Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『プライベート・ウォー』

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監督:マシュー・ハイネマン キャスト:ロザムンド・パイクジェイミー・ドーナン/2019年

皆さん、こんにちは~。
突然ですが、賞味期限切れのものって気にせず食べますか?
私は舌と耳と鼻と顔がめちゃくちゃ良く(目と口は悪い)、怪しげな食べ物の匂いや味を察知する自信があり、ゆえに賞味期限には惑わされません。昔、クリスタルガイザーだかボルヴィックだかを会社で口にして「ん、これおかしい」と飲むを止めたんだけど、数日後に製造過程に問題があったとかで回収されてて、同僚たちも驚いていたもんね。

けれど、だからって、他人が私に賞味期限切れのものをあげてもよいって話にはならないと思うのね。先日は仲の良い同僚が「これ、賞味期限切れてるけど大丈夫でしょ」と饅頭をくれました。ヨーグルトをもらったこともあります。自分は食べないのだそうです。期限切れてるから。

また、うちは夫と子供が、保育園時代のママ友の美容師さんに髪を切ってもらっているのだけど、こないだ夫経由で何故か醤油とハーブティと豆菓子を渡され、ハーブティ以外は賞味期限切れてたからね。LINEで期限切れてるじゃんって言ったら「うん、だから早く消費して」。

でもねえ、私、胃は弱いんですよ。そこんとこ分かって。
そんな感じで今日は『ゴーン・ガール』、じゃなかった『プライベート・ウォー』です。

 

◇あらすじ

イギリスのサンデー・タイムズ紙の戦争特派員として活躍するアメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルビン(ロザムンド・パイクは、2001年のスリランカ内戦取材中に銃撃戦に巻き込まれて、左目を失明してしまう。黒い眼帯を着用し、PTSD心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、人びとの関心を世界の紛争地域に向けたいという彼女の思いは強まっていく。(映画.com)

ロザムンド・パイクと言えばゴーン・ガール2014)”と連想するほどに、あの映画の印象が強いよな。何よりパイクを他の映画で知らないんだ、ごめん。でも安心してください、本作のパイクは『ゴーン・ガール』を超えたと思うよ。生生しい感じで、いい女優さんだよね。

カルテル・ランド』(2015)ラッカは静かに虐殺されている(2017)などのドキュメンタリーを手がけてきたマシュー・ハイネマン初の映画監督作品となる。これは両方とも面白かった。当然ながら、本作もかなりドキュメンタリー色の強い、というか、ドキュメンタリーの強みを生かした映画だったと思う。逆に言えば、こういう映画だからこそ生きる監督なのだろうね。製作にシャーリーズ・セロンいるんだー、なんでだろ(ちゃんと調べなさいよ)。

映画はメリー・コルビンの没地となるシリアのホムスの、空爆で廃墟となった街を上空から映す映像に始まる。ボイスオーバーでインタビューに答える声が流れ出し、そこから彼女が世界の紛争地に赴く様子と私生活が交互に描かれていく。
カメラは、爆撃の犠牲になった人々や遺族の嘆きを映し、それを無言で見つめるパイク、PTSDに苦しみながらアルコールやその場限りの男との情事で傷を埋め、また戦場に向かっていくパイクを映す。特筆すべきは、彼女の記事を読んだ世の人々の反応や、当時の政情や政策などが取り上げられないことだ。つまり、ひたすらメリー・コルビンの内面を描き出そうとした映画だった。
戦場に取り憑かれたパイクが、精神を病み私生活を破綻させていくのは悲惨だが、一方で友人や新聞社の上司との関係、そして、一夜の相手だったスタンリー・トゥッチが思いもかけず大切な存在になっていくなど、彼女の正気を繋ぎ止める人々との関わりが良かった。スタンリー・トゥッチを見ると嫌な予感がして気分が悪くなりそうになるのだが(※)、今回はいい役でよかったよぉぉ・・・

※『ラブリー・ボーン』の犯人役がイヤすぎたせい。

『おやすみなさいを言いたくて』(2013)というやはり女性の戦場カメラマンを主人公とした映画がある。戦場から戻るたび家庭を第一に考えようと誓うものの、やはりチャンスがあれば一切合切を投げ打って飛行機に飛び乗ってしまう。更に仕事のために自分の子供を危険に晒してしまい、家族と完全に離別することになるのだが、どちらの映画においても、彼女らの行動の理由を「職業」というものに求めることは、もはや全くの筋違いだ。もちろん使命感と、だがそれ以上に帰巣本能に近い衝動のものが彼女達を戦場に向かわせる。「なぜ」という問いかけは無意味だろう。

 

◇「私が見ているから、あなたたちは見ないで済んでいる」

紛争真っ只中のホムスでのシーケンス、ある日二人の少年が立て続けに犠牲になるところから、監督本来の手腕が発揮される。悲鳴を上げて嘆き悲しむ両親、それを写真に収めたジェイミー・ドーナンが耐え切れず目を背け、無表情のパイクの片方の目から涙が一筋流れる・・・。政府軍の激しい空爆が始まり各国のメディアは完全撤退を決断するが、取り残された2万8千人の民間人(ほとんどが女性と子供)の実情を世界に伝えるために、パイクは命を賭してその場に残る。

「死体で見つかったときカッコ悪い下着を着ていたくないでしょ」というあまりにカッコイイ理由から戦場で「ラ・ペルラ」の下着を身につける彼女が、ついに眼帯をつけることすら放棄し、光の消えた瞳でPCの画面を眺め続け、研ぎ澄まされた言葉で世界に現状を伝えようとするライブ中継のシーンは圧巻だ。淡々としているのに、画面から一瞬も目を離せないような気迫に満ちていて、ここはただ、わけもわからず涙が止まらなくなった。

印象的な場面と台詞が二つある。一つはパイクがトム・ホランド「私が見ているから、あなたたちは見ないで済んでいる」と言うシーン。もう一つは「もっとも難しいのは、(取材をして記事を書くことではなく)、記事を読んだ関係のない人達が関心を持つと信じることだ」という独白だ。メリー・コルビンを突き動かしたのは、一部はもはや反射、しかし他の部分は「自分には関係のない世界の話」と思っている人たちの無関心だったのだろう。

戦争が遠い世界の出来事となった日本にいても、このような映画を観ると、2004年にイラクで起こった日本人三人の人質事件を思い出す。基本的に私は日本人の欠点(平和ボケや異常な保守体質)は自覚しつつ、特に子供を持った現在では生活するのに最適な国だと思っている。送り迎えなしには子供を外出させられなかったり、小学校に銃が持ち込まれるような場所で子供を育てていく自信が私にはないからだ。だが、あの事件当時の日本全体の反応には、心底日本人であることがイヤになったね。誰もが口にしていた「自己責任」という言葉は未だに吐きそうになるほど嫌いだ。街中のインタビューで、夕ご飯の献立のことしか考えてないようなオバさんやアホそうなサラリーマンが賢しら顔で「自分であんな危険な場所に行ったんだから自己責任でしょ」とか言いまくるもんで、死ねばいいのにと思ってしまい、当時はほとんどテレビを付けなかった。

そうそう、前々回のブログで新聞記者について書いたところ、Twitterのお友達から「自分が会った朝日の記者はクソだった、あいつらの正義はどっかズレてる」とコメントをもらった。実体験である限り否定のしようがないし、そもそも私の話含めて個々人の経験に照らせば、それはもう「職業」の話ではなくなってしまうわけだが、ただ2004年、周囲の大多数の知り合いが想像力も責任感も欠けた意見を述べる中、少なくとも私が知る新聞記者たちは、同胞の余りに無知で冷たい反応を「この国は大丈夫だろうか?」と憂いていて、「ああよかった、流石にこの人達はマトモだった」と救われた気がしたんだよねぇ(私の周囲がパッパラパー過ぎただけか)。

ごめん、回りくどいな。いや、実はこの映画を友人(スペースオペラB級映画を愛する浅草橋の帝王つっちー)に勧めたところ、共感できずに辛かったと。そうだろうと思う。メリー・コルビンの行動理由を理解するのに最も遠い民族が日本人だろうし、でも本当はそんなことすら意味がなくて、これは「理解」と「共感」をどっかに蹴飛ばして観るべき部類の映画だ。

最後に実際のメリー・コルビンのインタビュー映像が流れ、ロザムンド・パイクが如何に彼女の喋り方や仕草に寄せて演じたかが分かる。エンドロールでは、彼女が亡くなった後、シリアで50万人の民間人が犠牲になったという無情な事実が観客に伝えられる。だが上述の通り、本作は彼女の仕事の成果を映したものではなく、強烈な生き方と内面を描いた映画だ。

現時点で今年観た中でベスト。