『見えない目撃者』
皆さん、こにゃんちわ~。
先日近所のスーパーで名前を呼ばれて振り返ると、パパ友のさーちゃんがいました。
会うのはとっても久しぶりで、しかもマスクで顔半分が隠れている状態だったので、「よくわかったね?」と言ったら、さーちゃん「うん、なんとなく」。
家に帰ってハッとしたのだが、そのとき、かぶる人まずいないだろうなというくらい派手な服を着ていて、しかもずっと昔から持ってる服で、これじゃね?と。「あ、あの見覚えある服は、やなぎやさんだ・・・」と。
なんか恥ずかしい、40も過ぎて、そんなふうに認識されるの恥ずかしいよ。
まあ、いいや。本日は『見えない目撃者』をこき下ろします。
巷では、日本映画もやればできるじゃんって言われてるね。知っているけど、間違いなくコレじゃないわ。
◇あらすじ
警察学校の卒業式の夜、自らの過失で弟を事故死させてしまった浜中なつめ(吉岡里帆)。自身も視力を失い、三年後の現在も弟の死を乗り越えられずにいた。ある日、車の接触事故に遭遇したなつめは車中から助けを求める少女の声に気づく。誘拐事件を確信した彼女は、もう一人の目撃者、春馬(高杉真宙)の協力を得て独自に少女の捜索を開始する。
監督は森淳一。よく知らないと思ったが、『リトル・フォレスト 夏・秋(2014)』『リトル・フォレスト 冬・春(2015)』の監督だった。これ、いい映画でさ~。橋本愛が田舎で野菜を育てたり貯蔵したり、一人静かに料理を作って食べる映画なのだけど、その時間の豊かなことと、同時に描かれる挫折や悩みが過剰でなく、料理を邪魔しない、いい塩梅で。途中から、子供たちと一緒に観ました。
まあ、そういうわけで、けなすのは申し訳ない気がするんだけど・・・。
あ、ネタばれです。
◇超狭小ネット世界
前半一時間、容疑者の土建屋の敷地内から少女四人の遺体が発見されるまでは悪くない。ちょうど健康診断が終わって休んでいるときに観たんだけど、周りが気にならないくらい夢中になってしまった(つまり必要以上に休憩を取った)。
しかし、そっからがダダ滑りなんだ。。。
まず、得たいと思う情報が都合よく寄せられるさまがとても浅い。吉岡は、少女たちの身体から欠損していた部位「耳、鼻、口、手」をネットで検索するが、手掛かりは何も得られない。そりゃそうだろうな。この検索で殺人に関する情報が出てきたら、子供が人間の身体のことを調べる時とか困るわ。
しかし、4つのワードに「神」を追加すると、仏教の教え「六根清浄」の情報が表示される。これにより吉岡は「儀式殺人を行った可能性がある」と犯人の動機に速攻で辿り着く。
ネット優秀すぎない?吉岡へのSEO対策がすげえ。というか、吉岡以外はネットで情報収集しないんだね?
また、高杉がSNSでちゃらちゃらと「情報求ム」と上げるや否や、すぐさま犯人に夜道で襲われる。犯人が何故かこちらの行動や居所を正確に把握しており、時間と空間を無視して現れるのは私の嫌いなスリラーあるある。ちなみに本作では犯人の神出鬼没ぶりは「警察官だから」で片付けられる。
友人が行方不明だという女子高生がSNSを見て訪ねてくれば、まさにその「友人」が吉岡らが捜索している少女と一致し、高杉がちゃらちゃらと不動産情報を検索すれば犯人の隠れ家も判明する。警察いらないな。
◇誰が一番ドンくさいか選手権
目の見えない吉岡をドンくさいと言っては誤解が生じそうだが、ドンくさいのは周囲の人間だ。視覚に不自由のない高杉や刑事たちの中にあって、不自由があるからこその特化した力により犯人に迫る、主役を活かすポイントはそこだろう。
しかし、この映画が行ったことは真逆。他の人間が、吉岡に合わせて歩調を緩めることで、吉岡が活躍する空間を無理やり作り出す。
その配慮というか浅慮が、不自然な間を作り出し映画全体をモタつかせる。残念としか言いようがない。以前こちらも貶しはしたが、本作を観ていて『ドント・ブリーズ』の面白さがようやく分かった。辻褄や設定など歯牙にもかけない超人ぶりを観ればよかったわけだ。
定年間近の田口トモロヲとやる気のない大倉孝二の刑事コンビの造形はいいとしても、トモロヲは人気のない場所で真犯人の日下部(浅香航大)に単身で迫り、「攫った子はトランクにいる」と言われ「どれどれ」と素直に覗きこんで殺される。
大倉は、高杉の「警察って正義の味方じゃねぇのかよ」との安い台詞に触発され、応援を待たずに「警察は正義の味方っていうところを見せてやるよ」と犯人の根城に踏み込んで殺される。
勝手にフラグを立てて勝手に自滅してしまいました。
◇走らない犯人
ドンくさい選手権の優勝者はぶっちぎりで犯人である。ってか、この犯人の顔がまったく覚えられない。何なら今、吉岡里帆の顔も思い出せないのだが。
吉岡が真相に近づいていることを知った犯人は、彼女を消すためにおびき出す(死んだトモロヲの携帯に吉岡からのメールが着信、それを見た犯人に存在がバレる・・・など全て予想通り)。
メガネ拭きのアルコールの香りから、犯人の正体を悟り逃げ出した吉岡は、盲導犬パルを頼みに車道脇の道を駆け、やがて駅へと逃げ込むのだが、ここでダメスリラーの次の特徴「急に無人になる駅」問題が発生。また、さらなる特徴「なぜか走らずに歩いて追ってくる犯人」もしっかりと押さえてくる。迫りくる恐怖をゆっくりした歩調と無表情で表す演出に、わたし飽きているのよ、いっそT-1000くらい走らせろ。
◇実況します。
オーケー、ちょっと耐えられなくなってきたので、スピーディに映画の残りを実況しよう。
エレベーターに追い詰められ絶対絶命の吉岡。主人の危機に、忠犬パル公が犯人に牙を剝いて飛び掛かる。しかし殺傷力の高そうな刀を持つ犯人に、土佐犬でもないパル公は、すぐに殺されてしまうだろう。ありがとうパル公、安らかに眠れ。
・・・。
何もたついとんねん、そのイヌ、あんたの手に噛みついてんのとちゃうよコートの裾に噛みついとるんよ。湾曲刀で紫電一閃、喉元を掻っ切ったらんかい。
しかし犯人は手に刀を持ったまま、犬を振り払おうと頑張る。もしかして女子高生と刑事は殺すが、動物は殺せないのだろうか?ジェイソンのように制約があるのだろうか?その間、パル公捨て身の攻撃を活かすことなく、エレベーター内に蹲ったまま「パルゥパルゥ」と叫んでいる吉岡。
・・・なに、このドンくささとモタついた空間。
私は今、何を見せられているの?
そんなとき、ついに凶刃がパルに振り下ろされる!キャウーンと地に倒れるパル公。
パル公ォォーーー!あなたの忠誠は忘れない。
(ちょっと血が出ましたが、パル公は生きてます)
その後は何があったか忘れたが場面変わりまして、ネット検索して見つけた犯人宅に向かった吉岡らは、正直者選手権チャンピオンらしくちゃんとそこにいてくれた犯人と、家の中で鬼ごっこ。吉岡と助け出した女子高生を逃がすため、高杉が犯人と取っ組み合う。ここでも何らかの愛護精神を発揮した犯人は高杉を刺して傷をぐりぐり踏むなどするが、殺しはしなかった。手に持っている恐ろしい刀は人を殺傷するためにあるのではないのかいかいかい?
ここに至って、もはや観客は「なんで殺さないの?ホレいまだよ、その刀を拾って使わんかい」と犯人をせっつく立場に立たされる(わたしだけ・・・?)。
さぁ注目すべきは、盾になってくれた高杉を気遣いつつ、必死で逃げる吉岡が叫ぶ台詞だ。
大丈夫、春馬くん(高杉)!?
うん、はるまくんはねえ、少なくとも大丈夫ではない。
いまねえ、犯人に刺されたところ。
はるまくんを倒し吉岡を追い詰めた犯人は、彼女の優れた聴覚を警戒して靴を脱ぐ。
あれ、ちょっと面白くなりそうじゃない? 既述の通り、「視覚を欠く吉岡が如何にして、そうでない人間を出し抜くか」が物語の鍵を握る。ラストの直接対決では、その見せ方が問われるところ。「見えないこと」を武器に吉岡はどのように犯人を狩るのか、あるいは狩られるのか!?
もしここで私を唸らせてくれたら、ソファに寝転んで「40てん」と鼻をほじるのをやめ、50点をあげてもいい。
チリリーン。
犯人、吉岡が床に落とした弟のキーホルダーかなんかを蹴っちまったー
聴覚が優れていなくても、誰でも聞こえるような音だったー
死んだ弟が、吉岡を守ってくれたぁあああーー!
よーし、じゃあ、先生、点数つけるぞー。30点だ。やっちゃいけないミスってのがあるぞー、次は気を付けような。
◇最後に褒めます
JK援交店の店長をやっていたほっしゃん。改め星田 英利がよかったです!あと、高杉真宙はいいと思う、名前の読み方を知らないけど。
引用:(C)2019「見えない目撃者」フィルムパートナーズ (C)MoonWatcher and N.E.W.
『64 ロクヨン』前編&後編
皆さん、こんニャ。
『ランボー ラスト・ブラッド』がようやく公開され、観た方の感想を頻繁に見かけます。お客様の少ない本ブログでも、ちょっと前に上げた『最後の戦場』の記事を読んでもらっているみたいで。
でも私は、何か気分が殺がれてしまってさー。皆さんの感想を読むと評価は高いんだけど、高評価の理由が「またランボーを観られることの幸せ」という過去作とスタローンに捧げるリスペクトなんじゃないかなって気がしちゃって。
私は逆に、そういうリスペクトなしに厳しめに観てしまうと思うんだよね、「なぜ、今ランボーの続編をやるのだ?」って。で、不機嫌気味に劇場を後にするような予感がしているんだ・・・。だから、ソフト化されたら、気が向いたときに観ようと思っている。次に映画館で観るチャンスがあったら、ダルデンヌ兄弟の最新作『その手に触れるまで』がいいな。
さて、そんなわけで本日は、公開当時は大作と話題になった『64 ロクヨン』をご紹介。なぜ今更?自分でもわからん。
◇あらすじ
わずか1週間の昭和64年に発生した少女誘拐殺人事件・通称「ロクヨン」。事件は未解決のまま14年の時が流れ、時効が目前に迫っていた。かつてロクヨンの捜査にもあたった刑事三上(佐藤浩市)は、現在は警務部の広報官として、記者クラブや刑事部との対立に神経をすり減らす日々を送っていた。そんなある日「ロクヨン」に酷似した誘拐事件が発生する。(映画.com)
原作者の横山秀夫は大大大好きな作家であるため、今回も原作の特徴と比較しながら語って参ります。
しかし、また・・・文句を言わないとならない。もはや日本で、ある程度の金を掛けて著名俳優をキャスティングした「豪華」な映画は、一般大衆の反応と興行収入ばかりを気にするスポンサーの下でしか作ることはできないのだろうか。
◇「刑事」が描かれない
原作は647ページ、新聞記者だった横山秀夫の経験が存分に活かされた緻密・濃厚な小説だ。つまりは原作の全要素を映画に反映させることなど不可能、映像表現でしか成し得ない大胆な改変が必要だったと思う。だが残念なことに脚本は、物語の見せ場となる箇所を切り取り上辺だけを撫でたような浅いものだ。
欠点は非常にシンプルで、「どのようにすれば観客(それもお茶の間の観客)が主人公に共感し気持ちを高ぶらせてくれるか」に主眼が置かれていること。それゆえに、この映画では「刑事」と「捜査」について一切描かれていない。
もう一度言います、警察が舞台で主人公は刑事、昭和最後の未解決事件と謳いながら、この映画では「刑事が描かれることはない」。
では何が描かれているのか?佐藤浩市演じる一人の男が、自分の後悔と鬱憤を吐き出していく、その「感情」の変遷と顛末のみである。さらに良くないことに、ミステリーの面白さもゼロだ。佐藤浩市は、刑事として培った経験や交渉術などを駆使することは一度もなく、手掛かりになりそうな相手にストレートに言葉をぶつけ時には締め上げることで次の手掛かりを得、同様の行動を繰り返す。そして対峙した人や物事は佐藤浩市の怒りに応え、都合のよい方向へ彼を導いていく。
また、浩市がよく泣く。
「ロクヨン」で娘を失った被害者雨宮(永瀬正敏)家の仏壇の前で嗚咽するのにはドン引いたが、後半、誘拐の捜査車両に乗り込んで、かつての上司松岡(三浦友和)に涙ぐんで詰め寄るシーンでは白目になった。涙の理由も、大変エモーショナルで、およそ刑事が流すものとは思えない。共に気持ちを高ぶらせ、最後にはその「気持ち」に決着をつける佐藤浩市を観て感動しろとでもいうのだろうか・・・。観客をバカにするなと言いたいところだが、需要があるからこのようなシーンが供給されるのだと思うと、絶望的な気分になってしまう。
良質な料理を作ることができるネタを扱う権利を得ながら、調味料の種類も分量も間違えた上に、調理方法も間違った結果できてしまった残念な料理、この映画はまさにそれだ。見本とは違う料理でいい、だが不味かったら意味がない。
良質なネタとなるのは、七日しか存在しない忘れ難い年に起こった悲惨な誘拐事件という事件そのものの面白さ、十四年の時を経て発生した同様の事件と隠蔽されたある事実が関係者を昭和64年に押し戻していく魅惑的なストーリー展開の他、何より刑事であった男が、現在は望まぬ広報官の地位にあることに対する葛藤だ。
花形の刑事部から「記者の犬」と蔑まれる内勤部署に異動させられた主人公は、時に刑事に戻るために打算し、時に己の正義の中で葛藤し、記者たちや同僚との激しい軋轢の末に、広報官の仕事にやるべきことを見出す。少しずつ作り上げられる記者たちとの関係が、広報官として生きる決意を固めさせていく、ここがすごくドラマティックだ。
だが、映画では、もちろん尺の問題は仕方ないのだが、雨宮や「ロクヨン」により人生を壊された捜査官日吉(窪田正孝)の境遇に自らの葛藤を重ね、記者たちへ歩み寄る決断をするように見える。人の不幸を踏み台にするかのような羞恥心のなさを、佐藤浩市にまず感じてしまうのだ。
◇役者は奮闘
不幸なことに相変わらず役者、特に佐藤浩市は奮闘している。
見せ場は、匿名問題を巡る記者たちとの対立を経て、実名公開へ踏み切ることを発表する場面である。そこまでは寝転がりながら観ていた私も、熱に満ちた佐藤浩市VS秋川(瑛太)らの議論を、やっと真剣に見守った。ここは佐藤浩市の力だと思う。だからこそ、「いつも怒鳴っている人」にしないで欲しいのね。
また、端役に当たるのだろうが、それぞれ刑事部の御倉と落合を演じた小澤征悦、柄本佑が良かった。特に柄本佑はぺーぺーの捜査二課長ゆえに刑事部から人身御供に差し出され、記者たちの怒りのサンドバッグにされるわけだが、頼りのない様子と、最後には広報室のメンバーと一体感が生まれる辺りで妙に目を引く。
さて、広報室のナンバー2、三上のサポート役となる係長の諏訪について。映画では綾野剛が演じたが(可もなく不可もなかった)、忘れられないのはロクヨンTV版で諏訪を演じた新井浩文である。
新井浩文って・・・このまま消えてしまうのん?
TV版では三上(ピエール瀧、これも可もなく不可もなく)への、どうせ腰掛なのだろうという不審感、外様を信用しない用心深さ、スキあらば出し抜いてやろうとする野心。そんなものをギラついた目つきで表現していたのが印象的だ(まあ、酒残ってるか寝不足なんだろうなとは思った)。
いや、私も当初は「容疑者」とかイジってたけど、それは禊を済ませて戻ってくると思っていたからじゃん?でも一向に戻ってこないじゃん?罪の軽重は置いておいて、あんないい役者いなかったでしょう?このまま失ってしまうのが惜しすぎる。
褒める部分が非常に少なくて悲しいのだが、これから更に本作最大の失敗に触れなければならない。疲れてきたので、リトル・ヤナギヤにバトンタッチします。
リトル、お願い・・・。
※リトル・ヤナギヤとは:
サッカー選手の本田圭佑がACミランへの入団会見時にミラン移籍を決断した理由を質問され、「私の中のリトル・ホンダに『どこのクラブでプレーしたいんだ?』と訊くとリトル・ホンダは『ACミランだ』と答えた。それで移籍を決めた」と発言したことから。以来サッカーファンの間で、決断に迷ったときに背中を押してくれる存在、時に分身のようなものとして浸透。
使用例:「迷ったけど、私の中のリトル○○がGOと言ったから決心したの」
◇リトル・ヤナギヤでぇす
ハァイ、お久しぶりです!2019年のベスト10以来じゃなぁい?
気が付けば梅雨、振り向けば私。ってね!
ところで、最近、台湾マンゴーが出回り始めたなって思ってて。ここ数年よね?台湾マンゴーを普通に店頭で見かけるようになったのって。私は断然タイのマンゴーの方が好きなんだけど。こないだ近所のスーパーに行ったら、台湾マンゴー1個150円で投げ売りされてたのよ。私は箱の前で考えたわ。150円か絶対美味しくないわよねでも奇跡的に美味しかったらどうする?けどおいしくない可能性の方が高いわ安すぎるもの。
迷っていたら、すっと横に立ったおば様が「ねえ、、どうなのかしらねえ」と話しかけてきたの。私も「・・・ですよね」「そうなのよ・・・」と一切主語述語のない会話を交わし最後は頷き合って、どちらもマンゴーを手に取ることなく箱の前を離れたわ。次に私が向かったのは豆腐売り場。消泡剤不使用の豆腐を探していたら、
(やなぎや:え、ちょっと、何の話してるの?本題に入ってもらえる?)
ハァイ。んもう、この映画そんな興味ないのよね、観る前から推して知るべしじゃないの。えーと何だったかしら。佐藤浩市が雨宮宅仏壇前で泣いたところからウザ映画認定された本作には、さらに最大のミスが肝心のシメにあるって話よね。そうそうそう。
最後はアホな観客のニーズに応えるべく追加された、映画オリジナル脚本になっているの。やなぎやが言った通り、かつて刑事だった主人公が全く異なる畑の人間、つまり広報官になっていく、その心の変化が原作の大きな魅力だし、当然映画化に当たっても引継ぐべき要素だと私は思うのね。つまり、終盤の時点で佐藤浩市は「広報官になっていなければならない」わけ。
監督はこれを思い切り無視したわ、というより、物語を理解していないんでしょう。なんと佐藤浩市は、犯人目崎(緒形直人)の娘を誘拐したように見せかけて、緒形をおびき出し、ある根拠を元に十四年前の罪を認めるよう迫るの!
エモーショナル展開ここに極まれり・・・。
お前、既に刑事でも広報官でもねぇから。今すぐ警察手帳を返却しろ。銃持ってんのか?銃も返却しろ。手錠もある?それも返せ。
さらにアホかと思うのは、緒形直人に突きつける根拠が、「おびき出された緒形が真っ先に確認したのが(犯人しか知り得ない)十四年前の被害者の少女が遺棄された車のトランクだった」ということのみ。状況証拠にもならねえだろうよ、そんなもん。
だが緒形の野郎は、勝手にテンパり勝手に自供、駆けつけた刑事たちに逮捕されるってぇ、ご都合展開よ。しかもしかもですよ奥さん、何故殺したと問われた緒形「俺にもわからねえよそんなこと」。ヒィィー!はい、出た。動機がない犯人、急に混ざるサイコパス色。分かんねえなら言わせんな。雨宮と刑事の執念が十四年前の事件を解決したってか?解決しねぇだろ権限も証拠もねーんだから。あとで緒形が「脅されて自白してしまった」で無罪放免だよ。チャラチャララーン、ひゅらららー(音楽)じゃねぇよこの極楽クソブタ野郎がぁ。
(やなぎや:ちょっ、こわ、興奮しすぎじゃない!? あと性別変わってる)
はあ、自分、いつ女って自己紹介しましたっけぇー。そんな覚えはビタイチねぇな。
佐藤浩市を受け入れた広報室のメンバー、記者たち、ロクヨンを地道に追い続けた刑事たち、そして真面な鑑賞眼を持つ観客。このラストでどれだけの人間を馬鹿にしたのか、監督は分かってねェだろうな。マジ謝れ、まずオレに謝れ。
(やなぎや:いやホント、そんなに思い入れがあるとは思わなくて気軽に頼んでごめん。これ以上はアレなんで引っ込んでもらえるかな)
へーい、ラジャりましたァ。んじゃ、七夕の願い事でもして終わるわ。
新井浩文、戻ってきてくれーい!!
(やなぎや:7月7日晴れたら叶うかもね★)
(C)2016 映画「64」製作委員会
『コリーニ事件』
私が初デートで『ノー・マンズ・ランド』(※)に誘ったらイソイソついてきて、「面白かったね」と微笑んでたのに、完全にウソだったんだな。
例えば、嬉しいことがあったとき、私が「フィラデルフィア美術館の前で両手を突き上げるロッキー」の真似をしても「???」という顔をしているし、息子がぷぅとおならをしたので「少し肺に入った・・・」と胸を押さえてみせても、「え、なに?」。腐海でマスクを外したときのナウシカですよ!?
◇あらすじ
舞台は2001年のベルリン。長年ドイツ市民として暮らしてきたイタリア人ファブリツィオ・コリーニが、経済界の大物実業家を殺害する。殺害方法は頭に三発もの銃弾を撃ち込み更に靴で顔を踏みつけるという残忍なものだった。
新米弁護士カスパー・ライネンは、コリーニの国選弁護人となるが、殺害された実業家が自身の恩人ハンス・マイヤーであることを知り驚愕する。
ドイツの小説『Der Fall Collini』が原作であり、作者は私が勝手に2019年ベストに挙げた『犯罪「幸運」』の原作者でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハ。1964年西ドイツ生まれ、小説家であると同時に刑事事件専門の弁護士としての経歴も持つ。また、祖父のバルドゥール・フォン・シーラッハはナチスの全国青少年最高指導者で、ニュルンベルク裁判で戦争犯罪者として裁かれているなど、なかなかハードな背景を持った人物だ。
熱意溢れる新人弁護士、謎の動機、沈黙し続ける被告。被害者は主人公が父と慕った人物で、その娘とはかつて愛し合った仲であるという設定も、まあ、ありがちだろう。コリーニが隠す真相も大方、予想通りのものだ(せめて予告編は観ずに観賞することをお勧めする)。
机の上に散らばった書類を前に頭を抱えるライネンと事件に関係のありそうな語句のアップショットで、いかにも「何か調べてます」風を演出するが、実際には何を調べているのか全く定かでないシーンには思わず笑ってしまった。
◇言葉にしないことの上品さ
◇裁かれるのはコリーニではない
当たり前だと思われるかもしれませんが、私が最近アメリカの刑事ドラマにハマっているせいなんだ。当然のように司法取引が為され、証人の私生活を丸裸にし人物を貶めることで証言を無効とする。陪審員を買収する。そんな政治的な駆け引きが面白くて観ているのだけど、となると、被害者加害者の人物や動機が純粋には追及されないことへのストレスもあったりして。。。
著名な法律家でありライネンの師でもあるマッティンガーは、ゆえに敵に回せば厄介で憎らしい人物なのだが、ライネンの追求を受けるうち、法の代理人として己自身の正義に問う立場に立たされる。そして、かつて自分が制定に関わり多くの戦犯を無罪とした法を誤ったものだと認めてみせるのだ。
本作は、ある老人の起こした事件と過去の事件を骨子としながら、ドイツが過去の罪に相対し、「法とは何か」を訴える映画だ。
『エージェント・ウルトラ』
昨年は私、小学校のPTA役員と学童の父母会役員を兼任した地獄の年でした。特に学童の方が市内10クラブを横断する組織での活動だったものでコミュニケーションが難しく、何より困ったのが各クラブで持つデータを例年USBで引き継いでいること(詳細は省くが、USBがクラブ分10個存在すると想像されい)。
いまどきUSBって、USB(うそだべ)?
◇あらすじ
日々をのらりくらりと過ごしてきたダメ男のマイクは、恋人フィービーに最高のプロポーズをしようと決心するが、なかなかうまくいかない。そんなある日、アルバイト先のコンビニで店番をしていたところ、謎の暗号を聞かされたマイクは、眠っていた能力が覚醒。スプーン1本で2人の暴漢を倒してしまう。実はマイクは、CIAが極秘計画でトレーニングされたエージェントだった。マイクは、計画の封印を目論むCIAに命を狙われることになるが……。(映画.com)
ある田舎町で、質素ながら幸福な毎日を送る二人。精神不安定なジャンキー男子マイクはスイッチが入るとすごい勢いで妄想を巡らせるクセがあり、常識は欠如しているが、恋人フィービーへの愛情は深い。
マイクを演じたのはアメリカの二宮和也ことジェシー・アイゼンバーグ。アメリカの坂口健太郎とも言われる。若いのかと思ったら、もう36歳なのねー。デヴィッド・フィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』(2010)が良かった。
フィービーにはクリステン・スチュワート、当ブログでは以前『トワイライト 初恋』にてタマネギ女優として紹介済みである。『トワイライト』シリーズで共演したロバート・パティンソンと付き合うもフロに入らないことに辟易して別れたとかそうじゃないとか、レッドカーペットでヒールを脱ぎ捨てるパフォーマンスを見せるなどクールなトンガリ系女優だが、私はヒールでないと完成しないファッションもあると思っているので、クリステンには気が向いたらヒールも履いてもらいたい。
ジェシーとクリステンは『カフェ・ソサエティ』(2016)でも共演しており、ハイソでセレブな『カフェ・ソサエティ』鑑賞後に本作を観ると、パンクな二人をより楽しめること請け合い。特にジェシーをきりりと支えるクリステンは、ずっと見ていても飽きないくらいに眼福。
◇ご当地系CIAエージェント
という話なのだが、まあまあ、ゆるいよ。というかラブストーリーなんで、CIAとか陰謀などは話を盛り上げるための恋の障害物と思ってください。ご当地感が楽しく、”タフガイ”の襲撃場所はジェシーの働くスーパー、自宅、ホームセンターなど日常的な場所だし、何と言ってもジェシーが手近にある物を引っ掴んで殺傷道具に変えてしまうことのおかしみね。
そう、よくわからないが、私は四角と丸に敏感なのである!コレはしかくだね、これはまるじゃないのと気になりだしたら止まらない。集中できなくなるから誰か止めて欲しい。え?コンビニの看板はだいたい四角だし、丸いレジスターなんてないじゃん、ですって?
◇イェーツどつきまわしの刑
このホームセンターで、ジェシーVSタフガイ、クリステンVSイェーツの戦いが繰り広げられ、物語は盛り上がりを見せるのだが、クリステンとラセターの女二人によるイェーツどつきまわしが、これまた面白い。
その後、イェーツに引きずられたりぶん殴られたり、殴り返したり蹴飛ばしたりするクリステンのズタボロ感が迫力なのだが、血に染まった歯をむき出して中指を立てるショットは『トゥルー・ロマンス』(1993)のアラバマにそっくり。先輩イカれカップルへのオマージュなのかしら。どっちがイカれてるか選手権をするといいと思う。
両手で口を抑え、感極まるクリステン。お前もな。
『魂萌え!』
私のように在宅勤務という大義名分があれば、ちょっと息抜きもできますが、専業主婦はそうもいかないようで。終始、子供らの相手をして日が暮れる、本当にお疲れさまです。そんなリエコから、一昨日と昨日に以下のようなLINEが来ました。
先日、何か一品足りないなと思って、ナスとトマトにオリーブオイルとパルメザンチーズを振りかけ「おしゃれなもんができそう、アハン」とグリルにイン。数日後、変な臭いがするな~と思ってグリルを見ると、焼いたまま放置したナスが黴びていた。
さらに昨日のこと、またしても妙な臭いを鼻に感じた私は、おそるおそるグリルを開けた。そこには焼く直前で忘れ去られ、暖かい気候の中で二日間熟成されたサザエが・・・。腐ったサザエの臭いって初めて嗅いだわ。
旦那が死んだ後、別の女がいたと知ったらどうする!?
◇あらすじ
突然夫が他界し、途方に暮れている団塊世代の専業主婦・敏子は夫の携帯電話から、夫の愛人の存在を知る。そこに子供たちの身勝手な行動も重なり、自らを取り巻く環境にうんざりした敏子は家出を決行する。(映画.com)
◇主婦のロードムービー
例えば、夫の定年の夜、突然夫に握手を求められ、ワケが分からずポカンとした風吹ジュンの顔は、次に喪服を着て空を見上げる顔に切り替わる。この間には三年が経過しており、あの晩、何と言われたのかが思い出せないまま煙になった夫を見送っているという状況だ。
原作では渋々の体で金を払う敏子が、映画では心から感謝して当然のものとして支払うのも面白い。
「勝ち負け」に拘る彼女は、前回は、思いもよらない事態にオドオドする妻に対して明らかに優位に立っていた。だからこそ、線香を上げさせてもらった礼は言っても、詫びることはしなかったのだ。だが、自分を取り戻した風吹ジュンの佇まいが、逆に三田佳子を追い詰める。
夫の不実は、もはや意味はなく、女たちが自分の存在意義を己に問うための装置でしかない。
悪ノリをやめたい
本日はお日柄もよく、映画から脱線した話をしたいと思う。
題名の通りなのだが、私は悪ノリがひどい。悪ノリというのか、真剣にならなければいけないときほど、場を混ぜっ返したりしてしまう。「そんなに深刻になっても解決しないよ?」と周囲の緊張を解きほぐそうとか、先陣切って余裕を見せなければとか、そんな意識から来るものなのだが、多分、生真面目な人からは嫌がられると思う。
以前、娘が私設の保育園に通っていたときのこと。園長が「ほっしゃん。」(旧)に激似だった。その園長が、年度が変わるか何かで保護者の前で挨拶することがあり、第一声、「保護者の皆さま、いつもきちんと保育料を支払って下さり、ありがとうございます」と言った。
当然ジョークだと思った私は、「あーはっはッは!」と声を出して笑ったのだが、笑ったのは私一人だった・・・。
少し前には、娘が通うサッカークラブで試合があったときのこと。若いコーチ陣のリーダーが何というのか、外見はサッカー少年がそのまま成長した感じなのだが、中身がゆるキャラのような好青年で。時に指導に熱中するあまり周囲が見えなくなるが、人柄の良さがカバーして熱さが鬱陶しく映らない。話し方がちょっと舌ったらずなのも可愛らしい。私は、このコーチの喋り方をマスターし、日々、娘に「コーチがいつも言ってることがみっつあります」と真似をしてはイヤがられているのだが、さて、試合の後に、コーチから子供たちにお話があった。
「コーチがいつも言ってることがあります。それは、お父さんとお母さんに感謝すること。」と始めたコーチが例によって舌ったらずな熱の入った口調で、「お父さんお母さんが、汗水垂らして働いてくれるおかげで、皆ユニフォームや靴が買えるんだよ」と続けたもので、私はツボって「うーふっふッフ!」と爆笑した。が、誰一人笑っていなかった・・・。
夫からは後で「あんなに笑うやつがいるか」と言われた。
また、つい先日のこと。仕事が全面的に在宅体制になるに当たり、部長と部署のメンバーと社内チャットでやり取りをしていた。部長が「部署から一名は出社することになった」と書くべきところを「部署から一命」と誤字をしたが、誰もそれに触れないまま話は進んだ。ついに我慢が出来なくなった私は、「『一命』はシャレにならないでしょー!」と書いた。すると部長は「あ・・・申し訳ありません、不謹慎でした」と。
・・・。
そこはさ?うまくノるべきではないのか?言った私が鬼みたいじゃない。
冗談が分からない奴だなッ( ゚д゚)、ペッ
まあ、上記の件は割とどうでもいいので、本題に行きたいと思う。
◇本題
同じチームの二十代の女の子が、滅多にお目にかからないほど賢くて美しいコだ。すらりと背が高く、構わない服装やノーメイクの時も多いが、それすらいいなと思わせてしまう。コミュニケーション能力が高くて、英語が堪能。人懐っこいが媚びは一切なく、若干男勝りでパワフルで、意外にずぼらな感じがまた愛らしい。
ふんだんな愛情と教養を与えられて育った人間というのは、ここまでコンプレックスと無縁になれるものなのかと感心する。
彼女は二年前にうちの部署に異動してきて、私とすぐに仲良くなり、ランチに行ったり、誕生日にはプレゼントあげたりと楽しい関係を築いている。そんな中で、先日起こった話です。
彼女から、営業(29歳男)と私にメールが来た。↓こんな感じ。
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>●●ぱいせん
押してた甲斐があって、○○社から依頼来ました!
>やなぎやさん
私はまだ対応出来ませんが、勉強したい気持ちはあります。やなぎやさん主体で進めてもらって、私も訪問に同行させて頂いていいですか?
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私は、いつも真面目な彼女が仕事を取って浮かれてるのがカワイイなと思い、私にパスしてもいいのに自分でやろうとするのも嬉しかった。「『ぱいせん』てなんだよ」とおかしくて、これは突っ込まねば、と以下のようにメールを返した。
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「ぱいせん」にイラッとしました。
さて、アポの件ですが・・・(以下略)
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で、そのまま昼休憩に行った。
・・・ここまで読んで頂いた方は、この後、何があったか分かりますよね?
いま改めて見ると、なんて恐ろしい文章なんでしょう。
私は職場で、指導はするし注意はするが、感情的にはならないよう気を付けている。社歴が長い人間として、下の人間にはとにかく声をかけているので、為人は分かってもらっているし信頼もしてもらっているという油断があった。
昼から帰ってくると、彼女が席にいて、昼を取った様子がない。すぐに神妙な顔で立ち上がり、「やなぎやさん、ちょっとお話いいですか?」と言われた。
なんだなんだ、と思いながら、言われるまま後に続いた。
彼女は会議室に入ると、しっかり私の目を見ながら、「仕事上であんな言葉使いをして申し訳ありません。受注が取れて浮かれてしまいました」と頭を下げた。
・・・ん?
・・・え?
混乱した私は、やがて、床に叩きつけられるような気がした。
「ぱいせん!?もしかして、ぱいせんのこと!?」
会議室で「ぱいせん」を連呼。
その後、慌てて、冗談だったと説明したことは言うまでもない。
彼女は「本当ですか。。。」と強張りを解き、
「私の受け取り方が悪かったんです。メールを送ったあと、あ、ちょっと砕けすぎたかな、と後ろめたい思いがあったので、覚えがあるところを指摘された気がして。やなぎやさんと仲の良いことに、甘えて過ぎたかなとも思って」
彼女の目は、ホッとしたせいで、ちょっと潤んでいる・・・。
うあああ、ごめんごめんごめん。
私は自分が冗談耐性が強いために、どこまでも悪ノリしてしまうところがある。親しい人間に好意を示すとき、いじり倒すような絡み方をしてしまい、相手には冗談でなく本気に捉えられてしまったということが、あったでしょ、これまでも!ばかばか、わたしのばか!
それにしても、職場で絶対泣かないタイプの子が、こういうことで目を潤ませるのかぁ。昼も食べずに。まずメールで返信して私の反応を探る、ってテだってあったろうに。怖いだろうに、メールで済ませず面と向かって解決しようとする、そういうところだよね。
とか考えたら、もう、申し訳ないやら、かわいいやらで。
私たちは手を取り合い、「ごめん~」「いえ、わたしこそ~。よかったです~」と会議室で騒いだのでした・・・。
ホントにね、調子に乗らない!親しき仲にも礼儀あり!
『ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命』
あの少年に幸があって欲しい。
◇あらすじ
◇美しい映画ですね
動物なんか、どうでもいいんじゃないかな、この監督。
動物の交配と、チャステインに対するブリュールの欲望や夫婦のセックスは露骨に重ねて見せるのに、露骨な色仕掛けは禁じ、恥じらい抵抗させることで主人公の高潔を保とうとする。うまく言えないが、そのあたりが、どうもすっきりしなかった・・・。
◇サービスタイムです
どうせお前らも、動物を愛でるお前が一番カワイイよ系の男子なんだろ?
夫妻は客を招いて小さなパーティを催している。そこへイエジクが急を知らせにくる。象が出産したが、赤ん坊の象が息をしていないというのだ。現場に駆け付けたチャステインは、興奮して攻撃的になっている親の象をものともせず、産まれたての象を介抱する。何事かとパーティ会場から駆け付けた人々は、象が息を吹き返す奇跡の瞬間を目撃する・・・。
ってな感じなんだけど、「しっかり!」「息をして」という度に、たださえバックリと胸元と背中の空いたドレスがズリズリと落ち、もはや象が生きるかどうかより、「落ちる!」「見える!」ばかりに気を取られてしまう罪作りな場面。