Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『もらとりあむタマ子』

監督:山下敦弘 キャスト:前田敦子、康すおん/2013年

皆さん、こんニャちは、そして良いお年を。

ふかづめさんがさぁ~、「ねえ、そろそろ記事かこぉ~?」「映画への熱い思いを叫ぼおぉ~?」と嫌味を言ってくるので、はてブロを開いております。ので、って言うか、別に言われたから書くわけじゃないけどね。気が向いたからだもん。この「ぉ~?」って語尾がムカつくよねぇ。ブログの名前、『アンタが一等賞!嫌味一刀両断』に変えたらいいと思う。

私は元気です。言ったでしょう、今季サッカーが面白くて、なかなかブログ書く時間がないって。まぁ、あれから数か月の時が経ち、我がチーム(浦和レッズ)の戦績はあっという間に下降線を辿ったよ。点取れねえわ大量失点で負けまくるわ、監督の契約も終了したよ。キャスパー移籍するとか毎日うるせえし。いや!そうそう、最近迷惑してるのが、娘の友達のお父さん@スポーツ好き。毎週日曜日、かるた会に娘たちを迎えに行ってくれるんだけど、その車中で娘に「ユンカー移籍するらしいよ」とか言ってくるわけ。ノンノン、こっちはシーズン終了から毎日Twitterで誰か移籍しないか戦々恐々情報を追ってるの。キャスパーへのオファーなんてずっと前から知ってるし、何なら移籍の噂は今季数度目だよ。

でね、キャスパーは今シーズン最後の試合で「来シーズンもっと成長して戻って来る」とコメントしているし、つい最近はJリーグのツイートに片手を挙げた絵文字で返信したりしているの、移籍する人がそんなことしますか!?ええ、お父さんよぅ・・・(するわけない、するわけないんだから)。

 

浦和のTwitter貴公子キャスパー・ユンカー。監督解任発表直後のハロウィンに『キャスパ~』と言ってゴーストのキャスパーに自分の顔を貼っ付けた写真を投稿するなどサイコキャスパーな一面も覗かせる。

 

というわけで、今年三本目にして最後のブログはもらとりあむタマ子


◇あらすじ

東京の大学を出たものの、父親(康すおん)がひとりで暮らす甲府の実家に戻ってきて就職もせず、家業も手伝わず、ただひたすらに食っちゃ寝の毎日を送る23歳のタマ子前田敦子が、やがてわずかな一歩を踏み出すまでの1年を追う。(映画.com)

私、あっちゃん大好きなんです。AKBの時は存在くらいしか知らなかったから、役者としてのあっちゃんね。美形とは言い切り難い骨太な感じとか何故か不貞腐れて見える面構えとか良くない?AKB出身の役者で言えば大島優子もかなり好き。最近見ないけど、お芝居続けているのかな?

見どころは何と言っても、あっちゃんの、終始ダルそうに画面に陣取る所作と仏頂面から発される予想外の言葉。映画は朝の規則正しい生活音で始まる。料理好きの父は簡単ながらも主食と副菜を食卓に並べ、きちんと手を合わせると、その品々をポリポリむしゃむしゃと美味そうに咀嚼する。日も高くなってから起きてきたタマ子は顔も洗わず食卓につき、置いてある朝食を無造作に頬張る。

スポーツ用品店を営む父は、店の前に看板を出すなどのルーティン作業を経て、品出しをし、近隣の学生たちの相談に乗り、メガネを押し下げてカタログを読み込む。一日の労働を終え、夕飯の膳を整えた父の前で、寝ていたタマ子がむくりと起き上がりテレビを観て吐き捨てるように一言。「駄目だな、日本は」
もう、ここですごい笑った!! 一日中漫画を読んで食っちゃ寝の自堕落な様を見せつけておいての「駄目だな、日本は」、パンチ力ありすぎ!翌日も同じ光景が繰り返され、再びタマ子は言う。「ダメだ、日本」。

ついに我慢ができなくなった父は「駄目なのはお前だろ!少しは就職活動しろ!」と怒る。この時点で季節は「秋」だ。つまりタマ子、大学を卒業してから半年は、このような生活をしていることになる。怒られたタマ子はムッとし、口に食べ物を頬張ったまま言い返す。「たしだって、ふきがふればふごくわひょ!!(私だって時期が来れば動くわよ!)」「少なくとも、今ではない!」

ぶはははは!戦国武将ばりの好機の待ち方!

その後、何人かの人物が二人に関わり、父娘の生活に変化をもたらして行くのだけど、タマ子の自立や成長の物語を期待していると肩透かしを食らうことになるでしょう。むしろタマ子、最後までダメダメなままよ。楽しく料理を味わう父、ただ身体を維持するために口に突っ込む娘という対称的な構図と、必ずしも良好なわけでないが何となく居心地が良い二人の関係を観続けるのが楽しい映画だ。

 

食って漫画読んで寝倒すタマ子。


◇こういう手際の良さ好きです。

映画は78分で、も少し長くてもよかったのではと思ってしまうくらい短い。その中でいくつか差し込まれる手早い演出に、映画的な小気味よさを感じた。
例えば、大晦日の夜、父が作った年越し蕎麦に箸もつけず、ガラケーをカチカチといじるタマ子。帰省するはずの姉家族はまだ到着せず、連絡すると言っていた母からの電話もない。「今のうちに『明けましておめでとう』メールを打っている」と言うタマ子に、父が「その機転を就職活動に活かして下さいよ」とニヤニヤ嫌味を返す。静かな夜が過ぎていく。やがて車が停まる音とバタンバタン!とドアを開閉する大きな音が響き、姉がやって来たと知ったタマ子は意味もなくガラケーを開く。「タマ子は?荷物運んで!」という声がしてからようやく、面倒そうにコタツから玄関に向かった直後に、家の電話が鳴り始める・・・。

姉も母親も、結局最後まで画面に登場しないのだが、ここのシーンではお母さんが約束通り電話をかけてきたこと、お姉ちゃんは恐らくタマ子と正反対のしっかり者で、タマ子は父との気楽な暮らしが侵害されるのを少し疎ましく思っていることが描かれているんだよね。パタン、ガラケーを閉じる仕草は、しばしの間、姉の仕切りに付き合わねばならないタマ子の切替スイッチのようなものだと思う。

また、世間的には夏休みに入ったある日。このシーンの前に、タマ子は部屋着にママチャリで買い物に行った際、東京から帰省してきた元同級生と遭遇する気まずい体験をしている。彼女はおしゃれをして勇者の凱旋とばかりに輝いており、タマ子は挨拶もそこそこに逃げるように立ち去る・・・。
その同級生が、東京に戻るために駅のホームに立っているのを見かけるのだが、頬には涙が伝っている。キラキラして見えた彼女も実は東京に戻るのが辛い事情があるのか、はたまた、帰省中の田舎で涙を流すほど悲しい何かがあったのか。現在もなお逃亡中のタマ子には、その涙がどう映ったのか、彼女の心中を観客が想像する場面となっている。


◇訪れる変化

秋から始まり、冬、春、夏・・・と季節は移り変わっていくが、タマ子の状況は変わらない。そこに小さな変化をもたらすのが、もしかしたら父の再婚相手となるかもしれない曜子富田靖子の登場だ。現在の生活を邪魔されたくないタマ子は、彼女が講師を務めるアクセサリー教室に、近所のパシリの中学生を偵察に送り込む(この中坊が、いいキャラなんだよね)。

ここで気付くのが、これまでタマ子が関わっているのは身内やご近所さんといった言わば「テリトリー内」の人々で、適当な相槌や愛想笑いで誤魔化せてしまう人々だということね。そのため、実はタマ子が「どんな人物なのか」「何を考えているのか?」が観客に明かされるチャンスがないの。

テリトリーの外から現れた曜子は、父が好きになってもおかしくない魅力的な女性という点で得体の知れない脅威。曜子に欠点を見つけられなかったことで焦りを募らせたタマ子は彼女と直接話さざるを得なくなり、ようやく他人に自分から関わるタマ子を見た観客は、彼女が(やっぱりというか何というか)とても未成熟な人物であることを知る。「うわ、この子、ホントに駄目なんだ」と絶望してしまうくらい、言葉も喋り方も、思考回路も幼稚。ここはねえ、結構ショックだったよ。「タマ子よ、そこまでか」って思った。

パシリと思っている男の子も、実は逆にタマ子を「可哀そうな人」と思っているし、タマ子がダラダラしているうちに女の子と付き合い、やがて別れを経験して(それも「自然消滅」だって)大人への階段を登っている。タマ子だけが「東京に来る?」と誘うお母さんへの返事を保留にし、前に進もうとしていない。

ただコレ、タマ子に変化は訪れるのか成長するのかは、そんなに重要なんだろうかね?この父娘の問題は、考えればいくらでもある。言わずもがな、意志が弱く将来のことは先送りにするダメ娘と、その娘をしっかり教育できない父親。だが、それを眺めているのがオモシロおかしいとなったとき、映画の結末に、この二人が世間一般の常識に照らして「ちゃんとするかどうか」を求めるのは野暮なんじゃないだろーか。
苦役列車(2012年)でもそうだったけど、この監督は、目を逸らしたくなってしまうようなことを映すが、特に糾弾も擁護もしないといった印象だ。もちろん結論もない。だから「何が言いたかったの?」とか「結局立ち直らないんだね」という視点で観てしまうと、映画の中で愛すべきだった部分が見えなくなってしまう気がするんだよね。実際、世間にはこんな的外れな批評(↓)を堂々と上げている映画評論家もいるし。名前を出す必要もないだろう、いつものあの人だ。

実際は1年もひきこもればうつ病になり、事態は悪化するに決まっているのだが、映画はそうした現実のダークサイドには触れもせず、非現実的ノーテンキさに満ちている。世界設定が浮いているため、共感も教訓もないし、ドラマに深みもない。前田の演技力不足、役作り不足もあってすべてが芝居がかって見える。

ああん?何を言ってっだ。「実際は1年引きこもればうつ病になり」って、なるの??誰か1年くらい無職で家にいた人いませんか。漏れなく鬱病になるらしい。そして、それって「現実のダークサイド」なの?自身の文章の冒頭で山下監督について、『物語に抑揚がなく突出したキャラクターも出ないオフビートな作風が持ち味』と書いているのに、「ダークサイド」のドラマを描かないと「非現実的」になるとな。そして「非現実的」なドラマや、共感と教訓を得られない物語は低評価の理由になるとな。前田有一(←あ)を好きでないのは、自分の常識(それも生活圏内の経験値レベル)に照らし合わせて処理しきれない事実があれば映画自体の罪としてしまうからだ。どういった演技や役作りならば高評価に値するものなのかも、是非具体的に教えて欲しい。「35点」と点数つけてるんだが、根拠ってなんなのだろう?34点でも30点でもない理由って?

私が良いと思った映画を良くないと思う人がいたって(どうでも)いいし、その人の考えが通った感想なら「へえ」と興味深く読んだりもする。だけど、こんなんが映画評論として罷り通るんだったら、「ダメだな、日本」。

富田靖子の件をきっかけに「お前、家を出ろ」とついに言うことができたお父さん。タマ子は「合格」とニヤリとして返す。その何の根拠のない、ドンとした佇まいは冒頭と変わらず、彼女が今後どうするつもりなのかの回答はなく映画は終わる。武士は食わねど高楊枝とでもいうべきタマ子の佇まいが最後まで面白い。
あとエンディングの星野源の曲が良かったよ。

今年もベストテン的な総括記事を書きたかったけれど、恐らく無理だと思われるので、皆さん良いお年を。私の今年観た映画ベスト3は『ブルー・バイユー』(2021年)、『川の底からこんにちは』(2009年)、『犬王』(2021年)です!

(C)2013「もらとりあむタマ子」製作委員会

『犬王』

監督:湯浅政明 キャスト:アヴちゃん(女王蜂)、森山未來/2022年

お久しぶりです(コソッ)。誰かいますか・・・?

ナラタージュ以降、五カ月も更新せずに梅雨明けを迎えてしまいました。梅雨明け早かったよね~。間が空いた理由は、三月くらいから進撃の巨人のアニメにドハマったためです。しばらく他のことを考えられないくらい没頭してしまい、最近やっと壁の外に出てきたの〜。しかし未だロスが激しく、『進撃の巨人 海外の反応』とかいうリアクション動画をYouTubeで見漁る始末。職場の同じチームの男子に「あれ誰が観るんだろうって思ってました」と言われて悲しかった。

でも、最近の20代ってアニメに日常的に親しんでいるので(キラキラ系の女子でも割とアニメを観ている)、昔のようにアニメ=オタクのものという印象が大分薄れているよね。もちろんジャンルにも依るけどさ。なので、「やなぎやさんてどんな男の人が好みですか?」と訊かれた私(4●歳)が「リヴァイ兵長などとイタい返答をしても、「分かります~!兵長カッコいいですよね!」とか言ってくれるのですよ・・・。

というわけで、私は今日も絶好調です。
本日は『犬王』の感想を述べます。平家物語が好きな親友のリエコと観て、そのあと娘と二回目観ました。最高ですよ、皆さん。娘はもう一回行くって言ってます。

世界はアヴちゃんを知らないままでいいのか!?

 

◇スタッフ

監督:湯浅政明
原作:古川日出男
脚本:野木亜紀子
キャラクター原案:松本大洋
音楽:大友良英
アニメーション制作:サイエンスSARU

 

◇あらすじ

京の都・近江猿楽の比叡座の家に1人の子どもが誕生した。その子どもこそが後に民衆を熱狂させる能楽師・犬王だったが、その姿はあまりに奇怪で、大人たちは犬王の全身を衣服で包み、顔には面を被せた。ある日、犬王は盲目の琵琶法師の少年・友魚(ともな)と出会う。(映画.com)

これは名作なのでは?と思ったのは後日で、初回を観終わった直後はクセの強さに圧倒されていた。主に松本大洋の独特なキャラデザインや、私がアニメを見慣れていないために「ヌメヌメした動き」「肌質不明」と違和感を抱いてしまう湯浅監督の作り出す登場人物たち。これらにどういう感想を抱いたらいいのか分からず、戸惑ってしまったのね。アヴちゃんが好き過ぎるがゆえ「これは映画なんだから歌だけに引っ張られちゃいけない」と妙に構えて臨んだこともあって。それが、時間が経っても余韻が残り、日に日にじわじわ来る感じなんだ。

舞台は平家滅亡から200年余りのちの室町時代
平家物語と言えば「祇園精舎の鐘の声・・・」の冒頭が有名な、平家一門の栄華と没落を描いた物語である。今うちの娘も読んでいるけれど、歴史上の話って特に、成功譚より凋落の方がロマンティックよね。
当道座に属する琵琶法師が口承で伝える悲哀の物語が、庶民から貴族の間で幅広く親しまれている。琵琶法師たちが日本各地を巡る中、その地に遺された逸話を「拾う」ことで、新たな物語が生まれては枝分かれし、そのため世には正当な血筋の他にいくつもの物語が存在しているという状況だ。

映画は現代から始まる。車のクラクションが響き、雨で黒く濡れた道路に「え?現代?」と首を傾げた瞬間、いくつものショットにより徐々に600年の昔へと遡って行くのだが、ここのスピーディな演出と「今は昔~」と語られる琵琶の音色の効果で一気に映画に引き込まれる。

小さな漁村で暮らす幼い友魚はある日、海の中に沈んでいる箱を見つける。時同じくして武士たちの依頼を受けた友魚の父は、その箱の中から、安徳天皇が壇ノ浦で入水をした際に抱えて沈んだと言われる三種の神器の一つ『草薙の剣』を引き上げる。だが、剣に籠められた平家の怨念により、父は身体を両断され、友魚は視力を失ってしまう。
一方、異形の者として生まれ落ちた犬王(アヴちゃん)は、醜い顔に面を被り残飯を漁って生き永らえていた。踊りへの情熱を持て余すうちに、なかったはずの足がにょっきりと生えてくる。街中を駆け回っては人々を脅かすようになった犬王は、ある夜、橋の上で琵琶法師となった友一(元の友魚/森山未來と出会う。

 

◇作画が素晴らしい

技術的なことに知識がないのだが、作画はトップレベルの出来だったと思う。また、(私を含めて)アニメを避ける人が理由の多くに挙げる大仰な演出や説明台詞については、全く気にならないと言っていい。
特に盲目の友魚の視点となったときのアニメーションが素晴らしく、アニメーションだからこそできることの強みが活かされていたと思う。例えば、父の恨みを背負って彷徨う旅の途中、平家の物語を語る琵琶法師の口許と弦だけが真っ赤に染まっていたり、雨が花火のようになる表現などが印象的だが、何と言っても、友魚と犬王が初めて出会う橋の上のシーンが良い。

異形と奇矯な行動で人々に忌避される犬王だが、友魚が感じたのは踊りながら近づいてくる無邪気な魂のような存在だった。それは柔らかなピンク色の丸い球となり、長い右腕が玉から伸びて、音符のような形に変化したりする。友魚には最初から、犬王が踊りと歌が好きな、明るく優しい子供だと分かるわけだ。
二人は「その琵琶、弾けるのかぁ?」「もちろん!」「イカすぅ」「まだまだ行くぞ!」とジャレ合いながら演奏に夢中になり、ついには天まで上っていく・・・。私はここが一番のお気に入りです。

犬王の周りには平家の亡霊が救いを求めて群がっており、彼らの魂が昇華されれば犬王の欠けた身体の一部が戻る。成長した二人は亡霊たちを成仏させるため、これまでにない斬新なパフォーマンスで平家物語を語り始める(亡霊を成仏させると手足が戻る設定は言うまでもなくどろろで、二番煎じじゃんってドヤッてる奴いるけど、言うまでもない程度のことじゃない?)。

当時の能楽は、将軍足利義満の庇護を受ける「観世の座」と犬王の生家である「近江比叡座」が二大巨頭として鎬を削っており、そこに突如現れた友魚と犬王のロッキンな琵琶バンドは庶民たちの度肝を抜き、熱狂的に受け入れられていく。

琵琶法師と能楽師と言っても、特に犬王は伝統芸能の世界では爪弾き者である。だからこそ自分と同じく「歴史から消される人々」の代弁者となっていくように、本作には”奪われて失われた私たちの物語”というテーマがある。また、友魚が「壇ノ浦の友魚」→「友一」→「友有」と名を変えていったり、友魚と出会う前の犬王には名がないことなど、名前や父親による呪縛も一つのテーマだと思うのだけど、観進めるうちに、そんな事はどうでも良くなってしまう。そして「映画は音楽を聴くものじゃない」という考えも吹っ飛ばされてしまっていた。それほど音楽パートのパワーはすごい。

 

 
◇アヴちゃん

わたくしはアヴちゃんが唯一無二であることを知っておりますので、ある程度想像はしていたのだけど、それを凌駕するほどの歌唱力と表現力でした・・・。

劇中歌のメインは犬王の歌う『腕塚』『鯨』『竜中将』の三つ(※作詞もアヴちゃんだ)。『犬王 壱』『犬王 弐』『犬王 参』を、それぞれのイントロダクションのような形で友魚(つまり森山未來)が歌う。

『腕塚』は平忠度が一の谷の壮絶な戦いの末、右腕を斬られ首を取られ、また浜には舟に乗れなかった数多の雑兵の腕が転がっているという歌だが、恐ろしい内容を軽快なロック調に仕上げていて、とにかくカッコよい。歌も然ることながら途中で差し込まれる「沈むぞ!」というシャウトがズドンと響く。

『鯨』では、「Queen」の「ドンドンパッ!」のリズムと手拍子、コールアンドレスポンスのパフォーマンスを取り入れた、歌い手と観客一体型の斬新な舞台が繰り広げられる。長い曲だが、後半になるほど盛り上がっていき、一度聴けば耳から離れなくなるような曲調と、「え゛い!」「歌え!」「まだ終わらぬ!」などの合いの手がキャッチーだ。

余談になるが、こういうインパクトある曲や歌詞って子供は一発で覚えてしまう。映画館には娘だけ連れて行ったのに、娘が口ずさむもので観ていない息子も覚えしまい、今日は娘の友達数人が『鯨』を歌いながら学校から帰ってきたよ笑。

最後の『竜中将』は、本当に同じ人物が歌っているのか?と耳を疑うほど滑らかな高音で始まる。将軍義満の前で披露されるこの演目には、二人の命運が掛かっていると言っても過言でなく、更に平家の亡霊を成仏させられるか=犬王は面を取ることができるのか?を占う重要なシーン。この曲は13分もあり、その間何度か変化する曲調の、変化の振り幅はどう考えても頭おかしい。ただ、長い間奏の後に『思い出さえも夢のあとさき♪』と始まる一節は、アヴちゃんの深みのある声が大円団に相応しく、うっとりしてしまう。

『女王蜂』ファンなら御馴染みのドスや煽りに気持ちが高まる一方で、声優としてのアヴちゃんは滅法かわいくて。予告にも使われているアレね、「俺が聞いてやる、お前たちの物語を」の言い方が、滅茶苦茶かあいらしーー! ビッチだなんだと歌ってても、アヴちゃんは勤勉で真面目で礼儀正しい人だからね!犬王の明るいキャラに、ばっちりとハマッている。どうしたってアヴちゃんありきの映画なのだけども、そちろんそれだけでないことを強調しておきたい。

 

◇監督が貫いた作家性の勝利

スタッフを知って、唯一不安だったのが脚本だった。野木亜紀子の、特に映画の脚本は冗長で単純で、観ているのが辛くなる(ドラマで言えば『アンナチュラル』も好きではない)。
だが懸念していたマイナス要素が『犬王』では感じられず、後日、野木亜紀子のインタビューを読んで超納得した。当初の脚本では、友魚と犬王のバディをストーリーとしてどう見せるか?に重点が置かれていたのを、湯浅監督が(恐らくガッツリと)削ったらしい。そしてその分、音楽パートへ時間を割いた。

私が読んだレビューの中にこれを良しとしない意見(つまり野木さん擁護)があったが、物語パートを削ったのは監督の英断であったと思う。二人の邂逅をストーリーとして説明する必要などなく、先に挙げた橋の上の、ジャレ合いながら空まで飛んでいくシーンで十分だ。さらにインタビューには、元の脚本のまま行けば『犬王』が凡作になったであろうことを如実に示すエピソードがある。

“湯浅さんが「イカす」っていう言葉を使いたいって(中略)でも、600年前に「イカす」っていう言葉はないし(中略)「せめて、『様良し』くらいにしませんか?」って提案したんです。それでも「いや、『イカす』がいいんですよね」と譲らなくて”
https://www.cinra.net/article/202205-nogiakiko_gtmnmcl

 

オイオイオイオイ 待て待て(リヴァイ)←キムタクの「ちょ、待てよ」は卒業しました。


あっぶねー・・・
「様良し」ってなんだよ(センスねえな)。いや、ホントにヤバかったよ。こういう固定観念が『犬王』を台無しにしてしまうところだった。

さらに以下の内容からも、湯浅監督の作家性こそが、この作品を名作に押し上げたことがはっきりわかる。

“時代ものであることにはそんなにとらわれなくてもいいのかなと思ってはいましたが、湯浅さんが想像を遥かに超えて、まったくとらわれていなかった(笑)”
“完成したものを見て本当にビックリしたんですよね。「もう、能ですらないじゃん」って(笑)”
“もっと「和」なのかと(中略)「ロックフェス」とか「ポップスター」みたいなことを湯浅さんがしきりにおっしゃっていたんですけど”
和楽器を中心とした「和」の世界のなかで、あえてそういう「例え」を出しているんだろうなと(中略)(でも)「あ、例えじゃなかったんだ」っていう(笑)”
“まわりの人は多分誰ひとりとして、こういうことになるとは思ってなかった(笑)”

いや~、野木さんありがとう。この凡人の域を出ない発想がさ(すんません)、湯浅監督の凄さを我々に教えてくれた。

鑑賞後に覗いたレビューサイトでは、違和感があった受け入れにくかったという意見も多かった。恐らくそういう人は、絵柄や時代、平家物語や琵琶法師や猿楽といったものから連想するイメージの中での最高のストーリー、音楽、アニメーションを観たいのだと思う。

それが、琵琶をベースのように弾くわ、坊主が裸にベルト締め出すわ、ワイヤーで釣られるわ、、、特に『竜中将』はひどい(褒め言葉)。「生きているのか死んでいるのか・・・」という美しい歌い出しに聴き入っていると突然、「YOYOYOYOYO!」だからね!よくぶち壊したもんだよ。更に四方八方からのネオンに照らされる中、アクロバティックに宙を舞ったかと思えば、今度はバレエを踊り出し『白鳥の湖』の黒鳥さながらの連続回転へ・・・それも将軍様の御前でだ。そりゃ「思ってたんと違う」となる人もあろうな。リエコのように平家物語に詳しく親しみが深い人や、なまじ能などの知識がある人こそ違和感が強いんだろう。

ただ、である。和楽器メインで仕上げた曲、それをしっとりと歌うアヴちゃん、能の要素を残したパフォーマンス・・・。うん、それなりに、いいものになると思う。でも、きっと「それなり」であって。私の中にこんなに残ったかな?と考えたら多分ノーだ。

音楽パートが長すぎるという批判に「ミュージカルアニメだからなあ」と思う一方で理解できる部分もあり、『犬王 壱』『腕塚』『犬王 弐』『鯨』の一連のシーケンスは確かに長く感じる。原因は、四曲がほぼ続いている上に、『犬王 壱』『犬王 弐』の曲調が同じであり曲自体もどちらかというと単調なものであること、加えて森山未來の歌唱力の限界であろう(いや、森山未來は素晴らしかったよ!でも本職じゃないからさ)。

ただ、ミュージカルを嫌う人が苦手とする「唐突感」はほぼなく、犬王が歌う前には友魚が必ず状況説明を加えてくれる親切設計かつ丁寧なミュージカルだし(娘は「友魚は犬王の広告塔で、引き立たせる役なんだよね」と言ってた天才か)、『竜中将』の13分は必要だったと思う。

湯浅監督はインタビューでこう答えている。

“多分こういうことをやったら、みんなが好きじゃないんだろうなということも素直にやっています。みんなが喜ぶものを作りたい気持ちもある。みんなが喜ぶものとつながるところを探している。人を選ぶ、癖が強いと言われることもあるけど、人を選ぶとは何だろう? 癖って悪いことなのかな?とも思います”

性格いいな!もっとやっちゃって。
私は監督のコールにレスポンスを送りたいと思います。

 

◇やなぎや鑑賞後の感想

一回目:なんだこれは。消化に時間かかるかも。
二回目:ラップも入れればよかったのに。

一点、犬王が面を取った下の顔は、も少し綺麗でも良かったんじゃないかね!?リエコが隣で「(忌野)清志郎さん!」って騒ぐしさぁ。ま、これも凡人の発想なのかな。

『犬王』は現在も絶賛上映中。歌の部分に当初はなかった歌詞の字幕が入り、ぐっと分かり易くなっているよ!

では、またねー。

 

引用:(C)2021 “INU-OH” Film Partners

『ナラタージュ』

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監督:行定勲 キャスト:松本潤有村架純/2017年

皆さん、ちは。
以前、うちは老人が多い地域だと書いたのだが、そのメリットデメリットははっきりしている。例えば、雨が降り出すとすぐに隣家の爺さんがピンポンして「洗濯物が濡れるぞ」と教えてくれる。なかなかさぁ、「あ、○○さんち洗濯物干しっぱなしだな~」って思ってもピンポンするまで少しの間は躊躇するよね。すぐよ、すぐ。なんなら、こっちも気づいて取り込もうとしているくらいのタイミング。

また先日ピンポーンとチャイムが鳴り、ドアを開けると、枝切りバサミを持った知らない爺さんが・・・!そしたら「外に忘れてるぞ、誰かに盗まれるぞ」って言って去っていった。うーん、誰かハサミを盗むかな?あと、誰かうちの前まで水撒いてくれる。親切と捉えるか過干渉と捉えるかは人に依ると思いますが・・・

デメリットはご町内の謎のマナー。じいさんばあさんばっかりなんで、よく人が死ぬわな。こないだもどっかの角のじいさんが死にました。斜め向かいの渡辺さん(優しくていい人)が訪ねて来て「お香典だけ持っていこうって話なのよ、私今夜行くから一緒に行こうか」と言ってくれた。金額も渡辺さんの言うままに用意したら、後ろの家のばあさんが訪ねてきて、私と行きましょうと言うのよ。要は町内会の班?かなんかが違うのだから渡辺さんと行くのはおかしい、私と行くのが筋でしょうって言うのね。え~。分からん。しかも、そのうち班長が回ってくるんだって!

さて、そんな感じで今日はですね、ナラタージュです。
ブログ友達でイケおじ(願望)管理職のとんぬらさんに「もっと甘い口調でブログを書いてくれ」と言われたので、相応しい題材を選びました。しゃぁぁぁ、恋愛映画、いくでー!

 

◇あらすじ

大学2年生の泉のもとに、高校時代の演劇部の顧問・葉山から、後輩たちの卒業公演への参加を依頼する電話がかかってくる。高校時代、泉は学校になじめずにいた自分を助けてくれた葉山に思いを寄せていたが、卒業式の日に起きたある出来事を胸にしまったまま、葉山のことを忘れようとしていた。しかし1年ぶりに葉山と再会したことで、抑えていた恋心を再燃させてしまう。(映画.com)

以前、友リエコと他の映画を観に行ったとき、本作『ナラタージュ』の予告が流れ、どうやら松潤と坂口健太郎の間で揺れる話だと理解したリエコが隣で「いや、坂口健太郎一択だろ」と呟いていた。果たして?

映画は、オフィスの窓から雨の夜空を眺める工藤泉有村架純の姿に始まる。「雨の日になると思い出す」というナレーションから時は戻り、彼女が教師の葉山 松本潤に恋した高校時代、また、葉山と再会する大学二年の夏の日が交互に描かれるといった構成だ。

高校時代は、昼休みに有村がMJの社会準備室を訪ねるシーンを中心に進んでいく。手作りのクッキーを摘まみながら、共通の趣味である映画について語り合い、DVDを貸し借りする昼休みのひととき。社会科準備室の扉を開けると、窓から入る暖かな光を背に「おう、今日は遅かったな」「座ったら?」と当然のように迎え入れてくれるMJは、有村の心の支えとなっていく・・・。
いいわ。ステキだわ、アオハルだわ。まさに『ポケットからきゅんです』。私もこんな高校生活を送りたかったわぁ。(←私的甘い口調)

ところでこの辺り、キュンとなりながらも物語上重要な「きっかけ」や「経緯」が飛ばされるので、首を傾げることも多いのね。二人の出会いは、ある雷雨の日、びしょ濡れで廊下を歩いている有村にMJが「ねえ」と声を掛けたことなのだが、そのシーンはそれでプツリと終わってしまう。別の日、有村が制服のままプールに落ちる事件があり、普段は草食動物のように温厚なMJが、監督していた教師の胸倉を掴んで食ってかかるのだが、一体有村は何故プールに落ちたのか説明もなければ、MJがそこまで激高するほど有村を特別に思うようになった背景も光のスピードで吹っ飛ばされる。

また、卒業間近のある日、「先生、恋人いますか」と有村に訊かれたMJは、「少し、歩こうか」と気取って立ち上がり、次のショットでは曇った空の下、汚い水辺を歩きながら重苦しい悩みを打ち明けてくる。相手、生徒だからネ・・・。しかもお前に好意寄せてんの。重いし甘え過ぎだって。上記のプールのシーンでは「突然キレるMJ感」が否めないし、現役生徒に突然プライベートの話をするなど怪しさ満載、MJの人物像がよくわからん。もちろん二人の関係を効果的に演出するために敢えてここでは描かずに後半へ送ったのだと思うんだけど、高校で生徒と教師が特殊な関係になった背景や有村がMJを愛した理由が伝わりにくく、唐突感が否めないんである。あ、MJの悪口を言ってんじゃないのよ?そこはよろしくね(※)

※義妹(弟の嫁)とその姉が熱烈な嵐ファンであるため忖度。でも好きなのは確か相葉。

高校生の恋愛映画あるあるも健在で、すなわち、有村が用があるときMJは『必ずいつも一人でいる問題』。嫌われ者ならともかく、生徒から信頼されており面倒見のいい先生という設定なので、まぁどう考えてもいつも人に囲まれているはずだろう。だが、有村が話したいとき、MJはいつも一人きりで「どうした?」と振り向いてくれる。要は都合により「二人の世界」が作られ過ぎていて、学校の廊下にすら誰もいなくなるので、「他の人間どこいったーい」と失笑してしまう。更に、いつも深刻な顔でぼそぼそと話し、言いかけてはやめたりするもんで「暗いカップルだな・・・」「家庭に問題でもあるんですか?」ってね(家庭に問題あるんだけどさ)。
それにしても、作品上、雨が重要な要素とは言え、架純ちゃんはよくびしょ濡れになるコである。

 

◇坂口とMJの天然

大学二年の夏休み、有村はかつて所属していた母校の演劇部に、文化祭で発表する劇のため助っ人として参加する。そこでMJと再会するわけだが、この時に他の元部員に誘われてやってきたのが坂口健太郎演じる小野だった。演劇経験を持つ坂口は元同級生たちと比べてスマートで、先輩の彼女に言い寄られて所属していた劇団を辞めたなどの逸話を持つモテ男。そして演劇部で共に過ごすうちに有村に惹かれていく。なるほど、これは先生(MJ)、分が悪いわ・・・。と思ったんだけど、坂口の天然が各所で爆笑を引き起こす。やたらと「将来何をしたいの?」と誰かが誰かに訊くこの映画だが、あるとき坂口は有村に打ち明ける。
「おれさ、靴を作りたいんだ」。

靴??

靴とな。貴乃花の息子くらいしか思い浮かばないんだが、靴作りたいの?あなた演劇やりたいんじゃなかったの?役者をやってるうちに裏方に興味を持ったとかじゃなくて、靴限定なのね?まぁまぁ、自由ですよ、それは。さらに健太郎は言う。

「試作品があるんだけど、うちに見に来ない?」

試作品が、あるんだ・・・。なら行かねばならんやな。あにはからんや。さもあらん。ここで「うちで飲み直さない?」と誘われたならば、架純ちゃんも「明日も早いから」とか「うーん、私一人でお邪魔するのはどうかな?」と断ったと思う。しかし「オレが作った靴、見に来ないか?」と言われたら、「ああ、靴・・・?じゃあ見に行かなきゃかしら?」となるわな。

さて、ここで観客は思い出す。健太郎は初対面の際、架純ちゃんに「靴のサイズ、何センチ?」と訊き、「そんな風に聞かれると恥ずかしいな」と恥じらわせているのである。私も「ヘンな奴だな」と思ったけど、彼は靴職人になりたいのであって、別に下着のサイズを訊くような疚しい気持ちではなかったんだな。やっと分かったわ。

そして、そうなのです、坂口の部屋に上がり、「履いてみて」と試作品を差し出された有村が足を通せばサイズはぴったんこ。有村のことを想って作った靴だったのだ。こうなるともう、それはシンデレラやないかい。しかし、MJを忘れらない有村は「ごめん」と健太郎を突き放す。ほなシンデレラと違うかぁ。

靴職人坂口のアプローチにより、笑いのツボを刺激され箸が転がってもおかしい状態になった私は、次のシーンで映画館から出てきた有村が、雨空を見上げながら呟くセリフにも爆笑。「傘が、なかった」。それはもう『傘がない』やないかい。しかし、偶然にも同じ映画館にいたMJが傘を差しだす。傘、あったやないかい。というか、架純ちゃんがよくズブ濡れになるのは、天気予報を見ないコなのかな?

さらに次はMJである。坂口の思わぬ靴アタックにより風邪を引いて寝込んでしまった有村。そこへMJがスーパーの袋を下げて見舞いに来る。「演劇部の手伝いで無理をさせたかな?」と気遣いながら、おかゆを作ってくれる(こんなことして好きになるなって無茶だわ、せんせぇさぁ)。ベッドでおかゆを食べる有村の横に付き添ったMJは、りんごを取り上げ、言う。
「りんごは、すりおろしでいいかな」

りんごは、すりおろしでいいかな!?

風邪のときにリンゴを擦り下ろして食べるのは絶対ルールじゃないし、やるとしても5歳児まで!うちの甘えっこの娘なら「擦り下ろして」って言うかもだから、百歩譲って10歳まで!もお。冗談キツイわぁ、せんせぇ。いやマジよ。皆さん、わたしの創作だと思ってるでしょ?ホントに言うの、気取った眼鏡のクソ真面目な顔で「すりおろしで、いいかな?」って。

ハイ、そこで架純ちゃんが「いやだぁ、子供じゃないんですよ」と返す!「そうか、悪い悪い」と金田一のごとく毛量の多い髪をかくMJ!ほっこりした空気が二人の仲を近づけて・・・ってシナリオかと思いきや、訊かれた架純ちゃん、コクンと頷く。え、摺り下ろされたいの、あなたも?
「病気のときに見舞いに来てなんか起こる」はラブストーリーの王道だと思うんだけどさ、すりおろしのせいでリンゴばかりに目が行ってしまう。病床のドキドキを返せ。

一方で有村は、告白を断った後も坂口と友人関係を続けていた。演劇部の文化祭での発表が盛況のうちに終わり、興奮冷めやらぬ雰囲気の中、坂口が有村に言う。

「オレさ、この後実家に帰るんだけど、一緒に行かない?」

実家に、一緒に??

再度書くが、二人は「友人関係」である。付き合って二年のカポーではない。お前は何を言ってるんだ?ここで「打ち上げでもしない?」と誘われたならば、架純ちゃんも「じゃあ、他の皆も誘おうか」と返したと思う。しかし「実家に来ないか?」と言われたら、「ああ、実家・・・?じゃあ皆で行くのは珍妙でんがなそりゃ。私ひとりでお邪魔しよかー」となるわな。

しかも、坂口は有村にフラられているのである。その相手を突然実家に連れて行こうとする坂口の浮世離れ感、天然、強心臓、もうどうにもならタージュ。
そして、バイクで二人乗りして出発した。盗んだバイクで走りだす~♪ ああ、盗んではいないのね、じゃあ尾崎じゃないやないかい。

坂口の実家は京都の良家と思われ、お父さんもお母さんもお姉ちゃんもめっちゃいい人だった。立派な和室に泊めてもらい、素敵な庭を散策して二人で空を見上げた。京都観光もした。そして別れ際、架純ちゃんは坂口の気持ちに応える。「私と付き合ってくれますか?」

よし、ここで終わろう!終わりだ~、終わり、みんなもう帰って!予想と違って噛ませ犬はMJの方だったが、意外性もこれ良し。架純ちゃんは、はっきりしないメガネを切り、新しい恋に踏み出しましたっと。私はここで観るのを止めたい。

だがしかし、ここで映画はまだ半分だ!


◇甘えんぼうのMJ、モンスター化する坂口

すりおろしりんごで天然爆発させたMJの甘えんぼうは続く。MJは以前の結婚生活で負った傷を引きずっていた。妻との関係に向き合えないまま、有村が自分に寄せる信頼と好意に甘え、度々彼女に救いを求めてしまうのだ。それは、突然夜中に電話を掛けてきて「いま少し話してもいいかな?」という程度の細やかなものなのだが、煮え切らないMJから離れて坂口と前に進もうとしている有村にとっては十分に心乱される行為。そして全身をハリネズミのように尖らせ、二人を気にしている坂口にとっては裏切りに等しい行為。優しかった坂口は、携帯を見せろと迫ったり、些細なことで怒鳴るような粘着男に変貌してしまう。こーわーいーわー。あの細マッチョな身体と削げた頬も大変苦手ですぅ。リエコさん、一択じゃなかったです。有村が夜道で変な男に付けられ、坂口に電話する・・・というくだりがあるのだが、坂口の反応とMJの反応の違いが、その後の展開を予見させるのがよかったな。

さて本作、長く感じてしまうのが難点だ。上述したが、前半で色々思わせぶりに溜めたものを後半で明らかにしていくと言う流れに加え、差し込まれるエピソードが少々多かったかな?と思う。皆さんも私のダラダラした文章のせいで長いと感じられたことでしょう。私は、こんなシンプルな映画について何故5000字も書いているのですか?とんぬらさんのせいだよ。ボーナスの査定とかしてんじゃねェェェ!

後半は決して悪くなかったし、止まっていた懐中時計が時を刻み出すラストもよかったと思う。有村がやはりMJを諦められないことを痛感し、坂口に「ごめんなさい」と告げて靴を脱ぐシーケンスは悲しかった。

各所レビューでは辛口点がつけられ、「MJは浮気男」「束縛男の坂口が最低」「有村架純はどっちつかずフラフラ」と言った意見が多かったけど、そうかな!?MJは有村の気持ちに甘えてしまったけれど、自分の「弱さ」と向き合おうとしていた。坂口は有村を手に入れたのに、疑心暗鬼になって自分で自分を苦しめた。そして有村は全編を通して凛として心優しく、MJが「優しくて頼りになる先生」でない側面を見せても躊躇せずに受け止めるいじらしい子ォであった。

逆に思うんだけど、みんなそんなにキレイで誠実な恋愛をしているの!?いや、恋愛のみならず、常に道から逸れず人を裏切らず傷つけずに生きているの?だとしたら、ごりっぱですねとしか言いようがない。
まあただ、「この映画どうでしたか」と聞かれたら、「靴」と「りんごのすりおろし」「実家」といった全然重要じゃないワードに集約されてしまうんだけどね・・・。

最後はこの言葉でお別れしましょう。

恋にならタージュ。。。でも最後は笑って、さよならタージュ!

とんぬらさん、女子っぽいレビューいかがでしたでしょうか?がんばって書いたんだからねっ。

『2021年に観た映画雑感&ベスト3』のつづき

リトル・ヤナギヤ「皆さん、こんにちは♡コロナ禍の赤坂から、爽やかなヤナギヤがお送りします」
やなぎや「あ、韻踏んだ。バーカ」
リトル「アハハハ」
やなぎや「こないだ会社の娘っ子から勧められて韓国のBLを読んだんだけどさ~、すんごい過激だった」
リトル「休日にいきなりBLの話やめてくれない?BLの話をするにはさ、まずお作法が必要なのよ。『私、普段漫画は読んでもBLとか読まない人なんだけど、やんごとなき事情と切っ掛けにより最近読む機会があって。そしたら悪くないのもあって。だから、たまーに読むこともあるわ。あくまで限られた状況下での話なんだけどね?』と用心しいしい足を突っ込んで欲しいわけ。通常仕様の中にナチュラルに『BL』が存在するような人間を、世間様が認めると思うかい?
やなぎや「めんどくせぇな!だから『会社の娘っ子から勧められて』って言ってるじゃん」
リトル「あ、うそなの?ホントは自分で漁ってるんだ?」
やなぎや「現代のBLってキツくてさ、でもそれ(題名を忘れた)朝鮮時代だったから面白く読めた。貴族の若君と賤民の春画家の話で、当たり前だけど、この時代の身分差って絶対的なものだったんだね」
リトル「ああ、そう(爪を磨きながら)」
やなぎや「これはリエコに言わなければと思って勧めたら、『あとでお風呂で読む』と返ってきた。旦那にバレたくないものは大体風呂に持ち込んでるの」
リトル「クローゼットの中にも隠してるわよね」
やなぎや「で、夜中に『読んだ、作者頭おかしくない?エロ過ぎる』ってメール来た」

リトル「前振りのBLはこれくらいにして、早速先週の続きに行きましょう」
やなぎや「まず『特別賞』を二本、その後、数本感想書いて、ベスト3を挙げます!」

 

◇『ダーク・アンド・ウィケッド』

2020年製作/95分/アメリ
監督:ブライアン・ベルティノ キャスト:マリン・アイルランド、マイケル・アボット・Jr.

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リトル「映画館で観た三本のうち最後の一本ね。Twitterの友達のinoちゃんが激推ししていたから観に行ったのよね」
やなぎや「inoちゃんのあの勧め方で間違いなしの予感はしたけど怖かった!!」
リトル「ルイーズとマイケルの姉弟は病気の父の最期を看取るため、長年足が遠のいていたテキサスの実家を訪れる。でも母親は『来るなと言ったのに』と歓迎せず、奇妙なことを口走ったりと様子がおかしい。で、ある夜、納屋で首を吊って死んでしまう・・・。ホラーでよくある、何故か近寄りたくない実家って、それだけで不気味よね~」
やなぎや「悪魔系だと、人気のジェームズ・ワン死霊館シリーズ、私も大好きだけど、あれって起承転結がはっきりしてるじゃない?怪異が起こる⇒家族が苦しむ⇒霊能者夫妻に助けを求める⇒夫妻が調査をする⇒攻撃が激しくなる⇒一度挫折する⇒夫妻が怪異の原因を突き止める⇒悪魔を撃退する・・・。最後に祓ったはずの悪魔が誰かに憑依していてニヤリ、なんて古風なショットもない。すごく現代っぽいホラーで、ミステリーの要素も強いんだよね。『意外な真実』があって、その真実を夫妻が暴くことにより悪魔を倒す。実にスッキリするのよ。比較すると、『ダーク・アンド・ウィケッド』には起承転結も意外な真実もない」
リトル「ワケがわからんと評価している人達は、スッキリ感を求めたのかもね」
やなぎや「だけど、そこの凄さだよ!人が本能で危機感を感じるような嫌なモノをポンポンと配置して見せ、悪魔の姿は最後まで映さず、観る人の恐怖心をじわじわと内側から煽る。印象的な映画って、観た後に思い浮かぶショットが多いじゃない?この映画もそうだった」
リトル「家畜小屋、無数にブラさげられた悪魔よけ、お母さんの高速人参切り、指、お父さんの顔・・・」
やなぎや「ヤギ」
リトル「ヤギね!嫌なショットが重なるにつれ、『なんか来る!なにか起こる、怖い!』と潜在的な恐怖が掻き立てられるというか、ああそうか、だからコレって年食ってれば食ってるほど怖いのかしら?」
やなぎや「でも一番怖かったのは神父」
リトルソーン神父、イヤだったわー!!突然訪ねて来て、姉弟が亡くなったお母さんの日記を見せると、『悪魔はいる』と妙に思わせぶりでカンに触わる態度を取るのよね」
やなぎや「で、深夜三時、庭に誰かいる・・・。姉弟が見てみると何故か神父が立っている・・・」
リトル「で、のちに神父に電話を掛けてみたら『私はテキサスには行っていない、ずっとシカゴにいる』って。じゃあアレ、誰・・・?
やなぎやKOEEEEEEE!!あと、突っ込んだのは、『おい、弟逃げるんか!』だね」
リトル「あ、あれはびっくりした。あんた何帰ってんの!?って」
やなぎや「これさ、キリスト教徒だったりすると、もっと怖いのかな?」
リトル「知らんけど、とにかく不気味だった」


◇『トゥルーノース』

2020年製作/94分/日本・インドネシア合作
監督:清水ハン栄治 キャスト:ジョエル・サットン、マイケル・ササキ

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やなぎや「何気なしに観始めて、一気に観てしまい、涙にくれたんですけど」
リトル「ですけど、ってやめてくれない?世の中、言語化能力のなさを、過剰な敬語や意味のない語尾でごまかす輩が跋扈していてイライラしてんのよ。こないださー、仕事ですごいメール見たのよ!お客さんから転送されてきたシステム会社のメールなんだけど・・・『(略)~が存在しません為、動作が不能となります状況となっております。また、レコード情報等もございません状況となりますので、ご承知頂けますようお願い致します』。もはや何かの病気だろ!やたら『こちら』を付けるヤツも嫌い」
やなぎや「今日はいつもに輪をかけて面倒くさいね。さて、この映画の舞台は金正日体制下の北朝鮮。主人公の少年ヨハンは、父親が政治犯の疑いで逮捕されたことで、母親と妹とともに強制収容所に送られてしまう。過酷すぎる収容所での生活の中、ヨハンは徐々に自分を失っていく」
リトル「監督の清水ハン栄治が、実際に収容所を知る脱北者に行ったインタビューを元に10年をかけて作り上げた作品だそうよ」
やなぎや「これが現在進行形の話なのが今でも信じられない。アニメにしたのは、実写にしたらリスキーだからだよね?」
リトル「アニメでも十分リスキーで挑戦的な作品でしょ。私はこういう話ってさ、もちろん体制自体も恐ろしいんだけど、迫害される側にヒエラルキーができてくるのが興味深く且つ怖いなって思うのよね~。ホロコーストでのゾンダーコマンドとかもそうじゃない。その日の糧、僅かな生の可能性を得るために、同胞から搾取する側に回る」
やなぎや「この映画もそうだったね。収容者の中でもパワーのある者が、弱い仲間を虐げる。恐ろしい環境でも踏ん張っていたヨハンが、ついに『支配者』となってしまう背景がすごくよく描かれていたよね」
リトル「お母さんの愛情深さと優しさが切なかった。あと『赤とんぼ』のところで涙が・・・」
やなぎや北朝鮮の収容所の状況を垣間見ることができるだけじゃなくて、エンタメとしても良くできていたよね」
リトル「ラストは予測はしていたものの『ああ、そうなったか』と涙を抑えられなかったわ」
やなぎや「めっちゃ泣いてんじゃん」
リトル「別に私、鬼じゃねぇんだよ」


◇『国家誘拐』

2007年製作/122分/アメリ
監督:ギャビン・フッド キャスト:ジェイク・ギレンホールリース・ウィザースプーン

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あらすじ:
CIA分析官のダグラスジェイク・ギレンホールは、赴任先の北アフリカ自爆テロに遭遇する。容疑者として拘束されたエジプト系アメリカ人の男性アンウォー(オマー・メトウォリー)北アフリカへと送られ、秘密警察による拷問を受ける。一方、夫が帰ってこないことを不審に思ったアンウォーの妻イザベラリース・ウィザースプーンは、彼がテロ容疑者として国外追放処分されたことを知る。(映画.com)

やなぎや「ジェイクー!!結婚してくれ!」
リトル「うるさい!!」
やなぎや「ジェイクの肌がツヤツヤすぎると思ったら、2007年の映画でした。27歳だよ」
リトル「邦題ひどいわね」
やなぎや「原題『Rendition』。逃亡者などの州や国を跨いだ引き渡しって意味かな。一旦テロリストと認識されてしまったら誤解だろうがなんだろうが、冤罪を晴らす術がない・・・ってとこに改めてゾッとした」
リトル「とはいえ『俺はテロリストじゃない!』と訴えるアンウォーに怪しい行動が浮上したり、最後まで『こいつはテロリストか否か?』と惑わせる作りになっているよね」
やなぎや「見どころの一つはやっぱりジェイク。一応の出世欲がありエリート気取って、拷問も辞さないタフガイに徹しようとするんだけど、自分の正義を裏切れないところが実にジェイクらしいキャラだった。冷酷な諜報員とか似合わないわ」
リトル「アンウォーを独断で逃がすんだけど、いつバレるか知れない中で刑務所の門を出ることができるか・・・ってあそこがすっごいスリリングだった。ああいうとこ、ジェイクはホントに上手」
やなぎや「そして、この作品にはもう一つ、びっくりするような罠が仕掛けられているのだ~」
リトル「途中で『ん??』って違和感を覚えた場面が、最後にああそういうことだったのかと繋がるから、その違和感を無視しないで覚えていてほしい!」
やなぎや「何故あまり知られていないのかが不思議なくらい面白い映画だったので、是非!!」


◇『パーフェクト・ケア』

2020年製作/118分/アメリ
監督:J・ブレイクソン キャスト:ロザムンド・パイクピーター・ディンクレイジ

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リトル「これは面白かったわね~。なんと言ってもロザムンド・パイク演じる法定後見人マーラの鬼の所業(笑)。医者と結託して、ターゲットの高齢者に自活能力なしと偽の診断を下させ、施設に放り込んで財産も住処も取り上げてしまう」
やなぎや「本来、救済措置であるはずの制度を逆手にとったうまいビジネスなんだけど、少しは良心ないのか、と思うくらいひどい!」
リトル「あるときカモにした『超優良物件』の老女に実は裏があった・・・というところから物語が大きく展開する。命に係わるような事態になるんだけど、面白いのが、逃げ続けるんじゃなくて反撃に出るところよねっ」
やなぎや「脅しに来たロシアンマフィアの弁護士を、眉も動かさず追い返すオフィスのシーンがお気に入り。セットアップのスーツ姿がカッコよくてさ」
リトル「それを言うなら、ボス、ローマンとの対峙シーンでしょ。殴られても動じないパイクだけど、流石にヤバイと思ったのか、自らをマフィアに売り込み出す!」
やなぎや「で、これまでの非道を見てるもんで、『あれ、この人ならマフィアで立派にやっていけるかも・・・?』と思っちゃう。説得力が半端ない」
リトル「その後、池に沈められた車から脱出して、近くのコンビニでズブ濡れのまま牛乳を呷る、店主も何も言えず・・・の場面が良かったわ笑」
やなぎや「目が据わっててパイクのエンジンがかかり出した・・・って感じだったよね。普通なら逃亡劇になりそうなところだけど、反撃するんだ!?って。あと、パートナーの女の子が可愛かった」
リトル「でも、凡庸すぎるラストで、やや減点かしら。なんでああしたんだろ?そこはもう、パイクの高笑いで終わっていいわよ」
やなぎや「奢れるものは久しからず&悪は滅びるの定石を重要視したのかね。ポリコレ連中の批判を避けるためとか」
リトル「ポリコレって言えば、ちょっとLGBTQへの目配せはウザくなかった?主人公がゲイなのはいいとしても、自信満々の伊達男をやり込めたり、相手のボスが小人症だったり、鼻についたかな」
やなぎや「まぁそれは差し引いても、パイクの振り切り具合がヤバかったね」


やなぎや「ここでひとつ、ワーストを発表したいと思います。ドコドコドコ(太鼓)・・・」

◇『来る』

2018年製作/134分/日本
監督:中島哲也 キャスト:岡田准一黒木華

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リトル「ひたすらツラかった・・・」
やなぎや「来る・・・きっと来る・・・って待ってたら、何も来ずに終わった」
リトル「これ、映画も原作の澤村伊智の小説も掴みは良いのよ。土地や家に代々取り憑き、密かに語り継がれる『何か』。災いは大人になっても付きまとい、大切な人たちまで害する。家族を救おうと霊能者が解明に乗り出す、ってめっちゃ面白そうじゃない」
やなぎや「男目線と女目線で家族の捉え方が全く違ったって視点も面白い。ただ、原作もそこまでなんだよね~。要はお勉強不足なんだと思う。この種の話って民俗学を疎かにすると一気に陳腐になるでしょう。で、映画は、小松菜奈松たか子のキャラに頼ったもんで更にダメになってしまった」
リトル「『僕は彼女以上の霊能者を知らない・・・』って煽り文句とともに派手に登場した小松菜奈が何をしたか」
やなぎや「主に子守り(笑)」
リトル「子供と遊んで風呂入ってたわよね(笑) 。松たか子はブサイクだし・・・。巷では、つまんねぇ評と『小松菜奈の太ももと松たか子のコスだけでご馳走様♡』な、おりこう評に別れてたけど、いや、だったらもっとやれるでしょ」
やなぎや「極めつけは、かき集めた霊能者がマンション前で各々お祓いしまくるシーンね」
リトル「あれは爆笑。正体不明の何十人もの霊能者が入り乱れ宗教錯綜で行うエキセントリック・パフォーマンス。なんの奇祭??マンションの庭で何が始まった!?『来る』ってのは、お前らだったのかって」
やなぎや「わたし中島監督作品では、かなり高い確率で『何が始まったの?』って戸惑ってる気がする」
リトル「戸惑ったあと戻って来れればいいけどさー、戻って来られないまま更に道に迷って終わるのが中島作品だと思う。『渇き。』とかクッソつまんなかったもん。今回も期待を裏切らなかったわ」
やなぎや「では、次はベスト3です!」

 


◇第三位『BLUE ブルー』

感想はこちら。

yanagiyashujin.hatenablog.com


やなぎや「まーつーやーまーけーんーいーちー」
リトル「疲れてきたわね・・・?」
やなぎや「もう、これは散々感想書いているから」
リトル松山ケンイチの力の抜けた芝居や、柔らかな空気感が忘れられないわね」
やなぎや「ただ、1点懸念がありまして。松山ケンイチ、柔らかすぎやしないか?』問題」
リトル「・・・それがいいって言ってたから、私も乗っかってるのよ?」
やなぎや「いや、意図的ならいいんだけど、この人ってメソッド俳優ってやつでしょ。プライベート含めた色んなこと、考え方だったり年齢だったりが、演技に影響してくるタイプだと思うのよ。最近結構、メディアでも目にするし・・・。柔軟になりすぎないで欲しい。多少は気難しくピリピリしてて欲しい」
リトル「手紙でも書いたらいいね」


◇第二位『僕のワンダフル・ライフ

2017年製作/100分/アメリ
監督:ラッセ・ハルストレム キャスト:デニス・クエイドペギー・リプトン

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やなぎや「二位は僕のワンダフル・ライフにしました!」
リトル「なにか作為的なものを感じるわ・・・。ホントにこれが二位?バランス調整のためだろ?今回もラインナップひどいもんな。テロリスト、詐欺、マフィア、悪魔、北朝鮮『動物』を無理くり入れて、少しでもほっこりさせよう作戦だろ」
やなぎや「違うよ。動物ならホラ、上の『ダーク・アンド・ウィケッド』でヤギが出てきているのだし・・・」
リトル「何十頭もの死んだヤギじゃん!二重の意味でスケープゴートじゃん!
やなぎや「あ、ちょっと待って。悪魔だなんだって言ってたら、降りてきた・・・ライムが。パンチラインが。お願い、韻を踏ませて」

・悪魔の仕業 Mama 指チョンパ♪ 逆さ 十字架 悪魔の仕草(『ダーク・アンド・ウィケッド』)
NorthKorea こりゃこりゃ ホラー トゥルーノース 生活過酷  明かす真実 Papa生きてた(『トゥルーノース』)

リトル『NorthKorea こりゃこりゃ ホラー』はブン殴られても仕方ないレベルだと思う。あと、全然踏んでねぇよ、全部一文字だよ」
やなぎや「ところで、リトルは、この映画でも泣いていたよね」
リトル「あのね、世の中にはさ、犬派?猫派?論が存在するじゃない?」
やなぎや「また世の中の話か~、8000字超えそうだから、手短かにね」
リトル「『犬猫どっち派』論がド低能な上に茶番も甚だしいんで、私はこの話が始まったら絶対参加しないようにしてるのよ!始めは互いに気を遣っていても、そのうち、自分のペットの良さを主張するために相手のペットを貶めだすでしょ?そこで犬派が挙げるのが94%の確率で『犬は(猫と違って)忠誠心が厚い』なのよ。『猫は飼い主の心配したりしないでしょ~?』って。一方の猫派は『気まぐれなところがかわいいんじゃな~い』『毎日散歩したり、お風呂入れたりするのも、私は時間がなくてできないな~』と応戦。もはや犬と猫の話ではなく、『飼っている私』の人間性の競い合い、マウントの取り合いにすら発展していくのよ・・・」
やなぎや「考えすぎだよ。で、リトルはどっち派なの?」
リトル「猫派よ!」
やなぎや「この映画の良かったところは?」
リトル「犬のいじらしいまでの忠誠心よォォォ~!!喉が痛くなるくらい泣いたわよ!」

やなぎやゴールデン・レトリバーの子犬ベイリーと飼い主の少年イーサンは固い絆で結ばれ、共に成長していく。やがて寿命を迎えたベイリーは、再びイーサンに巡り合うため、姿を変えて転生を繰り返す、ってストーリー」
リトル「犬の生まれ変わりの物語って斬新。ベイリーが、イーサンに名前を呼ばれるのが大好きなのよね。『ベイリー!ベイリー!ベイリー!』『ボスドッグ!』の呼び方が耳に残るわ」
やなぎや「高校生になり、アメフトの花形選手として将来有望なイーサンだったけど、ある事件により可能性を絶たれてしまう。寿命を迎えたベイリーは、イーサンのことが気がかりでならないんだよね。それで別の犬として何度も生まれ変わる。いじらしすぎる」
リトル「数度の転生を経て、ベイリーはようやくイーサンデニス・クエイドと再会するんだけど、イーサンはボスドッグだとは気づかない。ただ、一緒に過ごすうち仕草でこの犬はあのベイリーなのでは?と思い始めるの」
やなぎや「確信を得るために、イーサンは二人(一人と一匹か)の間の大切な儀式を試す。イーサンがボールを投げ、すかさず四つん這いになる。そこへベイリーがイーサンの背をジャンプ台にしてボールを空中でキャッチする、という二人だけが知る遊び」

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リトル「これね!数十年を経て、再びこのジャンプ&キャッチは蘇るのか、、、未見の人には是非観てほしいわ」
やなぎや「ちなみに、私はこれを観る前にふかづめさんのブログで読んでしまっていて。ちょっと『シネマ一刀両断』から、このシーンの説明を抜粋するね」

 

hukadume7272.hatenablog.com

それはイーサンが天高くラグビーボールを放り投げたあと、すかさず「アッ、女王様!」と叫んで四つん這いになり、助走をつけてきたベイリーが「このブタ野郎!」とばかりにイーサンの背中を踏んでジャンプ、落ちてきたラグビーボールを空中で見事キャッチするというもの。その名もSMキャッチという技である。

 

リトル「いや、ちがう。『SMキャッチという技』はこの世に存在しません」
やなぎや「この評の後に映画を観たために、最大の感動シーンで『アッ、女王様!』『このブタ野郎!』が再生されるという恐ろしい呪いが」
リトル最悪な呪いね!ところで、これって続編があるでしょ?『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019)」
やなぎや「そっちも観たよ!続編は、ベイリーがイーサンの孫娘CJの人生に寄り添うストーリーなの。こちらも面白いんだけど、やっぱり最後にはベイリーは年老いたイーサンの元へ導かれ、例の『アッ、女王様!』『このブタ野郎!』、じゃなかった、ボールキャッチでベイリーであることを証明してみせる。必ずイーサンの元に帰るんだよね。ベイリーとイーサンの絆を越えるものはないのではないかと。それでこちらをベスト2にしたよ」


◇第一位『プライベート・ウォー』

yanagiyashujin.hatenablog.com

やなぎや「感想はこちら↑。思い返しても、この映画が一番心を持っていかれたな」
リトル「ラ・ペルラの下着ね!」
やなぎやロザムンド・パイクの年だったなー」

リトル「というわけで、やっと2021年の総括が終了したわね。8400字。誰か最後まで読んでくれるといいわね」
やなぎや「また通常の更新を頑張っていきます。恐らく・・・一ヶ月・・・以内に・・・お会いしましょう・・・」
リトル「めっちゃ自信なさそう」

『2021年に観た映画雑感&ベスト3』

リトル・ヤナギヤ「皆さん、こんにちは!リトル・ヤナギヤです♡お久しぶりね。なんと約3ヶ月ぶりの更新ですって!ヤバ。」
やなぎや「生きてます、ギリギリ生きてます。というわけで、遅まきながら『2021年に観た映画雑感&ベスト3』です」
リトル「ぶっ。2022年も明けて21日というのに、去年の話をするの?」
やなぎや「そもそも私は映画館で観る数が少ないから、その年公開された映画の感想ってあまり書けないのね。それで『○○年に観た映画ベスト』にしてるんだけど、だから逆に、どのタイミングでも成り立つわけ」
リトル『2021年1月1日~2022年1月21日までに観た映画雑感』ってわけね」
やなぎや「まどろっこしいけどな」

※初めて読む方のために〜リトル・ヤナギヤは、やなぎやの別人格です(大分説明を省略)。

2020年はこちら。

yanagiyashujin.hatenablog.com

 

リトル「去年は随分と最近の日本映画を観てたわね。それも暗めな、マイナーどころを」
やなぎや「なので、今回日本映画が多くなるかも。地方でやり直そうとする人間が田舎独特の慣習に潰されたり、閉鎖的な空気にメンタルやられる系が好き」
リトルそんな『系』ねぇよ。それにしても最近の日本映画、ニ文字の題名多すぎない?」
やなぎや『影裏』『楽園』『犬猿』『最悪』『悪人』『怒り』
リトル呪怨』『残穢』『回路』『凶悪』『告白』ゥゥーー!!」
やなぎや「どれがどれだか分からなくなってる」

 

◇『影裏』

2020年製作/134分/日本
監督:大友啓史 キャスト:綾野剛松田龍平

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やなぎや「主人公の今野綾野剛は異動先の職場で、独特な佇まいを持つ日浅松田龍平に惹かれる。でも日浅は捉えどころがなく、今野に構ったかと思えば突然消えたり、またフラリと現れたりするの」
リトル「冒頭から綾野剛の白い足が艶めかしく映され、その後もやたらとパンイチ姿が多い。まるで隠れて生きているような様子からも、綾野がどんな青年であるのか分かるわね」
やなぎや「この俳優二人が揃えばって感じなんだけど、なかなか良い映画だったよ。ちなみに、『映画.com』での評価は2.8です」
リトル「低ッ!ああ、よく見たら『るろ剣』の監督か」
やなぎや「吐き捨てるように言わないよ」
リトル「おかしな世の中だよなー!当事者間の問題に過ぎない不倫をした俳優は叩かれんのに、ロリコン野郎の作品は堂々公開されるんだからさー!」
やなぎや「それは、るろ剣の原作者ね。いいから、映画の話を進めないか」
リトル「あら、そ?漫画家って犯罪者と紙一重のやつ多いよなって話したかったのに」
やなぎや「(スル~)。明らかに裏のある日浅だけど、今野だけには心を開いているのかな?と思ってしまう。果たしてそうだったのか否か、今もよく分かんないんだよね」
リトル「日浅が今野の気持ちを搔き乱しては宙ぶらりんにする状態が続くんだけど、印象的なシーンは、久々に現れて、まるで時間の経過などなかったかのように『釣りに行こうぜ』と誘う辺りのシーケンス」
やなぎや「浮き立った今野が、買い揃えたアウトドアのギアを携えて出かけてみれば、日浅は嘘のように冷たい態度を取るんだよね。折角の道具をバカにしたり、無視して他の人間とおしゃべりしたり。今野の気持ちが萎んでいく、嫌な雰囲気と気まずさが忘れらないよ」
リトル「どんな人間だよコイツ、ってなるよわよね」
やなぎや「でさ、日浅が姿を消した後も、今野は日浅に教えられた釣りを一人続ける。ベタな考察だけど、釣りを止めれば、日浅との関係が切れてしまうような気がしているんだと思う
リトル「釣り糸が、マクガフィンと」
やなぎや「私、去年は一度もマクガフィンって言ってません!」
リトル「てか、ふっかづめ!ふかづめどこ行ったんだよ!『中半端な映画好きはマクガフィンとかメタファーとかいいがち(わら)』なんて暴言残して、ここ数か月姿を見ないけど、何やってるわけ!?」
やなぎや「どうどう、いきなりキレないで下さい。せめて『さん』つけて。礼儀に煩い青年だから。映画の話に戻って」
リトル「今野が知る日浅と、他人から聞く彼の姿とは全然違うっていう多面性がテーマでもあるわけだけど、『あ、現実でもこういう経験あるな』って思ったわ。日浅見てると、ざわざわするの。そして、『人には裏と表があるんだよ』の言葉の通り、得体の知れない空気で画面を支配する松田龍平のすごさ」
やなぎや「『龍平と翔太どっちが好き?』論て常にあるじゃない。いや、松田翔太はカッコいいよ。でも、役者としては比ぶべくもない。龍平が別格だと思う」
リトル綾野剛もよかったわね」
やなぎや「私は去年、綾野剛の年だった!出てる映画ほとんど見たもん。番宣に出過ぎなのと共演者への気遣いや如才のなさが鼻について好きじゃなかったんだけど、そんな理由で避けたら勿体ないなと反省したよ」


◇『孤狼の血 LEVEL2』

2021年製作/139分/日本
監督:白石和彌 キャスト:松坂桃李鈴木亮平

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やなぎや「昨年映画館で観た三本のうちの一本。孤狼の血シリーズといい『ヤクザと家族』といい、ヤクザ映画のオープニングを引き継いでいるところに、作品を横断した思いがあっていいよね」
リトル「毛筆フォントの縦書きでキャストが流れていくやつね。さてさて、前作『孤狼の血』と比べてどうだったのかしら」
やなぎや役所広司の不在が大きい』かな。孤狼の血』って、冒頭の取調室のシーンから、うだるような夏の暑さが印象的でさ、汗でテラテラ光る役所広司の肌や太陽を弾くサングラスが、映画全体をギラつかせていたと思うの。一見粗暴な不良刑事に実は冷静な面や人情家の部分があり、そんなキャラが作品を引っ張っていたんだけど、それが消えてしまった」
リトル「血腥さは割増しだったけどね」
やなぎや鈴木亮平の暴虐ぶりがあまりに凄いんで途中から慣れてしまって(笑)。警察の若造対ヤクザの若造の図式になったことで、『どっちがどこまでブッ飛んでるか!?』の競い合いになってしまった。もう半笑いで見守らざるを得なかった」
リトル「分かるわ。あと、滝藤賢一のせい
やなぎや「そうそう!半笑いを爆笑にしたのは完全に滝藤(笑)」
リトル「前作より更に、病的なまでに保身主義の官僚に進化してたね。問題ばかり起こす松坂桃李を『書類、大事なのよ。俺たち、公務員だからさぁ』とギョロ目顔で牽制してくるなど、それでも途中まではシリアスにも受け取れたんだけど、例のシーンのせいで、それすらフリに」
やなぎや「公道を破壊しまくりボッコボコに殴り合って血まみれになった松坂&鈴木のところに到着するや、『お前らなにしてくれちゃってんのー!?』って叫ぶシーンね!」
リトル「『ちゃってんのー?』だったかは忘れたけどw」
やなぎや「いや、いまレノアのCMの滝藤で再生されてる(笑)」
リトル「一番のブチ切れ演技だったわよね。悪の権化の鈴木亮平すら『お前ら』扱いしてる時点で、もはや最強なのは、骨の髄まで染み渡った滝藤の官僚主義じゃない?って」
やなぎや「その後の松坂桃李の行動にも爆笑」
リトル「キレキャラが多くて、結果、コミカルになり過ぎたかしら?ヤクザVS警察の話ではなくなっちゃった」
やなぎや「そういえば、一緒に観ていたリエコは『最後のシーンいらないー』って言ってたけど。多分もう続編作るの決まってて、あそこから呼び戻される・・・ってことこから始まるんだろうな」


◇『ヤクザと家族 The Family』

2021年製作/136分/日本
監督:藤井道人 キャスト:綾野剛舘ひろし

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リトル「続けてヤクザいきましょー」
やなぎや綾野剛カッコよー!舘ひろしはヤバかったね。ヤクザに全く見えない(笑)」
リトル「あんなヤクザいる!?焼肉屋に入ってくるところ、完全に『スター舘』だったわよ」
やなぎや「『行くとこあんのか』のシーンでもらい泣きしそうに・・・。一番いい場面が最初に来てしまったんで、私的にこの映画のピークは前半の前半だな~。綾野が盃もらって、自分の居場所を見つけて、舘に尽くすところ」
リトル「その分、後半の寂れ具合が悲しすぎた、、、」
やなぎや「この映画の良かったところは題名の通り、完全にヤクザを『家族』として描いたところだよね。例えば他の幹部が綾野に嫉妬して失脚させるとかさ、綾野がのし上がろうとするとか雑音がない」
リトル「そもそも、地方のちっちゃな組っぽかったもんね」
やなぎや「時代の波に乗れなかったヤクザ一家の衰退、残った所帯を何とか守ろうとするものの一番単純で一番バッドな選択をしてしまう・・・そんな悲しいまでの不器用さを中村の兄貴北村有起哉が体現していた」
リトル中村の兄貴せつねぇ~(泣)。でも終盤が一気に雑にならなかった?」
やなぎや「なったね。職場で綾野の過去がバレて紹介してくれた友達にも元恋人にも害が及ぶ・・・ってとこ。いくらSNSの時代とは言え、あんな影響力のなさそうな三下が挙げた一枚の写真が数人の人生を破滅させるわけもなし、ベタな片付け方だった」
リトル「その流れからのあのラストなんで、妙に陳腐だったわ。おかげで脳内逃亡しちゃって、『ROOKIES』の音楽が流れたもん。『お前らの未来は栄光に満ちている』『卒業おめでとう』って」
やなぎや市原隼人な・・・。(脳内逃亡ってなに?)」
リトル「舘さんにしてもキレイすぎじゃない!いいオヤジのまま途中退場しちゃってさ。いや、あんたが家長として無能だったせいでしょ?仁義もいいけど家族を守れやって思ったわ。始まりが良かっただけに、残念だったわぁ」


◇『空白』

2021年製作/107分/日本
監督:吉田恵輔、キャスト:古田新太松坂桃李

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リトル「わざわざ映画館に観に行ったんだよね」
やなぎや吉田恵輔監督の映画は割と観ていて、犬猿が好き。壮絶な兄弟/姉妹喧嘩の話なんだけど失笑を禁じ得ない『犬猿』に比べれば、『空白』はグッと深刻だった」
リトル「女子中学生がスーパーで万引きを疑われ、店長の青柳松坂桃李に追いかけられた結果、車に轢かれて死んでしまう。父の充古田新太は、真実を知ろうと青柳を追求するうち、持ち前の気性の荒さが災いし、執拗に付き纏うようになる」
やなぎや「また娘が、誰に聞いても『印象にない』と表されてしまうコで」
リトル「真実を知ることが父親の望みなんだけど、喚いても脅しても、真実など出てこないのが残酷だったわ。父親自身も、死ぬまでは彼女に興味なかったのよね、それが自分で気まずい、許せない」
やなぎや「だから最初は、気持ちの決着をつけたいがために罪を問う矛先を探すんだよね。『俺の娘は万引きなんかしない、青柳が誤解して死なせた』が彼が求める『真実』」
リトル「万引きをするコかどうか、判断つかないくらい娘のことを知らなかったくせにね。こうなると、加害者かもしれない松坂より、古田新太の方がよっぽどモンスターでは?ってなるわよね」
やなぎや「『正しい』というワードが意図的に出てくるんだけど、正義を振りかざす寺島しのぶが、象徴的なキャラだったね。正しい正しいっていうけど、正しいってなに?と、観客も分からなくなるし、寺島しのぶも最後にはわかんなくなっちゃう」
リトル「被害者加害者ともに精神が削られ、周囲も巻き込んでグチャグチャに絡まってしまったとき、怨嗟を断ち切るのが、娘を轢いた女性の母親である片岡礼子。ちょこっと出てきては、重要な役を担う女優さんよね。同じ親として、彼女は古田新太には想像もつかない行動を取る。彼女のふるまいと言葉から、映画の方向性がガラリと変わる」
やなぎや片岡礼子はすごかったね~。あそこで、ぴしゃんと頬を叩かれた気がして、やっと息がつけたもん(笑)」
リトル「私はもう、寺島しのぶの演じるおばさんが怖すぎた(笑)。あと、唯一正気を保ってくれていた藤原季節が良かったわー」

 

やなぎや「長くなりそうなので一旦切ります。To Be Continued...」
リトル「更新回数を稼ごうってハラね。雑談が多いのよ」
やなぎや「誰のせいさ」
リトル「にしても、ゴツすぎダークすぎ!ラインナップが」
やなぎや「確かに・・・。ブログのゴツ臭を拭うべく去年は恋愛映画も観ようとしていたんだけど、いつの間にやら、こんなことに」
リトル「続きはホワイトな感じでいきましょ。ファッションや恋愛、キッズに動物、スイーツにママ友の話なんかがいいわね!」
やなぎや「いや、ママ友はダークサイドでしょ・・・。では、皆の衆、また来週!(多分)」
リトル「また隠踏もうとしてる」

『BLUE ブルー』

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監督:吉田恵輔 キャスト:松山ケンイチ木村文乃柄本時生東出昌大/2021年

皆さん、こにゃにゃちは。
現在、2021年中で最も精神的&肉体的に疲弊した状態につき更新が滞ってしまいました。幸い我が家族には問題なく、まぁ周囲のことね。こんな年にもなりゃ色々あらぁな。「次にブログ書くのは『今年観た映画ベスト10』とかになってしまうかも・・・」と思い始めていたのだが、急に「あ、ブログ書きたい」という衝動に襲われたのでした。

その理由がさ、めちゃめちゃ疲れている状態のときに、何人かの人の情熱に触れたためだと思う。例えば、70歳を疾うに超えた叔父が、描き続けてきた絵の個展を沢山の人の協力を得て開催したことだったり、その間の楽しそうな雰囲気や盛況に終わったと報告してくれたときの満足そうな様子だったり。
または、娘のサッカーのコーチが曲げずに言い続ける「技術よりゴールより、一生涯サッカーを好きでいてほしい」という熱い言葉と、その言葉と矛盾しない子供達への忍耐強く優しい指導の姿勢だったり。または、ついにブレイクしたCreepy Nutsの曲を改めていいなぁと思い、彼らがこれまでの紆余曲折と、変化した考え方、ものの観方を語るのを聞いて胸を打たれたり。

そんなことが丁度重なって、その人たちの情熱が伝播したというか力をもらい、何か吐き出したいという気持ちになった私が2021年11月の今を生きています(誰かのパクリだなコレ)。ではここで、Creepy Nuts『かつて天才だった俺たちへ』を聞いてください。

苦手だとか怖いとか 気付かなければ 
俺だってボールと友達になれた
頭が悪いとか 思わなけりゃ 
きっとフェルマーの定理すら解けた
すれ違ったマサヤに笑われなけりゃ 
ずっとコマ付きのチャリを漕いでた
力が弱いとか 鈍臭いとか 
知らなきゃ俺が地球を守ってた hey

破り捨てたあの落書きや
似合わないと言われた髪型
うろ覚えの下手くそな歌が
世界を変えたかも ey

かつて天才だった俺たちへ
神童だったあなたへ
似たような形に整えられて
見る影もない

いい歌詞!!

気を取り直して、本日は『BLUE/ブルー』です。前書き一ミリも関係ありません。誤字脱字勘弁だゼ。あ、これから観る人は予告観ないでくださいね。あの予告、だめでしょ、あれ。

 

◇あらすじ

誰よりもボクシングを愛する瓜田は、どれだけ努力しても負け続き。一方、ライバルで後輩の小川は抜群の才能とセンスで日本チャンピオン目前、瓜田の幼馴染の千佳とも結婚を控えていた。それでも瓜田はひたむきに努力し夢へ挑戦し続ける。(映画.comより)

『ヒメアノ~ル』(2016)、犬猿(2018)の吉田恵輔監督が自身のボクシング経験を活かして書いたオリジナル脚本だそうだ。『ヒメアノ~ル』は、濱田岳ムロツヨシコンビの、コンプレックスを拗らせすぎて過剰に自意識を育てちゃった感じとか妄想癖がキモかったなぁ。濱田が意中の女のコとセックスするんだけど、彼女が思いのほか積極的で経験豊富であったことに引くところに、もうキモ要素が凝縮されていたよね。さすが古谷実というべきなのか、吉田監督を褒めるべきなのか(映画自体はそんな好きじゃないが)。『犬猿』は観てません。『空白』(2021)はこないだ観て来たんだけど、よかったですねぇ。

本日もチャーッと適当に他作品を流したところで、もう、本作の松山ケンイチを見てほしいの。お芝居に詳しくないので感覚的な話しかできないのだけど、画面越しにも「空気感が作られる」ことを実感することができ、改めてケンイチ好きだなって思いました。

確か、ふかづめさんが『シネトゥ~ふかづめあばれんぼう列伝~』松山ケンイチの話してたから、久々にふかづめ召喚するか(※)。
ふむふむ・・・。あれ~、松山ケンイチの話をいつかどこかでしてたと思ったのに見つからない。あれは夢?幻聴?どっかで言ってた気がしたんだよね、「日本屈指のメソッド俳優」って。それとも、ちっとばかし記憶力には自信があると自惚れているうちに衰えているのかしら。こないだも、ふかづめさんに「(黒澤明の)『生きる』が好きだったよね?」と聞いたら「好きじゃありません」と冷たく言われたし。てか、ふかづめ召喚意味なかったやん。

つまりジェイクと同じってことよね。私はメソッド俳優が好きってことよ。友人のS氏などは、役柄によって太ったり髪抜いたりして役になり切るロバート・デ・ニーロを嫌っていて、確かに何の準備もせずにぶらりと現場に現れてさっと芝居して帰っていく役者はカッコいいと思うんだけど、でもジェイクのように徹底的に役作りをする人には、やっぱりすごいもん見せてもらったなと思うよ。

※「ふかづめ召喚」は名詞です。映画の話をぼんやり投げつけると、イイ感じに言語化したり説明したりしてくれます。あまりやると無視されるので、ここぞというときにしか使えません。


◇本題

アヴァンタイトルの雰囲気が好き。所属するジムの会長にバンテージを巻いてもらう試合直前の瓜田松山ケンイチの姿が映され、ジャージ姿でブラブラ現れた小川出昌大)が、廊下に駆け出した楢崎柄本時生に「なに、緊張してんの?」とからかい気味に声をかける。会長に「お前もウォーミングアップしとけよ」と怒られた東出は生返事をしつつ、松山ケンイチに「千佳が送ってきたんですけど」と携帯の写真を見せて笑い合う。そこから松山ケンイチが花道を歩いていき、スローでリングに上がる姿にタイトルが重なる、という始まりだ。

後輩の東出がチャンピオン候補であり、松山ケンイチはその前座を務めるレベルの選手であること、また前者の磊落かつ豪胆であるのに比べて、後者は控えめで柔らかな性格であることが示されるシーンでもある。冒頭に持ってきたのは、この試合が二人にとって重要な試合であり、映画の中で重要なターニングポイントの役割を果たすからだ。
時は少しだけ遡り、この日に至るまでの、ボクシングに熱中する男たちの姿が描かれていく・・・(それにしても、松山ケンイチの役作りは徹底していて、試合の前とそれ以外のシーンでは身体の作り方が違った)。

松山ケンイチが演じた瓜田は、ボクシングを愛し、練習の後は進んでリングを掃除するような勤勉で誠実な人物。しかし、戦績は2勝13敗と負けが込み、ジムの後輩たちから見下されている。自分のみならず仲間の対戦相手の分析まで行うが、実績を伴わない彼の言葉に耳を貸す者は少なく、それでも嫌な顔ひとつ見せずに「確かにオレは勝てないけどさ、基本は大事だよ」と諭す。

そういった松山を見ている間中、胸が苦しくて痛かった(それだけ松山ケンイチが素晴らしかった)。
例のターニングポイントの試合までは、少なくとも彼の「ボクシングを見る目」は的確なのだと仄めかされる。例えば、松山を「勝てないじゃないすか」とバカにする洞口(守谷周徒)を、初心者の柄本が松山の教え通り基礎を守った攻撃で倒すシーンで、観客は彼のボクシングに対する情熱は仲間への貢献で報われるのだろうなと期待するし、当然そのストーリーラインは重要な東出の日本タイトル獲得のエピソードに繋がってくることとなる。

松山は、東出の対戦相手のパンチを繰り出した後にガードが下がる癖を指摘し、その隙に顎ヘのアッパーでダメージを与えるよう助言する(彼が大事にする基礎ね)。東出は、自分ならばバックステップからの左フックカウンターにより一発で倒せるのでは?と提案する(こちらはどうやら難しい攻撃らしい)。

あまりにも残酷なのは、描かれてきた松山の努力と希望が、大事な試合の舞台でズタズタにされることだ。自分には徹底してボクシングセンスがないことを、彼は思い知る。説明しなくても、日本タイトルを見事勝ち取った小川が、どのような方法で相手を倒したのは察してもらえるだろう。
ここで、心優しい松山が一言だけ漏らした本音、醜くドス黒い言葉は、自身の連敗記録を更新したことが原因で放たれたわけではない。全てを捧げて尽くしてきたボクシングにおいて、どの側面からも報われないことに絶望したからなのだ。それをきっかけに、ボクシングも愛する女性も手に入れる東出への、抑えに抑えていた気持ちが噴出してしまう。そのときの松山の姿は、痛々しくて見ていられないほどだ。

互いに、自分にはない相手の強さを羨むという皮肉。東出は「あの人、ホントつえーわ」と松山の強靭な精神を羨む。松山は「お前、ホント強いよ」と東出のボクシングセンスを妬む。描かれているのはスポーツを介した友情や成功譚ではなく、どれだけ尽くしても手に入らないものを追い続ける男の物語だった。

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◇ドカドカドカドカ

こんな感じで終始、とにかく映画が始まったときから松山ケンイチが映る度、愛しさとせつなさと心強さの代わりに胸の痛みをいつも感じている作品なのだが、ただ、各所で差し込まれるユーモアがよかった。いや、松山と東出に比べて圧倒的に不純な動機でジムの門を叩く柄本時生の顔自体が、それもうユーモアなんだけどね。

時生が時々、歯を出して「ニパッ」と笑うのね。それがまぁ、いらっとする笑顔なわけ!
そもそも、こいつがボクシングを始めたのは「女に『ボクシングやってるふう』に見せたい」からで、松山ケンイチに胸が痛めているこちら側としては「帰れ、この野郎!!」と歯にパンチしたくなるのだ。
だが、この時生、松山のストイックな姿の後ろにちらちらと映り込みながら、なんだかんだと真面目に練習に通い続け、徐々にボクシングの魅力にとりつかれていく。初めてのスパーリングを経験しパンチの感触を噛み締める描写など、ガチの東出&松山とは異なる初々しさが微笑ましく。

ほうほう、まぁよかったじゃん。と思っていると、松山ケンイチに「うまくなりましたね」と声をかけられた時生、「いえいえ」とニパッ。

いら!所詮「やってるふう」を目指すお前が偉そうに「いえいえ」とか言っていいと思ってんのかァ。せめて「いえ」にしとけ、その「いえいえ」の重複が、調子こいてるふうでイカンのじゃ。しかも、この時生、うっかりプロテストに受かると、意中の女の前でわざとライセンス証を落とすなど実にいじこましい行動を取る!見せるなら正面から堂々見せんかい!ところが、この時生、認知症の祖母の面倒を見ながら暮らしていることが分かる。あ、そうなんだ・・・万引きしたばあちゃんを引き取りに行った帰りも、ばあちゃんを怒るわけでもなく・・・いいやつだな。

だがしかし、再び松山に「これならいつでも試合できますよ」と言われた時生、「いえいえ」「でも最近、試合してみてもいいかなって」とニパッ。

いら!ワッツ!?

「いいかな」って!?なんで、いつもちょっと偉そうなん!?だから、その「ニパッ」がいかんのじゃ。調子のんな、すっこめ!!

いや待って。時生の話がしたかったわけではない。松山と東出が、東出のアパートでタイトルマッチの対策を話し合うシーン。ここで大家がウルサイと怒鳴り込んでくるシーンは超面白かった。

大家「あんたたち、ドカドカドカドカうるさいのよ!」(何故かカーラー巻いてる。いつのコントだ)
東出「ドカドカドカドカしてないっすよ」「ねえ、瓜田さん、ドカドカドカドカしてないっすよね?」
松山「うん、ドカドカドカドカしてないです」
大家「ドカドカドカドカしてるでしょうが!うるさいって苦情来てんのよ!」

あまりに大家の顔がすごいのと、全員が繰り返すドカドカドカドカが面白くて、東出昌大は、ちょっと顔そむけてホントに笑っちゃってたもん。

そうそう、東出昌大がとにかくカッコよかったよ。上述の通り柄本時生は見事にカッコ悪い側のボクシングマンを演じ、あと、私は何気に洞口くんが好きだった。『空白』でも思ったんだけど、この監督、ワルめの若者を撮るのが上手ね。木村文乃もいい女優さんだなと思ったが、如何せんあのモサっとした髪型が受け入れがたく。。。ま、垢抜けすぎないのがよかったのかな?

世間では、とてもよいという評価もあれば、何も起こらず地味という評価も多いようで。その理由は多分、松山ケンイチ始め他の二人のパートでも、カタルシスが一切得られないためだろうと思う。ボクシング映画とゆーものは、まず才能や可能性があり、苦悩があり、成功があり、次に挫折があり、打たれても打たれても立ち上がり、最後は栄光を掴む・・・とゆーのが鉄板ではないだろうか。

しかし、この映画ではそれがない!

誰よりもボクシングを愛する松山にボクシングの女神は微笑まないどころか、東出のエピソードにおいても時生のエピソードにおいても、蓄積されたフラストレーションを払拭してくれるような、劇的な展開がないのだ。ひどい話だよ。
ただ、このモヤモヤとかやるせなさは、ラスト、職場の市場でシャドウをする松山ケンイチの姿を浮かび上がらせるショットで、「あ、やっぱりこの人強かったね」って救われるんだわ。あそこは良かったわ。
※余談ですが、「世間から身を隠したい人が流れつく職ってだいたい市場だよね」と夫に言ったら、「市場を何だと思ってるんだ」と怒られました。

 
◇後悔してる?

とても好きなのが、松山ケンイチが東出の新居への引っ越しを手伝い、木村文乃と二人になったときの場面。彼女にボクシングを始めたきっかけを問われて、答えるときの優しい顔がホントに好きィ~。「千佳が勧めたじゃーん」の言い方もすごく好きィィ。

ここで、東出と木村が出会うきっかけは松山が東出にボクシングを勧めたことだとわかる。それを受けての、木村の「後悔してる?」の台詞だ。彼女も恐らく松山が自分を想う気持ちに気付いているからこその切り込んだ言葉なのだな。松山は「してないよ、でも」と言い淀み、結局二人は話題を変えるのだが、言葉にされなかったのはもちろん、”千佳は自分のものだったかもしれないのに”という願望だ。だが、それが実現しなかっただろうことを松山は知っている。これよ、これ。あたち前回のブログで言ったでしょ!全部表に出さなくてもいいって!言わぬが花って。

ここの松山ケンイチが作り出す暖かな空気感、それに後押しされた木村の笑顔とかわいいタコ顔は必見だ~。

何度も言うが、私は瓜田というキャラクターと松山ケンイチの芝居にいつ涙が流れてもおかしくないくらい胸を痛めていたもので、彼が画面から姿を消した後は気が抜け、時生のプロデビュー戦や東出の日本タイトル防衛戦は、もうどーでもよくなっていた。振り返ってみたら107分しかない映画なのに長く感じちゃったよ。

今年観た恋愛映画三本中、堂々の第一位。
エミリア・クラークの下がり眉、アン・ハサウェイのハサウェイすぎるショートを、松山ケンイチが作り出す空気感」が上回りました。おめでとうございます。

 

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(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会

『ブルックリンの恋人たち』

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監督:ケイト・バーカー=フロイランド キャスト:アン・ハサウェイ、ジョニー・フリン/2014年

皆様お久ですね。私は元気です。バタバタしていて、更新ができませんでした。

こないだね、面白い漫画を見つけたから親友のリエコに教えたの。二次元の推しにそっくりな人が現実に現れる・・・というひっちゃかめっちゃかなギャグ漫画なんだけど、その流れで「こういう意味の『推し』って昔なんだった?」と訊いたらさ。

リエコ「『幽遊白書』の飛影と『ダイの大冒険』のヒュンケル」

・・・マジで(笑)!?激古いのはお互い様だから仕方ないとして、何につけても勝手にトラウマ抱えたがる系のひねくれ&めんどくさ男子ばっかりじゃない?ヒュンケルって、確か親の仇をカン違いして赤の他人を恨んで人生半分無駄にしたような奴だったよね?(私は過去になんか抱えがちの男のキャラが嫌い)

でも、なるほど。だから旦那もああいうメンドくさ・・グエッホ、ゲホゲホ!

リエコ「今は、『アシガール』の若君」

ヒュンケルからの脈絡ゼロ!おまえに何があった。
あ、なるほど。やっぱり旦那との生活を経て、手がかかる男が如何に使えないかを思い知・・・ゴホゴホ、イエッホ!

リエコ「(怒)。じゃあ、お前はなんなんだよー」
私「『アルスラーン戦記』のダリューンだった」
リエコ「天野喜孝先生の絵の輪郭しか覚えてねぇわ」

以上、40代主婦の昼下がりの会話をご紹介しました。
じゃ、そんな感じで『ブルックリンの恋人たち』です。いい映画だったよ。

 

◇あらすじ

ロッコに暮らすフラニアン・ハサウェイは、ミュージシャン志望の弟が交通事故で昏睡状態に陥ったため、家族が暮らすニューヨークに戻ってくる。弟の意識が戻る可能性は低いと医者に聞かされ動揺するフラニー。弟と疎遠になっていた彼女は、自分が今まで弟のことを何も知らないでいたことを悔やみ、彼が何を感じてきたかを知ろうと、弟の日記を手にその足跡をたどっていく。そんな中、弟が憧れるミュージシャンのジェームズ(ジョニー・フリン)と出会い、フラニーとジェームズは音楽を通じ、互いにひかれ合っていく。(映画.com)

プラダを着た悪魔(2006)にて監督アシスタントを務めたケイト・バーカー=フロイランドの初監督作品だそうで、主演のアン・アサウェイがプロデューサーも務めたそうです。また、ジェームズ役のジョニー・フリンは俳優の他にミュージシャンとしても活躍しているそうだよ。適当に拾ってきた情報でごめんなさい、雰囲気だけ感じ取ってください(てきとう)。

まず言及すべきは、なんといってもアン・ハサウェイのハンサムなショートカットと、それによって際立つハサウェイな魅力!まぁ、これから色々書くけど、これに尽きる。繊細でどことなく感受性の強そうなキャラクターのためか芝居は終始抑えめで、派手な顔にパワフルな性格やアクションがプラスされるいつものアンハサの印象とは全く異なる役だった。とにかく、髪型とワークパンツにTシャツの無愛想な服装がハサウェイすぎるぅ・・・。こんな役をやっていたんだね。私は断然このアンちゃんが好きだなぁ。

さて、弟ヘンリー(ベン・ローゼンフィールド)の事故の知らせを受け、急いで帰国したアンちゃん。病室で眠ったままのヘンリーを前に涙を流す。この辺りは、何もあなたのせいではないのだからそんなに自分を責めないでも(壁を殴ったりする)、とは思うのだが、彼がミュージシャンを目指すことに反対して取り合わず、長く口を利かずにいたことがアンちゃんの心に重く圧し掛かっている。元は仲の良い姉弟だったんだろうね。後で音楽に囲まれて育った一家であることが分かるシーンもあり、姉は写真家、弟はミュージシャンと、ともにクリエイティブの道を目指しているにも関わらず、弟を応援してやらなかったことに強い自責の念を覚えているのだ。

アンちゃんは、ヘンリーの荷物の中から自作のCDと日記帳、そして彼が敬愛するミュージシャン、ジェームズ・フォレスターのライブチケットを見つける。日記帳には、お気に入りのレストラン、歌手やバンドなど彼が愛するものがびっしりと書き込まれており、アンちゃんはそれを基に弟の音楽に彩られたブルックリンでの日常を探訪する、といった内容だ。

 

◇昼=現実

特徴的なのは昼と夜の対比。昼間のシーンの舞台はほぼ弟の病室で、ベッドの白いシーツやアンちゃんの沈鬱な表情も相まって全体的に寒々しい雰囲気を醸し出す。逆に、アンちゃんが日記帳を片手に街を歩くシーケンスは、多くのライブが夜行われるため、ほとんど夜だ。彼女の表情は相変わらず晴れないが、それでもネオンに照らされたブルックリンの街並みと多様なジャンルの音楽のライブシーンには、やっと病室から離れて身体が暖かくなってきたような感覚があり、観ている側の肩の力もホッと緩む。
大袈裟に言うならば贖罪の旅だった街探訪が、ジェームズという同行者を得たことでどんどん楽しいものになっていくのも、二人がぼやけたブルックリンの夜景を背景に互いの悩みをぽつりぽつり打ち明け合う場面も心地が良い。

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逆に、楽しい夜の時間が増えれば増えるほど、病室のシーンに切り替わった時の室内の冷たさが現実的で。
でね、私、絶対「弟がこんな状態なのに恋愛に現を抜かすのが受け入れられない」とか言う人いるんだろうなと思ってレビューサイト覗いたら、結構な数いたわ。学級委員長がまたいたわ。クラスに一人でいいのに沢山いよるわ。
サッカーで言うなら(またか)、カード累積で出場停止になった選手が試合と同時刻に家族で外出を楽しんでる写真をSNSにあげて批判されるのと一緒ね。正しい姿勢は、試合には出られないが客席から真剣な面持ちでチームメイトの奮闘と試合展開を見守り、ピッチの外でも戦っていること(このとき眉間に皺を寄せてメモなど取っていると株は急上昇&間違ってもスマホを見てニヤついている顔をカメラに抜かれてはならない)。それをせず家族で休日を楽しむなんて「気持ちが足りない」ってわけだ。気持ち送って点取れたら監督いらんがな。

弟が生死の境を彷徨っているのだから、アンハサも寝食そっちのけで憔悴しているべきというのか。くだらね。誰が観たいの、それ?アンハサが弟のために祈り続ける映画が観たいの?どんな映画だ。祈って昏睡から目覚めたら医者いらんがな。

仕方がないんだよ、この姉弟は実はとてもよく似ていて、姉も同じくジェームズに惹かれるのは無理からぬことなのだ。それにジェームズときたら、結構な売れっ子のくせに謙虚で控えめ、密かに創作活動に悩みを抱えているシャイボーイ。突然現れた女に「弟が事故に遭ったの」と手作りCDを渡されて素直に同情し、わざわざ見舞いに来てくれるようなグッドガイだ。歌う歌は、陽だまりがどうだ雨のしずくがどうたらとポヤポヤした曲ばかりで(ギターを奏でていたと思ったら突然バイオリンも弾く)、まあ私がこういう曲聴くとしたら、二年に一度、なんの気まぐれか刺繍でもしてみようかしらと思って刺繍糸買ってきてBGMもたまにはこんな感じのを聴いてみようかしらって気分のときに選択する類の音楽なんだけど(そして刺繍には一日で飽きる)、ウン、ジェームズはいい奴。惚れる。

なにより、アンちゃん自身が上記のレビューのように、不謹慎だと自覚する描写がきちんと用意されている。ジェームズに好意を抱き始めていた彼女は、弟に付き添っているときにふとYoutubeで彼を検索する。すると、楽しそうにギターを弾きながら歌うジェームズの映像が見つかり、思わず口元を緩めて見入った後に、はっと顔を上げる。そしてカメラは病室で座るアンちゃんを引きで映す。つまり、状況を忘れジェームズとの時間を楽しんでいたことへの罪悪感が映されているのだ。こはちょっと胸が痛くなったよ。

 

大和撫子問題

ただコレさぁ、この二人、寝ないで欲しかったなぁ。結局、わたしも慎ましやかな大和撫子ってことですよ。何言ってるんだか分からないけど。最近知り合いと、日本の「言わぬが花」って文化の美しさについて話したんですよ。主張on主張、己の欲望にストレートに従う、「This is me!」の社会も大変結構ですが、口に出せなかったこと、互いに確認し合いながらついに形にならなかったこと、そこに感じるキュンがあるじゃない、恋愛に限らずね?日本にはそういう品の良さがあるじゃない(やなぎやさん本作アメリカの映画です)。

そういう慎しみ深さというか、繊細さを芸術肌の二人には感じたのにな!?

もちろん、これが限られた時間の恋であることは二人とも暗黙のうちに理解している。
ジェームズ側の夢の時間の終わりは、予定のスケジュールを終えればブルックリンを去ることであり、その刻限が迫りつつある時、思いがけずアンちゃんの方に契機が訪れる。ヘンリーの意識が戻ったのだ。もちろん喜ばしいことではあるが、ヘンリーと音楽により結び付いていた二人だったから、それがなくなれば一緒にいる理由がない。ヘンリーの目覚めは同時に二人の別れを意味していた。だから、ジェームズはアンちゃんやお母さんに何も告げずに病院を去るのだ。

しかし、最後にもう一つ、二人の今後を変えるかもしれない道が用意されていた。ジェームズのこの地での最後のライブが行われる夜、ネットで調べるとチケットは余っていた。店へと急ぐアンちゃん。窓口に駆け寄りチケットを求めると「完売したよ」と告げられる。曲が作れないことに苦しんでいたジェームズは、中でアンちゃんを想って作り上げた新曲を歌い始めたところだった。外のビジョンでそれを聴き微笑むアンちゃん。そして、来た道を引き返して行く。

あー、せつな!チケットが完売してなかったら?会場に現れたアンちゃんをステージからジェームズが見つけたなら?違う未来が二人にはあったかもしれない。しかし、道が分かれていくさまが、またよかったんだな。

今年観た恋愛映画全二本中、堂々の一位。
またこういうアンハサが観たいなー。

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