Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『殺されたミンジュ』

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監督:キム・ギドク キャスト:マ・ドンソク、キム・ヨンミン/2014年

毎日寒いですね。朝、電車に乗るまで手袋をしていますが、黒っぽい皮の手袋なんです。インディ・ジョーンズ 最後の聖戦でマイケル・バーン演じるナチのヴォーゲル大佐が嵌めていた手袋を思い出します。

ヴォーゲルがパパジョーンズことショーン・コネリーのほっぺたを、外した手袋で叩きながら「手帳には(パシッ)、なにが(パシッ)、書いてあるんだ(パシッ)」とヤな感じに尋問するシーンがあって、パパジョーンズが何度目かで手首をつかみ、「お前らみたいな低能は、本を焼かずに読めと書いてあるんだよ」っていうんだけど、ここが好きで。

こういう手袋持ってたら再現したくなります。それでたまに夫の顔を手袋で叩いて「さあ、ほら、パパジョーンズのセリフ!」というんですが、ちょ、いてッ、知らねえし。あほか!」と言われるだけでつまらない。

しかし本日は、インディではなく『殺されたミンジュ』です。初、韓国映画

 

◇あらすじ

ある晩、ソウル市内の市場で女子高生ミンジュが屈強な男たちに殺害された。しかし事件は誰にも知られないまま闇に葬り去られてしまう。それから1年後、事件に関わった7人の容疑者のうちの1人が、謎の武装集団に拉致される。(映画.com)

キム・ギドク監督作品で最近続いている、社会問題へ警鐘を鳴らすタイプの、しかも観念的な映画。

女子高生殺害の実行犯達は上層部の「命令」に従っただけで、少女が殺されねばならなかった理由を誰一人知らず、観客に対しても彼らが属する組織や立場は説明されない。ただ、労働者階級に対して上流階級に属し、搾取を行う側の人間達であることだけが示唆される。

ある時から、少女の殺害実行犯が一人ずつ、謎の集団に拉致され拷問を受ける。当初この集団は、正義に基づき悪に制裁を加える組織のように見えるのだが、実は搾取される者の寄せ集めであることが描かれていく。ミンジュの近親者であるらしいリーダーのみ使命感を持ち、それ以外のメンバーは金を受け取って拷問に参加し、憂さを晴らしているだけだ。

そのため、私刑組織がミンジュ殺害の実行犯を傷めつける流れは「ゲーム」感覚が強い。都度、服装や場所のシチュエーションが異なり、拷問もターゲットごとに手を変え品を変える。面白いのは「楽屋」があることで、彼らは一仕事を終えると、衣装や偽の武器、ライトのついた鏡が揃う楽屋へと引き上げて着替え、何を食おうかとか次は誰だなどを暢気に話し合う。その後、リーダーが車で一人ずつ自宅へ送り届ける様子は、さながら小劇団が今日の演目を終えて解散するかのよう、誰一人これを使命などとは思っていない。

本作のポスターや最初の拉致シーンでは、軍のヘルメットのシルエットが不気味でカッコよく、苛烈な報復の展開になることを予感させるのだが、金や憂さ晴らしのためにゲームに参加している面々の様子と「楽屋」のシーンを経て、この映画が復讐劇ではないことがわかってくる。

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 (C)2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

 

リーダーを演じたのはマ・ドンソク兄貴!好きです新感染 ファイナル・エクスプレスで単細胞だが心優しい筋肉マンを演じて以来、私の中では兄貴なのだが、えっと、ちょっと待って下さい、年下だったらどうしよう・・・ごそごそ。

大分 年上でした!  

 
◇茶番劇

社会的な地位の低い私刑集団のメンバーは、実は進んで搾取される道を選んでいる。
客から蔑まれる日々に抑圧されているカフェバーの店員、知り合いに金をだまし取られ廃墟に住みつく男、借金のある男、アメリカに留学したものの職がなく兄夫婦宅で厄介者となっている青年。象徴的なのが、紅一点のアン・ジヘが情夫に暴力を受けながら、金とセックスに流されてしまうシーンだ。彼女は「よいときもある」と現実から逃げ、不毛な関係を清算しようとしないし、ドンソク兄貴の過熱する暴力を非難しながらも、抜けることはしない。 

上記の加害者、つまり情夫や借金取りや兄すべてを、同じキム・ヨンミンが演じた。ミンジュ殺害犯側で拷問される「一番目の男」も演じているので、ここでいう加害者としては一人七役といったところか。メンバー各々の苦境が描かれるが、その度にキム・ヨンミンが服装や髪形を変えては加害者に扮し、ついには、顔に大きなホクロをつけて登場。

ホクロといえば芝居の小道具、しかも一人七役。それこそ寸劇を見ている感覚に陥り、「搾取される側」の人々にとって、芝居はゲームから現実に戻っても続いていると皮肉るかのようだ。搾取する側は顔のない権力のために動いているが、される側はされる側で、己の不遇を他者のせいにして茶番を演じている。

話は脱線するが、以前、束縛体質のどうしようもない彼氏と同棲している知り合いがいたんだ。折に付け愚痴られるんで「あんた次第でどうにもなるんやで?」と言ったら、「正論だけど冷たい」と言う。私は「わかってるんだけどどうしようもないの」みたいな弱い人に冷たいらしい。

後日彼女は、別の男を見つけるやいなや、その男に手伝わせて彼氏不在の間に自分の荷物を全て撤収、夜逃げ作戦を敢行。しかも近所に不審に思われないよう、新彼を引越し屋に化けさせたという。強いじゃん。

一方、ドンソク兄貴は弱者に優しい。借金取りに追われる男が「俺が無能なんだ」というのに対し、兄貴は「いや、世の中のシステムが悪い」と返す。彼はこの時点では本気でそう信じている。

しかし、怒りのあまり拷問をエスカレートさせる兄貴と、躊躇し始めるメンバー達の間には徐々に亀裂が生じる。ついに殺人事件の首謀者を手中にしたときに、亀裂は決定的なものになる。兄貴は弱者のためを思って動いてきたが、強者と弱者は互いを必要とし作用しあっているのだと気付く。

 

◇システムへの警鐘

結局のところ、ミンジュの素性も、彼女とドンソク兄貴の関係も一切明かされない。それらは象徴的な事柄でしかないからだ。重要なのは、ミンジュを殺した犯人たち自身が殺した理由を知らないことの馬鹿馬鹿しさ、私刑集団の面々の意志のなさ。また、互いに組織に属しながら、「顔」=「意志」を持つのはドンソク兄貴と敵としてのキム・ヨンミンだけという事実だ。キム・ヨンミンの「一番目の男」は、最終的にシステムに組み込まれていた自分を嫌悪し、命令を下した組織上層部の人間を殺して内側からシステムを喰い破る役も担っている。

この映画は韓国で民主主義が死んでいることに対する警鐘だ、と監督自身が語っている。世界でも有数の自殺大国であることに言及し、社会的な格差や貧富に関係なく、精神的に抑圧された人々が多いことが現代韓国の問題だという。
作った本人がそう言ってるので間違いないんだろうが、個人的には、システムの中で「与えられる立場」に甘んじていた人々の描写から、民主主義を殺すのは意志なきものだという皮肉を感じ、それが印象的だった。

ちなみに撮影も監督が行っており、どうやら未熟な部分が目立つらしいが、私にはわかりませんでした。

韓国の映画には、自社会に内省を求めるものが多く、ギドク監督『嘆きのピエタは金貸しを通しての貧困問題がテーマだった(らしい)。私はこの映画に関しては、主人公が超ツボで萌え通しだったのと、爆笑ラストのせいで、貧困問題はそっちのけになってしまったけれど。

資本主義への批判では、ポン・ジュノ『オクジャ』が捻りがある上にスマートだったなあと思う。資本主義など知らない少女が、システムに逆らうのではなく、システムの中で資本主義的解決を見せたのがすごいなと。

逆らうことにかけては専門職の国において、そんな映画を作ることがポンちゃんのすごさだというのか。

強引にまとめますが、韓国って国はすぐ権利盗んだり、すぐ飛び蹴りしやがったり捏造したりサルの真似したり(主にサッカーにて)、かと思うと猛烈に内省してみせたり、ワケの分からん国だが、そのせいなのか映画はめっちゃ面白いなと思うわけです。

ギドク監督には、『魚と寝る女』みたいに、ぬるっとした作品もまた撮って欲しい。

『駆込み女と駆出し男』

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監督&脚本:原田眞人 キャスト:大泉洋戸田恵梨香満島ひかり/2015年

以前通っていた着付け教室のメンバーと仲良くしていますが、着物なんか着ようとする人ってやっぱり酔狂で変わってますよね。ケイちゃんという人がいます。酸いも甘いも噛み分けた感じのオモロい人で、動じないキレない、基本酔っ払いだけどとにかく人に優しい。詳しいことは知らんのですが、本業を持ちつつセミプロの歌手らしく、度々どっかでライブをやっているらしい。

先日「2/9に私の生誕祭をやるから来て」と言われて、どこかの店でわいわいやる感じらしいので「ちょっと顔出そうかな」ってことだったんです、はじめは。しかし、日が近づくにつれ、「ちょっと歌うことになった」「何かドリームバンドが集まった」となり、ついに「完全ライブになりました、遅刻厳禁!」と告知がありました。

先程「席あるんだっけ?」とうっかり訊いたら、「だーかーらー、椅子なんかないよ。三十人くらいの三時間立ちっぱなしライブだって言ってるでしょ!」と怒られました。

どんな、誕生会なのでしょうか・・・コワイ。

そんなわけで、明日は立ちっぱなしの私がお送りする、日本史のおべんきょうができるかもしれない映画感想となります。しかし、この映画のポスターと題名ね。コメディかと思うよね。コメディじゃないんですよ。

 

◇あらすじ

舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。(映画.com)

時は1841年、天保十二年。
天保と聞けば日本史好きな人ならば、天保の改革、老中水野、倹約令などが頭に浮かぶだろう。さらに倹約令により弾圧された当時の風俗や文化、具体的な著名人の名前が思い浮かべばなお良し、逆に時代の見当がつかない観客は、始まりから戸惑うこともあるかもしれない。

何らかの罪により、市中を引き回される女たち。「おんなぎだゆう」の単語が聞き取れるが、漢字が思い浮かばないと彼女達が縛されている理由を察するのは難しい。
続けて、堤真一演じる堀切屋が、男たちを贅沢にもてなす座敷の場面。ある男に「しゅんすいさん」と呼びかける通り、座敷の一人は春色梅児誉美を代表作とした戯作者の為永春水だ。江戸後期を代表する文化人で、人情本と呼ばれる主に男女の色恋話を描き人気を博したが、内容が淫らであるとの理由でお咎めを受け、そのときの刑が原因で死んだ。

また「ほうかん」という言葉も出るが、これは「幇間」で所謂たいこもち、酒席などで芸者・舞妓を助けて場を盛り上げ、客の機嫌取りをする役割の男たちのこと。堀切屋らを監視する男は鳥居耀蔵で、老中水野忠邦の右腕として苛烈な質素倹約を庶民に強いた。

これだけの情報が、最初10分に詰まっているから堪らない。簡単に言うと、上から贅沢禁止令が出て、ちょっとエロい本や芝居、落語などの娯楽、絹の着物など華美な装いが禁止された。大泉洋演じる信次郎の「楽しいことは全部悪いことかよ!」の叫びが、庶民の叫びと思えばいい。

それにしても、堤真一の滑舌には問題があるよね・・・。クライマーズ・ハイでも、新聞社内の激論は聞き取りづらかった。しかしあの映画で、墜落原因について探る堺雅人が「隔壁ですね?」とカマかけるシーンはすごくカッコよかった。

あ、脱線した。

為永春水だけでなく、人々の雑談の中には、浮世絵師であり戯作者であった山東京伝の名も挙がる。雑談の場である特徴的な形の大衆浴場は、式亭三馬浮世風呂への目配せだろう。そういう情報をキャッチするたび、日本史好きとしてはアガる。

特に『八犬伝』の作者曲亭馬琴は、劇中で当時の文化人代表と位置付けられ、信次郎にも色々な意味で特別な存在となる。『八犬伝』は、犬の生まれ変わり的八人の青年が、腐敗したご政道を正すために戦う長編の読み本で、八人のキャラにイケメン、力持ち、女装青年、ショタなど各種メンズを揃えた萌え本。最後は失明した馬琴が、息子の嫁に口述筆記させ、二十八年をかけて完成させたライフワークだった。ちなみにわたしも八犬伝が大好きで。。。あ、また脱線するぅ。

とにかく、庶民の愛する風俗や表現がお上により弾圧された時代だった。進退窮まった女たちを描く舞台に、この時代を選んだことは良いアイディアではないでしょうか。監督は、江戸庶民の生活を撮り続けた溝口健二に影響を受けていると語っており、当時の町人言葉や人々が口ずさんでいた歌を取り入れることに拘った。特に言葉への拘りは、御用宿の利平が「素晴らしい」を「すぼらし」(みすぼらしい)と勘違いした際、信次郎がそれを正して「素敵」という言葉を教える場面などに顕著だし、早口の長台詞や川柳などもバンバンと放り込まれる。

 

◇言葉強い

「言葉にこだわった映画」とはおかしな言い方で、映画は言うまでもなく映像で表現を為すメディアだ。小説こそが、この物語の本当の舞台だろう。言葉での情報が過多であるとの指摘、「早口で何言っているかわからん」との不満もあるだろうが、監督の、そういった批判は織り込み済みの挑戦である点を強調しておく。会話の詳細が分からずとも、当時の庶民の息遣いを感じてほしいとのメッセージを大事にしたい。

また、「聞いたことない言葉が多い」の不満は、単なる知識の問題で、低評価の理由として堂々と挙げるものではないと思う。時代劇好きな私としては、当時の人名や言葉を、よくぞ大衆に阿らずにぶちこんでくれたと感心した。

なお、ストーリーは、信次郎が戯作修行のために事情を抱えた女達を「人見」し、それぞれの人生に立ち会うものだし、テンポのよい場面も多く、物語として十二分に楽しめるようにできている。

御用宿で繰り広げられる信次郎と女衒の三八親分の口喧嘩は大きな見せ場の一つ。信次郎が、東慶寺とはどんな寺かを口八丁で親分に説き、追い返そうとする。曰く「東慶寺は権現様(徳川家康)お声がかりの寺ですよ」。

東慶寺千姫所縁の寺であり、千姫の養女天秀尼が住持となった際に、家康から寺法に対するお墨つきを得たという伝承に触れた台詞だ。また信次郎は、会津藩堀主水一族のエピソードを持ち出すが、これは簡単に言えば、会津のお殿様が、部下の主水に諌められたのに激怒して主水らを誅殺。妻子らは東慶寺に逃げ込み、殿様は東慶寺側に女達を差し出せと迫ったが、天秀尼は断固として応じず逆に殿様を失脚させた話を指している。なんかこういう漫画あったでしょ、柳生十兵衛が堀の女たちを鍛えて殿様に復讐する・・・ってちょっとエロい時代劇漫画。

ここでの、大泉洋さんも苦労したであろう長口上の台詞は、東慶寺がおいそれとは踏み込めない場所であることを、観客および三八親分に知らしめるわけである。

堂々と「かいえき」などと言わせるあたり(改易)、観客に対する配慮は相変わらず見えず、そこが気持ち良くて、もっとやれーと煽りたくなるが、「言ってることはよくわからんかったけど、とにかく信次郎が口だけでヤクザ者を追い払ったのね」との目線でも十分楽しむことができる。ひとえに大泉洋と三八親分のキャラクターとパフォーマンスのおかげである。

だからアレコレ言ったけど、別に日本史知らなくても楽しめるの、わかった?

 

一方で、映像の美しさを楽しむのもよいと思う。東慶寺の厳かさ、四季の移り変わり、駆け込んだものの何の未来も約束されない女たちの物悲しさ、それを視覚で伝える黒の衣。一転して初夏の爽やかな浴衣、衣替えに華やぐ女たちのひそやかな笑いが少しずつ傷の癒えるさまを鮮やかに映している。

さらに女達のエピソードに合うよう、映像的な工夫が為されているのも良いのである。
寺中において妊娠疑惑の生じたおゆきの「大審問」では、庭を挟んで見守る女達をパノラマのように広く映した画が芝居の舞台を思わせ、「大審問」の名に相応しい。また、足抜けした花魁のおせんが姉と再会するシーンは、抱き合う姉妹の体温が感じられるように雪の舞台とし、家族に降りかかる雪を美しく映す。死を間近にした満島ひかりがお山を下りるシーンでは、女達の夏の涼しげな着物が、まるで弔い装束のように目を打つ。


◇キャスト強い

これだけ揃えればそりゃあね、とオマケはついてしまうが、やはり役者が強烈だった。狂言回しの信次郎は、大泉洋は演技する必要がなかったのではと考えたくなるほど、そのまんま大泉洋だった。満島ひかり演じたお吟の婀娜っぽさは説明不要。また、お吟が今生の別れに、戸田恵梨香演じる”じょご”に贈る「べったべった、だんだん」は、渾身の「べったべった、だんだん」だった・・・。意味不明だろうから、観て下さい。東慶寺に駆け込んだ理由が一番ドラマティックだし、愛しい堀切屋に見送られながら事切れるのも良いのである。

また、戸田恵梨香が良かったと思う。つまらないドラマや映画で人形みたいな役しか見たことがなくて特徴のない顔の印象だったが、今回のじょごはなんとも愛らしい。満島ひかりの強烈な存在感を影として陽の部分を担い、過去を脱ぎ捨てて未来に向かう女性を凛々しく演じていた。

そのまんま大泉洋、怪物樹木希林キムラ緑子、神野三鈴など癖ある個性派ばかりの中で、法秀尼を演じた陽月華さんがおもしろかった。周囲が強いので、芝居はたどたどしく映るのだが、人を疑うことを知らないお嬢様である法秀尼に、そのたどたどしさが無垢さとしてハマる。他の尼を黙らせるときの「もうよい!」のアクションや「法秀が良いと申しました」の高慢な物言いが大変可愛らしい。

日本映画にも、こんないい作品がある。粋、人情、美は、まだ日本映画の得意分野のはずなのだ。頑張ってほしいものです。

 

あと、オープニングが大変よろしいです。信次郎を追う役人の呼子の音に、朗々とした独唱が重なる。これは、やはり『浮世風呂』に出てくる海老屋甚句という歌らしく、当時の舟乗りたちはみな舟を漕ぎながら口ずさんだそうだ。歌詞のように、荷を積んだ子舟が堀切屋の裏手につくところから物語は始まる。その流れが「素敵」だった。

『ディスコード』

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監督:ニコラス・マッカーシー キャスト:ケイティ・ロッツ、ヘイリー・ハドソン/2012年

こんにちは。先日華麗にゲレンデデビューを飾ったやなぎやです。当日初心者向けのスキースクールに友達と入って、「コーチ、イケメンかな?」「ゲレンデが溶けるほど恋しちゃったらどーする、うふ」なんつってたら、コーチが全員オヤジで涙が出るほど悔しかった。 

そのとき友達に勧められたどろろの新アニメから、「女王蜂」というバンドに嵌りました。一通り聴くうち、ちょっと涙が出てしまいました。私は訳もわからず涙が流れるタイプではなくて、音楽を聴いて泣いたのは中島みゆき以来です。

強烈なビジュアルインパクト、ルールも方向もないメッチャクチャな音楽性、パフォーマンスもMVなどのアートディレクションも秀逸。どちらかの性に属するなどナンセンスと言わんばかりに使い分けられるものすごい高音と低音のコントラストが衝撃。

夫も一緒にハマってしまい、やたらインタビュー記事を漁っていますが、40過ぎのサラリーマンが「アヴちゃん」ヴォーカルの方)と普通に呼んでるのがちょっとおかしい。記事を読んだ夫が「表現が生きる意味になっていてその中で苦悶葛藤して成長して、って羨ましいな」と言っていて、表現で身を立てることを夢みて叶わなかった人の感想だなあって切なくなりました。大丈夫大丈夫、こういったいわゆる一般受けしない要素で構成されたものを、他人が作った価値観でフィルターに掛けずキャッチできるその感覚が、あなたはそこらのリーマンと違うから、と心の中で言ってあげました。二浪して美大行った意味あったよと。

奇しくもGさんが、娘さんの進路の岐路に立ち、芸術を学んだ人間が表現で身を立てることの難しさを、夜も眠れず考えているようなので、くしくもですなあ。ん、Gさん、夜はガアガア寝てそうだなあ。

というわけで、低予算ホラー代表『ディスコード』の感想です。ネタバレだよ。

 

◇あらすじ

ニコールとアニー姉妹の母親が亡くなる。姉妹は幼い頃、母に度を越した躾を受けており、それが原因で成長して以降は生家に寄りついていなかった。葬儀の準備のため実家に帰った姉ニコールが忽然と姿を消してしまう。仕方なく実家に戻ったアニーだったが、今度は共に家に泊まっていた従妹が消える。

ホラーが大好きだが、ちょっとやそっとでは怖いと思わなくなってしまった。ホラーに慣れた人が、映画を観て怖いと感じるには多分「ツボ」が必要で。私の場合「家」「土地」にまつわる系が怖い。人の居つかない土地。なぜか頻繁に建て替えられる家、増築されすぎて見取り図が存在しない家。あるはずのない場所に部屋があり、その家で人が消える・・・とかね。

この映画も、主人公の生家で人が連続して消えるところから始まる。冒頭、失踪前の姉ニコールが娘とチャットしながら家の中を歩き回るシーンがあり、それで一通り家の間取りが分かるのだが、全体的に画面が暗く、位置関係を把握するのにちょっと苦労した。古ぼけた壁が意味ありげに映され、壁で隠されているもの、壁の向こうから観察している何かを意識させ、観ている側の不安感と恐怖心を掻きたてる。実際に、壁紙を破るとそこに塗り込められた隠し部屋が現れるシーンでは、映像の表現が上手いこともあってゾクゾクとする。

大きなバイクを乗り回す主人公のアニーは、見た目通り愛想も口数も少ない。母親の仕打ちにトラウマがあり、現在も人生があまりうまくいっていない。アニーは、姉の娘の面倒を見ながら失踪した二人を探すが、家の中で次々と恐ろしい現象に見舞われることになる。責任感が強いアニーに好感を抱き俄然応援する気持ちになるが、霊現象に音を上げたアニーが助けを求める相手、霊能力少女スティーヴィーがまた振るっている。

恐らくこの世のものでないものを見続けたために視力がなく、そのビジュアルも不気味なら言動も浮世離れしている。スティーヴィーがアニー宅を訪れ、突然見えない力に引き摺られて、JudasJudas!」と狂ったように叫ぶシーンが実に怖い。

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 (映画配給会社クロックワークス on Twitter)

 

なお、同じものを観て怖がらないどころか「ルンバ」と笑う人もおりますので、気になる人は「シネマ一刀両断」 へどうぞ。

以下は本格的なネタバレです。

個人的に一番の恐怖ポイントは、隠し部屋でアニーが霊との交信を試みた際、即席のウィジャボードが描く「B E L O W」の文字である。「下」と霊が示した瞬間、ベッドが突然動き、床板が外れてぬるりと人影が現れる。

そう、この家の地下にはずっと昔から、殺人鬼「ジューダス」が匿われていた。

アニーを悩ませた霊は、それを伝えようとしていたのだ。ジューダスは隠し部屋から這い出て行き、家の中で自由に振舞う。それを壁のあちこちに開けられた穴から、息を殺して覗くアニー。ある穴から見たときは冷蔵庫を漁っていたジューダスは、いつの間にか移動して消え、慌てて別の穴から見ると今度は寝室のベッドに腰掛け頭を抱えてユラユラしている。再び見るとベッドから消えている。

このアニー視点からの、ジューダス瞬間移動がとても怖い。

隠し部屋を覆う壁は、ジューダスにとって身を潜め家族を観察するためのシェルターだったが、現在のアニーにとっては危険な相手の位置特定を阻む遮蔽物なのだ。そして薄い壁一枚を隔てて、アニーとジューダスが至近距離で対峙する。

うわあああ!!KOEEEEE!

再度申し上げますが、同じ映画を観て全く怖がらず「冬にアイス食べて寒くないのん?」などと言っている人もいますので、気になる人は「シネマ一刀両断」 へどうぞ。

さて、あちこちのレビューで指摘されている通り、ストーリー上の説明が不足しているのだが、個人的には、示された手がかりから十分想像で補えるレベルだと思っている。

 

◇なぜママは姉妹に度を超す躾をしていたのか?

姉妹は何かにつけ仕置き部屋に閉じ込められていたが、これはもちろんママの兄で殺人鬼「ジューダス」が隠し部屋から出たとき、子供たちに接触させないためだろう。姉妹がドアを開けないよう、躾と称して縛ったりしたのかもしれない。結果、姉妹にとっては、母親は病的に厳しい人物と印象付けられてしまった。また、これも各所で触れられている通り、地下に他人が潜み時に上階に上がってくるのに姉妹が気付かないのは不自然との指摘は真っ当だが、まあ、姉妹の記憶に刻まれた「ママの折檻」を度々強調しているのは、その点の辻褄を合せるための苦肉の策だったのだろうと思う。

 

オッドアイの意味は?

ラストで、アニーの目がアップで映されるが、ジューダスと同じオッドアイであることから、二人が親子であることは明白。最後の被害者ジェニファー・グリックはママと同時期に妊娠しており、それを示す写真が意図的に隠されていたこと、写真のジェニファーが下げていた十字架のネックレスを現在はアニーが着けている事実が、アニーがジェニファーとジューダスの子供であることを示唆している。というより、それ以外に解釈のしようがない。オッドアイをキーに、アニーはママと兄ジューダスとの近親相姦の結果の子供であると解釈するレビューを見かけたが、そんなことを示す材料はない。

ジューダスは自分の子を産んだジェニファーすら毒牙にかけ、ママがアニーを自分の子供として育てたと解釈するのが妥当だろう。ただ、この辺りは確かに不透明すぎる。何らかの形で、ジューダスとママとジェニファーとの関係性ママがなぜ、彼らの子供を引き取り、子供達に犠牲を強いてまで殺人鬼の兄を匿ったのかの理由が説明されれば良かったのではないかと思う。

 

霊現象がメインと思っていたら、実際の敵は生きてる人間だった!と斬新な展開が楽しかった。霊現象×ミステリーという、一粒で二度おいしい映画。おススメです。

『誘拐の掟』

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監督:スコット・フランク キャスト:リーアム・ニーソン、ダン・スティーブンス、ボイド・ホルブルック/2014年

 

わたし明日、軽井沢にスキーに行きます。オサレな響きですが、ほぼほぼ初スキーで、リエコ家族の車で私だけ連れていってもらうんです。どんな服装したらいいのか、ゲレンデに出るとき財布はどうするのん?とかイチから分からないから、手取り足取りしてもらいます。靴下までリエコに借ります。

今日になって、会社の素敵な主婦パートさんらに訊いたら、「早く言えば色々貸したのに」「なんで前日になっていうの」と昔親に散々言われたようなことを言われました。

そんなわけで、全然関係のない映画の話に移ります。

リーアム・ニーソンといえば、ド名作シンドラーのリストマイケル・コリンズなどのイメージが強く、ザ・社会派の位置付けと認識していました。しかし目を離した隙に、すっかりアクション映画御用達俳優となっていたからびっくり。しかも誘拐に巻き込まれることが多い。なお、私は『96時間』は終始無表情で鑑賞した派です。本作も『誘拐の掟』とのことで、あなたどこまで誘拐撲滅を続けるのッ、とダラダラ寝っ転がりながら鑑賞したところ、思った以上に面白くてすみませんでした。以下ネタバレです。

 

◇あらすじ

ある事件が原因で刑事を引退したマット・スカダーは、アルコール依存症を克服しつつ私立探偵として生計を立てていた。ある日、集団カウンセリングのメンバーであるヤク中の青年ピーターから、弟ケニーを助けてやってほしいと相談を受ける。

過去に傷を持つ人間は、物静かで且つ他人に寛容であるという見本のようなスカダー。リーアム・ニーソンの渋い外見がキャラクターとよく合う。リーアム・ニーソンと言えば、父親にしたい俳優十位には絶対に入る俳優だよね。ちょっと私の年齢で「父親にしたい」に挙げるのは失礼かもですが、まあ一般論ってことで。

スカダーは、ピーターの依頼を一度は断るものの、断り切れずにケニーの家を訪れる。頼まれて足を運んだというのに、ケニーは根掘り葉掘りスカダーの素性を探るばかり。だがスカダーが「じゃ、帰るわ」と立ち去りかけると、「妻が誘拐されて身代金を払ったのに殺された」と激白する。年齢にそぐわぬ豪邸から、彼がドラッグビジネスに関わっていることを悟ったスカダーは破格の謝礼を断ってケニー宅を辞す。だが後日アパートに帰宅すると、部屋の前にケニーが座り込んでいて、妻がどのように無残な殺され方をしたかを打ち明ける。

うん、最初に全部言って欲しかった。そんなひどいことされたなんて知らなかったん。それにしても、初対面の態度はツンツンしていた癖に、俯いて部屋の前で待ち伏せるとか。スカダーも絆されて依頼を引き受けるとか。

お互いツンデレ元荒くれ刑事とヤクのディーラーのツンデレ

しかもこの二人、終盤には割と良きコンビとして行動するんだ。
スカダーは、正義感と常に抱く贖罪の気持ちから、依頼を受けて捜査を行うが、そんな中ある十四歳の少女が、同じ犯人に誘拐される。

 

◇良い点。

シリアルキラーが二人組なのがもの珍しく、二人はなぜか的確にドラッグ犯罪に関わる人間を把握していて、その近親者を誘拐のターゲットとしている。警察を頼れない被害者側は金を支払わざるを得ない、とこのシチュエーションが面白い。犯人たちが何故ターゲットの情報を知っているのか、これはスカダーが他の被害者を調べる中で判明していく。長々したアクションやカーチェイスがなく、苦い過去を持つ元刑事が寡黙に調査を進める様や、全体に漂う物悲しい空気感に好感が持てる。

事件に関与した墓場の管理人が、犯人たちの手がかりを言い残して屋上から飛び降りてしまうシーン。「餌をやっていいか?」と鳩に最後の食事を与えてから、そのまま歩くように宙に踏み出すのだが、男の唐突で淡々とした人生の終わらせ方が、事件の不気味さを予感させる。

また、女性が凌辱される一部始終を映さず、光る禍々しい凶器や被害者の見開かれた目など一部分を強調することで、被害者の恐怖と犯人の卑劣さを効果的に伝える。序盤、ケニーが妻を発見する場面では、車のトランクを開くと、小分けされたビニールの包みがぎっしり詰められている。彼が扱う麻薬よろしく遺体を演出してみせた犯人の悪趣味に、背筋がぞわりとなる画だ。犯人役のキャラクターがしっかり立っている点も大きく、特に主犯のレイは全身から厭らしさが漂っていて良い。

リーアム以外の役者たちも印象的だ。誘拐されるルシアは、美貌ながらあどけなさも湛えた少女。犯人たちが彼女に心奪われる瞬間の表情はスローモーションで映され、まさに監督自身がこの美しい少女に目をつけた時の心情を見せられる気分だ。赤いフードコートは赤ずきんちゃんを連想させ、「オオカミはお前だー」と監督に突っ込みたい。このルシアちゃんことダニエル・ローズ・ラッセルは、ワンダー 君は太陽で最近見たが、よい感じに美しく成長しておりました。

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また、ケニーのダメ兄ピーター氏に注目したい。『ナルコス』ではDEA捜査官マーフィであったボイド・ホルブルックが演じるが、この人、何か素でヤク中っぽいでしょう。犯人たちと対峙する際、狙撃の腕を期待されライフルを託されたにも関わらず役に立たないのには笑ったが、すぐにそのツケを払うことになる。笑ってごめんネ。息を引き取るとき、「I loved...」と言いかけるピーターに、ケニーが「俺もだ」と返すのが切ない。ピーターはおそらく「キャリー」(ケニーの殺された妻)と続けたく、死ぬ前に自分の裏切りを弟に詫びたかったのだが叶わなかった。

乾いた空気に潤いをもたらすのが、テクノロジーを駆使しスカダーの捜査を助けるホームレスの少年TJ(しかし実際はほぼテクロノジーは駆使しない)。育ちが悪く口も悪い。ダイナーで「ソーダでもどう、ハニー?」と優しく訊くウェイトレスに、「俺を無精子症にする気か?いらねえよ、ネェちゃん」と返す態度がお気に入りです。TJの、「雨の音が好きでそんな日は図書館に来る」という台詞の通り、スカダーが彼に出会う図書館でまず意識に入ってくるのは、窓を叩く雨の静かな音、密やかな人々の話声などだ。ハードボイルドの空気の中に、フッと肩の力を抜く柔らかな音や画が差し込まれたり、癒しの象徴が口の悪いTJであるのも何とも良い。

 

◇良くない点。

ただ、欠点も多い。おそらく原作では説明されていることをカットしているので想像で補填するしかない箇所が多く、さらに補填しきれないのが苦しいところ。
犯人たちの正体については、「ヤク中、売人に異様に執着がある」以外は判明せずに終わる。その中途半端な情報が浮いているのみで人物像は謎のままだ。シリアルキラーが他の人間と行動を共にするのがレアなら、ターゲットの年齢層が成年から少女までという守備範囲の広さも特徴的。最後に突然仲間割れすることも含めて、二人のバックグラウンドをばっさり省いたのは、大胆というより乱暴だろう。

また、DEA(麻薬取締局)が無能すぎる。彼らはスカダーを尾行しているが、これはスカダーがDEAのマーク対象であるケニーと接触していたためで殺人事件とは無関係だという。だが一方で、彼らの言わば身内の女性捜査官もシリアルキラーたちの餌食になっており、それを知らず興味もないとは不自然だ。DEAの箇所はストーリー上必要というより、実はケニーの妻キャリーとピーターがDEAの協力者であったことをスカダーに知らせる目的で挿入されているため(多分)、DEA側を掘り下げるまでに至らず間抜けに描かれる結果となってしまった。

最も突っ込みたいのは、依頼を引き受けたスカダーの、初動捜査の手段だ。聞き込みを経て、どうやら他にも被害者がいると踏んだスカダーは図書館で新聞を調べるのだが、ドラッグディーラーの妻が殺されたなら、まずはビジネス絡みの関係者から探りを入れるのが定石だろう。あるいは元刑事のアドバンテージを活かして昔のコネを使うなり、警察側から情報を入手するのが効率的でないのか?私ならそうします。
だが、スカダーが目をつけたのはドラッグディーラーというブランドでなくバラバラ殺人という数多転がっていそうなキーワードだった。偶然出会ったTJは、ちょこちょこ検索しただけで手がかりを得、数ある殺人の中からどのような方法で同一犯による事件を特定したのかは全くの謎。というように、あるべき着地点から逆走して作られた設定に、少々無理を感じるのが残念な点だ。

 

◇カッコいい交渉場面

欠点を差し引いても、スカダーの渋い立ち姿や締まりのある演出が緊迫感をもたらし、上質なハードボイルドサスペンスになっていると思う。
特に見せ場となるのが、ルシア誘拐後、スカダーが犯人たちに電話で交渉する場面だ。個人的に、誘拐を扱った作品では、犯人からの電話を待つ時間が退屈で苦手である。待機している刑事が家族に促すまで電話の音が鳴り続けるのがストレスだし、家族の狼狽えた対応も同じなら、一度で話がつくことはまずなく再び電話を待つことになる。コレを観続けるのが面倒くさい。

その点、この映画では、いきなりスカダーが父親から受話器を取り上げ、犯人に「少女を傷つければ金は払わない」と宣戦布告する勝負の展開となる。

ルールを相手に提示することで、スカダーは自らこの事件の当事者となる。ケニーらから見ればとんだお人好しのヒーローだろうが、スカダーはスカダーで、過去に犯した罪を贖うため、自分のポリシーに従って行動しているに過ぎない。
スカダーは、犯人との何度かの電話で、ここまでの調査で入手したカードを一枚ずつ切りながら心理的な主導権を握っていく。駆け引きの緊迫感はもちろん、スカダーの淡々とした凄みを楽しめる。

 

雨の週末にでも、だらっとお酒を飲みながら鑑賞するのをお勧めしたい作品。今週末も、雨は降らなそうだけどー。

『ピース オブ ケイク』

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監督:田口トモロヲ キャスト:多部未華子綾野剛/2015

インフルエンザでひどい目に遭いました。ひどい目に遭っているのに、私のブログに対して、弟から、そしてブログタイトルをネーミングしてくれたN氏から「もっとメジャーな映画を書いたら?」と同じことを言われました。メジャーな映画って、何かね?

ラインナップがおっさんくさいとも言われるし、松坂桃尻の流れから友人リエコに観るように言われたこともあり、『ピース オブ ケイク』というキュートでオシャレそうな映画を鑑賞。リエコさんは綾野剛も好きで、あのルパン三世すら観ているファンの鑑なんやで・・・。松坂桃李にも綾野剛にも、取り急ぎキュンキュンしないが、まあいいや、とにかく私をキュンキュンさせて!

 

◇あらすじ 

仕事も恋愛も周囲に流されるまま生きてきた女性・梅宮志乃。バイト仲間との浮気がばれたことで、DV体質の恋人・正樹からは振られバイトも辞めることに。このままではいけないと心機一転した志乃は家を引越し、そこで出会った隣人で、新しいバイト先の店長でもある男・京志郎に本気の恋をする。しかし、京志郎には同棲中の恋人がいて・・・。(映画.com)

まず、

多部ちゃんがかわいい!

か否か論が世には溢れている。ググれば「ブス界最強の美女」などと気の毒な呼び方をされ、かわいいと思うかどうかで投票まで行われている始末。そもそも映画の評で、○○ちゃんがかわいい~といわれてしまうことは女優さんにとって不本意だろうに、これまで優等生役の多かった彼女がキスシーンやベッドシーンを披露したことで、一皮剥けた大人の多部ちゃん!のような軽い意見も多く。そもそも何でみんな当たり前に「多部ちゃん」と呼ぶのだ?だったら私は多部さんと呼ぶよ!

多部さんの役所は、恋愛も仕事も、自分の意志なく成り行きに任せては失敗をしてきた女の子。飽きっぽさや物への執着のなさは、植物を買っては枯らしてしまうクセにも表れていて、そのような自分に嫌気がさし、心機一転、人生を立て直そうとしている。

かわいいか論はさておき、まず私には、多部さんがビジュアル的に、役柄とは正反対の良い子に見えてしまう。一度買った植物は枯らさずコツコツ育て何なら株分けまでし、高校時代から7年付き合った彼氏がおり、毎日節約自炊しているようなコ。なので、この子はダメな子この子は恋愛にダメな子、と自分に言い聞かせないとならなかった。

また多部さん始め、登場人物が揃って身体が貧相なのが寂しい。多部さんと菅田将暉のキスシーン、エロいですか?マジですか。

 

日本の映画は、今や漫画や小説の原作ありきで、それもある程度の人気作をベースにしていないと出資がされない状況にある。観客は非凡なオリジナル脚本の登場を望むが、売れるかどうか分からないハイリスクな物には誰も金を出さない悲しい現実。失敗してもいいから好きに表現してみろなんて剛毅なパトロンが生まれるには、日本の景気がよくならないといけないのでしょうねえ。
原作漫画は未読だが、まあ漫画に忠実に作られたんだろうなと予測する。それにより、いかにも不格好なシーンが生まれている。
例えば、多部さんがアパート隣室の綾野と縁側で顔を合わせ、恋の予感を感じるシーン。「そのとき風が吹いた」と脳内で呟く。本気で男を好きになったことがなく、相手に流されるままの恋愛をしてきた女性が、初めて直感で人を好きになる。晴天の霹靂的体験を比喩しての「風が吹いた」なのだが、しかし、このシーンではホントにサアーッと風が吹く。その風を、綾野が目を閉じて気持ち良さそうに顔に受ける。物理的な風なんだ?心に吹いた恋の風じゃないんだ。またそれ以前に、このときの綾野の笑顔が、どう見ても「風が吹いた」顔でないのも問題だ。 

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ニッカー。もう少し微笑でお願いします。どちらかというと風が止むぞ。

 
◇無理やり不幸感

映画に共感は基本不要と思うが、今回のようにターゲットが限られる映画では、それなりの共感は必要だろう。映画と言っても様々だし、例えばスピルバーグとこの映画を、同一の媒体を介しているからといって、一つに括るのは土台無理だし。この作品では、主人公は観客に嫌われては意味がなく、適度に不幸に共感させ、応援してもらえるキャラクターであるのが理想だ。しかし、いかにも現代で好まれそうなステータスが、彼女を不幸に見せない。
店主が愚痴を聞いてくれる馴染みの店がある。ズバズバ物申してくれる親友やオカマの友達がいる。またこのオカマときたら、容姿は美しくクリエイティブな仕事を持ち、主人公に優しく寄り添い、時に厳しく背を叩いてくれる。恋愛関係になりえない&女特有の揉め事が発生しない点で、最強の味方じゃないか。行きつけの店や良き理解者の存在が、主人公のステータスとなっているので、「恋愛がうまくいかないー、仕事続かないー」と嘆いても、人生に迷う女性の切実さがないのだ。なので、世の感想は「綾野(or菅田or松坂)カッコいいー」「多部ちゃんかわいいー」「主人公が身勝手」など数パターンになってしまうのかなと。

このオカマの友達が、本日メイン(?)の松坂桃李氏で、美しくコミカルでよかったし、何なら少し桃李ファンになりかけてきたが、上記の通り役柄はステレオタイプ。桃李さんにはいつか、停滞したド田舎を舞台に、自分の色恋にひっちゃかめっちゃかになってて金に汚くて、こいつよりはマシだと主人公を浮上させる存在としてのオカマとか、それくらいのオカマに挑戦して頂きたいものである。

 

◇綾野はレッドカードか 

無理やり不幸と言えば、一度はカップルとなった多部さん&綾野が別れる理由である。

そもそも、綾野、そんな悪いことしたけ?

芸術肌の元カノが精神壊して放っておけず、度々訪ねては、情に流されて関係もしていたらしい。でもこの二人が完全に終わっていないことを承知で、間に入ったのは多部さんである。綾野は優しい男で、ああいう男の優しさは他にも等しく向けられるものなんだ。彼の失敗は、持ち前の優しさを完全に切れてはいない元カノに分けたことくらいで、まあサッカーでいうならイエローカードレベル。しかも謝る綾野を、多部さんが断ち切って別れる。つまり、多部さんが自身の弱さに潰され、まずは自立しようと決意して選択した別れなのよね。え、違うの?

なお、二人で出かけた温泉で、綾野の携帯を見た多部さんが元カノとの密会を知り、男湯に殴り込むシーンは、フラガールと重なるが、松雪さんの方が怖い。

そんなわけで一年後、二人が偶然の出会いを果たしたとき、好きな仕事を軌道に乗せた多部さんは、堂々と彼に向き合うのだろうと思った。瞬間、突然の逃走。えっ。

追いついてやり直したいと迫る綾野を、「無理だって!同じことの繰り返し」と拒む。

ですから、綾野のファウルはイエローレベル、二枚溜まればアウトだが、まだ一枚。一発アウトのレッドではないんだ。なぜ多部さんが、犯罪者のごとく彼を拒むのか分からずに混乱する私のあたま。エ、タベサン、アナタ、ジリツ必要でワカレタ。そして、イマ、ジリツシタ。モンダイ、カイケツシタ(混乱中)。

さらに、今までは恋と同様枯らしていた植物は、綾野の手により庭に植え替えられており、「見ろよ、こんなに育っちまったよ!」と示す先には、大振りすぎる植物がワサワサと生え盛っている。この恋がこれまでと違って実る可能性のあることを示す植物にしては、サトイモに似ている・・・いやいや、刮目せよ、この恋の生命力!

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(C)2015 ジョージ朝倉祥伝社/「ピース オブ ケイク」製作委員会

見よ、サトイモの生命力!

良かった部分と言えばまあ、劇団の座長をやった峯田和伸さんかな。歌うところよかった。いや、本職じゃん。。峯田さんに歌わせたいがための起用じゃないの?

最後は、大嫌い!と叫びながら綾野に抱きつく多部さんにサブイボ、いや鳥肌、いやいや、あ、あ、愛らしい~。よかった~。

 

ちょっと苦しくなってきた。きっとなんかいいところがあるんだろう。リエコさん、リエコさん。これは、どの辺りがよかったの?

リエコ「ああ、わたしそれ結局、観てないんだよね」

、、、あ、風が吹いた。

『プリズナーズ』

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監督:ドゥニ・ビルヌーブ キャスト:ヒュー・ジャックマンジェイク・ギレンホールポール・ダノ/2013年

年内最後の更新となります。あとは私は『シネ刀』のアカデミー賞をコーヒーを飲みながら楽しむのみです。そのために31日は外出しない。マジだ。

前回の孤狼の血は、やっぱり松坂桃李が好きなリエコに怒られました。「罰として、桃李が出演している映画を取り上げて。『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』がいい」と。え、魚喃キリコのあの名作、映画化されてるの??と思って探していたら、多分言いたかったのは『ピース オブ ケイク』だと思われる。あと魚喃の名作は『Strawberry shortcakes』だったわ。

というわけで本日は『ピース オブ ケイク』じゃなくってプリズナーズです。ネタバレだよ。

私のように映画の知識がない人間が、人が作った作品を評価するなどとんでもない話で。一方で、映画が商業物であり表現物である以上、批評を受けるのは仕方がないのも確かで、ただ程度というものはあると思います。また、映画に対する他人の感想に、あまりケチをつけるのもどうかと思うんですけどね。
何が言いたいかと言うと、人様が作ったものに物申す時点でバツなのに、それに関する他人の意見にあれこれ言うのは避けたいんですが、今回はどうしてもこの映画への世の考察に触れてしまうのですみません。じゃあ何故、そんな映画をいまさら話題にするのか。だってジェイクがキュートなんだもん。ジェイクがキュートって話をしないと、今年が終わらないんだもん。

あと皆さん、ヒュー・ジャックマンのことをどの映画においても「ウルヴァリン」って呼ぶの止めたげてください。

 

◇あらすじ

冒頭、キリスト教の「主の祈り」の文句に合わせ、ヒュー・ジャックマン演じるケラー・ドーヴァーが息子に鹿狩りを教える様子から、まずはケラーがどんな男であるかが説明される。彼は「常に備えよ」のモットーに従い、災害など物理的な困難に対しては日用品の備蓄を怠らず、家族を襲う不幸には強さで対峙する覚悟を持つ男だ。また重要な点として、車内や胸にかけられた十字架から、敬虔なキリスト教徒であることが示される。

友人のバーチ宅で感謝祭を過ごす中、遊びに出た両家の少女たちが忽然と姿を消す。警察は、兄によるRV車の目撃証言から、アレックスという青年を容疑者として拘留するが、彼は十歳程度の知能の持ち主だと診断される。決定的な証言や物証が得られないまま警察はアレックスを釈放。無力な警察に業を煮やしたケラーはアレックスを監視し、彼が事件に関わっていることを証明する決定的な言葉を耳にする。ケラーはアレックスを監禁し、拷問という非合法な手段により娘の居場所を吐かせようとする。

この辺りの一連の場面では、カメラが物を隔てて対象物を意味ありげに映す画が、特徴的に何度も用いられる。例えば二家族の集うバーチ家を樹木越しに、道を歩く子供たちを車内から小窓越しに、地道な捜査活動を続ける刑事を曇った窓ガラス越しに。え、このカメラワークの狙い?不気味さの演出ではないでしょうか。下手なこと書けないんですよね、読んでくれてる人にシネフィル、それも最凶レベルが数人いるから。。。
真面目な話、これから起こることを冷静に観察せよと観客に警告するかのような、意図的な画である。 

最初に説明される通り、ケラーはよく言えば勤勉、悪く言うと融通の利かない人物だ。捜査を担当するロキ刑事は、のっけから警察(というより他人)を信じていないケラーの「あれはしたのか?これはどうなんだ?」との猜疑心に満ちた追求に、「全て考慮した上で、十時間容疑者を尋問した」と答える。プロの自分が、素人の思いつくことは全て想定した上で尋問したが何も出ない、つまりアレックスは犯人でない可能性が高いと暗に告げるのだが、ケラーは譲らない。しかもこの時点では、アレックスは「事件に関わっていることを証明する言葉」を発しておらず、ケラーは思い込みだけで、アレックスを犯人と確信しているのだ。

そもそも、困難や災害を想定して入念に準備するケラーは、家族への庇護精神を見ても、やや強迫観念めいている。平常時なら神経質で真面目な人ですむところ、非常時においては思い込みで突っ走り、逆にそれが障害になるタイプだ。ロキはそれを見抜いて諌めるのだが、ケラーは留まらず、件の確信を得てからは暴走する。この両極端の2人の性格と、ゆえにぶつかるさまを、ジャックマンとジェイクがうまーく表現していることに、とても好感が持てる。

さああなたならどうする、と課題を投げかけられた観客は「父親として人間として論」に迷うことになる。気持ちは分かるとか、いや逆に合理的でない、あるいは非人道的であるなど。だが、ケラーの行動について賛否を論ずることは、迷路に迷いこんだも同然だ。アレックスの怪しげな容姿や態度は先入観を刺激するが、実際に彼が白か黒かは誰にも分からない。カメラワークの部分で述べた通り、観客は冷静な観察者でなければならない。 

 

◇宗教色への考察あれこれ

始めから「そういう映画ですよ」とアピールをしている通り、とにかく宗教的な比喩に満ちている。敬虔なキリスト教徒であるケラーは神(ここではキリストを指す)の代理となる者、子供を攫い続ける犯人側が悪魔。さらに犯人の動機自体が「神への挑戦」と直接的なものでもあるので、主題は神と悪魔の戦いであるという捉え方が一般的だし、もちろん意図的にその構図が描かれているのだろう。

もう一人重要なキャラクター、ロキ刑事が、フリーメーソンの指輪をしていることが画面上で強調される。ケラーと犯人が神と悪魔であるのに対し、ロキが果たす役割は異教徒あるいは無宗教の立ち位置だと解するレビューが多い。また多くが、神を信じたケラーが勝ち、信じきれなかった犯人が敗北し、神を信じる立場でない異教徒ロキは優秀な刑事であるにも関わらず、常に惑わされ真実に辿りつけない運命にあるとする。

しかしそこには、重要な一瞬のショットが考慮されていない。始めにロキがドーヴァー家を訪れた際、カメラが映す彼の左手の刺青は十字架だ。つまりそれ以外どう解釈せよというのだレベルで、ロキはキリスト教の信者だろう。また、「ロキ」という名前が北欧神話に登場する神ゆえに彼は異教徒であると、各所で当然のように書かれているが、仮にそれが本当なら、ヴィルヌーヴ監督はアホということになる。ギャグ漫画じゃあるまいし、その人物の外見あるいは内面や信条をそのまま表すような名前を、この凝った様相の映画に起用するかという話だ。でももし、ヴィルヌーヴ監督もしくはジェイクのどちらかが、インタビューで「ロキってのは北欧神話から取ってるんだ、クールだろ?アッハ」みたいなコメントしてたら、上の話はごめん。

(そのようなコメントはないとの前提の下)従って、ロキが異教徒を象徴する立場であるとか、ゆえに神の御心により真実に辿りつけないなどの解釈は苦しいこじつけだ。少女を助けるのはケラーでなくロキだし、結果的に恐らくケラーを救うのも彼なのだから。

そもそも敬虔な教徒であるケラーに、神は何故最愛の者を隠す辛い試練を与え、なぜ最も哀れなアレックスにそれ以上の苦痛を与えるのか。「ケラーは試練を受け入れずに愚かな人間的行為に走ったから罰を与えられたのだ」「最後は祈ったから救われたのだ」とか、まあいくらでもこじつけられるし、「神のなさることは人知の枠外である」などと言ってしまったら、もはやこじつける意味すらない。深みにハマると、父子が撃った鹿は悪魔の象徴であったのではとか、キーとなるホイッスルは旧約聖書の一節にある、神を褒め称える楽器としての「笛」であるとか、いやその笛って少なくともホイッスルじゃないでしょうよなど、もはや納得すべきか屁理屈に首を傾げるべきか分からなくなってしまう。

 

◇倫理観を問うミステリー

考察好きな観客を惑わす要素を多く含みながら、この映画は極めて倫理的な問題を観客に問うミステリーとの理解でよいと思っている。
ケラーは人の助言を入れず盲目的に突っ走り、罪なき者を傷つける。犯人は己の主義ゆえに人を殺す。それぞれが「人の道」に照らしたとき道を外れている。ロキも本来の自分の衝動に走ったとき、やはり道を踏み外すことになる。

神、悪魔、宗教的要素に気を取られていると、映画の中で描かれる人間の身勝手さを見逃すことになる。ケラーや犯人については触れた通りだが、両家の奥様方の開き直りっぷりと言ったらない。恐ろしいのは「子供のためなら他人はどうでもいい」となった母親が、それを恥じるならまだしも、賢者のように振舞うことだ。

拷問に躊躇しつつ、ケラーを止めることはできない臆病なフランクリン。その妻は友人であったはずのケラーについて、「私たちは手を出さずにやらせておきましょう」と夫に言う、さも智者めいた顔で。これだよ、ホントに嫌な人ってこういう人。ともだちだったよね?全力で止めるか、きっぱり自分達は手を引く宣言をせんかい。

「貴方といれば安心だったのに」とベッドの中から、ケラーを超抽象的に非難する妻。彼女は後日、夫がアレックスを拷問していたことを「娘のためだった、仕方なかった」といい、夫を「善人よ」とのたまう。アレックスは、彼女らの子供と同じく幼い頃に攫われ、多くの子供が死ぬのを見、恐らくその手伝いもさせられてきたこの映画最大の被害者にも関わらずだ。妻と母の座に胡坐をかき、家族のためという建前を武器に他人を傷つける。本当に害がある人って、こういう人。

 

◇助けて、ロキ刑事

というわけで個人的にお付き合いを避けたいドーヴァー家、バーチ家の皆さんにげんなりする中、一筋の光となるのがジェイク演じるロキ刑事である。これまでジェイクが演じてきた中で、ピカイチ好きなキャラクターである。
熱情を内に秘めて態度は冷静、捜査は緻密で忍耐強い。ウルヴァリンに怒鳴りつけられるたび、軽く手を挙げて「ヘイ、ヘイ、ヘイ」「ミスタードーヴァ」と低く静かな声で諌める。もちろん内心では、このきかんぼう親父のことを「ファック」と思っているので、車に戻ったときなどに小さな声で「ファック」と呟く。それが気だるげで最高にキュートなわけで。またあるシーンで、ウル親父に一方的に電話を叩き切られ、携帯を見つめて呟く「ファック」が、前回より若干明瞭で忌々しそうなところがまたいいわけで。ジェイク最高。

ドーヴァー家にて「刑事さん、子供はいるの?」と訊かれた際、軽く口の端を上げて無言を通したが、オーケー、私が訊きたい、「奥さんいるんですか」と。のちに署長に「彼女でも作れ」と言われていることから、フリーメーソンだけでなくフリーメンであることが判明(←今日のパワーワードこれだよ)。
身体のいたる所に入った刺青と「ハンティントン少年院にいた」というセリフから、間違いなく、昔はそこらじゃちょっと知られたワル。強面なのに、最初のアレックスへの尋問などは、軽く囁くようで甘さすら感じさせる。落ちる、私なら5分で落ちる。

 

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全世界女子卒倒必至、ロキ刑事による壁ドン。

 

フリーメーソンの指輪や、登場シーンの干支に関する話などは、彼がこの保守閉鎖的な田舎にそぐわない、異質な警察官であることを示すためのものだろう。それだけに、それだけに!ついに忍耐が切れて、恐らく彼本来の暴力性が爆発してしまい、それによって最悪の事態を引き起こすシーンでは、溜息が出るほど複雑な気分だ。

 

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これ。これ、どうやって慰めればいい?

 

なお、ミステリーとしては偶然に頼む要素も多い。例えば、何かに導かれるようにウル親父の前に現れるホイッスル。アレックスの無事を知らせに行った先で、偶然犯人に繋がる材料を得るロキ。音楽に邪魔されていたホイッスルの音が、佇むロキの耳に届く幸運。これらはミステリー的にはマイナス要素なのだが、流し込まれている宗教色が、都合がいいという印象を回避させ、これも神のいたずらかと観客に思わせる効果をもたらす。宗教色を意識しすぎれば、観客自身が迷路に入り込んでしまいかねないので、あくまでエッセンスとして捉え、ミステリーを楽しむのがお勧めだ。私はこういう映画がすごく好きなので、2時間半と長尺だが全然オッケー、なんならも一回ミスリードを入れて3時間やってくれてもよかった。

攫った子供たちの記憶を消したり、言いなりにさせるあの薬はなにかって?
間違いなく、『クリーピー』で竹内結子が注射されてた薬品と同じものだろう(どうでもいい)。 

世のお母様方、自分の子を一番に思うのは必然、何をおいても我が子を守るのは本能、でもそれを当然と他人を傷つけてはいけませんよ、間違いなく自分たちに返ってくるから。では皆さん、よいお年を。

『孤狼の血』

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監督:白石和彌 キャスト:役所広司松坂桃李真木よう子/2018年

本日は、お日柄もよくー、年も押し迫ったこの時期にふさわしい映画を取り上げたいと思います。ヤクザは社会悪、しかしヤクザをモチーフにした本や映画は滅法面白い、これは事実だよね。 

 

◇まず東映さんのヤクザ映画史を確認

1960年代、一大ブームを巻き起こした時代劇の衰退により、東映任侠映画の製作へ舵を切り成功を収めた。これらは主に高倉健さん(←母が大好きなので呼び捨てに抵抗がある)や鶴田浩二を主演にした、時代劇の流れを汲む単純な勧善懲悪モノだった。1973年に公開された『仁義なき戦い』を皮切りに、実際の事件や人物を基にした所謂「実録もの」へと主戦場を移す。この実録ヤクザ映画の黄金期も70年代終わり頃に終焉を迎えた。

その後、北野武監督が(別の配給会社にて)『その男、凶暴につき』(1989年)を作り、『アウトレイジ』(2010年)でヤクザ映画を再び盛り上げた。この流れを見ると、何だか感慨深いですよねえ。てなことを夫に話していたら「一般常識みたいに言われてもね」と言われました。ああそう。
孤狼の血』は、『アウトレイジ』のヒットに触発され、なにくそと東映が放った勝負のヤクザ映画だと言えるでしょう。実は私、北野監督の『アウトレイジ』を観ていなくて。何度か観かけたんだけど、何故か入れなくて・・・。その上で語ることをお許し下さい。あと、ネタバレですからね。あと言葉悪いから、読んだ人は私の職場にはバラさないでね。

・・・にしてもポスター、カッコワリィのう!もうちっとどうにかならんかったんかい!カチコミじゃあああ!

 

◇あらすじ

1974年広島県呉原市(呉市をモデルにした架空の都市)。広島からの新興組織、五十子会系の「加古村組」と地場の暴力団「尾谷組」との抗争は、尾谷組組長の逮捕をもって痛み分けで収束した。
14年後の1988年、尾谷組長の出所を目前に、今度こそ呉原への進出を遂げたい五十子会は、再度加古村組を尾谷組にぶつけて潰そうと画策する。そんな中、加古村組のフロント企業「呉原金融」の社員上早稲が失踪する。呉原の極道を誰よりも知る呉原東署の大上は、この失踪にキナ臭いものを感じ、捜査を始める。呉原東署に新たに配属された日岡は、教育係である大上と行動するうち、彼の犯罪紛いの捜査、尾谷組幹部との癒着に等しい関係を目の当たりにし、己の正義との矛盾に葛藤する。

キャストの顔ぶれは御馴染で、ヤクザ側五十子会の会長に石橋蓮司。その下部組織、加古村組の若頭野崎竹野内豊。対立する尾谷組の若頭一之瀬江口洋介。警察側、マル暴のトップを張る大上役所広司。広島大卒ルーキー日岡に、『娼年』にてすっかり尻俳優として有名になった松坂桃尻、じゃなかった桃李。尾谷組御用達のクラブ「梨子」のママに真木よう子。また、本作監督の白石さんの『凶悪』は個人的に好きな作品です。

 

◇『県警対組織暴力』とのあれこれ

言うまでもなく『仁義なき戦い』に影響を受け、『実録 私設銀座警察』やフカキンの『県警対組織暴力』(以降大胆にも『県対暴』と略す)をベースとしている。『県対暴』で菅原文太が演じた刑事久能は本作の大上に、松方弘樹演じたヤクザの広谷は一之瀬に一応置き換えられるし、大上の持論「極道は飼い殺しにしてなんぼ」は久能の行動理念を継ぐものだろう。

久能と大上の、極道への対し方には決定的な違いがあり、それがそのまま作品のテーマとなって表れている。『県対暴』における久能が、警察と極道との境界線で立ち回るのは、広谷に男として惚れ込んでいるためだ。そのため、あと一歩背を押されれば極道側に行ってしまいそうな危うさがあり、実際に、法を守る側の人間として守るべき倫理を踏み越えている。ダーティと言えば、『孤狼の血』の大上より余程ダーティ。だからこそ、ドラマ性といいキャラといい魅力的で、特に松方弘樹の広谷がバカでかわいい。最後は互いの属する組織の違いが悲劇を生むが、それを含めて男と男の話と言えよう。

本作『孤狼の血』の大上は、表面上は極道たちと親しく、行動も粗暴なアウトローだが、根底にあるものはカタギの生活を守るという使命感で、つまりとても真っ当な人物である。従って、彼が警察と極道との線を越えることはなく、こちらの映画のテーマは、あくまで警察官の立場から極道と対峙した男の話ということになる。

劇中、大上が孤軍奮闘するのと同じく、役者としても役所さんが孤軍奮闘しておる。それくらい、日岡を演じた松坂桃李、ヤクザ側の江口洋介竹野内豊などはマジ薄味。特に竹野内演じる野崎がどういう展開で画面から消えたのか、本気で記憶にない。ただし、ダークな世界に戸惑うペーペーである日岡は、つまり観客に一番近い人物であるので、彼を通して観客がこの裏世界に入り込みやすくなっているのはよいと思う。あ、あと、加古村組にカチこむ、尾谷の鉄砲玉役をやった中村倫也さんはいいよねえ。かーわーいーいー。それを夫に言ったら、「ホント地味なのばっか好きだよね」と言われた。なんなん。アンタ、なんなん?

せっかくなので着物の話をしておこう。真木さんの役どころはクラブのママで、お仕事中は大体着物を着ている。衿足を大きく抜くのは玄人女性だけに許された文化だろうから良しとして、胸元を開けすぎるのは品が良くない。ましてや真木さんは巨乳なので、胸元が浮いてモタッとしてしまっており、個人的にはこれが着物における色気とは思えないなあ。またあるシーンでは、着物から覗く半襟の幅が左右で異なるのが目についてしまった。どっちが広くて狭かったのかは忘れてしまったが、帯を締めるときに着物と襦袢が締めた方向に引っ張られて、半襟の幅が左右均等でなくなるのは初心者がよくする失敗なので、ここはピシッと着付けて欲しかった。 

f:id:yanagiyashujin:20181217153043j:plain       ((C)2018「孤狼の血」製作委員会)

伝わりますか、この胸元とおはしょりのモタッと感。なんだか、だらしないでしょ。

 
◇最高の上司としての大上

 桃尻、じゃなかった桃李(いい加減やめないと桃李LOVEの友リエコに怒られる)が、何度も制止する通り、大上の捜査方法はアウトローにしても度を越しているが、「刑事じゃけえ何をやってもええんじゃ」との傲慢に映る言葉は、彼が刑事人生から得た哲学に裏打ちされている。回想で映される大上の若い頃の写真は、誠実そうな一警察官の顔だ。現在の猛々しい面相との落差に、彼が壮絶な経験を経て現在の「ヤクザは生かさず殺さず」の境地に辿りついたことが想像できる。

火種は火種のまま、表面上は熾火に保つ対策は、社会のどんな方面においても必要だ。日岡の主張する「撲滅」など、ともすれば大爆発に繋がりかねない悪手。仮に強行すれば、どのような結果を招くかは『県対暴』にて描かれた。それを念頭に置きながら、大上と日岡のやり取りを聞くとより楽しめる。

大上哲学を実行するためには、経験に基づく判断力と勘、知識、話術、度胸、フレッシュな情報を得る手段、ざっと考えただけでそんなものが必要で、常にリスクを考え、時にリスクを冒して行動しなければならない。トントンと頭を指しながら「この中には極道のネタがようけ詰まっとるんじゃ」という大上の脳には、実は極道以外のネタも詰まっていて、それが彼の立場をより複雑にしている。まさに綱渡り人生。しかも、日岡を都合よく利用しているように見えて、後に判明するように、暖かな目で彼を見守りその成長を喜んでいる。まさに理想の上司。一見本能のまま行動しているように見える大上は、誰よりも理性の人である。

実は県警本部監察官室のスパイである日岡の任務は、14年前の加古村組組員(金村)殺害疑惑を始めとする、大上の汚職の証拠を掴むことだ。しかし、日岡自身も知らされていなかった本当の目的は、警察上層部の不正を記した大上ノートの入手と隠蔽だった。それを知った日岡は、大体ペーペーが蚊帳の外を自覚した時に吐く「みんな保身ばっかりやないですか」とのセリフを吐き、うっさい小僧、青臭いから利用されるんじゃ。尻を出せ」私をイラつかせたが、落ち着こう、これは日岡の成長譚でもあるんだから。前述の通り、日岡は観客に一番近いキャラクター。共に大上のやり方に憤り、やがて彼の真意を知って受け入れるようになっている。だがラストでは、日岡は大上の後継者となる道を選び、観客から離れていく。そういう意味でも、大上の若い頃の写真は重要で、ああ、あれは今の日岡なんだな、日岡も大上と同じくこれから茨の道を行き変貌していくのだなと想像すると何とも切ない。

 

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((C)2018「孤狼の血」製作委員会) 

私の上司になって。

 
◇日本映画のために苦言を呈す

だが、やっぱり締まりのないのが今の日本映画の欠点。正直、一人この映画を締めていた大上の死後は、さっさと幕を下ろすべきだ。ある信念を持った刑事がいて、彼が死に、その信念が若い刑事に受け継がれた、テーマはそれでよいはず。

例えば、宴会場のトイレで、日岡に手引きされた一之瀬(江口洋介)が五十子(石橋蓮司)を殺すシーンは、蛇足としか思えない。憎しみに燃えた日岡が、大上の仇に当たる五十子への復讐を遂げるなどマジでどうでもよろしい。むしろ、それを続編にでも取っておけばよかったのに。。。

更にケチをつけるなら、一之瀬が五十子を日本刀で殺して斬首し、首を便器に放り込む画は、もちろん絵的にはおいしいのだろうが、設定上は無意味だ。銃という最速の殺傷道具があるにも関わらず、わざわざ日本刀を凶器に選ぶとしたらその目的はなにか?言うまでもなく見せしめや警告だ。なので、切った首を五十子会本部にでも投げ込むといった脚本があって初めて意味を成す。すぐ外に警察が待っている状況でわざわざ日本刀などを使えば、只でさえスカしているだけで印象の良くない一之瀬を「やっぱりこいつ馬鹿だな」と観客に思わせるのみ。

またここでは、日岡が五十子への復讐を果たし、さらに一之瀬の裏を掻いて尾谷組に新たな主従関係を突きつけることで、無力だった日岡の成長を示す狙いもあるのだろう。だが、その点も、日岡が監察官室の上司に大上ノートを渡し、「最後のページは自分が書き加えました」と冷たく言い放つシーンだけで十分だ。ラストで、日岡はジッポでタバコに火をつける。観客は、これまで吸わなかったタバコを吸う日岡に変化を見、大上の遺品のジッポに、彼の遺志を継ぐ日岡の決意を見る。それで十分だしクールだと思う、脚本家やなぎやとしては。

問題は現代の日本の観客の思考が停止しすぎていて、謎には謎解明シーンを、憎しみにはすっきりシーンを用意してやらなければならないことだ。そうでないと、「え、結局誰が金村ころしたの?」「大上を殺した五十子はお咎めなしなわけ?」となり、結果「すっきりしない」「共感できない」となる。別にそんなの重要じゃないのにね。なので、制作側もわざわざ、観客の溜飲を下げるためのご丁寧なカタルシスタイムを用意しなければならない。 

さらに悪い点として、「大上はなぜ死んだのか」という重要な部分の説明は為されない。もちろん、彼の死体に刺し傷が十カ所以上あったにも関わらず事故死として処理された事で、彼に弱みを握られていた県警上層部と五十子との共謀により大上が消されたのは明白。だが、そのリスクを承知で長年綱の上を渡ってきた大上が、何故今回に限って下手を打ったのか、そのエピソードが一本あればぐっと良かったとは思いませんか。どんなエピソードかは思いつかないよ。脚本家やなぎやの限界。

折角ヤクザ映画なんか作るなら、観客に阿らず鉄拳喰らわせるような、挑戦的なものを作ってほしい。男くさい映画は昨今女性の扱いが非人道的だなんだと言われるんだろうし、下手したら男くさいという表現自体に、やれその言葉の定義はなんだとかケチつけられるんだろうが、いいよ、男だけの狭い定義の映画作ってくれていいよ、面白ければ。

最後に、途中で真木姐さんが「私らカタギが」と言いますが、前の男も前の前の男もヤクザで、ケツ持ちついてるクラブのママはカタギではありませんよ、という突っ込みをもって終わらせて頂きます。