Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『イングロリアス・バスターズ』

 

 

◇あらすじ
1944年、ドイツ占領下のフランス。ナチスのランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)に家族を殺されたショシャナ(メラニー・ロラン)はパリに逃れ、その後小さな映画館のオーナーとなっていた。彼女の映画館で、ナチス宣伝相ゲッベルスが製作した映画『国家の誇り』プレミア上映会が行われることとなり、ショシャナはナチス高官を映画館ごと焼き尽くす復讐計画を練る。一方、ナチスを標的とするアルド・レイン中尉(ブラッド・ピット)率いる連合軍の極秘部隊「イングロリアス・バスターズ」も、プレミア上映会でのヒトラー暗殺を企てていた。
 
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、盛り上がってますねー!いいな、いいなー、私も映画館に観に行きたい。
 
「好きな監督って誰?」と質問されてもパッと答えられないんだけど、タランティーノは昔から大好きな監督です。日常生活で、監督に関する質問してくる人なんていないけど。やっぱり「おススメの映画ってなんですか?」と訊かれますよね。
先日、部の打ち上げで最近観た映画の話になり、今年新卒の男の子が「あ、あれ映画館で観ました。戦争映画で、どっかを攻め落とそうとするやつ」。
 
すげーな。それで題名を挙げられる人間がいたら、紹介してくれよ。
(正解はハクソー・リッジだった)
 
でね、タランティーノって、デートでしか映画館に行かない人たちと話すときには注意がいると思うんです。「『映画に詳しくないと分からない』臭に満ちてて鼻につく」と言われることが多いの。私は「えっ。映画大好きなオタクのおっさんじゃないの」と思うんだけど、これ、確かにタランティーノ信奉者にも原因があって。
 
例えばタラ好きの彼が彼女と映画に行き、「ここが分からなかったー、あれってどういう意味?」「グロかったー」と邪気の無い感想を提示されたとして、「あれがタランティーノだからw」「俺からしたら、ザ・タランティーノって映画」などと答えていませんか?詳しいことは分からないクセに、なんかハチャメチャでカッコよくてクールだった印象をタランティーノっぽい」に押し込めていませんか!?それがだめなんです!あとね、「タランティーノと言えば」も避けた方がいい。
 
映画に詳しい人が観れば映画に捧げる情熱に胸が熱くなり、しかし映画を観ない層も楽しめる、タラ作品ってほとんどそうじゃない?ワンハリだって、もちろん往年の映画好きには様々な目配せが楽しいけれど、「そうじゃないヤツお断り」的な気難しさは絶対にないと思う。シャロン・テート事件だけ予習していってね(やなぎや未見です)。
 
さて本日の映画は、タラ作品の中で、わたしが一番好きなやつ!
難しいことはいい。クリストフ・ヴァルツメラニー・ロランの貌、史実ドン無視!ヒトラーが蜂の巣になる爽快感を楽しもう!
 
 
◇真剣に妄想する人だよね
 
タラ作品を、好きな順に並べてみた。
 
1位 『イングロリアス・バスターズ
2位 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007)
3位 『ジャンゴ』(2012)
4位 『ジャッキー・ブラウン』(1997)、『ヘイトフル・エイト』(2015)
6位 『キル・ビル』(2003)、『パルプ・フィクション』(1994)、『レザボア・ドッグス(1992)』
 
パルプ・フィクション』『レザボア・ドッグス』も好きな作品だし衝撃的だったとは思う。でも並べると、こうなってしまうんだ。
 
イングロリアス・バスターズ』より前の作品は、言ってみればヤクザどもの戦争、それも個々のチンピラにスポットライトを当てたものが多かったので、本当の意味での「戦争」をモチーフとして持ってきたのはちょっと意外だった。各作品には、個人的にそれぞれイメージがあって、例えば『キル・ビル』はヤクザとニンジャがテーマの漫画(フカキンリスペクトはありがとう!)、『ジャンゴ』はファンタジー、『レザボア・ドッグス』は舞台劇を連想する。それらに比べると随分とグローバル化&現実に寄せてきたなって。あ、フタ開けてみたら、現実的でもなければ戦争映画でもなかったけどね。
 
タラちゃんが愛して止まないマカロニ・ウェスタン色は健在で、ゆえにアパッチ族の血を引くブラピは部下に敵の頭の皮を剥がさせ、メラニー・ロランは戦闘開始のスイッチに顔に赤いラインを引く。知らない人から見たら何のこっちゃ、なんでこの中尉は頭の皮を剥ぐのん?ってなところである。その通り、なんの必要性もない。ただ、タラちゃんがマカロニ・ウェスタン方式で、ナチをぶっ殺したかっただけなんである。
 

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ちなみに、私はブラピたちがナチの頭の皮を剥ぐシーンが楽しくて「いちまーい!にーまーい!」と運動会の玉入れカウントよろしくキャッキャッしていたが、会社の後輩女子二人組には「皮剥ぐとこ超グロかった!やなぎやさんの勧める映画もう観ません!」と怒られた。
 
他の作品と同様に、小さな仕掛けがたくさんある。例えば、ショシャナの映画館では『死の銀嶺』がかかっているが、この映画の主演女優であるレニ・リーフェンシュタールは、実際にヒトラーのお気に入りの女優兼映画監督だった。劇中、アン・クルーガーが演じたハマーシュマルクは「リーフェンシュタールにも引けを取らない」女優として描かれ、また、マイケル・ファスベンダー演じた英国軍中尉も、『死の銀嶺』にエキストラとして出演したのだという作り話でゲシュタポの疑惑を逸らそうとする。歴史上の映画に、我々の知る現代の俳優たちが本当に関わっていたような錯覚が楽しい。
 
メラニー・ロラン、また、ナチスを殴り殺す『ユダヤの熊』ことイーライ・ロスは、現実でもユダヤの血を引いている。その俳優たちが、ヒトラーを、ゲッベルスゲーリング、ボルマンを蜂の巣にして焼き殺す。歴史上の悲劇に対して、映画に関わる人たちが映画の中で仕返しをする、この点でワンハリと本作は似ているようですね。
 
なぜ「映画館」が舞台なのかというのにも、もちろん根拠がある。ゲッベルスが映画会社を買収し、製作した数々の映画をプロパガンダに利用したのは事実。またゲッベルス自身、大の映画好きで、いち観客としては平等な視点から映画という芸術を愛したのは有名な話だ。

劇中、ヒトラーに「(『国家の誇り』は)君の最高傑作だ」と言われたゲッベルスが感極まり涙するのも、ヒトラーに家族で殉じるほど心酔していた史実を押さえたもの。事実を押さえて、その上で映画に落とし込むために
真剣に妄想をする、そこが好き。
 
他にも、ある俳優が声だけ出演してるとか誰がチャーチルを演じているなど小ネタに事欠かないが面倒なので飛ばす。私が興味あるのは、ランダ大佐とショシャナだ。
 
 

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ユダヤの熊』!前情報なしで観たので、イーライ・ロス(『ホステル』の監督)がナチをいたぶる役で登場したときには笑った。
 
 
◇スイ~トなランダ大佐
 
タランティーノといえば(←あ、言っちゃった)、悪役に当たる人物が暴力を行使する前に長々と蘊蓄を語ってみせるのがお約束。『パルプ・フィクション』のサミュエル・L・ジャクソン然り、『ジャンゴ』のレオナルド・ディカプリオ然り。そこで観客が感じるのは、嵐の前の静けさの「ざわざわ感」。ざわ・・・ざわ・・・。
 
俗なブロガーは絶対ここで「カイジ」の絵を持ってくると思いますが、私はやりませんよ。
 
『イングリアス・バスターズ』は、「ざわざわ」シーンの連続。観客の不安を煽るのに大いに貢献したのがクリストフ・ヴァルツ演じた「ユダヤ・ハンター」、ランダ大佐だ。
 
タラ作品の中でも、ダントツに緊張を強いられるオープニングシーン。ユダヤ人家族を匿う酪農家ラパディットの家にSSのランダが訪れる。彼が武器とするのは恫喝でも拳でも銃でもない。ランダ大佐はスイート。見た目は非力そうな紳士、物腰も口調もあま~い。ラパディット宅には美人の三姉妹がいるが(一際目立つ美少女はレア・セドゥ)、彼女らをじっと見ながらワインを断りミルクを所望し、上品な口調ながら娘たちを雌牛に例える様が、そりゃもう嫌らしい。
 
ラパディットはSSがやって来るのを知ったとき、顔を洗い、友人のユダヤ一家を匿い通す意志を固めている。だが、ランダの物腰柔らかだが陰湿な、じわじわと獲物の首を絞めていく追求の前に、ついに涙を流して陥落。暴力でなく、言葉で人の意志を挫くキャラが恐ろしい。
 
クリストフ・ヴァルツに目を付けた私は、『ジャンゴ』では好漢(といっても賞金稼ぎ)を演じると聞いて嬉嬉とした。ご存知の通り、この映画では、敵に当たる冷酷な農園主としてディカプリオが起用された。元々、タランティーノはランダ役にディカプリオを考えていたとのことで、『ジャンゴ』でのディカプリオVSヴァルツの対峙シーン(もちろんココもざわざわ!)は、作品を跨いでの悪役対決となった。ディカプリオは素晴らしかったが、個人的にここはストーリーどころでなく、「負けるな、ランダ大佐!」と拳を握って、ヴァルツがディカプリオを食うことを期待していた。
 
食ったかどうかは分からないが、いきなりディカプリオを撃ち殺し、ジャンゴに向かって「すまん、我慢できなかった」と肩を竦めるヴァルツはカッコよかったねー。
 
さて、ランダ大佐が画面に映れば、観客もゲシュタポの少佐のごとく背筋を伸ばさざるを得ないが、中でも緊張感を伴うシーンが二つ。一つは既に触れたオープニング、もう一つはレストランでの、ショシャナとの会話シーンだ。
 
ショシャナは、イタリア戦線で英雄的活躍を見せたドイツ兵フレデリックダニエル・ブリュール)に恋慕され、彼の主演映画のプレミア上映会場候補のオーナーとしてゲッベルスの前に連れて来られる。そこでランダと「再会」することとなる。
互いに知っているのは名前のみ。そして、ショシャナは彼を仇と知っているが、ランダはもちろん目の前の女が以前取り逃したユダヤの少女ということは知らない。
 
知りようがない。知るはずがない!
 
 
だが、テーブルについた大佐はウェイターに言う。
「私はエスプレッソ、こちらのお嬢さんには、そうだな、ミルクを」
 
 
なんでミルク頼んだの!?気付いてるの!?
ちょうざわざわする!
 
 

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さらに「この店のシュトルーデンは絶品だよ」とパイ菓子を勧めてくる。
もうここは、ショシャナが「食べる」というより、ランダによって「食べさせられる」と表現するのが正しい。そして、会話に見せかけた尋問が終わると、あれほど褒めていたパイに吸い差しの煙草を押し付けて席を立つ。なんたる傍若無人。ショシャナに興味を無くすと同時に、菓子にも興味を失ったのだ。
 
つまり、このパイはショシャナ。そして冒頭のミルクは、酪農家の美しい三姉妹。
 
外面は上品だが、内面は下劣、乳製品と菓子でランダの人物を説明してみせるタラちゃん、お上手です。この場面のシュトルーデンとやら、めちゃくちゃ美味しそうです。
 
 
◇ショシャナ
 
以前『オーケストラ!』でもメラニー・ロランびいきについて書いた。彼女の素晴らしいお貌に対してキャリアが伴って来ないのは残念なことだ。個人的には本作での彼女がナンバーワンだと思ってるんだけど、どんなもの?
 
ユダヤの復讐の顔としてのショシャナはもちろん美しいが、見所はなんといっても、青二フレデリックの空気を読まないアプローチに対する塩対応。
 
プレミア上映会当夜、映画内の自分の殺戮行為に耐えきれずに席を立ち、ショシャナのいる映写室のドアをノックするフレデリック。ショシャナが顔を覗かせた瞬間、「君、支配人?金を返してくれ。主演俳優が最悪だ」とおどけてみせる。
 
 
うっさい、すっこめ。
おとなしく自分の英雄映画を観てろ。
 
 
と、誰しもが言いたくなる台詞をショシャナがそのまま口にするのに爆笑。また、ダニエル・ブリュールがいい感じなんだわ。
ショシャナに関しては、表現力不足語彙不足ですみませんが、この言葉しかない。
 
かわええのぅー!!
 

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カフェでぼんやりとタバコを吸うシーンが好き。
 
 
◇ところで、ブラピが出てるんだよ
 
たくさんの魅力的な俳優が出演する中、で、結局だれが主役?と敢えて考えれば、そりゃやっぱりブラピなわけだ。頭のネジが一本どっかに飛んじゃったようなクレイジーさとコミカルさをクルクルと表現し、それでいて常にカッコよさを失わないところが素晴らしい。
 
ちょっとランダ大佐に気合入れすぎて疲れてしまいました・・・。うまいことブラピの良さを言い表せない。燃料切れ。
 
ナチの絶対的支配の空気に包まれたこの映画で、 バスターズだけ、つまりブラピだけが治外法権ショシャナは命を落としてしまうし、英国側のスパイたちの計画も、超ゲシュタポ顔のゲシュタポ少佐によってご破算にされる。そんな中で、穴だらけの作戦のままプレミア上映会に乗り込んでくるブラピらは、無謀さと面の皮の厚さでざわざわを吹っ飛ばしてくれる存在なのである。
 
余談だけど、最初になぜランダがショシャナを見逃したのか、という点もラストで回収されるよね。彼は真正SSではなく、ビジネスマンだったわけだ。
 
ということで、この映画のキーワードは、ブラピによる「そのカッコいい軍服を脱いじまったら、誰もお前がナチだと分からねえじゃねえか?」に決定。
 
そして、最後はランダ大佐の「ビンゴォ」でお別れしましょうよ。
 

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ビンゴォ!
 
 
引用:(C)2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

『グランドフィナーレ』

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監督:パオロ・ソレンティーノ キャスト:マイケル・ケインハーヴェイ・カイテルレイチェル・ワイズ/2015年
 
 
◇あらすじ
かつてマエストロと呼ばれた指揮者であり作曲家のフレッドは80歳の老境を迎え、娘の手配したスイスの高級リゾートホテルで友人の映画監督ミックとともに過ごしていた。ある日、エリザベス女王の使者がフレッドを訪ね、彼の名を世界に知らしめた曲「シンプル・ソング」を記念式典で指揮してほしいと依頼する。それを断り続けるフレッドだったが・・・。
 
 
今日は、とっつきにくい感じの内容かもしれない。できれば帰らないで下さい。
 
この映画を観終わって、こんがらがりましたが、幸い私には映画でこんがらがったときに駆け込む先があります。そこで、シネフィルの異常な友人S氏にメールしました。
「思わせぶりなショットが多いなとは思うのですが、構成やストーリーは面白いなとも感じ、貴方の意見が聞きたいのです。今すぐ観てもらえますか」。
 
S氏は馬鹿なので、すぐに観てくれました。そして冒頭数分あたりで「到底、僕に合うとは思えません。訊いておきたいのですが、グランド・ブダペスト・ホテルは観ましたか?」とメールが来ました。
「いいえ観てません。泣き言は最後まで観てから言って頂けますか?」と返しました。
 
で、以下が鑑賞を終えたS氏からの感想だお。
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曲のタイミングに合わせた動きや編集を観せられるのが苦手だ。
 
その理由は、つまり「決め」を「ドヤ顔」で見せられているようで「あぁ、はい・・・そうですね。」と恥ずかしくなってしまう。もちろんどの演出家も、「こう見せたい」を実現するために現場で四苦八苦するのだろうが、あまりに過ぎると、あざとさしか感じなくなる。
 
『グランドフィナーレ』の冒頭で既にそれは感じたのだが、入浴ショットでもうダメだった。現場をうろちょろする監督の姿がフィルムに写り込んでいるようで、「君、もっと静かにできない?」と言いたくなる。俳優の配置からカメラの動きから、山ほど指示したのだろう痕跡しかない画面に、食傷してしまった。
 
しかしそれらは映画の正しさとはまた別で、要は好きか嫌いかでしかないのだ。小津と黒澤が、ビスコンティフェリーニがいるように。私は小津も黒澤もビスコンティフェリーニも好きだ。だがこの監督は好かん。それだけのことだ。
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あー、ごめんごめん。「最初がダメだったらその印象が覆ることはない」っていつも言ってるのに無理やり全部観させて。でも私がスッキリしたから良かったよね。
 
要約すると「演出もショットも格段に優れた名作が過去に存在するのに、それを模倣しようとして失敗した作品をどう評価しろというのか?」ということだと思う。度々ありますね、過去の作品や監督を知る人と知らない人、技術的な知識がある人とない人で、如実に違いが出る映画。
 
私はもちろん「ない」方だけど、最近は、きっと死ぬまで映画を観続けていくだろうから、今の状態に知識が加わって決して損はないと思っていて。なので時代だったり監督だったりの体系的な観方もしてみようかと、つまり古典作品を少しずつ観ようと思ってます。
 
S氏に一つ感心するのは、メンドクサイこと言っても最後は必ず「結局のところ個人の好き嫌いでしかないけどな」と付け加えることで。イエス。今後も私は多分、キャラクターとストーリーを無視して観ることはできない。なにより自分の視点を大切にしようと心に誓った2019年初秋です。
 
というわけで、勝手気ままに『グランドフィナーレ』の感想だぜ?
 
 

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多分これがS氏が嫌ったショットのひとつ。

 

 

◇テーマは「老い」
邦題が「グランドフィナーレ」、あらすじを読み、テーマは「老い」と聞けば、観客は「一度は指揮者を引退した老人が、名誉ある舞台を与えられて返り咲く話なのだな」と予測すると思う。
 
これがまったく違う。この邦題、罪深いな。
 
観終わってみれば「グランドフィナーレ」という言葉の作為的であることに呆れるし、多くの人が本作を単純な「老いへの賛歌」「再生の物語」と評していることにもちょっと驚く。少なくとも「老いてなお生を謳歌せよ!」的な、『フレッド、80歳、今を生きる』的な(?)、ストレートで前向きに老いを捉えたものとは異なる。老若男女にとっての「人生」の物語だが、「賛歌」と呼ぶには少々乾いた内容だ。
 
フレッドは老先に意義を見出せず、日々を無機質に過ごす老人。この生き方が結局最後まで変わることがないのは、ラストの演奏シーンを見れば明らかだ。
詳しくは後述するけれど、本来の居場所だったはずの舞台に立ってなお、死に向かって歩いていくことこそ人生、老いたあとは苦しみと悲しみを乗り越える作業の連続であると、酷な現実を噛み締めているようにしか見えない。
 
作品の方向性を読み違えてしまうと、ラストは壮麗な音楽と共にフレッドが生きる気力を取り戻す最大の見せ場であることを期待し、結果、「あれ・・・なんか盛り上がらない」と消化不良に陥ること間違いなし。
 
そもそも、フレッドたちが滞在するホテルは「高級リゾート」との設定ながら、リゾートの雰囲気とはかけ離れた場所だ。表情のない逗留客たちが無気力にルーティンをこなすさまが描かれ、舞台となったホテルは元々サナトリムだったらしいが、まさにと言ったところ。休暇を過ごす場というより、世間から身を遠ざけたい者たちが集う場という方がしっくりくる。
 
出演俳優はとっても豪華。
 
かつて名を成した音楽家フレッドにマイケル・ケイン、60年来の親友である映画監督ミックにハーヴェイ・カイテル。夫に裏切られて逃げ込んでくるフレッドの娘レナにレイチェル・ワイズ。役者としての在り方に悩むハリウッドスターにポール・ダノ、ミックのミューズである大女優にジェーン・フォンダアーーンド、マラドーナ(笑)。
 
彼らは人生の終盤を迎えた老人であるか、若くても精神面に何かしらの問題を抱えてサナトリウムに避難してきた人々だ。主要登場人物同士の関わりが主軸のドラマとなってくるのだが、面白いと感じた理由は、概念や人物、物事を「対比」させ、それによって人間模様を描き出していること。また、その対比の描写が意地悪く凝っていたのが楽しかった。
 
まず根底にあるのは、サナトリウムの陰鬱とした空気を生み出している光と闇の対比。
 
滞在客は、基本的に裕福な人々だ。気取った映像のせいもあって、こいつら鼻につくわーと感じる人もいるだろうが、主要人物を社会的地位の高い人物や、特に芸術分野に貢献した著名人としたのには、多分意図があって。
 
彼らは、定年を迎えて庭いじりしながら余生を過ごす老人ではない。そうするには、刺激的すぎる日々を送ってきた人々だ。若かりし栄光時代を光とするなら現在は闇、その分の落差が作る影は色濃い。人生を芸術に捧げ、世界に名を轟かせた者たちがそれを失ったらどうなるか。そういうことだ。
 
 
少し気にすれば、ひたすら対比の物語
老いと若さ、死と生はもちろんのこと、例えば、夫に捨てられたレイチェル・ワイズと浮気相手の女に見る貞淑と奔放。また、浮気相手パロマには、実際のUKポップシンガーのパロマ・フェイスが起用されており、さらにポップに相対するクラシックの担い手として、ソプラノ歌手スミ・ジョーがこれまた彼女自身を演じている。
 
「老い」の概念を担うのがフレッドとミックだが、ここでも、娘が手配した健康診断やマッサージを淡々とこなすフレッドと、自身最後の監督作品の脚本執筆に燃えるミックは対照的だ。
 
そして、ミックが様々な局面で見せる「ズレ」が痛々しい。作品に対する自身の評価と世間の評価のズレ。美的感覚のズレ。また彼は、自分が現代の観客のニーズからも時流からも遠ざかっていることに気が付かない。
そして、「俺のミューズ」と絶賛してきた女優ブレンダジェーン・フォンダから、「あなたは終わっている」ことを突きつけられたミックは、悲劇的な選択をする。そのことを知ったブレンダはショックと自責の念に駆られて暴れ、かつらのズレた醜い姿を晒す。彼ら老人のパートは総じて物哀しい。
 
 
驚くことに、逗留客にはマラドーナもいる。
 
またサッカーの話かよと思いましたか。安心して下さい。今日は無駄話はしないし、リトル・ヤナギヤも出てきません。出演しているのはもちろん、ホンモノのディエゴじゃないしね。 
 
テニスコートで楽しそうにテニスボールを蹴り上げ、だがすぐに息切れして膝に手をついてしまうシーンは印象的だ。実際のディエゴと同じく、健康に害をなすほど肥満した体を見ていると、人生賛歌ではないだろ」と思うんだよ。
 
プールで、少年に向かって「ボーイ、俺も左利きなんだぜ」と言うディエゴに、「世界中が知ってます」と返すダノやんが好き!
これはアメリカ人の監督にはない発想だろうな。
 

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◇己を知るものと知らないもの
さて、対比の話をしつこくする。
 
注目すべきは、ダノやんとミス・ユニバースの絡みだ。ダノやんは鬱々と悩みながら役作りをしている。鬱々の原因は「自分はいつまで経っても、(大ヒットしたロボット映画の)『ミスターQ』としてしか人々に認知されない」というものだ。
 
うん、低レベルながら日常に置き換えさせてもらうと、すっごくよくある話だよね。
「俺のしている仕事って何の意味があるのかな・・・」と言い始める輩。ある程度の収入や社会的な立場が保証されるようになり、衣食住の面で安寧を得た現代人が陥る贅沢な悩みだ。恐らく、監督はダノやんの葛藤自体を映したいのではない。つまり、ダノやんの憂鬱を、馬鹿にしているとまでは言わないが、少々皮肉った目線から撮ったものと想像する。
 
そう思うのは、途中から滞在客となる話題のミス・ユニバースが、ダノやんに握手を求めにくるシーンだ。美しいミス・ユニバースに、「『ミスターQ』の大ファンなんです」と言われた途端、ダノやんの表情が厭世的なものになり、「それ以外の作品を知っていますか?」と苛立ちをぶつける。
 
注目すべきは、ダノやんの反応を見たミス・ユニバースが一瞬で、彼の葛藤の理由を理解し、切り返すことだ。なぜ彼女は、彼の思考を理解したのか。それは彼女も「ミス・ユニバース」という被り物の名で常に呼ばれてきたからに他ならない。
 
「ミスターQ」と「ミス・ユニバース」。名を持たない二人は鏡に映る自分のような存在なのに、ダノやんは自身が嫌う言葉で彼女を呼んだことに気付かない。片や握手を求める相手に八つ当たりし、片や被り物を自分の一部と受け入れて堂々と立っている。ここでダノやんの憂鬱は、器の違う相手にひっくり返されてしまうのだ。この場面は、ピリついていながらスマートで、とてもよかった。
 

もちろん、ただ皮肉な画面ばかりが続くわけではない。

「若さ」の概念を担う者、つまりダノやんとレイチェル・ワイズには、救いの手が差し伸べられ、再生のチャンスが与えられる。ダノやんは、ある少女から「あなたのこと知っている」と声をかけられ、またしても厭世顔をするのだが(ミス・ユニバースとのやり取りからは何も学ばなかったらしい)、少女に「ロボット役じゃなくて父親役よ」と言われて、ぱあっとした顔になる。

 

そうそう、本作には、パワーワードがあった。

それは、レイチェルの夫が離婚の理由として言い放った言葉、パロマ(浮気相手)はベッドで最高なんだ」

 
 
浮気相手がベッドで最高。
 
 
しかもこれを父親伝手に聞くという、レイチェル、地獄のごとき試練。
 
あんまりベッドで最高タイプに見えない本作のレイチェルは、「私だってベッドで最高なんだから!」とがんばって言い張る。
 
とりあえず、自分の父親に言うのは止めようぜ?
フレッドも「当然だ、俺の娘だからな」と突然のユーモア炸裂。そんなジジイだったかしら?
 
ベッドで最高。ベッドで最高…ベッドで最高ってなんだ?言い過ぎて分からんくなってきた。
とにかく、最後はレイチェルも、サナトリウムで出会った登山家により、呪いの言葉から解放される。
 
 
◇卒業できないマイケル・ケイン
ミック、ダノやん、レイチェルの人生には、一旦の決着がついていく。良い結末にせよ悪い結末にせよ、彼らはサナトリウムを卒業していき、ただ一人、残されたのがフレッドだ。
 
ラストシーン、フレッドが、女王を始めとする大勢の観客の前で、歌い手にスミ・ジョーを迎えBBC交響楽団の演奏を指揮する。
だが、過去に置いてきた情熱は取り戻せない。スミ・ジョーから送られる敬愛の視線に対し、フレッドの表情は動かぬまま。ここにきてなお、老いた自分に答えを出せずに戸惑っているようだ。
 
親友は、死を選択した。愛した妻は、老いの病に侵されている。
そして、根拠もなく、自分の体もきっと何らかの不具合を抱え彼らの後に続くのだろうと考えていたフレッドが医者に、「あなたは完全な健康体ですね」と告げられる場面の皮肉さ。大切な人間たちは去ったのに、フレッドの人生は続いていくのである。
 
栄光時代を謳歌するのも人生なら、過ぎ去った時代を振り返り死に向かって歩いていくのもこれまた人生。という意味では、ダークな人生賛歌・・・と言えるのかな?
 

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この二人のイチャイチャよかったよ。

 
引用:(C)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

『SHINOBI』

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監督:下山天 キャスト:仲間由紀恵オダギリジョー/2005年
 
少し前のこと、うちの会社の営業担当(※三十歳すぎのチャラ男、サイコパスぎみ)が帰社するなり、「クリステルと小泉が結婚しましたね」と言ってきました。その瞬間は何のことやら分からなかった。仮にも営業なら、いっぱつで伝わるように話して欲しい。
 
滝クリってババアだったんすね」というので「私、同い年なんだけど」憮然とすると、「まあ、仕方ないっすよね」と口笛を吹いて歩いていきました。おいコラ。
 
だいたいね、20歳そこそこならともかく、それなりの年齢の男が40代の女を「ババア」としか言えないなんて、それはもう良い女性経験を積んでこなかったのねって話なわけ、わかるぅ~?
 
今の滝川クリステル、初めてテレビに出てきた頃よりもずっと年齢相応の美しさで輝いているじゃないですか。そんなこともわからないとは、どうかしてるぜ。
 
本日は「どうかしてるぜ」をテーマにお送りします。
 
さて、前回の『パッチギ!』で話題にしたオダギリジョーのワースト映画。そう、こちらのSHINOBIですネ。異論はございますか?
 
以下の方が、とんちんかんな予測をして下さいました!
 
とんぬらさん『東京おかんタワー』。ぼけぼけなさっているので仕方ないですが、恐らく東京タワー オカンとボクと、時々、オトンのことをおっしゃっているのかと思います。
 
ikukoさん『有頂天』。映画の題名を呼びたいように呼ぶ人たち。困ります。THE 有頂天ホテルね。違います。

ツイッター友デンデロ・ワシントンさん(ジョン)、『たみおのしあわせ』なんだそれ? 言ってなかったけど、私もオダジョーの映画全部観てるわけじゃないからさ。

8マンさん
「ワタイ、オダジョーは過大評価されてると思ってんザンスよ」。はい、出た、8マン節!コーヒーたらふく飲んどいて下さい。
 
コンマさん『ゆれる』。ノーコメント。皆さんのブログにお邪魔できないことを日々猛省しているコンマさんです。
 
見事に『SHINOBI』の名を挙げたのは、コメントをくれた私の大好きなリアル友、B級映画の帝王&浅草橋のプリンスことつっちーと、LINEで参戦してきた親友のリエコです!お前たち、さすが。つっちーは『バジリスク』も好きだしね。
 
また、「もっと坂口拓のこと知りたい!」というお便りを100通くらい頂いたため、本作では伊賀方の忍び夜叉丸(やしゃまる)を演じている拓ちゃんをピックアップしていきましょう!
 

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拓ちゃん as 夜叉丸!
 
メイクに失敗した松田龍平じゃねーぞ!
 
 
 ◇あらすじ
甲賀卍谷と伊賀鍔隠れの忍び一族は、数百年の間、不倶戴天の敵同士だったが、互いに次期頭と目される甲賀組の弦之介オダギリジョーと伊賀組の朧仲間由紀恵は恋仲にあった。二人の縁をきっかけに、長きに亘った確執も解けるかと思われる中、徳川家康より徳川家の世継ぎを賭けて戦うよう命が下り、精鋭各5名が対決することとなる。
 
 
◇原作ファンからも主演からもバッシングされる
弦之介役のオファーを受けたオダジョーは「これは自分向きじゃない」と何度も断ったが、監督の熱意に負けて渋々出演することにしたらしい。いざ映画が公開されると、原作の甲賀忍法帖及びその漫画化バジリスクの根強いファンからブーイングを受け、オダジョー本人も、出演して後悔した映画として挙げていた記憶がある。確かに、この映画のオダジョーは、ひどい。この人は元々、役にハマったときは独特な味を出すのだが、「合わない」「苦手」と感じたときには恐ろしいくらい下手な芝居をする俳優で。そういうとこも好きなんだけどね。

この映画では、本人の乗り気でない感じがモロに出た。とにかく滑舌の悪さや棒読みが目立つが、ビジュアルもまずい。
 

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甲賀の頭領というよりは、田舎の高校生。

 
当時、オダジョー好きが最高潮だった私は、リエコを引っ張って映画館にて鑑賞。リエコが、途中オダジョーの「頭(かしら)は俺だー!」「急ぎ出立の支度を3&'%###?+~!!」と叫ぶ場面で盛大に吹き出したのと、椎名桔平が映る度に忍び笑っていたことは今も記憶に新しい。きっぺいについては後述する。
 
設定の変更、忍びの面々の個性や忍術の掘り下げ不足が、原作ファンの逆鱗に触れ、映画への評価は低いものとなった。良い評価を付けているのは大体「原作は読んでいませんが」という人々。
 
でも、ちょっと待って。あまりにも感情的になりすぎではないだろうか。つまり、低評価の主な理由は、(CGがしょぼいなどの感想を除けば)「人物設定や展開があまりに原作と違う!」「浅い!」というものだ。私も小説と漫画を読んでいるけれど、別物として観られないかしらね?賢明な映画好きたちは再三言っておりますよ、小説あるいは漫画を「忠実に」映画化することなど不可能だし無意味だと。
 
結論から言うと、これは結構楽しめる映画なのだ。
 
100分間で、忍びたちの人物像と忍術を丁寧に描き、各々の戦いをつぶさに見せ、弦之介と朧の悲恋まで盛り込むのは土台無理な話。映画化にあたって、恐らく腹を括ったであろう監督は、旬な役者たちを如何に魅力的に映すかに注力し、また予算のほとんどをアクションシーンにぶっ込んだ(多分)。冒頭、家康の御前に召されたそれぞれの里の代表が技を披露するシーンや、伊勢山中、三河渥美の宿での甲賀VS伊賀の戦いは十分に見応えがある。

大体、ストーリーなんて元々ないようなもんだろうよ。山田風太郎が神格化されすぎなんだよ。
 
 
◇アクション
CGとワイヤーアクションを駆使した忍び同士の対決シーンは、技術的にはしょぼいのだろうが、私は今観ても十分に楽しんだ。アクション監督は下村勇二。
 
個人的に初めて名前を知ったのは、インディーズ製作ながら根強い人気を誇る北村龍平監督の『VERSUS』(2001)だった。その後、GANTZ(2011)、図書館戦争(2013)、アイアムアヒーロー(2016)、いぬやしき(2018)、BLEACH 死神代行篇』(2018)、また直近では『キングダム』(2019)など話題作に軒並み参加、日本のアクション映画には欠かせない人物なのだ。
 
坂口拓は、下村勇二と『VERSUS』以来の旧友で、同作では主演も務めた。下村が監督した『RE:BORN リボーン』(2017)でもタッグを組んでいるし、『SHINOBI』でのキャスティングも恐らく下村との縁が無関係ではないだろう。また、『キングダム』のラスボス左慈役では、その身のこなしが只者ではないと観客をザワつかせたらしい。私に言わせれば、今更だけどね。
 
『狂武蔵』で燃え尽きて俳優を引退し忍者になっていた暗黒時代を抜け、本来あるべき場所へ戻っただけのこと。坂口拓の現在をググれば、精悍な44歳の姿を見ることができる(暗黒時代はビジュアルもひどい)。ちなみに本人は口を開けば、のほほんとしたおじさんで、かなりアホっぽいのだが、それもまた実はめちゃめちゃ強い人であることの裏返し。
 
何が言いたいかというと、下村勇二×坂口拓のアクションは最強であるはずなのだ。本作では、ワイヤーアクションがバカにされがちだが、あれだけスピード感とキレのある動きが見せられるのは、坂口拓の身体能力あってこそなんだよ、わかってるぅー?
 
改めて本作の夜叉丸を観ると、これまでの役柄とは随分趣が異なる。全身黒づくめ、黒髪長髪の玲瓏とした男の役なのだが、鑑賞中、リエコが「こいつのどこが美男やねんー、もっとイケメン持ってこいやー」とうるさかったこと!

分かってない、お前は坂口拓の魅力をまったく分かってない。どうかしてるぜ。確かに、河村隆一の顔面面積を広げたような顔しているけれど。

 

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このワンラインジャージ着物がまたイケてる♡ 私のツーラインアディダス着物とおそろいだね♡
 
 
夜叉丸の見せ場は、冒頭の御前試合と、伊勢山中での筑摩小四郎(虎牙光揮←知らん)との対決。ここで筑摩小四郎に敗れて死んでしまうが、二人の戦いに尺が取られていたことを考えれば、監督の力の入れ方が分かろうというものだ。
楽しもう、坂口拓虎牙光揮のワイヤーアクションを。
 
 
◇映りの良し悪しに差がありすぎる
この映画に出演して得をしたのは恐らく、毒で男を屠る陽炎(かげろう)を演じ黒谷友香と、朧を慕う少女蛍火(ほたるび)を演じた沢尻エリカだろう。前者は妖艶、そして後者の可憐なこと。また、お肌のピチピチ度の点で、完全に沢尻エリカの後塵を拝した仲間由紀恵ではあるが、現在の貫禄のつき方に比べればフレッシュで瑞々しい。特に、蛍火を殺されて怒り、破幻の瞳の術を炸裂させる場面は美しく、私のお気に入りです。女優陣に関しては、総合的によく撮れていたと言っていいのではないか。
 
対して損をしたの男性陣、こうがのとうりょうことオダジョーと、そして椎名桔平だ。どっかのレビューサイトには「オダジョー、かっこいい」「椎名桔平がカッコよかった!」などコメントがされていたが、皆さん目がどうかしている。オダジョーは既述の通り台詞回しも顔もひどい上、元々大きくはない背丈の印象を助長する撮り方がされてしまっている。オダジョー特有の、しゅっとしたスマート感が全くなく、小男感がすごい。そりゃ、本人も自分史から消したいだろうよ。
 
椎名桔平に関しては、一つか二つか三つくらい良いショットがあるが、他は、テーマカラーが紫の奇矯なコスプレをした下膨れのおっさんといったところ。コスプレ椎名きっぺい、略して、コスプれっぺい。せっかく「長髪」という武器があるのに、膨らんだ頰を隠す道具に使わないとは本人も撮影する方も、どうかしている。
 
 

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コスプれっぺい、連続ショット。
 
 
◇えーと
擁護してはきたが、もちろん決して上質な作品ではない。ただ、坂口拓と下村勇二が先導するアクション、黒谷友香がチラリと見せる足、コスプれっぺいなど、見どころは多いのよと伝えたい。
 
何よりラストの、朧が家康らの前で自らの両眼を潰してみせる、駿府城登城シーンである。それこそ比較するなら、原作では自害するところ、映画版では弦之介の遺志を継いで里のために生きることを選んだ。いいじゃないですか。この映画オリジナルの脚本、好きだよ。
 
血の涙を流しながら「どうか、この通りでございます」と頭を下げる仲間ちゃんを見て心が動かないなんて、どうかしてるぜ?
 
勝手にオダジョー・ワーストに挙げてしまったが、彼に合わなかった役という意味でのワーストであって、「原作と違う」で片付けてしまうには勿体ないエンタメ作品だ。
 
ところで、早く『キングダム』が観たいな!

『パッチギ!』

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監督:井筒和幸 キャスト:塩谷瞬高岡蒼佑沢尻エリカ/2004年

  

◇あらすじ

敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くよう、担任に言われた府立東高校2年生の康介塩谷瞬は、そこでフルートを吹く女子高生キョンジャ沢尻エリカに出会い、一目惚れする。ところが、彼女は朝高の番長アンソン高岡蒼佑の妹だった。(映画.com)

 

井筒監督って・・・最近なにしてるんでしょうね?昔、『パッチギ!』公開の少し前辺りに、井筒監督が話題映画を自腹で鑑賞して評論する『こち虎自腹じゃ』っていう深夜のバラエティコーナーがあったんです。毒舌が面白くて、よく観ていたなあ。それから、『モンスター』(2003)で役作りのために激太りしたシャーリーズ・セロンを、日本のマスコミが「これぞ女優魂!」と持ち上げる中、「役者なんだから当たり前」と冷ややかに斬っていたのが印象的でした。思想が強めな人だけに、日本は生き辛いでしょうね。

さて、本日は、学生運動ベトナム戦争、敗戦の影響が色濃く残る時代を背景に、高校生の恋を描いた青春映画『パッチギ!』を紹介します。

 

舞台は1968年の京都。鴨川を挟んで日本人と朝鮮人の住む場所は明確に別れており、日本人側からは対岸を「朝鮮部落」と呼んでいた。歌謡曲イムジン河』の日本語訳者である松山猛の自伝を原作とし、そこに当時監督自身が肌に感じていた時勢や体験が重ねられ、画面に生き生きと投影されている。

一方で、在日朝鮮人側に主眼を置いたため、また、テーマ曲『イムジン河』が彼らの悲哀を歌ったものであるとして、偏った反日の主張が為されていると多くの反感を買った。

私としては、訳の分からない熱を孕んだ時代を感じさせてくれることと、歌詞の内容はどうあれ曲の良さが好きだよねえ。今では想像もつかない濃い社会情勢に、ギターとフォークソングの音色の映えること。『イムジン河』の日本語版を初めて歌ったザ・フォーク・クルセダーズのリーダー加藤和彦が音楽担当で参加しており、この点も無視できない。

 

 

◇映画の設定は「設定」だよ

良い青春映画であるとの意見は共通しながらも、この映画が強い反発を受けるのは、言うまでもなく、後半の葬式のシーンのためだ。

朝鮮人の友人の葬式に参列した塩谷瞬演じる康介は、笹野高史演じる親族の老人から、日本人は帰れと罵倒される。そして周囲から次々と「我々は紙切れ一枚で故郷から強制連行された」「日本人が食べ残した豚の餌を食ってきたのだ」と厳しい言葉を浴びせられる。

この箇所を挙げて「一方的に日本を非難していて不快だ」とする意見がとにかく多い。一応、プロの批評家を名乗る前田有一に至っては、レビューの中で朝鮮半島の言い分に共感する者は感動できるが、愛国者の日本人であれば激怒する映画」と述べ、敢えて点数を付けずに時価、としている。

 

呆れて物が言えない。

 

忘れてはいけないのは、これは映画だということだ。

事実と、そこから発想を得た映画の中の設定をごっちゃにすべきでない。言うまでもなく、笹野の人物は映画上のキャラクター設定であり、「豚の餌を食わされた」は台詞だ。その言葉の内容の是非を問い、「映画の批評」として議論の俎上に上げるなどナンセンスの一言。

笹野の言葉に「そうだったんだ」と目を潤ませる者は★5つをつけ、反感を覚える者は★1つとする、感情移入できないとの理由で作品そのものを評価しない、批評ってのはそういうものじゃないでしょう。そんな議論は、映画の外でやればいいことである。映画でお勉強した気になるなって、おねーさんいつも言ってるよねええ。

井筒監督の中に、当時、急に発生した韓流ブームに対し「ちゃんと歴史を知っときなさいよ」という思いはあったろう。だがこれを、朝鮮側に偏った思想をぶちまけた映画だプロパガンダだと取るのはあまりに浅薄というもの。もしそうならば、あんなストレートに分かり易い日本糾弾のシーンは作らない。昨今のプロパガンダというのは、ひっそりと潜め、人々にそうとは気付かせずに洗脳するものでなければ意味がないのだから。

これはロミオとジュリエットの話だ。彼らの間にはバルコニーの代わりに、鴨川に象徴される境界線がある。

葬式の場面は、民族間の隔たりとしてしか境界線を捉えておらず、努力次第で飛び越せると思っていた無知な康介が、強烈に横っ面を張り飛ばされるシーンだ。康介がその場で感じたであろう、衝撃、反感、理不尽、羞恥。監督が観客に汲み取って欲しかったのは、そういったものでいいはず。この出来事があったからこそ、キョンジャは自転車で自ら境界線(鴨川)を越えるのだし、恋は成就するのだ。

 

 

◇オダジョーの『悲しくてやりきれない』

葬式会場から、鴨川に掛る橋へふらふら歩いてきた康介がギターを欄干に叩きつけてぶっ壊す。このとき後ろに流れる、オダギリジョーが歌う『悲しくてやりきれない』が至高。

オダギリジョーといえば、プロ意識の高さゆえ使い易いとは言えない役者であり、処世術と無縁のため、結婚会見では新婦と二人して押し黙り取材陣を困惑させた。私は昔からこの人が大好きで。まあカッコいいよね、声も甘くていいよね。そしてダメな作品に出たときは驚くほどカッコ悪いよね。出演作品を厳密に選定するが、必ずしも作品選びに成功しないところが愛すべき点。

作品選定に成功したときには自然体でありながら存在感を示し、個人的に一番の成功例が、この『パッチギ!』の坂崎さんだと思っている。『悲しくてやりきれない』は、最近ではこの世界の片隅に』(2016)コトリンゴが歌い、それも良かったけれど、私にしてみたら、やっぱりどうしたってオダジョーの方なのである。

彼の出演作の中で好きなのは、次点は『あずみ』(2003)の美女丸役。ワーストは蟲師』(2006)か、次回レビューをしようと考えているある作品だ。

ある作品、どうぞ予想してください。我こそはという人はコメント欄でどうぞ。何か賞品がもらえるかもよ。ちなみに『蟲師』は、初めて映画館で爆睡した。

 

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坂崎さんステキ。映画後半には、みうらじゅんみたいになってしまう。

 

塩谷瞬のギター叩き割りからの、大友康平「バァカ!どんな理由があろうとな、この世に歌ったらあかん歌なんかあるわけないんだよ!」以降は怒涛の泣かせ展開。

境界線は康介とキョンジャの間にだけ引かれているのではない。報復に向かうアンソンの車と陣痛に耐える桃子楊原京子が乗るバスの境、朝鮮学生と日本学生の間に流れる鴨川も同様だ。

康介がギター1本で歌い始めた『イムジン河』にオーケストラの演奏が重なり、桃子の出産、鴨川の乱闘の場面を経て徐々に境が崩れていく。そこから生まれた希望は、アンソンと桃子の赤ん坊、また康介の歌が流れるラジオを泣きながら親族に掲げるキョンジャの姿に象徴される。何回観ても私はここで泣く。

つまらないことばっか言ってないで、エリカちゃんの泣き顔を観なよ。

 

 

◇パッチギの呪い

パッチギ!』に出演した役者は、その後、多くがトラブルを起こして消えていき、そのため呪いの映画と言われているが、単純に順序が逆。元々強烈な役者が集まったというだけの話だ。

沢尻エリカについては触れる必要がないので割愛。オダギリジョーは前述の通りだし、高岡蒼佑と言えば言葉をオブラートに包むことを知らない、売られた喧嘩はガチで買うリアルパッチギ野郎。二股俳優こと塩谷瞬が元からアホなのは疑いようもなく、真木よう子仲代達矢主宰「無名塾」で目をかけられながら、日課のマラソンをサボったサボらんで仲代と喧嘩し、退塾となった問題児だ。

 

例えマラソンをサボったとしても、この映画のパンチパーマ真木よう子は、死ぬほどかわいい。

 

坂口拓に触れとかないとね。知ってる?坂口拓

劇中では、途中日本学生側の助っ人として現れる大阪ホープ会のボス、最後に高岡に、これがパッチギじゃあ!って頭突き喰らう人ね。

八極拳少林寺拳法、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ等あらゆる格闘技に精通し、現代殺陣や時代殺陣もこなす日本最強のアクション俳優兼アクション監督。

数年前に、世界初「ワンシーンワンカットで77分戦い続ける侍ドキュメンタリー映画『狂武蔵』」を撮影(未完成)、燃え尽きて俳優を引退し、忍者になった(現在は俳優に復帰)。『狂武蔵』撮影中、奥歯を砕き指を骨折したが、自分の口で骨折した指を元に戻して撮影を続行。人体を内側から破壊する”ムーブなる技を体得し、「アウト×デラックス」で山ちゃんに1%の力で披露、悶絶させた。完全にイカれた人間だ。

まだ消費されていない桐谷健太の怪演もいいよねえ!

ということで、問題児予備軍をまとめあげた監督の手腕を褒めていきましょう。日本はこの作品もっと誇っていいと思うんです。熱っていうのは、こういう映画から生まれるんじゃないの?

『アンタッチャブル』

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私は変な人に懐かれがちなのですが、「ヘンな奴だな」って感じた人は、どこまでもヘンなものですよね。数年前、職場に中途採用の女性が入ってきました。年齢は私のちょっと下、人懐こくてコミカルな性格、名を仮に佐々木さんとしましょう。
 
何回か昼ごはんに行くうち、わざわざ会社のメールで「やなぎやさんに、さん付けで呼ばれるのイヤです!ササって呼んで下さい!」と言ってきた辺りからイヤな予感がしたのね。
 
ササは、私や仲の良い同僚たちが着物好きと知ると、自分も着付け教室に通い、私がよく行っていた古着専門の着物屋さんに足繁く通い出しました。それは別にいいのだけど、私が気に入って、でも結局棚に戻したものを「買わないんですかー、じゃあ買っちゃう~」と買うのが嫌だった。
 
どんなに練習しても着付けはド下手クソだし、一度、数人で着物で出かけたとき、思いっきり左前に着てきて全員絶句。「コーヒーには絶対牛乳を入れる」と拘りがあって、海外に行ったとき、お店の人が牛乳はないと言うのに粘って無理やり出させたことを武勇伝にしていた・・・。
 
あ、思い出すと気分が暗くなるわ。ヘンな人だなと感じているのに付き合い続けるものじゃないよね、時間の無駄遣い。
イヤな話をしてごめんなさいね。彼女が大好きといつも言っていた映画がアンタッチャブルだったの。『アンタッチャブル』にちょっと泥が付いたよね。
 
相変わらず、この作品の位置づけも監督の他作品との比較も他人のレビューも研究しないままのだらだらした感想となります。ブライアン・デ・パルマ監督は好きなんだな!
 
 
◇あらすじ
1930年、禁酒法下のシカゴ。財務省から派遣された特別捜査官エリオット・ネスケビン・コスナーは街を牛耳るギャングのボス、アル・カポネロバート・デ・ニーロに敢然と戦いを挑む。ベテラン警官のマローンショーン・コネリーを始め、射撃の名手ストーンアンディ・ガルシア、税理士のウォレス(チャールズ・マーティン・スミス)といったメンバーに支えられ、ネスの捜査が始まる。しかし巨悪カポネの差し向けた殺し屋によって、ひとり、またひとりと犠牲者が・・・。(映画.com)
 
私たちの世代の映画好きにとって、避けて通れない俳優、それがケビン・コスナー。『アンタッチャブル』で成功したコスナーは、フィールド・オブ・ドリームス』(1990年)、『JFK』(1991年)、『ボディガード』(1992年)、『パーフェクト ワールド』(1993年)などで更に名を売った。繰り返し観ていたせいか、当時はダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)が好きだった。皆さんもやりましたよね、人差し指で角を作り、「タ、タンカ」と言いながら走り回ってバッファローの真似をしたでしょ?
 
その後のコスナーは、額の領土侵攻とともに、『ウォーターワールド』(1995年)、『ポストマン』(1997年)など駄作への出演が重なり段々と忘れられてしまいました。
それでも、やっぱり私達世代には人気の高いコスナー。さあ、敢えて言いましょう。
 
 
声がねえ・・・。
 
 
そう、『必死剣 鳥刺し』にて問題視した豊川悦司と張るくらいに声がひどい。豊川悦司はヘリウムガス系だけど、コスナーは、なさけな系。あと肩幅がとても狭い。従って、バッファローを追いかけようが、犯罪者やポストマンを演じようが、声と肩幅が観る者の脱力を誘う、なさけな型俳優代表が私の中のコスナー。
 
そして、実にイメージ通りの役を演じたのが、この『アンタッチャブル』となっております。この映画、コスナーがカッコイイと皆言うが、カッコいいか!?
 
 
◇なさけな特別捜査官
コスナー演じるエリオット・ネスがどんなキャラクターかは、最初の倉庫手入れシーンで分かる。張り込み車中、ワイフが書いた「あなた、がんばって!」というメモを見てニヤけながらサンドイッチを頬張り、新米の警官に「手入れは初めてか?俺についてこいよ」などと言うが、あんたこそド新任、そして初めての手入れです。
 
この捜査は当然、賄賂を掴まされた警官からカポネ側に漏れており、ネスが酒のボトルだと思って引き抜いたのが和傘の柄という間抜けな結果に。さらに、その傘を開いちゃうところが、まさに私のコスナー。
 
まずはシカゴ暗黒街の洗礼を受けるのだが、ネスのピュアピュアで何の警戒心も抱いていない様子が腹立たしく、また失態を揶揄した新聞記事を、戒めに部屋に貼る優等生ぶりも好かない。
 
しかもこのボンボン、偶然の勢いを借りて、関係のない人々を戦争に引き込む。ストーンはピチピチの警察官だから良しとしても、何事もなく定年を迎えたいベテラン警官のマローン、畑違いの経理のウォレスは完全に巻き込まれ事故。そしてこの二人が、カポネの殺し屋の犠牲者となるのだ。
 
 
男のロマンのテーブル
まあ、男のロマンの映画ですよね。男のロマンなんか知らないけど。巻き込まれ事故、とは書いた。だが実際は、マローンもウォレスも、理性と諦めの中で眠らせていた本能に目覚め、一世一代の狩りに血を滾らせる。マローンはこれまでの鬱憤を晴らすかのように嬉嬉として先陣を切り、ウォレスもカウボーイの気持ちになって興奮する。
 
ネスが妻子を余所へ逃がして身軽になったところで、カポネと闘う決意を新たにし、どこか浮わつきながら夜の道を走る四人。並んで馬を駆るカナダ国境のシーンでは、西部劇に出てくる正義の保安官さながらだ。行き当たりばったりに集まった「アンタッチャブルズ」は、徐々に結束を強めていく。
 
カポネを演じたロバート・デ・ニーロは、本作でも髪の毛を抜いて役になり切る得意のメソッド演技で臨んだ。このスタイルは多少映画を観る人には大体、評判が良くなく、私の周囲では友人のシネフィルS氏などもデ・ニーロを嫌っている。でも、やっぱりカッコいいし愛嬌があるし、私はデ・ニーロ好きだな。「デ・ニーロ」って聞くと、いつもこの映画のオペラを観て咽び泣く顔が思い浮かぶ。
 
ところで、主役の四人とカポネの組織の力関係が「食卓」で表現されるのが面白い。
デ・ニーロ=カポネが権力を誇示する画面は、彼を丸く囲む人々やゴージャスな円卓のディナーなど、円形が特徴的だ。一人や二人欠けたとしてもカポネに何の影響も及ぼさない、組織の巨悪さを誰しもが連想するだろう。
 
対して、ネスら四人が祝杯を上げるのは、ダイナーの四角いテーブル。こじんまりしていて、全員の距離がギュッと近い。各辺を為す四人の、誰か一人欠けても「アンタッチャブルズ」が成り立たないことを示唆している。だからこそ、一人、また一人と欠けていく展開が寂しいのだ。二人では、このテーブルを囲むことはできないのだから・・・。
 

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結束のテーブル。
 
 
◇爺さんの殴り合いと、長回し
私のお勧めナンバーワンは、元は同期だが、片や犯罪組織に膝を折って出世した警察署長と、片や矜持を貫いたヒラの老刑事マローンが、裏通りで殴り合うシーンだ。お互いに自負とコンプレックスを抱かずにはいられない相手で、常日頃はすれ違いざまに嫌味を言い合う程度であったが、ついに本音が爆発。
 
「悪人に尻尾振りやがって」「うるせえ、負け犬」と罵り合いながら、腹の出た身体でよたよたと殴り合う。キレも俊敏さもない無骨なストリートファイトは、視覚的には滑稽で、だが二人の心情を慮れば少々もの悲しい。舞台を照らす赤いライトが、否が応でも雰囲気を盛り上げる。私はこのシーンがとても好きだ。
 
散々に語り尽くされているが、ウォレスとマローンが殺されるときの長回しは見応えがある。特にウォレスの場面は、スタートから嫌な予感しかしない。
 
直前の西部劇のパートで、カポネの組織の一人を捕らえる勝利を収め、警察署に凱旋した四人。カメラは、興奮冷めやらぬままエレベーターに乗り込むウォレスと、中で目を光らせる殺し屋ニッティを映した後、そのまま廊下を歩いてくるネスとマローンへと向けられ、しばらくの間、会話する二人を追う。この間が、観客にとっては嫌な知らせを待つ時間だ。
 
マローンのシーンでは、カメラは、彼を自宅の窓の外から再び長回しで追いかけ、観客にウォレスの死を思い起こさせる。異なるのは、このカメラが殺し屋の視点になっていることだ。殺し屋は、部屋の窓を開けて中へと侵入し、マローンの背に迫る。マローンが銃を持って振り返ったときにはホッとするのだが、切り替わったカメラが映す殺し屋はニッティではない。「どこかにアイツがいるからそっち行っちゃだめ~」との祈り虚しく、殺し屋を銃で脅して追い立てたマローンは、外に潜んでいたニッティに蜂の巣にされてしまう。何度も観ても、ショッキングだ。
 
 
◇ネスさんが本領を発揮する
さて、マローンの自宅に駆けつけたネス。野次馬を掻き分けて家の中に飛び込み、血塗れで倒れているマローンを発見、そして叫ぶ。
「ガァッ、デェーム!」
 
 
ちょ、待てよ(キムタク)。
 
 
この時ほどコスナーの声の高さを呪ったことはない。吐き捨てるでもなく、低く口の中で呟くでもなく、「ガァッ、デェーム!」と甲高い、こう言ってはなんだけどアホみたいに軽い声なのだ。
 
マローンは老骨に鞭打ってストリートファイトを演じ、命と引き換えに重要な情報を入手した。しかしネスと来たら、何ひとつ役に立たない上に、一度は戦いを投げ出しかけたのだ。まったく、こっちがガッデムだよ。
 
それにしても、マローンを演じたショーン・コネリーは死に掛けの演技が本当に素晴らしい(大事にしていたキーチェーンを投げ捨てるのが泣ける!)。 インディ・ジョーンズ 最後の聖戦で、ドノヴァンに撃たれた後の、今にも死にそうなパパ・ジョーンズもいい〜。
コネリーさんには、特別賞として『死に掛けでショーン』を贈りたいと思います。喜んでもらえるかしら?
 
名シーンと語り継がれる駅の階段シーンは、もちろん名シーンだ。異論はない。しかしカッコいいのはストーンである。走りながらネスに銃を投げ、落ちてくる乳母車の下に身体を滑り込ませて足で平衡にキャッチ。その態勢のまま、帳簿係を人質に取ったマフィアの男に、ひたと狙いを定める。どれだけマルチに仕事をこなすのか。
 
ここで、ネスの「狙いは?」との問いかけに対するストーンの台詞については、皆さん自分なりのベストがあるようで。私は昔、洋画劇場で観た際の「完璧です」なんだな。大人になって以来、何度も観ているけれど「完璧です」には当たったことがない。「任せろ」とか「バッチリ」とか、どれもしっくり来ない。
 
さて、場面を少し前に戻そう。ストーンの動きは冷静かつスピーディ、だが、そこに至るまでのネスの行動がドンくさい。ネスだけでなく、件の乳母車を押した母親が異様にドンくさい。階段の下で、赤ん坊(というにはデカい子供)を乗せた乳母車と荷物を抱えて右往左往し、荷物を置いてみたり、やっぱり持ったまま乳母車を一段ずつ引き上げたり、かれこれ30分ほども(やなぎや体感時間)エッチラオッチラ、のたくっている。
 
そしてネスも、身を潜めて帳簿係を待ち伏せながら母親のことが気になってしまい、「えー、どうしよ、手伝うべき?でもなあ」と、これまた30分ほども(やなぎや体感時間です)、のたくっているのである。手伝うなら、とっとと手伝いなさいよ。
 
結果的に、ネスの優柔不断が先程の事態を招き、ストーンにケツ拭いてもらう図式なんやでええ。偉そうに「狙いは?」じゃないわ。
 
さらに、ネスはラストで感情に任せて殺し屋ニッティを屋上から突き落としてしまう。その際の顔と言葉はまるで小学生。ここでも毎回、「成長のないやっちゃな・・・」と幼稚さに呆れるのだが、他の皆さんはどうなのだろうか。是非とも聞いてみたいです(ほら、ササと話しても、お約束通り階段のシーンがカッコいい!しか聞けなかったもんで)。
 
ここまでの感想で誤解を生んでしまったかもしれないが、私はコスナーが好きだし、この映画も、かなり好きである。

終始ネスのダメっぷりに着目している私から観れば、これは「警察官」の映画だ。門外漢の役人が気焔を吐いて捜査に乗り出すが、何もできず警官たちに助けられ教えを受ける。だが最も敬愛する警官を失い、警察を去る悲しい男の物語。
 
ネスがストーンに、マローンの形見のキーチェーンを渡すのは、単に彼が警察官であるからでなく、自分は「そちら側」には立てなかったことへの苦い思いがあるのではないかと思うのだ。
 
ところで、やなぎやは地獄の盆休みに入ります。映画があまり観られません。島に行きます。海とプールが、あんまり好きじゃありません、焼けるし頭痛くなるしベタベタするし。アジアのどっかを、ひたすら歩く旅行なんかがしたいよなー。

『あの頃、君を追いかけた』

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監督:長谷川康夫 キャスト:山田裕貴齋藤飛鳥/2018年
 
おはようございます。
最近、夫が息子や娘のお迎えによく行くので、私の周辺の人は、「旦那さん、子育てや家事に積極的ね」と思っていると思います。うふふ。そうなの、色々やってくれてるの!ただ、それには理由があってね?
 
 
夫の会社が潰れました。だから、ずーっと夏休み!
仕事から帰ると掃除も
洗濯も済んでるし、夕ご飯だって出来ている!
帰宅したら人の作ったご飯が出てくる、これぞハッピーライフ!
 
真面目な話、60年くらい続いていた会社だったんだけど、儚いものです。
それにしても夫の伝え方がひどかった。ある日の夜11時に「お話が二つあります」と。普段こんなこと言わないので、絶対ヤな話です。
 
「はい」
「一つ目、夏のボーナス出ません」
「え。」
「二つ目、明日、会社が潰れます」
 
え。『今日は会社休みます』じゃなくて?
 
まあ、でも、今は一旦ビジネスのしがらみや通勤電車の鬱陶しさを忘れ、高校生のピュアな恋愛映画でも楽しんではどうでしょうか。きっと半年後には「『あの頃、君(職)を追いかけた』よね」なんつって、懐かしく振り返っているよ。
 
半年後、それは失業保険が切れるとき。そのときまだ職を追いかけていたら、私が箒を持ってお前を追いかける。
 
 
◇あらすじ
台湾で大ヒットを記録した同名作品の舞台を日本に移し、「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴、「乃木坂46」の齋藤飛鳥主演により再映画化。地方都市の高校に通う水島浩介は、悪友たちとバカなことばかりしながら、気楽な高校生活を楽しんでいた。ある日、浩介の度を越した悪ふざけによって授業が中断。激怒した教師が浩介のお目付け役として任命したのが優等生の早瀬真愛だった。(映画.com)
 
「HiGH&LOW」シリーズの山田裕貴?違うでしょ、「闇金ドッグス」シリーズの山田裕貴でしょ!闇犬の素晴らしいレビューは、↓をどうぞ。あと、これだけ言わせて。
 
忠臣さんが高校生役を!?
 
 
 
本作の監督はホワイトアウト』(2000年)や、亡国のイージス』(2005年)『真夏のオリオン』(2009年)『空母いぶき』(2019)など、やたらと福井晴敏護衛艦駆逐艦が絡む作品の脚本を手掛けた人で、監督としてはあまり実績がないのですね。今挙げた映画も観てないんで、全然分かりません。
 
あらすじにもある通り、オリジナルは台湾の人気作家ギデンズ・コーが自伝的小説を自ら映画化した作品。私は台湾版を先に観ました。比較に意味がないのは分かってるんだけど、観ちゃったもんで、思いっきり比較論に突っ走るね。
 
 
まずは突っ込まねばならない
鑑賞を終えまして、一言。「信号、青だけど渡らないの?」。
もう一言。「言うほど追いかけてない」。
 
二人は前後の席になり接点を持った瞬間から、互いに憎からず思っている。教師公認のマンツーマン家庭教師に二人きりの夜の学校、見上げる満月、約束のポニーテール。GOサイン揃ってるよー。
 
浩介の友人たちも真愛に恋しているが、陰で好き好き言いながら誰一人本気でぶつかる男子はおらず、さらに真愛の親友の詩子松本穂香は幼いころから浩介を好いているのだが、「真愛を応援するよ」と、抜け駆けることはない。
 
みんな交通ルールを守りながら、どうぞどうぞと譲り合い、浩介と真愛のために道を開けているんだけど、肝心の二人が停車したままっていうね。
 
冒頭で紹介される仲間たち(スポーツの天才、秀才、ゲイとつぶぞろい)、行動や言葉が、ステレオタイプで記号的だ。台湾版では主役コートンを始めとする五人が、教師も手を焼く悪タレとしてユーモラスに描かれていたが、日本版は全員、小奇麗。小綺麗ががんばってワルガキを演じている。どう見ても、クラスの人気者とそのご学友にしか見えない連中に「悪ガキなんです」と無理やり札を貼る不自然さ(なので、教師が真愛に浩介の指導役を命じる流れも不自然)。
 
唐突にじゃれあったり踊ったり、特に何も生まない画の連続。監督自身の体験ゆえか、青春期の無鉄砲が微笑ましく映し出されていたオリジナルに比べると、ちょっとわざとらしさがあって。
 
オリジナルの後なので、点が辛くなるのは自覚しつつ、見ていてモゾモゾしてしまう。そもそも自分にとって教室って、こんな悪意なくキラキラした場所じゃなかったな。「ははん、こりゃ恋愛というより、教室という特殊で異常な空間を一時的に共有する中で生まれた錯覚ですな」とか囁くわけ、リトル・ヤナギヤが。
 
「女王蜂」のアヴちゃんだって歌っているよ、
 
 先生あんた教室に
 あたしら詰めてどうすんの?
 こんな中で愛し合え?
 命の尊さ教え合え?
 笑かすな
 
ってね。
 
ただ、青春ラブストーリーとしては凡庸だが、二人が結ばれなかった理由が割と痛かったり、些細なすれ違いへの後悔などに着目すると、十分に楽しめるよって感想になっております。
 

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こんなゴージャスなワルガキいる?
 
 
台日ヒロイン対決!
台湾の空気は、日本で古き良きと表される時代のものと似ている。例えば、誰かが困っていたら躊躇なく声を掛ける、お年寄りが電車で立っていれば遠くの席の若者が大声で手招き席を譲る。年長者や弱者を労わる気持ちが、まだ国民の間に浸透している国だ。

対して日本は、マナー面で比較するならば、本来マナーとは「相手を気持ち良くするもの」であるはずだが、自分が火の粉を浴びないよう防御するための手段になりつつある(全てとは言わない)。
 
こういった国の違いが、各作品のヒロインに投影されている。台湾版のヒロイン、チアイーは健康的な美少女で、世話焼き学級委員長タイプ、感情表現も豊かでダイレクトだ。齋藤飛鳥が演じた真愛は、達観した目つきの、落ち着きある少女。オリジナルのヒロイン像を採用せず、あくまで現代日本を象徴するような、やや醒めた優等生としたのが良かった。
 
逆に言えば、そのようなヒロイン像だからこそ、齋藤飛鳥はこの映画でギリギリ成り立っていた。山田裕貴の変顔(多分アドリブ)に、恐らく本気で笑ってしまったシーンは愛らしくてほっこりしたけれど、全体的に表情は人形めいており、泣き顔はたぶん目薬。残念ながら、男子が劣情を催すに足る少女期の生生しい色気もなければ、マドンナ感は全くない。細木のような手足と幼い顔は、発育途上のリスといった感じで、、、。
 
言い過ぎだな、読者様にファンがいたら、どうするのよ。ええっと、今時こんな小学生もいるよねと思うほどのあどけなさ、、、。あわわフォローになってない、どうしよ、貴重な読者が減ったら。何しろ、この映画で初めて道玄坂48」というアイドルグループの存在を知ったもので申し訳ない。
 
台湾版のミシェル・チェンのマドンナ感は圧倒的であったので、まずはこの点で作品の評価が別れるのは無理もないだろう。
 
ところで、我らが山田裕貴だが、目の印象が強烈すぎるため、ヤンキーや元ヤクザやらがベスポジであると思っていた。本人も、実際の涙脆くて熱い性格にも関わらず、ダークサイドの役柄が本当の自分に近いと感じるときがあると発言している。どこかの局でやっていた刑事ドラマの熱血刑事役は目も当てられなかったし、ヤンキーから脱却できるのだろうかと勝手に心配していたが、この映画を観て、ウン、やっぱり、いい役者だよ。わたしうれしい。
 
ただ、本作では、存在感の強さゆえに他の仲間の存在を消しており、先も書いたようにコートン演じたクー・チェンドンのような堂々たる悪ガキ感はなかったので、ウン、頑張れ。
 
ヒロイン像の違いは、「二人が結ばれなかった理由」にも影響している。台湾版に感じるのは互いの「幼さ」で、多くの台湾のドラマがそうであるように、思考や展開がベタだ。「恋は成就したら形を変えてしまう、もっと追っていて欲しかった」とのチアイーの心理は少女らしい傲慢さに満ちている。
 
日本版では、真愛が浩介との恋に踏み切れなかった理由を「恐れ」とし、脚本は、より繊細だ。詩子が浩介を指して言う「あいつの中には芸術家と犯罪者がいる」との言葉は少々気取り過ぎで、要は、内で何かが渦巻き爆発を求めているが、どう扱っていいか分からずにいる若者といったところ。衝動を捌ききれずに、浩介は脈絡のない突発的な行動を取り、物事に「意味」を求める真愛はそれについていけない。
 
真愛は彼を理解しようと格闘技の試合を見に行くが、逆に、自分の理解の及ばない浩介に、ひいては二人の未来に「恐れ」を抱いてしまう。また、彼女は「浩介は私の表面しか見ていないのでは?」との不安も感じている。真愛の用心深さが、二人の決定的な違いを浮き彫りにする。この辺りの脚本は、ヒロインが複雑さを内包した、日本版が優れていたように思う。
 
 
台日キミオイ対決!
ところで、このリメイク、過ぎるくらいにオリジナルをリスペクトしている。オリジナルは素晴らしい出来だ。だが、構図やロケーションまで忠実に真似た意図はなんなのだろう。日本なりのアプローチはなかったのだろうか。
 
台湾の空気の中でこそ成り立っていた設定をスライドしているので、唐突さ珍妙さが拭えない。例えば浩介が没頭する中国武術。また、教師に逆らったメンバーが罰として課される独特のポーズも謎だし、二人がデートする場所に観客は「ここはどこ?」と首を傾げることだろう。
 
 

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どこ?なに食べてんの?
 
 
何より、台湾版では呆れ笑いを誘う下ネタが、時折とってつけたように投下されるのが、こっ恥ずかしい。
 
下ネタを入れるなら振り切ればよかったと思うが、これも今の日本映画の問題かもしれない。不可侵なアイドルをヒロインに起用しているので、行き過ぎた下ネタはご法度なのだろう(だからキスシーンも超ソフト)。公開当時、映画の外では互いのファンが誹謗中傷気味なコメントをし合ったり、雑音が鬱陶しかったしね~。どちらもお前らのもんになることは100パーセントないから、安心してよく寝て下さい。
 
そして、オリジナルにオマージュを捧げながら、オリジナル版を10年の時をかけたラブストーリーたらしめた「時間」の描写を取りこぼしたのは、失敗だ。
 
一つは、観る者の郷愁を誘う時代の空気の描写。
両作の冒頭を見れば明らかで、台湾版では自転車を漕ぐコーチンの画に、「あの頃、俺は16歳だった。チャン・ユーションの事故死前で、ジャッキー・チュンのミリオンヒットの後。プロ野球はまだ八百長がなく人気で、アーメイが歌番組で勝ち抜き25連勝。そんな時代だった」とモノローグが重なる。観客の誰もが、その時代に思いを馳せるだろうし、青春時代を終えた人間にこそ向けた映画であることがよく分かる。日本版は、さらりと人物紹介に入ってしまい、ノスタルジーに浸る時間はない。
 
また、一つは高校卒業後の二人の物理的な距離と時間の流れの描写だ。

地震の後、二年ぶりに電話で話しながら、それぞれの場所から月を見上げる二人。片方は着実に自分の道を歩み、片方はいまだ地元で、もがき続けている。台湾版では、コートンが見上げるのは遮るもののない空に浮かぶ満月、だが、チアイーが見るのはビルで半分姿が隠された月だ。
同じ月を見ていても、あのときとは異なる月であること、距離は広がり続けることを示す画であるし、この作品のキーワードにもなっている「パラレルワールド」を視覚化している。
 
だが日本版は、これを無視する。二人が見ているのは当時も現在も同じ満月で、ならば現在君らを隔てるものは何だい?と疑問符が浮かんでしまうのだ。
 
 
◇どちらもラストはグッド
とはいえ、ラストの結婚式のシーンには涙を誘われる。
「花嫁にキスしたいなら、まず私を通してもらわないと」という花婿、その冗談に笑う旧友たちの前を横切って、浩介が花婿にダイブ&キッス。10年間の思いの丈を真愛(実際は婿)にキスしながらぶつけ、この恋と決別する笑い泣き必至のシーン。回想の中真愛に言う「ごめん、幼稚すぎたよ」は言うことのできなかった言葉で、浩介の後悔の深さに、ぐっときてしまう。
 
けれどやっぱり、チアイーが言った通り、「叶わなかった恋だからこそ美しい」のだ。
 
というわけで、今後も『Yayga!』では山田裕貴を応援します。そして読者にも応援することを強要します。

山田くん、がんばれ。つまんないドラマ御用達になるな。あと、あちこちで泣くな。
 

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村山オマージュ!
 
 
引用:(C)「あの頃、君を追いかけた」フィルムパートナーズ

『ザ・ハント ナチスに狙われた男』

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監督:ハラルド・ズワルト キャスト:トーマス・グルスタッド 、ジョナサン・リース=マイヤーズ/2017年
 
皆様は漫画や本を、巻ごとに本棚に並べる?私は気にならないんです。そりゃ引っ越した時に作者や本の大きさで、ざっとはまとめました。けど、漫画を一巻から順に並べていく、そんな必要性を感じなくて。
 
先日、マークスの山のドラマを観た後、夫が高村薫の原作を読もうと本棚を探していて(高村薫は私の大好きな作家なので私のテリトリーにある)「上巻はあるけど下巻がない・・・」と言う。結果、斜め右下の棚にあったのですが、上下巻が並んでいないのが理解できないというのです。ヘンな人ですよねえ?それに、上巻を読んでから考えればよくない、下巻のことは。
 
またあるとき、「ねえ、『動物のお医者さん』って2巻で終わり?んなことないよね?」というの。よく探しなさいよ、そのずーっと右側に3巻あるじゃないの。それもモヤモヤするというのです。変わった人でしょ?
 
私はなんとなーく目の端で、どの本がどこにあるか把握しとるんですよ。
ところが困ったことが起きた。私は中学生くらいの頃からエロイカより愛をこめてという漫画をこよなく愛し大事にしています。美術品専門の怪盗「エロイカ」とNATOのドイツ人の少佐「鉄のクラウス」が、国際的な事件に巻き込まれてはひっちゃかめっちゃかする半分スパイ半分ギャグの漫画なのですが、昔から、とにかく少佐が理想の男性だったの(だから彼氏が全くできなかったのかな)。
 
その『エロイカより愛をこめて』の21巻がない・・・どこにもない。ないよ~。どこにいったか知りませんか~。
 
本日は、少佐繋がりで、ナチス親衛隊少佐に追われるノルウェーレジスタンスの逃亡劇を描いた映画です。同じドイツの少佐でもこちらはSS、『エロイカ』の少佐はお父さんが国防軍だったので、こりゃドエライ違いですね。一緒にしたら、鉄のクラウスに怒られます。でも『エロイカ』の中でも主張される「国防軍ナチスとは違う!」は都市伝説だと思います。そうとでも考えなきゃ、敗戦後のドイツ国民は立ち直れなかったのでしょう。
 
 
◇あらすじ
第二次世界大戦中、ドイツ占領下のノルウェー。ロンドンに逃れた亡命政府は抵抗を続けていた。イギリスで訓練を受けたヤン・ボールスルド中尉を始めとする12人の工作員は、ドイツ軍の航空管制塔破壊の任務のため、ナチス支配下の祖国に潜入する。しかし作戦は実行前に失敗。ただ1人逃れたヤンは雪の中、ナチスの追跡を避けながら中立国スウェーデンを目指す。
 
戦争と雪の組み合わせと聞けば、観ない手はない。と言っても、そんなに沢山の選択肢があるわけではないので、最高峰はやはりスターリングラード』(1993年)ということになってしまうのだけど。過酷を極めたと言われる東部戦線で、ソ連に侵攻したドイツ軍がスターリングラードの極寒の冬に阻まれ悲惨に敗戦していく様子を描いたもの。キャッチコピーを知っていますか?「この世で最も美しい、涙さえ凍るマイナス50度の氷の戦場」。
いつかレビューを書きたいと思いつつ、あまり書ける気がしない。
 
さて本日の映画は『スターリングラード』とは逆に、ドイツが追う側となっております。
ナチスに祖国を侵略されたレジスタンスが、イギリスの自国亡命政府の指令で、破壊工作に挑む。以前どこかで読みましたね。そう、『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016年)
 

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きゃー、キリアン!
 
キリアンはカッコいいけど、ああもうひどいわ、題名が。今回の作品の邦題もなかったことにしたい。なんなの『ザ・ハント』って。『ナチスに狙われた男』って。なんでも「ザ」とか副題をつければいいってもんではないよ。パッケージだけ見るとすごいB級臭だけど、最近のナチス関連映画量産の中では、なかなかに気合が入った良作だと思うんだ。原題は『Den 12. mand』つまり『12人目の男』です。
 
 
◇リレーバトンとしてのヤン
この当時、ドイツの勢いと威光の前に、ヨーロッパの小国は為す術がなかったのが実情。ノルウェーはその中でも粘って抵抗を続けた国だった。デンマークなどは速攻降伏したために、戦禍は比較的小さく済んだと言う(諸説あり)。
『ハイドリヒを撃て!』のレジスタンスが暗殺作戦実行までは漕ぎつけたのに比べ、本作はいきなり男たちがナチスに捕らえられる場面から始まる。場所は寒々しいトフテ・フィヨルド。一人はその場で銃殺、十人は拘束され、岩陰に隠れたヤンだけが雪の上を走って逃亡するのだが、なぜか片方の足が裸足だ。そして逃げ出した際に受けた銃撃で裸の親指が吹き飛び、この傷がヤンを終始苦しめることとなる。

なお、なぜ片方の足が裸足だったかは途中で判明する。
 

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長い逃亡生活のスタート地点である。
 
非常に地味な映画だ。だって、作戦が実行前に頓挫してるからね。無駄足踏んで、何なら無駄に足の指をなくし、観客はヤンが指の壊疽と、極寒と飢えに耐える長い潜伏の画を見せられることになる。
 
しかし、ヤンの悪運の強さと生への執念には鬼気迫るものがある。狭い小屋や雪山で何日も悪夢にうなされ、壊死した指を切り落とし、吹雪に阻まれ、洞窟で長い時間チャンスを待つ。観る方にとっても我慢の展開。しかし、退屈、長いなどとは言っていけない。ヤンの狂気をここで感じておいて頂きたい(私は、一体どんな立場からこんな言い方を?)。
 
注目すべきはヤンを匿う人々の連携だ。虫の息で逃げ込む先で、老若男女問わず皆が彼を助ける。それぞれが持つコネクションと土地勘を駆使し、役割を終えた者は次の協力者へとバトンを繋ぐ。途中から、ヤンは傷と憔悴のために自分では動けなくなるので、協力者たちは彼をソリに乗せて急斜面を行き、肩に担いで海の中を歩き、ヤンというバトンを文字通り運んでいくのである。
 
本作での本当の「レジスタンス」はノルウェーの国民に他ならない。ヤンはノルウェー国民の意地、その象徴だ。ナチスに一矢報いる手段も武器も失ったヤンを助ける意味はないのだが、十二人の勇者の生き残りをスウェーデンに逃すこと、ノルウェーの人々にとっては、それがナチスとの戦いなのだ。
 
厳しい捜索網と悪天候を如何に掻い潜るか。機会を待つ間に、衰弱していくヤンの生命はいつまで保つのか。じりじりする展開、また引継ぎがうまくいかず、数日間雪山に放置されるアクシデントなどが、十分にサンスペンスフルで面白い。
 
 
◇ジョナサン・リース=マイヤーズ
ヤンを追うナチス親衛隊少佐クルト・シュターゲを演じたのはジョナサン・リース=マイヤーズ。なんか、久々に聞いた!?私だけ!?
 
アル中、治ったの!?
 
トフテ・フィヨルドで、ヤンを取り逃がしたのは同じくSS将校のヴェンダースだった。彼は部下の言をそのまま入れて「この寒さで海を泳いで渡れるはずがない」と、全員死亡を国家保安本部に報告するよう主張する。
 
ヴェンダースはふくよかで色白な顔がいかにも良家のボンボン風、対してジョナサン演じるシュターゲは剃刀のような風貌の男だ。これまで反乱分子を全て捕らえてきたことを誇りとし、野心が彼の原動力である。また、もし失態を犯せば、いつこの地位から転落するかもしれない危機感を持ち、「全員死亡ってことでいいんじゃない?」「拷問しても話さないのは話すことがないからじゃないの?」など呑気なヴェンダースとの対比が、よりギラついた野心家の顔を際立たせる。
 
また、拷問の末に十人が処刑される横で、二人がそちらをほとんど見向きもせず、本部への報告をどう上げるかを議論するシーンでは、彼らの傲慢さ冷酷さが表現されている。
 
それにしてもジョナサンは怜悧な頬と猛禽類のような目が滅法カッコよく、これぞSS将校の理想像を体現してくれた。ドイツ語を喋っているところも素晴らしい。トム様は『ワルキューレ』(2008年)でのシュタウフェンベルク大佐を、英語で押し通されたからね!
 
ナチスは極悪だが、軍服を着た将校はカッコいい。これは純然たる事実で、なんら矛盾するところはない。そりゃそうだろう、見てくれで選別された男があんなデザインのいい服着てるんだから。現実と映画は別。
 

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◇愛が一方的
しかし、このシュターゲ少佐、雰囲気猛禽類と呼ぶべきか、ヤンを逃して悔しがり、よくヴェンダースに野心を語りはするものの、切れ者たるエピソードがあまりない(民家の捜索ではヤンをほぼ手中にしながら直前で引き返すなど運も悪い)。ヤンの生存を証明するために、自ら氷点下の海に入り、途中で「チクショー、もうだめ」と上がるなど少々間抜けなのね。がんばれよ、そこは
 
従って、粘着っぽい雰囲気を醸し出しながら粘着度が足りないというか。それに、彼がヤンを意識するほど、実はヤンは彼に拘っていない。ヤンの主たる敵は己自身と指の傷。シュターゲのことは新聞で見ただけで、割と眼中にないのである。愛が一方通行。
 
唯一の二人の接触が、漁師から「捜索は沿岸に集中している」とアドバイスされたヤンが、敢えてナチスだらけのリュンスアイデドを突っ切るところ。シュターゲの勘が働き、すれ違った男が自分の追う相手であると気づく。そして雪山を逃げるヤンは、戦闘機で追撃されるのだが、絵的にはシュターゲ自ら戦闘機のパイロットを務めるくらいの執着があって然るべきではないか。いや、現実的に考えれば、少佐自らそんなことをするはずがないのだが。
 
でも、『エロイカ』では、人質として捕まった少佐がシベリアのウスペンスキー基地でソ連のミグ25をブン取って、ソ連のヘリ部隊に機関砲撃ちまくるのがめっちゃ面白かったのー。その報告の電話を受けた少佐の上司が「彼がなにかやらかしましたか?ほう、シベリアからミグ25を。。ふむふむ。なにせ任務に燃えた男ですからなあ」と電話を切ったあと、「わしが部長止まりなのはあいつのせいなのだ…」って頭抱えるのが最高に好き!だから、シュターゲも戦闘機くらい操縦せいや。21巻どこいったのかなー。
 
そんなわけで、粘着度にやや不満はあれど、ジョナサン・リース=マイヤーズは良い仕事をしました。
 
 
◇国境越えは必見
ヤンがスウェーデンへ一歩でも足を踏み入れれば、リレーバトンを繋いだ国民の勝利、シュターゲには屈辱的な敗北となる。さて、人々はヤンをスウェーデンに逃がすことができるのか?できないのか!?
 

結論から言うと(いうのかい)。
 
 
ヤンはラストでスウェーデン入国に成功する(冒頭、そのシーンから始まるのでこれはネタバレではない)。
そこまでの長く狂気に満ちた時間の描写は辛いが、国境を越える思いがけない方法と解放感を、未見の人にぜひ味わってほしい。これはネタバレしちゃいけない、楽しいから。
ノルウェー脱出の瞬間は、ヤンの眦が裂けそうな恐ろしい顔に胸が高鳴る。
 
 

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シュターゲは、ヤンの最大の協力者グドゥルンとマリウスを責め立てている最中に国境越えの事実を知って憤怒の表情を浮かべ、それに見た二人は殴られた傷だらけの顔で微笑む、このシーンが間違いなく本作の真骨頂。この逃亡劇で、勝利者は彼らである。
 
引用:@1996-2019, Amazon.com, Inc. or its affiliates