Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『パッチギ!』

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監督:井筒和幸 キャスト:塩谷瞬高岡蒼佑沢尻エリカ/2004年

  

◇あらすじ

敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くよう、担任に言われた府立東高校2年生の康介塩谷瞬は、そこでフルートを吹く女子高生キョンジャ沢尻エリカに出会い、一目惚れする。ところが、彼女は朝高の番長アンソン高岡蒼佑の妹だった。(映画.com)

 

井筒監督って・・・最近なにしてるんでしょうね?昔、『パッチギ!』公開の少し前辺りに、井筒監督が話題映画を自腹で鑑賞して評論する『こち虎自腹じゃ』っていう深夜のバラエティコーナーがあったんです。毒舌が面白くて、よく観ていたなあ。それから、『モンスター』(2003)で役作りのために激太りしたシャーリーズ・セロンを、日本のマスコミが「これぞ女優魂!」と持ち上げる中、「役者なんだから当たり前」と冷ややかに斬っていたのが印象的でした。思想が強めな人だけに、日本は生き辛いでしょうね。

さて、本日は、学生運動ベトナム戦争、敗戦の影響が色濃く残る時代を背景に、高校生の恋を描いた青春映画『パッチギ!』を紹介します。

 

舞台は1968年の京都。鴨川を挟んで日本人と朝鮮人の住む場所は明確に別れており、日本人側からは対岸を「朝鮮部落」と呼んでいた。歌謡曲イムジン河』の日本語訳者である松山猛の自伝を原作とし、そこに当時監督自身が肌に感じていた時勢や体験が重ねられ、画面に生き生きと投影されている。

一方で、在日朝鮮人側に主眼を置いたため、また、テーマ曲『イムジン河』が彼らの悲哀を歌ったものであるとして、偏った反日の主張が為されていると多くの反感を買った。

私としては、訳の分からない熱を孕んだ時代を感じさせてくれることと、歌詞の内容はどうあれ曲の良さが好きだよねえ。今では想像もつかない濃い社会情勢に、ギターとフォークソングの音色の映えること。『イムジン河』の日本語版を初めて歌ったザ・フォーク・クルセダーズのリーダー加藤和彦が音楽担当で参加しており、この点も無視できない。

 

 

◇映画の設定は「設定」だよ

良い青春映画であるとの意見は共通しながらも、この映画が強い反発を受けるのは、言うまでもなく、後半の葬式のシーンのためだ。

朝鮮人の友人の葬式に参列した塩谷瞬演じる康介は、笹野高史演じる親族の老人から、日本人は帰れと罵倒される。そして周囲から次々と「我々は紙切れ一枚で故郷から強制連行された」「日本人が食べ残した豚の餌を食ってきたのだ」と厳しい言葉を浴びせられる。

この箇所を挙げて「一方的に日本を非難していて不快だ」とする意見がとにかく多い。一応、プロの批評家を名乗る前田有一に至っては、レビューの中で朝鮮半島の言い分に共感する者は感動できるが、愛国者の日本人であれば激怒する映画」と述べ、敢えて点数を付けずに時価、としている。

 

呆れて物が言えない。

 

忘れてはいけないのは、これは映画だということだ。

事実と、そこから発想を得た映画の中の設定をごっちゃにすべきでない。言うまでもなく、笹野の人物は映画上のキャラクター設定であり、「豚の餌を食わされた」は台詞だ。その言葉の内容の是非を問い、「映画の批評」として議論の俎上に上げるなどナンセンスの一言。

笹野の言葉に「そうだったんだ」と目を潤ませる者は★5つをつけ、反感を覚える者は★1つとする、感情移入できないとの理由で作品そのものを評価しない、批評ってのはそういうものじゃないでしょう。そんな議論は、映画の外でやればいいことである。映画でお勉強した気になるなって、おねーさんいつも言ってるよねええ。

井筒監督の中に、当時、急に発生した韓流ブームに対し「ちゃんと歴史を知っときなさいよ」という思いはあったろう。だがこれを、朝鮮側に偏った思想をぶちまけた映画だプロパガンダだと取るのはあまりに浅薄というもの。もしそうならば、あんなストレートに分かり易い日本糾弾のシーンは作らない。昨今のプロパガンダというのは、ひっそりと潜め、人々にそうとは気付かせずに洗脳するものでなければ意味がないのだから。

これはロミオとジュリエットの話だ。彼らの間にはバルコニーの代わりに、鴨川に象徴される境界線がある。

葬式の場面は、民族間の隔たりとしてしか境界線を捉えておらず、努力次第で飛び越せると思っていた無知な康介が、強烈に横っ面を張り飛ばされるシーンだ。康介がその場で感じたであろう、衝撃、反感、理不尽、羞恥。監督が観客に汲み取って欲しかったのは、そういったものでいいはず。この出来事があったからこそ、キョンジャは自転車で自ら境界線(鴨川)を越えるのだし、恋は成就するのだ。

 

 

◇オダジョーの『悲しくてやりきれない』

葬式会場から、鴨川に掛る橋へふらふら歩いてきた康介がギターを欄干に叩きつけてぶっ壊す。このとき後ろに流れる、オダギリジョーが歌う『悲しくてやりきれない』が至高。

オダギリジョーといえば、プロ意識の高さゆえ使い易いとは言えない役者であり、処世術と無縁のため、結婚会見では新婦と二人して押し黙り取材陣を困惑させた。私は昔からこの人が大好きで。まあカッコいいよね、声も甘くていいよね。そしてダメな作品に出たときは驚くほどカッコ悪いよね。出演作品を厳密に選定するが、必ずしも作品選びに成功しないところが愛すべき点。

作品選定に成功したときには自然体でありながら存在感を示し、個人的に一番の成功例が、この『パッチギ!』の坂崎さんだと思っている。『悲しくてやりきれない』は、最近ではこの世界の片隅に』(2016)コトリンゴが歌い、それも良かったけれど、私にしてみたら、やっぱりどうしたってオダジョーの方なのである。

彼の出演作の中で好きなのは、次点は『あずみ』(2003)の美女丸役。ワーストは蟲師』(2006)か、次回レビューをしようと考えているある作品だ。

ある作品、どうぞ予想してください。我こそはという人はコメント欄でどうぞ。何か賞品がもらえるかもよ。ちなみに『蟲師』は、初めて映画館で爆睡した。

 

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坂崎さんステキ。映画後半には、みうらじゅんみたいになってしまう。

 

塩谷瞬のギター叩き割りからの、大友康平「バァカ!どんな理由があろうとな、この世に歌ったらあかん歌なんかあるわけないんだよ!」以降は怒涛の泣かせ展開。

境界線は康介とキョンジャの間にだけ引かれているのではない。報復に向かうアンソンの車と陣痛に耐える桃子楊原京子が乗るバスの境、朝鮮学生と日本学生の間に流れる鴨川も同様だ。

康介がギター1本で歌い始めた『イムジン河』にオーケストラの演奏が重なり、桃子の出産、鴨川の乱闘の場面を経て徐々に境が崩れていく。そこから生まれた希望は、アンソンと桃子の赤ん坊、また康介の歌が流れるラジオを泣きながら親族に掲げるキョンジャの姿に象徴される。何回観ても私はここで泣く。

つまらないことばっか言ってないで、エリカちゃんの泣き顔を観なよ。

 

 

◇パッチギの呪い

パッチギ!』に出演した役者は、その後、多くがトラブルを起こして消えていき、そのため呪いの映画と言われているが、単純に順序が逆。元々強烈な役者が集まったというだけの話だ。

沢尻エリカについては触れる必要がないので割愛。オダギリジョーは前述の通りだし、高岡蒼佑と言えば言葉をオブラートに包むことを知らない、売られた喧嘩はガチで買うリアルパッチギ野郎。二股俳優こと塩谷瞬が元からアホなのは疑いようもなく、真木よう子仲代達矢主宰「無名塾」で目をかけられながら、日課のマラソンをサボったサボらんで仲代と喧嘩し、退塾となった問題児だ。

 

例えマラソンをサボったとしても、この映画のパンチパーマ真木よう子は、死ぬほどかわいい。

 

坂口拓に触れとかないとね。知ってる?坂口拓

劇中では、途中日本学生側の助っ人として現れる大阪ホープ会のボス、最後に高岡に、これがパッチギじゃあ!って頭突き喰らう人ね。

八極拳少林寺拳法、ボクシング、キックボクシング、ムエタイ等あらゆる格闘技に精通し、現代殺陣や時代殺陣もこなす日本最強のアクション俳優兼アクション監督。

数年前に、世界初「ワンシーンワンカットで77分戦い続ける侍ドキュメンタリー映画『狂武蔵』」を撮影(未完成)、燃え尽きて俳優を引退し、忍者になった(現在は俳優に復帰)。『狂武蔵』撮影中、奥歯を砕き指を骨折したが、自分の口で骨折した指を元に戻して撮影を続行。人体を内側から破壊する”ムーブなる技を体得し、「アウト×デラックス」で山ちゃんに1%の力で披露、悶絶させた。完全にイカれた人間だ。

まだ消費されていない桐谷健太の怪演もいいよねえ!

ということで、問題児予備軍をまとめあげた監督の手腕を褒めていきましょう。日本はこの作品もっと誇っていいと思うんです。熱っていうのは、こういう映画から生まれるんじゃないの?