Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『64 ロクヨン』前編&後編

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監督:瀬々敬久 キャスト:佐藤浩市綾野剛/2016年

 

皆さん、こんニャ。

ランボー ラスト・ブラッドがようやく公開され、観た方の感想を頻繁に見かけます。お客様の少ない本ブログでも、ちょっと前に上げた『最後の戦場』の記事を読んでもらっているみたいで。

 

yanagiyashujin.hatenablog.com

 

でも私は、何か気分が殺がれてしまってさー。皆さんの感想を読むと評価は高いんだけど、高評価の理由が「またランボーを観られることの幸せ」という過去作とスタローンに捧げるリスペクトなんじゃないかなって気がしちゃって。
私は逆に、そういうリスペクトなしに厳しめに観てしまうと思うんだよね、「なぜ、今ランボーの続編をやるのだ?」って。で、不機嫌気味に劇場を後にするような予感がしているんだ・・・。だから、ソフト化されたら、気が向いたときに観ようと思っている。次に映画館で観るチャンスがあったら、ダルデンヌ兄弟の最新作『その手に触れるまで』がいいな。

さて、そんなわけで本日は、公開当時は大作と話題になった『64 ロクヨンをご紹介。なぜ今更?自分でもわからん。

 

◇あらすじ
わずか1週間の昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」。事件は未解決のまま14年の時が流れ、時効が目前に迫っていた。かつてロクヨンの捜査にもあたった刑事三上佐藤浩市は、現在は警務部の広報官として、記者クラブ刑事部との対立に神経をすり減らす日々を送っていた。そんなある日「ロクヨン」に酷似した誘拐事件が発生する。(映画.com)

 

原作者の横山秀夫は大大大好きな作家であるため、今回も原作の特徴と比較しながら語って参ります。

しかし、また・・・文句を言わないとならない。もはや日本で、ある程度の金を掛けて著名俳優をキャスティングした「豪華」な映画は、一般大衆の反応と興行収入ばかりを気にするスポンサーの下でしか作ることはできないのだろうか。

 

 

◇「刑事」が描かれない

原作は647ページ、新聞記者だった横山秀夫の経験が存分に活かされた緻密・濃厚な小説だ。つまりは原作の全要素を映画に反映させることなど不可能、映像表現でしか成し得ない大胆な改変が必要だったと思う。だが残念なことに脚本は、物語の見せ場となる箇所を切り取り上辺だけを撫でたような浅いものだ。

欠点は非常にシンプルで、「どのようにすれば観客(それもお茶の間の観客)が主人公に共感し気持ちを高ぶらせてくれるか」に主眼が置かれていること。それゆえに、この映画では「刑事」と「捜査」について一切描かれていない。

 

もう一度言います、警察が舞台で主人公は刑事、昭和最後の未解決事件と謳いながら、この映画では「刑事が描かれることはない」。

 

では何が描かれているのか?佐藤浩市演じる一人の男が、自分の後悔と鬱憤を吐き出していく、その「感情」の変遷と顛末のみである。さらに良くないことに、ミステリーの面白さもゼロだ。佐藤浩市は、刑事として培った経験や交渉術などを駆使することは一度もなく、手掛かりになりそうな相手にストレートに言葉をぶつけ時には締め上げることで次の手掛かりを得、同様の行動を繰り返す。そして対峙した人や物事は佐藤浩市の怒りに応え、都合のよい方向へ彼を導いていく。

 

また、浩市がよく泣く。
ロクヨン」で娘を失った被害者雨宮永瀬正敏家の仏壇の前で嗚咽するのにはドン引いたが、後半、誘拐の捜査車両に乗り込んで、かつての上司松岡三浦友和に涙ぐんで詰め寄るシーンでは白目になった。涙の理由も、大変エモーショナルで、およそ刑事が流すものとは思えない。共に気持ちを高ぶらせ、最後にはその「気持ち」に決着をつける佐藤浩市を観て感動しろとでもいうのだろうか・・・。観客をバカにするなと言いたいところだが、需要があるからこのようなシーンが供給されるのだと思うと、絶望的な気分になってしまう。

良質な料理を作ることができるネタを扱う権利を得ながら、調味料の種類も分量も間違えた上に、調理方法も間違った結果できてしまった残念な料理、この映画はまさにそれだ。見本とは違う料理でいい、だが不味かったら意味がない。


良質なネタとなるのは、七日しか存在しない忘れ難い年に起こった悲惨な誘拐事件という事件そのものの面白さ、十四年の時を経て発生した同様の事件と隠蔽されたある事実が関係者を昭和64年に押し戻していく魅惑的なストーリー展開の他、何より刑事であった男が、現在は望まぬ広報官の地位にあることに対する葛藤だ。

花形の刑事部から「記者の犬」と蔑まれる内勤部署に異動させられた主人公は、時に刑事に戻るために打算し、時に己の正義の中で葛藤し、記者たちや同僚との激しい軋轢の末に、広報官の仕事にやるべきことを見出す。少しずつ作り上げられる記者たちとの関係が、広報官として生きる決意を固めさせていく、ここがすごくドラマティックだ。

だが、映画では、もちろん尺の問題は仕方ないのだが、雨宮や「ロクヨン」により人生を壊された捜査官日吉窪田正孝の境遇に自らの葛藤を重ね、記者たちへ歩み寄る決断をするように見える。人の不幸を踏み台にするかのような羞恥心のなさを、佐藤浩市にまず感じてしまうのだ。

 

 

◇役者は奮闘

不幸なことに相変わらず役者、特に佐藤浩市は奮闘している。

見せ場は、匿名問題を巡る記者たちとの対立を経て、実名公開へ踏み切ることを発表する場面である。そこまでは寝転がりながら観ていた私も、熱に満ちた佐藤浩市VS秋川(瑛太)らの議論を、やっと真剣に見守った。ここは佐藤浩市の力だと思う。だからこそ、「いつも怒鳴っている人」にしないで欲しいのね。

 

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瑛太はええよな。

 

また、端役に当たるのだろうが、それぞれ刑事部の御倉と落合を演じた小澤征悦柄本佑が良かった。特に柄本佑はぺーぺーの捜査二課長ゆえに刑事部から人身御供に差し出され、記者たちの怒りのサンドバッグにされるわけだが、頼りのない様子と、最後には広報室のメンバーと一体感が生まれる辺りで妙に目を引く。

さて、広報室のナンバー2、三上のサポート役となる係長の諏訪について。映画では綾野剛が演じたが(可もなく不可もなかった)、忘れられないのはロクヨンTV版で諏訪を演じた新井浩文である。

 

新井浩文って・・・このまま消えてしまうのん?

 

TV版では三上(ピエール瀧、これも可もなく不可もなく)への、どうせ腰掛なのだろうという不審感、外様を信用しない用心深さ、スキあらば出し抜いてやろうとする野心。そんなものをギラついた目つきで表現していたのが印象的だ(まあ、酒残ってるか寝不足なんだろうなとは思った)。

いや、私も当初は「容疑者」とかイジってたけど、それは禊を済ませて戻ってくると思っていたからじゃん?でも一向に戻ってこないじゃん?罪の軽重は置いておいて、あんないい役者いなかったでしょう?このまま失ってしまうのが惜しすぎる。

褒める部分が非常に少なくて悲しいのだが、これから更に本作最大の失敗に触れなければならない。疲れてきたので、リトル・ヤナギヤにバトンタッチします。
リトル、お願い・・・。

※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑ACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間で、決断に迷ったときに背中を押してくれる存在、時に分身のようなものとして浸透。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」

 


◇リトル・ヤナギヤでぇす

ハァイ、お久しぶりです!2019年のベスト10以来じゃなぁい?
気が付けば梅雨、振り向けば私。ってね!

ところで、最近、台湾マンゴーが出回り始めたなって思ってて。ここ数年よね?台湾マンゴーを普通に店頭で見かけるようになったのって。私は断然タイのマンゴーの方が好きなんだけど。こないだ近所のスーパーに行ったら、台湾マンゴー1個150円で投げ売りされてたのよ。私は箱の前で考えたわ。150円か絶対美味しくないわよねでも奇跡的に美味しかったらどうする?けどおいしくない可能性の方が高いわ安すぎるもの。
迷っていたら、すっと横に立ったおば様が「ねえ、、どうなのかしらねえ」と話しかけてきたの。私も「・・・ですよね」「そうなのよ・・・」と一切主語述語のない会話を交わし最後は頷き合って、どちらもマンゴーを手に取ることなく箱の前を離れたわ。次に私が向かったのは豆腐売り場。消泡剤不使用の豆腐を探していたら、

 

(やなぎや:え、ちょっと、何の話してるの?本題に入ってもらえる?)

 

ハァイ。んもう、この映画そんな興味ないのよね、観る前から推して知るべしじゃないの。えーと何だったかしら。佐藤浩市が雨宮宅仏壇前で泣いたところからウザ映画認定された本作には、さらに最大のミスが肝心のシメにあるって話よねそうそうそう。

最後はアホな観客のニーズに応えるべく追加された、映画オリジナル脚本になっているの。やなぎやが言った通り、かつて刑事だった主人公が全く異なる畑の人間、つまり広報官になっていく、その心の変化が原作の大きな魅力だし、当然映画化に当たっても引継ぐべき要素だと私は思うのね。つまり、終盤の時点で佐藤浩市「広報官になっていなければならない」わけ。

監督はこれを思い切り無視したわ、というより、物語を理解していないんでしょう。なんと佐藤浩市は、犯人目崎緒形直人の娘を誘拐したように見せかけて、緒形をおびき出し、ある根拠を元に十四年前の罪を認めるよう迫るの!

 

エモーショナル展開ここに極まれり・・・。


お前、既に刑事でも広報官でもねぇから。今すぐ警察手帳を返却しろ。銃持ってんのか?銃も返却しろ。手錠もある?それも返せ。
さらにアホかと思うのは、緒形直人に突きつける根拠が、「おびき出された緒形が真っ先に確認したのが(犯人しか知り得ない)十四年前の被害者の少女が遺棄された車のトランクだった」ということのみ。状況証拠にもならねえだろうよ、そんなもん。
だが緒形の野郎は、勝手にテンパり勝手に自供、駆けつけた刑事たちに逮捕されるってぇ、ご都合展開よ。しかもしかもですよ奥さん、何故殺したと問われた緒形「俺にもわからねえよそんなこと」。ヒィィー!はい、出た。動機がない犯人、急に混ざるサイコパス色。分かんねえなら言わせんな。雨宮と刑事の執念が十四年前の事件を解決したってか?解決しねぇだろ権限も証拠もねーんだから。あとで緒形が「脅されて自白してしまった」で無罪放免だよ。チャラチャララーン、ひゅらららー(音楽)じゃねぇよこの極楽クソブタ野郎がぁ。

 

(やなぎや:ちょっ、こわ、興奮しすぎじゃない!? あと性別変わってる)

 

はあ、自分、いつ女って自己紹介しましたっけぇー。そんな覚えはビタイチねぇな。
佐藤浩市を受け入れた広報室のメンバー、記者たち、ロクヨンを地道に追い続けた刑事たち、そして真面な鑑賞眼を持つ観客。このラストでどれだけの人間を馬鹿にしたのか、監督は分かってねェだろうな。マジ謝れ、まずオレに謝れ

 

(やなぎや:いやホント、そんなに思い入れがあるとは思わなくて気軽に頼んでごめん。これ以上はアレなんで引っ込んでもらえるかな)


へーい、ラジャりましたァ。んじゃ、七夕の願い事でもして終わるわ。

 

新井浩文、戻ってきてくれーい!!

 

(やなぎや:7月7日晴れたら叶うかもね★)

 

(C)2016 映画「64」製作委員会