Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『独立愚連隊』

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監督:岡本喜八 キャスト:佐藤允中谷一郎/1959年

皆さん、ど~も~。

今年度も残り半分となったこの時期に、小学校のクラスでPTAの役員と係決めが行われました。もう今年は流すものと思ってたよ・・・。

一年生の係決めのとき、知り合いもいなければ勝手も分からない私は、きゃあきゃあと黒板に名前を書くママたちを尻目に「あたいは最後、残ったところに名前書くけん」と動かざること侍の如しの姿勢を取っていた。そして、担当になったのは「環境美化係」。

環境を美化する係。聞こえはいいが仕事はたった一つ、校内の草むしりです。いや、「むしる」などと生易しいものではない。実施は9月と3月、特に9月は残暑厳しい上に、運動会に来場する保護者の目を意識する先生たちのチェックも厳しい。当日は、長そで長ズボン、タオルと帽子、水分必須。そして、一人一つ、鎌を渡される。

何だかよく分からない暗がりの草むら。澱んだ水の溜まった側溝の中で、引っこ抜いたらいいのか刈ったらいいのか分からないほどにワサワサと高く生えた外来植物。飛び出してくるミミズに蚊。降り注ぐ灼熱の陽光。
しかもママたちときたら存外に真面目で、私は「わあ、綺麗になったね!」と五分おきに終わろうアピールしたのに、結局二時間半やっていたね。

娘が三年生の今年、知り合いのママたちに「白衣点検係が楽だよ」と教えてもらった。何やるんだか知らないけど、楽ならそれがいい。いざ係決めとなり、他のママたちを張り手で押しのけて黒板に辿りついた私は無事、白衣点検係に記名。もう一人が加わって二名の定員をオーバーすることなく、楽な係をゲットしたのだった・・・。

と思ったら、PTAの人が紙を取り出し、「本日、○○さんが出産間近ということで欠席されています。できれば『白衣点検係』をやりたいと希望しているのですが・・・」。

なぁにィ!?出産間近なら、係免除してやれやぁ。

もう一人のママを見ると、正面を見つめて動かざること侍の如き姿勢を取っていた。仕方ないので、「じゃあ、私移るわー」と手を挙げ、行きついた先は・・・。

環境美化係ッ。イェイイェイ、今年も草を刈りッ。

長くなってしまいましたが、本日は『独立愚連隊』です。

 


◇あらすじ

太平洋戦争末期の北支戦線。将軍廟という町に荒木と名乗る従軍記者が現れた。彼は大久保という見習士官の死に興味を抱き、彼の最期の場所である独立第九〇小哨、通称「独立愚連隊」を訪ねる。

 

太平洋戦争末期、1944年の北支戦線。「こだま隊」の駐留する将軍廟に一人の兵士がやってくる。この隊では、ある下士官が謎の死を遂げており・・・ってどこかで聞いた気がすると思ったら、以前本ブログで取り上げた血と砂にシチュエーションや展開がそっくりだった(こちらもシリーズの一つとして位置付けられているらしい)。

 

yanagiyashujin.hatenablog.com

 

また本作は、次作『独立愚連隊西へ』(1960)とで役者がダダ被っており、そのくせ二つに関連性は一切ない。なぜ、喜八っつぁんはこうもそっくりな設定の作品を重ねて撮ったのでしょーか?

一つに、コミカルさやアクションの娯楽性を前面に打ち出しつつも、そこに上手く流し込まれた戦争への皮肉な視線が『独立愚連隊』シリーズの特徴であり魅力だが、どうやら一作目の『独立愚連隊』では、それがうまく観客に伝わらなかったことが原因のようだ。

公開時には、ラストの八路軍との派手な交戦を指して、大量虐殺、好戦的との批判を受けた。これを受けて続編の『独立愚連隊西へ』が製作され、以降『砂と血』に帰結するまで何だか沢山作られたわけだが、共通しているのは、軍国主義の慣習や柵を、無頼漢たちが悠々とコケにしていく爽快なさまである。一方で、彼らも軍人たる自分の仁義に命を捧げて戦場に散っていく・・・と、ここが大事。だからこそ、悲劇的な幕引きであっても、妙に爽やかな後味を残るのだ。

岡本喜八始め、当時の映画人は多くが戦争を経験していたわけで、まだ戦争は日常の中にあったからこそ繰り返し撮らずにはいられなかったってことなんだろうねえ。唐突な例えを出すけれど、モネが季節や時間を変えて様々な『積みわら』の表情を描いたように、喜八っつぁんにとっての『積みわら』が、自身が経験した戦争であり中国戦線だということかもしれないよ。

 


◇本題に入っていきます。

さて、『血と砂』では、潰れたカニのような顔で、炊事係兼お笑い担当として終始わあわあ騒いでいた佐藤允が本作の主人公。若さと愛らしさが弾けており、佐藤允の不敵な笑顔を観るだけでも鑑賞の価値があると言える。

ストーリーはね、もう言ったけど大枠は『血と砂』とそっくり。八路軍に包囲され、軍旗を守りつつ後退するタイミングを窺っている児玉隊の駐留地へ、各戦地を転々としているという佐藤允がぶらりとやって来る。従軍記者を名乗る佐藤は、優れた射撃の腕といい肝の据わり方といい記者にしては異質の男で、それもそのはず、実は隊で謎の死を遂げた大久保見習士官の兄であり、弟の死の真相を探るため北京からこの地を訪れた元軍曹だった。弟がクセ者の寄せ集め「独立愚連隊」に所属していたことを知った佐藤は、八路軍の包囲網真っ只中にある愚連隊を目指す。ここに、以前彼と夫婦の約束を交わした雪村いづみ演じる売春婦やら、馬賊の集団やらが絡み、様々な人間模様が描かれていく。

西部劇へのオマージュに溢れると言われているが、私にはいまいち、どこに西部劇色があるのかはわからず。無法者と対決するどころか、無法者とばかりウマが合ってしまう主人公に、敵側の中国人もいい奴ばかり。何より、西部劇のラストって、主人公は一人荒野に消えていくものではない?佐藤允馬賊の仲間になって去ってくからね。

昼寝をしていた佐藤允が起き上がり、崖下の馬の背に飛び乗る、生き生きとしたアバンタイトルは、スピルバーグインディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989)のリバー・フェニックスが馬に飛び乗ろうとして失敗するシーンにて再現したとか、しなかったとか。

 

ようやく愚連隊の下に辿り着いた佐藤は、哨長の石井軍曹中谷一郎が弟の死に関係しているのではと疑うが、中谷の豪放磊落さ、隊員たちの結びつきに惹かれてゆく。彼らと行動を共にするうち、児玉隊副官の藤岡中尉中丸忠雄らが不正に金品を搾取していたことを突き止める。

という感じなのだが、まあ話の中身よりも、佐藤の死地を潜ってきたがゆえの太々しい面構えと、愚連隊の連中の緊張感のない様子が見所である。特に中谷一郎は、本作にて見出されて以降、喜八映画の常連となり、私生活では岡本さんちの敷地内に居候させてもらうまでの仲であったらしい。

あ、あれよ、初代「風車の弥七」よ。風車の弥七」って聞くと、私はぱっとこの人の弥七が思い浮かぶんだけどね(わたしだけ・・・?)。

特筆しておきたいのが、登場する中国人や朝鮮人馬賊八路軍、農民等)は全て日本人に演じさせているのだが、その、喋り言葉から濁点を取りちょっとなまってみせる、という強引かつシンプルな方法。中でも雪村いづみ慰安婦仲間、中北千枝子のキャラは無視できない。「なんだよ」は「なんたよ~」、「バカだな」は「パカだな~」などに変換し、朝鮮人役を押し切る。

本作は「中国人を悪く書いている」という理由でも批判されたようだが、これらの省エネ的外国人演技が批判されたのだろうか?ちなみに続編『独立愚連隊西へ』では、フランキー堺八路軍の指揮官を演じさせるなど更にパワーアップ。他にも神聖な軍旗を佐藤允の腹に巻かせるなど、不謹慎警察が悲鳴を上げそうなことを堂々行っているのがまた爽快だ。

そして、当時スターであった三船敏郎鶴田浩二の扱いがこれまたスゴイ。『血と砂』ではあんなにカッコよかった三船敏郎は、本作では神経症を患った上に崖から落ち、完全に頭がおかしくなってしまったかわいそうな大隊長役。早々に後方と下げられてしまうのだが、三船敏郎である必要があったのだろーか?

唯一の登場シーンでは、売春婦の二人がお喋りしながら洗濯をしている後ろで、「敵襲~、てきしゅうぅぅ~!!」とまなこをひん剥いて走り回り、二人を指して「バカ!バカ!この非常事態になにを洗濯などしておるか~!」と渾身の気違い演技を披露(しかも飯を食って腹がくちくなった時だけ正気に戻るというアホキャラ)。

そんな三船に「またたよ、きのとくたなあ〜」(まただよ、気の毒だなあ)と憐憫の目を向ける、中北千枝子の絶妙な舌足らず演技が光る・・・!

鶴田浩二は一体いつ出てくるのかしら?と観ていたら、よく分からないが馬賊の親玉として登場、この馬賊自体、本作に必要だったのかが分らんかった。。。

愚連隊は、軍規や常識に囚われない破天荒な連中の集まりだが、彼らには彼らなりの信義がある。八路軍の迫る将軍廟で警備を続行せよとの無茶な命令を残して本隊は退却してしまうが、「命令は無視できない」と軍人の矜持を貫こうとする。結局は愚連隊らしく、「やっつけろとは言われてないもんね~」と隠れて八路軍をやり過ごす作戦に出るのだが、皮肉にも無頼漢たちの象徴であった賭け事のサイコロが原因で八路軍に存在がバレ、愚連隊は全滅してしまうのである。

生き残った佐藤允は、鶴田率いる馬賊の仲間になることを決め、彼らと共に去っていく。腐っても日本軍人の集まりであった愚連隊の全滅を機に、一人の日本軍人が日本も日本人であることも捨てる、としたラストに痛烈な戦争批判が見て取れるよなあ。

大変面白かったですが、残念ながら、今回は『血と砂』の仲代達矢に匹敵する萌えキャラはおりませんでした・・・。藤岡中尉の中丸忠雄は、何だろう、お腹が一杯なときに出される大福って感じがして、私には重かったわぁ。

 

バトンは回さないよ。

皆さん、こんにちわ~。今日のは読まなくて大丈夫です、★もいりません。
でも挨拶は欠かさない。礼儀と優しさのかたまり、やなぎやです。

G子になんかヘンなバトンを回されました。
ちょっと前に、お友達のブロガーさんの間で回っているな~っていうのは知っていたけど、なにコレ、すごい面倒、こんちくしょー。

 

 

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そうねぇ、他に書くことあったかしら?


何か書かなきゃいけないとなると、もうなんも浮かんでこない。大体私は天才肌なので、「これ書きたい」と自分が盛り上がらないとダメなのであって、だからPVとか読者増やすなどにも興味ないのであって(むしろ読者が増えたら困るのであって)、べ、別に言い訳じゃないし!わあ読者増えた~とか喜んでないし!

 

ただ、時々感慨深く振り返るのだが、『ミセスGのブログ』を知り「情熱的でクレバーな人だなあ」と憧れた数年後、まさか、その本人に「めんどくせぇ女だな!」とか言うようになるとはね。

 

ではここで、自分が描いたものでないのがアレですが、夫の昔のスケッチブックを見ていたら出てきた絵などを載せていきたいと思います。発表の場がなくて、絵も可哀そうだし。

 

 

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人その一。

 

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人その二。

 

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人その三。

 

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道。

 

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人その四。

 

 

いいですね~。絵が描けるって素晴らしい。
それでは、最後に、子供にせがまれて私が描いたトイ・ストーリーのバズを公開しましょうか。

 

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皆大好き!バズ・ライトイヤー


うわあ、これも絵心あるぅ。

この絵はG子にあげます。名誉なことだぞ。

 良い子の読者のみんなは、どの絵が気に入ったかな?

 

『踊る大捜査線 THE MOVIE』を書こうと思ったが無理だった

小三の娘に「何か面白い映画とかドラマない~?」と言われ、踊る大捜査線のドラマを観せたら、見事にハマッてしまいました。スペシャルドラマ2本と映画まで完走し、「室井さん大好き♡」と騒いでいる。前からちょっとシブ好みで・・・仲良しの友達の間で何かが流行っていても、あまり影響されることもなく、今はシャーロック・ホームズに夢中で図書館に通っているし。流行っているものって、例えば鬼滅の刃ね。すごいの、小学生の鬼滅への熱狂っぷり。

『踊る・・・』は私も久々に観たら、やっぱりすごく面白かったので、踊る大捜査線 THE MOVIEの感想でも書いてみよかー、と思いました。

 

 

◇それで、ふと思い出した

踊る大捜査線』のドラマがやっていた頃、私は大学生で。家庭の事情により私大の二年生の時から、学費は奨学金、交通費始め雑費はバイト代で賄わなければならず、バイトを掛け持ちするハードな毎日を送っていた。
読者の方はご存知の通り、私は今でこそ菩薩のように穏やかな人物だが、当時は人並みにイキった学生だった。特にまあ、学費を自分で稼がなければならなくなったのは父親の事業の失敗と借金が原因だったため、お金の心配のない周囲の連中に比べたら「私は自立してるんやで」みたいなヘンな自尊心と意地があったわけ。

その日も、ようやくバイトを終え、夜11時くらいに自転車で帰っていた。確か、真冬の寒い日だった。すると交番の前で、警官二人に止められた。「ごめんねー、防犯週間でさ、自転車を調べさせてもらってるんだ。協力お願いできるかな?」。イキってはいたが根は超素直な私は、(所轄、所轄だわ。いや所轄っていうか交番勤務のお巡りさんね。ご苦労さまですー)とか考えて、「はい、もちろんです。寒いのに大変ですね」と和やかに応じた。

ところで、この自転車は、昼のバイト先である文房具店の仲間、笹野くんにもらったものだった。先に雇い主の話をすると、ここの店長がクセは強いが男気のある人で、過去には中国人留学生を自宅に下宿させたり、親の借金を息子の元に取り立てに来た金融業者を一喝して追っ払ったりなどの武勇伝を持ち、バイトの学生のことを家族のように気にかけてくれた。私の事情を知ったとき、「学費は俺が払ってやる、返さなくていい」と言われたのが忘れられない。今は年賀状のやり取りのみ、ヤバイ、そろそろ会っておかないと訃報が入るかもしれん。

歯に衣着せない人だったので、合わない子はすぐに辞めたが、一度定着した学生は全員卒業までバイトを続けたし、皆とっても仲が良かった。笹野くんは、私の一年後に入ってくると素直さと献身的な働きぶりでたちまち店長の女房役になり、ほぼ毎日シフトに入っていた。たまにいたでしょ、無理なく懐が深くて、例えば女子の集団の中に一人でいても違和感がなくて、恋愛相談から生理の話まで平気でされてしまうが下心はなく、ちゃんとした彼女がいる男子。

彼も状況を知って何かと気にかけてくれ、私の自転車が壊れたときに、「僕が使っているのでよければ」と譲ってくれたのだ。

 

 

◇話は交番前に戻ります

さて、自転車に跨ったまま、警官から「協力ありがとうね」と言われるのを待っていた私。ところが、二人は何やら無線で話したり書類を繰ったりしている。そしてこちらに向かってきたときには空気は一変し、「はい、アウト。この自転車ねー、盗難届が出てるんだよね」とものすごく高圧的に言われた。

身分証を出せと言われて学生証を出すと、この時間まで何をしていたかなど色々と詰問される。思いもかけないことに怖くなって手も震えてしまい、自転車は友達にもらったこと、その友達は絶対に物を盗むような人ではないということを一所懸命説明した。
二人は全く信じず、「盗難届出てんの、嘘はやめなさい」「大体ちゃんとした学生なら、こんな時間にフラフラしてるのおかしいでしょ」と鼻で笑ってくる。

いくら訴えてもラチが明かない。
で、まあ・・・。あまりに二人の態度が横柄で犯罪者扱いしてくるもので、震えを通り越して、ものすごくムカついてきたわけだ。スッと頭が冷えて心が決まる感じね。

「わかりました、どこかに出頭すればいいんですか?どこですか、何日の何時に行けばいいですか?でも、とりあえず母が帰宅が遅くて心配していると思うので、電話してもいいですか?」と自宅に電話。応じた母に、超デカイ声で言った。

 

「あ、お母さん?ごめんね、心配してたでしょう?今、自転車泥棒に間違われて職質受けてんのよ、そうそうそう、こっちの話も聞かずに完全に犯罪者扱い。ねえ、『踊る大捜査線』でおまわりさんは市民の味方って言ってたけど、全然そうじゃないのねえ!?超~横柄、超~えらそう!こうなったら徹底的にやってくるんで。朝になっても心配しないでね」

 

警官たちはドン引いており、「と、とにかく寒いから交番に入りなさい」と言ってきたので、「結構です、何か盗んじゃうかもしれないじゃないですか、手癖わるいんで!と返したら、「そんなこと言わないで」とか宥めてきやがる!扱いかねたらしい二人は、「じゃあ、その自転車をくれた友達に話を聞けないか」と妥協案を出した。11時半を過ぎていたが、私は笹野くんに電話し、母に話したのと同様に事情を説明、笹野くんは「とにかく今から、そこに行きますんで!」と言ってくれた。

この時点で、警官二人は「アレ、これ多分、違うな・・・」と感じていたと思うのだが、私はイライラしてダンダン足踏みしているし、まあ、あちらも引っ込みがつかなかったのだろうね。やがて笹野くんが、ホテホテホテーと夜道を歩いてきて、私と警官を見ると手を振り、「あ、やなぎやさん、これ、こないだ彼女と旅行行ってきたのでお土産です」と金魚のキーホルダーをくれた。

 

「・・・」。静まりかえる現場。

 

お巡りの一人が咳払いをし、「えーっと、笹野くんね、今話は聞いたけど、もう一度確認してもいいかな」。笹野くんは、自転車は一年前にホームセンターで購入したこと、盗難届が出ている原因は全く思い当たらないことを丁寧に説明し、「でも、確かにホームセンターで僕が防犯登録をしたか、と言われると記憶になくて・・・すみません」と誠実に頭を下げた。
お巡りは頷き、「じゃあ、今回は笹野くんに免じてね、君を信じるので、お咎めなしとしましょう」とか言った。
完全に頭にキていた私は、「はあ?すみませんねー!わたしは信用ならない人物で!盗難届けは、どおなったのでしょおかぁ??」と暴れたが、笹野くんは私を「やなぎやさん、まあまあまあ。どこかで行き違いがあっただけですから」と押しとどめ、夜も遅いからと自宅まで送ってくれたのだった。。。

 

いやあ・・・。笹野くんにはホントにすまなかった。

 

母はいまだに、「あの時の、あーちゃん(私)怖かったわぁ」という。 

ちなみに文房具屋のバイトに対して「夜のバイト」と家族に呼ばれていたレンタルビデオ屋は、今ではとんと見かけなくなった、カーテンの向こうにアダルトコーナーがあるような怪しげなビデオ屋で、バイトの連中も治安が悪かった。私の他は男子三人、それぞれキャラがめっちゃ濃く、特に一人が東大卒のフリーター、パチンコで生計を立てている変わり種で。そのようなことを知ったのも後日、何故なら始めの一か月くらいは、シフトで一緒になっても、ビデオの棚に隠れてこちらに姿を見せないほどの異常な人見知りだったからだ。また、お茶に見せかけた酒をペットボトルに入れてこっそり飲んでいた。二か月目になったら、迷子のキツネリスのように一歩ずつ出てきて、最後は割と仲良かったけど。漢詩について延々語ったり、激烈に頭のいい変態だった。


しかし、『踊る大捜査線』はやっぱりドラマの方が面白いよね。じゃあ、みんな、暑さで倒れるなよ!

『ディア・ハンター』

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監督:マイケル・チミノ キャスト:ロバート・デ・ニーロジョン・カザールクリストファー・ウォーケン/1978年

皆さん、お元気ですか。

私は映画に関して分からないことがあると、映画好きの異常な友人S氏にメールします。人生や恋愛に関する助言は全く期待できませんが、映画については必ず何らか返答はするS氏、名付けて「HEY S氏」。しかし問題は、その精度の低さ。

ゴダールって何が観やすい?」と訊けば、ストリートビューに映ったゴダールを見てくれ」と不鮮明な画像が送られてくる。黒沢清の映画について「ここはどういう意味?」と訊けば、ゴダール観てないと分からないだろうね」と言われる地獄のループ。

「西部劇が観たい気分だからオススメを教えて」と言えば「『カウボーイVSエイリアン』」(ちがう、そうじゃない)。

お勉強モードになった私が「この映画のこのシーンは何かへのオマージュなのかしら?」と高尚な質問をすれば「知らん」。一方で、映画論や技術論をさんざ宣った後、「結局、その映画を好きかどうかだからな」と突如、感情論に振れる。

前提のない話を急に投げてくるなどバグもひどい。

「僕はアメリカを信じるよ」
「真剣に語れば語るほど小っ恥ずかしくなる、それがノーラン」

知らないよ。

先日、「『ディア・ハンター』はS氏的にはどういう評価ですか?」と言ったら、「8連勝!」(←Jリーグ川崎フロンターレについて)と返ってきたのには最高にイラッとした。で、数日後に急に「『ディア・ハンター』を観たのが昔過ぎて覚えてません」と言ってきた。何とかならないか、このポンコツAI。

そういうわけで、本日は『ディア・ハンター』です。

 


◇あらすじ

60年代末、ペンシルバニアの製鋼所で働くマイケル、ニック、スティーブンたちは休日になると鹿狩りを楽しんでいた。やがてマイケルたちは徴兵されベトナムへ。彼らは戦場で捕虜となり、残酷なゲームを強要される。(映画.com)

恥ずかしながら初見でした。
って言葉をよく見るけれど、恥ずかしいのかしら?といつも思う。一見謙虚に思えるけど「映画について一家言を持つ私ですが、そのわたくしがですよ、これを観ていないなんて皆さん意外に思うでしょうが」みたいな自意識が見え隠れしているよね。

私は戦争映画が好きだが、いわゆる名作の史上最大の作戦(1962)鷲は舞いおりた(1976)などは苦手。また、『ディア・ハンター』は父がやたらと好きだったもので何となく避けており・・・あるでしょ、そういうこと。思春期につまらない理由でそっぽ向いて、そのまま機会を失ってしまうこと。最近、たまたま目にして鑑賞したのですが。

 

超いい映画だった~!

 

当時の社会情勢が反映された、べトナム戦争の爪痕濃い内容を想像していたが、蓋を開けてみれば、ペンシルヴァニアの寂れた田舎町を背景に、強い絆で結ばれた若者たちが、やがて戦争によって幸福な生活に終止符を打つことを余儀無くされる切ない物語。そして予想外に観念的。

切れ者で冷静なリーダー、マイクにロバート・デ・ニーロ、彼の親友の心優しい青年ニックにクリストファー・ウォーケン。彼らと共にベトナム行きが決まっている新郎スティーヴンをジョン・サベージ、イキっているが小心者でトラブルメーカーのスタンをジョン・カザール、マイクとニックの想い人リンダをデビューしたばかりのメリル・ストリープが演じた。

監督のマイケル・チミノは、ここで取り上げるまでもなく不運の人として知られる。ダーティハリー2(1973)でイーストウッドに見出されて『サンダーボルト』(1974)の脚本と監督を務め、本作『ディア・ハンター』ではアカデミー作品賞、監督賞など各賞を受賞。しかし次作天国の門(1981)の興行的大失敗で製作元のユナテッド・アーティスツをぶっ潰し、キャリアに事実上の終止符を打った。

今回チミノの名を目にしたとき、私の頭に突然、ヘンなダジャレが浮かんだ。思い出して調べたら、やっぱり「シネマ一刀両断」の『サンダーボルト』が原因だった。

~シネトゥ『サンダーボルト』評より抜粋~

自らメガホンを取るつもりだったイーストウッドは、当時無名のマイケル・チミノの脚本に惚れ込み、眩しそうな顔をしながらチミノに向かってこう言った。

「チミの名は?」

これがイーストウッドなりのギャグとも知らず、馬鹿真面目に「マイケル・チミノです」と答えるチミノ。するとイーストウッドは「あんさん、撮ってみるかい…?」と提案。
「エッ、いいんですかい!?」とハナを垂らして喜んだチミノに「チミの才能を信じてる」と尚もしつこくチミノギャグで返すイーストウッド
「僕なんかに務まるでしょうか?」と言われた際も「マーイケルだろう」とひとつも面白くないギャグで返したイーストウッド

 

・・・。

このせいで、マイケル・チミノと聞くと「まーイケルだろう」と「チミの名は?」が頭の中に木霊する。これは公害です。

 


◇青春映画でした

ロシア移民の青年たちが製鉄所での仕事を終えて行きつけのバーへ雪崩込みジャレ合う中で、その晩は仲間の一人の結婚式であり、直後には三人がベトナムへ出征することが説明されていく。

映画が始まって20分ほどで、観た人が大体「長い」と呆れるウワサの結婚式のシーケンスに突入。荘厳に式が執り行われ、披露宴のパーティになると町中の人が集い、酒を煽ってはロシア民謡に合わせて踊りまくる。

主役の新郎新婦、ウォーケンとメリル・ストリープカップルと、踊りの輪に加わることなく離れた場所からそれを見守るデ・ニーロ。他の男に媚を見せたガールフレンドをジョン・カザールが殴り、場は一時騒然となるものの、立ち上がったガールフレンドは殴られた頬を指してカザールを睨み、シュンとなったカザールは「ごめんよ」と彼女の頬にキスをする・・・。同じ形では二度と訪れることのない彼らの青春が、ぎゅっと凝縮された時間だ。

まあ確かに長いね。踊り終わったと思ったら、まだ踊り出す。

私はガチャガチャしているだけで一向に話の進まない映画は苦手なのだが(ガイ・リッチーシャーロック・ホームズとかキツイ)、長い映画は基本的に嫌いじゃない。そのためか、結婚パーティのシーケンスは苦にならなかった。六人のやり取りをずっと見ていたいなと思わせた時点で、3時間を超えようとチミの勝ち。

朝方にパーティがようやく終わると、新婚のジョン・サベージを除いた五人はそのまま鹿狩りに出かける。

・・・まだ、鹿狩り残ってたのん?
ちょっと前言撤回してもいいかな。「今夜は鹿狩りだ」ってずっと言ってたけど、踊ってたら夜が明けちゃったから、もう行かないのかと思ってたよ。

なげェだろ、さすがに。これから鹿狩りは。あと、『天国の門』って完全版だと216分もあるの!?無理だろそれは。

デ・ニーロは見事な鹿を仕留める。彼らの行く末に、この狩りの獲物は吉と出るのか凶と出るのか・・・。
一転、画面は激しい戦闘シーンへと切り替わり、やがて捕虜になった三人は、デ・ニーロの機転と行動により逃亡に成功するも身体と心に受けた傷は深く、ウォーケンは遂にベトナムから抜け出すことができなかった。

 

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◇ウォーケンの圧倒的ヒロイン感

本作の真のヒロインはクリストファー・ウォーケン。これに尽きる。

ウォーケンはストリープに求婚し、またデ・ニーロも懐にストリープの写真を忍ばせて戦場に向かうのだが、デ・ニーロにとって彼女が、ウォーケンへの愛を仲介する存在であるのは明らかだ。

結婚パーティで、ストリープは、デ・ニーロの目が自分に向けられているものと信じ、はにかんだ視線を彼に返す。だがカメラは、彼女を映すフレーム内に必ずウォーケンを捉えており、その無邪気な所作と全開の笑顔は、ストリープを見ていたはずの観客の目を奪う。言うまでもなく、このカメラはデ・ニーロの視線そのもの。

常は避けるように二人の姿から目を逸らすデ・ニーロが、パーティでは踊る二人を堂々と見つめる。ストリープのことを見ているのだと、他人も自分自身もごまかすことができるからだ。

ウォーケンの華やかさは、表のヒロインであるストリープを凌駕する。
例えば、冒頭、皆でバーに集って『Can't Take My Eyes Off You』を歌い、サビの「I love you, baby」を叫ぶ様子。鹿狩りの場面では、カザールが靴下がないとかあったとか、今度はブーツがないなど騒ぎ、デ・ニーロが彼のいい加減さに耐えかねて口論する間で、礼服からとっくりセーター(※敢えての「とっくりセーター」)へと着替え、モフモフのロシアン帽を被ったり、やっぱり脱いでわしゃわしゃと髪をかき回す。その破壊的な愛らしさ。

『サンダーボルト』でも男同士の執着と情を描いたチミノだったが、同じ空気が『ディア・ハンター』にも流れている。ただ、ウォーケンへの視線は、同性愛という露骨な言葉に押し込めるのを躊躇ってしまうほど控えめであり曖昧で。

曖昧と言えば、キャラクターがはっきりとしている五人に比べ、デ・ニーロの人物は最後まで靄がかっている。直接的でない愛情の表現も然ることながら、カザールが指摘するように一人違うことを考えているようなところがあり、また、戦場で如何に友を故郷に帰すかに注力するさまは、まるで彼自身の望みは二の次であるかのよう。全編を通してデ・ニーロの自我は描かれず、一体彼がどのような人間なのかが浮かび上がってこないのだ。

 


◇目線による会話

言葉ではなく、特定の人物に向ける視線、目線の上下で、デ・ニーロは意志を伝えていく。ストリープを介在したウォーケンへの視線は既に触れた通り、印象的なのはベトナムにウォーケンを連れ戻しに行ったときだ。サイゴンで探し当てたウォーケンは、まるで別人のようになっていた。

「俺が分からないのか」と襟首を掴むも、ゾンビのように無表情なウォーケン。
「俺の名前を言ってみろ」と必死で訴えるデ・ニーロに、ようやく少し反応したウォーケンは呟く。

 

「チミの名は?」

 

だぁぁぁぁーー!
チミの名うるせぇな、ホントに!気が散るわ!

 

何の話だっけ。そうそうそう、見つめ合う視線のレイザー・ビームは億千万って話だったよね。命を賭けてウォーケンを故郷に連れ戻そうとするデ・ニーロは、悪夢の象徴であるロシアン・ルーレットのテーブルで友と向かい合う。
いくら帰ろうと訴えてもウォーケンの表情は動かない。デ・ニーロは祈るように長い時間、目を伏せる。再びウォーケンを見ると、彼の顔に微かに感情らしきものが宿っている。。。

そして、ラストの葬式後の食卓。コーヒーカップはどこだ、スクランブルエッグにトーストでいいか?などの友人たちの会話を背景にして映されるのは、結婚パーティのときとは一転して、まったく合わなくなってしまったデ・ニーロとストリープの目線だ。デ・ニーロが見つめればストリープは目を逸らす。逆にストリープがじっと見つめるときには、彼は異なる方向を向いている。見つめ合う視線のレイザー・ビームは、すれ違う視線になってしまった。

 

結局のところ、デ・ニーロがストリープを介してウォーケンを愛したように、ストリープにとっても、ウォーケンあってのデ・ニーロだったわけだ。

ウォーケンの喪失により、二人の関係も失われてしまうのだろう。皆が『God Bless America』を歌い出すところで画面は暗転し、メインテーマ曲『Cavatina』が流れ出す。なんとも美しい幕引きである。

ようやく観たので父に報告をしようと思うが、まあアイツはこれを「重厚な反戦映画」と捉えているだろうし、壮大な山の風景が出てくれば満足するタイプだから、話は噛み合わないだろうな。

引用:(C)1978 STUDIOCANAL FILMS LTD. All Rights Reserved

『見えない目撃者』

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監督:森淳一 キャスト:吉岡里帆高杉真宙/2019年

皆さん、こにゃんちわ~。

先日近所のスーパーで名前を呼ばれて振り返ると、パパ友のさーちゃんがいました。
会うのはとっても久しぶりで、しかもマスクで顔半分が隠れている状態だったので、「よくわかったね?」と言ったら、さーちゃん「うん、なんとなく」。
家に帰ってハッとしたのだが、そのとき、かぶる人まずいないだろうなというくらい派手な服を着ていて、しかもずっと昔から持ってる服で、これじゃね?と。「あ、あの見覚えある服は、やなぎやさんだ・・・」と。

なんか恥ずかしい、40も過ぎて、そんなふうに認識されるの恥ずかしいよ。

まあ、いいや。本日は『見えない目撃者』をこき下ろします。

巷では、日本映画もやればできるじゃんって言われてるね。知っているけど、間違いなくコレじゃないわ。

 

 

◇あらすじ

警察学校の卒業式の夜、自らの過失で弟を事故死させてしまった浜中なつめ(吉岡里帆。自身も視力を失い、三年後の現在も弟の死を乗り越えられずにいた。ある日、車の接触事故に遭遇したなつめは車中から助けを求める少女の声に気づく。誘拐事件を確信した彼女は、もう一人の目撃者、春馬高杉真宙の協力を得て独自に少女の捜索を開始する。

 

監督は森淳一。よく知らないと思ったが、『リトル・フォレスト 夏・秋(2014)』『リトル・フォレスト 冬・春(2015)』の監督だった。これ、いい映画でさ~。橋本愛が田舎で野菜を育てたり貯蔵したり、一人静かに料理を作って食べる映画なのだけど、その時間の豊かなことと、同時に描かれる挫折や悩みが過剰でなく、料理を邪魔しない、いい塩梅で。途中から、子供たちと一緒に観ました。

まあ、そういうわけで、けなすのは申し訳ない気がするんだけど・・・。
あ、ネタばれです。

 

 

◇超狭小ネット世界

前半一時間、容疑者の土建屋の敷地内から少女四人の遺体が発見されるまでは悪くない。ちょうど健康診断が終わって休んでいるときに観たんだけど、周りが気にならないくらい夢中になってしまった(つまり必要以上に休憩を取った)。

しかし、そっからがダダ滑りなんだ。。。
まず、得たいと思う情報が都合よく寄せられるさまがとても浅い。吉岡は、少女たちの身体から欠損していた部位「耳、鼻、口、手」をネットで検索するが、手掛かりは何も得られない。そりゃそうだろうな。この検索で殺人に関する情報が出てきたら、子供が人間の身体のことを調べる時とか困るわ。

しかし、4つのワードに「神」を追加すると、仏教の教え「六根清浄」の情報が表示される。これにより吉岡は「儀式殺人を行った可能性がある」と犯人の動機に速攻で辿り着く。

ネット優秀すぎない?吉岡へのSEO対策がすげえ。というか、吉岡以外はネットで情報収集しないんだね?

また、高杉がSNSでちゃらちゃらと「情報求ム」と上げるや否や、すぐさま犯人に夜道で襲われる。犯人が何故かこちらの行動や居所を正確に把握しており、時間と空間を無視して現れるのは私の嫌いなスリラーあるある。ちなみに本作では犯人の神出鬼没ぶりは「警察官だから」で片付けられる。

友人が行方不明だという女子高生がSNSを見て訪ねてくれば、まさにその「友人」が吉岡らが捜索している少女と一致し、高杉がちゃらちゃらと不動産情報を検索すれば犯人の隠れ家も判明する。警察いらないな。

 

 

◇誰が一番ドンくさいか選手権

目の見えない吉岡をドンくさいと言っては誤解が生じそうだが、ドンくさいのは周囲の人間だ。視覚に不自由のない高杉や刑事たちの中にあって、不自由があるからこその特化した力により犯人に迫る、主役を活かすポイントはそこだろう。

しかし、この映画が行ったことは真逆。他の人間が、吉岡に合わせて歩調を緩めることで、吉岡が活躍する空間を無理やり作り出す。

その配慮というか浅慮が、不自然な間を作り出し映画全体をモタつかせる。残念としか言いようがない。以前こちらも貶しはしたが、本作を観ていてドント・ブリーズの面白さがようやく分かった。辻褄や設定など歯牙にもかけない超人ぶりを観ればよかったわけだ。

定年間近の田口トモロヲとやる気のない大倉孝二の刑事コンビの造形はいいとしても、トモロヲは人気のない場所で真犯人の日下部浅香航大に単身で迫り、「攫った子はトランクにいる」と言われ「どれどれ」と素直に覗きこんで殺される。
大倉は、高杉の「警察って正義の味方じゃねぇのかよ」との安い台詞に触発され、応援を待たずに「警察は正義の味方っていうところを見せてやるよ」と犯人の根城に踏み込んで殺される。

勝手にフラグを立てて勝手に自滅してしまいました。

 


◇走らない犯人

ドンくさい選手権の優勝者はぶっちぎりで犯人である。ってか、この犯人の顔がまったく覚えられない。何なら今、吉岡里帆の顔も思い出せないのだが。

吉岡が真相に近づいていることを知った犯人は、彼女を消すためにおびき出す(死んだトモロヲの携帯に吉岡からのメールが着信、それを見た犯人に存在がバレる・・・など全て予想通り)。

メガネ拭きのアルコールの香りから、犯人の正体を悟り逃げ出した吉岡は、盲導犬パルを頼みに車道脇の道を駆け、やがて駅へと逃げ込むのだが、ここでダメスリラーの次の特徴「急に無人になる駅」問題が発生。また、さらなる特徴「なぜか走らずに歩いて追ってくる犯人」もしっかりと押さえてくる。迫りくる恐怖をゆっくりした歩調と無表情で表す演出に、わたし飽きているのよ、いっそT-1000くらい走らせろ。

 

 

◇実況します。

オーケー、ちょっと耐えられなくなってきたので、スピーディに映画の残りを実況しよう。

エレベーターに追い詰められ絶対絶命の吉岡。主人の危機に、忠犬パル公が犯人に牙を剝いて飛び掛かる。しかし殺傷力の高そうな刀を持つ犯人に、土佐犬でもないパル公は、すぐに殺されてしまうだろう。ありがとうパル公、安らかに眠れ。

 

・・・。

 

何もたついとんねん、そのイヌ、あんたの手に噛みついてんのとちゃうよコートの裾に噛みついとるんよ。湾曲刀で紫電一閃、喉元を掻っ切ったらんかい。

しかし犯人は手に刀を持ったまま、犬を振り払おうと頑張る。もしかして女子高生と刑事は殺すが、動物は殺せないのだろうか?ジェイソンのように制約があるのだろうか?その間、パル公捨て身の攻撃を活かすことなく、エレベーター内に蹲ったまま「パルゥパルゥ」と叫んでいる吉岡。

 

・・・なに、このドンくささとモタついた空間。
私は今、何を見せられているの?

 

そんなとき、ついに凶刃がパルに振り下ろされる!キャウーンと地に倒れるパル公。


パル公ォォーーー!あなたの忠誠は忘れない。

 

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(ちょっと血が出ましたが、パル公は生きてます)

 

その後は何があったか忘れたが場面変わりまして、ネット検索して見つけた犯人宅に向かった吉岡らは、正直者選手権チャンピオンらしくちゃんとそこにいてくれた犯人と、家の中で鬼ごっこ。吉岡と助け出した女子高生を逃がすため、高杉が犯人と取っ組み合う。ここでも何らかの愛護精神を発揮した犯人は高杉を刺して傷をぐりぐり踏むなどするが、殺しはしなかった。手に持っている恐ろしい刀は人を殺傷するためにあるのではないのかいかいかい?

ここに至って、もはや観客は「なんで殺さないの?ホレいまだよ、その刀を拾って使わんかい」と犯人をせっつく立場に立たされる(わたしだけ・・・?)。

さぁ注目すべきは、盾になってくれた高杉を気遣いつつ、必死で逃げる吉岡が叫ぶ台詞だ。 

 

大丈夫、春馬くん(高杉)!?

 

うん、はるまくんはねえ、少なくとも大丈夫ではない。
いまねえ、犯人に刺されたところ。

 

はるまくんを倒し吉岡を追い詰めた犯人は、彼女の優れた聴覚を警戒して靴を脱ぐ。

あれ、ちょっと面白くなりそうじゃない? 既述の通り、「視覚を欠く吉岡が如何にして、そうでない人間を出し抜くか」が物語の鍵を握る。ラストの直接対決では、その見せ方が問われるところ。「見えないこと」を武器に吉岡はどのように犯人を狩るのか、あるいは狩られるのか!?
もしここで私を唸らせてくれたら、ソファに寝転んで「40てん」と鼻をほじるのをやめ、50点をあげてもいい。

 

チリリーン。

 

犯人、吉岡が床に落とした弟のキーホルダーかなんかを蹴っちまったー

聴覚が優れていなくても、誰でも聞こえるような音だったー

死んだ弟が、吉岡を守ってくれたぁあああーー!

 

よーし、じゃあ、先生、点数つけるぞー。30点だ。やっちゃいけないミスってのがあるぞー、次は気を付けような。

 

 

◇最後に褒めます

JK援交店の店長をやっていたほっしゃん。改め星田 英利がよかったです!あと、高杉真宙はいいと思う、名前の読み方を知らないけど。

 

引用:(C)2019「見えない目撃者」フィルムパートナーズ (C)MoonWatcher and N.E.W.

『64 ロクヨン』前編&後編

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監督:瀬々敬久 キャスト:佐藤浩市綾野剛/2016年

 

皆さん、こんニャ。

ランボー ラスト・ブラッドがようやく公開され、観た方の感想を頻繁に見かけます。お客様の少ない本ブログでも、ちょっと前に上げた『最後の戦場』の記事を読んでもらっているみたいで。

 

yanagiyashujin.hatenablog.com

 

でも私は、何か気分が殺がれてしまってさー。皆さんの感想を読むと評価は高いんだけど、高評価の理由が「またランボーを観られることの幸せ」という過去作とスタローンに捧げるリスペクトなんじゃないかなって気がしちゃって。
私は逆に、そういうリスペクトなしに厳しめに観てしまうと思うんだよね、「なぜ、今ランボーの続編をやるのだ?」って。で、不機嫌気味に劇場を後にするような予感がしているんだ・・・。だから、ソフト化されたら、気が向いたときに観ようと思っている。次に映画館で観るチャンスがあったら、ダルデンヌ兄弟の最新作『その手に触れるまで』がいいな。

さて、そんなわけで本日は、公開当時は大作と話題になった『64 ロクヨンをご紹介。なぜ今更?自分でもわからん。

 

◇あらすじ
わずか1週間の昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」。事件は未解決のまま14年の時が流れ、時効が目前に迫っていた。かつてロクヨンの捜査にもあたった刑事三上佐藤浩市は、現在は警務部の広報官として、記者クラブ刑事部との対立に神経をすり減らす日々を送っていた。そんなある日「ロクヨン」に酷似した誘拐事件が発生する。(映画.com)

 

原作者の横山秀夫は大大大好きな作家であるため、今回も原作の特徴と比較しながら語って参ります。

しかし、また・・・文句を言わないとならない。もはや日本で、ある程度の金を掛けて著名俳優をキャスティングした「豪華」な映画は、一般大衆の反応と興行収入ばかりを気にするスポンサーの下でしか作ることはできないのだろうか。

 

 

◇「刑事」が描かれない

原作は647ページ、新聞記者だった横山秀夫の経験が存分に活かされた緻密・濃厚な小説だ。つまりは原作の全要素を映画に反映させることなど不可能、映像表現でしか成し得ない大胆な改変が必要だったと思う。だが残念なことに脚本は、物語の見せ場となる箇所を切り取り上辺だけを撫でたような浅いものだ。

欠点は非常にシンプルで、「どのようにすれば観客(それもお茶の間の観客)が主人公に共感し気持ちを高ぶらせてくれるか」に主眼が置かれていること。それゆえに、この映画では「刑事」と「捜査」について一切描かれていない。

 

もう一度言います、警察が舞台で主人公は刑事、昭和最後の未解決事件と謳いながら、この映画では「刑事が描かれることはない」。

 

では何が描かれているのか?佐藤浩市演じる一人の男が、自分の後悔と鬱憤を吐き出していく、その「感情」の変遷と顛末のみである。さらに良くないことに、ミステリーの面白さもゼロだ。佐藤浩市は、刑事として培った経験や交渉術などを駆使することは一度もなく、手掛かりになりそうな相手にストレートに言葉をぶつけ時には締め上げることで次の手掛かりを得、同様の行動を繰り返す。そして対峙した人や物事は佐藤浩市の怒りに応え、都合のよい方向へ彼を導いていく。

 

また、浩市がよく泣く。
ロクヨン」で娘を失った被害者雨宮永瀬正敏家の仏壇の前で嗚咽するのにはドン引いたが、後半、誘拐の捜査車両に乗り込んで、かつての上司松岡三浦友和に涙ぐんで詰め寄るシーンでは白目になった。涙の理由も、大変エモーショナルで、およそ刑事が流すものとは思えない。共に気持ちを高ぶらせ、最後にはその「気持ち」に決着をつける佐藤浩市を観て感動しろとでもいうのだろうか・・・。観客をバカにするなと言いたいところだが、需要があるからこのようなシーンが供給されるのだと思うと、絶望的な気分になってしまう。

良質な料理を作ることができるネタを扱う権利を得ながら、調味料の種類も分量も間違えた上に、調理方法も間違った結果できてしまった残念な料理、この映画はまさにそれだ。見本とは違う料理でいい、だが不味かったら意味がない。


良質なネタとなるのは、七日しか存在しない忘れ難い年に起こった悲惨な誘拐事件という事件そのものの面白さ、十四年の時を経て発生した同様の事件と隠蔽されたある事実が関係者を昭和64年に押し戻していく魅惑的なストーリー展開の他、何より刑事であった男が、現在は望まぬ広報官の地位にあることに対する葛藤だ。

花形の刑事部から「記者の犬」と蔑まれる内勤部署に異動させられた主人公は、時に刑事に戻るために打算し、時に己の正義の中で葛藤し、記者たちや同僚との激しい軋轢の末に、広報官の仕事にやるべきことを見出す。少しずつ作り上げられる記者たちとの関係が、広報官として生きる決意を固めさせていく、ここがすごくドラマティックだ。

だが、映画では、もちろん尺の問題は仕方ないのだが、雨宮や「ロクヨン」により人生を壊された捜査官日吉窪田正孝の境遇に自らの葛藤を重ね、記者たちへ歩み寄る決断をするように見える。人の不幸を踏み台にするかのような羞恥心のなさを、佐藤浩市にまず感じてしまうのだ。

 

 

◇役者は奮闘

不幸なことに相変わらず役者、特に佐藤浩市は奮闘している。

見せ場は、匿名問題を巡る記者たちとの対立を経て、実名公開へ踏み切ることを発表する場面である。そこまでは寝転がりながら観ていた私も、熱に満ちた佐藤浩市VS秋川(瑛太)らの議論を、やっと真剣に見守った。ここは佐藤浩市の力だと思う。だからこそ、「いつも怒鳴っている人」にしないで欲しいのね。

 

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瑛太はええよな。

 

また、端役に当たるのだろうが、それぞれ刑事部の御倉と落合を演じた小澤征悦柄本佑が良かった。特に柄本佑はぺーぺーの捜査二課長ゆえに刑事部から人身御供に差し出され、記者たちの怒りのサンドバッグにされるわけだが、頼りのない様子と、最後には広報室のメンバーと一体感が生まれる辺りで妙に目を引く。

さて、広報室のナンバー2、三上のサポート役となる係長の諏訪について。映画では綾野剛が演じたが(可もなく不可もなかった)、忘れられないのはロクヨンTV版で諏訪を演じた新井浩文である。

 

新井浩文って・・・このまま消えてしまうのん?

 

TV版では三上(ピエール瀧、これも可もなく不可もなく)への、どうせ腰掛なのだろうという不審感、外様を信用しない用心深さ、スキあらば出し抜いてやろうとする野心。そんなものをギラついた目つきで表現していたのが印象的だ(まあ、酒残ってるか寝不足なんだろうなとは思った)。

いや、私も当初は「容疑者」とかイジってたけど、それは禊を済ませて戻ってくると思っていたからじゃん?でも一向に戻ってこないじゃん?罪の軽重は置いておいて、あんないい役者いなかったでしょう?このまま失ってしまうのが惜しすぎる。

褒める部分が非常に少なくて悲しいのだが、これから更に本作最大の失敗に触れなければならない。疲れてきたので、リトル・ヤナギヤにバトンタッチします。
リトル、お願い・・・。

※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑ACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間で、決断に迷ったときに背中を押してくれる存在、時に分身のようなものとして浸透。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」

 


◇リトル・ヤナギヤでぇす

ハァイ、お久しぶりです!2019年のベスト10以来じゃなぁい?
気が付けば梅雨、振り向けば私。ってね!

ところで、最近、台湾マンゴーが出回り始めたなって思ってて。ここ数年よね?台湾マンゴーを普通に店頭で見かけるようになったのって。私は断然タイのマンゴーの方が好きなんだけど。こないだ近所のスーパーに行ったら、台湾マンゴー1個150円で投げ売りされてたのよ。私は箱の前で考えたわ。150円か絶対美味しくないわよねでも奇跡的に美味しかったらどうする?けどおいしくない可能性の方が高いわ安すぎるもの。
迷っていたら、すっと横に立ったおば様が「ねえ、、どうなのかしらねえ」と話しかけてきたの。私も「・・・ですよね」「そうなのよ・・・」と一切主語述語のない会話を交わし最後は頷き合って、どちらもマンゴーを手に取ることなく箱の前を離れたわ。次に私が向かったのは豆腐売り場。消泡剤不使用の豆腐を探していたら、

 

(やなぎや:え、ちょっと、何の話してるの?本題に入ってもらえる?)

 

ハァイ。んもう、この映画そんな興味ないのよね、観る前から推して知るべしじゃないの。えーと何だったかしら。佐藤浩市が雨宮宅仏壇前で泣いたところからウザ映画認定された本作には、さらに最大のミスが肝心のシメにあるって話よねそうそうそう。

最後はアホな観客のニーズに応えるべく追加された、映画オリジナル脚本になっているの。やなぎやが言った通り、かつて刑事だった主人公が全く異なる畑の人間、つまり広報官になっていく、その心の変化が原作の大きな魅力だし、当然映画化に当たっても引継ぐべき要素だと私は思うのね。つまり、終盤の時点で佐藤浩市「広報官になっていなければならない」わけ。

監督はこれを思い切り無視したわ、というより、物語を理解していないんでしょう。なんと佐藤浩市は、犯人目崎緒形直人の娘を誘拐したように見せかけて、緒形をおびき出し、ある根拠を元に十四年前の罪を認めるよう迫るの!

 

エモーショナル展開ここに極まれり・・・。


お前、既に刑事でも広報官でもねぇから。今すぐ警察手帳を返却しろ。銃持ってんのか?銃も返却しろ。手錠もある?それも返せ。
さらにアホかと思うのは、緒形直人に突きつける根拠が、「おびき出された緒形が真っ先に確認したのが(犯人しか知り得ない)十四年前の被害者の少女が遺棄された車のトランクだった」ということのみ。状況証拠にもならねえだろうよ、そんなもん。
だが緒形の野郎は、勝手にテンパり勝手に自供、駆けつけた刑事たちに逮捕されるってぇ、ご都合展開よ。しかもしかもですよ奥さん、何故殺したと問われた緒形「俺にもわからねえよそんなこと」。ヒィィー!はい、出た。動機がない犯人、急に混ざるサイコパス色。分かんねえなら言わせんな。雨宮と刑事の執念が十四年前の事件を解決したってか?解決しねぇだろ権限も証拠もねーんだから。あとで緒形が「脅されて自白してしまった」で無罪放免だよ。チャラチャララーン、ひゅらららー(音楽)じゃねぇよこの極楽クソブタ野郎がぁ。

 

(やなぎや:ちょっ、こわ、興奮しすぎじゃない!? あと性別変わってる)

 

はあ、自分、いつ女って自己紹介しましたっけぇー。そんな覚えはビタイチねぇな。
佐藤浩市を受け入れた広報室のメンバー、記者たち、ロクヨンを地道に追い続けた刑事たち、そして真面な鑑賞眼を持つ観客。このラストでどれだけの人間を馬鹿にしたのか、監督は分かってねェだろうな。マジ謝れ、まずオレに謝れ

 

(やなぎや:いやホント、そんなに思い入れがあるとは思わなくて気軽に頼んでごめん。これ以上はアレなんで引っ込んでもらえるかな)


へーい、ラジャりましたァ。んじゃ、七夕の願い事でもして終わるわ。

 

新井浩文、戻ってきてくれーい!!

 

(やなぎや:7月7日晴れたら叶うかもね★)

 

(C)2016 映画「64」製作委員会

『コリーニ事件』

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監督:マルコ・クロイツパイントナー キャスト:エリアス・ムバレク、フランコ・ネロ/2019年
 
いきなり家庭内の話をします。
結婚当初は「俺も映画好きだよ」みたいな顔をしていた夫が少しずつ、「ドンでん返しを期待して映画を観る人間の気が知れない」「ホラー映画を観る意味がわからん」などと言い出し、戦争映画も全然好きじゃないと知って騙されたと感じている。
私が初デートでノー・マンズ・ランド(※)に誘ったらイソイソついてきて、「面白かったね」と微笑んでたのに、完全にウソだったんだな。
 
ボスニア紛争下、ボスニアセルビアの中間地帯“ノー・マンズ・ランド”に取り残された兵士二人を通して戦争の愚かさをユーモラスかつシニカルに描いた地味な戦争映画だ、まだよく知らない相手とのデートで選んではいけない。
 
日常生活で、映画のネタを振っても全然キャッチしないのにもイラつく。
例えば、嬉しいことがあったとき、私がフィラデルフィア美術館の前で両手を突き上げるロッキー」の真似をしても「???」という顔をしているし、息子がぷぅとおならをしたので「少し肺に入った・・・」と胸を押さえてみせても、「え、なに?」。腐海でマスクを外したときのナウシカですよ!?
 
しかし先日、「いまミッドナイト・エクスプレスを観てるのー」「ああ、水野晴郎監督の?」「それはシベリア超特急だ、バッキャロウ」という会話がありましたので、まだやれそうです。
ひどい前書きを書いてしまいましたが、公開を待っていた『コリーニ事件』を観てきたので、真面目に語って参ります!ネタバレです。
 
 

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◇あらすじ

舞台は2001年のベルリン。長年ドイツ市民として暮らしてきたイタリア人ファブリツィオ・コリーニが、経済界の大物実業家を殺害する。殺害方法は頭に三発もの銃弾を撃ち込み更に靴で顔を踏みつけるという残忍なものだった。
新米弁護士カスパー・ライネンは、コリーニの国選弁護人となるが、殺害された実業家が自身の恩人ハンス・マイヤーであることを知り驚愕する。

ドイツの小説『Der Fall Collini』が原作であり、作者は私が勝手に2019年ベストに挙げた『犯罪「幸運」』の原作者でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハ。1964年西ドイツ生まれ、小説家であると同時に刑事事件専門の弁護士としての経歴も持つ。また、祖父のバルドゥール・フォン・シーラッハはナチスの全国青少年最高指導者で、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪者として裁かれているなど、なかなかハードな背景を持った人物だ。

 
主人公の新米弁護士ライネンを演じるのは『ピエロがお前を嘲笑う』(2014)のエリアス・ムバレク。『ピエロがお前を嘲笑う』はちょっと前に観たはずなんだが、全く記憶にないので、多分つまらなかったんでしょう・・・。すげェな、全く覚えてないぞ。
コリーニを演じたのはフランコ・ネロ、改めて紹介するまでもなく『続・荒野の用心棒』に代表されるマカロニ・ウェスタン作品で活躍した俳優で・・・と書いてはみたもののよく知らないのであった。ダイ・ハード2エスペランザ将軍だよな!
 
私としては、途中ライネンがイタリア語訳のためにスカウトする、やたらとロックなピザ屋の店員ニーナ(ピア・シュトゥッツェンシュタイン)と、敵側の辣腕弁護士マッティンガー(ハイナー・ラウターバッハ)がとても良かった。
 
鑑賞して一発目の感想は、「やっぱりドイツ好きだなあ」と「やっぱり生真面目なとこが日本に似ているなあ」。
 
ストーリーや展開は特に目新しいものではない。
熱意溢れる新人弁護士、謎の動機、沈黙し続ける被告。被害者は主人公が父と慕った人物で、その娘とはかつて愛し合った仲であるという設定も、まあ、ありがちだろう。
コリーニが隠す真相も大方、予想通りのものだ(せめて予告編は観ずに観賞することをお勧めする)。
 
他に、ニーナや疎遠だった父親が協力者になる流れはやや性急。父親に関しては本作のテーマの一つは「父と子」にあり、コリーニとその父、ライネンとマイヤー、そして実の父とそれぞれの関係性が重要な役割を持つ。沈黙を貫いていたコリーニが初めて口を開くシーンでも、きっかけとなるのは「父親」のワードだ。そのため、ライネンと父の和解が唐突に感じられるのは勿体ないが、ここはばっさりと片付けるしかなかったのだろう。
 
また、「お前は情熱以外に何持ってるん?」と突っ込みたくなるほどにライネンが当然するべき調査をしない。検事側から提示される事実に驚き、コリーニを「初耳ですよ」と責めたりもするのだが、依頼人の過去を調べるのは初手の初手ではないでしょうか。
机の上に散らばった書類を前に頭を抱えるライネンと事件に関係のありそうな語句のアップショットで、いかにも「何か調べてます」風を演出するが、実際には何を調べているのか全く定かでないシーンには思わず笑ってしまった。
 
このような理由で、多少、中弛みはする。しかし、凶器の銃をきっかけに、ようやく糸の端を見つけたライネンがイタリアのコリーニの故郷へと飛び、ある事実を掴んで臨む法廷シーケンスの緊迫感は、それらの欠点を補って余りある。
 
 
◇言葉にしないことの上品さ
度々挟まれるマイヤーとの思い出深い日々がアナログで撮影され、現代や1944年の戦時中のパートと区別されているのが印象的だ。本来なら、1944年の映像が鮮明すぎるのに違和感を覚えるところだが、敢えて回想シーンのみアナログとしたのに意図があるのだろうと思う。
 
恩人を殺したコリーニを弁護するライネンは、私情よりも職務を優先する信念の人として描かれるのだが、感心するのは、私人としてのライネンに「マイヤーの過去を知ってどう感じたのか」を一度も語らせない点だ。一方で、少年時代のノスタルジックな映像は、今なお変わらないマイヤーへの思慕を表し、言葉にされなかったライネンの答えを観客に伝えてくれる。
 
 
◇裁かれるのはコリーニではない
注目すべきは法廷で裁かれる対象が、コリーニ、次にマイヤー、最終的に「別の物」へと変遷していくことだ。
 
まず、法廷で扱われるのが「事件」であることに好感を持つ。
当たり前だと思われるかもしれませんが、私が最近アメリカの刑事ドラマにハマっているせいなんだ。当然のように司法取引が為され、証人の私生活を丸裸にし人物を貶めることで証言を無効とする。陪審員を買収する。そんな政治的な駆け引きが面白くて観ているのだけど、となると、被害者加害者の人物や動機が純粋には追及されないことへのストレスもあったりして。。。
 
その目で観ると尚更に、コリーニ事件の法廷は「法」へのリスペクトに満ちていた。
 
ライネンは最後に、被害者側の代理人であるマッティンガーを証人に召喚する。
著名な法律家でありライネンの師でもあるマッティンガーは、ゆえに敵に回せば厄介で憎らしい人物なのだが、ライネンの追求を受けるうち、法の代理人として己自身の正義に問う立場に立たされる。そして、かつて自分が制定に関わり多くの戦犯を無罪とした法を誤ったものだと認めてみせるのだ。
 
つまり、最終的に法廷で裁かれるのは「法」であり、誤った法を施行した者たちということになる。
本作は、ある
老人の起こした事件と過去の事件を骨子としながら、ドイツが過去の罪に相対し、「法とは何か」を訴える映画だ。
 
この国はどれだけ時が経とうと、国民が、そして文化人たちが、過去の罪に真摯に向き合うことを止めないらしい。
 
久々の映画館という感慨も相まって、私は映画の最中、度々涙ぐんでしまったが、その大きな理由はコリーニの人生を支配した悲劇にでも長い戦いを終えた後の安寧にでもなく、ドイツ人の勤勉さと強靭さに胸を打たれたためかなと思う。いま、日本映画で同じことはできないだろう。
 
ちなみに隣のおじさんもハンカチで一所懸命、涙を拭いていた。
 
それでは、本日はベタに水野晴郎氏の言葉を借りて終わります。
「いやぁ~、映画って本当にいいものですねー」。
 
(C)2019 Constantin Film Produktion GmbH