Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『闇金ドッグス』

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期末です。どいつもこいつも期末期末って、急に期末が目前に来るわけじゃなくて、3月がやってくること事前にわかってるわけでしょ?2月半ばに呼び出してさ、今期予算でやりたいから3月末までに何とかなりませんかって、あーたが何とかしいや。

今日は私、すごく鮮やかな黄色のスカートを着ているんです。で、同僚がキレイな水色のスカートを穿いていたんです。それで「私たち爽やかだねー、うふふ」って話してたら、後ろを通ったN氏が「中身、ババアやけどな」って。・・・。

そんなこんなで、プリプリしている私が週後半、残された力を振り絞ってお送りする、本日は闇金ドッグス』です。帰らないでください。Netflixでみられるからね!

私の身近な人々においては「来たな」と思われたかと思いますが、満を持してご紹介。弟の奥様いくちゃんは、ほわっとしていながら関西人らしさもあり「お姉さん、最近なにか面白い映画ありましたか?あ、闇金は結構です」など堂々と言ってきます。

先日、絶妙な言語センスで人体破壊映画を斬り続けるinoちゃまを、闇金に引きずりこんでやりました。ちょっと手招いたら、見事にこちら側に転がってきましたよ。本日は構成上、ハイローの悪口を言っていますが、許してね。

さて、『闇金ドッグス』は映画というよりVシネです。いっぱい出ています。

闇金ドッグス』  監督:土屋哲彦/2015年
闇金ドッグス2&3』監督:土屋哲彦/2016年
闇金ドッグス4&5』監督:元木隆史/2016年
闇金ドッグス6&7』監督:元木隆史/2017年
闇金ドッグス8&9』監督:元木隆史/2018年

◇概要

闇金を題材に欲望渦巻く裏社会に生きる人間たちを描いた「闇金ドッグス」シリーズ。若くしてヤクザの親分になり、稼業引退後に闇金の世界へ足を踏み入れたラストファイナンスの社長安藤忠臣(山田裕貴)は、元イケメンホストの須藤司(青木玄徳)とともに一癖ある債務者たちを追い込む毎日を送っていた。(映画.com)

安藤忠臣を演じる山田裕貴は、色々なドラマや映画で奮闘中ですが、現時点では数多排出されるライダー俳優枠に留まっている段階でしょう。頑張って下さい。そのため、闇金ドッグスを取り上げるブログは、山田裕貴を「推し」として応援する方々のファンブログがほとんど。シリーズが更新されるたび、皆さん固唾を飲んで忠臣さんの一挙一動を見守っております。ここは私が冷静に斬りましょう。いえ、私もファンですが、流石に「ハイタッチつき★DVDお渡しイベント」とかには行かないので。

安藤忠臣(以降忠臣さん)は、AMGエンタテインメントがコツコツ作り続けているヤンキー映画の脇役として登場、後日彼を主役にして始まった新シリーズが『闇金ドッグス』である。お茶の間への浸透度はゼロ。

昨年山田裕貴は様々な映画に手当たり次第出演し、番宣のため情報番組に出ていたが、代表作として紹介されるのは大体『HiGH & LOW』だった。

『HiGH & LOW』EXILEとその仲間たちが作っている、スケールはデカイが中身は空白のドラマである。若者のいくつかのコミュニティが、時代も社会情勢も謎の世界で対立しており、「山王連合会」というザイルの推しメンたちを集めたチームを中心に熱き戦いが描かれる。山田裕貴目的でこのドラマを(早送りしながら)観た私だが、ザイルたちがどういった立ち位置で何を目的として戦っているのか分かっていない。途中誰か大怪我して入院したり、組織を作ったせんぱいがたと争ったりしていたけれど、原因も経緯も分からなかった。早送りしてるからね。

山王連合会の頭、つまり実質の主役は「俺、正社員になる」のCMで御馴染のガンちゃんなのだが、演技がクッソ下手発展途上であるので、「ぶっ殺すぞ」の台詞が漏れなく「俺、正社員になる」に変換されて困ってしまう主役だ。山田裕貴は敵対グループ「鬼邪高校(おやこうこう)」の番長役で、これが超いいキャラクター。なので朝昼の情報番組で紹介されるのが『HiGH & LOW』になることに異論はないのだが、現時点で山田裕貴の代表作であるのは間違いなく『闇金ドッグス』、略して闇ドでしょう。

◇ぺーぺー時代

ヤンキーシリーズの脇役で、チンピラとして登場した忠臣さん。高校を三日で辞めてヤクザの組に入り、十八歳で兄貴分をハジいて何らかの功績により組長に昇進。そして、手下の裏切りにあって組長を辞めた。←闇ドのスタート地点。

ありえない設定と言うなかれ、ヤクザの組ったって千差万別、有象無象でしょう?何とか会の何とか組で多くの企業を抱える組の組長もいれば、その傘下のそのまた傘下で、数人で看板掲げてる組だってあるンでしょう?知らないけどさ。だからいいんです。組長辞めて闇金始めた、この時点で多分まだ二十代前半、はい、レッツゴー。

組長時代には五十万をポンと貸してくれていた金貸し(高岡奏輔)が、組を辞めた途端に利子含めて金を返せと迫るところから話は始まる。忠臣さんは無一文で、一般社会においては振る舞い方すら分からない、まるで迷子の犬。なのに「借りたものは返す。それが仁義だ」と虚勢を張る。コイツかわいいなと思った(であろう)高岡奏輔が「なんならあんたも金貸しやってみるか」と言った次のシーンで、忠臣さんは手作りらしきチラシをペタペタと街中で貼っている。その驚くべき素直さ。長所。

その後、初回の客に何の保証(担保)もなく十万円を貸して逃げられる。高岡奏輔にノウハウを授けられ「初回は三万だろ、あと担保は取れ」と言われると、次の債務者アイドルオタクの良夫にはそのまま実行。素直。

良夫に金を貸す駐車場でのシーンでは、十万貸せと言う相手に「何に使うんだ」と質問。「えりなと握手するんだ」と言われ「えりな?」と眉を顰めながらもまた訊く。差し出されたアイドルノートを眉根を寄せつつパラパラと繰る。いいから、読まなくて。
良夫が「俺は働かない選択をしている。イデオロギーがあるんだ」というとイデオロギー?」と困惑。いいから聞かなくて。金貸したら、スッと去れ、スッと。

「借用書なんか取らねえ、俺の頭ん中に入ってる」って、いや、借用書は取ろう。

この時点での忠臣さんは「普通、人が何に金に使うのか」「何を考えて生きているのか」が分からない状態。さらにアイドルとの握手に十万円必要と言われて「ますます分からない・・」と馴染まぬ社会への困惑を表す、楽しいシーンなのである。

闇ド初期の楽しみ方は、平気で嘘を吐く債務者に振り回される忠臣さんを、高岡奏輔と共に「もう、しょうがないなあ」と保護者のごとく見守る、これです。だってお金なくて、中華屋の前で唾飲むシーンとかあるんだよ?

 

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良夫をタコ殴り、「昭和かよ」と呆れる高岡奏輔に「オレ流だよ」とのたまう。しかし一銭も回収できてはいない。

◇中堅時代

闇金ドッグス2』になると、事務所を借り債務者への回収態度もこなれてきて、闇金業は少しの安定を見せている。前作で債務者であった須藤司青木玄徳を雇ってバディ体制となり、ここから二人が交互に主役を務める形で「2&3」「4&5」「6&7」「8&9」が制作された。そして9を最後に止まっている。

これは司役の青木氏が現実でお起こしになった不始末のせいである。彼を「推し」とするファンの方々の間ではセンシティブな話題だろうが、まあ簡単に言えば、酔っ払って夜道で複数女性に後ろから抱きつき怪我をさせた。不起訴になったらしいが、その後の行方は知れない。そろそろ出てきて禊を済ませてはどうでしょうか。

劇中ではイケメン闇金融として女性客を掴む役だった青木氏だが、何よりカッコよかった映像が、事件後自宅から連行される際のニュース映像だった。事件を報じたYahoo!ニュースのコメント欄は「イケメンすぎる」「言えば私が抱きつかせてあげたのに」というコメントで溢れた。

                    

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同感です。

9は上映中止の憂き目を見たが、何とかDVD化だけはされ、その中で「俺、女で失敗しないんで」との青木氏の台詞がカットされなかったことに万歳三唱。

また楽しいのが、映画の向こう側に透けて見える、少々ズレた監督やプロデューサーのおっさん制作陣だ。『闇金ドッグス』にて、高岡氏に「闇金ナメるなよ」と言わせるが、自ら闇金と名乗る珍妙さ、その名称が「いち職業」として一般流通していることを前提にしている可笑しみに気付いてらっしゃらない。

また『闇金ドッグス2』ラストで、騙し取った金を「もらっちゃえばいいのに」という司に、「馬鹿野郎、俺は詐欺師じゃねえ。金貸しだ」と返す忠臣さんには、「いつの間にそんな金貸したる自負を!?」と吹き出さざるを得ない。もしこれが、馴れない世間を相手に右往左往する忠臣さんを見せるために、敢えてのズレとして描く工夫ならば、その細やかさを褒めたいところだが、恐らく高い確率で制作陣の天然ボケだと思う。

 

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山田ファンをざわつかせた、元カノみなみちゃんとのベッドシーン(事後のみ)。ベッドシーンへ転じるまでの流れも不器用なら、場末感溢れるラブホの部屋と元カノの格好にも、おじさん制作陣の苦労が見てとれる。

◇方向の転換

最初に紹介した通り、監督が1~3(正確には1ではないのだが1と呼ぶ)と4~9で異なり、これが作品のカラーに大きな違いを生んでいる。1~3は債務者の精神面の惰弱にテーマを置き、彼らの行動に振り回される主役二人を描いた。以降は実際の事件をモデルに社会問題を糾弾するものが多くなる。どちらがよいかといえば、圧倒的に1~3である。

1~3では、債務者への「うわ~、いそう!」と身悶えを伴うゾワっと感が、そのまま現実感となるが、5から先は社会問題の分かりやすい部分を摘んで強調するため、既視感のある描写が多い。それでいてベースの知識が付け焼き刃であることを隠せていない。観客側としても、わかりやすく切り取られた「底辺の人間の闇」を見せられていっぱしの「闇」を見た気になり、「こんなことを起こしてはいけない」「重くてヘコんだ」などと簡単に感じ入るのもちょっとね(ホントに知りたいなら、新聞や本を漁るべきでしょうね)。

主役の二人はあくまで、各回ピックアップされるテーマと債務者を際立たせるための存在である点が重要だ。二人が「生活」している描写はほぼなく、実際には尺の問題なのだろうが、結果的にこの生活感のなさが、彼らがただ金の回収のため動く無機質な存在であることを強調する効果になっている。だからこそ、債務者たちにはねっとりした身近な現実感が欲しい。

また何より残念なのが、作品が重なるにつれ、忠臣さんが法律なども勉強され、怖いもの知らずの経営者になってしまったこと。ペーペー期のように右往左往したり、イデオロギーってなんだと眉根を寄せるような可愛げが薄れて驚くほど万能、汗だくで走るシーンも減った。こういったことを総合して、1~3の方がわたしは好き。

やはり社会の底に位置する二人が、小悪党に翻弄され、最後は何らかの形で決着をつけて溜飲を下げる、このシリーズの魅力はこれに尽きる。

◇各回を彩る債務者たち

度々セリフがおかしかったりするのは、制作陣の天然ボケのせいだと思うのだが、一方で債務者のいやらしさはリアルで、また役者がえらく嵌っている。ボケと鋭さのマリアージュが、この作品を無視できない理由なのである。 

 

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1よりアイドルオタク良夫(古澤裕介):
出した金を引っ込めようとする忠臣さんを留めるとき「あいや、待たれよ」と急に時代がかった口調になるあたりがオタクっぽい。やたらしっかりした身体をしているので、ちゃんとした役者さんなのね。

 

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2より居酒屋の店長岡林(黒田大輔):
立場が上の者には阿るが、目下の人間に威張りちらす小市民感が非常にイヤー。行きつけのスナックのママに「本社から声掛ってるのに、現場主義に徹してるんですから~」見栄を張るのがとても気持ち悪い。

 

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3より芸能プロダクション社長沢村(津田寛治):
債務者ではないが。自分とこのタレントから大胆すぎる額のピンハネを行う。
「オッケー、グー。オッケー、グーですよ~」が口癖で一度聞くとしばらく耳から離れない。

 

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4よりAV制作会社社長(坂田聡):
手前の人。嫌らしい役をやらせたら右に出る者のない坂田聡さんが演じる。しかし会議で、新作AVのアイデアを語るシーンはやりすぎ。

 

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5より沼岸さん(菅原大吉) :
不器用さと気の利かなさが原因で職を失い、認知症の母親を抱えて困窮する。社会不適合っぷりを缶コーヒー1つで表現したのはなかなか!

 

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7より司の小学校時代の担任加藤先生(藤田記子):
誠実な教師に見えるが、小さな男の子にしか欲情しない変態おばさん。
「そうやって性的マイノリティをすぐ拒絶しますぅ」「○○な××をピーするのが最高なのよッ!」(←怖くて書けない)の台詞が強烈。

 

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8より湯澤家:
生活保護を不正受給して自堕落な生活を送る家族。贅沢といえば肉→スキヤキの描写にヒネりがなさすぎて、逆にいやらしさがない。なおインスタで8の感想書いたら、ママを演じた結城さなえさん(右)に「いいね」された。 

◇好きなシーンベスト3

<第3位>

3位は先程書いた、駐車場でアイドルオタク良夫に金を貸すシーン。 

<第2位>

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闇金ドッグス4』にて、AV会社社長坂田さんが300万貸してくれと土下座するシーン。担保はあるのか?と訊かれて「ありますとも!俺の、三つの『気』です!本気、やる気、勃起!と叫び、二人の冷たい反応を喰らう。言うと思ったけど名シーン。 

 

<第1位>

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闇金ドッグス2』にて、居酒屋店長岡林にトバれてブチキレるシーン。事務所の鏡を拳で割ってから岡林のアパートに走るも捕まらず、怒ってポスト殴打。イライラ貧乏揺すりしながら煙草を取り出す。やーん、タバコの銘柄、セッターなんだー❤︎

ようやく岡林を確保し、スナックのママに頼まれて保険に入ったんですーという馬鹿な岡林をビルの屋上にてシバく。「電話切れよ。うるせぇよ!」の言い方が好きすぎる。 

 

はい。あざしたー。

 

疲れてきたので最後は、血迷った制作陣がキングスマン ゴールデン・サークル』のポスターをパクッた闇金ドッグス9』の画像でお別れです。

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結果、まったく冷静に斬ることができませんでしたが、なんとなく魅力は伝わったでしょうか。

た『闇金ドッグス10』公開時にお会いしましょう!


引用:
(C)2015「闇金ドッグス」製作委員会/(C)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会/(C)2016「闇金ドッグス4&5」製作委員会/(C)2017「闇金ドッグス6&7」製作委員会/(C)2018「闇金ドッグス8&9」製作委員会

『殺されたミンジュ』

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監督:キム・ギドク キャスト:マ・ドンソク、キム・ヨンミン/2014年

毎日寒いですね。朝、電車に乗るまで手袋をしていますが、黒っぽい皮の手袋なんです。インディ・ジョーンズ 最後の聖戦でマイケル・バーン演じるナチのヴォーゲル大佐が嵌めていた手袋を思い出します。

ヴォーゲルがパパジョーンズことショーン・コネリーのほっぺたを、外した手袋で叩きながら「手帳には(パシッ)、なにが(パシッ)、書いてあるんだ(パシッ)」とヤな感じに尋問するシーンがあって、パパジョーンズが何度目かで手首をつかみ、「お前らみたいな低能は、本を焼かずに読めと書いてあるんだよ」っていうんだけど、ここが好きで。

こういう手袋持ってたら再現したくなります。それでたまに夫の顔を手袋で叩いて「さあ、ほら、パパジョーンズのセリフ!」というんですが、ちょ、いてッ、知らねえし。あほか!」と言われるだけでつまらない。

しかし本日は、インディではなく『殺されたミンジュ』です。初、韓国映画

 

◇あらすじ

ある晩、ソウル市内の市場で女子高生ミンジュが屈強な男たちに殺害された。しかし事件は誰にも知られないまま闇に葬り去られてしまう。それから1年後、事件に関わった7人の容疑者のうちの1人が、謎の武装集団に拉致される。(映画.com)

キム・ギドク監督作品で最近続いている、社会問題へ警鐘を鳴らすタイプの、しかも観念的な映画。

女子高生殺害の実行犯達は上層部の「命令」に従っただけで、少女が殺されねばならなかった理由を誰一人知らず、観客に対しても彼らが属する組織や立場は説明されない。ただ、労働者階級に対して上流階級に属し、搾取を行う側の人間達であることだけが示唆される。

ある時から、少女の殺害実行犯が一人ずつ、謎の集団に拉致され拷問を受ける。当初この集団は、正義に基づき悪に制裁を加える組織のように見えるのだが、実は搾取される者の寄せ集めであることが描かれていく。ミンジュの近親者であるらしいリーダーのみ使命感を持ち、それ以外のメンバーは金を受け取って拷問に参加し、憂さを晴らしているだけだ。

そのため、私刑組織がミンジュ殺害の実行犯を傷めつける流れは「ゲーム」感覚が強い。都度、服装や場所のシチュエーションが異なり、拷問もターゲットごとに手を変え品を変える。面白いのは「楽屋」があることで、彼らは一仕事を終えると、衣装や偽の武器、ライトのついた鏡が揃う楽屋へと引き上げて着替え、何を食おうかとか次は誰だなどを暢気に話し合う。その後、リーダーが車で一人ずつ自宅へ送り届ける様子は、さながら小劇団が今日の演目を終えて解散するかのよう、誰一人これを使命などとは思っていない。

本作のポスターや最初の拉致シーンでは、軍のヘルメットのシルエットが不気味でカッコよく、苛烈な報復の展開になることを予感させるのだが、金や憂さ晴らしのためにゲームに参加している面々の様子と「楽屋」のシーンを経て、この映画が復讐劇ではないことがわかってくる。

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 (C)2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

 

リーダーを演じたのはマ・ドンソク兄貴!好きです新感染 ファイナル・エクスプレスで単細胞だが心優しい筋肉マンを演じて以来、私の中では兄貴なのだが、えっと、ちょっと待って下さい、年下だったらどうしよう・・・ごそごそ。

大分 年上でした!  

 
◇茶番劇

社会的な地位の低い私刑集団のメンバーは、実は進んで搾取される道を選んでいる。
客から蔑まれる日々に抑圧されているカフェバーの店員、知り合いに金をだまし取られ廃墟に住みつく男、借金のある男、アメリカに留学したものの職がなく兄夫婦宅で厄介者となっている青年。象徴的なのが、紅一点のアン・ジヘが情夫に暴力を受けながら、金とセックスに流されてしまうシーンだ。彼女は「よいときもある」と現実から逃げ、不毛な関係を清算しようとしないし、ドンソク兄貴の過熱する暴力を非難しながらも、抜けることはしない。 

上記の加害者、つまり情夫や借金取りや兄すべてを、同じキム・ヨンミンが演じた。ミンジュ殺害犯側で拷問される「一番目の男」も演じているので、ここでいう加害者としては一人七役といったところか。メンバー各々の苦境が描かれるが、その度にキム・ヨンミンが服装や髪形を変えては加害者に扮し、ついには、顔に大きなホクロをつけて登場。

ホクロといえば芝居の小道具、しかも一人七役。それこそ寸劇を見ている感覚に陥り、「搾取される側」の人々にとって、芝居はゲームから現実に戻っても続いていると皮肉るかのようだ。搾取する側は顔のない権力のために動いているが、される側はされる側で、己の不遇を他者のせいにして茶番を演じている。

話は脱線するが、以前、束縛体質のどうしようもない彼氏と同棲している知り合いがいたんだ。折に付け愚痴られるんで「あんた次第でどうにもなるんやで?」と言ったら、「正論だけど冷たい」と言う。私は「わかってるんだけどどうしようもないの」みたいな弱い人に冷たいらしい。

後日彼女は、別の男を見つけるやいなや、その男に手伝わせて彼氏不在の間に自分の荷物を全て撤収、夜逃げ作戦を敢行。しかも近所に不審に思われないよう、新彼を引越し屋に化けさせたという。強いじゃん。

一方、ドンソク兄貴は弱者に優しい。借金取りに追われる男が「俺が無能なんだ」というのに対し、兄貴は「いや、世の中のシステムが悪い」と返す。彼はこの時点では本気でそう信じている。

しかし、怒りのあまり拷問をエスカレートさせる兄貴と、躊躇し始めるメンバー達の間には徐々に亀裂が生じる。ついに殺人事件の首謀者を手中にしたときに、亀裂は決定的なものになる。兄貴は弱者のためを思って動いてきたが、強者と弱者は互いを必要とし作用しあっているのだと気付く。

 

◇システムへの警鐘

結局のところ、ミンジュの素性も、彼女とドンソク兄貴の関係も一切明かされない。それらは象徴的な事柄でしかないからだ。重要なのは、ミンジュを殺した犯人たち自身が殺した理由を知らないことの馬鹿馬鹿しさ、私刑集団の面々の意志のなさ。また、互いに組織に属しながら、「顔」=「意志」を持つのはドンソク兄貴と敵としてのキム・ヨンミンだけという事実だ。キム・ヨンミンの「一番目の男」は、最終的にシステムに組み込まれていた自分を嫌悪し、命令を下した組織上層部の人間を殺して内側からシステムを喰い破る役も担っている。

この映画は韓国で民主主義が死んでいることに対する警鐘だ、と監督自身が語っている。世界でも有数の自殺大国であることに言及し、社会的な格差や貧富に関係なく、精神的に抑圧された人々が多いことが現代韓国の問題だという。
作った本人がそう言ってるので間違いないんだろうが、個人的には、システムの中で「与えられる立場」に甘んじていた人々の描写から、民主主義を殺すのは意志なきものだという皮肉を感じ、それが印象的だった。

ちなみに撮影も監督が行っており、どうやら未熟な部分が目立つらしいが、私にはわかりませんでした。

韓国の映画には、自社会に内省を求めるものが多く、ギドク監督『嘆きのピエタは金貸しを通しての貧困問題がテーマだった(らしい)。私はこの映画に関しては、主人公が超ツボで萌え通しだったのと、爆笑ラストのせいで、貧困問題はそっちのけになってしまったけれど。

資本主義への批判では、ポン・ジュノ『オクジャ』が捻りがある上にスマートだったなあと思う。資本主義など知らない少女が、システムに逆らうのではなく、システムの中で資本主義的解決を見せたのがすごいなと。

逆らうことにかけては専門職の国において、そんな映画を作ることがポンちゃんのすごさだというのか。

強引にまとめますが、韓国って国はすぐ権利盗んだり、すぐ飛び蹴りしやがったり捏造したりサルの真似したり(主にサッカーにて)、かと思うと猛烈に内省してみせたり、ワケの分からん国だが、そのせいなのか映画はめっちゃ面白いなと思うわけです。

ギドク監督には、『魚と寝る女』みたいに、ぬるっとした作品もまた撮って欲しい。

『駆込み女と駆出し男』

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監督&脚本:原田眞人 キャスト:大泉洋戸田恵梨香満島ひかり/2015年

以前通っていた着付け教室のメンバーと仲良くしていますが、着物なんか着ようとする人ってやっぱり酔狂で変わってますよね。ケイちゃんという人がいます。酸いも甘いも噛み分けた感じのオモロい人で、動じないキレない、基本酔っ払いだけどとにかく人に優しい。詳しいことは知らんのですが、本業を持ちつつセミプロの歌手らしく、度々どっかでライブをやっているらしい。

先日「2/9に私の生誕祭をやるから来て」と言われて、どこかの店でわいわいやる感じらしいので「ちょっと顔出そうかな」ってことだったんです、はじめは。しかし、日が近づくにつれ、「ちょっと歌うことになった」「何かドリームバンドが集まった」となり、ついに「完全ライブになりました、遅刻厳禁!」と告知がありました。

先程「席あるんだっけ?」とうっかり訊いたら、「だーかーらー、椅子なんかないよ。三十人くらいの三時間立ちっぱなしライブだって言ってるでしょ!」と怒られました。

どんな、誕生会なのでしょうか・・・コワイ。

そんなわけで、明日は立ちっぱなしの私がお送りする、日本史のおべんきょうができるかもしれない映画感想となります。しかし、この映画のポスターと題名ね。コメディかと思うよね。コメディじゃないんですよ。

 

◇あらすじ

舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。(映画.com)

時は1841年、天保十二年。
天保と聞けば日本史好きな人ならば、天保の改革、老中水野、倹約令などが頭に浮かぶだろう。さらに倹約令により弾圧された当時の風俗や文化、具体的な著名人の名前が思い浮かべばなお良し、逆に時代の見当がつかない観客は、始まりから戸惑うこともあるかもしれない。

何らかの罪により、市中を引き回される女たち。「おんなぎだゆう」の単語が聞き取れるが、漢字が思い浮かばないと彼女達が縛されている理由を察するのは難しい。
続けて、堤真一演じる堀切屋が、男たちを贅沢にもてなす座敷の場面。ある男に「しゅんすいさん」と呼びかける通り、座敷の一人は春色梅児誉美を代表作とした戯作者の為永春水だ。江戸後期を代表する文化人で、人情本と呼ばれる主に男女の色恋話を描き人気を博したが、内容が淫らであるとの理由でお咎めを受け、そのときの刑が原因で死んだ。

また「ほうかん」という言葉も出るが、これは「幇間」で所謂たいこもち、酒席などで芸者・舞妓を助けて場を盛り上げ、客の機嫌取りをする役割の男たちのこと。堀切屋らを監視する男は鳥居耀蔵で、老中水野忠邦の右腕として苛烈な質素倹約を庶民に強いた。

これだけの情報が、最初10分に詰まっているから堪らない。簡単に言うと、上から贅沢禁止令が出て、ちょっとエロい本や芝居、落語などの娯楽、絹の着物など華美な装いが禁止された。大泉洋演じる信次郎の「楽しいことは全部悪いことかよ!」の叫びが、庶民の叫びと思えばいい。

それにしても、堤真一の滑舌には問題があるよね・・・。クライマーズ・ハイでも、新聞社内の激論は聞き取りづらかった。しかしあの映画で、墜落原因について探る堺雅人が「隔壁ですね?」とカマかけるシーンはすごくカッコよかった。

あ、脱線した。

為永春水だけでなく、人々の雑談の中には、浮世絵師であり戯作者であった山東京伝の名も挙がる。雑談の場である特徴的な形の大衆浴場は、式亭三馬浮世風呂への目配せだろう。そういう情報をキャッチするたび、日本史好きとしてはアガる。

特に『八犬伝』の作者曲亭馬琴は、劇中で当時の文化人代表と位置付けられ、信次郎にも色々な意味で特別な存在となる。『八犬伝』は、犬の生まれ変わり的八人の青年が、腐敗したご政道を正すために戦う長編の読み本で、八人のキャラにイケメン、力持ち、女装青年、ショタなど各種メンズを揃えた萌え本。最後は失明した馬琴が、息子の嫁に口述筆記させ、二十八年をかけて完成させたライフワークだった。ちなみにわたしも八犬伝が大好きで。。。あ、また脱線するぅ。

とにかく、庶民の愛する風俗や表現がお上により弾圧された時代だった。進退窮まった女たちを描く舞台に、この時代を選んだことは良いアイディアではないでしょうか。監督は、江戸庶民の生活を撮り続けた溝口健二に影響を受けていると語っており、当時の町人言葉や人々が口ずさんでいた歌を取り入れることに拘った。特に言葉への拘りは、御用宿の利平が「素晴らしい」を「すぼらし」(みすぼらしい)と勘違いした際、信次郎がそれを正して「素敵」という言葉を教える場面などに顕著だし、早口の長台詞や川柳などもバンバンと放り込まれる。

 

◇言葉強い

「言葉にこだわった映画」とはおかしな言い方で、映画は言うまでもなく映像で表現を為すメディアだ。小説こそが、この物語の本当の舞台だろう。言葉での情報が過多であるとの指摘、「早口で何言っているかわからん」との不満もあるだろうが、監督の、そういった批判は織り込み済みの挑戦である点を強調しておく。会話の詳細が分からずとも、当時の庶民の息遣いを感じてほしいとのメッセージを大事にしたい。

また、「聞いたことない言葉が多い」の不満は、単なる知識の問題で、低評価の理由として堂々と挙げるものではないと思う。時代劇好きな私としては、当時の人名や言葉を、よくぞ大衆に阿らずにぶちこんでくれたと感心した。

なお、ストーリーは、信次郎が戯作修行のために事情を抱えた女達を「人見」し、それぞれの人生に立ち会うものだし、テンポのよい場面も多く、物語として十二分に楽しめるようにできている。

御用宿で繰り広げられる信次郎と女衒の三八親分の口喧嘩は大きな見せ場の一つ。信次郎が、東慶寺とはどんな寺かを口八丁で親分に説き、追い返そうとする。曰く「東慶寺は権現様(徳川家康)お声がかりの寺ですよ」。

東慶寺千姫所縁の寺であり、千姫の養女天秀尼が住持となった際に、家康から寺法に対するお墨つきを得たという伝承に触れた台詞だ。また信次郎は、会津藩堀主水一族のエピソードを持ち出すが、これは簡単に言えば、会津のお殿様が、部下の主水に諌められたのに激怒して主水らを誅殺。妻子らは東慶寺に逃げ込み、殿様は東慶寺側に女達を差し出せと迫ったが、天秀尼は断固として応じず逆に殿様を失脚させた話を指している。なんかこういう漫画あったでしょ、柳生十兵衛が堀の女たちを鍛えて殿様に復讐する・・・ってちょっとエロい時代劇漫画。

ここでの、大泉洋さんも苦労したであろう長口上の台詞は、東慶寺がおいそれとは踏み込めない場所であることを、観客および三八親分に知らしめるわけである。

堂々と「かいえき」などと言わせるあたり(改易)、観客に対する配慮は相変わらず見えず、そこが気持ち良くて、もっとやれーと煽りたくなるが、「言ってることはよくわからんかったけど、とにかく信次郎が口だけでヤクザ者を追い払ったのね」との目線でも十分楽しむことができる。ひとえに大泉洋と三八親分のキャラクターとパフォーマンスのおかげである。

だからアレコレ言ったけど、別に日本史知らなくても楽しめるの、わかった?

 

一方で、映像の美しさを楽しむのもよいと思う。東慶寺の厳かさ、四季の移り変わり、駆け込んだものの何の未来も約束されない女たちの物悲しさ、それを視覚で伝える黒の衣。一転して初夏の爽やかな浴衣、衣替えに華やぐ女たちのひそやかな笑いが少しずつ傷の癒えるさまを鮮やかに映している。

さらに女達のエピソードに合うよう、映像的な工夫が為されているのも良いのである。
寺中において妊娠疑惑の生じたおゆきの「大審問」では、庭を挟んで見守る女達をパノラマのように広く映した画が芝居の舞台を思わせ、「大審問」の名に相応しい。また、足抜けした花魁のおせんが姉と再会するシーンは、抱き合う姉妹の体温が感じられるように雪の舞台とし、家族に降りかかる雪を美しく映す。死を間近にした満島ひかりがお山を下りるシーンでは、女達の夏の涼しげな着物が、まるで弔い装束のように目を打つ。


◇キャスト強い

これだけ揃えればそりゃあね、とオマケはついてしまうが、やはり役者が強烈だった。狂言回しの信次郎は、大泉洋は演技する必要がなかったのではと考えたくなるほど、そのまんま大泉洋だった。満島ひかり演じたお吟の婀娜っぽさは説明不要。また、お吟が今生の別れに、戸田恵梨香演じる”じょご”に贈る「べったべった、だんだん」は、渾身の「べったべった、だんだん」だった・・・。意味不明だろうから、観て下さい。東慶寺に駆け込んだ理由が一番ドラマティックだし、愛しい堀切屋に見送られながら事切れるのも良いのである。

また、戸田恵梨香が良かったと思う。つまらないドラマや映画で人形みたいな役しか見たことがなくて特徴のない顔の印象だったが、今回のじょごはなんとも愛らしい。満島ひかりの強烈な存在感を影として陽の部分を担い、過去を脱ぎ捨てて未来に向かう女性を凛々しく演じていた。

そのまんま大泉洋、怪物樹木希林キムラ緑子、神野三鈴など癖ある個性派ばかりの中で、法秀尼を演じた陽月華さんがおもしろかった。周囲が強いので、芝居はたどたどしく映るのだが、人を疑うことを知らないお嬢様である法秀尼に、そのたどたどしさが無垢さとしてハマる。他の尼を黙らせるときの「もうよい!」のアクションや「法秀が良いと申しました」の高慢な物言いが大変可愛らしい。

日本映画にも、こんないい作品がある。粋、人情、美は、まだ日本映画の得意分野のはずなのだ。頑張ってほしいものです。

 

あと、オープニングが大変よろしいです。信次郎を追う役人の呼子の音に、朗々とした独唱が重なる。これは、やはり『浮世風呂』に出てくる海老屋甚句という歌らしく、当時の舟乗りたちはみな舟を漕ぎながら口ずさんだそうだ。歌詞のように、荷を積んだ子舟が堀切屋の裏手につくところから物語は始まる。その流れが「素敵」だった。

『ディスコード』

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監督:ニコラス・マッカーシー キャスト:ケイティ・ロッツ、ヘイリー・ハドソン/2012年

こんにちは。先日華麗にゲレンデデビューを飾ったやなぎやです。当日初心者向けのスキースクールに友達と入って、「コーチ、イケメンかな?」「ゲレンデが溶けるほど恋しちゃったらどーする、うふ」なんつってたら、コーチが全員オヤジで涙が出るほど悔しかった。 

そのとき友達に勧められたどろろの新アニメから、「女王蜂」というバンドに嵌りました。一通り聴くうち、ちょっと涙が出てしまいました。私は訳もわからず涙が流れるタイプではなくて、音楽を聴いて泣いたのは中島みゆき以来です。

強烈なビジュアルインパクト、ルールも方向もないメッチャクチャな音楽性、パフォーマンスもMVなどのアートディレクションも秀逸。どちらかの性に属するなどナンセンスと言わんばかりに使い分けられるものすごい高音と低音のコントラストが衝撃。

夫も一緒にハマってしまい、やたらインタビュー記事を漁っていますが、40過ぎのサラリーマンが「アヴちゃん」ヴォーカルの方)と普通に呼んでるのがちょっとおかしい。記事を読んだ夫が「表現が生きる意味になっていてその中で苦悶葛藤して成長して、って羨ましいな」と言っていて、表現で身を立てることを夢みて叶わなかった人の感想だなあって切なくなりました。大丈夫大丈夫、こういったいわゆる一般受けしない要素で構成されたものを、他人が作った価値観でフィルターに掛けずキャッチできるその感覚が、あなたはそこらのリーマンと違うから、と心の中で言ってあげました。二浪して美大行った意味あったよと。

奇しくもGさんが、娘さんの進路の岐路に立ち、芸術を学んだ人間が表現で身を立てることの難しさを、夜も眠れず考えているようなので、くしくもですなあ。ん、Gさん、夜はガアガア寝てそうだなあ。

というわけで、低予算ホラー代表『ディスコード』の感想です。ネタバレだよ。

 

◇あらすじ

ニコールとアニー姉妹の母親が亡くなる。姉妹は幼い頃、母に度を越した躾を受けており、それが原因で成長して以降は生家に寄りついていなかった。葬儀の準備のため実家に帰った姉ニコールが忽然と姿を消してしまう。仕方なく実家に戻ったアニーだったが、今度は共に家に泊まっていた従妹が消える。

ホラーが大好きだが、ちょっとやそっとでは怖いと思わなくなってしまった。ホラーに慣れた人が、映画を観て怖いと感じるには多分「ツボ」が必要で。私の場合「家」「土地」にまつわる系が怖い。人の居つかない土地。なぜか頻繁に建て替えられる家、増築されすぎて見取り図が存在しない家。あるはずのない場所に部屋があり、その家で人が消える・・・とかね。

この映画も、主人公の生家で人が連続して消えるところから始まる。冒頭、失踪前の姉ニコールが娘とチャットしながら家の中を歩き回るシーンがあり、それで一通り家の間取りが分かるのだが、全体的に画面が暗く、位置関係を把握するのにちょっと苦労した。古ぼけた壁が意味ありげに映され、壁で隠されているもの、壁の向こうから観察している何かを意識させ、観ている側の不安感と恐怖心を掻きたてる。実際に、壁紙を破るとそこに塗り込められた隠し部屋が現れるシーンでは、映像の表現が上手いこともあってゾクゾクとする。

大きなバイクを乗り回す主人公のアニーは、見た目通り愛想も口数も少ない。母親の仕打ちにトラウマがあり、現在も人生があまりうまくいっていない。アニーは、姉の娘の面倒を見ながら失踪した二人を探すが、家の中で次々と恐ろしい現象に見舞われることになる。責任感が強いアニーに好感を抱き俄然応援する気持ちになるが、霊現象に音を上げたアニーが助けを求める相手、霊能力少女スティーヴィーがまた振るっている。

恐らくこの世のものでないものを見続けたために視力がなく、そのビジュアルも不気味なら言動も浮世離れしている。スティーヴィーがアニー宅を訪れ、突然見えない力に引き摺られて、JudasJudas!」と狂ったように叫ぶシーンが実に怖い。

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 (映画配給会社クロックワークス on Twitter)

 

なお、同じものを観て怖がらないどころか「ルンバ」と笑う人もおりますので、気になる人は「シネマ一刀両断」 へどうぞ。

以下は本格的なネタバレです。

個人的に一番の恐怖ポイントは、隠し部屋でアニーが霊との交信を試みた際、即席のウィジャボードが描く「B E L O W」の文字である。「下」と霊が示した瞬間、ベッドが突然動き、床板が外れてぬるりと人影が現れる。

そう、この家の地下にはずっと昔から、殺人鬼「ジューダス」が匿われていた。

アニーを悩ませた霊は、それを伝えようとしていたのだ。ジューダスは隠し部屋から這い出て行き、家の中で自由に振舞う。それを壁のあちこちに開けられた穴から、息を殺して覗くアニー。ある穴から見たときは冷蔵庫を漁っていたジューダスは、いつの間にか移動して消え、慌てて別の穴から見ると今度は寝室のベッドに腰掛け頭を抱えてユラユラしている。再び見るとベッドから消えている。

このアニー視点からの、ジューダス瞬間移動がとても怖い。

隠し部屋を覆う壁は、ジューダスにとって身を潜め家族を観察するためのシェルターだったが、現在のアニーにとっては危険な相手の位置特定を阻む遮蔽物なのだ。そして薄い壁一枚を隔てて、アニーとジューダスが至近距離で対峙する。

うわあああ!!KOEEEEE!

再度申し上げますが、同じ映画を観て全く怖がらず「冬にアイス食べて寒くないのん?」などと言っている人もいますので、気になる人は「シネマ一刀両断」 へどうぞ。

さて、あちこちのレビューで指摘されている通り、ストーリー上の説明が不足しているのだが、個人的には、示された手がかりから十分想像で補えるレベルだと思っている。

 

◇なぜママは姉妹に度を超す躾をしていたのか?

姉妹は何かにつけ仕置き部屋に閉じ込められていたが、これはもちろんママの兄で殺人鬼「ジューダス」が隠し部屋から出たとき、子供たちに接触させないためだろう。姉妹がドアを開けないよう、躾と称して縛ったりしたのかもしれない。結果、姉妹にとっては、母親は病的に厳しい人物と印象付けられてしまった。また、これも各所で触れられている通り、地下に他人が潜み時に上階に上がってくるのに姉妹が気付かないのは不自然との指摘は真っ当だが、まあ、姉妹の記憶に刻まれた「ママの折檻」を度々強調しているのは、その点の辻褄を合せるための苦肉の策だったのだろうと思う。

 

オッドアイの意味は?

ラストで、アニーの目がアップで映されるが、ジューダスと同じオッドアイであることから、二人が親子であることは明白。最後の被害者ジェニファー・グリックはママと同時期に妊娠しており、それを示す写真が意図的に隠されていたこと、写真のジェニファーが下げていた十字架のネックレスを現在はアニーが着けている事実が、アニーがジェニファーとジューダスの子供であることを示唆している。というより、それ以外に解釈のしようがない。オッドアイをキーに、アニーはママと兄ジューダスとの近親相姦の結果の子供であると解釈するレビューを見かけたが、そんなことを示す材料はない。

ジューダスは自分の子を産んだジェニファーすら毒牙にかけ、ママがアニーを自分の子供として育てたと解釈するのが妥当だろう。ただ、この辺りは確かに不透明すぎる。何らかの形で、ジューダスとママとジェニファーとの関係性ママがなぜ、彼らの子供を引き取り、子供達に犠牲を強いてまで殺人鬼の兄を匿ったのかの理由が説明されれば良かったのではないかと思う。

 

霊現象がメインと思っていたら、実際の敵は生きてる人間だった!と斬新な展開が楽しかった。霊現象×ミステリーという、一粒で二度おいしい映画。おススメです。

『誘拐の掟』

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監督:スコット・フランク キャスト:リーアム・ニーソン、ダン・スティーブンス、ボイド・ホルブルック/2014年

 

わたし明日、軽井沢にスキーに行きます。オサレな響きですが、ほぼほぼ初スキーで、リエコ家族の車で私だけ連れていってもらうんです。どんな服装したらいいのか、ゲレンデに出るとき財布はどうするのん?とかイチから分からないから、手取り足取りしてもらいます。靴下までリエコに借ります。

今日になって、会社の素敵な主婦パートさんらに訊いたら、「早く言えば色々貸したのに」「なんで前日になっていうの」と昔親に散々言われたようなことを言われました。

そんなわけで、全然関係のない映画の話に移ります。

リーアム・ニーソンといえば、ド名作シンドラーのリストマイケル・コリンズなどのイメージが強く、ザ・社会派の位置付けと認識していました。しかし目を離した隙に、すっかりアクション映画御用達俳優となっていたからびっくり。しかも誘拐に巻き込まれることが多い。なお、私は『96時間』は終始無表情で鑑賞した派です。本作も『誘拐の掟』とのことで、あなたどこまで誘拐撲滅を続けるのッ、とダラダラ寝っ転がりながら鑑賞したところ、思った以上に面白くてすみませんでした。以下ネタバレです。

 

◇あらすじ

ある事件が原因で刑事を引退したマット・スカダーは、アルコール依存症を克服しつつ私立探偵として生計を立てていた。ある日、集団カウンセリングのメンバーであるヤク中の青年ピーターから、弟ケニーを助けてやってほしいと相談を受ける。

過去に傷を持つ人間は、物静かで且つ他人に寛容であるという見本のようなスカダー。リーアム・ニーソンの渋い外見がキャラクターとよく合う。リーアム・ニーソンと言えば、父親にしたい俳優十位には絶対に入る俳優だよね。ちょっと私の年齢で「父親にしたい」に挙げるのは失礼かもですが、まあ一般論ってことで。

スカダーは、ピーターの依頼を一度は断るものの、断り切れずにケニーの家を訪れる。頼まれて足を運んだというのに、ケニーは根掘り葉掘りスカダーの素性を探るばかり。だがスカダーが「じゃ、帰るわ」と立ち去りかけると、「妻が誘拐されて身代金を払ったのに殺された」と激白する。年齢にそぐわぬ豪邸から、彼がドラッグビジネスに関わっていることを悟ったスカダーは破格の謝礼を断ってケニー宅を辞す。だが後日アパートに帰宅すると、部屋の前にケニーが座り込んでいて、妻がどのように無残な殺され方をしたかを打ち明ける。

うん、最初に全部言って欲しかった。そんなひどいことされたなんて知らなかったん。それにしても、初対面の態度はツンツンしていた癖に、俯いて部屋の前で待ち伏せるとか。スカダーも絆されて依頼を引き受けるとか。

お互いツンデレ元荒くれ刑事とヤクのディーラーのツンデレ

しかもこの二人、終盤には割と良きコンビとして行動するんだ。
スカダーは、正義感と常に抱く贖罪の気持ちから、依頼を受けて捜査を行うが、そんな中ある十四歳の少女が、同じ犯人に誘拐される。

 

◇良い点。

シリアルキラーが二人組なのがもの珍しく、二人はなぜか的確にドラッグ犯罪に関わる人間を把握していて、その近親者を誘拐のターゲットとしている。警察を頼れない被害者側は金を支払わざるを得ない、とこのシチュエーションが面白い。犯人たちが何故ターゲットの情報を知っているのか、これはスカダーが他の被害者を調べる中で判明していく。長々したアクションやカーチェイスがなく、苦い過去を持つ元刑事が寡黙に調査を進める様や、全体に漂う物悲しい空気感に好感が持てる。

事件に関与した墓場の管理人が、犯人たちの手がかりを言い残して屋上から飛び降りてしまうシーン。「餌をやっていいか?」と鳩に最後の食事を与えてから、そのまま歩くように宙に踏み出すのだが、男の唐突で淡々とした人生の終わらせ方が、事件の不気味さを予感させる。

また、女性が凌辱される一部始終を映さず、光る禍々しい凶器や被害者の見開かれた目など一部分を強調することで、被害者の恐怖と犯人の卑劣さを効果的に伝える。序盤、ケニーが妻を発見する場面では、車のトランクを開くと、小分けされたビニールの包みがぎっしり詰められている。彼が扱う麻薬よろしく遺体を演出してみせた犯人の悪趣味に、背筋がぞわりとなる画だ。犯人役のキャラクターがしっかり立っている点も大きく、特に主犯のレイは全身から厭らしさが漂っていて良い。

リーアム以外の役者たちも印象的だ。誘拐されるルシアは、美貌ながらあどけなさも湛えた少女。犯人たちが彼女に心奪われる瞬間の表情はスローモーションで映され、まさに監督自身がこの美しい少女に目をつけた時の心情を見せられる気分だ。赤いフードコートは赤ずきんちゃんを連想させ、「オオカミはお前だー」と監督に突っ込みたい。このルシアちゃんことダニエル・ローズ・ラッセルは、ワンダー 君は太陽で最近見たが、よい感じに美しく成長しておりました。

f:id:yanagiyashujin:20190125155355j:plain(C)2014 TOMBSTONES MOVIE HOLDINGS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 

また、ケニーのダメ兄ピーター氏に注目したい。『ナルコス』ではDEA捜査官マーフィであったボイド・ホルブルックが演じるが、この人、何か素でヤク中っぽいでしょう。犯人たちと対峙する際、狙撃の腕を期待されライフルを託されたにも関わらず役に立たないのには笑ったが、すぐにそのツケを払うことになる。笑ってごめんネ。息を引き取るとき、「I loved...」と言いかけるピーターに、ケニーが「俺もだ」と返すのが切ない。ピーターはおそらく「キャリー」(ケニーの殺された妻)と続けたく、死ぬ前に自分の裏切りを弟に詫びたかったのだが叶わなかった。

乾いた空気に潤いをもたらすのが、テクノロジーを駆使しスカダーの捜査を助けるホームレスの少年TJ(しかし実際はほぼテクロノジーは駆使しない)。育ちが悪く口も悪い。ダイナーで「ソーダでもどう、ハニー?」と優しく訊くウェイトレスに、「俺を無精子症にする気か?いらねえよ、ネェちゃん」と返す態度がお気に入りです。TJの、「雨の音が好きでそんな日は図書館に来る」という台詞の通り、スカダーが彼に出会う図書館でまず意識に入ってくるのは、窓を叩く雨の静かな音、密やかな人々の話声などだ。ハードボイルドの空気の中に、フッと肩の力を抜く柔らかな音や画が差し込まれたり、癒しの象徴が口の悪いTJであるのも何とも良い。

 

◇良くない点。

ただ、欠点も多い。おそらく原作では説明されていることをカットしているので想像で補填するしかない箇所が多く、さらに補填しきれないのが苦しいところ。
犯人たちの正体については、「ヤク中、売人に異様に執着がある」以外は判明せずに終わる。その中途半端な情報が浮いているのみで人物像は謎のままだ。シリアルキラーが他の人間と行動を共にするのがレアなら、ターゲットの年齢層が成年から少女までという守備範囲の広さも特徴的。最後に突然仲間割れすることも含めて、二人のバックグラウンドをばっさり省いたのは、大胆というより乱暴だろう。

また、DEA(麻薬取締局)が無能すぎる。彼らはスカダーを尾行しているが、これはスカダーがDEAのマーク対象であるケニーと接触していたためで殺人事件とは無関係だという。だが一方で、彼らの言わば身内の女性捜査官もシリアルキラーたちの餌食になっており、それを知らず興味もないとは不自然だ。DEAの箇所はストーリー上必要というより、実はケニーの妻キャリーとピーターがDEAの協力者であったことをスカダーに知らせる目的で挿入されているため(多分)、DEA側を掘り下げるまでに至らず間抜けに描かれる結果となってしまった。

最も突っ込みたいのは、依頼を引き受けたスカダーの、初動捜査の手段だ。聞き込みを経て、どうやら他にも被害者がいると踏んだスカダーは図書館で新聞を調べるのだが、ドラッグディーラーの妻が殺されたなら、まずはビジネス絡みの関係者から探りを入れるのが定石だろう。あるいは元刑事のアドバンテージを活かして昔のコネを使うなり、警察側から情報を入手するのが効率的でないのか?私ならそうします。
だが、スカダーが目をつけたのはドラッグディーラーというブランドでなくバラバラ殺人という数多転がっていそうなキーワードだった。偶然出会ったTJは、ちょこちょこ検索しただけで手がかりを得、数ある殺人の中からどのような方法で同一犯による事件を特定したのかは全くの謎。というように、あるべき着地点から逆走して作られた設定に、少々無理を感じるのが残念な点だ。

 

◇カッコいい交渉場面

欠点を差し引いても、スカダーの渋い立ち姿や締まりのある演出が緊迫感をもたらし、上質なハードボイルドサスペンスになっていると思う。
特に見せ場となるのが、ルシア誘拐後、スカダーが犯人たちに電話で交渉する場面だ。個人的に、誘拐を扱った作品では、犯人からの電話を待つ時間が退屈で苦手である。待機している刑事が家族に促すまで電話の音が鳴り続けるのがストレスだし、家族の狼狽えた対応も同じなら、一度で話がつくことはまずなく再び電話を待つことになる。コレを観続けるのが面倒くさい。

その点、この映画では、いきなりスカダーが父親から受話器を取り上げ、犯人に「少女を傷つければ金は払わない」と宣戦布告する勝負の展開となる。

ルールを相手に提示することで、スカダーは自らこの事件の当事者となる。ケニーらから見ればとんだお人好しのヒーローだろうが、スカダーはスカダーで、過去に犯した罪を贖うため、自分のポリシーに従って行動しているに過ぎない。
スカダーは、犯人との何度かの電話で、ここまでの調査で入手したカードを一枚ずつ切りながら心理的な主導権を握っていく。駆け引きの緊迫感はもちろん、スカダーの淡々とした凄みを楽しめる。

 

雨の週末にでも、だらっとお酒を飲みながら鑑賞するのをお勧めしたい作品。今週末も、雨は降らなそうだけどー。

『ピース オブ ケイク』

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監督:田口トモロヲ キャスト:多部未華子綾野剛/2015

インフルエンザでひどい目に遭いました。ひどい目に遭っているのに、私のブログに対して、弟から、そしてブログタイトルをネーミングしてくれたN氏から「もっとメジャーな映画を書いたら?」と同じことを言われました。メジャーな映画って、何かね?

ラインナップがおっさんくさいとも言われるし、松坂桃尻の流れから友人リエコに観るように言われたこともあり、『ピース オブ ケイク』というキュートでオシャレそうな映画を鑑賞。リエコさんは綾野剛も好きで、あのルパン三世すら観ているファンの鑑なんやで・・・。松坂桃李にも綾野剛にも、取り急ぎキュンキュンしないが、まあいいや、とにかく私をキュンキュンさせて!

 

◇あらすじ 

仕事も恋愛も周囲に流されるまま生きてきた女性・梅宮志乃。バイト仲間との浮気がばれたことで、DV体質の恋人・正樹からは振られバイトも辞めることに。このままではいけないと心機一転した志乃は家を引越し、そこで出会った隣人で、新しいバイト先の店長でもある男・京志郎に本気の恋をする。しかし、京志郎には同棲中の恋人がいて・・・。(映画.com)

まず、

多部ちゃんがかわいい!

か否か論が世には溢れている。ググれば「ブス界最強の美女」などと気の毒な呼び方をされ、かわいいと思うかどうかで投票まで行われている始末。そもそも映画の評で、○○ちゃんがかわいい~といわれてしまうことは女優さんにとって不本意だろうに、これまで優等生役の多かった彼女がキスシーンやベッドシーンを披露したことで、一皮剥けた大人の多部ちゃん!のような軽い意見も多く。そもそも何でみんな当たり前に「多部ちゃん」と呼ぶのだ?だったら私は多部さんと呼ぶよ!

多部さんの役所は、恋愛も仕事も、自分の意志なく成り行きに任せては失敗をしてきた女の子。飽きっぽさや物への執着のなさは、植物を買っては枯らしてしまうクセにも表れていて、そのような自分に嫌気がさし、心機一転、人生を立て直そうとしている。

かわいいか論はさておき、まず私には、多部さんがビジュアル的に、役柄とは正反対の良い子に見えてしまう。一度買った植物は枯らさずコツコツ育て何なら株分けまでし、高校時代から7年付き合った彼氏がおり、毎日節約自炊しているようなコ。なので、この子はダメな子この子は恋愛にダメな子、と自分に言い聞かせないとならなかった。

また多部さん始め、登場人物が揃って身体が貧相なのが寂しい。多部さんと菅田将暉のキスシーン、エロいですか?マジですか。

 

日本の映画は、今や漫画や小説の原作ありきで、それもある程度の人気作をベースにしていないと出資がされない状況にある。観客は非凡なオリジナル脚本の登場を望むが、売れるかどうか分からないハイリスクな物には誰も金を出さない悲しい現実。失敗してもいいから好きに表現してみろなんて剛毅なパトロンが生まれるには、日本の景気がよくならないといけないのでしょうねえ。
原作漫画は未読だが、まあ漫画に忠実に作られたんだろうなと予測する。それにより、いかにも不格好なシーンが生まれている。
例えば、多部さんがアパート隣室の綾野と縁側で顔を合わせ、恋の予感を感じるシーン。「そのとき風が吹いた」と脳内で呟く。本気で男を好きになったことがなく、相手に流されるままの恋愛をしてきた女性が、初めて直感で人を好きになる。晴天の霹靂的体験を比喩しての「風が吹いた」なのだが、しかし、このシーンではホントにサアーッと風が吹く。その風を、綾野が目を閉じて気持ち良さそうに顔に受ける。物理的な風なんだ?心に吹いた恋の風じゃないんだ。またそれ以前に、このときの綾野の笑顔が、どう見ても「風が吹いた」顔でないのも問題だ。 

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ニッカー。もう少し微笑でお願いします。どちらかというと風が止むぞ。

 
◇無理やり不幸感

映画に共感は基本不要と思うが、今回のようにターゲットが限られる映画では、それなりの共感は必要だろう。映画と言っても様々だし、例えばスピルバーグとこの映画を、同一の媒体を介しているからといって、一つに括るのは土台無理だし。この作品では、主人公は観客に嫌われては意味がなく、適度に不幸に共感させ、応援してもらえるキャラクターであるのが理想だ。しかし、いかにも現代で好まれそうなステータスが、彼女を不幸に見せない。
店主が愚痴を聞いてくれる馴染みの店がある。ズバズバ物申してくれる親友やオカマの友達がいる。またこのオカマときたら、容姿は美しくクリエイティブな仕事を持ち、主人公に優しく寄り添い、時に厳しく背を叩いてくれる。恋愛関係になりえない&女特有の揉め事が発生しない点で、最強の味方じゃないか。行きつけの店や良き理解者の存在が、主人公のステータスとなっているので、「恋愛がうまくいかないー、仕事続かないー」と嘆いても、人生に迷う女性の切実さがないのだ。なので、世の感想は「綾野(or菅田or松坂)カッコいいー」「多部ちゃんかわいいー」「主人公が身勝手」など数パターンになってしまうのかなと。

このオカマの友達が、本日メイン(?)の松坂桃李氏で、美しくコミカルでよかったし、何なら少し桃李ファンになりかけてきたが、上記の通り役柄はステレオタイプ。桃李さんにはいつか、停滞したド田舎を舞台に、自分の色恋にひっちゃかめっちゃかになってて金に汚くて、こいつよりはマシだと主人公を浮上させる存在としてのオカマとか、それくらいのオカマに挑戦して頂きたいものである。

 

◇綾野はレッドカードか 

無理やり不幸と言えば、一度はカップルとなった多部さん&綾野が別れる理由である。

そもそも、綾野、そんな悪いことしたけ?

芸術肌の元カノが精神壊して放っておけず、度々訪ねては、情に流されて関係もしていたらしい。でもこの二人が完全に終わっていないことを承知で、間に入ったのは多部さんである。綾野は優しい男で、ああいう男の優しさは他にも等しく向けられるものなんだ。彼の失敗は、持ち前の優しさを完全に切れてはいない元カノに分けたことくらいで、まあサッカーでいうならイエローカードレベル。しかも謝る綾野を、多部さんが断ち切って別れる。つまり、多部さんが自身の弱さに潰され、まずは自立しようと決意して選択した別れなのよね。え、違うの?

なお、二人で出かけた温泉で、綾野の携帯を見た多部さんが元カノとの密会を知り、男湯に殴り込むシーンは、フラガールと重なるが、松雪さんの方が怖い。

そんなわけで一年後、二人が偶然の出会いを果たしたとき、好きな仕事を軌道に乗せた多部さんは、堂々と彼に向き合うのだろうと思った。瞬間、突然の逃走。えっ。

追いついてやり直したいと迫る綾野を、「無理だって!同じことの繰り返し」と拒む。

ですから、綾野のファウルはイエローレベル、二枚溜まればアウトだが、まだ一枚。一発アウトのレッドではないんだ。なぜ多部さんが、犯罪者のごとく彼を拒むのか分からずに混乱する私のあたま。エ、タベサン、アナタ、ジリツ必要でワカレタ。そして、イマ、ジリツシタ。モンダイ、カイケツシタ(混乱中)。

さらに、今までは恋と同様枯らしていた植物は、綾野の手により庭に植え替えられており、「見ろよ、こんなに育っちまったよ!」と示す先には、大振りすぎる植物がワサワサと生え盛っている。この恋がこれまでと違って実る可能性のあることを示す植物にしては、サトイモに似ている・・・いやいや、刮目せよ、この恋の生命力!

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(C)2015 ジョージ朝倉祥伝社/「ピース オブ ケイク」製作委員会

見よ、サトイモの生命力!

良かった部分と言えばまあ、劇団の座長をやった峯田和伸さんかな。歌うところよかった。いや、本職じゃん。。峯田さんに歌わせたいがための起用じゃないの?

最後は、大嫌い!と叫びながら綾野に抱きつく多部さんにサブイボ、いや鳥肌、いやいや、あ、あ、愛らしい~。よかった~。

 

ちょっと苦しくなってきた。きっとなんかいいところがあるんだろう。リエコさん、リエコさん。これは、どの辺りがよかったの?

リエコ「ああ、わたしそれ結局、観てないんだよね」

、、、あ、風が吹いた。

『プリズナーズ』

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監督:ドゥニ・ビルヌーブ キャスト:ヒュー・ジャックマンジェイク・ギレンホールポール・ダノ/2013年

年内最後の更新となります。あとは私は『シネ刀』のアカデミー賞をコーヒーを飲みながら楽しむのみです。そのために31日は外出しない。マジだ。

前回の孤狼の血は、やっぱり松坂桃李が好きなリエコに怒られました。「罰として、桃李が出演している映画を取り上げて。『ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ』がいい」と。え、魚喃キリコのあの名作、映画化されてるの??と思って探していたら、多分言いたかったのは『ピース オブ ケイク』だと思われる。あと魚喃の名作は『Strawberry shortcakes』だったわ。

というわけで本日は『ピース オブ ケイク』じゃなくってプリズナーズです。ネタバレだよ。

私のように映画の知識がない人間が、人が作った作品を評価するなどとんでもない話で。一方で、映画が商業物であり表現物である以上、批評を受けるのは仕方がないのも確かで、ただ程度というものはあると思います。また、映画に対する他人の感想に、あまりケチをつけるのもどうかと思うんですけどね。
何が言いたいかと言うと、人様が作ったものに物申す時点でバツなのに、それに関する他人の意見にあれこれ言うのは避けたいんですが、今回はどうしてもこの映画への世の考察に触れてしまうのですみません。じゃあ何故、そんな映画をいまさら話題にするのか。だってジェイクがキュートなんだもん。ジェイクがキュートって話をしないと、今年が終わらないんだもん。

あと皆さん、ヒュー・ジャックマンのことをどの映画においても「ウルヴァリン」って呼ぶの止めたげてください。

 

◇あらすじ

冒頭、キリスト教の「主の祈り」の文句に合わせ、ヒュー・ジャックマン演じるケラー・ドーヴァーが息子に鹿狩りを教える様子から、まずはケラーがどんな男であるかが説明される。彼は「常に備えよ」のモットーに従い、災害など物理的な困難に対しては日用品の備蓄を怠らず、家族を襲う不幸には強さで対峙する覚悟を持つ男だ。また重要な点として、車内や胸にかけられた十字架から、敬虔なキリスト教徒であることが示される。

友人のバーチ宅で感謝祭を過ごす中、遊びに出た両家の少女たちが忽然と姿を消す。警察は、兄によるRV車の目撃証言から、アレックスという青年を容疑者として拘留するが、彼は十歳程度の知能の持ち主だと診断される。決定的な証言や物証が得られないまま警察はアレックスを釈放。無力な警察に業を煮やしてアレックスを監視していたケラーは、彼が事件に関わっていることを証明する決定的な言葉を耳にする。ケラーはアレックスを監禁し、拷問という非合法な手段により娘の居場所を吐かせようとする。

この辺りの一連の場面では、カメラが物を隔てて対象物を意味ありげに映す画が、特徴的に何度も用いられる。例えば二家族の集うバーチ家を樹木越しに、道を歩く子供たちを車内から小窓越しに、地道な捜査活動を続ける刑事を曇った窓ガラス越しに。え、このカメラワークの狙い?不気味さの演出ではないでしょうか。下手なこと書けないんですよね、読んでくれてる人にシネフィル、それも最凶レベルが数人いるから。。。
真面目な話、これから起こることを冷静に観察せよと観客に警告するかのような、意図的な画である。 

最初に説明される通り、ケラーはよく言えば勤勉、悪く言うと融通の利かない人物だ。捜査を担当するロキ刑事は、のっけから警察(というより他人)を信じていないケラーの「あれはしたのか?これはどうなんだ?」との猜疑心に満ちた追求に、「全て考慮した上で、十時間容疑者を尋問した」と答える。プロの自分が、素人の思いつくことは全て想定した上で尋問したが何も出ない、つまりアレックスは犯人でない可能性が高いと暗に告げるのだが、ケラーは譲らない。しかもこの時点では、アレックスは「事件に関わっていることを証明する言葉」を発しておらず、ケラーは思い込みだけで、アレックスを犯人と確信しているのだ。

そもそも、困難や災害を想定して入念に準備するケラーは、家族への庇護精神を見ても、やや強迫観念めいている。平常時なら神経質で真面目な人ですむところ、非常時においては思い込みで突っ走り、逆にそれが障害になるタイプだ。ロキはそれを見抜いて諌めるのだが、ケラーは留まらず、件の確信を得てからは暴走する。この両極端の2人の性格と、ゆえにぶつかるさまを、ジャックマンとジェイクがうまーく表現していることに、とても好感が持てる。

さああなたならどうする、と課題を投げかけられた観客は「父親として人間として論」に迷うことになる。気持ちは分かるとか、いや逆に合理的でない、あるいは非人道的であるなど。だが、ケラーの行動について賛否を論ずることは、迷路に迷いこんだも同然だ。アレックスの怪しげな容姿や態度は先入観を刺激するが、実際に彼が白か黒かは誰にも分からない。カメラワークの部分で述べた通り、観客は冷静な観察者でなければならない。 

 

◇宗教色への考察あれこれ

始めから「そういう映画ですよ」とアピールをしている通り、とにかく宗教的な比喩に満ちている。敬虔なキリスト教徒であるケラーは神(ここではキリストを指す)の代理となる者、子供を攫い続ける犯人側が悪魔。さらに犯人の動機自体が「神への挑戦」と直接的なものでもあるので、主題は神と悪魔の戦いであるという捉え方が一般的だし、もちろん意図的にその構図が描かれているのだろう。

もう一人重要なキャラクター、ロキ刑事が、フリーメーソンの指輪をしていることが画面上で強調される。ケラーと犯人が神と悪魔であるのに対し、ロキが果たす役割は異教徒あるいは無宗教の立ち位置だと解するレビューが多い。また多くが、神を信じたケラーが勝ち、信じきれなかった犯人が敗北し、神を信じる立場でない異教徒ロキは優秀な刑事であるにも関わらず、常に惑わされ真実に辿りつけない運命にあるとする。

しかしそこには、重要な一瞬のショットが考慮されていない。始めにロキがドーヴァー家を訪れた際、カメラが映す彼の左手の刺青は十字架だ。つまりそれ以外どう解釈せよというのだレベルで、ロキはキリスト教の信者だろう。また、「ロキ」という名前が北欧神話に登場する神ゆえに彼は異教徒であると、各所で当然のように書かれているが、仮にそれが本当なら、ヴィルヌーヴ監督はアホということになる。ギャグ漫画じゃあるまいし、その人物の外見あるいは内面や信条をそのまま表すような名前を、この凝った様相の映画に起用するかという話だ。でももし、ヴィルヌーヴ監督もしくはジェイクのどちらかが、インタビューで「ロキってのは北欧神話から取ってるんだ、クールだろ?アッハ」みたいなコメントしてたら、上の話はごめん。

(そのようなコメントはないとの前提の下)従って、ロキが異教徒を象徴する立場であるとか、ゆえに神の御心により真実に辿りつけないなどの解釈は苦しいこじつけだ。少女を助けるのはケラーでなくロキだし、結果的に恐らくケラーを救うのも彼なのだから。

そもそも敬虔な教徒であるケラーに、神は何故最愛の者を隠す辛い試練を与え、なぜ最も哀れなアレックスにそれ以上の苦痛を与えるのか。「ケラーは試練を受け入れずに愚かな人間的行為に走ったから罰を与えられたのだ」「最後は祈ったから救われたのだ」とか、まあいくらでもこじつけられるし、「神のなさることは人知の枠外である」などと言ってしまったら、もはやこじつける意味すらない。深みにハマると、父子が撃った鹿は悪魔の象徴であったのではとか、キーとなるホイッスルは旧約聖書の一節にある、神を褒め称える楽器としての「笛」であるとか、いやその笛って少なくともホイッスルじゃないでしょうよなど、もはや納得すべきか屁理屈に首を傾げるべきか分からなくなってしまう。

 

◇倫理観を問うミステリー

考察好きな観客を惑わす要素を多く含みながら、この映画は極めて倫理的な問題を観客に問うミステリーとの理解でよいと思っている。
ケラーは人の助言を入れず盲目的に突っ走り、罪なき者を傷つける。犯人は己の主義ゆえに人を殺す。それぞれが「人の道」に照らしたとき道を外れている。ロキも本来の自分の衝動に走ったとき、やはり道を踏み外すことになる。

神、悪魔、宗教的要素に気を取られていると、映画の中で描かれる人間の身勝手さを見逃すことになる。ケラーや犯人については触れた通りだが、両家の奥様方の開き直りっぷりと言ったらない。恐ろしいのは「子供のためなら他人はどうでもいい」となった母親が、それを恥じるならまだしも、賢者のように振舞うことだ。

拷問に躊躇しつつ、ケラーを止めることはできない臆病なフランクリン。その妻は友人であったはずのケラーについて、「私たちは手を出さずにやらせておきましょう」と夫に言う、さも智者めいた顔で。これだよ、ホントに嫌な人ってこういう人。ともだちだったよね?全力で止めるか、きっぱり自分達は手を引く宣言をせんかい。

「貴方といれば安心だったのに」とベッドの中から、ケラーを超抽象的に非難する妻。彼女は後日、夫がアレックスを拷問していたことを「娘のためだった、仕方なかった」といい、夫を「善人よ」とのたまう。アレックスは、彼女らの子供と同じく幼い頃に攫われ、多くの子供が死ぬのを見、恐らくその手伝いもさせられてきたこの映画最大の被害者にも関わらずだ。妻と母の座に胡坐をかき、家族のためという建前を武器に他人を傷つける。本当に害がある人って、こういう人。

 

◇助けて、ロキ刑事

というわけで個人的にお付き合いを避けたいドーヴァー家、バーチ家の皆さんにげんなりする中、一筋の光となるのがジェイク演じるロキ刑事である。これまでジェイクが演じてきた中で、ピカイチ好きなキャラクターである。
熱情を内に秘めて態度は冷静、捜査は緻密で忍耐強い。ウルヴァリンに怒鳴りつけられるたび、軽く手を挙げて「ヘイ、ヘイ、ヘイ」「ミスタードーヴァ」と低く静かな声で諌める。もちろん内心では、このきかんぼう親父のことを「ファック」と思っているので、車に戻ったときなどに小さな声で「ファック」と呟く。それが気だるげで最高にキュートなわけで。またあるシーンで、ウル親父に一方的に電話を叩き切られ、携帯を見つめて呟く「ファック」が、前回より若干明瞭で忌々しそうなところがまたいいわけで。ジェイク最高。

ドーヴァー家にて「刑事さん、子供はいるの?」と訊かれた際、軽く口の端を上げて無言を通したが、オーケー、私が訊きたい、「奥さんいるんですか」と。のちに署長に「彼女でも作れ」と言われていることから、フリーメーソンだけでなくフリーメンであることが判明(←今日のパワーワードこれだよ)。
身体のいたる所に入った刺青と「ハンティントン少年院にいた」というセリフから、間違いなく、昔はそこらじゃちょっと知られたワル。強面なのに、最初のアレックスへの尋問などは、軽く囁くようで甘さすら感じさせる。落ちる、私なら5分で落ちる。

 

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全世界女子卒倒必至、ロキ刑事による壁ドン。

 

フリーメーソンの指輪や、登場シーンの干支に関する話などは、彼がこの保守閉鎖的な田舎にそぐわない、異質な警察官であることを示すためのものだろう。それだけに、それだけに!ついに忍耐が切れて、恐らく彼本来の暴力性が爆発してしまい、それによって最悪の事態を引き起こすシーンでは、溜息が出るほど複雑な気分だ。

 

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これ。これ、どうやって慰めればいい?

 

なお、ミステリーとしては偶然に頼む要素も多い。例えば、何かに導かれるようにウル親父の前に現れるホイッスル。アレックスの無事を知らせに行った先で、偶然犯人に繋がる材料を得るロキ。音楽に邪魔されていたホイッスルの音が、佇むロキの耳に届く幸運。これらはミステリー的にはマイナス要素なのだが、流し込まれている宗教色が、都合がいいという印象を回避させ、これも神のいたずらかと観客に思わせる効果をもたらす。宗教色を意識しすぎれば、観客自身が迷路に入り込んでしまいかねないので、あくまでエッセンスとして捉え、ミステリーを楽しむのがお勧めだ。私はこういう映画がすごく好きなので、2時間半と長尺だが全然オッケー、なんならも一回ミスリードを入れて3時間やってくれてもよかった。

攫った子供たちの記憶を消したり、言いなりにさせるあの薬はなにかって?
間違いなく、『クリーピー』で竹内結子が注射されてた薬品と同じものだろう(どうでもいい)。 

世のお母様方、自分の子を一番に思うのは必然、何をおいても我が子を守るのは本能、でもそれを当然と他人を傷つけてはいけませんよ、間違いなく自分たちに返ってくるから。では皆さん、よいお年を。