギル演じる新参の殺人鬼ミン・テジュは表の顔は警察官。犯罪者を追っている最中、ガタイのいい相手に捕まり首を締め上げられる。その状態のまま無表情に腰のベルトを外し、壁を使って逆に相手の首を絞めるシーンが恐ろしい。この数分で、彼が修羅場をくぐってきた人物であることと、冷徹な人格がビシッと印象付けられる。
 
・・・ビョンスだのギョングだの、ナムギルだのテジュだの分かりにくいでしょうが、一応、劇中の話をするときは役名で、俳優の話をしたいときは俳優の名前で書いてます、だから頑張って。
 
 
アルツハイマーの使い方
面白いのが、アルツハイマーによる記憶の消失が、ビョンスの思考を邪魔するノイズ・障害となる一方で、彼の別の顔、煩わしい記憶や不安や柵から自由になった素の部分を引き出し、ユーモラスに見せる装置となっている点だ。
 
ノイズは「あいつが連続殺人犯だ」「あいつは娘を狙っている」と頭に刻み付けたはずの警告を、全て反故にしてしまう。だが、痙攣を起こした後ですっかり記憶を失ったビョンスが、「以前お会いしましたっけ」「娘をよろしくお願いします」など邪気ない目でテジュを見つめるそのギャップが面白い。観客は基本、ビョンスの裏の顔を見ており、彼が殺人鬼の仮面を取った後の「表の顔」はどのようなものなのだろうという純粋な好奇心を満たしてくれるわけである。
 
例えば、ビョンスが映画館で娘ウンヒを探すシーン。テジュはビョンスへの威嚇のためにウンヒに近づき、ウンヒは魅力的なテジュに惹かれている。ビョンスは彼女を連れ戻そうと、映画館に駆けつけるが、途端に例の痙攣が起こってしまい、次のショットでは座席に座り、他人のポップコーンをばくばく食べつつ映画を楽しんでいる。人より反応のタイミングが遅れると序盤に説明される通り、他の観客が大笑いしているときは真顔、周囲が真剣な表情で画面に見入るときに大笑いをするズレが、なんともおかしい。
 
まさかこの映画を観て、「アルツハイマーの描き方が医学的に正しくない」「病人を笑うなんて不謹慎だ」などと言う人がいないことを祈ります・・・。
 
残念なのは、レコーダーがうまく活かされなかった点。
ビョンスは、度々欠落する記憶を補うため、日々の出来事をレコーダーに録音している。当然こちらとしては、終盤、このレコーダーがカギとなり、例えばメメント(2000)のように、これまでの認識や記憶がひっくり返されることを期待する。
 
しかし、ビョンスが録音を聞いて知るのは、あくまで「過去に起こった事」であるので、彼にとって初耳でも、観客にしてみれば既成の事実の繰り返し(少なくとも『殺人者の記憶法』では)。また、知らぬうちにウンヒがレコーダーに吹き込んでいた内容を聞いて娘の危機を知るなど、あくまで事実を一歩遅れて認識するに過ぎない(ストーリー上いくつかの引っかけはあるが、これにレコーダーは何ら関係してない)。
 
 
◇二作品の違い
殺人者の記憶法』『殺人の記憶法 新しい記憶』との違いだが、構成や編集が若干異なるのと、いくつかのシーンが追加・削除されている。

殺人者の記憶法』の方のみにある、ウンヒがビョンスの髪を切るシーンは、父と娘の暖かな繋がりを感じさせる。また、テジュとの対決に備えて突然筋力トレーニングを始めたビョンスが「十七年のハンデは大きい」と床に倒れ込むところや、「昔は簡単に握り潰せた」はずのリンゴを潰そうとウンウン格闘し、最後は勢いで齧りつくなど(これも全部一人芝居ね)、生身の人間くささを微笑ましく感じる場面も多い。
 
これらが『新しい記憶』から削除された理由は明白で、それこそが二作の一番の相違点に関係している。『新しい記憶』のラストでは、これまで描かれてきたことと真逆の事実が観客に示される。軽くネタバレになるが、両作品のパッケージがある意味思いっきり違いを示唆しているので、勘のいい人なら途中で十分、予測可能だろう。
 
さて、二つの作品、どちらの方がいいかと言えば、私としては別にどちらでもいい。
『新しい記憶』を作りたかった気持ちはよく分かるし、仮にこちらの結末が気に入らなかったとしても、『殺人者の記憶法』が台無しになるわけではない。
 
ベテランとルーキーが生死をかけてぶつかり合う姿と、ソル・ギョングの一人芝居が見どころとなっていて、どの部分がビョンスの妄想であったのか、現実であったのかは些細なことだと思う。
 

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誰よりも爪楊枝の似合う男、オ・ダルスも出ているよ。
 
引用:(C)2017 SHOWBOX AND W-PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

『十三人の刺客』

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監督:三池崇史  キャスト:役所広司山田孝之/2010年
 
 
職業監督職業監督って、三池崇史ナメるな、コラァ!!
 
 
ハイ、ということで、殺人の追憶(2003)のモデルになった事件の容疑者が、33年の時を経て特定されたらしいですね。『殺人の追憶』ってすごく面白いよね・・・でもほとんど覚えていないので、今日は自然な流れで『十三人の刺客』ということになりました。
 
公開時に、友人リエコと映画館にて鑑賞。そういえば同じ三池監督の無限の住人も一緒に行ったんだけど、初日初回だったもんで、ぴあの出口アンケートがあったんです。質問はオーソドックスに「お気に入りのキャラクターは?」「好きなシーンは?」というもので、ぴあの人も期待するじゃないですか、「キムタクよかった~」とか「福士蒼汰がマジ天津影久でしたわ」という回答を。リエコの回答、こうですよ。
 
田中泯ですね。お気に入りのシーンは、田中泯がキムタクたちの戦いを高見の見物しながら、おにぎりを食べるシーン。ご存知ですか、田中泯の職業って『農民』なんですよ?さすがに米の食べ方キレイだなって感心しました」。
 
ぴあのお姉さん、困惑。
ちなみに私は福士蒼汰が苦手です。
 
雑談はこれくらいにして、本題に行きましょうか。
いくぞ、てめェらァァァ!斬って斬って斬りまくれェーー!
 

◇あらすじィィ!
江戸時代末期。御目付役島田新左衛門(役所広司)は、民衆に不条理な殺戮を繰り返す明石藩主、松平斉韶(稲垣吾郎)暗殺の密命を受ける。新左衛門は、仲間となる侍を集め、斉韶を討ち取る計画を進めるが、彼の前に斉韶の腹心、鬼頭半兵衛(市村正親)が立ちはだかる。
 
 
◇後で文句は言うが、エンタメ時代劇として間違いなく良作
いきなり抽象的な言い方で申し訳ないけれど、三池崇史は戦う男の顔をカッコよく撮ることに、とても優れていると思う。分かりやすい例が、『クローズZERO』(2007)の小栗旬。この俳優を器用だな上手いなとは思っても、貌がいいと思ったことが観た限りの映画ではなく、例外が『クローズZERO』となる。小栗旬山田孝之が、まあカッコよい。
 
本作でも、鬱屈したヤサグレ武士島田新六郎として、山田孝之がダークな魅力を放つが、誰より観客の目を惹きつけるのは、凄腕の浪人平山九十郎を演じた伊原剛志だろうと思う。この人もまた軽い役者だな~との印象しかなかったのだが、『十三人の刺客』を観て三池監督の腕の良さを再確認、伊原剛志の存在感はズバ抜けていた。平山の振るう剣は「重い」(これはもちろん音の効果が大きい)。誰かが窮地に立たされたとき、薄闇の中から、あるいは炎の向こうから現れる立ち姿に、ふおー!と単純に滾る。
 
困難なミッションを前に討ち手を選りすぐる点で、七人の侍(1954)から影響を受けるのは当然の話だが、経験豊富で冷静なリーダー志村喬役所広司なら、伊原剛志の役は不言実行の権化、宮口精二に該当するのだろう(もちろん伊勢谷友介三船敏郎)。
 
忘れてはならないのが、息子夫婦を斉韶に惨殺された牧野靭負(松本幸四郎)が、参勤交代の明石藩一行に対し、尾張藩通行御断りを突きつける覚悟の顔。役目を成し遂げたその場で腹を切るために着物の衿を寛げ、周囲の家臣が頭を垂れるシーンは胸アツだった。侍とは、なんと馬鹿馬鹿しい生き物なのか、だが何故我々はその馬鹿馬鹿しさに胸を揺さぶられるのか。この作品のテーマを、市村正親と共に教えてくれる人物だ。
 
また演出面では、序盤は意図的なのか夜の場面が多く、時代劇にお馴染みの道具である蝋燭の火が効果的だったと思う。例えば山田孝之が、叔父の役所広司と議論するシーン。座敷を照らす灯りが、叔父の落ち着きを湛えた顔と甥の空虚な顔に陰影を生み、際どい「博打」の雰囲気を盛り上げる。
 
牧野の嫁(谷村美月)が斉韶に引きずられていくとき廊下を照らしていた火が、彼女を探しに来た夫(斎藤工)の頬に揺らめいて反射し、観客の不安を煽るのもよかったし、例の四肢のない女の場面でも、蝋燭の灯りが不気味さと事の異常さを強調している。
 
明石藩一行奇襲の戦略や駆け引きが文句なしに面白いが、素晴らしいと思ったのが、メインの「落合宿の決闘」(←勝手に命名で、現代日本時代劇に足りない死闘の表現、すなわちズタボロ感をきちんと演出してくれたことだ。雨に打たれながら長距離を駆けてきた後の着物のくたびれ方、面々の憔悴具合。
さらに「斬って斬って斬りまくれー!」から始まる長い長い戦闘の中で、役者たちが、確実に、ちゃんと、疲労していく。結果、戦場となった宿場町は鬼気迫る様相を呈し、だから、明石側に気が触れて味方に斬りかかる侍が現れる状況に説得力が生まれる。これはなかなか難しいことなんだ。
 
さて、怒涛の斬り合いへと雪崩込む際の合図が、役所広司の掲げる、皆大好き「み・な・ご・ろ・し」。
 
「説得力」を一発で持たせるなら、衝撃的な画ひとつ、これに勝るものはない。斉韶に四肢と舌を切られた女の姿はショッキングだった。恐らく、この画の効果を最大限に活かすために、他の場面でグロ描写を控えたことに好感を持つ。斬られた腕が宙を飛び、臓物が地面に落ちるなんて画でもあれば、もちろん凄惨な戦場を表現するのに最適だが、役所広司に死命を引き受けることを決断させた娘の姿が霞んでしまうものね。
 
ここで、わたしがリエコにインプットされた蘊蓄話をひとつ。
 
シェイクスピアの戯曲の中に、残虐性で異色とされる『タイタス・アンドロニカス』という作品がある。将軍タイタスは、憎み合う女王タモーラの息子たちに娘ラヴィニアを強姦され、ラヴィニアは舌と両手を失う。
アンソニー・ホプキンス主演で映画化されており(『タイタス』)、その中でラヴィニアが自分を犯した犯人の名を、不自由な腕で地に書いてみせるシーンがある。リエコによれば、三池監督はここから「みなごろし」の娘のインスピレーションを得たとのことだ(いつも通り裏取ってないんでね、責任取りませんからね)。
 
一応『タイタス』を観てみた。クソ退屈イマイチだったが、最後に自作の人肉パイを女王に食べさせ、ステップを踏んではしゃぐアンソニー・ホプキンスはキュートでした。
 

◇ささ、文句言うよ
四点、文句を言わせて頂きます。
 
1)松方弘樹に好き勝手やらせすぎ
松方弘樹と言えば東映任侠映画と時代劇の申し子、そして遠山の金さんとして私の爺ちゃんのヒーローだった男、そりゃあ殺陣は見事だ。年季が違う。彼を主役に置いたときはいい。だが前述したように、長丁場の戦いの中で、侍たちは疲弊しボロボロになっていく。彼らは剣に優れた者たちだが、終盤には技術などはどこへやら、地べたを這いずり、むちゃくちゃに剣を振り回す狂犬と化す。松方も、一応、ヨロヨロした足つきを演じてはいるのだが、敵と刀を交えれば条件反射で流麗且つスピーディな殺陣を発動してしまい、「疲弊した戦場」の空気を思いっきりブチ壊してやがる。
 
あとね、明石藩ご一行様に宣戦布告する口調が、完全にお白州の金さん。
あとね、これね、松方的キメ顔。↓
 

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きょえ~!
 
二回もやるなよ、笑っちゃうから。
 
さらに、皆さん気づいただろうか、松方、ノリかクセかわからんけど、言葉遣いが各所で江戸言葉つまり金さん町人バージョンになっている。「~なりやせえ」とか「~しやしょう」とか。いやいやいや。アンタ今は武士なんでな。
(江戸勤めだからそんな不思議じゃないのかな?)
勝手な予想だけど、三池監督、「これはこれで面白いじゃん、このままいっちゃおー」にしたんじゃないかな。いや、「いつも通りに好きにやってください」かな。
 
2)伊勢谷いらねえ
伊勢谷好きな人、いる?ごめんね、でも、伊勢谷ビタイチいらねえ。
侍のカッコよさを描く一方、「侍の面子が如何に愚かなものか」を知らしめるため配置されたキャラクターなわけだが、「侍だけが人間かよ」色がしつこいし、忠義の馬鹿馬鹿しさを伝える役目は、市村正親が立派に果たしている。そうでなくても、伊勢谷のシーンがシンプルに面白くない。物語にどっぷり浸ってんのに、無理やり違う方向を向かされるような不快感がある。「山の者」ってなに?ウパシってだれよ?
 
蝋燭の灯りが効果的だったと書いたのだが、この恩恵に吹石一恵だけが与れなかったのは何故なんだ。新六郎の情人役としてちょこっとだけ登場。滅多に帰ってこない与太者新六郎が在宅していると知り顔を輝かせて部屋に入ってくるが、何故か灯りの届かない隅っこにいるために周囲が苔生したように昏く、まるで怪談に出てくる女の幽霊。さらに、出ていく新六郎を見送るときの顔がコウメ太夫
 
個人的に吹石一恵は、演技はよく知らないが顔は好きで、果実みたいな女優さんだと思ってるんだ(どこかのさくら坂男に刈り取られて、どうやら実ることはなさそうだが)。それを怪談の幽霊にした上、コウメ大夫にするなんて許せん。
 
4)牛。
牛。あの、四頭ぽっちの謎の種の牛。観た人は分かってもらえますよね。
 

◇お笑い担当としての稲垣吾郎
稲垣吾郎の暗君っぷりが凄まじかったという感想は世間の皆様と同じ、逆に笑えたなど軽率な逆張りをするつもりはない。稲垣はヤバかった、ワルかった。
 
ただ、もう、終盤、観ている側もヘトヘトになってから繰り出される斉韶様のすっとぼけ発言攻撃には、「お前だけ疲れてないのな・・・」と呆れ笑いせずにはいられない。
 
繰り返すが、敵も味方もズタボロのクタクタだ。どうにか落合宿から抜ける道を探し当て、警戒しながら斉韶様を守り進む半兵衛に、「半兵衛、戦の世とは、このようなものじゃったのかのう」とのったりと話しかける。半兵衛もいい加減、「だまらっしゃーい!」と後頭部をぶっ叩くべきところ、「は。そうであったかと思います」と律儀に返答。
 
アホ。いやもう、この主従、アホだと思ってたけどホントにアホ。
 
そしたら斉韶様が「わしが老中になった暁には、もう一度戦の世を甦らそうぞ!」って大魔王みたいなこと言い出した。
 
役所さん、早くコイツを黙らせて。でないと笑い死ぬ。
 
二人の前に新左衛門が立ち塞がり、因縁の関係にある新左衛門と半兵衛が、ついに一対一で刀を交える。そこへ斉韶様が一言。

「一騎打ちとは風流じゃのう」
 
 
役所さん・・・早く。
 
 

◇締めに入ります
エンタメ時代劇として非常に楽しませてくれたこの作品が、ただエンタメだけで終わらないのは、徳川の長い治世が生んだ暗部をテーマに内包しているためだ。いいじゃんそんなこと、って思いましたでしょ。いやいや、重要ですよ。死に場所を求めている新左衛門や新六郎のみならず、斉韶様だって太平の世の被害者なわけだからね。
 
だけど、ちょっと、また疲れてきました。ホントは役所広司の優れたリーダーシップについても書きたかったんだけど、最近疲れやすくって。
言いたいことは分かって頂けましたね。
 
では本日は、伊原剛志が弟子の窪田正孝に言う超カッコいい台詞でお別れしましょう。
 
「わしの背後に抜けた者を斬れ。一人残らずだ」
 
いやーん、いつか使いたい!
 
引用:(C)2010「十三人の刺客」製作委員会

『不滅の恋』を書こうと思ったら脱線した話

大学を卒業して映画字幕のお勉強をしていた頃、ちょっと変なバイトをしてました。

詳細は省くけど、特殊なお仕事内容ゆえに妙に芸術肌の人が多かった。小説家や脚本家を目指す人、インディーズのバンドマンなど。
 
その中に、おちあいさんという漫画家を目指している人がいて。他の男は全員、金もないくせに女グセが悪かったり自己評価が山のように高い鼻につくヤツばかりの中、おちあいさんは服装はド派手だったが性格はそう奇天烈でなく、どちらかというと真面目な面白い人だった。今もこのブログ読んでるかもしれない。えっへ、おちあいさんメンゴ。
 
大阪だか京都だかの美大卒だったおちあいさんは、絵だけでなく小説や映画にも詳しく、よく良い映画を教えてもらいました。いくつか勧められた中には、今でも観返すものがあります。タランティーノの映画、リトル・ヴォイス』(1998)、『不滅の恋』(1994)など。今回は『不滅の恋』について書こうと思ったんです。
 
 
◇芸術系の人
 
本題に入る前に早くも脱線するが、私の周囲には割と美大卒とか音大卒とか芸術肌の人が多い。筆頭が夫。私が自分とは真逆の、自分にないものを持つ人間を好むためでしょう。

当然ながら、みんな個性というかクセが強い。その中でも最凶が、夫と付き合い始めた頃に紹介された夫の親友、西田だった。私の感覚では、芸術肌の人というのはヒネくれていて面倒くさいが、基本的には謙虚で繊細、偏屈に見えるのは思考が深いゆえ、しかし親しくなるとヒネてて面倒といった印象。
西田はマジでタチが悪かった。デリカシーがないのと、巧妙に人のコンプレックスを突いてくるのだ。
 
夫、西田、西田の彼女(現在嫁)と一緒に飲むと、彼らは全員同じ美大卒、私だけが違った。ただでさえ、話題も考え方も「一般的」なものではなく、私は聞いているだけだったのだが、言葉の端々に、一般の大学に入り就職活動する類の人達、いわゆる「レールに乗った人々」をバカにするような空気があった。
 
まさに私がその類だったが、もちろん配慮はされない。終始、居心地の悪い思いで座り、「俺たちってこんなこと考えてんのよ」みたいな話を「すごーい」と聞いていなければならなかった。今なら夫と二人きりになった瞬間、後頭部に飛び蹴りを喰らわせるが、当時は付き合いたてだったからねえぇぇぇ。
 
さて、あるとき、西田と夫の三人で飲んでいて夫が酔い潰れて寝てしまった。西田が、今度中国旅行に行くのだと話し出し、そこから中国でどれくらい英語が通じるかという話になった。西田が薄笑いを浮かべて言った。
 
「やなぎちゃんみたいな優等生は、あれでしょ、まず間違いがないように喋ろうとして、結局あんまりコミュニケーション取れないタイプでしょ?」
 
 
・・・。
 
途轍もなくムカついたのは、もちろん当たっているからだ。西田は私が「レールを歩いてきた人間」であることを知っている。当然そういう人間が抱いているコンプレックスも知っているはず。それを、わざわざ友人の彼女である相手に面と向かってぶつけるのは、もう悪意としか思えなかった。
 
ついに堪忍袋の緒が切れた私は西田に言った。
 
レールの上を歩いてきた人間をバカにできるのは、レールの上を歩いたことがある人間だけ。さらに優等生をバカにできるのは優等生であった人間のみ!
 
こちとら物心ついたときから優等生をやってるの。子供のころから優等生、これはもはや身に沁みついた「習慣」、下手すれば「反射」と同一。頭の中で死ぬほどの疑問と不安と罵詈雑言が渦巻いていたとしても、「ああ親に心配かけちゃうな」とか「私が大人になればいい話」などと、望んで得たものでもない良識が邪魔をし、ブチ切れたり逸脱することを思い留まってきた人生。ひたすら良い成績を目指し、トップを取ったならばキープし続けることを自分に強いた学生時代。
 
これまでのお前の無礼の数々にとっくにブチ切れているところ、「でも傷つけてしまうかな」「彼氏も悲しい思いするだろうな」と懐の深さでもって笑顔で思い留まり、つまりお前は私の尊い精神犠牲の上に胡坐をかいて「芸術が」などと好き勝手に吠えているんだよ、この滑稽な犬め!
 
ちなみに、美大の学費どころか二浪分の専門学校代まで親に払わせたお前と違い、私は学費は奨学金で賄い交通費と昼飯代をバイトで叩き出していたリアル苦学生だ、バッキャロー!
 
もう一度言う。レールの上を歩いてきた人間をバカにできるのは、レールの上を歩いたことがある人間だけなんだ!

と言った。
 
 
心の中で言った。
 
 
実際はニコニコしながら、こう言った。
 
「前から思ってたんだけど、私達って異世界の住人だよね。私が想像する美大の人ってね、そうねえ、例えば皆で部屋で飲んでて『外に行こうぜ』ってなったら、ある女が突然『着替えたーい、でも着替える服がなーい』って言って、いきなり皆の前で服脱いで、テーブルクロスかカーテンを外して体に巻き付けて、『ハイ、ワンピ完成!いこ!』ってやって、その行動と格好が奇抜でしょ、奇抜ゆえにオシャレでしょ?みたいな女がたくさんいるイメージ。『人と違う』自分を血眼になって探してるイメージなんだけど、ちがう?」

西田はゲラゲラ笑っただけだった。
 
ケンカ売っても、買わないのかよ。
 
ムキになってる自分が余計アホみたいに思えてくる。
そう、彼らといると、自分がものすごくアホみたいに思えるから嫌だった。
 
さて、現在も夫と西田は仲良くしている。
私が、あの事件から西田をどうやって受け入れたか。それはこうだ。あるとき、西田が夫にこう言ったのだ。
 
「やなぎちゃん、今までのお前の彼女の中で、ピカイチいいな!」
 
だから、デリカシーな。
 
 
◇なんの話でしたっけ
 
おちあいさんに教えてもらった『不滅の恋』のゲイリー・オールドマンが大好きって話だよ。
 
それは次回、書くかもしれません。チャオ。