『コリーニ事件』
私が初デートで『ノー・マンズ・ランド』(※)に誘ったらイソイソついてきて、「面白かったね」と微笑んでたのに、完全にウソだったんだな。
例えば、嬉しいことがあったとき、私が「フィラデルフィア美術館の前で両手を突き上げるロッキー」の真似をしても「???」という顔をしているし、息子がぷぅとおならをしたので「少し肺に入った・・・」と胸を押さえてみせても、「え、なに?」。腐海でマスクを外したときのナウシカですよ!?
◇あらすじ
舞台は2001年のベルリン。長年ドイツ市民として暮らしてきたイタリア人ファブリツィオ・コリーニが、経済界の大物実業家を殺害する。殺害方法は頭に三発もの銃弾を撃ち込み更に靴で顔を踏みつけるという残忍なものだった。
新米弁護士カスパー・ライネンは、コリーニの国選弁護人となるが、殺害された実業家が自身の恩人ハンス・マイヤーであることを知り驚愕する。
ドイツの小説『Der Fall Collini』が原作であり、作者は私が勝手に2019年ベストに挙げた『犯罪「幸運」』の原作者でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハ。1964年西ドイツ生まれ、小説家であると同時に刑事事件専門の弁護士としての経歴も持つ。また、祖父のバルドゥール・フォン・シーラッハはナチスの全国青少年最高指導者で、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪者として裁かれているなど、なかなかハードな背景を持った人物だ。
熱意溢れる新人弁護士、謎の動機、沈黙し続ける被告。被害者は主人公が父と慕った人物で、その娘とはかつて愛し合った仲であるという設定も、まあ、ありがちだろう。コリーニが隠す真相も大方、予想通りのものだ(せめて予告編は観ずに観賞することをお勧めする)。
机の上に散らばった書類を前に頭を抱えるライネンと事件に関係のありそうな語句のアップショットで、いかにも「何か調べてます」風を演出するが、実際には何を調べているのか全く定かでないシーンには思わず笑ってしまった。
◇言葉にしないことの上品さ
◇裁かれるのはコリーニではない
当たり前だと思われるかもしれませんが、私が最近アメリカの刑事ドラマにハマっているせいなんだ。当然のように司法取引が為され、証人の私生活を丸裸にし人物を貶めることで証言を無効とする。陪審員を買収する。そんな政治的な駆け引きが面白くて観ているのだけど、となると、被害者加害者の人物や動機が純粋には追及されないことへのストレスもあったりして。。。
著名な法律家でありライネンの師でもあるマッティンガーは、ゆえに敵に回せば厄介で憎らしい人物なのだが、ライネンの追求を受けるうち、法の代理人として己自身の正義に問う立場に立たされる。そして、かつて自分が制定に関わり多くの戦犯を無罪とした法を誤ったものだと認めてみせるのだ。
本作は、ある老人の起こした事件と過去の事件を骨子としながら、ドイツが過去の罪に相対し、「法とは何か」を訴える映画だ。
『エージェント・ウルトラ』
昨年は私、小学校のPTA役員と学童の父母会役員を兼任した地獄の年でした。特に学童の方が市内10クラブを横断する組織での活動だったものでコミュニケーションが難しく、何より困ったのが各クラブで持つデータを例年USBで引き継いでいること(詳細は省くが、USBがクラブ分10個存在すると想像されい)。
いまどきUSBって、USB(うそだべ)?
◇あらすじ
日々をのらりくらりと過ごしてきたダメ男のマイクは、恋人フィービーに最高のプロポーズをしようと決心するが、なかなかうまくいかない。そんなある日、アルバイト先のコンビニで店番をしていたところ、謎の暗号を聞かされたマイクは、眠っていた能力が覚醒。スプーン1本で2人の暴漢を倒してしまう。実はマイクは、CIAが極秘計画でトレーニングされたエージェントだった。マイクは、計画の封印を目論むCIAに命を狙われることになるが……。(映画.com)
ある田舎町で、質素ながら幸福な毎日を送る二人。精神不安定なジャンキー男子マイクはスイッチが入るとすごい勢いで妄想を巡らせるクセがあり、常識は欠如しているが、恋人フィービーへの愛情は深い。
マイクを演じたのはアメリカの二宮和也ことジェシー・アイゼンバーグ。アメリカの坂口健太郎とも言われる。若いのかと思ったら、もう36歳なのねー。デヴィッド・フィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』(2010)が良かった。
フィービーにはクリステン・スチュワート、当ブログでは以前『トワイライト 初恋』にてタマネギ女優として紹介済みである。『トワイライト』シリーズで共演したロバート・パティンソンと付き合うもフロに入らないことに辟易して別れたとかそうじゃないとか、レッドカーペットでヒールを脱ぎ捨てるパフォーマンスを見せるなどクールなトンガリ系女優だが、私はヒールでないと完成しないファッションもあると思っているので、クリステンには気が向いたらヒールも履いてもらいたい。
ジェシーとクリステンは『カフェ・ソサエティ』(2016)でも共演しており、ハイソでセレブな『カフェ・ソサエティ』鑑賞後に本作を観ると、パンクな二人をより楽しめること請け合い。特にジェシーをきりりと支えるクリステンは、ずっと見ていても飽きないくらいに眼福。
◇ご当地系CIAエージェント
という話なのだが、まあまあ、ゆるいよ。というかラブストーリーなんで、CIAとか陰謀などは話を盛り上げるための恋の障害物と思ってください。ご当地感が楽しく、”タフガイ”の襲撃場所はジェシーの働くスーパー、自宅、ホームセンターなど日常的な場所だし、何と言ってもジェシーが手近にある物を引っ掴んで殺傷道具に変えてしまうことのおかしみね。
そう、よくわからないが、私は四角と丸に敏感なのである!コレはしかくだね、これはまるじゃないのと気になりだしたら止まらない。集中できなくなるから誰か止めて欲しい。え?コンビニの看板はだいたい四角だし、丸いレジスターなんてないじゃん、ですって?
◇イェーツどつきまわしの刑
このホームセンターで、ジェシーVSタフガイ、クリステンVSイェーツの戦いが繰り広げられ、物語は盛り上がりを見せるのだが、クリステンとラセターの女二人によるイェーツどつきまわしが、これまた面白い。
その後、イェーツに引きずられたりぶん殴られたり、殴り返したり蹴飛ばしたりするクリステンのズタボロ感が迫力なのだが、血に染まった歯をむき出して中指を立てるショットは『トゥルー・ロマンス』(1993)のアラバマにそっくり。先輩イカれカップルへのオマージュなのかしら。どっちがイカれてるか選手権をするといいと思う。
両手で口を抑え、感極まるクリステン。お前もな。
『魂萌え!』
私のように在宅勤務という大義名分があれば、ちょっと息抜きもできますが、専業主婦はそうもいかないようで。終始、子供らの相手をして日が暮れる、本当にお疲れさまです。そんなリエコから、一昨日と昨日に以下のようなLINEが来ました。
先日、何か一品足りないなと思って、ナスとトマトにオリーブオイルとパルメザンチーズを振りかけ「おしゃれなもんができそう、アハン」とグリルにイン。数日後、変な臭いがするな~と思ってグリルを見ると、焼いたまま放置したナスが黴びていた。
さらに昨日のこと、またしても妙な臭いを鼻に感じた私は、おそるおそるグリルを開けた。そこには焼く直前で忘れ去られ、暖かい気候の中で二日間熟成されたサザエが・・・。腐ったサザエの臭いって初めて嗅いだわ。
旦那が死んだ後、別の女がいたと知ったらどうする!?
◇あらすじ
突然夫が他界し、途方に暮れている団塊世代の専業主婦・敏子は夫の携帯電話から、夫の愛人の存在を知る。そこに子供たちの身勝手な行動も重なり、自らを取り巻く環境にうんざりした敏子は家出を決行する。(映画.com)
◇主婦のロードムービー
例えば、夫の定年の夜、突然夫に握手を求められ、ワケが分からずポカンとした風吹ジュンの顔は、次に喪服を着て空を見上げる顔に切り替わる。この間には三年が経過しており、あの晩、何と言われたのかが思い出せないまま煙になった夫を見送っているという状況だ。
原作では渋々の体で金を払う敏子が、映画では心から感謝して当然のものとして支払うのも面白い。
「勝ち負け」に拘る彼女は、前回は、思いもよらない事態にオドオドする妻に対して明らかに優位に立っていた。だからこそ、線香を上げさせてもらった礼は言っても、詫びることはしなかったのだ。だが、自分を取り戻した風吹ジュンの佇まいが、逆に三田佳子を追い詰める。
夫の不実は、もはや意味はなく、女たちが自分の存在意義を己に問うための装置でしかない。
悪ノリをやめたい
本日はお日柄もよく、映画から脱線した話をしたいと思う。
題名の通りなのだが、私は悪ノリがひどい。悪ノリというのか、真剣にならなければいけないときほど、場を混ぜっ返したりしてしまう。「そんなに深刻になっても解決しないよ?」と周囲の緊張を解きほぐそうとか、先陣切って余裕を見せなければとか、そんな意識から来るものなのだが、多分、生真面目な人からは嫌がられると思う。
以前、娘が私設の保育園に通っていたときのこと。園長が「ほっしゃん。」(旧)に激似だった。その園長が、年度が変わるか何かで保護者の前で挨拶することがあり、第一声、「保護者の皆さま、いつもきちんと保育料を支払って下さり、ありがとうございます」と言った。
当然ジョークだと思った私は、「あーはっはッは!」と声を出して笑ったのだが、笑ったのは私一人だった・・・。
少し前には、娘が通うサッカークラブで試合があったときのこと。若いコーチ陣のリーダーが何というのか、外見はサッカー少年がそのまま成長した感じなのだが、中身がゆるキャラのような好青年で。時に指導に熱中するあまり周囲が見えなくなるが、人柄の良さがカバーして熱さが鬱陶しく映らない。話し方がちょっと舌ったらずなのも可愛らしい。私は、このコーチの喋り方をマスターし、日々、娘に「コーチがいつも言ってることがみっつあります」と真似をしてはイヤがられているのだが、さて、試合の後に、コーチから子供たちにお話があった。
「コーチがいつも言ってることがあります。それは、お父さんとお母さんに感謝すること。」と始めたコーチが例によって舌ったらずな熱の入った口調で、「お父さんお母さんが、汗水垂らして働いてくれるおかげで、皆ユニフォームや靴が買えるんだよ」と続けたもので、私はツボって「うーふっふッフ!」と爆笑した。が、誰一人笑っていなかった・・・。
夫からは後で「あんなに笑うやつがいるか」と言われた。
また、つい先日のこと。仕事が全面的に在宅体制になるに当たり、部長と部署のメンバーと社内チャットでやり取りをしていた。部長が「部署から一名は出社することになった」と書くべきところを「部署から一命」と誤字をしたが、誰もそれに触れないまま話は進んだ。ついに我慢が出来なくなった私は、「『一命』はシャレにならないでしょー!」と書いた。すると部長は「あ・・・申し訳ありません、不謹慎でした」と。
・・・。
そこはさ?うまくノるべきではないのか?言った私が鬼みたいじゃない。
冗談が分からない奴だなッ( ゚д゚)、ペッ
まあ、上記の件は割とどうでもいいので、本題に行きたいと思う。
◇本題
同じチームの二十代の女の子が、滅多にお目にかからないほど賢くて美しいコだ。すらりと背が高く、構わない服装やノーメイクの時も多いが、それすらいいなと思わせてしまう。コミュニケーション能力が高くて、英語が堪能。人懐っこいが媚びは一切なく、若干男勝りでパワフルで、意外にずぼらな感じがまた愛らしい。
ふんだんな愛情と教養を与えられて育った人間というのは、ここまでコンプレックスと無縁になれるものなのかと感心する。
彼女は二年前にうちの部署に異動してきて、私とすぐに仲良くなり、ランチに行ったり、誕生日にはプレゼントあげたりと楽しい関係を築いている。そんな中で、先日起こった話です。
彼女から、営業(29歳男)と私にメールが来た。↓こんな感じ。
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>●●ぱいせん
押してた甲斐があって、○○社から依頼来ました!
>やなぎやさん
私はまだ対応出来ませんが、勉強したい気持ちはあります。やなぎやさん主体で進めてもらって、私も訪問に同行させて頂いていいですか?
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私は、いつも真面目な彼女が仕事を取って浮かれてるのがカワイイなと思い、私にパスしてもいいのに自分でやろうとするのも嬉しかった。「『ぱいせん』てなんだよ」とおかしくて、これは突っ込まねば、と以下のようにメールを返した。
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「ぱいせん」にイラッとしました。
さて、アポの件ですが・・・(以下略)
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で、そのまま昼休憩に行った。
・・・ここまで読んで頂いた方は、この後、何があったか分かりますよね?
いま改めて見ると、なんて恐ろしい文章なんでしょう。
私は職場で、指導はするし注意はするが、感情的にはならないよう気を付けている。社歴が長い人間として、下の人間にはとにかく声をかけているので、為人は分かってもらっているし信頼もしてもらっているという油断があった。
昼から帰ってくると、彼女が席にいて、昼を取った様子がない。すぐに神妙な顔で立ち上がり、「やなぎやさん、ちょっとお話いいですか?」と言われた。
なんだなんだ、と思いながら、言われるまま後に続いた。
彼女は会議室に入ると、しっかり私の目を見ながら、「仕事上であんな言葉使いをして申し訳ありません。受注が取れて浮かれてしまいました」と頭を下げた。
・・・ん?
・・・え?
混乱した私は、やがて、床に叩きつけられるような気がした。
「ぱいせん!?もしかして、ぱいせんのこと!?」
会議室で「ぱいせん」を連呼。
その後、慌てて、冗談だったと説明したことは言うまでもない。
彼女は「本当ですか。。。」と強張りを解き、
「私の受け取り方が悪かったんです。メールを送ったあと、あ、ちょっと砕けすぎたかな、と後ろめたい思いがあったので、覚えがあるところを指摘された気がして。やなぎやさんと仲の良いことに、甘えて過ぎたかなとも思って」
彼女の目は、ホッとしたせいで、ちょっと潤んでいる・・・。
うあああ、ごめんごめんごめん。
私は自分が冗談耐性が強いために、どこまでも悪ノリしてしまうところがある。親しい人間に好意を示すとき、いじり倒すような絡み方をしてしまい、相手には冗談でなく本気に捉えられてしまったということが、あったでしょ、これまでも!ばかばか、わたしのばか!
それにしても、職場で絶対泣かないタイプの子が、こういうことで目を潤ませるのかぁ。昼も食べずに。まずメールで返信して私の反応を探る、ってテだってあったろうに。怖いだろうに、メールで済ませず面と向かって解決しようとする、そういうところだよね。
とか考えたら、もう、申し訳ないやら、かわいいやらで。
私たちは手を取り合い、「ごめん~」「いえ、わたしこそ~。よかったです~」と会議室で騒いだのでした・・・。
ホントにね、調子に乗らない!親しき仲にも礼儀あり!
『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』
あの少年に幸があって欲しい。
◇あらすじ
◇美しい映画ですね
動物なんか、どうでもいいんじゃないかな、この監督。
動物の交配と、チャステインに対するブリュールの欲望や夫婦のセックスは露骨に重ねて見せるのに、露骨な色仕掛けは禁じ、恥じらい抵抗させることで主人公の高潔を保とうとする。うまく言えないが、そのあたりが、どうもすっきりしなかった・・・。
◇サービスタイムです
どうせお前らも、動物を愛でるお前が一番カワイイよ系の男子なんだろ?
夫妻は客を招いて小さなパーティを催している。そこへイエジクが急を知らせにくる。象が出産したが、赤ん坊の象が息をしていないというのだ。現場に駆け付けたチャステインは、興奮して攻撃的になっている親の象をものともせず、産まれたての象を介抱する。何事かとパーティ会場から駆け付けた人々は、象が息を吹き返す奇跡の瞬間を目撃する・・・。
ってな感じなんだけど、「しっかり!」「息をして」という度に、たださえバックリと胸元と背中の空いたドレスがズリズリと落ち、もはや象が生きるかどうかより、「落ちる!」「見える!」ばかりに気を取られてしまう罪作りな場面。
『昼下がりの決斗』
そんな娘の今日のハイライトは、「(HUNTER×HUNTERの)ハンターが現実の職業だと思っていた」です。
◇あらすじ
スティーブ・ジャッドは、かつて名保安官として鳴らした男だったが、今では西部の人々からも忘れ去られていた。ところが、シエラ山中のコース・ゴールドに金が発見され再び彼が脚光を浴びることになった。コース・ゴールドの人たちが、掘り当てた金を預け入れるために銀行の出張を熱望したため、その重任にふさわしい人として正義の男ジャッドが選ばれたのだ。黄金を預かっての帰りの山道はあらゆる危険が予想されるため、彼は協力者2人を雇うことにした。(映画.com)
サム・ペキンパー監督第二作目だそうです。
ふかづめさんが「フォード、ワイルダー、ホークスは見といて損ないよ、あんたはペキンパーとかアルドリッチがいいんじゃない?」と言ったので、まずはジョン・フォードを全部観ようとしてたら、「もういいでしょ、次に行きなさいよ」と言われたので、ペキンパーに移りました。真面目なオーバーフォーティ、滝川クリステルと同い年です。
フォードは『わが谷は緑なりき』(1941)が素晴らしかったですね。
ちなみに、これまで観たことがあるペキンパー作品は『戦争のはらわた』(1977)のみだった。思い出しただけで鳥肌が立つ文句なしの名作である。むっさいけど。
鉱山から銀行へ金を運ぶ仕事のために、ある町にやってきたスティーブ(ジョエル・マクリー)。彼の名声は過去のものであることが、冒頭から説明される。スティーブが町に入ると人々から歓声が上がり、彼はそれが自分に向けられていると思い応えるが、実は馬のレースへ送られたもの。「どけ、爺さん」などと言われてしまう。また、銀行で渡された契約書を裸眼で読むことができず、トイレに行き老眼鏡を取り出して読んだりする。
それにしてもさあ、この歌って、日本では勝手にどっかの山岳部の連中が「雪よ岩よ われ等が宿り 俺たちゃ 街には 住めないからに♪」って歌詞にしちゃって、それが罷り通るんだから意味がわからないよね。
◇悪夢の結婚式
この事件をきっかけに、エルサを親の元へ帰そうとするスティーブ、怒りながら花嫁を奪還しようと追ってくるビリーら兄弟との闘いが始まる。
◇毒には毒を
『ランボー 最後の戦場』
◇あらすじ
ベトナムの戦場では特殊部隊に所属しその働きを讃えられたランボーは、帰国すると一転、大量殺人者だ赤ん坊殺しだと周囲から謗られる。訪れたある町で、一人の保安官との諍いをきっかけに、州警察や州兵を相手取った大規模な戦いへと発展、町を戦場へと変えていく。面白いのが、戦ううち、ここがアメリカなのかベトナムなのか、現実との境界線が曖昧になり、それにより殺人のスキルが研ぎ澄まされていくことの皮肉さ。また、彼にとってベトナムが、忌まわしくも懐かしい地であるという複雑な感情が、哀愁漂う無法者を作り上げているのが魅力的だ。
◇ミャンマーの海賊コワイ
実際に銃器で撃たれた人間の体がどうなるのか、一方的に行われる蹂躙とはどういうものなのかをじっくり観客に理解させるパートとなっている。人体が破壊されて吹き飛び、子供が刃物でゆっくりと胸を貫かれ、赤ん坊が火に放り込まれる、目を覆いたくなるような映像が続く。スタローンのメッセージが一番強く出ており、また、平和主義のサラたちの理想が粉々に打ち砕かれる場面だ。
「無駄に生きるか、何かのために死ぬか、お前が決めろ」
◇キャラと兵器を楽しもう!
まずはこいつ、スクール・ボーイ(マシュー・マースデン)。
初登場時、ボートの中の台詞が印象的である。他の傭兵たちが、まんまと捕まったNGOの皆さんを「アホどもが」と腐す中、一人悠々と「えらいよ。丸腰で本や薬を届けるなんて」と格の違いを見せつける。何でこの仕事してるの?そしてこんな仕事しながら、なんでそんなイイ奴でいられるの?
勘違いしている人が多いので言っておくと、実際にミャンマーを含む軍事政権による少数民族の弾圧がどのようなものであるのかは別の話だ。映画では、軍事政権は血も涙もない完全な悪、村人とNGO団体は善の存在として描かれ、ランボーが悪をぶっ潰す単純な勧善懲悪の物語が展開される。映画の中でスタローンにより作り出された「現実」に息を飲み、カタルシスに酔えばいいだけのこと。
そしてラストは、長い年月をかけてようやく地獄の故郷を捨て、本来の故郷に戻っていくランボーの姿に感涙。ウンウン、長かったね・・・。