Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『軍旗はためく下に』

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 監督:深作欣二、キャスト:丹波哲郎左幸子/1972年 

 

◇あらすじ

第二次世界大戦終結後、戦争未亡人となったサキエ(左幸子)の元に夫の死亡通知が届く。だが、それは「戦死」の「戦」の文字が消され「死亡」に書き換えられた不可解なものだった。夫、冨樫軍曹(丹波哲郎)は敵前逃亡を図り、処刑されたという。以来サキエは26年に渡り、夫の死の真相を求め続ける。 

戦争映画が大好きです。じゃあ相当文献なども読んでいるかというとそうでもないんです。すみません。

『軍旗はためく下に』、こちらを是非とも「シネマ一刀両断」のふかづめさんにレビューしてもらいたい!としつこくラブコールしたにもかかわらず、ふかづめさんは「なんぼほどこの映画が好きなのか」と冷たい反応。なので自分で書くことにして、ブログを始めました。

ブログ名の「Yayga!(イェイガ)」はネーミングのプロである同僚が考えてくれました。いいでしょう。しかし、ブログ全然わからない、いろいろな設定が。

では、本題です。   

 

◇なぜ夫は「英霊」ではないのか

戦死ではない夫は、戦没者追悼の式典で天皇に花を手向けてもらう「英霊」の中にいない。だが、どのような経緯で処刑されたのかがわからない。サキエは厚生省に通い、淡々鬱々と担当者を詰めまくる。サキエを演じたのは左幸子さん。パンと張り詰めた頬が、風と陽射しの晒された苦労人のおっかさんという感じ。なかなか波乱万丈な人生を送られた方のようです。 

そもそもこの夫婦は、半年しか夫婦生活を送っていない。サキエは身籠り、夫の出征後に一人で娘を出産し育ててきた。もちろんそういった夫婦は山ほどいたでしょうが。
半年しか夫でなかった男のために26年を費やしたわけだ。既に彼女自身の執念となっていたのか、冨樫軍曹がいい男だったためか。丹波哲郎は昭和5○年生まれの私ですら、ほぼ「霊界のおじさん」の印象なのだが、この映画の冨樫軍曹は、まあカッコいい。何で霊界霊界言うようになっちゃったんだろう・・・。

淡々ながらジトジトとしたサキエの追及に負けた厚生省の担当者は、冨樫軍曹と同じ部隊であった四人の生き残りの連絡先をサキエに渡す。サキエは四人を順に訪ね、地獄のような戦地の実情を知ることとなる。

特徴として、真相を究明する現代のシーンはカラーで、人々の口から語られる過去のシーンはモノクロで撮影されている。 

 

◇浅い知識ですが

冨樫軍曹が戦ったのはニューギニア戦線、太平洋戦争の中でも特に悲惨な戦場として知られる、オーストラリアの北方に位置する島だ。島に上陸した部隊を維持するためには言うまでもなく、武器、弾薬、食料の補給ライン確保は最重要事項。弾と食料がなければ戦闘どころではない。連合国軍は当然のごとく、潜水艦と魚雷をもって日本側の輸送船を沈めた。さらに制空権をも握られた日本軍は成すすべなく、部隊は補給路を完全に絶たれた状態でこの島に閉じ込められた。 

島のほとんどは湿地地帯と熱帯雨林のジャングルで、油断すれば泥沼にズブズブと足を取られ、頭上からはヒルが雨のように降り注ぐ悪環境・・・。ジャングルを出れば灼熱の太陽に晒されるか、敵機に狙い撃たれる。孤立した兵士たちは幽鬼のように島をうろつき、飢餓とマラリアなどの感染病に倒れた。死者18万、その半数以上の死因は戦闘ではなく病死か餓死と言われる。もう戦争とかじゃないな、これ。

最近の戦争映画では『永遠の0』などはメジャーとなりましたが、戦死とは呼べないような戦死を遂げた若者たちもいたのだと知っておきたい。

  

◇生き残った人々の証言

サキエが訪ねた四人の現状は様々だった。復興しつつある都市を避けてゴミ溜めに住む元陸軍上等兵寺島。漫才師として生計を立てる元陸軍伍長の秋葉。元憲兵軍曹越智は密造酒のバクダンで失明しており、元陸軍少尉大橋は高校教師となっている。
冨樫軍曹を知っている者もいれば、知らずに「軍曹」のキーワードを頼りに記憶を手繰り寄せる者もいた。 

越智によれば、ある軍曹は、「豚だ」という新鮮な肉を飯盒に入れて現れたという。モノクロの過去シーンだが、血しぶきや強調をしたい箇所のみ生々しくカラーに変化する。飯盒の中の肉も、てらてらとしたピンク色で映される。飢えた兵士たちはそれを貪り食う。なんの肉かは言うまでもないでしょう。

とにかく全編、鬼気迫っている。個人的には塚本晋也監督の『野火』では感じなかったものだ。どちらも自主制作映画というのは興味深い。『野火』が主人公の内面描写に重きを置いており、こちらは複数人物の語りを通して多方面から戦場を描くといった違いはあれど、息が詰まるような緊張感は、役者や演出の差と考えざるを得ない。
惨状を描く一方で、冨樫軍曹の死の真相へと徐々にピースが埋まっていく過程はミステリーとして娯楽色があり、さらに証言者の中に実はウソをついている人間がいる、という展開が凝っていて面白い。  

 

◇「日本はどっちですか」

最終的にサキエは、夫は敵前逃亡ではなく上官殺害の罪に問われ、部下たちと共に処刑されたことを知る。だが、彼が罪を犯した理由、また軍法裁判なしに処刑された理由は、あまりにも馬鹿げた空しいものだった。

波打ち際で「日本はどっちですか」と尋ね、その方角に伏して嗚咽する丹波哲郎の演技は、涙せずには観られない。花を手向けてやりたいと願い続けてきたサキエは、ラストで「お父ちゃん、あんたやっぱり天皇陛下に花手向けてもらうわけにはいかねぇな」と真逆の結論に辿り着くのだ。

この映画を観た後は、毎年首相が靖国神社に参拝するとかしないとか、隣国が騒いだとかいうニュースが遠いことのように感じられる。劇中、証言者の一人大橋が「戦犯が総理大臣になっているんですからね」と呟き、戦争とは無縁の健康な高校生たちを見つめる。英霊と呼ばれる人々、あるいは英霊とは呼ばれない人々の犠牲の果てに穏やかな日常が有る、だがそれを多くの人が知らないことを示す、胸に迫るシーンだ。

 

◇突然ですが。

ここで突然ですが、前置きでも登場したふかづめさんに教えてもらったエレファントカシマシの『ガストロンジャー』という曲を紹介します(二十代に知識をさずけられまくるよんじっさい)。すみませんすみません、引用とかして。ガツンと頭を叩かれるようなカッコいい曲なのだが、以下のような歌詞がある。

 

 俺が生まれたのはそう所謂高度経済成長の真っ只中で、
それは日本が敗戦に象徴される黒船以降の欧米に対する
鬱屈したコンプレックスを一気に解消すべく、
我々の上の世代の人間が神風のように猛然と追い続けた、
繁栄という名の、そう繁栄という名の、繁栄という名のテーマであった。

そして我々が受け継いだのは豊かさとどっちらけだ。

 

とても耳が痛い。繁栄という名のテーマの前には、復興というテーマがあったはずだ。復興と繁栄を経て、今豊かで白けている我々は、それらが数多の犠牲の上に成り立っているということを知っておかねばならないんじゃないでしょうか。

堂々と、当時の日本国そして天皇を批判した反戦映画。フカキンの叫びに痺れます。