Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『寄生獣』『寄生獣 完結編』

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監督:山崎貴 キャスト:染谷将太深津絵里/2014年、2015年

 
先日、夫が「はい、おみやげ!」となんかくれたのですが、またわらび餅でした。しょっちゅう、わらび餅を買ってくるのです。本人は自覚がないらしく、思わずまたかと呟いたら、「久々だろ!?」と憤慨していました。こちらも慌てて、「わらび餅、大好き」と、「ハズキルーペ、大好き」っぽく取り繕ったのですが、「うるせえ」と抓られた(ハズキルーペのコマーシャルって関東だけじゃないよね??)。
 
でもねー、なんなら二週間に一度くらい買ってくるんじゃない?他にも、葛切りとかあんみつとか、透明でつるつるしたもんばっか買ってくる。そんなに頻繁に買ってきてない!と言い張るけど、ほらそろそろ記憶力も脳もさ、退化とか。。。
 
ほ、本日は脳つながりで『寄生獣』の感想を書きます!
 
かれこれ20年の付き合いになる友達から、昔お勧めと貸してもらった漫画が『寄生獣』でした。興味が湧かず積んどいたら怒られ、読んでみたら夢中になりました(そのことを今でも言われる)。ただ、記憶がないです。なので、原作未読と同じ状態になります。
 
◇あらすじ
ある日、人間の脳を乗っ取って肉体を操り、人間を捕食する「パラサイト」と呼ばれる寄生生物が出現。平凡な高校生活を送っていた泉新一も、一匹のパラサイトに襲われる。しかし、新一の脳を奪うことに失敗したパラサイトは、そのまま右腕に寄生し、自らを「ミギー」と名乗って新一と共生することに。パラサイトと人間とが殺し合う事態が発生。新一とミギーもその争いに巻き込まれていく。(映画.com)
 
新一がミギーとの共同生活に四苦八苦する一方で、市長の広川北村一輝ら一部寄生生物たちは、市役所を根城にコロニーを形成し、餌となる人間の供給システムの構築に動いていた。化学教師として新一の学校に入り込んだ田宮良子深津絵里は、コロニーのリーダーながら異質な考えの持ち主で、人間との「共存」つまり人間を捕食せずに生き延びる方法を模索していた。彼女は新一に興味を示し、度々接触を試みる。
 
ここに刑事國村隼や記者倉森大森南朋、新一の母余貴美子、同級生の里美橋本愛らが絡み、お母さんが死んだり同級生に慰められたりと、ドラマティックな展開が絡む仕様となっております。
なお、寄生獣』『寄生獣 完結編』に分かれていて、約4時間の長丁場です。知ってたら観始めなかったのに。
 
◇ちょっと褒めます
私はCGなどの映像技術に詳しくないが、新一の右手がミギーになったり、この二人が戦う何体かの寄生生物の頭がカパッと割れる映像は楽しかった。特に東出昌大演じる転入生の島田が、正体がばれて美術室で生徒たちを殺傷するシーンは、(そこまでが退屈だったこともあり)結構な迫力だ。酸性の薬品を浴びせられて制御不能になり、ぐにゃぐにゃと形を変えながら暴れる場面は見応えがある。
 

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どう頑張っても高校生役はキツかった東出氏

しかし、この寄生生物が割と脆い。負傷すれば再生できないし、頭がカパッと割れた後に繰り出される触手のような凶器は、そのスピードと殺傷力は脅威だが、それ以外は何ら超常的な力を持たない。また、個体差はあるものの、どうやら凶器が伸びる距離にも限界はある。

 
なので、校内を暴れ回る東出を、新一が離れたビルから弓で射たのは理に敵った攻撃方法だったし、あのシーン、カッコよかったよね。「なんで弓やねん」と突っ込んでいる人もいるようだけど、いつブンと伸びてくるかわからん凶器を回避するには、きっと遠隔攻撃がベストだ。よく覚えておいて、奴らの攻撃の間合いに入ってはいけない、逆に言えば距離さえ保てば倒せるからね。
 
◇でもさ
「アイディア次第で倒せない敵ではない」という点は、人間との戦いを面白く描ける良い材料だと思うのだが、残念ながら、それを活かした展開はほぼない。
 
人間側が反撃に転じる『完結編』では、いかにも物々しい特殊部隊が登場するが、彼らの採った方法は、市民を集めて一人ずつスキャナの前を通過させ、寄生生物と判明したら「こちらへどうぞ」とバスで囲い込んだ空間に誘導、一匹ずつ駆除するというもの。
 
日が暮れる。
 
また「固定されたスキャナの前を通らせないとわからない」非効率的な検知システムなので、パニックになった人々が逃げ出した途端に機能しなくなってしまう。そして危険を察知した寄生生物が暴れ出し、隊員の一人が身体を分断される。 
言ったよね、さっき、「間合いに入っちゃだめ」って言ったよねえええ。
 
固定式スキャナの無力化を知った特殊部隊隊長豊原功補「移動式スキャナを用意しろ」と命令。あ、移動式スキャナなんてあるんだ・・・
 
 
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お前かよ。
 
なぜか寄生された人間を見破ることができる、新井浩文容疑者×たった一人が、特殊部隊の秘密兵器、名付けて「移動式スキャナ」である。
こいつ自体信用できない変態野郎なのに(いや、劇中の話よ)、その「この人間は寄生生物だ」との言だけを頼りに街中で銃をぶっ放しまくる、強硬手段と呼んでは褒めすぎな行き当たりばったり作戦。特殊部隊の使い方間違えてるでえ。
 
なんかもっと、ないの?彼ら、人間を食べたいわけじゃない?それに、できれば周囲に正体バレたくないわけじゃない?ここなら餌に困らないと誘い込むような罠かけて、どっか村でも一箇所に集めて、爆撃するとかさ。実行部隊の前に、ブレーンが必要だよ・・・。
 
それと、染谷将太が、たまになぜか髪を耳にかけるんだが、女の子にしか見えないのでやめて欲しかったです。
 
◇さらにけなします
序盤の中華屋や東出IN美術室のシーンなどは好きなのだが、それは他が退屈なせいで、「あ、やっと画面が動くぅ」といった息抜きの意味でもあるよね。
 
何が退屈って、深津絵里演じる田宮良子の見た目、スローな喋りと動きが。やたら出番が多く(長いからか)、映る度にゆっくりと喋ってゆっくりと動く。緩慢な上、終わってみれば大したことを言っていないので辛い。私の周囲では深津絵里の評価は高いが、個人的にはそれほど好きな女優ではない。化学教師として登場するシーンでは、生徒たちが「マジかよ」「すげえキレイ」とざわめくのだが、そうけ?高校生が色めき立つほど綺麗け?あそこはむしろ、びっくりするほど酷い映りだったと思うが。
 
またもっと退屈なのが、市役所コロニーの面々の、結論が出ない会話シーンだ。誰かが「ミギーと泉新一は危険だ」と言い、田宮が「実験のため生かしておく」という。この会話が、何回も繰り返される。後半中盤になっても、まだやってる!どっちか結論出して、この会話をやめてくれ。
 
そもそも田宮先生の実験好きは異常だ。新一らはサンプル、出産と子育ても実験だというが、要は単なる個人的な興味に過ぎない。コロニーへの貢献に結びついていないしね。だれかそろそろ進言しないかな、新一とミギーとっつかまえて解剖した方がよっぽど実験だぜって。脅威は排除できるし特殊事例のデータは手に入るしwin-winだぜって。
 
また田宮はコロニーのリーダーでありながら、「実験」に感けるあまり、メンバーを掌握できていない。田宮が目指すのは、人間以外のものを摂取して生きること→人間との共存だ。だが、ラスボスとなる後藤浅野忠信は、「この種を食い殺せ」言いながら、ナイフとフォークで人間の肉を食べとる。忠信め、『ハンニバル』のマッツ・ミケルセンを意識しとるな。
市長の広川は、後に判明するある理由から、人間は滅びるべきと思っている。
十人十色すぎじゃん。個性は尊重するが、事情が事情なんで、ある程度は同じ絵が描けていないと内部崩壊が起こると思う。
 
◇みんな語り部
監督は「人間とはなにか」を描き出したかったらしいが、4時間をかけた割には、
 
・人間は罪深い存在である=豚、鳥、魚など他の種を犠牲にして生きている&ゴミを垂れ流し森林を焼き、環境を破壊している
・しかし偉大な存在でもある=母性、他者への愛情を持つ
 
と、古今東西語りつくされてきた「人間」をなぞっただけであった。もうよくない?人間の罪深さを「他の動植物を食べる」行為で、人間の素晴らしさを「感情を持つ」ことで示す、その表現方法に飽きた。なんか別の方法を考えてくれ。
 
さらにキーパーソンたる実験大好き田宮先生が出した結論はこれだ。
 
「人間に比べれば、私たちはか弱い存在だ。いじめるな」
「私達と人間は家族だ、私達は人間の子供だ・・・」
 
ごめんなさい、ちょっと意味がもう。
あと、全体的に音楽がうるさいですよね。
 
途中から田宮は「人間を甘く見るな。追い詰められたり、集合体になった人間は恐ろしい」と人間を過大評価しだす。彼女の言葉を裏付けるものとして用意されたのが、特殊部隊による殲滅作戦と、田宮に利用された記者倉森が彼女の赤ん坊を誘拐するシーンだ。殲滅作戦は先ほども書いた通り日が暮れそうで、とても集団の恐ろしさを見せつけるようなものではなかったし、記者が田宮の赤ん坊を人質に取り、公園に呼び出すシーンの、わざとらしさと間延び具合がすごい。
 
公園に行ってみたら、記者はめちゃめちゃ姿を晒している上に丸腰だった。田宮にとってはこの段階で、人目を避けつつ赤ん坊を取り戻すことなど屁でもない。しかし相変わらずスローな喋りと歩きで記者に向き合う。そのうち警察や新一が駆けつけ、衆目に晒された状況となってしまう。このわざとらしい舞台作りが鬱陶しいのである。
 
赤ん坊を抱えて喚く記者に、冷静に対応する田宮。なるほどなるほど、田宮にしても、騙した記者に対し罪悪の気持ちがあるのかもしれないし、彼の「父性」を尊重して、殺さずに済む方法を探っているのかもしれない・・・。
 
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ブッスー。
 
殺すんだ。
だったら、最初に殺しておかんかい。
 
田宮の正体を見た警察は一斉に発砲。赤ん坊、赤ん坊いるよー!?状況判断して!お前らは韓国警察か。
そんな状況なのに、田宮がまた語り始める。音楽うるさい。言葉が耳に入ってこない。
 
場面転換し、今度は特殊部隊に囲まれた市長広川が語り演説を始める。
「殺人よりもゴミの垂れ流しの方が重罪だ!」。
あ、そっち派なの?
つまり環境破壊を憂いて寄生生物側についた、覚悟を持った人間、それが広川だった。
しかしここまで広川は、意思を示す言動一つ見せたわけではなく、「田宮さんが反対している」「田宮さんのおかげです」と田宮に阿る、
まさに田宮のオンブズマン
 
突然「ゴミの垂れ流しが」などと言われても、「あ、それはいかほど前から・・・?」と戸惑うしか反応のしようがない。演説ぶったものの、特殊部隊に速攻殺される。なお、殺してみたら彼は寄生されていない人間だった(じゃあ、なんでミギーがそれを見破れなかったんでしょうかー)。
 
死んだ広川を見て、彼が寄生生物だと嘘をついたスキャナ新井浩文は「そいつ、どう見ても人間じゃん」と大爆笑。
 
???お前は何がしたいわけ?
 
広川が死ぬと、特殊部隊の前にラスボス後藤こと浅野忠信が現れ、「この種を食い殺せ」。あ、あーたはそっち派だったっけ。共存だの、環境破壊が罪深いだの、全滅しろだのもう色々言われて、かなわんわ・・・。
 
一旦、公園の深津ちゃんに戻ろう。死にかけてるし。
まだ語ってる!さっさと死ね。音楽うるせえ。
 
田宮は実験結果も発表せず、赤ん坊を新一に託して死んでしまう。
あとはもうどうでもいい。ラスボス忠信との戦いは、なぜかゴミ集積場に場を移し、バイオハザードのような雰囲気。今度は忠信がなんか語ってる。どいつもこいつもよく語るな。音楽うるせぇ。忠信が何言ってるか全然頭に入ってこない。
 
忠信をあっさり倒し、平和な日常を謳歌する新一と里美。しかしみんな忘れてただろうが、厄介な奴が残っていた。
そう、移動式スキャナ新井だ。
彼は里美を羽交い絞めにして攫っていってしまう。めちゃめちゃ人通りの多い繁華街で。もう監督も長丁場すぎて、どうでもよくなったらしい。
 
追いついた新一に、スキャナもまた、なんやかんやと自分の種としての正当性を語りだす。
みんな、新一への承認欲求が強すぎ。
新一の承認キャパ超えてる。
 
スキャナが最後どうなったか、本当に忘れた。
 
この映画観て、「やっぱりピエール瀧の顔って悪辣だよね」「東出の高校生役はつらい」「染谷、髪を耳にかけるな」「阿部サダヲってどこに出てるのかと思ったらミギーの声だったん!?」など語るのはいいけど、「人間て罪深い・・・」「忠信(あるいはスキャナ新井)の言うことにも一理あるよ」とか言い出したらアホだと思うよ。
 
あと、音楽うるさい。

『最初に父が殺された』

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監督:ジョンジョリーナ・ジョリー キャスト:スレイ・モック・サリウム、ポーン・コンペーク/2017年
 
◇あらすじ
1970年代、内戦下のプノンペン。少女ルオンは政府の役人である父や家族に囲まれて裕福な暮らしを送っていたが、反米を掲げるクメール・ルージュの侵攻により、わずかな荷物だけを持ってプノンペンを追われることに。(映画.com)
 
忙しくて泣きそうです。しかし以前、実弟に「すぐ忙しいっていう奴ってアレよね」と鼻で笑われたので、耐えております。そんな中でも更新する私をほめて。でも、前にインスタに書いた映画なのは許して。
 
私の友達は愉快な人が多いですが、中でもピカイチ面白いつっちーが以前『最初に父が殺された』の感想を読んで、「まず題名がカッコいいな。『風呂場でイチャイチャしてるやつらが最初に殺された』じゃ締まらないもんな」と言っていました。それは13日の金曜日だね。好きだな、いつも、君の発想。
 
◇ジョンジョリーナ
ご存知の通り、私はジョンジョリーナが好きではない。ご存知じゃない。すみません。
特に
「ウッハー!」系の映画だと顔がうるさいのであまり観ないのだが、低評価の主な原因は彼女が監督した駄作『不屈の男 アンブロークン』のせいだ。内容を簡単に言うと、ジョンジョリーナとコーエン兄弟が作った、第二次大戦中に日本軍にとっ掴まってイビられながらも頑張ったアメリカ軍パイロットの話。
 
ジョンジョリーナは自分のライフワークの延長で映画を撮っていると理解している。初監督作品の『最愛の大地』は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を舞台に、戦争の前では愛すら無力であるというテーマを淡々と描いてみせた、なかなかの良作だった。ジョンジョリーナの経験が生きた映画だったし、これは割と好きだった。彼女が監督として評価されるとしたら、自分の興味や熱意でテーマを掘り下げる、努力型、研究型としてではないでしょうか。 
 

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セルビア人の男とムスリム系の女の悲劇的な恋愛を描いた『最愛の大地』。レイプシーンが結構キツイ。
 
しかし、『不屈の男』はスシ・ゲイシャ・フジヤマレベルの浅い日本観でお撮りになったため、内容がぺらぺらだ。戦争映画は敵側もきちんと描いてもらわないと!鼻息を荒くしている、とある日本婦女子の怒りを買った。また、ねちねち虐待を繰り返す日本軍伍長を演じたのは何故かミュージシャンのMIYAVIで、彼に遺恨はないが、あまりになまっちろい上、何故そんな絶大な権限を持っているのかがわからない点も消化不良。さらに申し訳程度にその伍長もまた人間なんだよ的な演出を入れるなど、映画を観て反感を覚えるだろう日本人側にやっすい配慮見せやがって、気分が悪いわ!やるなら徹底的にやれ。平等な戦争映画なんてあるはずないんだから。
 
念を押しておくけれど、日本人だからつまらないと感じるわけではなく、たぶん全世界の映画好きが「退屈だわあ」と感じると思う、そういうこと。
この映画でジョンジョリーナとコーエン兄弟は日本に全く興味がありませんと公言してみせた。別に興味もってほしい訳ではないのだが、ならあんな映画も撮らないでほしい。しかし彼女がもし日本人の養子を迎えたならば、風向きが変わったと判断してオーケーです。
ほら、ライフワークの延長だから。
 
カンボジア人の養子は迎えているので、『不屈の男』の何十倍もの誠意をもって、『最初に父が殺された』を撮ったことは明白なのです。
 
◇本題だよ
カンボジアでのポル・ポト政権による大虐殺について、私が浅い知識を披露します。
アメリカがベトナム戦争に敗北して撤退すると、カンボジアではアメリカの後見を受けていたロン・ノル政権が崩壊。首都プノンペンに、反ロン・ノル政権の共産主義組織クメール・ルージュが乗り込んでくる。このクメール・ルージュ(KR)の最高指導者が悪名高いポル・ポトですね。
 
KRは中国に支援を受けていたため、ソ連との関係が深い隣国ベトナムと対立する立場を取り、また極端な原始共産主義を掲げた。これは一切の私財と身分を捨てて得たものは平等に分け合う、生計の道は労働のみとし、宗教や学問、技術など文化的なものは全て否定するというもの。僧侶や知識人、技術者、政府の職員などは排除の対象であり、彼らが多く居住している都市部から人々を農村に移動させ、過酷な労働を強いた上、虐殺した。
本作では、父親が政府高官である裕福な家族が都市部から追われ、7歳の娘が生き残るまでの過程を描いている。
 
この映画のポイントは、言うまでもないのだが、少女の目線を徹底しているということ。子供は、理解のできない状況になると押し黙る。理不尽を感じても、その原因もわからないし抵抗する術を思いつかないためだ。主人公のルオンは勇敢で賢い子だが、ほとんど言葉を発さないのは子供の本能のためだろう。そのため、劇中ではセリフや音楽が極力排除されており、カメラは周囲の状況とルオンの表情のみを追う。
過酷な状況が無表情と色の少ない画像で表現されるのに対し、ルオンが時々見る夢は色彩豊かで、過去と現在の境遇の落差を表す。
 
ジョンジョリーナが撮りたかったのは、子供がどれだけ柔軟に周囲の環境に順応していくかと、それゆえの恐ろしさ。
最後の望みの綱である姉の行方が分からなくなってからは、無表情のルオンに初めて表情が生まれる。それはルオンから自発的に生まれたものではない、KRに刷り込まれたベトナムを倒せ!の精神によるもので、明らかに意志を持った顔つきで軍事訓練に励むようになる。
 
彼女が一介の少女から兵士になりかけていたことは、カンボジアに侵攻し結果的にルオンたちを解放したベトナム軍の兵士を激しく睨む視線に表れる。だが、その後に森の中で、ルオンたちが以前埋めた地雷に民衆が次々吹き飛ばされる凄惨な光景を目の当たりにし、こちら側に引き戻される。
 
『ジョニー・マッド・ドッグ』の子供達は「完成」してしまっていて、彼らが戻れないことの悲劇を描いていた。それに対してルオンは未完成の状態で引き返すことができた、そういう意味で『ジョニー・マッド・ドッグ』や『最愛の大地』とは異なるハッピーエンドだった。子供の思考、反応をよく知るジョンジョリーナが扱う作品として良いチョイスだったなと思う。
 
アレ?なんだよ、ジョンジョリーナ。反日の映画も撮り直せ!
 
気が付けば半分は『不屈の男』への文句になりました。
誰か、ジョンジョリーナの女優としての魅力を教えてください。
よい週末を!

『フロム・ヘル』

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監督:アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ キャスト:ジョニー・デップヘザー・グラハム/2001年

先日娘の小学校の授業参観がありました。毎回その後に保護者会、さらに学童の集まりがありますが、私は参観が終わったら帰る派です(派といっても一人)。娘に「お母さんは何で保護者会出ないの?」と訊かれ、「どうせ無益な話しかしないっしょ?」と言ったら夫にはたかれました。

保護者会をサボるのには崇高なポリシーがありますが、しかしついでに、役員を決める学童の集まりもサボるのは良くありません。バチが当たりました。

学童の父母会長のなんとかヒラさんから電話があり、「不在の方々から役員のくじ引きをさせて頂き、あなたが当たりました、パンパカパーン!おめでとう!」と言われました。

「マジですか、女王蜂のチェキ撮影会には外れたのに?私が当てた役はなんでしょうか」
「『れんきょう』です」
『れんきょう』?蓮舫じゃなくて?
「はい、『れんきょう』です」
「それはどんな役でしょう?」
「実は私も『れんきょう』についてはよく分かっていません」

いや、困る。秘密組織なの?何の略かだけでも教えて。

「全部で七人で、代表を決める必要があります」
「マジですか、れんきょうが何ものかも分かってないのに、代表ですか」
「最初にやなぎやさんにお電話していますので、この場で引き受けてくださればOKですし、ダメとなると次の方に回ります」
不幸の手紙みたいですね」
「どうしましょうか、代表はいかがですか?」

なんとかヒラさん、やり手?私の性格を見抜いている?そんなわけで、やなぎやは謎の組織「れんきょう」の代表となりました。連絡なんとか協議会とかの略らしい。仕事は未だ不明です。

謎の組織繋がりで、本日は『フロム・ヘル』です。
世の女性から支持を得た『シザーハンズ』にはそれほど感銘を受けず、それでも一時期はジョニー・デップの映画を沢山観ていました。中でも『ブレイブ』(1997年)、『スリーピー・ホロウ』(1999年)、『ナインスゲート』(1999年)は良いですが、『フロム・ヘル』(2001年)がピカイチ好き。ネタバレだよ。

 

◇あらすじ

1888年、ロンドンのイースト・エンド。娼婦の連続殺人事件が発生し、スコットランドヤードのアバーライン警部(ジョニー・デップ)は死体に残された手がかりや、王室の侍医ウィリアム卿(イアン・ホルム)の助言を頼りに犯人に迫る。また、捜査に協力する娼婦のメアリー・ケリー(ヘザー・グラハム)と互いに惹かれ合う。

未解決の『切り裂きジャック事件』には様々な犯人説が唱えられているが、中でもマニアックな英国王族犯人説をベースとして独自解釈を加えたストーリーになっている。

事の始まりは、娼婦の一人アンが、富豪のアルバートに見初められて結婚し、赤ん坊を産んだことだった。ある日メアリー・ケリーらの目の前で、アンとアルバートは見知らぬ男達に連れ去られ、赤ん坊だけが残される。直後から娼婦を狙った連続殺人事件が起こり、捜査を担当するアバーライン警部は、メアリー・ケリーの話から、二人を連れ去った男達とアルバートの素性が鍵であると睨む。

 

アブサン中毒ジョニデ最高

ジョニデ演じるアバーライン警部は、妻子を失った失意から、私生活ではアヘン窟で沈んでいる。捜査のためにアヘン窟に入り浸れないときは、代わりに自宅でアブサンを摂取する中毒者である。

ゴミ溜めと称されるイーストエンドの薄暗い映像を基礎に、時に背景の空を真っ赤に染めたりとおどろおどろしい雰囲気が協調されるが、ぼんやりした緑色がまた特徴的だ。地獄よりやってくる馬車のランプが不吉な緑なら、アブサンの色も酩酊状態のアバーラインが見る予知夢も緑色である。

説明不要だろうが、アブサンは幻覚症状を引き起こす上、強い中毒性があるとして製造・販売が中止された酒。伝統的な飲み方の一つが、劇中でもアバーラインが行っているスタイルだ。グラスに渡したアブサンスプーンの上に角砂糖を乗せ、アブサンを沁み込ませて火をつける。最後は角砂糖を落として飲むのだが、液体の緑といいアブサンが燃えるときの青い炎といい、なんとも幻想的。

二十代の頃、私はオーセンティックなバーでバイトをしており、たまに「アブサンある?」なんて客もいた。代わりにアブサンの後継者『ペルノー』を勧めるのが定石であったけど(これは透明だけど水を入れると白濁するの)。
強烈な酒なのに、アバーラインはそこに「追いアヘン」し、むちゃくちゃな飲み方をする。彼は死にたいのですな。

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風呂につかりつつ、追いアヘンするアバーライン警部

 

この映画でのジョニデの何が好きって、人間味のない世捨て人である点だ。スリーピー・ホロウでのイカボットは同じく淡々とした捜査官でありつつ人間らしい人であったが、本作のアバーラインは、世間にも他人にも興味がなく乾いている。

例えば警視総監と対話するシーンでは、総監の「犯人は商人か屠畜人だろう」との暴言に対して眉一つ動かさず「色々な可能性を探っています」と答え、「証拠もなく決めつけてはいかんぞ」というブーメラン発言(お前がまず証拠なく決めつけている)には微苦笑で対応。

私の、職場の上の人間に対する態度とそっくり同じなので、親近感を覚える。

もちろんこれは、アバーラインが総監に1%の期待もしていないからだ。

部下のゴッドリー巡査部長はアバーラインを慕い、アヘン窟まで頬をひっぱたきに来たり、果ては恋路まで心配するが、アバーラインは彼の世話焼きに反応を示さない。

貧富や身分の差にも鈍感であり、ゆえに娼婦のメアリー・ケリーと先入観なく距離を縮めていく。感情の乏しい人間として描かれているアバーラインが場末の娼婦に惹かれる展開が、観客の、特に女性の心を鷲掴む。店の外の暗がりで、二人がキスするシーンはサイコーだ。アバーラインが直前まで「だめだ」とキスを拒んでいたのが、またサイコーだ。

やっぱりこの頃のジョニデはよい。何で海賊になっちゃったんだろう。

 

◇ミステリー部分はさらりと

真犯人探しのストーリーは一見複雑だが、実際は観客を混乱させるための何回かのミスリードが用意されているだけだ。殺された娼婦たちの内臓が的確に切り取られていることから人体に精通した外科医では? ⇒ アンの情人アルバートが実はヴィクトリア女王の孫クラレンス公であったことを突き止め、梅毒を移された公の復讐では? ⇒ 公が売春婦と子を儲けたことを隠すための、英国王室公安部による口封じか? ⇒ フリーメーソンの儀式による処刑ではないか、と様々な方向に観客を引っ張り回す。

アバーラインは「天才」とされる捜査官で、また度々事件に関する予知夢を見るが、特に才気走った閃きを見せるわけでもなく、予知夢から捜査が進行するような手掛かりを得るでもないので、何のための設定やら。

最終的に動機は、ミスリードの一つに挙がった王室による娼婦たちの口封じであるし、真犯人もアバーラインに助言を与えてくれていた侍医ウィリアム卿と予想通りだ。

なにより、この口封じはヴィクトリア女王の「王室への脅威を排除せよ」との命令に端を発しているものと当然の如く描かれるが、イーストエンド界隈でアンとアルバートクラレンス公)の関係を知るのが数人の娼婦たちだけであるはずもない。「二人の結婚式に出席したメンバー」との線引きで口封じする不確かさに、手落ち感が否めない。

「脅威を取り除く」のに一番的確で手っ取り早いのは、当然、アンとアルバートの間に生まれた赤ん坊の排除だろう。だって、娼婦が母親の王位継承者よ?まさに英国王室がひっくり返るほどのスキャンダル。逆に言うと、この「証拠」さえ隠滅してしまえば、場末の娼婦共が何をのたまったところで無視をすればいいだけの話、手間かけて殺す必要もない。

また、何回目かのミスリードである「犯人=公安部」だが、メアリー・ケリーらはアンたちを連れ去る身なりのいい男たちを目撃したのみで、何故彼らを「公安部」と特定できたのかを説明する場面はない。にも関わらず、「公安部のベン・キドニー」の名前が突然挙がるのは、編集にミスがあったのではと思う程、いい加減な展開だ。なので、「真犯人は誰!?」的なミステリーラインは、割とどうでもよい。

楽しいのは上流階級の人間の薄汚さとウィリアム卿の悪魔化である。

 

◇ウィリアム卿、暴走

スコットランドヤードの警視総監からして、現場の状況や検視の結果も碌に聞かず「犯人は先住民だろう」「屠畜人だろう」「違う?んじゃ、ユダヤ人の屠畜人だ」と決めつける(まあ彼は真犯人を知っているのだろうが)。

アバーラインが訪ねた高名な外科医は「僕らを疑うより、外には社会主義者ユダヤ人、東洋人が屯してますが?」と冷笑する。この時代の外科医は上流階級の人々であるので、彼らにとって貧しい地区の住民や精神異常の患者など最下層の人種に過ぎない。

それにしても、最下層=肉屋か毛皮職人、ユダヤ人か東洋人と平気で繰り返すあたりに時代を感じる。今なら職業差別、人種差別と言われてしまうんだろう、少し前にはそれが殺人犯たる理由として堂々と挙げられていたのに。全くいい時代でしたよね。

全体を通して、王室周辺の殿上人と最下層の人間の対比が強調される。絵的なもので言えば、犯人の乗る馬車がターゲットの娼婦を誘い込む際、馬車から「ガシャン!」と折りたたみ式の階段が降りる画が繰り返し映される。殿上人の意志によって下界に降ろされる階段の行先は地獄、王室を含む特権階級の世界こそHELLだと連想させる。

ウィリアム卿は、膿んだ組織が排出した化け物の位置づけだ。彼の行動は女王やフリーメーソンの意向から徐々にズレていき、やがて組織での地位も立場も飛び越えて暴走する。殺人の方法がエスカレートするのは、彼の悪魔化に比例しているためだ。

メアリー・ケリー(実際は別人)の殺され方ったら、ぐっちゃぐちゃよ。

最終的に、王室が生んだ獣は王室により牙を抜かれ、黒幕たちは何もなかったように口を噤む皮肉な結末となる。だが、彼らへの報いとして、娼婦を母に持つ王位継承者がアイルランドの地で育っているという皮肉返しが用意されている。

アバーラインがメアリー・ケリーを訪ねたくとも訪ねられず、恋に進展する前の淡い感情のまま終わるのがロマンチックだ。また、ゴッドリーが訪ねてくることを予測して手にコインを握ったまま死ぬのは、最後に示したゴッドリーへの感謝と別れであり、しみじみとするラストだった。

少々陰惨なシーンもあるが、ウィリアム卿の芸術作品たる(ぐちゃぐちゃの)死体は直接は映されないので安心してください。掃き溜めに灯るラブを楽しむ目的で鑑賞するのもよいと思います。

『ブリッジ・オブ・スパイ』

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監督:スティーブン・スピルバーグ キャスト:トム・ハンクスマーク・ライランス/2015年

先日娘から「お母さん、のぶせりってなあに?」と訊かれました。

野伏り:日本中世において、山野で落ち武者狩りなどを行う武装した民衆の呼び名(ウィキより)

娘は今『どろろ』のアニメに夢中です。戦をしている連中が民衆を虐げる話が多いので、娘は加害者側を憎んでいますが、「それもまた一方からの見方なんだよ」と『どろろ』を教材とした教育が、我が家では行われております。

というわけで、本日は東西冷戦を舞台にしたブリッジ・オブ・スパイです。

S氏から「ユーロスペース東ドイツ映画特集をやるらしいよ。東ドイツもの、大好き」と、まるで「ハズキルーペ、大好き」みたいなメールが来ました。「東ドイツものって例えばなに」と訊いたら「『ブリッジ・オブ・スパイ』!」。結局、スピルバーグなのね。

実は以前途中まで観たのですが、「またトム・ハンクスが突拍子もない依頼をされて孤軍奮闘する話かあ」とやめてしまったのですね。トム・ハンクスの顔ってずっと見てるの辛いじゃないですか。しかしこれも機会と思って再鑑賞。やっぱり映画を途中で辞めては駄目ですね。非常に面白かったです。

 

◇あらすじ

保険専門の弁護士ジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)は、ソ連のスパイ容疑でに逮捕されたルドルフ・アベルマーク・ライランス)の国選弁護人を命じられる。ドノヴァンの弁護によりアベルは死刑を逃れ、二人は互いの人間性を認めて友情を深めていく。そんな中、アメリカの偵察機U-2のパイロット、パワーズソ連にスパイ容疑で拘束される。政府はアベルパワーズの交換を計画し、その交渉役をドノヴァンに命じる。

ではここで、自称スピルバーグの唯一の理解者にしてスピルバーグ親善大使のS氏から、2年前に送られていたらしいレビューを紹介します。
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我々が映画を理解する術は「見る」以外にない。映画は「見られる」以外には存在し得ない。スピルバーグの映画は常にその事を私たちに意識させる。

画家に扮したソ連のスパイは10セント硬貨に隠された極小の暗号文を拡大鏡で覗き、U-2偵察機は高感度カメラでソ連領土を撮影する。スパイの弁護を引き受けたことでドノヴァンは電車の中で好奇の目に晒され、スパイ交換の舞台となるグリーニッケ橋の両端からは、スナイパーが常にその照準で睨みをきかせている。「見る」「見られる」の構図は本作でも至る所に配置(中略)

そもそも、そのデビュー作『激突!』の運転席からの視線に始まり、我々は常にスピルバーグによって「見る」ことを強要されてきた。我々は彼に何を見せられてきたのか。「暴力」である。描かれた「暴力」とは暴走するトラックであり(中略)

湯川秀樹核兵器を人類最大の暴力と呼んだが、その人類最大の暴力をフィルムによって見せられた少女が涙を流すという今作のショットを目にし、スピルバーグのもう一つのテーマ「子供」が浮かび上がる。「暴力」と「子供」は常にセットで描かれてきた。

太陽の帝国』のジムは母親が日本兵に暴行された痕跡を我が家で発見した。『シンドラーのリスト』の赤いコートの少女は(中略)私たちと同じように映画に登場する子供たちもまた「暴力」を「見る」ことを強要されて(中略)同時に、そこにはまた信念の元に子供たちを守ろうとする大人も(中略)

2年待たされたスピルバーグの新作は相変わらず映画の喜びに満ちていた。撮らない映画はあっても撮れない映画はないと言わんばかりの自信が全編にみなぎっている。しかし、『リンカーン』『戦火の馬』『プライベート・ライアン』『ブリッジ・オブ・スパイ』ときて、いよいよベトナムの手前まできてしまっ(以下略)

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ハァイ。おつしたー。

まあまあまあ、そうなんでしょうね。まあ、それも重要なんですが、やっぱり当時の冷戦という状況ですよ。

東西冷戦真っ直中の1960年。さらりと冷戦の流れをおさらいしましょう、誰のために。私のために。第二次世界大戦は枢軸国の敗戦で終結し、ドイツが占領していたヨーロッパ諸国の領土は連合国により分割され、ドイツは西側をアメリカ、東側をソ連支配下に置かれた。その後、ヨーロッパが共産主義化(というより社会主義化か)することを恐れたアメリカは、イギリスやフランスなど西ヨーロッパ諸国を支援してソ連に対抗、両国の関係は悪化していく。最終的に米ソが直接戦争をすることはなかったが、資本主義対社会主義の代理戦争は朝鮮やベトナムの地で起こり、朝鮮では未だ解決を見ていない。

しかし冷戦のきっかけが、ドイツ領土の分割を話し合ったヤルタ会談で、終結「マルタ会談」だって(諸説あり)。受験生泣かせだよね。

二国の争いは、言うまでもなくそのまま核開発合戦であり、諜報活動合戦も苛烈だった。映画の前半では、ソ連のスパイ、アベルの弁護人になったドノヴァンへのアメリカ国民の攻撃の様子を通して当時の社会情勢を映し、一方でドノヴァンがアベルの知性的な魅力に惹かれて行き、二人が「不安じゃないのか?」「それが役に立つか?」と無意味なようでいて心温まるキャッチボールを繰り返しつつ友情を育むさまを描く。

状況として、同じスパイでもミッションインポッシブル的イーサンが敵対組織に捕まるのとはレベルが違うぜ、ということをインプットできればと思う。

そのように冷え切った仲の米ソであるので、極秘情報を擁する人質同士を交換することに暗黙の合意はあっても、政府が表立って「交渉」を行うことはできない。そのため、民間人のドノヴァンに白羽の矢が立つわけだが、何の保障も後ろ盾もなく、もし交渉に失敗すれば彼個人の責任となる悪条件。それどころか本来の目的を達する前に、治安の悪い東ドイツで殺されたとしても当局は一切関知いたしませんというわけだ。

奇しくも同じタイミングで、東ドイツアメリカ人学生プライヤーがスパイ容疑で逮捕され、ドノヴァンは彼も計算に入れた「1対2」の人質交換交渉を試みることを決意する。ドノヴァンがこの役目を引き受けるのは、乗りかかった船への責任や使命感のためであり、またアベルやプライヤーを思ったシンプルな人情のためである。

ペンタゴン・ペーパーズ』の遣り手ビジネスマンとは異なる、どちらかという人情家の面を押し出したハンクスなのだ。それが髪型にも表れていて(あちらの映画では大分ピシリとしている)、髪型からキャラクターを比較するのも面白い。

交渉の舞台である東ドイツに場面を移す後半からは、グッと緊迫感が増す。東西を隔てる壁が構築される様子が陰気なグレーの画面で描かれる。これだよこれ~。

スピちゃんはジュラシック・パークインディ・ジョーンズといった楽しい映画を撮る一方で、戦争や重い社会情勢を取り上げた作品を作るが、すごいなと思うのは、この後者のカテゴリにおいても「見せる」のを忘れないことだ。S氏が言う「見る」「見られる」の構図の話ではなく、エンタメを忘れていないと言う意味ね。

シンドラーのリストでの一番の見せ場は結局のところ、シンドラーユダヤ人たちを救うストーリーでも最後にユダヤ人たちに向き合い泣き崩れるシーンでもなく、アーモン・ゲート率いるSS部隊がゲットーでユダヤ人を虐殺しまくるシーンであることは間違いない。バッハの旋律に合わせて理不尽な暴力を長々と映した、娯楽色に満ちた最悪のショーだった。

スピちゃんが撮る東ドイツというだけで、どんな悲惨なことが起こるのだろうと不謹慎ながらワクワクしてしまう。この映画では、色んな意味での「ブリッヂ」がテーマであるので、もちろん悲惨なことは起こらないのだが。

 

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スピちゃん×鉄条網にわくわく。

 

◇人情味の連鎖

ドノヴァンの強固な意志と人情味は、アベルだけでなく東ドイツに同行するCIAにも連鎖する。CIAエージェントのホフマンを、最後まで任務に徹する諜報員として描くこともできたはずだ。だが登場時こそ不気味だったものの、後半、ドノヴァンの勝手な行動に狼狽して髪の毛を振り乱すホフマンにCIAらしき冷徹さはない。

CIAが取り戻したいのは、機密情報を有する意味で有害なパワーズだけであり、プライヤーに興味はない。そのためホフマンは、プライヤーも取り戻すことを条件に掲げるドノヴァンと対立し、彼の余計な動きを阻止しようとするのだが、阻止するにも例えば家族をネタに脅すなど方法がありそうなものを、ドノヴァンの周りを跳ね回ってわあわあ騒ぐのみなので、何とも無害だ。

「風邪をひいたから早く帰りたい」と終始愚痴るドノヴァンの風邪は、途中いつの間にかホフマンに移っている。これは、ドノヴァンがソ連側に仕掛けた「1対2」の交渉の返答を待つ緊迫したシーンに繋がり、相手から提案に同意する旨の電話を受けたとき、「1対1」派であったホフマンが満面の笑みで、交渉の成功をドノヴァンに伝える。移した風邪と同様、ドノヴァンの熱意がホフマンに伝播したことを示したよい演出だった。

交渉の描き方も、実直なドノヴァンらしくシンプルで分かり易い。主張のポイントをブレさせないこと。そしてこちらの要求を飲めば「メリットがあると知らしめること」80%、かつ要求を飲まなければ「デメリットが生じると知らしめること」20%、この比率である。交渉ごとの基本ですね。

※すみません、比率は適当なこと言いました。

ドノヴァンはこれをアベルの裁判では判事に対して、国外においては両政府に対して実行してみせた。加えて、最後は本来の専門である保険とは真逆の「賭けだ」と言い切るのにスカッとする。

個人的に不満だったのは、物語を丁寧に回収してみせた点、具体的には詳細な後日談を付け加えた点だ。

グリーニッケ橋の捕虜交換シーンは、白と黒のコントラストも美しければ、両国の温度差の対比もよかった。パワーズが同僚マーフィに抱きしめられて迎えられるのに対し、アベルには、その顔を判別できる人間すらいない。橋での別れの直前、米国に拘束されていたスパイがソ連に帰ればどうなるのかを懸念するドノヴァンに、アベルは「私の待遇は、抱擁で迎えられるか、あるいはただ車の後部座席に乗せられるかで分かる」という。そして、最後まで見守るドノヴァンの前で、彼は同胞に抱擁されることなく、後部座席へと促される。

ドノヴァンは、1対2の交換を成し遂げたが、それによりアベルを死に追いやった。帰国後、穏やかな光景が広がる電車の中から、柵を飛び越える少年たちを目にして顔を曇らせる。ドノヴァンの偉業を国中が讃える中で、本人だけが苦い葛藤を抱いていることを示す、余韻の残るラストだった。

な、の、に!

最後に、アベルは妻子と再会し存命であるとのテロップが流れる。

生きてんの?

あの余韻はなに?「実話に基づく」話であったとしても、最後に現実へとリンクさせる必要があるのだろうか。それとも、現実と映画の境目をなくすことを、この偉大な爺さんは試みているのでしょうか?

『闇金ドッグス』

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期末です。どいつもこいつも期末期末って、急に期末が目前に来るわけじゃなくて、3月がやってくること事前にわかってるわけでしょ?2月半ばに呼び出してさ、今期予算でやりたいから3月末までに何とかなりませんかって、あーたが何とかしいや。

今日は私、すごく鮮やかな黄色のスカートを着ているんです。で、同僚がキレイな水色のスカートを穿いていたんです。それで「私たち爽やかだねー、うふふ」って話してたら、後ろを通ったN氏が「中身、ババアやけどな」って。・・・。

そんなこんなで、プリプリしている私が週後半、残された力を振り絞ってお送りする、本日は闇金ドッグス』です。帰らないでください。Netflixでみられるからね!

私の身近な人々においては「来たな」と思われたかと思いますが、満を持してご紹介。弟の奥様いくちゃんは、ほわっとしていながら関西人らしさもあり「お姉さん、最近なにか面白い映画ありましたか?あ、闇金は結構です」など堂々と言ってきます。

先日、絶妙な言語センスで人体破壊映画を斬り続けるinoちゃまを、闇金に引きずりこんでやりました。ちょっと手招いたら、見事にこちら側に転がってきましたよ。本日は構成上、ハイローの悪口を言っていますが、許してね。

さて、『闇金ドッグス』は映画というよりVシネです。いっぱい出ています。

闇金ドッグス』  監督:土屋哲彦/2015年
闇金ドッグス2&3』監督:土屋哲彦/2016年
闇金ドッグス4&5』監督:元木隆史/2016年
闇金ドッグス6&7』監督:元木隆史/2017年
闇金ドッグス8&9』監督:元木隆史/2018年

◇概要

闇金を題材に欲望渦巻く裏社会に生きる人間たちを描いた「闇金ドッグス」シリーズ。若くしてヤクザの親分になり、稼業引退後に闇金の世界へ足を踏み入れたラストファイナンスの社長安藤忠臣(山田裕貴)は、元イケメンホストの須藤司(青木玄徳)とともに一癖ある債務者たちを追い込む毎日を送っていた。(映画.com)

安藤忠臣を演じる山田裕貴は、色々なドラマや映画で奮闘中ですが、現時点では数多排出されるライダー俳優枠に留まっている段階でしょう。頑張って下さい。そのため、闇金ドッグスを取り上げるブログは、山田裕貴を「推し」として応援する方々のファンブログがほとんど。シリーズが更新されるたび、皆さん固唾を飲んで忠臣さんの一挙一動を見守っております。ここは私が冷静に斬りましょう。いえ、私もファンですが、流石に「ハイタッチつき★DVDお渡しイベント」とかには行かないので。

安藤忠臣(以降忠臣さん)は、AMGエンタテインメントがコツコツ作り続けているヤンキー映画の脇役として登場、後日彼を主役にして始まった新シリーズが『闇金ドッグス』である。お茶の間への浸透度はゼロ。

昨年山田裕貴は様々な映画に手当たり次第出演し、番宣のため情報番組に出ていたが、代表作として紹介されるのは大体『HiGH & LOW』だった。

『HiGH & LOW』EXILEとその仲間たちが作っている、スケールはデカイが中身は空白のドラマである。若者のいくつかのコミュニティが、時代も社会情勢も謎の世界で対立しており、「山王連合会」というザイルの推しメンたちを集めたチームを中心に熱き戦いが描かれる。山田裕貴目的でこのドラマを(早送りしながら)観た私だが、ザイルたちがどういった立ち位置で何を目的として戦っているのか分かっていない。途中誰か大怪我して入院したり、組織を作ったせんぱいがたと争ったりしていたけれど、原因も経緯も分からなかった。早送りしてるからね。

山王連合会の頭、つまり実質の主役は「俺、正社員になる」のCMで御馴染のガンちゃんなのだが、演技がクッソ下手発展途上であるので、「ぶっ殺すぞ」の台詞が漏れなく「俺、正社員になる」に変換されて困ってしまう主役だ。山田裕貴は敵対グループ「鬼邪高校(おやこうこう)」の番長役で、これが超いいキャラクター。なので朝昼の情報番組で紹介されるのが『HiGH & LOW』になることに異論はないのだが、現時点で山田裕貴の代表作であるのは間違いなく『闇金ドッグス』、略して闇ドでしょう。

◇ぺーぺー時代

ヤンキーシリーズの脇役で、チンピラとして登場した忠臣さん。高校を三日で辞めてヤクザの組に入り、十八歳で兄貴分をハジいて何らかの功績により組長に昇進。そして、手下の裏切りにあって組長を辞めた。←闇ドのスタート地点。

ありえない設定と言うなかれ、ヤクザの組ったって千差万別、有象無象でしょう?何とか会の何とか組で多くの企業を抱える組の組長もいれば、その傘下のそのまた傘下で、数人で看板掲げてる組だってあるンでしょう?知らないけどさ。だからいいんです。組長辞めて闇金始めた、この時点で多分まだ二十代前半、はい、レッツゴー。

組長時代には五十万をポンと貸してくれていた金貸し(高岡奏輔)が、組を辞めた途端に利子含めて金を返せと迫るところから話は始まる。忠臣さんは無一文で、一般社会においては振る舞い方すら分からない、まるで迷子の犬。なのに「借りたものは返す。それが仁義だ」と虚勢を張る。コイツかわいいなと思った(であろう)高岡奏輔が「なんならあんたも金貸しやってみるか」と言った次のシーンで、忠臣さんは手作りらしきチラシをペタペタと街中で貼っている。その驚くべき素直さ。長所。

その後、初回の客に何の保証(担保)もなく十万円を貸して逃げられる。高岡奏輔にノウハウを授けられ「初回は三万だろ、あと担保は取れ」と言われると、次の債務者アイドルオタクの良夫にはそのまま実行。素直。

良夫に金を貸す駐車場でのシーンでは、十万貸せと言う相手に「何に使うんだ」と質問。「えりなと握手するんだ」と言われ「えりな?」と眉を顰めながらもまた訊く。差し出されたアイドルノートを眉根を寄せつつパラパラと繰る。いいから、読まなくて。
良夫が「俺は働かない選択をしている。イデオロギーがあるんだ」というとイデオロギー?」と困惑。いいから聞かなくて。金貸したら、スッと去れ、スッと。

「借用書なんか取らねえ、俺の頭ん中に入ってる」って、いや、借用書は取ろう。

この時点での忠臣さんは「普通、人が何に金に使うのか」「何を考えて生きているのか」が分からない状態。さらにアイドルとの握手に十万円必要と言われて「ますます分からない・・」と馴染まぬ社会への困惑を表す、楽しいシーンなのである。

闇ド初期の楽しみ方は、平気で嘘を吐く債務者に振り回される忠臣さんを、高岡奏輔と共に「もう、しょうがないなあ」と保護者のごとく見守る、これです。だってお金なくて、中華屋の前で唾飲むシーンとかあるんだよ?

 

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良夫をタコ殴り、「昭和かよ」と呆れる高岡奏輔に「オレ流だよ」とのたまう。しかし一銭も回収できてはいない。

◇中堅時代

闇金ドッグス2』になると、事務所を借り債務者への回収態度もこなれてきて、闇金業は少しの安定を見せている。前作で債務者であった須藤司青木玄徳を雇ってバディ体制となり、ここから二人が交互に主役を務める形で「2&3」「4&5」「6&7」「8&9」が制作された。そして9を最後に止まっている。

これは司役の青木氏が現実でお起こしになった不始末のせいである。彼を「推し」とするファンの方々の間ではセンシティブな話題だろうが、まあ簡単に言えば、酔っ払って夜道で複数女性に後ろから抱きつき怪我をさせた。不起訴になったらしいが、その後の行方は知れない。そろそろ出てきて禊を済ませてはどうでしょうか。

劇中ではイケメン闇金融として女性客を掴む役だった青木氏だが、何よりカッコよかった映像が、事件後自宅から連行される際のニュース映像だった。事件を報じたYahoo!ニュースのコメント欄は「イケメンすぎる」「言えば私が抱きつかせてあげたのに」というコメントで溢れた。

                    

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同感です。

9は上映中止の憂き目を見たが、何とかDVD化だけはされ、その中で「俺、女で失敗しないんで」との青木氏の台詞がカットされなかったことに万歳三唱。

また楽しいのが、映画の向こう側に透けて見える、少々ズレた監督やプロデューサーのおっさん制作陣だ。『闇金ドッグス』にて、高岡氏に「闇金ナメるなよ」と言わせるが、自ら闇金と名乗る珍妙さ、その名称が「いち職業」として一般流通していることを前提にしている可笑しみに気付いてらっしゃらない。

また『闇金ドッグス2』ラストで、騙し取った金を「もらっちゃえばいいのに」という司に、「馬鹿野郎、俺は詐欺師じゃねえ。金貸しだ」と返す忠臣さんには、「いつの間にそんな金貸したる自負を!?」と吹き出さざるを得ない。もしこれが、馴れない世間を相手に右往左往する忠臣さんを見せるために、敢えてのズレとして描く工夫ならば、その細やかさを褒めたいところだが、恐らく高い確率で制作陣の天然ボケだと思う。

 

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山田ファンをざわつかせた、元カノみなみちゃんとのベッドシーン(事後のみ)。ベッドシーンへ転じるまでの流れも不器用なら、場末感溢れるラブホの部屋と元カノの格好にも、おじさん制作陣の苦労が見てとれる。

◇方向の転換

最初に紹介した通り、監督が1~3(正確には1ではないのだが1と呼ぶ)と4~9で異なり、これが作品のカラーに大きな違いを生んでいる。1~3は債務者の精神面の惰弱にテーマを置き、彼らの行動に振り回される主役二人を描いた。以降は実際の事件をモデルに社会問題を糾弾するものが多くなる。どちらがよいかといえば、圧倒的に1~3である。

1~3では、債務者への「うわ~、いそう!」と身悶えを伴うゾワっと感が、そのまま現実感となるが、5から先は社会問題の分かりやすい部分を摘んで強調するため、既視感のある描写が多い。それでいてベースの知識が付け焼き刃であることを隠せていない。観客側としても、わかりやすく切り取られた「底辺の人間の闇」を見せられていっぱしの「闇」を見た気になり、「こんなことを起こしてはいけない」「重くてヘコんだ」などと簡単に感じ入るのもちょっとね(ホントに知りたいなら、新聞や本を漁るべきでしょうね)。

主役の二人はあくまで、各回ピックアップされるテーマと債務者を際立たせるための存在である点が重要だ。二人が「生活」している描写はほぼなく、実際には尺の問題なのだろうが、結果的にこの生活感のなさが、彼らがただ金の回収のため動く無機質な存在であることを強調する効果になっている。だからこそ、債務者たちにはねっとりした身近な現実感が欲しい。

また何より残念なのが、作品が重なるにつれ、忠臣さんが法律なども勉強され、怖いもの知らずの経営者になってしまったこと。ペーペー期のように右往左往したり、イデオロギーってなんだと眉根を寄せるような可愛げが薄れて驚くほど万能、汗だくで走るシーンも減った。こういったことを総合して、1~3の方がわたしは好き。

やはり社会の底に位置する二人が、小悪党に翻弄され、最後は何らかの形で決着をつけて溜飲を下げる、このシリーズの魅力はこれに尽きる。

◇各回を彩る債務者たち

度々セリフがおかしかったりするのは、制作陣の天然ボケのせいだと思うのだが、一方で債務者のいやらしさはリアルで、また役者がえらく嵌っている。ボケと鋭さのマリアージュが、この作品を無視できない理由なのである。 

 

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1よりアイドルオタク良夫(古澤裕介):
出した金を引っ込めようとする忠臣さんを留めるとき「あいや、待たれよ」と急に時代がかった口調になるあたりがオタクっぽい。やたらしっかりした身体をしているので、ちゃんとした役者さんなのね。

 

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2より居酒屋の店長岡林(黒田大輔):
立場が上の者には阿るが、目下の人間に威張りちらす小市民感が非常にイヤー。行きつけのスナックのママに「本社から声掛ってるのに、現場主義に徹してるんですから~」見栄を張るのがとても気持ち悪い。

 

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3より芸能プロダクション社長沢村(津田寛治):
債務者ではないが。自分とこのタレントから大胆すぎる額のピンハネを行う。
「オッケー、グー。オッケー、グーですよ~」が口癖で一度聞くとしばらく耳から離れない。

 

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4よりAV制作会社社長(坂田聡):
手前の人。嫌らしい役をやらせたら右に出る者のない坂田聡さんが演じる。しかし会議で、新作AVのアイデアを語るシーンはやりすぎ。

 

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5より沼岸さん(菅原大吉) :
不器用さと気の利かなさが原因で職を失い、認知症の母親を抱えて困窮する。社会不適合っぷりを缶コーヒー1つで表現したのはなかなか!

 

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7より司の小学校時代の担任加藤先生(藤田記子):
誠実な教師に見えるが、小さな男の子にしか欲情しない変態おばさん。
「そうやって性的マイノリティをすぐ拒絶しますぅ」「○○な××をピーするのが最高なのよッ!」(←怖くて書けない)の台詞が強烈。

 

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8より湯澤家:
生活保護を不正受給して自堕落な生活を送る家族。贅沢といえば肉→スキヤキの描写にヒネりがなさすぎて、逆にいやらしさがない。なおインスタで8の感想書いたら、ママを演じた結城さなえさん(右)に「いいね」された。 

◇好きなシーンベスト3

<第3位>

3位は先程書いた、駐車場でアイドルオタク良夫に金を貸すシーン。 

<第2位>

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闇金ドッグス4』にて、AV会社社長坂田さんが300万貸してくれと土下座するシーン。担保はあるのか?と訊かれて「ありますとも!俺の、三つの『気』です!本気、やる気、勃起!と叫び、二人の冷たい反応を喰らう。言うと思ったけど名シーン。 

 

<第1位>

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闇金ドッグス2』にて、居酒屋店長岡林にトバれてブチキレるシーン。事務所の鏡を拳で割ってから岡林のアパートに走るも捕まらず、怒ってポスト殴打。イライラ貧乏揺すりしながら煙草を取り出す。やーん、タバコの銘柄、セッターなんだー❤︎

ようやく岡林を確保し、スナックのママに頼まれて保険に入ったんですーという馬鹿な岡林をビルの屋上にてシバく。「電話切れよ。うるせぇよ!」の言い方が好きすぎる。 

 

はい。あざしたー。

 

疲れてきたので最後は、血迷った制作陣がキングスマン ゴールデン・サークル』のポスターをパクッた闇金ドッグス9』の画像でお別れです。

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結果、まったく冷静に斬ることができませんでしたが、なんとなく魅力は伝わったでしょうか。

た『闇金ドッグス10』公開時にお会いしましょう!


引用:
(C)2015「闇金ドッグス」製作委員会/(C)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会/(C)2016「闇金ドッグス4&5」製作委員会/(C)2017「闇金ドッグス6&7」製作委員会/(C)2018「闇金ドッグス8&9」製作委員会

『殺されたミンジュ』

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監督:キム・ギドク キャスト:マ・ドンソク、キム・ヨンミン/2014年

毎日寒いですね。朝、電車に乗るまで手袋をしていますが、黒っぽい皮の手袋なんです。インディ・ジョーンズ 最後の聖戦でマイケル・バーン演じるナチのヴォーゲル大佐が嵌めていた手袋を思い出します。

ヴォーゲルがパパジョーンズことショーン・コネリーのほっぺたを、外した手袋で叩きながら「手帳には(パシッ)、なにが(パシッ)、書いてあるんだ(パシッ)」とヤな感じに尋問するシーンがあって、パパジョーンズが何度目かで手首をつかみ、「お前らみたいな低能は、本を焼かずに読めと書いてあるんだよ」っていうんだけど、ここが好きで。

こういう手袋持ってたら再現したくなります。それでたまに夫の顔を手袋で叩いて「さあ、ほら、パパジョーンズのセリフ!」というんですが、ちょ、いてッ、知らねえし。あほか!」と言われるだけでつまらない。

しかし本日は、インディではなく『殺されたミンジュ』です。初、韓国映画

 

◇あらすじ

ある晩、ソウル市内の市場で女子高生ミンジュが屈強な男たちに殺害された。しかし事件は誰にも知られないまま闇に葬り去られてしまう。それから1年後、事件に関わった7人の容疑者のうちの1人が、謎の武装集団に拉致される。(映画.com)

キム・ギドク監督作品で最近続いている、社会問題へ警鐘を鳴らすタイプの、しかも観念的な映画。

女子高生殺害の実行犯達は上層部の「命令」に従っただけで、少女が殺されねばならなかった理由を誰一人知らず、観客に対しても彼らが属する組織や立場は説明されない。ただ、労働者階級に対して上流階級に属し、搾取を行う側の人間達であることだけが示唆される。

ある時から、少女の殺害実行犯が一人ずつ、謎の集団に拉致され拷問を受ける。当初この集団は、正義に基づき悪に制裁を加える組織のように見えるのだが、実は搾取される者の寄せ集めであることが描かれていく。ミンジュの近親者であるらしいリーダーのみ使命感を持ち、それ以外のメンバーは金を受け取って拷問に参加し、憂さを晴らしているだけだ。

そのため、私刑組織がミンジュ殺害の実行犯を傷めつける流れは「ゲーム」感覚が強い。都度、服装や場所のシチュエーションが異なり、拷問もターゲットごとに手を変え品を変える。面白いのは「楽屋」があることで、彼らは一仕事を終えると、衣装や偽の武器、ライトのついた鏡が揃う楽屋へと引き上げて着替え、何を食おうかとか次は誰だなどを暢気に話し合う。その後、リーダーが車で一人ずつ自宅へ送り届ける様子は、さながら小劇団が今日の演目を終えて解散するかのよう、誰一人これを使命などとは思っていない。

本作のポスターや最初の拉致シーンでは、軍のヘルメットのシルエットが不気味でカッコよく、苛烈な報復の展開になることを予感させるのだが、金や憂さ晴らしのためにゲームに参加している面々の様子と「楽屋」のシーンを経て、この映画が復讐劇ではないことがわかってくる。

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 (C)2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

 

リーダーを演じたのはマ・ドンソク兄貴!好きです新感染 ファイナル・エクスプレスで単細胞だが心優しい筋肉マンを演じて以来、私の中では兄貴なのだが、えっと、ちょっと待って下さい、年下だったらどうしよう・・・ごそごそ。

大分 年上でした!  

 
◇茶番劇

社会的な地位の低い私刑集団のメンバーは、実は進んで搾取される道を選んでいる。
客から蔑まれる日々に抑圧されているカフェバーの店員、知り合いに金をだまし取られ廃墟に住みつく男、借金のある男、アメリカに留学したものの職がなく兄夫婦宅で厄介者となっている青年。象徴的なのが、紅一点のアン・ジヘが情夫に暴力を受けながら、金とセックスに流されてしまうシーンだ。彼女は「よいときもある」と現実から逃げ、不毛な関係を清算しようとしないし、ドンソク兄貴の過熱する暴力を非難しながらも、抜けることはしない。 

上記の加害者、つまり情夫や借金取りや兄すべてを、同じキム・ヨンミンが演じた。ミンジュ殺害犯側で拷問される「一番目の男」も演じているので、ここでいう加害者としては一人七役といったところか。メンバー各々の苦境が描かれるが、その度にキム・ヨンミンが服装や髪形を変えては加害者に扮し、ついには、顔に大きなホクロをつけて登場。

ホクロといえば芝居の小道具、しかも一人七役。それこそ寸劇を見ている感覚に陥り、「搾取される側」の人々にとって、芝居はゲームから現実に戻っても続いていると皮肉るかのようだ。搾取する側は顔のない権力のために動いているが、される側はされる側で、己の不遇を他者のせいにして茶番を演じている。

話は脱線するが、以前、束縛体質のどうしようもない彼氏と同棲している知り合いがいたんだ。折に付け愚痴られるんで「あんた次第でどうにもなるんやで?」と言ったら、「正論だけど冷たい」と言う。私は「わかってるんだけどどうしようもないの」みたいな弱い人に冷たいらしい。

後日彼女は、別の男を見つけるやいなや、その男に手伝わせて彼氏不在の間に自分の荷物を全て撤収、夜逃げ作戦を敢行。しかも近所に不審に思われないよう、新彼を引越し屋に化けさせたという。強いじゃん。

一方、ドンソク兄貴は弱者に優しい。借金取りに追われる男が「俺が無能なんだ」というのに対し、兄貴は「いや、世の中のシステムが悪い」と返す。彼はこの時点では本気でそう信じている。

しかし、怒りのあまり拷問をエスカレートさせる兄貴と、躊躇し始めるメンバー達の間には徐々に亀裂が生じる。ついに殺人事件の首謀者を手中にしたときに、亀裂は決定的なものになる。兄貴は弱者のためを思って動いてきたが、強者と弱者は互いを必要とし作用しあっているのだと気付く。

 

◇システムへの警鐘

結局のところ、ミンジュの素性も、彼女とドンソク兄貴の関係も一切明かされない。それらは象徴的な事柄でしかないからだ。重要なのは、ミンジュを殺した犯人たち自身が殺した理由を知らないことの馬鹿馬鹿しさ、私刑集団の面々の意志のなさ。また、互いに組織に属しながら、「顔」=「意志」を持つのはドンソク兄貴と敵としてのキム・ヨンミンだけという事実だ。キム・ヨンミンの「一番目の男」は、最終的にシステムに組み込まれていた自分を嫌悪し、命令を下した組織上層部の人間を殺して内側からシステムを喰い破る役も担っている。

この映画は韓国で民主主義が死んでいることに対する警鐘だ、と監督自身が語っている。世界でも有数の自殺大国であることに言及し、社会的な格差や貧富に関係なく、精神的に抑圧された人々が多いことが現代韓国の問題だという。
作った本人がそう言ってるので間違いないんだろうが、個人的には、システムの中で「与えられる立場」に甘んじていた人々の描写から、民主主義を殺すのは意志なきものだという皮肉を感じ、それが印象的だった。

ちなみに撮影も監督が行っており、どうやら未熟な部分が目立つらしいが、私にはわかりませんでした。

韓国の映画には、自社会に内省を求めるものが多く、ギドク監督『嘆きのピエタは金貸しを通しての貧困問題がテーマだった(らしい)。私はこの映画に関しては、主人公が超ツボで萌え通しだったのと、爆笑ラストのせいで、貧困問題はそっちのけになってしまったけれど。

資本主義への批判では、ポン・ジュノ『オクジャ』が捻りがある上にスマートだったなあと思う。資本主義など知らない少女が、システムに逆らうのではなく、システムの中で資本主義的解決を見せたのがすごいなと。

逆らうことにかけては専門職の国において、そんな映画を作ることがポンちゃんのすごさだというのか。

強引にまとめますが、韓国って国はすぐ権利盗んだり、すぐ飛び蹴りしやがったり捏造したりサルの真似したり(主にサッカーにて)、かと思うと猛烈に内省してみせたり、ワケの分からん国だが、そのせいなのか映画はめっちゃ面白いなと思うわけです。

ギドク監督には、『魚と寝る女』みたいに、ぬるっとした作品もまた撮って欲しい。

『駆込み女と駆出し男』

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監督&脚本:原田眞人 キャスト:大泉洋戸田恵梨香満島ひかり/2015年

以前通っていた着付け教室のメンバーと仲良くしていますが、着物なんか着ようとする人ってやっぱり酔狂で変わってますよね。ケイちゃんという人がいます。酸いも甘いも噛み分けた感じのオモロい人で、動じないキレない、基本酔っ払いだけどとにかく人に優しい。詳しいことは知らんのですが、本業を持ちつつセミプロの歌手らしく、度々どっかでライブをやっているらしい。

先日「2/9に私の生誕祭をやるから来て」と言われて、どこかの店でわいわいやる感じらしいので「ちょっと顔出そうかな」ってことだったんです、はじめは。しかし、日が近づくにつれ、「ちょっと歌うことになった」「何かドリームバンドが集まった」となり、ついに「完全ライブになりました、遅刻厳禁!」と告知がありました。

先程「席あるんだっけ?」とうっかり訊いたら、「だーかーらー、椅子なんかないよ。三十人くらいの三時間立ちっぱなしライブだって言ってるでしょ!」と怒られました。

どんな、誕生会なのでしょうか・・・コワイ。

そんなわけで、明日は立ちっぱなしの私がお送りする、日本史のおべんきょうができるかもしれない映画感想となります。しかし、この映画のポスターと題名ね。コメディかと思うよね。コメディじゃないんですよ。

 

◇あらすじ

舞台は江戸時代の鎌倉。幕府公認の駆込み寺・東慶寺には離縁を求める女たちがやってくるが、寺に駆け込む前に、御用宿・柏屋で聞き取り調査が行われる。柏屋の居候で戯作者に憧れる駆出しの医者でもある信次郎は、柏屋の主・源兵衛とともに、ワケあり女たちの人生の新たな出発を手助けすることに。(映画.com)

時は1841年、天保十二年。
天保と聞けば日本史好きな人ならば、天保の改革、老中水野、倹約令などが頭に浮かぶだろう。さらに倹約令により弾圧された当時の風俗や文化、具体的な著名人の名前が思い浮かべばなお良し、逆に時代の見当がつかない観客は、始まりから戸惑うこともあるかもしれない。

何らかの罪により、市中を引き回される女たち。「おんなぎだゆう」の単語が聞き取れるが、漢字が思い浮かばないと彼女達が縛されている理由を察するのは難しい。
続けて、堤真一演じる堀切屋が、男たちを贅沢にもてなす座敷の場面。ある男に「しゅんすいさん」と呼びかける通り、座敷の一人は春色梅児誉美を代表作とした戯作者の為永春水だ。江戸後期を代表する文化人で、人情本と呼ばれる主に男女の色恋話を描き人気を博したが、内容が淫らであるとの理由でお咎めを受け、そのときの刑が原因で死んだ。

また「ほうかん」という言葉も出るが、これは「幇間」で所謂たいこもち、酒席などで芸者・舞妓を助けて場を盛り上げ、客の機嫌取りをする役割の男たちのこと。堀切屋らを監視する男は鳥居耀蔵で、老中水野忠邦の右腕として苛烈な質素倹約を庶民に強いた。

これだけの情報が、最初10分に詰まっているから堪らない。簡単に言うと、上から贅沢禁止令が出て、ちょっとエロい本や芝居、落語などの娯楽、絹の着物など華美な装いが禁止された。大泉洋演じる信次郎の「楽しいことは全部悪いことかよ!」の叫びが、庶民の叫びと思えばいい。

それにしても、堤真一の滑舌には問題があるよね・・・。クライマーズ・ハイでも、新聞社内の激論は聞き取りづらかった。しかしあの映画で、墜落原因について探る堺雅人が「隔壁ですね?」とカマかけるシーンはすごくカッコよかった。

あ、脱線した。

為永春水だけでなく、人々の雑談の中には、浮世絵師であり戯作者であった山東京伝の名も挙がる。雑談の場である特徴的な形の大衆浴場は、式亭三馬浮世風呂への目配せだろう。そういう情報をキャッチするたび、日本史好きとしてはアガる。

特に『八犬伝』の作者曲亭馬琴は、劇中で当時の文化人代表と位置付けられ、信次郎にも色々な意味で特別な存在となる。『八犬伝』は、犬の生まれ変わり的八人の青年が、腐敗したご政道を正すために戦う長編の読み本で、八人のキャラにイケメン、力持ち、女装青年、ショタなど各種メンズを揃えた萌え本。最後は失明した馬琴が、息子の嫁に口述筆記させ、二十八年をかけて完成させたライフワークだった。ちなみにわたしも八犬伝が大好きで。。。あ、また脱線するぅ。

とにかく、庶民の愛する風俗や表現がお上により弾圧された時代だった。進退窮まった女たちを描く舞台に、この時代を選んだことは良いアイディアではないでしょうか。監督は、江戸庶民の生活を撮り続けた溝口健二に影響を受けていると語っており、当時の町人言葉や人々が口ずさんでいた歌を取り入れることに拘った。特に言葉への拘りは、御用宿の利平が「素晴らしい」を「すぼらし」(みすぼらしい)と勘違いした際、信次郎がそれを正して「素敵」という言葉を教える場面などに顕著だし、早口の長台詞や川柳などもバンバンと放り込まれる。

 

◇言葉強い

「言葉にこだわった映画」とはおかしな言い方で、映画は言うまでもなく映像で表現を為すメディアだ。小説こそが、この物語の本当の舞台だろう。言葉での情報が過多であるとの指摘、「早口で何言っているかわからん」との不満もあるだろうが、監督の、そういった批判は織り込み済みの挑戦である点を強調しておく。会話の詳細が分からずとも、当時の庶民の息遣いを感じてほしいとのメッセージを大事にしたい。

また、「聞いたことない言葉が多い」の不満は、単なる知識の問題で、低評価の理由として堂々と挙げるものではないと思う。時代劇好きな私としては、当時の人名や言葉を、よくぞ大衆に阿らずにぶちこんでくれたと感心した。

なお、ストーリーは、信次郎が戯作修行のために事情を抱えた女達を「人見」し、それぞれの人生に立ち会うものだし、テンポのよい場面も多く、物語として十二分に楽しめるようにできている。

御用宿で繰り広げられる信次郎と女衒の三八親分の口喧嘩は大きな見せ場の一つ。信次郎が、東慶寺とはどんな寺かを口八丁で親分に説き、追い返そうとする。曰く「東慶寺は権現様(徳川家康)お声がかりの寺ですよ」。

東慶寺千姫所縁の寺であり、千姫の養女天秀尼が住持となった際に、家康から寺法に対するお墨つきを得たという伝承に触れた台詞だ。また信次郎は、会津藩堀主水一族のエピソードを持ち出すが、これは簡単に言えば、会津のお殿様が、部下の主水に諌められたのに激怒して主水らを誅殺。妻子らは東慶寺に逃げ込み、殿様は東慶寺側に女達を差し出せと迫ったが、天秀尼は断固として応じず逆に殿様を失脚させた話を指している。なんかこういう漫画あったでしょ、柳生十兵衛が堀の女たちを鍛えて殿様に復讐する・・・ってちょっとエロい時代劇漫画。

ここでの、大泉洋さんも苦労したであろう長口上の台詞は、東慶寺がおいそれとは踏み込めない場所であることを、観客および三八親分に知らしめるわけである。

堂々と「かいえき」などと言わせるあたり(改易)、観客に対する配慮は相変わらず見えず、そこが気持ち良くて、もっとやれーと煽りたくなるが、「言ってることはよくわからんかったけど、とにかく信次郎が口だけでヤクザ者を追い払ったのね」との目線でも十分楽しむことができる。ひとえに大泉洋と三八親分のキャラクターとパフォーマンスのおかげである。

だからアレコレ言ったけど、別に日本史知らなくても楽しめるの、わかった?

 

一方で、映像の美しさを楽しむのもよいと思う。東慶寺の厳かさ、四季の移り変わり、駆け込んだものの何の未来も約束されない女たちの物悲しさ、それを視覚で伝える黒の衣。一転して初夏の爽やかな浴衣、衣替えに華やぐ女たちのひそやかな笑いが少しずつ傷の癒えるさまを鮮やかに映している。

さらに女達のエピソードに合うよう、映像的な工夫が為されているのも良いのである。
寺中において妊娠疑惑の生じたおゆきの「大審問」では、庭を挟んで見守る女達をパノラマのように広く映した画が芝居の舞台を思わせ、「大審問」の名に相応しい。また、足抜けした花魁のおせんが姉と再会するシーンは、抱き合う姉妹の体温が感じられるように雪の舞台とし、家族に降りかかる雪を美しく映す。死を間近にした満島ひかりがお山を下りるシーンでは、女達の夏の涼しげな着物が、まるで弔い装束のように目を打つ。


◇キャスト強い

これだけ揃えればそりゃあね、とオマケはついてしまうが、やはり役者が強烈だった。狂言回しの信次郎は、大泉洋は演技する必要がなかったのではと考えたくなるほど、そのまんま大泉洋だった。満島ひかり演じたお吟の婀娜っぽさは説明不要。また、お吟が今生の別れに、戸田恵梨香演じる”じょご”に贈る「べったべった、だんだん」は、渾身の「べったべった、だんだん」だった・・・。意味不明だろうから、観て下さい。東慶寺に駆け込んだ理由が一番ドラマティックだし、愛しい堀切屋に見送られながら事切れるのも良いのである。

また、戸田恵梨香が良かったと思う。つまらないドラマや映画で人形みたいな役しか見たことがなくて特徴のない顔の印象だったが、今回のじょごはなんとも愛らしい。満島ひかりの強烈な存在感を影として陽の部分を担い、過去を脱ぎ捨てて未来に向かう女性を凛々しく演じていた。

そのまんま大泉洋、怪物樹木希林キムラ緑子、神野三鈴など癖ある個性派ばかりの中で、法秀尼を演じた陽月華さんがおもしろかった。周囲が強いので、芝居はたどたどしく映るのだが、人を疑うことを知らないお嬢様である法秀尼に、そのたどたどしさが無垢さとしてハマる。他の尼を黙らせるときの「もうよい!」のアクションや「法秀が良いと申しました」の高慢な物言いが大変可愛らしい。

日本映画にも、こんないい作品がある。粋、人情、美は、まだ日本映画の得意分野のはずなのだ。頑張ってほしいものです。

 

あと、オープニングが大変よろしいです。信次郎を追う役人の呼子の音に、朗々とした独唱が重なる。これは、やはり『浮世風呂』に出てくる海老屋甚句という歌らしく、当時の舟乗りたちはみな舟を漕ぎながら口ずさんだそうだ。歌詞のように、荷を積んだ子舟が堀切屋の裏手につくところから物語は始まる。その流れが「素敵」だった。