Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『ロープ 戦場の生命線』

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監督:フェルナンド・レオン・デ・アラノア キャスト:ベニチオ・デル・トロティム・ロビンス/2015年

皆さん、明けましておめでとうございます!いやあ、年明け感ゼロですねぇ。おかしいな、まだ明けたばかりのはずなのに・・・。

突然ですが、子供の頃、手の指でカエルを作る遊びをやりましたか?

6歳の息子がこれを覚えてからというもの、始終指でカエルを作っている。指の位置や組み方を微妙に変えては「ねえ、おんか、新しいカエルができた」「これは笑っているカエル」「これは怒っているカエル」など新作カエルを見せてくる。私はほぼ変わらないカエルを見せられることにうんざりしており、「すごいねー」「こないだと目が違うねー」と適当にあしらっているのだが、それでも何かにつけ、例えば、汚れた着替えを洗濯に出さずに叱られたとき、食事中「おんか、ティッシュ取ってくれる?」と手を差し出すとき、その手はカエルを作っている。これは既に何かのカエルに取り憑かれていてお祓いが必要なのでは?と疑いを抱いているレベル。

正月には、従兄たちと風船でバレーボールをしているときに一人ぼーっと突っ立ってカエルを作っていたので、その隙に得点されて泣くということがあった。

先日私と娘がソファにいると、またしても指でカエルを作った息子がやってきて、「ねえ、これ何に見える?」と言ってきた。私は娘と目を見交わし、(ここまで山ほどカエルを作ってきた息子が、わざわざ『何に見える?』と訊くからには、これはカエルではなく別の生物なんだろうね)と頷き合い、娘が「わからなーい、なんだろう?」とグッドな返事をした。すると息子は超不審そうな顔で「え?カエルよ?おねえちゃん、大丈夫?」と返してきて、二人で「カエルなんかーい」とソファから落ちた。

以上、現在も続く我が家のカエル騒動の報告でした。
本日は『ロープ 戦場の生命線』を紹介します。

 

 

◇あらすじ

1995年、停戦直後のバルカン半島。ある村で井戸に死体が投げ込まれて生活用水が汚染され、国際活動家「国境なき水と衛生管理団」のマンブルゥベニチオ・デル・トロらが現地に派遣される。しかし死体を引き上げている最中にロープが切れてしまい、代わりのロープを探しに行くことに。1本のロープを求め、武装集団や地雷の恐怖にさらされる危険地帯へと足を踏み入れるマンブルゥたち。やがて不良にいじめられていた少年ニコラと一緒に彼が住んでいた家を訪れたマンブルゥたちは、そこで驚くべき事実に直面する。(映画.com)

映画好きの間で話題になっていた映画で、確かに面白い。っていうか、上手い。井戸の死体の素性や何故井戸に投げ込まれたのか?の背景にはほぼ触れられず、死体がただ引き揚げを阻害する重量物(=デブ)として描かれるところからしてブラックなんだけど、ブラック加減とユーモア加減が絶妙で。主張(反戦)を真っ向から主張しないという点も洒落れていますな。

 

 

◇とにかくデル・トロープ

死体のデブのせいでロープが切れてしまい、デル・トロらは水の汚染を阻止すべく、代わりのロープを求めて奔走する。たかがロープ、されどロープ。物資の少ない村では簡単にロープなど見つからず、見つかったと思っても様々な事情から所有者は彼らにロープを渡すことを拒む。
死体を排除する道具そのものである他に、ロープはさまざまなものを象徴する。ロープを探す当て所ない道中、どこまでも続く曲がりくねった細い山道、地雷が仕掛けられた牛の死体や現地民兵の妨害などにより混迷していく事態。

さらに、デル・トロのクセの強さが見ものだ。デル・トロープのロープ癖がとにかく悪いのである。奴は数年前に関係を持ったカティヤオルガ・キュリレンコとこの地で再会し、気まずさゆえに首を竦めて隠れようとする。

元々、デル・トロープにとってレンコとのことは遊びだったが、レンコの方は割と本気だったようで、恋人がいながら自分と寝たロープに怒っており、ロープはロープで、レンコが腹いせに恋人に浮気を暴露したことを苦々しく思っている。いがみ合う二人だったが、レンコの方がデル・トロープのロープに未練たっぷりなのは明らか。ロープの方もあわよくば・・・といった目つきでレンコを見つめる。始めは「くたびれてるし腹出てるなあ」「古谷一行」とか思っていた観客側(というか私)も、デル・トロープの男くささに段々とヤラれてしまう。

途中、一行(古谷じゃなくて「国境なき水と衛生管理団」の一行よ)は地雷のせいで道で夜を明かさなければならなくなり、緊張の糸が切れたことでレンコの本音が爆発、彼が恋人の写真を財布に入れていなかったこと、すなわち恋人の存在を隠していたことを責める。この財布を勝手に見るというはしたない行為にさ、レンコの必死感が表れているというか、本気だったんだなって思ってレンコに肩入れしちゃうのよね。
ところがデル・トロープは流し目をくれながら、「そっちが『恋人はいるか?』と訊かなかったから言わなかっただけ」「それに言ったとしても結果は同じだったろう?」と不遜な言葉を吐く。レンコは反論できず、観客(私)も「ぐぅ・・・」と黙らざるを得ないデル・トロープの圧倒的色気。こうしてまた、レンコはデル・トロープのロープに絡め取られてしまうのである・・・。

私は観終わってすぐ、映画好きの異常な友人S氏に「『ロープ』面白かったよ」とメールした。ヒッチコックの話が返ってきたから、「ヒッチコックの『ロープ』じゃない」と言ったら、「じゃあ、なんのロープなんだよ」と困惑していた。S氏すらデル・トロープに翻弄されてしまった・・・

ひどい文だね、自覚してる。どーも調子が出ないわ。ちなみに原題は『A Perfect Day』。

オルガ・キュリレンコ『007 慰めの報酬(2008年)、オブリビオン(2013年)と華やかな出演作を持つ綺麗な人なんだが、どうも何回見ても忘れる。レンコ以外は、そんなに私の好みではないのかもしれない。しかし、『オブリビオン』は面白かった。

 

 

◇ロープの話をやめます

「国境なき水と衛生管理団」の古参メンバーであり、人格破綻気味のリーダー、ビーのキャラクターが良かった。ビーを演じたティム・ロビンスは、私の中で「掘られ俳優」として不憫な印象の人だったので、ロックをガンガンに鳴らしながら地雷の仕掛けられているだろう牛の死体に車で突っ込む破天荒な所作がとても痛快だった。

新人ソフィーメラニー・ティエリー)と、デル・トロ、ティム・ロビンスの関係性は、同じくデル・トロ出演の『ボーダーライン』(2015)と似ていて、ルールや権利を盾にあるべき正義を貫こうとする若者と、そんな彼女に遠い昔の自分を見るような生暖かい視線を送る百戦錬磨のおじさん二人といった構図を思い出す。

ただし他の戦争映画と一線を画すように、本作では直接的には死体も虐殺も映されないし、地雷だらけの大地を行きながら地雷が爆発するシーンもない。セルビアムスリム民族浄化を描いた作品であれば過激なレイプと殺戮が売り物であるにもかかわらず、だ。また、停戦の直後とした設定がよかった。内戦は終わったと言っても、実際には捕虜は堂々と殺されているし、子供の元に親は帰ってこない。治安維持のために駐留する国連軍はルールと法案のグレーゾーンの中で全く役に立たず、それはデル・トロたちも同様である。

 

 

◇あんたら何もできなかったねという結論が意地悪

最初に、この地の人々はユーモアのセンスを重視することが説明され、それに応えるように映画全体がユーモアに彩られている。デル・トロらは、一見この映画の主人公なのだが、実際にはブラック・ユーモアのネタにされた、被害者のようなものだった。

ようやく死体の引き上げが成功するかに見えたそのとき、冒頭でメラニー・ティエリーが規則一辺倒の国連軍に対し、彼らの融通の効かなさを逆手に取るつもりでついた嘘が、逆に引き上げを阻む原因となってしまう。ロープは切られ、死体は井戸の中に逆戻り。メラニー・ティエリーは自分の無力さに怒り、通訳のダミールは兵士に食ってかかるが、抵抗や反発が徒労に過ぎないと知るデル・トロとティム・ロビンスは装備を解いて気だるげに煙草に火をつける・・・メラニー・ティエリーの熱意や使命感が完全に裏目に出たとした点で、皮肉に満ちたシーンだった。

井戸から手を引いたデル・トロたちは、今度は難民キャンプで便所が溢れたとの報告を受け修繕に向かうことになる。「雨が降らなきゃ楽勝さ」というティム・ロビンスの言葉に被せるように叩きつけるような豪雨が・・・。その雨は井戸の水を溢れさせて死体を浮き上がらせ、死体は地元の住民たちの手によって取り払われる。
デル・トロらがあれほど苦労して成し得なかった作業はあっさりと完了し、さらに彼らの次の仕事を困難にする雨は、住民らにとって救いの雨になるという二重の皮肉

浮いた死体を発見するのは、映画の冒頭で国連軍の兵士が止めるのも聞かず地雷原に入って行ってしまう老婆だ。彼女は警告を尻目に、牛が歩いた後を辿って安全な道を確保する。国際組織が復興を支援するつもりでいる土地で、彼ら自身が引いた線によって雁字搦めになる一方、住民は自分たちの知恵で危機を回避し生活を立て直していく。

まるで、勝手に人んちに入ってきて正義だ救済だと何を騒ぎ立てているんだ?とでも言わんばかりのラストは、クスリと笑えもするが、ここまでに増して意地悪でブラックな展開だったと言える。

面白いし時間も短いし、お勧めの映画だよ。ではまた!