Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『プライベート・ウォー』

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監督:マシュー・ハイネマン キャスト:ロザムンド・パイクジェイミー・ドーナン/2019年

皆さん、こんにちは~。
突然ですが、賞味期限切れのものって気にせず食べますか?
私は舌と耳と鼻と顔がめちゃくちゃ良く(目と口は悪い)、怪しげな食べ物の匂いや味を察知する自信があり、ゆえに賞味期限には惑わされません。昔、クリスタルガイザーだかボルヴィックだかを会社で口にして「ん、これおかしい」と飲むを止めたんだけど、数日後に製造過程に問題があったとかで回収されてて、同僚たちも驚いていたもんね。

けれど、だからって、他人が私に賞味期限切れのものをあげてもよいって話にはならないと思うのね。先日は仲の良い同僚が「これ、賞味期限切れてるけど大丈夫でしょ」と饅頭をくれました。ヨーグルトをもらったこともあります。自分は食べないのだそうです。期限切れてるから。

また、うちは夫と子供が、保育園時代のママ友の美容師さんに髪を切ってもらっているのだけど、こないだ夫経由で何故か醤油とハーブティと豆菓子を渡され、ハーブティ以外は賞味期限切れてたからね。LINEで期限切れてるじゃんって言ったら「うん、だから早く消費して」。

でもねえ、私、胃は弱いんですよ。そこんとこ分かって。
そんな感じで今日は『ゴーン・ガール』、じゃなかった『プライベート・ウォー』です。

 

◇あらすじ

イギリスのサンデー・タイムズ紙の戦争特派員として活躍するアメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルビン(ロザムンド・パイクは、2001年のスリランカ内戦取材中に銃撃戦に巻き込まれて、左目を失明してしまう。黒い眼帯を着用し、PTSD心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、人びとの関心を世界の紛争地域に向けたいという彼女の思いは強まっていく。(映画.com)

ロザムンド・パイクと言えばゴーン・ガール2014)”と連想するほどに、あの映画の印象が強いよな。何よりパイクを他の映画で知らないんだ、ごめん。でも安心してください、本作のパイクは『ゴーン・ガール』を超えたと思うよ。生生しい感じで、いい女優さんだよね。

カルテル・ランド』(2015)ラッカは静かに虐殺されている(2017)などのドキュメンタリーを手がけてきたマシュー・ハイネマン初の映画監督作品となる。これは両方とも面白かった。当然ながら、本作もかなりドキュメンタリー色の強い、というか、ドキュメンタリーの強みを生かした映画だったと思う。逆に言えば、こういう映画だからこそ生きる監督なのだろうね。製作にシャーリーズ・セロンいるんだー、なんでだろ(ちゃんと調べなさいよ)。

映画はメリー・コルビンの没地となるシリアのホムスの、空爆で廃墟となった街を上空から映す映像に始まる。ボイスオーバーでインタビューに答える声が流れ出し、そこから彼女が世界の紛争地に赴く様子と私生活が交互に描かれていく。
カメラは、爆撃の犠牲になった人々や遺族の嘆きを映し、それを無言で見つめるパイク、PTSDに苦しみながらアルコールやその場限りの男との情事で傷を埋め、また戦場に向かっていくパイクを映す。特筆すべきは、彼女の記事を読んだ世の人々の反応や、当時の政情や政策などが取り上げられないことだ。つまり、ひたすらメリー・コルビンの内面を描き出そうとした映画だった。
戦場に取り憑かれたパイクが、精神を病み私生活を破綻させていくのは悲惨だが、一方で友人や新聞社の上司との関係、そして、一夜の相手だったスタンリー・トゥッチが思いもかけず大切な存在になっていくなど、彼女の正気を繋ぎ止める人々との関わりが良かった。スタンリー・トゥッチを見ると嫌な予感がして気分が悪くなりそうになるのだが(※)、今回はいい役でよかったよぉぉ・・・

※『ラブリー・ボーン』の犯人役がイヤすぎたせい。

『おやすみなさいを言いたくて』(2013)というやはり女性の戦場カメラマンを主人公とした映画がある。戦場から戻るたび家庭を第一に考えようと誓うものの、やはりチャンスがあれば一切合切を投げ打って飛行機に飛び乗ってしまう。更に仕事のために自分の子供を危険に晒してしまい、家族と完全に離別することになるのだが、どちらの映画においても、彼女らの行動の理由を「職業」というものに求めることは、もはや全くの筋違いだ。もちろん使命感と、だがそれ以上に帰巣本能に近い衝動のものが彼女達を戦場に向かわせる。「なぜ」という問いかけは無意味だろう。

 

◇「私が見ているから、あなたたちは見ないで済んでいる」

紛争真っ只中のホムスでのシーケンス、ある日二人の少年が立て続けに犠牲になるところから、監督本来の手腕が発揮される。悲鳴を上げて嘆き悲しむ両親、それを写真に収めたジェイミー・ドーナンが耐え切れず目を背け、無表情のパイクの片方の目から涙が一筋流れる・・・。政府軍の激しい空爆が始まり各国のメディアは完全撤退を決断するが、取り残された2万8千人の民間人(ほとんどが女性と子供)の実情を世界に伝えるために、パイクは命を賭してその場に残る。

「死体で見つかったときカッコ悪い下着を着ていたくないでしょ」というあまりにカッコイイ理由から戦場で「ラ・ペルラ」の下着を身につける彼女が、ついに眼帯をつけることすら放棄し、光の消えた瞳でPCの画面を眺め続け、研ぎ澄まされた言葉で世界に現状を伝えようとするライブ中継のシーンは圧巻だ。淡々としているのに、画面から一瞬も目を離せないような気迫に満ちていて、ここはただ、わけもわからず涙が止まらなくなった。

印象的な場面と台詞が二つある。一つはパイクがトム・ホランド「私が見ているから、あなたたちは見ないで済んでいる」と言うシーン。もう一つは「もっとも難しいのは、(取材をして記事を書くことではなく)、記事を読んだ関係のない人達が関心を持つと信じることだ」という独白だ。メリー・コルビンを突き動かしたのは、一部はもはや反射、しかし他の部分は「自分には関係のない世界の話」と思っている人たちの無関心だったのだろう。

戦争が遠い世界の出来事となった日本にいても、このような映画を観ると、2004年にイラクで起こった日本人三人の人質事件を思い出す。基本的に私は日本人の欠点(平和ボケや異常な保守体質)は自覚しつつ、特に子供を持った現在では生活するのに最適な国だと思っている。送り迎えなしには子供を外出させられなかったり、小学校に銃が持ち込まれるような場所で子供を育てていく自信が私にはないからだ。だが、あの事件当時の日本全体の反応には、心底日本人であることがイヤになったね。誰もが口にしていた「自己責任」という言葉は未だに吐きそうになるほど嫌いだ。街中のインタビューで、夕ご飯の献立のことしか考えてないようなオバさんやアホそうなサラリーマンが賢しら顔で「自分であんな危険な場所に行ったんだから自己責任でしょ」とか言いまくるもんで、死ねばいいのにと思ってしまい、当時はほとんどテレビを付けなかった。

そうそう、前々回のブログで新聞記者について書いたところ、Twitterのお友達から「自分が会った朝日の記者はクソだった、あいつらの正義はどっかズレてる」とコメントをもらった。実体験である限り否定のしようがないし、そもそも私の話含めて個々人の経験に照らせば、それはもう「職業」の話ではなくなってしまうわけだが、ただ2004年、周囲の大多数の知り合いが想像力も責任感も欠けた意見を述べる中、少なくとも私が知る新聞記者たちは、同胞の余りに無知で冷たい反応を「この国は大丈夫だろうか?」と憂いていて、「ああよかった、流石にこの人達はマトモだった」と救われた気がしたんだよねぇ(私の周囲がパッパラパー過ぎただけか)。

ごめん、回りくどいな。いや、実はこの映画を友人(スペースオペラB級映画を愛する浅草橋の帝王つっちー)に勧めたところ、共感できずに辛かったと。そうだろうと思う。メリー・コルビンの行動理由を理解するのに最も遠い民族が日本人だろうし、でも本当はそんなことすら意味がなくて、これは「理解」と「共感」をどっかに蹴飛ばして観るべき部類の映画だ。

最後に実際のメリー・コルビンのインタビュー映像が流れ、ロザムンド・パイクが如何に彼女の喋り方や仕草に寄せて演じたかが分かる。エンドロールでは、彼女が亡くなった後、シリアで50万人の民間人が犠牲になったという無情な事実が観客に伝えられる。だが上述の通り、本作は彼女の仕事の成果を映したものではなく、強烈な生き方と内面を描いた映画だ。

現時点で今年観た中でベスト。

『世界一キライなあなたに』

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監督:テア・シャーロック キャスト:エミリア・クラーク、サム・クラフリン

皆さん、こんにちは~。子供が夏休みに入りました。
「宿題チェックに昼飯支度、さらに在宅、マジ地獄」と韻も踏みたくなるじゃん?(大して踏んでない)

さて、以前『世界にひとつのプレイブック』で、「こんな自称サッカー好きは消えろ」という文を書いたのだが、最近また、自称サッカー好きが振ってくるサッカー話にうんざりしています。ちょっと前書きが長くなるけど本文にも関係してくるし、サッカーは他の物にも置き換えられるからさ(映画とかフィギュアとか音楽とか)、まぁ読んでよ。

どこにも一定数いると思うが、会社の「スポーツ好き(メインは野球)」と「自称海外サッカー好き」がとても鬱陶しい。大体、本当のサッカー好き(と言うのもアレなんだけど)、つまり、スタジアムの熱気やスペクタクルな試合展開等の華やかな要素以前に、監督の戦術や采配、個々の細かい技術を地味に楽しんでいるようなサッカーファンは、私が知る限り大体内向的だ。そういう人はサッカー好きであることはもはや隠しており、自分から話題にすることもなければ、ワールドカップで盛り上がっている人々の輪に入ることもない。やはり輪に入っていない人間同士で野良猫のように少しずつ近づき、互いの知識レベルが合致することが分かれば、バーなどでコソコソクスクスとサッカー話に花を咲かせるネクラ勢。だが詳しい人は得てして、こういう面倒くさいタイプなのだ。

さぁ、以下はうちの会社にいる困った人の分類である。

■タイプA:興味ないマウント勢
サッカーに興味がないのに、ワールドカップで世間が沸くと勝手にザワつき出す。SNSなどに「世間はW杯で盛り上がっているようですね。自分は全く興味ないわけですがww」と何故かちょっとキレ気味に投稿。また、聞いてないのに口頭でもそのように言ってくる。
⇒無視すればよいので害無し(オマエが興味ないことにこっちも興味ないんで自信を持て)

■タイプB:ミーハー
「僕も(私も)サッカー好きなんですよ~」と言ってくるが、話すうちそれほど好きでないことが判明。

・「あ、実はW杯のときに大きな試合観るくらいなんです・・・。クリロナが好きです、ミーハーです!」(テレ)。
⇒かわいいので害無し

・「自分サッカー好きとか言えないですね~。出直して来ます」
⇒素直なので害無し(いや、別に出直さなくていい)

・「今度、試合とか連れて行って下さい!」 
⇒如才ない感じが少しイラつくが実害は無し

■タイプC:節操のないミーハー
本当に恥ずかし気もなく、ワールドカップの期間だけ毎朝「観た観た!?やっぱりメッシやばい~。あの柔らかいタッチね!」などと騒ぎ立てる(さんまはココ)。
⇒イラつくが実害は無し

■タイプD:自称「ヨーロッパサッカー好き」
「最近もレッズ観てるんですか?」と言ってくるが、こちらの話など興味はなく「うん、○○くんは?」と訊いて欲しいだけなのでその通り返してやると、「あ、オレ、Jリーグ観ないんでwwwヨーロッパサッカー専門すw」(←これが言いたい)。
⇒かなりイラつくので有害

<大人の対応>
「そうなんだね~。あ、ところで、このお客さんて・・・」(話が続くのを封じる)

<大人げない対応>
へこます。

例:「○○くんは普段何観るの?ブンデス?好きなチームはバイエルン・ミュンヘンなんだ?気になってたんだけど、最近のドイツ出身の監督の躍進には驚くよね。クロップはドルトムントからリバプールでしょ、トゥヘルはマインツからドルトムント、次はパリ・サンジェルマンだっけ、で、今シーズン後半からチェルシーをクラブレジェンドランパードから引き継いで、就任後はほとんど負けなかったんじゃないの?何よりバイエルンの新監督ナーゲルスマンが30歳ちょいだもんね!どんなチームになりそう?あと、ドイツって国レベルで計画的な監督育成の方針とか仕組みなんかがあるの?
あ、わからない?
えーっとそれじゃあ、代表もガラリと変わったよね。ドイツ代表って昔は固くて質実剛健って感じのチームだったけど、レーヴになってからモダンサッカーに転向したでしょ?そういうのもリーガの方と連携してたりするのかな?
あれ、あんまり知らないんだね・・・。
それにしても今年のEURO面白かったよね!あ、WOWOWに入ってない。ヨーロッパサッカー好きにとってはW杯より盛り上がるイベントだと思ってたけど。ああ、高い?2500円。実家住まいでも高いか。結果だけはニュースで知ってると。今回のグループリーグの死の組、ハンガリーは不運だったよね~。ちなみにブンデスが強いのは分かるけど、ハンガリーのリーグとかってどんなもんなの?うんうん、Jリーグと比較して環境とかレベルとか。あ、わからないんだねwww。いや、『ヨーロッパサッカー専門』って言うから(笑)。ハンガリー、○○くんの中ではヨーロッパに入れてもらえてない説wwwwウケるwwww。○○くん・・・。もしかして・・・。世界地図から勉強した方がいいかもね?」

このタイプDに「大人げない対応」をした場合、彼らの反応は恐らく一律。「いや、ヤバくないすか!オレ、そこまでオタクじゃないんで(笑)」。まず間違いなく「オタク」のワードを発してくる。自分が浅いのではなく相手がオタクなのだとすることで自分の優位を保とうとする。面白いよなー。


◇あらすじ

性格は前向きなだが、夢にチャレンジすることに躊躇し、仕事を転々としながら、なんとなく毎日を過ごしているルーエミリア・クラーク。彼女の働いていたカフェが閉店してしまい、職を失ったルーは半年限定で介護の仕事に就く。ルーが担当することになったのは、快活でスポーツ好きだったが、バイクの事故で車椅子生活を送ることとなった青年実業家のウィル(サム・クラフリン)だった。(映画.com)

今日のテーマはこちらです↓。

・今回ばかりは許せぬ邦題!
エミリア・クラークの顔・・・すごくない!?
・「シマシマの足を誇れ」。


◇下がり眉とはこのこと

最近、友人のお勧めを受けてみをつくし料理帖TV版を観て、主人公の澪黒木華のことを浪人の小松原様森山未來がさ、「おい、下がり眉!」と呼ぶのね。黒木華は原作小説のイメージにぴったりだと思うが、眉はそこまで下がっていなくて、今回『世界一キライなあなたに』のエミリア・クラークを見たとき、「これこそ下がり眉であろう」と膝を打った。とても胸を打つストーリーなのだけど、観終わった後に主に残っているのはエミリア・クラークの泣き笑い顔と下がり眉だ。ものすごい破壊力。あのヤバそうなゲーム・オブ・スローンズで、このエミリアがどのような役だったのか全く想像がつきません。
サム・クラフリンについては縁があったのか、この後に観た『アドリフト 41日間の漂流』(2018)にも出ていた。面白かったよ。この人割と好きだな。

さて、本作でエミリア演じたルーは、小さな田舎町で大人数の家族と狭い家に暮らしている洋服が大好きな女のコ。パワフルで前向きな性格で、何事にも一所懸命なのだが、将来の目標は漠然としており、流されるように日々を送っている。そんなとき、勤め先のカフェが潰れてしまい、次の職としてある富豪の息子の介護の職を得る。彼は事故で脊髄を損傷してほとんど動けず、さらに様々な合併症を抱えていた。

エミリア・クラークとは対照的、というか、別の意味で破壊力があるのがサム・クラフリンのザ・無気力を体現したような顔面。半分ほど閉じた目にぼんやりとした表情、口を開けば悲観的な自虐ネタか失礼なことしか言わないひねくれ者だ。本作ではエミリア・クラークのクッシャクシャな顔と霧を晴らすような明るさにまず心を奪われるのだが、敢えてサム・クラフリンの視点から観ることをお勧めする。

現実でもそうだが、何故人々は、重篤な病気を患った人が医学的な観点から正確に病状を説明しているにも関わらず、それを聞こうとしないのか?サム・クラフリンが周囲に対して閉じているのは、まずそのことに対する苛立ちのせいだろう。皆、彼の状態を知ると「リハビリすればきっと」「でも治療を続ければ少しは回復するんでしょ」とお決まりの台詞を吐く。それに対して何度「脊髄を損傷しているので二度と歩けません。免疫も大変低いのですぐ肺炎になります、拗らせれば死にます」と言わなければならなかったのか。今の彼にとってコミュニケーションなど、厳しい現実をわざわざ再確認させられた上、会話の相手を気まずそうに黙らせる地獄の儀式。ならば最初から放棄するのが手っ取り早い。そのため初対面のエミリアにも同じく振る舞うのだが、彼女は他の人間と違って、壁を飛び越えた。クシャクシャの顔と目を疑うほど珍妙なファッションによって。

ファッションを勉強したいと言う割にエミリアの好むおしゃれは突飛の一言。日々身を包んでいるカラフル過ぎ&奇抜すぎるデザインの服装を、さすがに「ルーの服装がかわいい!」と評価する人はいないだろう(多分・・・)。洗練されたサムにはそれがカルチャーショックで、ショックによって鎧うことをつい忘れてしまったわけ。

突然脱線するが、20代のころオーセンティックなバーでバイトしていた。そこには超有能だが鉄面皮のバーテンダーがいて、新人の私が何を質問しても一切教えてくれなかった。後日聞いてみれば、バイトが入ってきてはそのバーテンダーが怖いと言っては辞め、また入ってきては彼に怯えて辞めるので、ある程度定着するまで口を利かないことに決めていたそうだ。「効率的だろ」と言っていたが、極端すぎだろ。何も知らずに入ってきた側にしたら堪ったもんじゃないわなー。
始めはビビっていたものの段々ムカついていた私はある日、お客さんに「バーボン」と注文された際「バーモン」と聞き間違え、『メニューにないけどそんな酒あるのか?よくわからんがバーに聞いても黙殺されるしな』と開き直り(当然だが客に『バーボンの種類は何になさいますか』と確認するのが正しい)、件のバーテンダー「バーモン」と書いた紙を堂々と渡した。やはりめちゃめちゃ感じ悪く「バーボンの種類」と言われたのだが、その後、厨房に行って「バーモンて(笑)。バーモントカレーかよ(笑)」と爆笑していたらしい。

つまり何が言いたいかというとだな、わかるな?
サム・クラフリンは無気力仮面を予想外の方法でカチ割られた。それをきっかけに彼はエミリアに惹かれていくことになる(私とバーテンダーの間には何も起こってないぞ!)。しかも、エミリアに知識や教養を与えてみれば、みるみる間に吸収していく。彼は彼女がこのような狭い町で終わるには惜しい器の人間であることに気付き、人に投資し育てる喜びを思いがけず見い出すのだ。

マイ・フェア・レディ(1964)とまでは言わないけれど、狭いカゴに閉じこもっていた女の子を解放してやる物語とも言えるよね。『マイ・フェア・レディ』はオードリー・ヘプバーンの美しさに文句はないものの、ちょっと気持ち悪い映画だけど(だって自分の価値観で女の子を作り変えるって・・・別にあのままでもよかったじゃん)。


尊厳死云々の倫理の話からサムを解放してあげて

サムに生きる気力を取り戻して欲しいエミリアは、精力的に外に連れ出そうとする。競馬やクラシック鑑賞、果ては元カノと親友の結婚式にまで。取り立てて喜びもしないが、それでも外出を断らないサムに、観客もエミリア同様、きっと生きる気力を取り戻してくれたのだろうと期待する。
だが、その心情が明かされる海辺のシーンでは、はっとさせられ、涙腺が緩んでしまった。そりゃそうだよね。エミリアは自分の行為に満足していたが、動かなくなった車椅子を周囲の人間に持ち上げてもらうこと、レストランでは追い払うように入店を断られること、本来であれば手を差し伸べる側であり歓迎される側であったサムにとっては、周囲で起こる全てのことが以前との落差を思い知る苦痛の要因でしかない。彼の結論自体は一ミリも揺らいでいなかったのだが、それでもエミリアの喜ぶ顔が見たいがために付き合っていた健気さを思うと、かーなーしーいー。
悲しいけれど、誰がどのツラ下げて言えるのだろうか、終わらせたいと思っている人間に希望を持って生きるべきだなんて傲慢なことをさ。

エミリアは、彼女が望んだ形での希望にはなれなかったけど、それでも彼の世界を確かに変えた。以前ならば二人は道で見向きもせずにすれ違う類の人間同士だったはずだし、サムが黄色と黒のシマシマのタイツを買い求めることなど決してなかったのだから。
そんな本当ならば生まれるはずもなかった繫がりを表現した『Me Befor You』、『あなたに会う前に私』あるいは『君に会う前の僕』という素晴らしい題名が、なんで『世界一キライなあなたに』ってなるのよ!?「世界一キライ」ってどの段階?それ重要?あと、「に」ってなに、「に」って!

今日は沢山キレて疲れたので、この辺でお別れです。前書きと本文関係なかったじゃないって?まあね。
最後にパリのカフェで椅子から立ち上がったときのエミリアの足が、本作最大の見せ場なので、是非観て欲しい。私が今年観た恋愛映画全一本中、堂々の第一位です。ではまた。

『オフィシャル・シークレット』

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監督:ギャビン・フッド キャスト:キーラ・ナイトレイレイフ・ファインズ/2019年

こんにちは、金曜日ですね。
以前、私の親友リエコが唱える「主婦の味方はスタローンではなくシュワちゃんである」説を紹介しました。しかし、先日会ったとき、「私もスタローンについて考え直した」というの。何でもNHKの番組で、登山中に遭難した男性のドキュメンタリーだか実体験を基にしたドラマだかを観たんだって。その人は滑落して足から骨が飛び出る大怪我を負ってしまい、ランボーでスタローンが傷口を松明の火で焼いて消毒するシーンを思い出し、同じように処置したのだそうだ。

リエコNHKさんが『ランボー』を認めた瞬間だった。『ランボー』もそんな風に現代の人の役に立っているんだね、病床のトンコツラーメンとか頼んでもないピザとか言ってごめんね」

なんか、むかつくわ。理由は分からないんだけど、ムカつく。

リエコ「でもね、その人、傷口に蛆が湧いちゃったんだって!医者が言うには『温められてハエの温床になるので傷口を焼くのは間違い』だって。『ランボー』が間違っていると証明された瞬間ww」

うっせぇうっせぇうっせぇわ!あなたが思うよりあの山は寒いです!

怒りを鎮めるために『オフィシャル・シークレット』を観ました。


◇あらすじ

2003年、イギリスの諜報機関GCHQで働くキャサリン・ガンキーラ・ナイトレイは、アメリカの諜報機関NSAから驚きのメールを受け取る。イラクを攻撃するための違法な工作活動を要請するその内容に強い憤りを感じた彼女は、マスコミへのリークを決意。2週間後、オブザーバー紙の記者マーティン・ブライト(マット・スミス)により、メールの内容が記事化される。(映画.com)

映画に限らず法廷ものと新聞社ものが好きです。『オフィシャル・シークレット』は、同じ状況をアメリカの新聞記者を通して描いた『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(2017)と併せて観ました。
当時の情勢をチャッと振り返っておこう。誰のために。将来このブログを読む娘のために(こんなもの読ませるんかい)。
9.11の同時多発テロをきっかけにテロとの戦いを宣言したアメリカは、2002年1月ブッシュ大統領イラク、イラン、北朝鮮の三国を「悪の枢軸」であると批判。政権内でネオコン新保守主義)の中心人物ウォルフォウイッツ(当時国防副長官)らがイラクへの武力行使を画策していた。アメリカは大量破壊兵器の存在を口実にイラクに査察団を受け入れさせたが、見つかったのは湾岸戦争時の遺物のみで、噂されたような移動式最新兵器等の存在は証明できなかった。そのため、アメリカ・イギリス以外の国連安保理常任理事国は攻撃反対の意を示していたが、ブッシュはイラクでの人権抑圧やフセインアル・カイダとの関係を理由として国連決議なしでイラクに侵攻、2003年3月に空爆を開始した。

『記者たち』は、「ナイト・リッダー」社の記者たちがこの戦争に道義はないと発信し続け、しかし奮闘空しく戦争が始まってしまうところまでを描いた映画だ。「ん?新聞記者?」と目を疑うほどゴツいウディ・ハレルソンジェームズ・マースデンが汗を拭き拭きネタを掴んでは裏を取り、デスク(監督のロブ・ライナーだ)にケツを叩かれながら大きな体を縮めて執筆する、たまに他社に抜かれて悔しがる・・というゴツめの本筋に、爆撃で半身不随となった若い兵士のストーリーを交え、この戦争が如何に間違った判断であったか、湾岸戦争と合わせてどれほど多くの兵士を無為に死なせたかを糾弾する内容になっている。

ブッシュの一般教書演説、パウエルの国連代表団に向けた演説などの実際の映像も多く差し込まれ、さらにジェームズ・マースデンの恋の話にまで広がるので若干目まぐるしいのだが、手際のよい編集のおかげで当時の状況や雰囲気が分かりやすく伝わる。そのせいなのかそのせいでないのか、ストーリーの面では上がり切らなかったなぁという印象。ロブ・ライナー「我々は他人の子を戦争にやる者の味方ではない、自分の子を戦争にやる者の味方だ」と社内に奮起を促すシーンや、ウディ・ハレルソンが難攻不落の情報提供者から重要な情報を得るシーンで「こっから反撃じゃあ」と胸が躍るものの、最後はイラクでの爆撃を見守るナイト・リッダーの面々の無念の表情を映して終わってしまうもんで、私の胸の小躍りも尻切れトンボとなったんである。

 

◇ようやく本題

リズムのよい編集により多くの情報を扱った『記者たち』と比べると、『オフィシャル・シークレット』で見るべきものはシンプルだ。信念に従って戦争を止めようとした女性と彼女を守ろうとする記者や弁護士たちの奮闘の物語である。ちなみに実話をベースにしている。
キーラ・ナイトレイ演じるキャサリン・ガンはGCHQ(イギリスの諜報機関)での勤務の最中、NSA(米国家安全保障局)からの機密メールを受信する。それは国連代表国の特定の数カ国を監視せよとの内容で、イラク攻撃に反対をする動きがあれば圧力をかけて賛成に転じさせることを暗に求めるものだった。彼女はかつての同僚を経由してこれを新聞社へリーク、世に不正を訴えようとする。

とにかくドキドキするのが、キーラが機密メールを印刷して外に持ち出し、震える手でポストに投函するまで。彼女は諜報員として契約書にサインしているので、この行為は「公務秘密法」違反、れっきとした犯罪行為である。キーラはもちろん情報の出所を隠したつもりだったのだが、反戦活動家の記者からオブザーバー紙の記者マット・スミスの手に渡ったメールは、文面そのままに掲載されたため漏洩元が特定されてしまい、GCHQでは厳しい内務調査が始まる。この犯人捜しのシーケンスがまたドキドキで。そして緊張の糸は、キーラが自らリーク犯であると名乗り出ることで解かれることになる。実話は時に創作よりドラマティックとでも言うべきか、メールがまんま紙面に載ってしまうところとか、いくつかの単語の綴りをオブザーバー紙の校正担当がいつもの癖でイギリス英語に直したために、特ダネが一瞬で偽物になってしまうなんてエピソードも面白かったなー。

キーラが起訴された後は、彼女を助けようとする人々が法廷でどう主張するか戦略を練る展開となっていくのだが、ここから登場する弁護士のベン・エマーソンレイフ・ファインズが頼もしい!他の弁護士たちは、判事に情状酌量を訴えるのが現実的であると提案する。自ら罪を認めれば、同情を禁じ得ない状況を鑑みて恐らく半年ほどの服役で済むだろう。しかし、それでは前科がついてしまう。そしてキーラは何より、国が国民を裏切ったのに法律に対抗できないからといって罪を認めることに納得できない。

刑事に「あなたは政府に仕える諜報員だろう」と非難されたキーラが、「私が仕えてるのは政府ではない、国民だ」と切り返すのが胸アツだった。この映画で重要なのは、被告となる人物が、勤務先こそ特殊な組織であれ一般の女性ということだったと思う。イーサン・ハントやジェームズ・ボンドのように揺らがぬ精神力を持つスパイでなく、普通の女性がブルブルと手を震わせて怯えながら意志を貫こうとするさまに、こちらも自然手に汗握る。同じテーマながら、『記者たち』では自国の兵士たちを守れと訴えるのに対し、こちらではイラクの一般市民の犠牲を憂慮していたのも良かったな。

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現在でも法廷でこんなカッコするんですな。

キーラや弁護士たちが「いかに軽い罪で決着させられるか」を話し合う中で、レイフ・ファインズがある提案をする。これが一同の発想からかけ離れたものなのだが、せっかくなのでネタバレせずにおこうと思います。

まぁ、キーラ然りレイフ・ファインズ然り、清廉に過ぎると言うか、皆が皆自分の生活を犠牲にして信念を貫けるものだろうか?とやや綺麗すぎる嫌いはあった。例えばラスト、レイフ・ファインズが検察側の友人をあくまで突っぱねるシーンとかね。あちらさんも立場が違うだけでアンタと同じく仕事だったわけだし、和解に来ているじゃないかよー。

映画の話でなくなってしまうが、妙に職業倫理について考えてしまう作品でありました。『記者たち』に物足りなさを感じたのは、恐らく私が新聞記者という職業に多分に敬意を抱いているためだと思う。彼らが各所各場面で経験する忍耐や踏ん張りは、一般企業人のものとは種類もレベルも大きく異なる。(諜報機関と並べるのはナンだが)GCHQの人々がそうだったように、国民に影響を与える情報を扱う組織には何というか、個々に一般企業ではまず見られない責任や自浄の意識があり、その点をいつも偉いなぁと思っているんだ(日本のどこ新聞は国賊だとかマスゴミがどうだとかは聞き飽きている。もっと根幹の、個人の信念の話だ)。だから、記者の奮闘を描いた作品では、どうか報われてくれと願ってしまうんだ。

キーラ・ナイトレイは口元が特徴的で、実は笑った時の顔が苦手なのだが、逆に表情があまり動かない役であったことが奏功したと思います。今日は、半分は『記者たち』と、映画に関係ない話だったので次回がんばります。

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『悪の法則』

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監督:リドリー・スコット キャスト:マイケル・ファスベンダーペネロペ・クルスキャメロン・ディアス/2013年

みなさん、こんにちは。
硬派で知られる当ブログですが、親友のリエコから「イケメン度が足りない」とクレームがつきました。あんたのイケメンて、ペニーワイズとかエディ・レッドメインだからなァ。よし、ならば、こちらのイケメンを拝むがいい。

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プロフィール:
キャスパー・ユンカー(27歳)、通称ユン様。現浦和レッズ所属のデンマーク出身FW、昨年ノルウェーリーグの得点王&MVP。ステップアップの先として浦和を選び(もっといいとこあったのでは?)コロナを物ともせず来日。初出場から4試合連続5得点を記録し、レッズサポーターのハートを鷲掴む。独身。現在「キャスパー、私(俺)を抱いて(くれ)」と思っていないレッズサポは全体の0.1%を切る。

リエコに紹介したところ、「デンマークと言えば、ホラ、北欧の至宝だとかいう俳優もデンマーク人だったよね。ミッツ・マングローブセンだっけ?」。うっかりさんのフリはやめろ。「セン」が出てくる時点で、ホントはわかってんだろうが!(念のため、マッツ・ミケルセンです)
キャスパーは墨入れまくっていないところも好印象(前回W杯でリエコ、「デンマーク代表にカビキラーかけていい?」と暴言を吐く)。

というわけで、本日はイケメンパラダイス(?)な『悪の法則』をご紹介します。
まぁまぁつまんなかったでーす。ネタばれです!

 


◇あらすじ

若くハンサムで有能な弁護士(カウンセラー)が、美しいフィアンセとの輝かしい未来のため、出来心から裏社会のビジネスに手を染める。そのことをきっかけに周囲のセレブたちにも危険な事態が及び、虚飾に満ちた彼らの日常が揺るがされていく。(映画.com)

リドスコ監督&ノーカントリー(2007年)で知られるピュリッツァー賞作家のコーマック・マッカーシーが書き下ろしたオリジナル脚本。キャストは、ハンサム代表のマイケル・ファスベンダーにセクシー代表ブラッド・ピットハビエル・バルデム、ゴージャス代表ペネロペ・クルスキャメロン・ディアスと揃い踏みである。セクシーとゴージャスの波で溺れそうでした。観た後は寺に行きたくなった。

 


◇哲学問答がつらい

話の筋としては上の通り。主人公の“カウンセラー”(マイケル・ファスベンダー)は弁護士として成功し、美しい恋人(ペネロペ・クルス)と婚約して幸せの絶頂にあった。冒頭は、マイケル・ファスベンダーペネロペ・クルスとベッドの上でジャレ合う幸福なシーンで始まる。そこから友人の実業家ライナー(ハビエル・バルデム)の自宅を訪ね、彼の紹介で麻薬ブローカーのウェストリー(ブラッド・ピット)と会い、麻薬ビジネスの心得を伝授される・・・というように進んでいくのだが、とにかく会話中心でワンシーンが長く、限られた人間関係と現況以外が見えてこない。

一見、無意味なシーンに意味があることは分かる。例えば、マイケル・ファスがペネロペに贈る婚約指輪のダイヤを購入するため、アムステルダムの宝石商ブルーノ・ガンツを訪ねる場面。ここでは、分不相応な宝石を前に彼の虚飾性や見栄っ張りで強欲な性質、裏世界に足を突っ込んだ理由が垣間見えるだけでなく、長々とダイヤについて語られる講釈が映画全体のテーマを示唆しているだろうことは分かるんだ。「完璧なダイヤは全くの透明」「我々は瑕疵を見つけることで値段をつけていく」「長所ではなく、短所を見る」、つまりこの世も同様に、選択・選別の繰り返しだということなんだろう。

とは言え、「長い」「何言ってんだ?」の疑問符が頭に浮かびまくることは否めない。

あと、ビジネス仲間のハビエル・バルデムとブラピね、この二人が出てくる都度、前者は「お前、ホントにこのビジネスやるんだな」「抜けられないぞ」とファスをビビらせるか女のアソコの話をし、後者は「お前、ホントにこのビジネスやるんだな」「甘くないぞ」とファスをビビらせるか女の話をする。始まって一時間、一体マイケル・ファスは具体的にどのようにビジネスに関わっているのか、卸元であるカルテルはどんな組織なのか?など全容が不透明なまま、二人が「やばいよ、やばいよ」としつこく警告してくるって状況、ただそれだけ、何も起こらない。早く起これや。
マイケル・ファスがペネロペとイチャつく⇒キャメロンがビッチぶりをあの手この手で披露⇒バルデムがファスを脅す⇒ブラピがファスを脅す⇒ファスがペネロペとイチャつく・・・と、特に話が進まないシーンが細切れに、更に妙に哲学じみた会話劇により展開されていくのである!ド退屈やで。大体どう見ても柄シャツ成金のバルデムが、急に詩を引用し出すことのちぐはぐさよ。

女性たちに関しては、ペネロペが裏世界に縁のない素晴らしい女性であること、対してキャメロンが如何に危険な香りのする女かを強調し、末路の残酷さをより際立たせるための演出なのだろうが、キャメロンについて車とセックスするだの神父に性事情を告白しに行くだの「悪趣味」の一言で片づけられるエピソードばかり。変態的なセックスの話させときゃ、危険で奔放ってか(ヒョウの入れ墨もあざといしダサい)。

私、あんまりペネロペ・クルスの作品って観ていないんだけど、その中ではそれでも恋するバルセロナ(2008)が良かったんだよね。いっそ、ペネロペとキャメロンは逆が良かったのではと思っちゃうのは安易だろうか。どうしても、キャメロンのカエルのような愛らしい顔が闇社会の女に見えない。『それでも恋するバルセロナ』は結構好きなので、中身と合っていない邦題をなんとかして欲しい。劇中で夫婦役だったハビエル・バルデムとペネロペは実際に結婚したんだよなー(リエコから、『悲報!ペネロペたんがカバと結婚した!』ってメール来た)。

 


◇流石の手腕と言わざるを得ないんだけども

「何も起こらない」、この言葉が脳みそ空っぽな感想だなってことは私も分かっている。「何も起こらない」とガッカリするのは、何か起こる=誰かが死ぬとかドンパチが始まるとかを勝手に期待してのことだものね。で流石に、リドスコが敢えて、全容をボカし、その時の状況をポンポンと配置したことは分かる。そしてそれは、「敵が明確でなくいつどこからやってくるのかわからない」ことと作用して、得体のしれないものが徐々に忍び寄る恐怖を感じさせる効果があると思う。

特徴的なのは、本作にはカルテスのボスのように分かりやすい敵が出て来ないことだ。コカインをバキュームカーに詰める奴、それを取りだす奴、捌く奴、人を殺すように電話一つで命令する奴、金で雇われて人を殺す奴、歯車はそこら中に配置されている。前半の会話の中に思わせぶりに登場する「動き出したら誰にも止められない」ボリートという処刑器具は、この無機質なシステムからは逃れようがない男たちの運命を示していて、さらに誰よりも用心深く振る舞っていたはずのブラピが、その道具の犠牲になるという皮肉。

あるカルテルのメンバーにマイケル・ファスが言われる「すべてはお前の選択だ」。ブラピは、わずかな気の緩みが原因で命を落としてしまった。マイケル・ファスの過ちは、成功を収めながら欲を掻いたこと、そして選択の失敗は表の職業で扱った事件を軽視しやるべきことを怠ったこと。ほんのわずかなミスだった、まるでダイヤについた傷のように。だが、その微かな傷に偶然と不運が重なることで致命傷となる、常識の通用しないシステマチックな世界に足を踏み入れる選択をしたのも彼らだった・・・。

 

ってまあ、そんな感じ。マイケル・ファスに起こったある不運から、前半の点が繋がれていき布石を絡め取って、緊迫感に満ちた展開に持っていくのは流石の手腕と言わざると得ない。得ないんだけど、「それだけかぁ」って思ってしまった。そして、キャメロンがやたらと繰り返す「I'm starving」(当然、肉だろう)のせいで、「私は野菜が食べたい」ってなった。

例え後半で上手く回収されたとしても、私は前半の無意味な時間を恨む。例えばカメラを止めるな!(2017)で真相が明かされ「ああ、そういうことだったのね!!」とスッキリしたとして、だからどうした?って思ったでしょ。無意味な画面は無意味な画面だ。後で意味を説明されたからって、その時点で無意味だったことに変わりはないじゃないの。

リドスコは、前作の『プロメテウス』(2012)といい『エイリアン: コヴェナント』(2017)といい、妙に哲学に触れていたが、もうこっち方面で行くのかね?

引用:(C)2013 Twentieth Century Fox.

『アリー スター誕生』

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監督:ブラッドリー・クーパー キャスト:レディー・ガガブラッドリー・クーパー/2018年

皆さん、こんにゃちは。コロナはだいじょーびですか?

息子が新一年生になり忙しい日々を送っていました。しかし息子は、「お友達できるかな」とドキドキしながら通い始めた姉とは異なり、当たり前のような顔で出かけていき、当たり前のような顔で帰ってくる。

数日経って「お友達できた?」と訊くと「できないよ」と言う。しばらくして同じ質問をしても答えは同じ。時々、教室に様子を見に行ってくれているらしい娘(←優しい)によれば、「皆校庭に遊びに行ってるのに、一人で椅子に反対に跨りひたすらガタガタさせていた」「廊下で一人、タコのように踊っていた」らしいので、ちょっと不安に思っていた。が、通学班班長のミサリンから「朝、校門で男の子と『おう、○○!』ってタッチして一緒に教室行ってたよ」という情報がもたらされ、息子に「友達できたんだね」と再び訊くと「仲のいい子が3人いるよ」。「だって、いないって言ったじゃない?」と言うと、「おんかが『友達できた?』って訊いた日にはできていなかった」と。

なるほど・・・。息子の思考回路や発想は私のものとは異なるので気を付けねばなりません。

さて、そんなこんなで、本日は『アリー スター誕生』です!

 

◇あらすじ

音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。(映画.com)

映画好きの鬱陶しい友人S氏に「『アリー スター誕生』を観たよ」とメールしたら、「イーストウッドビヨンセで撮るはずだったんだよな」と返ってきた。多少の映画好きならまずそう言うだろうし、無視できない事実だよね。イーストウッドを愛するS氏がコレを観たならば、「イーストウッドなら、こう撮っただろうになあ」とイメージが湧くんだろうけど、私はイーストウッドについて知見がないので、そういった想像ができなかったのが残念。ちなみに知見があるS氏は、本をよく読むくせに言語化の能力を著しく欠いており、脳内でしか文章を書けないので代筆してもらえないのも残念です。


◇ガガ様が愛しくて仕方ない

歌手になることを夢見ながら地元のバーで歌うアリーレディー・ガガが、有名ロックバンドのボーカル、ジャクソンブラッドリー・クーパーに見出され、スターダムに駆け上がっていく様を描いた本作。

鑑賞後に少し巷のレビューを読んだんだけど、皆さんおっしゃる通り、アップショットが多いね。ってか、アップショットの嵐だね。観た後、映画好きの同僚(美女。好きな音楽映画は「ファッキン、テンポー!!」)にお勧めしたんだが、やっぱり「よかったけど、意味のないアップにちょっと笑ったわ」と言っていた。ただ私は、前半はそれがまったく気にならなかった。つまり、気にならないほど、物語に夢中になってしまったのであーる!
ガガが成功を手にするまでの胸が躍るような展開や歌唱シーンがとても好き。スーパーの駐車場で即興で歌を作るシーンや、クソみたいなバイト先を飛び出し、クーパーが手配したプライベートジェットでライブ会場に向かうシーンなどから伝わる高揚や疾走感、恋愛の喜びと歌に捧げる二人の情熱に、こちらの胸も熱くなる。

もちろん、この評価には、映画には直接的には関係しないガガの素晴らしい歌声が影響している。それくらい、ガガの歌にはグッとくるものがある。

さらに、激変する状況に追いつけず戸惑うガガの細かな仕草が愛しいこと。地元のバーの楽屋にクーパーが訪ねてきたときの「ワオ、嘘でしょ?」という表情だったり、大観衆の前で尻込みし、歌い出しはするものの何度も顔や口を覆ってしまう素振りなどが好ましい。彼女がプロのアーティストに徹し始める後半から振り返ると猶更、それらがなんとも初々しく、現実のガガも最初はこうだったのかな~、と想像してしまうほど素朴で自然体なのだ。もちろん、この映画には、「鼻を直さないと売れない」と言われたことなど実際のエピソードが採用されているわけだけど。

ちなみに現実のガガについて、あの独特の表現方法や言動は好きだが、楽曲はあまり響いてこない。私の中の好きな音楽の一つの基準として「聴き続けられるかどうか」があり、例えば最近で言えば、『オフィシャル髭男dism』とかKing Gnuとかさ、単発では「あ、いいじゃない」って思うんだけど、不思議と聴き続けてはいられないんだよねぇ。二、三曲で、もういっかな、となってしまう。残念ながら、ガガの音楽はこちらに分類される。

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◇クーパーが愛しくて仕方ない。

芸術やエンターテインメントの分野で成功を収める物語では、一旦は成就し、その後に今一度障害があり、愛する人や周囲の人間に助けられて立ち直るまでを描くのが定石だろうと思う。面白いのは、本作では堕ちていくのが、スターになったガガではなくパートナーのクーパーだということだ。ガガは、この映画の中で超優等生である。クーパーのバンドで歌ううち、著名プロデューサーにスカウトされて契約する。当初は「私の武器は歌よ」と主張するものの、彼のアドバイス通りダンスを学び衣装や髪型を変えて、歌手に留まらないアーティストとしてグラミーにノミネートされるまでになっていく。そして、その傍ら、アル中のクーパーを支え続ける。

つまり、人に頼りながら依存せず、自分の道を突き進むために努力を怠らない真面目で賢明な人物であるわけだが、クーパーの方は残念ながら、彼女ほど心の強い人間ではなかった。恐らく近い将来絶たれてしまう音楽の道、また離れていくガガに焦燥し、孤独感に苛まれて酒に溺れていってしまうのだ。ここからの、酒に逃げ、立ち直ろうと酒を止め、障害にぶち当たってまた酒に逃げる・・・を繰り返すクーパーにはハラハラさせられる。特にグラミー授賞式で最悪の失態を犯す際の演技はリアル。

突然ですが、ここで、誰よりも酔っ払いに詳しい私、やなぎやが酔っ払いについて解説しましょう。私自身は酒が飲めません。それほど親しくない保育園のママに飲み会で「やなぎやさんは、まずポン酒でOK?」といわれ、ある知り合いの夫婦に酒飲めないと告げたら、「今年一番驚いたな」「ホントね・・・」という、本来夫婦二人になってから交わすべき会話を目前で聞かされた私ですが、体質的に飲めないんだよね。なのに、なぜか周囲は夫を筆頭に酒好きばかり。しかもこいつらが「明日を考えて飲むなど愚の骨頂」みたいな飲み方するので、素面で付き合っている側にしたら、思うところは色々あらぁな。

<酔っ払い初級>
・言葉が通じない。
・性格のイヤなところが出る。
・その場で寝る。起きない。
・翌日、何も覚えていない。

<酔っ払い中級>
・帰宅して素っ裸で寝ていたら、マンションの窓を掃除していた人と目が合う。
・できないくせに、意地でもなんか(皿洗いとか)やろうとする(結果できない)。
・トイレに行ったと思ったら、全く別の店から「何階だっけ?」と電話してくる。
・帰ってきたと思ったら、大量のクリスピー・クリーム・ドーナツを持っている。
・超、爪を立ててくる。
・財布を掏られる。

<酔っ払い上級>
・接待中、トイレに行くと言ってそのまま帰宅。
・帰りの電車で隣に座ろうとしたデブを「座らないでくれる?」と睨む(理由:デブだったから)。
・ホームレスと一緒に段ボールを被って夜を明かす。
・新宿に向かっていたはずなのに、雀宮(栃木県宇都宮市)にいる。
・栃木名物「レモン牛乳」の写真を送ってくる。

 

ムカつくぜぇぇぇ。こんだけやらかして、「俺たち(私たち)アホでーす。同じアホなら飲まなきゃ損、損!」とか思ってるのがホントむかつくわぁぁぁ。

だからさ、グラミーのシーンは、「ああ、やめて・・・今はやめて。むりしなくていいから家に帰って。」と祈りながら観たよ(そういう意味では、私の中でこの映画の主役はクーパー)。

でも。でもね、奥さん。ダメンズと嫌う前に聞いて。クーパーの愛らしさはヤバイんですよ。大体、この男、超イイ奴なのだ!アル中って点を除けばね。ガガの怪我した手に冷凍豆の袋を巻きながら、孤独な生い立ちを語るあたりからモウダメ。ファンのサイン要求に快く応じ(しかも偽オッパイにサインしてくれとか言う)、何か歌ってよという不躾な願いにも誠実に応えてくれる。スーパーの店員に無断で写真を撮られても、嫌な顔一つしない。スターであるのに傲慢さがないのだ。

ガガを自分たちのステージに引っ張り出し、彼女がようやく歌い始めたときの嬉しそうな顔。そして、ガガが別の世界に踏み出すと知ったときの、無言で頭をぐりぐり押し付けてくる嫉妬の示し方とかさ、うわー!ダメなやつなんだけど、かわいい。過去に「映画の登場人物に感情移入して、共感できないから評価しないなんておかしくない?」と偉そうに言ってきたが、私はこの映画でクーパーに思い入れた、感情移入しまくって泣いた。矛盾してるんじゃないかって?うるせえ、矛盾せずに生きてる人間なんかいんのか。

ただですねぇ、ただですよ、奥さん。この辺りから、うむ、アップショットが気になり出した。前半の華やかさに対し、後半は否が応でもクーパーの危うい精神状態に目を向けることになるので、それまで気にならなかったものが目についてしまったって感じかな。特にクーパー&ガガ、クーパー&アル中施設の職員のおじさん、ガガ&パパなどの一対一での会話場面が多く、さらに長く、交互にアップで映すだけなのはツライ。

それで思い返してみれば、この映画の欠点は、肝心のライブシーンに奥行きが感じられないってことではないだろうか。例えば、地元のバーでガガが『ラ・ヴィ・アン・ローズ』を歌う二人の出会いの場面、ここは無名時代だからこその、客との距離の近さが重要だと思うのだが、ステージからガガが下りてくるところ、そして客の間を歩くシーンでは彼女の上半身しか映っておらず、全体の雰囲気が分からないのだ。バンドのツアーに参加してからは、これまでとは比較にならないハコで歌っているにも関わらず、大歓声は聞こえど、ガガから見た客席、逆に客席から見たガガという画がほぼなく、臨場感が伝わってこない。ライブシーンが良かっただけに勿体なかった。

役者としての二人はとても素晴らしかったと思う。監督としてのブラッドリー・クーパーは・・・分からない。

引用:
(C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

乳腺外科で出会ったヨーダ

皆さん、こんニャちは。

本日は映画以外のことを書きます。死んだと思ったら生きてたふかづめさんの真似をするわけじゃないんだけど、新学期のバタバタやら在宅やらで、映画の記事のストックはゼロどころかマイナス、しばらく落ち着いて観られなそうだから時間稼ぎです(自分へのね)。

 

乳がん検診で引っかかる

昨年6月の健康診断で受けたマンモグラフィー&超音波(エコー)検査で「所見あり(乳腺腫瘤)」、要はしこりがあるよとの結果が出て、イヤっちゃイヤなので、夏休みを取ったとき、近くの乳腺外来のある総合病院に行ってきました。

そこで診てくれたのが、50代くらいのヨーダみたいな顔した強烈なキャラクターの先生で。この人は、都内の大学病院の乳腺外科に所属していて、毎週金曜日だけ、うちの近くの病院に出向して来ているのね。で、私の受診理由を聞いた途端、「またか!オレは健康診断結果で『所見あり』って書くヤツが大っ嫌いなんだよ。どの辺りとかどういう状態だとか何センチとか詳細を寄越せないヤツは、死ねばいいのにと思ってる」とプンプン怒り出した。

「お医者さんが『死ねばいいのに』とは」と苦言を呈すると、ヨーダ「今のはよくなかった」と反省。その後、「ちょっと、下行ってね、ビャーッとマンモ取って、その後エコー取ってビャーッと帰ってきてくれる?」。

ビャーッとできたかは分からないけれど、言われた通り検査を受けて戻ってくると、結果を見ながら「この病院さー、機械が古いのよ!特にエコーがダメ、全然見えない」と、今私がしてきたことを台無しにするようなことを言い、「ココ、悪の事務長が仕切ってんだよ、そいつが金出さない」と裏情報をリークし出した。

さらに、自分は以前別の大学病院にいたが、現在の病院に「何でも好きにしていい」とヘッドハントされ、金も全く違ったので話に乗ったなどと頼んでもない自己紹介を披露、それをフンフン聞いていた私の前に突然、撮影した写真を突きつけて「うーん、針刺そっか」と言った。

※「針を刺す」・・・ヨーダは簡単に言うが、今となれば、そんなに気楽に言わないで欲しい痛めの生体検査。私がやったのは注射針より少し太い針を麻酔なしで胸にブッ刺し、バネの力を利用して組織を採取する「コア針生検」で、取った組織を病理に回して悪性か否かを検査するのだ。

ヨーダが言うには、私の場合は微妙なラインで悪性の可能性は10%くらい、だが疑いがある以上潰しておきたい、この病院では設備がないので本来自分がいる都内の病院に来てほしいとのこと。「もう少し様子を見ましょうという先生もいるだろうが、乳がんは初期に発見して手術すれば助かる病気。皆がもっと検査に来て、痛いからと検査を避けなければ、日本の乳がん死亡率はもっと下げられるんだ!」と熱弁され、拒否するつもりはなかったので予約をした。

一応「痛いんですかね」と訊くと、「全然痛くないよ」と断言された。

 

◇大学病院へ

結論から言うと、痛かった。というか不快感の強い検査だった。ヨーダは痛くないと言う割に「血が垂れる」「服が血で汚れると困るから」と繰り返していて、後になって考えてみればそれくらい血が出るような太さの針ってことだもんね。それにしても、またマンモとエコーを受けさせられ、どんだけ私のおっぱい潰すんだ!と思った。最近では、男性でも知らない人は少ないと思うが、上下左右にめっちゃ潰して、うすーくしてX線撮影するのね。しかしヨーダによれば、地元の病院の機器では「全然見えない」ので、再度受けるのも仕方ないか。

さて、その後、あれよあれよという間に看護師さんたちがベッドなどを準備して(皆「血が垂れるからねー」と言う)、いよいよ胸に針を刺された。痛い痛い、なんだろう、刺される痛みより、ぐーっと異物が肉に入ってくる感覚とたまに神経に触れるのか身体がビクってなることの不快感、バチン!バチン!とバネがハネるたびに組織が取られていると分かる感じが気持ちが悪い。まあ、注射関係でこれまでに一番痛かったのは帝王切開の時に2回経験している脊髄麻酔で、それよりはマシなんだけど、「痛くないんだ~」と思っていた分、天国から地獄。

「先生、痛いんですけど」と文句を言うと、ヨーダの奴、「ごめんウソついた。だって、痛いって言ったらみんな受けないんだもん!」。

ヨーダのウソは許せないが、このときの結果は悪性ではなく問題なし、となった。

 

◇定期検診

さらに昨日、半年後の定期検診に行ってきた。またしても下でビャーッとマンモとエコーを撮ってヨーダのところに戻ると、写真を見ながら、早速うちの地元の病院の悪口を言い出した。「あそこホント悪の事務長が金出さないからね。あ、でも、マンモはすごいいいヤツ入れたよ。あと、敷地広げるらしくて針も刺せるようになる」。私が「じゃあ、もう御免ですけど、次に生検受ける事あったら地元で受けられるんですね」というと、ヨーダのやつ、「エコーは全然ダメだけどね。もうね、潜水艦のレーダーかってくらい何も見えない」。

マジかよ・・・。潜水艦のレーダーって。今どれくらいの性能なのか正確には知らないけども。敵の位置しか見えないイメージなんだが。

そんなことを聞かされて呆然としている私に、ヨーダは撮影した写真を突きつけて「乳腺の方はまったく問題なしだったんだけど、ついでに撮った首のとこ、甲状腺に腫瘍が見つかっちゃったから、針刺そっか」と言った。

・・・。せめてもうちょっと、前置いてから言って欲しいです・・・。今日は私、定期検診だと思って気楽に来ているんで。

でも仕方ないので、まるで『ホステル』で殺されるのを待つ女のように、首を剥き出しにして、今度は首に針を刺してきました。「痛くないから」と言われたので、「いや~、先生、前回ウソついたじゃない」と言うと、先生も看護師さんたちもドッと笑って、今度はホントにあそこまで痛くはないですよ、とのこと。これもイヤな検査だったが、痛めの注射くらいだったかな。

こちらの結果はまだだけど、この先生「可能性を潰す」主義で、わずかでも疑いがあれば、すぐに組織検査するタイプの医者だと思うのね。だから大丈夫だと思います。

ちなみに、エコー写真の結果、「あなた、43歳!?43歳のおっぱいじゃないね、若い!」と言われたので、今度から「若いおっぱいのやなぎや」と呼んで頂ければと思います。

ではまた。チャオ。

『ヘッドハンター』

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監督:モルテン・ティルドゥム キャスト:アクセル・ヘニー、ニコライ・コスター=ワルドー/2012年

皆さん、こんにちは。娘が連日観ている『名探偵コナン』の海で溺れそうなやなぎやです。事件とか謎解きはいいんだけど(全然よくないんだが)、「二人って付き合ってるんですかぁー」「えっ、ちょ、ちょっとやだ!コイツとはただの腐れ縁!」「そ、そうだよ、誰がこんなヘチャむくれと」「なんですってぇ」と飽きもせず繰り返される何も生まないというよりむしろ毒ガス相当のやり取りを死んだ魚のような目で見てる。名探偵コナン』において、「幼馴染」と「付き合っている」ことの威力たるや国家資格レベル。

娘にコナンの口真似をしたり、「もうッ、どこ行ってたん!?うちと○○(娘)は血の絆で結ばれとんのやからねッ!」(関西カップルの女の真似)と抱きついたりしていたら、無事怒られました。なんでこんな話をするかと言うと、コロナで延期されていた映画の新作が4月16日から公開されるからだよ~。一人でアンパンマンを観に行く方がマシ。せめてここで愚痴らせて。夫に愚痴ったら「(たかだか子供のアニメにそこまで暴走できるなんて)大変だね」と生ぬるい微笑みを向けられたから。

というわけで『ヘッドハンター』を紹介します。
全面的にネタバレです。

 

◇あらすじ

物語は、一人の男が高級住宅街の留守宅に侵入し「末路は二つ。最高価値の芸術品に出会うか、あるいは捕まるかだ」という独白と共に手際よく絵画を偽物とすり替える、妙にスタイリッシュな映像で始まる。
舞台はノルウェーオスロ。有能なヘッドハンターとして成功を収めたロジャー(アクセル・ヘニー)は、美術品専門の窃盗犯という裏の顔を持っていた。ロジャーの何よりの宝物はゴージャスな妻のダイアナ。一方で168センチの身長に過剰なまでの劣等感を抱いており、分不相応な妻を芸術品のように崇めて生身の人間として向き合うことを避け、その鬱憤を他の女で晴らしている、なかなか最低なこじらせ男である。

ダイアナの画廊のオープンパーティの日、ロジャーはオランダ人のクラス・グリーブニコライ・コスター=ワルドーを紹介される。クラスはGPS開発で著名なHOTE社の重役だったが早期退職し、祖母から相続した家で暮らすためこの地にやって来たという。クラス宅にルーベンスの『カリュドンの猪狩り』が保管されていることを知ったロジャーは、警備会社に勤める協力者のオヴェとともに絵画を盗み出すが、クラスがただの早隠居のイケ男でなかったために窮地に立たされることになる・・・。

この辺りまでは「お膳立て」の様相が濃く、蜃気楼のように危ういロジャーの幸福な生活が瓦解する予感を煽ると同時に、瓦解後の事態収拾に向けた布石が敷かれていく。例えば、共犯であるオヴェの部屋に仕掛けられた売春婦を映すための隠しカメラの存在、絵画強盗を捜査中の刑事シュペレの、敏腕だが、メディア戦略に長けた政治的野心を持つ人物であることなどなど・・・。あとからコレ関係してくるよ〜みたいなことが、思わせぶりに説明されるのね。

それにしても、身長168センチでここまでこじらせてしまうとは気の毒な話である。また妻ダイアナの背丈が抜きんでて高いもので、ロジャーとの身長差が特に目立つのだ。しかし、外見や金や社会的立場云々以前に、「自分に劣等感を抱いている男」ってのはそれだけでモテない、誓ってモテない。

脱線ついでに言うけど、北欧の連中って全体的に暗くない?なんであんな無表情でシャバシャバ話すの?寒いから、感情や表情筋の動きが最小限になるのかな?そして、陰惨でグロ系のミステリーを作るのが好きで、でもその割に大味というか大雑把というか、ちゃんと解決を示さず「あれはどうなったんだーい」と突っ込みたくなることしばしば、そしてヘンな小ネタを挟んでくるので「それはシリアスなの?笑っていいの?」と迷うこともしばしば・・・(北欧系のミステリー大好きなんです)。

 

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これだと伝わらないが、ロジャー役のアクセル・ヘニー、大塚寧々に似てます。

 

◇ロジャーの逃げっぷりがすごい

さて、絵画を盗んだ後からロジャーの命を付け狙い、どこに逃げても追っかけてくるクラス、実は、彼はロジャーの雇い主パスファインダー社の技術を盗むため送り込まれたHOTE社のスパイだった。さらに、ジェルに混ぜて付着させることが可能な超小型GPSの開発者であり、元軍人で追跡のプロ。通常なら逃げ切れるはずもないところ、ロジャーは裏稼業で培った(のか知らんが)驚くべき危機察知能力と判断力そしてサバイバルスキルの高さを発揮して、邪魔する人や犬をなぎ倒し、クラスの魔手から逃げ続ける。

このカラッポな男には最初から全く好感が持てないのだが、あまりのズタボロっぷりに応援する気持ちになってくるから不思議だ。ロジャーが観客を味方につけるきっかけは、やはり、クラスの追跡から逃れるため汲み取り式の便所でウンの中に潜る「ぼっとん便所かくれんぼ事件」であろう。ここは見逃せない。いや、人間、命の危険を感じたらアレぐらいやるのかもしれないけど、あの時点で物も言わずに追ってくるクラスの目的はまだ分からず、むしろ観客にとって悪印象なのは、(はずみで仲間のオヴェを殺した)ロジャーの方なんである。私だったら、ウンに潜る前に「なんで追っかけてくるの?」ってまず訊くと思う。

しかしこのシーン、ロジャーの選択肢がそれしかないのを悟りつつ「え、ウソ!そこ隠れるの?」と息を飲んで見守るのが楽しい。てか、便所もうちょっと掃除しといてー、でも、掃除してたら潜れてないのか。
その後も、「い、いぬ~!」「この超デブの双子の警官はなに?」など小ネタの連続。真剣なのか笑わせようとしてるのか分からない北欧センスが爆発する。

だが、文句をつけたいのは、ロジャーの暴走とともに物語だけが暴走していることだ。例えば、便所脱出後にオヴェに間違われて警察に捕まり、パトカーの中で「なぜクラスは正確に自分の居場所を把握できるのか」に気付くシーン。髪にGPS混入ジェルが付けられていることを前触れもなく悟るため、「やたらとカンが鋭いヤツ」で処理されてしまう。観客に対して「ほら、あのジェルだよ」と目くばせするようなショットというか、絵的な面白さがないんだよね。例えば、隣にいる警官が「お前が暴れるから髪が崩れちまったよ」と髪を直すとか、「こいつ、髪がやけにベタついてるな」と不審な顔をするとかさ、色々工夫があると思うんだけど・・・。

それに、ジェルやオヴェの部屋のビデオといった小道具を揃えつつ、クラスの部屋に置き忘れられていたダイアナの携帯に何の仕掛けもなかったのは間抜けだ。クラスとの浮気疑惑から、ロジャーはジェルをつけたのはダイアナではないかと疑うのだが、やがて犯人は自分の遊び相手の女だったことが発覚。おお、じゃあ浮気は誤解だったのねと思いきや、「あれは遊びよ、寂しかったの」とさめざめ泣くダイアナ。浮気はホントにしてたんかーい、携帯はただ置き忘れただけかーい。


◇面白いが、突っ込みどころも満載

そんな感じで首を傾げるところも多く、まぁ、もっとも突っ込むべきは、たかだか企業スパイが他国で警官までぶっ殺すのか?という点なんだが、ラスト、風呂敷の閉じ方もなかなかである。

ロジャーはGPSを利用し、クラスをオヴェ宅へとおびき寄せる。ベッドにはオヴェの死体とその横に座ったロジャー、彼らに対峙するクラス。隠しカメラの存在を知るロジャーの誘導により、カメラにはクラスだけが映っているという仕掛けだ。クラスとロジャーは互いに銃を発砲するが、事前にクラスの家を訪れたダイアナにより彼の銃の弾は抜かれており、クラスだけが被弾して死亡する。現場に残ったのは、オヴェとクラスの死体、そして証拠のビデオ。斯くして、二人が相打ちになったように見せかけるロジャーの偽装計画はまんまと成功したのだった・・・。

 

ちょ、待てよ(キムタク)。 ←久々だわぁ~。

 

この時点で多くの観客が思った(はず)。「いやいや、オヴェとクラスの死亡時刻が全然違うじゃん」と。私も思った。

オヴェをうっかり殺してからロジャーは農場に逃げてウンの中に隠れ、トラクターを盗んでクラスの犬を串刺しにし、夜道で事故って病院に運ばれた。その後警察に捕まり、パトカーで移送されてる最中に崖から落とされ、命からがら家までたどり着いた。どう少なく見積もっても、二日間は経っているはずである。半日でした~とか一日しか経ってませんでした~とかの言い訳は通らないわよッ。それで済んだら警察いらん。

ところが、ところがである!
ロジャーは「担当刑事のシュペレは敏腕だが野心家だ。彼は自分に解決できない事件があることを恥じるだろう」と予測、そしてシュペレはロジャーの予測通り、死亡推定時刻の矛盾を無視して事件をクローズするのである。

担当刑事の権力強すぎだぞ!さらに、警察は途中でロジャーをオヴェだと誤解して農場主殺害の容疑で拘束しているわけで、それなのに、ここまで容疑者の自宅を捜査しない警察がどこの世界にいるのよォォォ。

そんな私の文句などなんのその、こちらの剛腕北欧ミステリー、ラストは冒頭と同じくやたらとスタイリッシュっぽいカットと軽快な音楽に乗せて「私はロジャー・ブラウン。身長は168センチ。だが、それで満足だ」とかの気取った台詞で終わる。いやお前、直接的には三人、巻き添え喰った農場主や警官入れたら全部で八人殺してるからねェ~~!?「私はロジャー・ブラウン、身長168センチ」じゃ済まされませんよッ?

あんたの身長のことなんか、こちとら便所に置き忘れてきたってのに、なにを最後は「コンプレックスを克服しました」系美談に落ち着かせようとしてるのっ!?

そんな感じで、笑ったり首傾げたり忙しい映画だった。
後半の疾走感ある展開で、脚本がもっと丁寧だったらよかったなとは思うが、ロジャーの「ぼっとん便所かくれんぼ事件」あたりからのサバイバルスキルの高さには見るべきものがあるので、私はこれを食事時に観ることをお勧めします。

あと、途中で出てくるすごいデブの双子の警察官、ちゃんと双子のデブの理由があるからそこは注目だよ☆

では、また!

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