Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『ゴールデン・リバー』

 
皆さん、こニャンちは。
 
先日、S氏から「四月にクルレンツィスが来日する。歴史に残る第九になるかもしれんぞ」とメールが来たのですが、私はクルレンツィス氏が誰かを知りません。
 
誰も興味ないでしょうが説明すると、S氏は元々、私の夫の同僚です。家に遊びに来るうちに、たまたま居合わせた私の父とクラシックの話で意気投合、私の知らんとこで、手紙やCDをやり取りしているようなのです。なんだそれ。
 
なので、まあ父のためにクルレンツィス氏の公演のチケット取ってやれというメールだったんですね。「優しくしてやれよ」と書いてあったのですが、一体わたしのことをなんだと思っているのでしょうか。
 
じゃあ、うちの父が優しくされて喜ぶタイプの老人かというと、ノー。大病して身体こそガリガリですが、頭と自立心とプライドだけは人一倍キレているジジイで、ロッキンなエピソードには事欠きません。そんな父が「今回のクルレンツィスを聴けたら死んでもいい」みたいなことを言っているので、何とかチケットを取りたいところですが、激戦らしい。ゴールドラッシュ並みのチケット争奪戦となりそうだよ。この流れ、天才かよ。
 

◇あらすじ
ゴールドラッシュに沸く1851年、最強と呼ばれる殺し屋兄弟イーライ&チャーリー・シスターズは、町の権力者「提督」の命を受けて、黄金を探す化学式を発見したという化学者を追っていた。連絡係を務める男とともに化学者を追う兄弟だったが、ともに黄金に魅せられた男たちは、成り行きから手を組むことに。しかし、本来は組むはずのなかった4人が行動をともにしたことから、それぞれの思惑が交錯し、疑惑や友情などさまざまな感情が入り乱れていく。(映画.com)
 
シスターズ兄弟の兄にジョン・C・ライリー、弟にホアキン・フェニックス化学者にリズ・アーメッド、連絡係の男にジェイク・ギレンホールという超クセがありそうな顔ぶれでお送りします。
 
まず、この映画が面白いのが、監督がフランス人である点。
面倒くさいので、一足先に本作を取り上げたふかづめたんの『シネマ一刀両断』からパクると、
 
アメリカ西部になんの思い入れもないであろうフランス人のジャック・オーディアールが監督を務めていることから分かるように西部劇正史からは大きくかけ離れた作品」であり、「全ライリスト、全ホアキニスト、全ジェイカー必見の作」なのだ!
 
ライリストなんているのかよ。
 
何だか暗くて地味そうなこの映画に、私が劇場公開時から目をつけていたのは、もちろんジェイク・ギレンホールが出ているからに他ならない!(例によって主演ではない!)
私の好きな俳優と言えばジェイクとキリアン・マーフィだが、バーミンガム辺りで威張り散らかしてばかりのキリアンと異なり、ジェイクはコンスタントに映画に出てくれるし、特に昨年は出演作公開が続いた。『世界にひとつのロマンティック』(2015)は記憶から消去するとして、キャリー・マリガンとのワイルドライフ(2018)や本作は、らしいなって感じでした。ジェイカーの私としては、とても嬉しい。
 
まあ、最も存在感を放っていたのは、原作の『シスターズ・ブラザーズ』に惚れて映画化の権利をゲットしたジョン・C・ライリーだったが。
 
「ジェイカー」という言葉もふかづめたんが編み出したものだった。著作権を侵しまくったお詫びとして、将来ふかたんが本を出版したときは、300円までなら買うし、「著者近影」の写真は私が撮ることを約束します。カメラは苦手です。
 

◇シスターズ兄弟★珍道中
巷のうわさ通り、西部劇だと思ったらなんか違う。金に群がる人間たちの醜悪さや欲望が描き出されるのかと思ったら、どうもそんな感じでもない。
 
西部劇の定石に照らして語るほど西部劇を観てはいないが、それでも「こういうモンだろう」というイメージはある。例えば、敵と味方の間に引かれた境界線であったり、お約束のキャラクター造形(ニヒルor乾いてるor飄々)であったり。だが監督はフランス人であるので、そもそも「こういうモン」に拘泥する様子もなく、観客は、物語が徐々に西部劇のラインからズレていく感覚を味わうことになる。
 
シスターズ兄弟は、提督ルトガー・ハウアーの命令で、砂金を特定できる薬品を発明した科学者リズを追っている。先の町マートル・クリークでは、兄弟が到着するまでの偵察役として、ジェイクがリズを見張っていた。本作でのジェイクは気取り屋で、報告記録や手紙を書く時にもどこか詞的になりがちなインテリジェンス野郎。やはり思考を掘り下げるタイプであるリズに共鳴すると、共に理想郷を実現すべく、あっさりと役目を放棄してしまう。
 
兄弟が目的の町についてみれば、寝返ったジェイクとリズは既に発った後。彼らを追ってジャクソンビル→メイフィールド→サンフランシスコと旅をしていく中で、歯ブラシを手に入れたり酔っ払って馬から落ちたり森で蜘蛛に刺されたり、メイフィールド一族を返り討ちにしたりと、ジェイクとリズに関係のない物語が綴られていく。
 
とにかく、シスターズ兄弟の素の顔とやり取りが面白い。
 
アホの弟、ホアキンは、いつも酔っ払っている。
一見狂暴そうなジョン・C・ライリーは、弟のフォローに明け暮れる面倒見のいい兄貴。ライリーに関しては、そこここで垣間見られるコンプレックスの描写が、なかなかに切なくて。女性からもらったショールを夜な夜な取り出してスーハーするライリー。買った娼婦にそのシチュエーションを演じさせ、「もっと優しく」「そこはショールを見ないと!」と細かい演技指導をつける。
 
ある店で買った歯ブラシで初めて歯を磨き、口臭を確かめてニマッとするところでは、なぜか胸がキュンとね。あれ・・・?わたしジェイクを観てたのに、いつの間にか、磨いてんのが歯だか唇だかも分かんないライリーにキュンとしてるぞ、みたいなね。
慣れた仕草で歯を磨くジェイクと、口を泡だらけにしながら縦磨きに懸命なライリーの対比で、彼が殺し以外で如何に不器用な人間かがとっても分かる。
 
私のオススメシーンは、兄弟が殺し屋家業をやめるやめないで揉めるシーンだ。前の晩、ライリーを殴ったことを覚えていないと言い張るアホアキン
 
ホアキン「じゃあ、俺を殴れ、それでチャラだ」
ライリー、グーで殴る。
ホアキン「いってー、俺は平手だっただろうが!」
ライリー「ほーら、覚えてるじゃんか!」
 
うーん、どうにも締まらない殺し屋たち。でも、嫌いになれない。
 
観客は早いうちで、あ、これは西部劇ではなくて、「殺し屋ブラザーズ★珍道中」なんだな、と気づくことだろう。
 

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この眉間の線は、どうやったら入りますか?
 
 
兄弟はジェイクとリズに追いつくが、メイフィールドの部下を撃退するために共闘、あっさり和解して共に黄金探しに勤しむこととなる。どこかでシスターズが牙を剥くではないかしらという私のつまらない予想が当たることもなく、自然の中で楽しそうに過ごす。
 
しかし、牧歌的な雰囲気は長くは続かなかった。
やらかしたのは、やっぱりアホアキンであった。
 
リズの作った薬品は、川の中に流すと砂金だけがキラキラ光るというものだが、水の中に入る時間を限定しなければならないほどの劇薬。だが、砂金の輝きに興奮したアホアキンは、「もっと入れろ!」と薬品の入った入れ物をひっくり返してしまう。それをモロに浴びたジェイクとリズは瀕死の状態となり、アホアキン自身も右腕に重傷を負う。
 
夢の時間は終わりを告げる。
リズは息を引き取り、アホアキンはジェイクに銃を握らせ、彼の苦しみを終わらせる。
 
 

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ハァ、やっぱジェイク、かわいいわ。

 
 
◇珍道中の最後は帰郷だった
四人に偶然共通していたものは、強権的であった父親の影を払えず、いまだその影響下にいるという点だ。幼少期の恐怖を共有するがゆえに固く結ばれていたシスターズ兄弟は、図らずも同類であるジェイクらとの縁を得て、初めて他者と交流することになる。繊細で内向的なライリーはリズに心の鬱屈を聞いてもらい、ホアキンとジェイクは川で遊びながら何となく友情を深める。
 
兄弟のボス「提督」は、名前こそ頻繁に上るものの、画面上では遠目で窓越しに映されるのみ。また、ホアキンが殺したという実の父親も、夢の中の影としてしか現れないため、人物というより概念のようだ。

兄弟は、幼少時代は父親の、そして現在は父親に代わる存在である「提督」の支配下にある。終始二人が大人になりきれていないと感じるのは、このためだろう。兄弟は、ジェイクとリズの死の犠牲を経て、
父親の呪縛から解放されるため提督を殺すことを決断する。そしてクライマックスでは母親の元に戻り、ようやく失われた子供時代を過ごすことができるのだ。
 
この支配から卒業、ってことだな、まさに。
いや、『卒業』を聴くと鳥肌が立つって言ってるじゃん。
 
つまるところ本作は、兄弟の離郷と帰郷の物語であろう。
 
私は、この結末はハッピーと見たが、ジェイクとリズとの出会いで一瞬崩れた閉鎖的な世界が、再び閉鎖してしまったことを考えると、まさに「理想郷は理想であった」とする皮肉な結末なのかもしれないよね。
 
(C)2018 Annapurna Productions, LLC. and Why Not Productions. All Rights Reserved.

『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』

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監督:アレクセイ・シドロフ キャスト:アレクサンドル・ペトロフ、ビンツェンツ・キーファー/2018年
 
あっけおめー。
皆さん、何か面白いことがありましたか?私は料理ばっかりしてました。

正月ボケしながら出社したら、隣の席の新潟男子が開口一番、「やなぎやさん、実家帰ったら、知らない間に妹が結婚してました」と面白い話を披露してくれました。
賢くて静かなユーモアを持った青年だと思うのですが、何しろ自分でも認めている通り、反応と感情が薄ーい。家族との関係が特殊で、これまで報告してくれた「知らない間に」エピソードが面白く。
 
・知らない間に、兄に子供ができていた
・知らない間に、兄が家を建てていた
・知らない間に、自分を抜かした家族全員が温泉旅行に行っていた
 
まあ、最後の旅行の話はね。友達のつっちーも昔、家帰ったら誰もいなくて、母親から「ハワイ行ってきます。大丈夫、あんたはまた行けるよ」とメールが一本来ていたと憤慨してたっけ。わたしも将来、息子をそんな風に扱うような気がする。
 
さて本日は、正月に自由時間ができたので夫を引きずって行って鑑賞した『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』をご紹介。上映しているのが池袋のシネマロサのみだったので、何十年かぶりに行ったわ、懐かしかったー。
 
『映画.com』での点数4.0と世間の評判は異様に良く、熱狂的なファンも生まれている様子。なにより、映画とカレーを愛するミキちゃん(S氏の幼馴染という可愛そうなコだ!)が、2019年のベストテンに挙げていた作品。そして、少年少女にお勧めしたいサッカー漫画『フットボールネーション』の作者大武ユキさんが昨年から盛んに推してらっしゃる映画。
 
残念ながら、私は酷評気味です。
この盛り上がり方、ちょっと盲目的というか、マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)のときと似ているよな。
 
最初に断っておくと、「あなたはあなた、わたしはわたし」を貫いてきたので、「好きな人に悪いかしら?」と思いながら書くくらいならブログなどやらないし、「あくまで個人の意見です」なんて当たり前なことも言いたくない。
例え私が、このケーキは不味いと言っても、美味しいと思う人はそのケーキがどれだけ美味しいかを自信を持って語れば良い。
 
とはいえ、ですよ。
私も、かわいいミキちゃんや大武ユキさんに不快な思いなどさせたくないし(ユキさんは読まないだろうが。)、本当に嫌いなら、わざわざ時間を割いてブログを書いたりしない。いずれ子供達が観たいって言ったら、脇で居眠りしながら、もう一回観てもいいくらいの気持ちではある。
 
 
◇あらすじ
第二次世界大戦時、ソ連の士官イヴシュキン(アレクサンドル・ペトロフは、ナチス・ドイツ軍のイェーガー大佐(ビンツェンツ・キーファー)に敗れて捕虜となる。三年後、収容所で行われるナチスの戦車戦演習のため、ソ連軍の戦車T-34の操縦を命じられたイヴシュキンは、仲間とともに無謀な脱出計画を立てる。
 
とにかく大味な映画である。それ以外、言い表しようがない。
脚本、設定、撮影、演出、すべてが大雑把。心に響かぬ音楽も辛い。
『鬼戦車T-34』(1965)のリメイクなのかな?あちらは映画館に突っ込んだり、もっと無茶苦茶していた記憶があるが・・・。んで、バッドエンドなんだよね、当たり前だけど。
 
それなりに戦争映画を観ている立場から言うと、戦争映画の醍醐味は、ほぼない。下調べが緻密?残念ながら感じないねぇ。戦車と戦車をぶっつけたい!が先にあって自ずと舞台が大戦時になったようにしか見えず、かと言って、鋼鉄の肌を美しく撮ることに執心するでもなく、戦車に魅了された兵士たちのドラマを描くわけでもない。キャラクターありきの物語が進む。
 
ドイツ軍のイェーガー大佐を演じたのは、前回の記事で2019年ヤナデミー賞大賞に輝いた『犯罪「幸運」』のカッレくんことビンツェンツ・キーファー。カッレくんに軍服着せるとは、やってくれるじゃないの。
 
 
◇ストーリーを追っていきましょう
序盤のネフェドヴォ村の対戦から三年後、イヴシュキンは捕虜として、イェーガーは収容所の責任者として再会する。ソ連軍から奪った最新型T-34戦車を相手に実戦同様の演習を行おうとするイェーガーは、イヴシュキンと彼の部下たちを敵の戦車部隊役に指名、演習への参加を命じる。戦車の中を片付けていたイヴシュキンらは、兵士の遺体の下に砲弾と手榴弾を見つける。
 
・・・。
 
ドイツ軍は、敵の戦車の中を調べもせず捕虜に受け渡すと・・・いうのかッ?
 
いやあ、、、私、ドイツ好きじゃん?
スターリングラード(1993)やヒトラー最期の12日間』(2004)などのドイツの敗戦をドイツが撮った映画が好きだし、浦和レッズのレジェンド、ギド・ブッフバルトもドイツ人なわけ。退団セレモニーには白馬に乗って登場したんやで?
私の永遠の脳内彼氏、『エロイカより愛をこめて』の少佐も愛国主義のドイツ人、だから、ドイツ軍をナメくった映画はそれだけで評価下がるんだよね。
 
さて、ザルすぎるドイツ軍の監視に労せずして砲弾を隠したイヴシュキンらは、その後も戦車の整備を進めつつ砂で演習場のミニチュアを作って逃亡計画を練ったり、ペラペラと自由にロシア語で会話したり、捕虜生活の間にいい感じになった翻訳担当のアーニャと目と目で通じ合ったりと、やりたい放題。
 
こうなると、イェーガーがどんだけマヌケなの?という話になってしまう。
挽回するかのように、「演習場の周囲に地雷を埋めろ」と薄笑いを浮かべるイェーガー。ああ、お見通しなんだな、どうなるイヴシュキン隊!と観客をワクワクさせてくれるのだが。
 
アーニャがこの事実をイヴシュキンに告げると、地雷の件は、すっかりなかったことに。イェーガーは、地雷どこに埋めたん。自分の頭ン中か?
 
演習当日。イヴシュキン隊は隠しておいた砲弾をぶっ放してドイツ兵を蹴散らし、脱出に成功。楽しく街道を転がして、腹が減ったなと街で食料などもゲット(途中のバス停でアーニャも乗せた)、特に労せずにして、あと一時間で目的地のチェコ国境というところまで辿り着く。
 
・・・。
 
そうだね、うん、手段は色々あると思うが、ドイツ軍には、爆撃機とか。ない?
 
気を揉む私に応えるように、やっとこさイェーガーが言う、「空軍に連絡だ」。それそれ~。もう、おそいってー、数時間前に言うべきだって。
 
次の瞬間、出てきたのは偵察機だった。
ううん、違うよ、偵察機飛ばしてどうするの?頭ン中の地雷が爆発したの?
 
イェーガー「あ、空軍ですか?捕虜に戦車で逃げられちゃって、ハハッ。爆撃機出して欲しいんですが。え?全機、故障中?オーマイイェーガー」。恐らくこんな感じだろう。
 
偵察機に同乗したイェーガーは、空からイヴシュキンらの戦車を見つけると満足そうに微笑み、そして戻っていった。こっからまた戦車で出動するんだって。その間に逃げられるぞ。しかし戦車でドライブ気分のイヴシュキンらは、もう少しで国境という森の中で野営をすることに。
 
・・・。
 
いま野営を、するんじゃない。
そこ、湖で泳ぐのはドイツを脱出してからになさい。あコラ、そこの二人、ヤるんじゃない。
そんなことをしてたから、ほーら、一度戻って出直してきたイェーガーに追いつかれちゃった。てか、もう戦車にこだわる意味。捨ててけ、目立つから。
 
※ラストには、わざわざ場所を変えて戦車同士が一騎討ちするというワケのわからん一幕があるが、もはや触れまい。
 
 
◇アップショットのカッコ悪さ
本作が全編を通じて鈍重に感じられるのは、スローモーション及びストップモーションとCGの乱用による大仰な演出が原因だろう。砲弾が発射される瞬間、着弾して爆発する瞬間、あるいは弾と弾が宙ですれ違う瞬間が都度、スローモーションで切り取られる。これがダサい。
 

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こんなことせんでええ。
 
また、人物の顔のアップショットの切り返しも、うまくない。ネフェドヴォ村での戦闘や、収容所で会話する場面では、主役二人の顔のアップが交互に切り返され、それ以外の情報が入って来ない単調な画面に瞼が重くなってしまう。
 
映画終盤、ある街を舞台に再び戦車戦へと突入するのだが、理解に苦しむのは、一番の見せ場となるべきこのシーケンスを、冒頭と同様の市街戦とした点だ。
 
狭い道を戦車が塞ぎ、近距離でジーッと睨み合う退屈な時間が続く。緊迫感を演出するために戦車と人を繰り返しドアップで撮るやり方にうんざりしているのに、またぞろ、戦車同士が目と鼻の先で戦車砲を突き付け合う息苦しい画を見なければならない。
 

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これな。
 
当然、戦車は走らせるべきだ。走らせずして、戦車の獰猛さを、戦車乗りが誇る卓越した技術をどう伝えるというのか?
キュラキュラと不気味な音を響かせて迫って来るキャタピラを撮れどちらのスピードが早いか、より頑強か、操縦技術が優れているか、それを横から上から下から撮れよ。
 
この世には、『レッド・アフガン』(1998)や『フューリー』(2014)などの優れた戦車ラブ映画がある。戦車偏愛映画『レッド・アフガン』では、こちらも口の中が乾くほど緊張したし、戦車対戦車の息を飲む攻防に関しては『フューリー』が素晴らしい。ドイツの化け物ティーガーと出会して戦闘に雪崩れ込む緊迫のシーケンスを見習ってほしいものだ。
 
また鬱陶しいのが、イヴシュキンの恋の相手アーニャを絡めるために発生する、ドイツ語⇔ロシア語の翻訳のムダ時間。例えば、こうだ。
 
・イェーガーがドイツ語で何か言う(字幕出ない)
・アーニャがそれをロシア語に訳す(ここで字幕が出る)
・イヴシュキンがロシア語で答える(字幕出る)
・アーニャがそれをドイツ語に訳す(字幕出ない)
 
イヴシュキンとイェーガーの会話であるはずなのに、アーニャを介するがゆえに同じ内容のセリフを×2で聞かされることの煩わしさ。単純に二人がロシア語とドイツ語を解する設定にすれば良かっただけの話である。
 
最後の、立場は違えどの体で友情らしきものをチラつかせる演出など、恥ずかしくて直視できなかったわ。
とにかくダメなのはコレを大真面目に撮っていることだ。無茶苦茶な感じに振り切れば、まだマシだったかも。
 
あと、も一つだけ言わせて。
キーファーくん(イェーガーね)を正面、煽り気味の位置から撮るな。その理由は、キーファーくんは前歯が、すきっ歯だからだ!
 
文句言い過ぎたから、フォローしようと思ったけど、あんまり出てきませんでした。
あ、白鳥の湖のところと、バス停で待ってたら戦車来た、は面白かったと思うよ。
 
(C)Mars Media Entertainment, Amedia, Russia One, Trite Studio 2018

『犯罪「幸運」』

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監督:ドリス・ドゥリー キャスト:アルバ・ロルバケル、ビンツェンツ・キーファー/2012年
 
皆様、掃除はこれからですか。
最近、面白いことが二つありました。
 
娘は、NHKの『にほんごであそぼ』がお気に入りで、「汚れっちまった悲しみに・・・」などと口ずさんでいるので、「すごいねえ」と言いました。すると、姉が褒められれば同等の扱いを受けずには気が済まない弟が(逆もまた然りだが)、割り込んできて足を組み、私を見ながら気取った様子で歌い始めました。
 
コガネムシは~、金持ちだ~♪
金蔵建~てた蔵建てた~♪
 
うん・・・。なんだろね、キミって面白いよ。
 
その後、これをバカにした姉との間で戦争が勃発。息子の膝が娘の唇にクリーンヒットして流血事件に発展しました。息子に比べれば遥かに信頼のおける強く優しい系女子な娘ですが、これも結構な調子乗りで、ふざけすぎて乳歯のころ前歯を折ったことがあります。
 
もう一つは、リエコとLINEをしていたときのこと。彼女が「今日ラザニアを作ったよ〜」と言ってきたので、へえレシピ教えてと言ったら、秒で青の洞窟のリンクと「健康と信頼の日清」というコメントが送られてきました。専業主婦なのに手抜きを怠らず、独身時代の貯金で10万円の靴を買うリエコを私は愛しています。
 
さて、年内最後の更新です。
私も忙しいんです。掃除、洗濯、掃除、正月用にそれらしい料理の制作、また掃除。その合間に子供をシバき、上司のケツも蹴り上げなければなりません。
 
本日紹介する映画に、「2019年やなぎやアワード大賞」を差し上げます。
そんな賞があったんだぜ。 
 

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◇あらすじ
祖国の内戦で幸福な日々を奪われたイリーナ(アルバ・ロルバケル)は、ベルリンに流れ着き、「ナターシャ」という名の娼婦となっていた。彼女はある日、黒い犬を連れたホームレスの青年カッレ(ビンツェンツ・キーファー)と出会う。
 
2012年製作のドイツ映画。この二人の幸福を全力で祈らずにはいられない。
幸福とはなにか、愛とはなにか。うんざりするほど繰り返され、だが人が逃れられないテーマを、身を寄せ合って生きようとする男女を通して映した大変いい映画です。示唆に富んだ作品だと思うが、気取った感じや小難しさはない。

鑑賞時には、うっすいパンとハチミツを用意して臨むことをお勧めする。パンにハチミツで好きな相手の名前を書くと、なお良し。
 
何はともあれ、邦題やパッケージを見て避けないで欲しい(このパッケージはマシなの探してきたが、Amazonのはぎょっとする)。
原題は「Glück」(グリュック)、ドイツ語で「幸福」という意味だ。何がどうなって、『犯罪「幸運」』という題名になったのか、そしてあのようなグログロしいパッケージになったのかが皆目わからん。確かに一か所、目を逸らしたくなるシーンはある。だが、そこまで観続けた人間なら、その行為にむしろ嘆息せずにはいられないはずだ。
 
冒頭、イリーナの両親との幸福な日々、そして家族を襲った残酷な出来事が一切の台詞なくスローモーションで映される。故郷の赤い花畑と、ベルリンで生活するようになった彼女の銀髪の白々しさとの対比が印象的だ。
 
身を落としながらも踏み留まるイリーナの誠実さは、規則正しい生活の描写で伝えられる。仕事を終えて安ホテルに帰り、素顔になり、一枚のパンにハチミツを塗って窓際で食べる。食事の時はテーブルにクロスをかけ、きちんと皿を置く。監督の、人間が人間らしくある所以は生活にあるとする考えが見えるかのようだ。
 
強制送還の恐怖に怯えながら吐き気のするような相手に身体を売り、その日その日をどうにか食いつなぐ、そんな中でなぜ見知らぬ青年にブランケットなどを買い与えてやれるのか?どのような悪環境でも、イリーナの生来の優しさは損なわれないことが静かに伝えられる。ブランケットが、彼女の幸福の象徴である真っ赤な色であるのがまた切ない。
 
赤の色とともに、幸福な時代を思い起こさせるのは、ハチミツの黄金色。一人で食べていたパンは、やがて丁寧に半分に分けられようになり、またある日、食卓が三人になったときは、「これはステーキよ」とフォークとナイフで小さく切り分けられる。パンは、イリーナに人との繋がりができたことの幸福の象徴となる。
また、故郷から持ってきた羊と花の刺繍がされた白い布は、恐ろしい世界と自分を遮断するときに使われる。
 

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「カッレ」と書いているよ。
 
 
カッレくん
詳しい背景は語られないが、劣悪な家庭環境から路上で生活するようになったらしいカッレくんは、イリーナにブランケットをもらった後、彼女の後をくっついて回るようになる。やがて二人は、イリーナが自宅兼仕事場として借りた小さなアパートに一緒に住むように。イリーナは、彼に生活のために働くよう勧めるが、カッレくんは通行人に小銭を無心する以外の、生計の立て方を知らない。
 
そこで得たのは、新聞配達の仕事。これがなかなか厄介な作業だ。詳しく説明すると、自転車に新聞の束を積んで移動し、人々のポストに新聞を入れる。だが、ポストの口は非常に狭い。瞬時に適切な大きさを見極めて新聞を綺麗に折り畳み、スムーズに入り口に差し込まなければならない。つまり、この仕事は時間勝負だし、熟練の技術が必要なのだ・・・。
 
 
って、そんなわけあるか!
 
カッレは、新聞を折る気もなくズボッ!と無理くりポストの口に突っ込もうとするので、そりゃうまく入らないし、時には落ちる。それにイライラし、ついに新聞の束を投げ捨てて、花壇から盗んだ花を手土産にスキップしながらイリーナの家に戻るカッレ。すがすがしいほどダメな野郎だな!顔はめっちゃカワイイけど!
 
主にイリーナの方が彼に与える描写が続く。最初は赤いブランケット。シャワーと食べ物、住む家、愛情と忍耐。カッレが盗んできた花を、窓から投げ捨てることで、「私は貴方を見捨てない」ことを示す。また、これは終盤への布石ともなるのだが、徹底したベジタリアンであるカッレのために、手をかけて用意していた鶏肉をやはり同じ窓から投げ捨てる。繰り返される「捨てる」行為は本作の中で重要な意味を持っていて、イリーナがカッレに示す愛情、これを物理的に見せるのが、窓から捨てるという行為だ。

一方カッレも、耳や唇につけていたピアスを外し、長い髪を切り、自分のこだわりを捨てることでイリーナの愛情に応える。
 
 
捨てる=与える
穏やかな日々が過ごしていた矢先、「ナターシャ」の常連客の男が、彼女の部屋で心臓発作を起こして死んでしまう。人の死にショックを受けると同時に、警察と関わることができない事情を抱えるイリーナは動揺し、部屋を飛び出す。入れ違いに部屋に戻ってきたカッレは、彼女が客を殺したと勘違いをしてしまう。カッレはついにベジタリアンであることまでを捨て、イリーナに対する愛を示す。
 
・・・こう書くと、カッレがデブの客を食べたみたいなんだけど、比喩表現です。カッレは見るだけで嫌悪感を覚えるほど肉の生生しさと血が苦手。先に書いた通り、イリーナは彼のために、鶏肉を投げ捨てた。彼女に報いるため、カッレは巨大な肉塊を「調理」する(現にここで使用するのは調理用カッター)。
 
繰り返されてきた、「捨てることで与える」行為の集大成だ。カッレが最後の砦を崩してまで、イリーナに与えてもらったものを返すことが暗喩されている。私はここでカッレと一緒に泣いた。
 
案の定、どこかのレビューで、「死んだ人を切り刻むなんて不謹慎。それが愛だなんてただの美化だ」というコメントを見たけれどオーケー、学級委員長、道徳的に不謹慎であろうとなかろうと、デブの客はここでは「肉塊」なんだよ。
 
だからデブなの。ガリガリの客だったら、ベジタリアンのカッレが挑む肉としてふさわしくないだろ?
 
主に二人の世界だけを映す本作には、唯一、第三者がいる。死体損壊の罪で逮捕されたイリーナとカッレを担当することになる弁護士だ。生真面目で人の良い弁護士は、二人の事情を知るうち、「自分は愛のために罪を犯したことがない」ことに劣等感を感じる。そして彼は、事件の解決後、赤い花を花壇から盗んで愛する妻に贈るのである。
 
真面目な男が自身の正義を裏切り、自分にしか分かり得ない形で、これもまた愛のためにささやかな犠牲を払う。フフンフン、と頷きたくなるような小洒落た脚本ではないか。
やはりどこかのレビューで、「最後に弁護士が花を盗むのはちがうとおもいます」というコメントを見たが、オーケー、ちょっとおねえさんと温泉にでも浸かろう、委員長。
 
本作の登場人物は全員が誠実でピュア、表面だけなぞれば綺麗事に見えるかもしれないが、イリーナの優しさが絵空事を超えて、どうかこの二人を放っておいてやってくれ、という気持ちにさせられるんだなあ。
 
また、全編通して、音楽が良い。ラストの曲は、切なく痛々しい物語から一転、観た人をハッピーな気持ちにしてくれるだろう。
そんなわけで、私はこの映画に心を奪われました。是非、年末年始のお休みにどうぞ。ハチミツとパンを忘れないでください。
 
って、これ前にイクコさんがミーハーdeCINEMA』で賞賛してた映画じゃないの!
やられたわあ、流石イクコさんだわあ。イラストが美麗!!
 
さて皆様、今年も個性溢れる楽しい記事をありがとうございました。
 
イクコさんはもう持ち上げたからっと、5児の父の人、孤高の天才、北海道の素敵主婦、出張来ても連絡くれない南国の人、大体服着てない新潟県人、車とリンゴとコーヒーの人、内容で★の数を変えてくれる音楽を愛する会社員の人、ザッカリー狂の漫画家、旅好きカップル、お菓子のあい間に映画とサザンな人、神奈川在住二児のパパ、SF好きのコーイチさん。
 
今後もまた楽しませて下さい。あまり交流できず上に挙げることができなかった方、いつも★をありがとうございます。来年はよろしくお願いします。
 
う~ん、誰か忘れてるような気がするのよね・・・?
確か、Gがついたような?

『2019年に観た映画ベスト10』

皆さん、こんにゃちは。
 
表題の通りです。お友達のブロガーが、こぞってテンテン言い始めたので、私もやりたい。ただ、沢山の中から限られた件数を選ぶのが苦手です。そこで、製作や公開年に関わらず今年観た映画のベストを考えてみました。
 
ちなみに、友人のS氏が毎年、頼んでもないのに「オレのベスト10」を送ってくるので、「今年は?」と訊いたら、「今年のベストの発表は31日に決まってるだろ」と言われました。まあ、そうね、暫定ね。
 
本日はリトル・ヤナギヤと共に、ゆるっとお送りします。長いです。
 
 
◇10位から1位
 
第10位 『アナと雪の女王2』(2019)
2019年製作/103分/アメリ
監督:クリス・バック ジェニファー・リー

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リトル・ヤナギヤ「この映画、子供たちと観に行ってたわね。席についた途端、子供じゃなくてあなたがポップコーンをぶちまけたのよね」
やなぎや「まあ、そうです。」
リトル・ヤナギヤ「アナと雪の女王(2013)は好きなの?」
やなぎや「普通かなあ。圧倒的に2がよかった。エルサが自分の出生の謎に食らいつくように迫るときのスピード感が素晴らしかった。アアーアアー♪のメロディも忘れられない」
リトル・ヤナギヤ「そういえば最近、あなたの息子が鼻ほじってパクッて口にしたの見て仰天したんだけど。前作でクリストフが言ってたわね、『男はみんなやる』って」
やなぎや「シー、うちの息子の恥を晒すな!・・・びっくりして怒ったんだけど、ホントに男は皆やるのかな?」
リトル・ヤナギヤ「天下のディズニーが言ってんだから間違いないでしょ」
 
 
 
第9位 『ONCE ダブリンの街角で
2006年製作/87分/アイルランド
監督:ジョン・カーニー

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リトル・ヤナギヤ「『はじまりのうた』(2013)でお馴染みのジョン・カーニーがその前に撮った作品ね」
やなぎや「全体的に暗いしハンディカム(多分)の映像は見にくいし、お世辞にも綺麗とは言えないんだけど、歌がいい!楽器店で二人が歌を合わせるところと、ヒロインが夜道を歩きながら歌うシーンが好き」
リトル・ヤナギヤ「歌がいい、しか言えないからレビューを書かなかったのね」
やなぎや「まあ、そうです。主人公
二人には、それぞれ引きずっている相手がいる。でも惹かれ合っていて、互いを支える様子が音楽を通じて静かに描かれていくんだよ」
リトル・ヤナギヤ「惹かれ合ってもすぐに寝ないところが、アメリカ映画と違って慎ましいわよね」
 
 
 
第8位 『勝手にふるえてろ
2017年製作/117分/日本
監督:大九明子

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やなぎや「これは良かった」
リトル・ヤナギヤ「『これは良かった』しか言えないからブログに書かなかったのね」
やなぎや「まあ、そうだよ。松岡茉優が素晴らしかったし、ぞっとするくらいリアルだった」
リトル・ヤナギヤ「好きだった人に覚えてもらってないとか、そもそもホントにその人のことが好きだったのかも実は分かってないとか」
やなぎや「そうそう。本人は善意のつもりの友達のお節介が許せなかったり」
リトル・ヤナギヤ「でも、人と関わらずに閉じこもっては生きていけないもんね」
やなぎや「渡辺大知も良かった。最後にドアに足を突っ込んで、松岡が守っていた聖域にずいずい入って来るとこが好きね」
リトル・ヤナギヤ「松岡に自己紹介するときの『俺のこと知ってくれてます?』がキモかったじゃない」
やなぎや「確かに気持ち悪かった~、『知ってます?』でいいじゃない。でも、それも妙にリアルだった」
 
 
 
第7位 『レスラー』
2008年製作/109分/アメリカ・フランス合作
監督:ダーレン・アロノフスキー
 
 
リトル・ヤナギヤ「レビュー上げたあとに『娘がかわいそうすぎる』って人も結構いたわねえ」
やなぎや「言われて私も『ありゃ、ないよな』って思った。けど、ラムの無骨さがいとおしくて」
リトル・ヤナギヤ「やっぱりベストはあのシーンよね」
やなぎや「ラストで跳ぶところ!」
リトル・ヤナギヤ「ちっげーよ、惣菜売り場を、めっちゃ回すとこだよ!」
やなぎや「・・・いきなり怒らないで」
リトル・ヤナギヤラム・ジャムラム・ジャム!(`□´) 」
 
 
 
第6位 『駅馬車
1939年製作/99分/アメリ
監督:ジョン・フォード

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リトル・ヤナギヤ「今更!?」
やなぎや「今更ながら荒野の決闘(1946)と続けて観ました。良かった」
リトル・ヤナギヤ「どちらも、馬車と馬の爆走シーンがド迫力だわよね」
やなぎや「そうそう・・・。ところで、2019年中にはっきりさせておきたいことがあるんだけど」
リトル・ヤナギヤ「なに?ダンナから回収できてない雑費の額?」
やなぎや「『シーン』と『シーケンス』が未だによく分からんと。例えば、上で『シーン』と言った馬車と馬の場面は『シーケンス』が正しいのかな」
リトル・ヤナギヤ「そんなの私が知るわけないじゃん。適した人を呼びましょうよ。
ちょっと、ふかづめさん、ふかづめさん(ドンドンドン!!)。シーンなのシーケンスなの!?とっとと答えるんだよォォ
やなぎや「ちょ、やめて!前にふかづめさんちドンドン事件で怒られたんだから!」
 
リトル・ヤナギヤ「で、『駅馬車』のどこが良かったの?」
やなぎや「乗合馬車が町から町へ人を運ぶわけだけど、その中の人間模様が良かった」
リトル・ヤナギヤ「『荒野の決闘』も同じよね。弟殺しと牛泥棒を追っていたはずなのに、保安官になって街に居ついちゃって、一目惚れしてダンスまでしてるぞオイ」
やなぎや「ジョン・ウェインの、演技してんだかしてないんだか分からない演技が魅力的だった。ブラっと来てブラっと帰る、みたいな
リトル・ヤナギヤ「日本映画で言うと、三船敏郎っぽいわね」
 
 
 
第4位 『駆込み女と駆出し男
2015年製作/143分/日本
監督:原田眞人
 
 

リトル・ヤナギヤ「・・・?5位がトンだわよ」
やなぎや「第5位はギレルモ・デル・トロパシフィック・リム(2013)です。ぱちぱちぱち」
リトル・ヤナギヤ「なんで書かないの」
やなぎや「綺麗と熱いと面白かった、しか言えないから。こういうの、感想書けないやつなんだよ~。とにかく5位は『パシフィック・リム』です!」

リトル・ヤナギヤ「まあいいや。で、4位これね~」
やなぎや「言葉もなにもかも情報量が多いから苦手な人もいると思うけど、美しくてパワーがある作品だった。あとやっぱり時代劇が好きね」
リトル・ヤナギヤ「あの場面で、全部持っていかれるわ」
 
ヤ&や「べったべった、だんだん!」
 
リトル・ヤナギヤ「原田眞人監督は好き?」
やなぎや「全部観ているわけじゃないけど、面白い試みをする監督だと思っていてチェックはしてる。来年5月、山田裕貴主演の『燃えよ剣が楽しみ!」
リトル・ヤナギヤ「主演、違うわよ」
やなぎや「え!?・・・山田くんは徳川慶喜役!?主演は岡田准一??土方には年齢行き過ぎでしょ。山田くんでいいよ、きっとうまくやるよ?」
リトル・ヤナギヤ「だからって、いきなりあのレベルの主役はないわよ」
やなぎや「それより今、もえよけんって打ったら『萌えよ健』って出てきたんだけどww健だれww草生える」
リトル・ヤナギヤ「今年一番どうでもいいわ」
 
 
 
特別賞
リトル・ヤナギヤ「ここで特別賞の発表でーす」
やなぎや「はい、これでーす」
 

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『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)
2018年製作/152分/デンマーク・フランス・ドイツ・スウェーデン合作
監督:ラース・フォン・トリアー
 
リトル・ヤナギヤ「製作に関わった国多すぎじゃない?この国全部、ド変態ってことでいいわよね
やなぎや「頭がおかしいのはトリアーでしょ。個人的には『ヘレディタリー』(2018)で経験したのと同じ種類の笑いが、そこここでこみ上げたね」
リトル・ヤナギヤ「わたしはアレ、未亡人を殺した後、強迫性の潔癖症のせいで何度も何度も家の中に戻るやつ」
やなぎや「あれは笑った・・・」
リトル・ヤナギヤ「その後、死体引きずってくとこも」
やなぎや「お前は警官を、死体てんこもりの隠れ家に案内する気か、と」
リトル・ヤナギヤ「で、最強はあれよね。『にっこりぼうや』
やなぎや「死ぬかと思った・・・。家で観てよかった。映画館で観てたら笑い過ぎて不謹慎の罪で学級委員長に追い出されてる
リトル・ヤナギヤ「本作を今年ベストに挙げたinoチャンのブログを改めて読んだんだけど、ツボるわツボるわ。『未亡人すりおろし』『団子5兄弟』魔改造』!
やなぎや「inoち、『しかもトリアー、魔改造した子供をいたく気に入ったのか、その後も隙あらば画面にINさせやがる!』って」
リトル・ヤナギヤ「・・・みぞおちに入った・・・」
やなぎや「・・・私も笑い過ぎて動けない・・・」
リトル・ヤナギヤ「思ったもん。『なんでちょいちょい画面に映りこませるの!?気に入りすぎでしょ!』って」
やなぎや「いやもう、穴に落ちた後とか、ホントなにやってんの??で」
リトル・ヤナギヤ「けど、妙~に忘れられないのよね、あの感じ。くせになるわあ」
 
 
 
第3位 『オーバー・フェンス』
2016年製作/112分/日本
監督:山下敦弘

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リトル・ヤナギヤ「これ良かったわね~」
やなぎや「これ良かった~」
リトル・ヤナギヤ「職業訓練所のメンバーにそれぞれクセあって」
やなぎや「勝間田さんが最高だった。ソフトボールのメンバーに選ばれたときの『ええ~!』。わたし、あの『ええ~!』をマスターしたい」
リトル・ヤナギヤ「頑張れば。オダジョーが毎日弁当とビール二本買って部屋で食べるのは『孤独』だったのかしら?」
やなぎや「『孤独』とは感じなかったなあ。
決まった生活をすることで『俺は普通だ』って言い聞かせているようだった、人を壊す人間なんかじゃない、と。ぶっ壊れた女とぶっ壊す男が惹かれ合っては反発し合うのにヒリヒリした」
リトル・ヤナギヤ「改めて蒼井優の恐ろしさに唸ったわ。『こんな女むり』って男性目線のレビューを割と見かけたけど、そもそもアンタの人生圏内にいない女だしアンタの価値観関係ないって思う」
やなぎや「思った、思った」
リトル・ヤナギヤ「人の痛みも分からない自己評価だけは東京タワーな野郎が生意気に女選べる立場だと思ってんのかァ?お前みたいな奴が大概飲み会で女子がサラダ取り分けるの待ってたりクリプレに手編みのマフラー貰って『重い』とかぬかすんだよなこの豚野郎がって思ったわよね」
やなぎや「いや、思ってません。」
リトル・ヤナギヤ「オダジョーは、こういうのよね」
やなぎや「うん、オダジョーはこういうの!」
 
 
 
第2位 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
2019年製作/161分/アメリ
監督:クエンティン・タランティーノ

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リトル・ヤナギヤ「あ、二位なんだ?観たあと、えっらい興奮してたけど」
やなぎや「Blu-ray出たら買うかも」
リトル・ヤナギヤ「ブログには書かなかったのね?」
やなぎや「すごい濃いレビューがあちこちで上がってたからねぇ。私これは結構、ブラピとデカプの関係性とか絡みが良かったに尽きるのよね。あと、マーゴット・ロビーが映画館にいく場面が好きで」
リトル・ヤナギヤ「好きな音楽流したり、タラちゃんが好きなハリウッドの夕暮れの街をブラつかせたり、ゆるっとした流れから、事件当日に向かって締まっていく感じはすごかったわ」
やなぎや「職場の、あまり映画を観ない友達が観に行くっていうから、シャロン・テート事件を知ってるか訊いたら、やっぱり知らないんだよね。観た後、『すっごく面白かった、シャロン・テート事件聞いといてよかった』って喜んでた」
リトル・ヤナギヤ「まあ、知らなくても、カルトのヒッピーがラリったブラピにボコボコにされて、デカプの火炎放射器ここに繋がる!?ってので十分面白いんじゃない」
やなぎや「いやあ、あの火炎放射器のとこは、あ、リエコと観に行ったんだけど互いに手を握って身を捩るほど爆笑したよ」
リトル・ヤナギヤ「いい年して」
やなぎや「年は関係ないじゃん」
 
 
 
第1位 ???
リトル・ヤナギヤ「??? 一位はなんなの?」
やなぎや「来週、今年最後の更新として、レビューを書きます」
リトル・ヤナギヤ「はあ?なんのためにそんな勿体ぶるわけ?」
やなぎや「勿体ぶっているわけじゃないし。最後に一本書きたいだけだもん」
リトル・ヤナギヤ「誰も気にしている人なんかいないわよ。更新した日で100、その他の日は30くらいのPVのくせに」
やなぎや「100もあれば立派でしょうが!大体、PVとかどうでもいいんだよ。マジ興味なくて草生えるw」
リトル・ヤナギヤ「覚えたての草生えるを使いまくるのやめて」
やなぎや「じゃあもう帰って。よいお年を!」
 
 
◇それ以外
順位はつけられなかったものの、印象的だった作品は以下の通りです。
 
・青春でしょう:ワンダー 君は太陽(2017) 
監督:スティーブン・チョボウスキー
お姉ちゃんとその友達のエピソードが良かったね!けれど私としては、同監督『ウォールフラワー』(2012)が、2018年に観た映画のベスト5に入るくらいのお気に入りなので、つい比べてしまいました。
 
・思いのほか面白かったでしょう:『ロスト・バケーション』(2016)
監督:ジャウム・コレット=セラ
ブレイク・ライヴリーランボー並みのサバイバル力にうっとりする。『シンプル・フェイバー』(2018)ではめちゃめちゃカッコよかったし、ブレイク・ライヴリー大好き。
 
・最強ババアでしょう:『あなたの旅立ち綴ります』(2016)
監督:マーク・ペリントン
憎ったらしいシャーリー・マクレーンが最高だった。
 
・ジャンクーでしょう:『罪の手ざわり』(2013)
監督:ジャ・ジャンクー
S氏に教えてもらった監督。良いです。来年は、ジャ・ジャンクーを掘ります!
 
 
<オマケ>
映画じゃなくてドラマなんですけどね。今年は特に、衝撃的なのが二つありました。
 
『全裸監督』
「お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません」がしばらく耳から消えない。
森田望智の体当たりぶりと、それを受け止める山田孝之に観入る。森田望智は蒼井優に憧れているそうで「天才」と言っていたけど、この人も天才肌だよなあ。あと、『オーバー・フェンス』でも思ったけど、満島真之介はいい俳優だよね。
 
チェルノブイリ
これは凄まじく面白かった。最終話はあまりの圧迫感と辛さで涙が出そうになった。
HBOのドラマは素晴らしい。
 
来年は、もっと一杯映画を観たい。
本日は以上です。チャオ。

『ボーダーライン』

 
みなさん、こニャニャちは。
 
前回の薔薇の名前では、映画の話が全然できませんでした。いや、普段から映画の話なんかできていないのですが、これまで少なくとも「コレ観てみたい」という声はもらっていたのね、友人知人から。
しかし前回に関しては、正直者が多い私の友達の中でもドストレートのドSで知られるつっちーが「守りに入ってない? 攻めてるのは『おねえさん』てキーワードだけじゃねえか」みたいなこと言ってきて。
 
うるせェな、書きたいこと書いたんだよ、このドSが!
 
ところで、このブログの存在は、職場ではブログタイトルを考えてくれたN氏だけ知っているのですが、N氏が自分の営業先で「同僚の映画ブログのネーミングしたんすよ」とネタにしていて、同席していたチャラ男の営業がそれ聞いていて、「ぎーやなパイセン(←私)、アレすか、やっぱブログに『●●(←部長)消えろ。ハチミツでも舐めてろ(←プーさんに似てるから)』とか書き殴ってるワケすか」と言われて地獄です。
 
やっぱり、職場にはバレたくないよね。そこは、ボーダーライン引きたいよね・・・。
というわけで、本日の映画は『ボーダーライン』です。ワーオ。
 
 
◇あらすじ
巨大化するメキシコの麻薬カルテルを殲滅するため、米国防総省の特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイトは、謎のコロンビア人とともにアメリカとメキシコの国境付近を拠点とする麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加する。しかし、仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した作戦内容や、人の命が簡単に失われていく現場に直面し、ケイトの中で善と悪の境界が揺らいでいく。(映画.com)
 
原題の『Sicario』に対し、邦題は『ボーダーライン』。あらすじでも当たり前のように「善と悪の境界線」と書かれているが、日本のドラマとか映画ってホント善と悪に境界線引くのが好きだよねえ。

大まかに説明しますと、本作は、正義を為そうとするエミリー・ブラントが全く力及ばぬ世界があることを思い知り、無力感と口惜しさに苛まれたまま終わるブラント迫害映画となっております。あ、ネタバレだよ!
 
ヴィルヌーヴ監督は大好きな監督で、作品は恐らく全て観ていると思う。なんといっても、全世界の婦女子を卒倒させたロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)の壁ドンが見られる『プリズナーズ』、こちらは過去に当ブログでも取り上げております。卒倒壁ドンについて、異論は許さない。
 
不穏な空気を描かせたらピカイチな監督だが、中でも冒頭、カルテル所有の家屋で大量の死体が発見されるシーンはキング・オブ・不穏。個人的に、壁の中に何かあるとかが本当に嫌なのよ。
 
凄惨な現場を経験したエミリーは、カルテル撲滅の特殊作戦にアサインされて静かに情熱を燃やす。だが、彼女の意気込みを挫くように、作戦の責任者ジョシュ・ブローリンと謎の男ベニチオ・デル・トロは作戦の内容や目的を一切明かさない。エミリー受難の日々が始まる。
 
 
◇心臓バクバク国境シーン
碌に説明を受けぬまま、ある重要人物をメキシコの裁判所からアメリカ国内に移送する作戦に加わるエミリー。危険な地に赴くというのに、エミリーにインプットされた情報は、「帰りの国境地帯がもっとも危険」ということのみだ。行き先がメキシコということも、その場で知らされた。
 

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「ウェルカム トゥ フアレス」じゃねーよ。メキシコ行くなら先に言っとけ。

あ、エミリーは誘拐事件のスペシャリストであり、麻薬関係は専門外なのです。
 
ジョシュ・ブローリンの乗る車、デル・トロとエミリーが乗る護送車が連なってフアレスの街を抜け、重要人物をピックアップするまでの緊迫のシーケンス、そして国境地点でのシーンが本作一番の見どころだ。
エミリーと観客は、状況が把握できない点において同じ立場におり、帰りの国境が危険ということだけ頭にこびりついている。そして一行は、まさにその危険な場所で、渋滞する車の列に巻き込まれ停車を余儀無くされる。前後左右、どこからカルテルに送り込まれた殺し屋が襲ってくるか分からない。停まった車の中で、エミリーと観客の緊張はピークを迎える。
 
ここの緊迫感は、ヴィルヌーヴ監督の名を世に知らしめた『灼熱の魂』(2010)のバス襲撃シーケンスに通じるものを感じる。あれはすごかった。ヴィルヌーヴ監督作品の中でお気に入りの場面を挙げろと言われたら、間違いなくアレだ。
ジェイクの壁ドン?ソレはアレだ。
 
主人公はある少女の命を救うために咄嗟の芝居をし、努力むなしく少女は射殺されてしまうのだが、そこでカメラが映すのは主人公の無の表情で、その背後でバスが燃え上がる画が非常にクール。本作でも終盤、デル・トロがカルテルの幹部アラルコンの子供二人を射殺するが、これも直接には観客の目に触れない。対象物を映さずに事の非情さを伝えるのも、監督の得意技だと思う。
 
 
◇エミリー受難の日々
有無を言わさずフアレスに連れて行かれ、銃撃戦に巻き込まれてクタクタで戻ってきたエミリーは、その段階になってもまだ自分の役割が分からない。当然、彼女と立ち場を同じくするこちらの消化不良感もすごい。ガムをくちゃくちゃするジョシュ・ブローリンにイライラするわあ。
 
凡庸な作品ならば、エミリーがここで味わった悔しさをバネに本来以上の力を発揮し、ジョシュ・ブローリンやデル・トロに一目置かれる存在になっていく・・・という展開になるのだろう。だが、世の期待にヴィルヌー監督は応えない。全容を知るのはキーマンの二人のみ、その後も主人公の蚊帳の外状態は続く。
 
エミリーと観客の抱く感情が、映像に反映されているのが面白い。
メキシコの広大な土地を映した俯瞰の画に感じるのは、荒野に一人立っているような心細さと恐怖。件の国境シーンで渋滞した車が縦に長く並ぶ画は、のちの特殊作戦の際、侵入経路となる米国-メキシコ間のトンネルの映像とリンクする。どちらにも、物理的にも心理的にも先行きが見えない不安や焦燥感を煽る効果がある。
 
トンネルからメキシコに抜けたのちは、カメラの被写体はエミリーからデル・トロへと移る。ゴールの見えない縦の構図が印象的な彼女のパートとは正反対に、デル・トロの目標物は常に彼の目前、手の内にある。アラルコンとの対峙シーンで真横の構図が取られるのも、状況はデル・トロのコントロール下にあることを示す。

最後まで自分の立ち位置がつかめず、理解と力の及ばぬ世界で戸惑うエミリーと、そちら側の世界で生きるデル・トロ。境界線があるとすれば、その間ではないだろうか。
 

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この息苦しさ。
 
 
◇恋愛要素も・・・あったよね?
ストレスマックスなエミリーは、憂さを晴らすために飲みに行った先で警官をお持ち帰りする。だが、そいつはカルテルの手先で、危ういところをデル・トロに救われることとなる。彼女は、カルテルに買収された警官を炙り出すためのカモにされたのだった。状況を逆手に取ったジョシュ・ブローリン&デル・トロの老獪さばかりが際立ち、反対に、エミリーの身の置きどころのなさと言ったらない。気の毒すぎるよ、もうー。
 
だが、ここまで必要最低限のことしか喋らなかったデル・トロが、「大丈夫か」と無愛想ながら彼女を気遣う。「殺し屋と寝ようとしたなんて」、自嘲するエミリーを無骨に慰めるデル・トロ。そして言う。
 
「君は、俺の大切な人に似ている」。
 
 
え・・・? なんで、そんなこと?
 
 
ここまで、得体が知れない上にイヤな事しか言わないデル・トロを、ブラピの出来損ないめと思ってきたが、そんなことをポツリ言われたら、がらりと印象が変わってしまう。しょぼくれ顔の皺は大木に刻まれた年輪のごとく頼もしく、辛気臭い表情は、壮絶な人生を送ってきたがゆえの渋みに思えてきてしまって・・・。
 
エミリーも、初めて人間らしい表情を見せたデル・トロに戸惑う。もしかしたら、ちょっとドキッとしたかもしれまない。
だが、オーマイガー、何と言うことだろう、これもラストで肩透かしを食らうこととなる。
 
「大切な人」って、そっちかよ。誤解しただろうが、このしょぼくれたブラピがァ。
 
やること為すこと裏目に出て、コケにされ続けるエミリーが気の毒である・・・。だが、デル・トロの言う通り、全編、怯えた少女のようなエミリーが美しい。
 
 
◇『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ
続編のボーダーライン:ソルジャーズ・デイ(2018)にも軽く触れておこう。この扱いを見れば分かる通り、『ボーダーライン』と比較すれば、取り立てて語るべきところのない凡作だ。
 
カルテルが扱う商品を、麻薬から不法入国者へと切り替えたものの、途中から不法入国問題はどこへやら。「俺は荒っぽいぜ」と宣言したジョシュ・ブローリンが言葉以上にムチャをやりよったせいでアメリカ政府がビビり、事態収束の代償としてデル・トロとカルテルのボスの娘の抹殺を要求、二人の逃亡劇になってしまう。
 
前作で「君は俺の娘に似ている」と言ってエミリー・ブラントをがっかりさせたデル・トロは、今度は攫った敵の娘に亡き娘の面影を重ね、「人質を始末しろ」というジョシュの指示に逆らうのである。ことさらにデル・トロの過去に触れ、前作では無機質であった彼の人間性が炙り出されていく。まあ、それを評価する人もいるんだろうけど、この男は前作で顔色も変えずに子供を殺した「シカリオ」なのよ?今度は敵の子供を守らせて、何がしたいん。
 
ジョシュ・ブローリンのキャラクター造形もひどい。

『ボーダーライン』では、登場時のビーサンに象徴される通り、ドンパチは部下に、拷問はデル・トロに任せてニヤついているワケのわからないおっさんというキャラが秀逸だった。指揮官は手を下さず判断するのみ、実はこういう奴が一番ワルくて怖いという見本のような人物だったのだ。が、続編では完全に実働部隊の一員になっている上、基本政府の言いなりで、ぐっとハクが落ちる(人質の娘を殺せという命令に逆らって、ちょぴっとの反骨精神を見せるあたりもショボい)。

要は、「得体の知れなさ」が「あちら側の世界」の不気味さを体現していた二人に、正体を与えてしまったのが逆効果だった。メインのストーリーもぼやけ気味だったしね。
 
というわけで、結論、「ドゥニ・ヴィルヌーヴはよい」ということになりましょうか。
今日はこの辺でお別れです。チャオ。
 
引用:(C)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

『薔薇の名前』

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みなさん、こにゃにゃちは。
 
小学二年生の娘の担任(社会人一年目/ジャニーズ系/おっとり系)が、ダンス好き&音楽好きで、毎週音楽の時間に自分のお勧めの曲を生徒たちに紹介してくれます。子供たちはこれをとても楽しみにしていて、親にも評判がよいです。うちの娘などは、私達両親も音楽好きなので、一所懸命、歌詞を覚えて歌っています。先日の個人面談の際に先生にそう伝えました。照れて喜んでました。
 
最初の曲は、GReeeeN『キセキ』とベタでしたが、その後は、スピッツ空も飛べるはずいきものがかり茜色の約束など、無難でありながらいい曲を選んでくれていると思います。だって、ヒルクライムとかだと困るでしょ。
 
私が今、聴きたい曲は、曽我部恵一BAND『チワワちゃん』とEGO-WRAPPIN'の『サイコアナルシス』です。
聴くと鳥肌が立つ曲は、尾崎豊『卒業』です。
 
今日ご紹介する映画は薔薇の名前です。きまったね。
 
 
◇あらすじ
14世紀前半の中世イタリア。フランチェスコ会の修道士ウィリアム(ショーン・コネリー)と見習修道士のアドソ(クリスチャン・スレーター)は、北イタリア山中に建つベネディクト会の修道院を訪れる。到着早々、ウィリアムは修道院長から、若い修道士が不審な死を遂げたことを打ち明けられる。その後、修道院では次々と殺人事件が起こる。
 
原作は、イタリアの哲学者であり言語学者であり文献学者でもあるウンベルト・エーコの同名長編小説。エーコの肩書がすげえ。
私はこの本を持っております。昔、読んだはずなのだが、ビタイチ記憶になく、今読もうとしても・・・。
 

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うおっふぅ。勘弁してくれ。1ページ読むのに一晩かかるよ。
 

さて、劇中の中世イタリアは、教皇派と皇帝派が富と権力を巡って対立していた時代だ。小説では、複雑な時代背景の描写やカトリックにおける「異端」の考え方、「笑い」に対する教義上の見解の説明に重きが置かれ、それが何層にも関わって、荘厳な修道院で起こる連続殺人事件をミステリアスに彩っていくのだが、当然ながら映画ではこういった部分は省かれる。
 
不審死を遂げた写本絵師アデルモに続き、ギリシャ語翻訳者ヴェナンツィオが死に、連続殺人に修道院中が震撼する・・・といったミステリー主体になっております。それにしてもヴェナンツィオの死にざまときたら、豚の血を溜めたデカい壺に逆さに突っ込まれ、二本足がニョッキリ突き出ているというもので。観た瞬間、「スケキヨ!」(~『犬神家の一族』より~)と叫んだよ。正確には、あれはスケキヨじゃないわけだけど。
 
本日はめんどくさい内容の感想になりますが、16、7歳のクリスチャン・スレーターが出てるよってことだけ覚えておいてください。
 

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右ですよ。このコがヘロインやって女を殴るようになるとはねえ・・・。
 
 
◇おねえさん(私)とお勉強しましょう
小説の存在を知らずに観ても何も問題ない。とはいえ、特殊な世界の話であるので、ちょっと知識があると楽しめるだろう。大体、初めて観た人は、なんでウィリアムとアドソがこの修道院を訪れたのかすら正確には分からないんじゃない?そうじゃない?
簡単に説明すると、↓こう。
 
✔ ローマ=カトリック教会(教皇派)と神聖ローマ帝国(皇帝派)が激しい権力抗争を繰り広げている時代
✔ ウィリアムが属するフランチェスコ修道会はカトリック教会内の組織で、教義として清貧の精神を掲げており、この点で教皇派と考えを異にする
✔ そのために教皇派とフランチェスコ会は対立しており、関係改善のための話し合いの場が、ベネディクト修道会の修道院で設けられることとなった
✔ ウィリアムは両者の調整役として修道院に招かれ、両使節団の到着を待っている間に不審死の相談をされた・・・
 
といった流れだ。ほら~。こんなの絶対わからないでしょ?私は分からなかった。
さらに「異端」についてもインプットしておこう。
 
✔ 畏怖すべき存在として語られ、後半、教皇側の使節団の代表として登場する異端審問官は、カトリックの正統信仰から外れた者を糾弾することを任務とし、その権力は絶対だった
✔ ウィリアムらが出会うドルチーノ派の修道士は所謂「異端」で、この修道院に隠れ住んでいる
 
さらにさらに、小説『薔薇の名前』は、中世の普遍論争に深く関係していると、一般的に解釈されている。誰も読まないだろうから、ちっちゃく書くよ!
 
普遍論争とは、「普遍」の実在性に関する議論で、『実在論』と『唯名論』という異なる考えに分かれる。
実在論は普遍は個に先立って実在し、個は普遍のあとに成り立つとする主張。例えば、Aさん、Bさんという個人がいたとして、彼らは「人間」という普遍の概念で括られる。この「人間」という普遍が、個によりも先に実在するとする。実在論』とは逆に、人間とは名前だけの概念にすぎず、実在するのはあくまで「個」であるとするのが唯名論(ゆいめいろん)。
ローマ=カトリック教会において『実在論』が正統であるとされていたが、14世紀にウィリアム=オッカムなどによって『唯名論』が立場を強めていく。
 
薔薇の名前』のバスカヴィルのウィリアムのモデルは、『唯名論』の代表的な提唱者であるウィリアム・オッカムであろうと推測ができる。従って劇中のウィリアムは、保守的な世界において、ただ一人、真理を尊重する合理的先進的な人物なのだ。
 
それだけ。
 
どの修道士もコソコソモゾモゾしていて見るべきものから目を逸らしまくる中、きらきらと目を輝かせて真実を求めるショーン・コネリーが気持ちがいいよ、って言いたかっただけ。
 
 
◇修道士全員、顔が怖い
映画化されて良かったことは、どんよりと澱んだ土地や修道院の荘厳さ、不可侵感が表現され、「絶対わけのわからんことが起きるぞ」と説得力を以って観る者の視覚に訴えることだ。

ウィリアムとアドソを追うカメラの中に修道院の様子を見るうち、観客はここが世俗と断絶された世界であることを知る。この場所に、金や人情のもつれによる殺人など相応しくない。物語が進むにつれ、一般社会では考えられない動機が浮かびあがってくるのにワクワクする。
 
それにしても、修道士たちが外見からして不気味である。
 
修道院長アッボーネ、通称カールおじさん・・・ホモ疑惑
ホルヘ長老、通称ジジイ・・・怪しい
文書館長マラキーア、通称ワシ鼻・・・怪しい
副司書ベレンガーリオ、通称百貫デブ・・・ホモ
厨房係レミージョ、通称デブ・・・好色
レミージョの助手サルヴァトーレ、通称乱杭歯・・・怖い
施療院の薬草係セヴェリーノ、通称おしゃれ髪・・・怪しい
 
画像がないのが残念だが、とにかく映る奴映る奴、みんな気色が悪い。
全員、何か知っていながら隠している。百貫デブは度々アドソに秋波を送ってくるし、乱杭歯は突然飛び跳ねたり、人の鼻に噛みつきそうなほど間近に顔を寄せてくるのが嫌だ。不審死の件で異端審問所に目を付けられることを恐れるカールおじさんは、謎の究明をウィリアムに依頼する人物だが、ウィリアムへのキスの挨拶が妙にねっとりしていて嫌だ。ジジイは白目が気持ち悪い。
 
もちろん、犯人はこの中にいる。
 
ウィリアムを演じたショーン・コネリーは、すっとぼけて茶目っ気があるいつもションコネ。知識と経験を頼まれ招かれたものの、異端に近い先進的な考え方と度を過ぎた好奇心が、閉鎖された空間に嵐を巻き起こす。「笑い」についてジジイと議論する場面では、それを悪とするジジイに対し、アリストテレスは失われた著書の中で笑いを肯定していたという持論を展開、主張の中身と同時に空気の読まなさで、文書室内をザワつかせる。
 
怪しい修道士連の中にあって、現代的なウィリアムと美しいアドソは別世界の住人のように見えるが、この修道院が、二人の「罪」を炙り出すところがまた面白くて。
ウィリアムは異端審問官時代の苦い過去と向き合うことになる。また、彼の度し難いほどの書物に対する執着は、罪深いものとして描かれる。
無垢だったアドソは、あることをきっかけに肉欲に屈してしまう。
 
 
◇禁断の欲望の妖しさ
「笑い」に対するものにせよ「肉欲」にせよ、禁じられるがゆえに求めることの甘美さと破滅の空気が、一貫して映画の中には流れている。
 
直接的には描かれないものの、そこかしこに漂う男色の妖しさ。
また、アドソはある人物を追ううち、修道院の厨房に迷い込む。この薄汚い厨房は、一人の貧しい少女が修道士から食物の施しを受け、代償として身体を提供している場所だった。二人は偶然に出会い、清廉なアドソに魅せられた少女は彼の身体を奪う。
 
野性的で官能的なシーンだ。以前、敬愛する『シネマ一刀両断』のふかづめさんが、同じジャン=ジャック・アノー監督『愛人/ラマン』(1992)の、エロスを描きながらエロスが表現されていないことに憤っておられたが(そして、それには同意見だが)、本作のこのシーンはエロティックだ。少女主導の行為は妙に猟奇的で、アドソが未知の快楽に堕ちていく様は背徳の空気に満ちている。

さて、多くのレビューに書いてあるので今更だが、題名の『薔薇の名前』は、本作で唯一名前を持たなかった少女のことを指すと思われる。
 
特徴的であるのは、少女が、物語の最後まで言葉を発さないことだ。
ここに、(ほとんどの人が読み飛ばしただろうが)前述の普遍論争における『実在論』と『唯名論』を絡めて考えると面白いじゃないですか。
 
果たして、この少女は、普遍という概念であったのか個であったのか?
 
彼女は修道院からしてみれば村の貧民、修道士から見れば欲望を満たす道具、異端審問官からは魔女と呼ばれ、しかし、アドソにとっては生涯に唯一の恋人となった。
アドソから見たときだけ少女は「個」、つまり、師ウィリアムの『唯名論』は弟子アドソに受け継がれたのである・・・。
 
絶対そう、いや多分そう。
 
それはともかく、ラスト、アドソが遠い日の師ウィリアムに思いを馳せ、少女を薔薇に例えて懐かしむシーンが美しい。
 
気が付けば、修道士の顔が怖いって話と、私のインテリジェンスを見せつけただけで、メインである連続殺人の犯人や動機、二人の謎解きアドベンチャーにまったく触れませんでした。まあ、いいよね。犯人は、一番怪しいあいつだよ。
 
以下のサイトを参考にさせていただきました!
・作雨作晴 『薔薇の名前』と普遍論争(https://blog.goo.ne.jp/askys/e/fc23827f5a274b67bdd1fa17ae8df641
・ホンシェルジュ(https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6631

『キングダム』

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監督:佐藤信介 キャスト:山崎賢人吉沢亮長澤まさみ/2019年
 
新作で『小さな恋のうた』『キングダム』を借りました。『小さな恋のうた』は、私には合いませんでしたが、『キングダム』は、面白かった!

※超、最低ラインで褒めてます。
 
土台、無理だわな、あんな長いドラマを二時間ちょいにまとめるのは。映画版『レディージョーカー』(2004)や『64 ロクヨン(2016)に深みが全くなかったのと一緒だな。そうなると、キャラクターとアクションとビジュアルを「楽しめるか否か」に視点が集約されてしまうのはやむを得ず、そういう意味では「楽しめました」と軽い感想を吐くしかない。
 
こんなこと書いたら、「『キングダム』面白いよ!」と言ってくれたikukoさんやコンマさんに悪いわぁ。遠慮なく書くけど。
 

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あらすじ

紀元前245年、春秋戦国時代の秦国。孤児の少年・信と漂は天下の大将軍になることを夢見て、日々剣術の鍛錬に励んでいた。その様子を目撃した秦の武将・昌文君により漂が召し上げられ、信と漂はそれぞれ別の道を歩むこととなる。だが、ある日、深手を負って王宮から逃げてきた漂は、信に志を託して息絶える。

原作、未読です。読みたいきもちはある。

主演が山崎健吉沢亮ということ以外、あまり情報なく観た。夫が後ろから「これ、大沢たかおも出てたっけ?」というのに、「出てないよ(怒)」と返しました。

私は大沢たかおが苦手なのです。
 
しかし、始まってすぐ、幼い信が憧れを抱く天下の大将軍として登場したのが・・・。
 

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筋骨隆々で、めちゃ幅利かせる感じで出てるぅ~。
 
あ~やだな~♪ドヤ顔の大沢~♪(『おじゃる丸』エンディングテーマより)
 
あくまで、この時点での私の気持ちです。後々、訂正が入ります。

結論から言うと、この映画の主役は、大沢たかおです。
 
 
監督はアイアムアヒーロー(2016)、いぬやしき(2018)、図書館戦争(2013)など、原作ありきの軽めな作品ばかり撮っている佐藤信。よく知らないが、『アイアムアヒーロー』は面白かったよ。ちなみに私は『図書館戦争』の作者の有川浩が嫌いです。
 
冒頭はあらすじの通りの展開。友であり兄弟にも等しい漂(吉沢亮)を失った信(山崎賢人)は、漂の意志に従ってある村を目指す。刺客を倒し、辿り着いた村には、漂に瓜二つの青年がいた。彼は、弟に玉座を追われた秦王贏政(えいせい)(吉沢亮)だった。信は、漂が武術の腕でなく容姿を理由に、贏政の替え玉として召し上げられたことを知る。
 
まず褒めるべきは、主演の二人だろう。吉沢亮は、冷徹冷静な王というキャラクターに恵まれたが、それにしても良かった。顔が特徴的だから、こういう派手な役が似合うんだろな。山崎賢人は暑苦しい。いや多分、原作の信も暑苦しいんだろうが、演出に問題があると思う。この手の主人公は見ていると恥ずかしくなってくるのだが、恥ずかしさが20%くらいで済んだのは、山崎賢人が振り切って信を演じてくれたおかげ、かな(それでも20%くらいは恥ずかしかったが)。
 
信に関する演出は全体的に、いただけない。漂を看取るシーンでは、お約束通りの声が枯れんばかりの悲痛な慟哭。漂が贏政の身代わりに殺されたと知ったときには、全身で怒りを爆発させる。贏政の、漂の命を軽んじたように取れる一言を聞き咎めれば、「てめェ・・・!漂はなあ、漂はなあ!」と贏政に詰め寄る。
 
・・・おねーさん(わたし)ねえ、もう、できれば愁嘆場は少なく生きていきたいん。

いや、よく考えれば十代の頃から、人の死に関する大げさな演出は、見れば見るほど醒めていくタイプだった。
なぜ絶望や悲しみを表すのが「全身全霊で泣き叫ぶ」という表現でなくてはいかんの?
 
漂の死のシーンについては100歩譲るとしても、いつまでも「俺がどんなに悲しいか」を画面いっぱいに押し出し、悲しみの大安売りをしてくるのである。非常につらい。
何度目か信が「ひょう!ひょう!」とひょうパニックを起こした際、逆に信の襟首を掴み上げる贏政が実にクールであった。曰く「漂はこの役目のリスクを分かっていた。のし上がるために賭けに出て、そして負けたのだ、それだけのことだ」。
 
イエース、イエース。このシーンのいいところは、言葉にしなくとも、贏政なりに漂に抱いていた情と彼を失った口惜しさが垣間見えるところだ。
 
立ち直りの早い信は、贏政の叱責に納得し、「別に仲間になったわけじゃないからねッ!利用するだけなんだからッ!」と玉座奪還の仲間になる。頭の悪いやつだ。しかもこいつは「ひょうパニック」だけでなく「天下の大将軍パニック」も抱えている。
 
一方、王宮では、兄から玉座を奪った弟・成蟜(せいきょう)(本郷奏多)が、器用に口をひん曲げながら側近や将軍たちに当たり散らしていた。ちなみに本郷奏多は、かなりイイです。
そこへ、贏政の右腕である昌文君(高嶋政宏)の首を手土産に、伝説の将軍、王騎(大沢たかお)が現れる。
 
でた。ホントやだ、ムキムキの大沢たかお~。
 
「何用ですかな」と尋ねる竭(けつ)(石橋蓮司)に対し、王騎が答える。
 
「何用とは、あんまりですネ♡」
 
オネエなのかよ!
 
 
ソファから落ちた。
不思議なもので、何を考えているのか分からない不気味なオネエ将軍としての大沢たかおは悪くなく。不思議なものでっていうか、あっさり「あら、王騎さん良いわね」ってなった私がアホなのか。
 
その後は、山の民を統べる楊端和(ようたんわ)(長澤まさみ)を仲間にしたり、河了貂(かりょうてん)を演じる橋本環奈のふくろうが、めっちゃかわいかったりしながら、徐々に反旗を翻す体制が整っていく。
 

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環奈ちゃんは死ぬほどかわいいが、ふくろうも可愛すぎるし困る。
 
 
突っ込みます。
前半は十分に堪能した。残念なのが、本来なら最も盛り上がるべき王宮での戦闘のくだりに、突っ込みどころが多すぎたことだ。
 
玉座奪還の準備を整えた贏政と信は、いよいよ作戦の実行に移る。
作戦はこうだ。秦と以前同盟関係にあった山の民の王・楊端和が、再度の同盟案をぶら下げて訪ねていけば王宮の門は開くだろう。中に入ったら、信率いる精鋭部隊は隠し通路を通り、本丸の成蟜を押さえる。その間、贏政、楊端和、昌文君らは、敵に応戦し時間を稼ぐ。

敵は八万の兵を擁しているが、八万の大軍が動くには時間がかかる。すぐに動ける王宮内の兵のみを相手と考えれば、信らが玉座の間に到達するまでの時間を稼ぐことは可能、という目論見だ。
 
この八万の兵は観客に対する疑似餌で、途中で一度、CGの大軍を見せられるが、実際には上述の理由で、この敵は考慮しなくてよいものとして物語の外に弾き出される(というか、そうせざるを得ない)。
 
八万、二十万という壮大な数は言葉だけで片付けられ、メインキャラのアップを中心にした立ち回りが、狭っ苦しい画面に映される。規模感としては、城を舞台にした天下一武道会や暗黒武術会と何ら変わりはなく、王が簒奪された座を取り戻す壮大さがない。
 
一番残念なのが、作戦を無意味化する、根性無敵論ね。
 
多勢に無勢の状況にあって、勝利の鍵は「信が如何に早く成蟜の身柄を押さえるか」にある。信が遅れるほど、囮の仲間たちの命は危機に晒されることになるのだが、「時間との闘い」を感じさせるヒリヒリ感は、ほとんど描写されない。
信は隠し通路の途中で待ち伏せていた怪物の撃退に時間を取られ(そもそも隠し通路に伏兵がいた時点で、この作戦は失敗だろう)、玉座の間に辿り着いてからは、ラスボス左慈坂口拓)との闘いに時間を取られる。
 
さらに萎えるのが、信と左慈が刃を交えながら、「夢」について言い争うことだ。「海賊王に、俺はなる!」・・・じゃなかった、「天下の大将軍に、俺はなる!」と言う信に、拓ちゃんは「夢?バカなことを言うな」と、やたら反応してくる。多分、過去になんかトラウマがあるんだろう、夢見て敗れたとか愛する人に裏切られたとか。
 
私は拓ちゃんのラスボスを楽しみにしていたのに、左慈ときたら、なぜか口調はチンピラ風、ガキの夢語りに同レベルで応じてくれるような親しみやすい刺客なのである。
(死に方もいつも一緒だから、別パターンを考えようぜ、拓ちゃん!)
 
一度は地に倒れた信は、「夢見て、何がワリィんだよ・・・」と再び立ち上がる。根性と気力が肉体の限界を超えてくる、いつもの少年漫画的展開。結局のところ、信にあるのは超人的な跳躍力のみ、剣や戦術に見るべき点はなく頭も悪いのだが、夢と友情で困難な状況を打開するっていうね・・・。いつものやつだよ、残念。
 
さて、ここまでで、恐らく想定の三、四倍ほどの時間を食っている。囮部隊はそろそろ全滅しているころだろう。だが実際には、贏政を中心としたメインの人物たちは消耗しながらも生き残っており、周囲には敵の兵の屍が転がっている。
 
・・・じゃあ、全員で正面から突っ込めばよかったんじゃない?という話になる。
 
また、飛ぶ(跳ぶ)=アクロバティック&ダイナミックとしたアクションのカッコ悪さ。斬り結んだ相手は敵、味方問わず、斬られることなく宙を飛ぶ(だから味方は柱にはぶつかりはするが、誰も死なない)。『SHINOBI』の感想で、下村勇二を日本を代表するアクション監督と紹介した私の気持ちをどうしてくれるんだ!
 
そんなグダグダな展開の中、またしても一番目立つ形で登場するのが、王騎こと大沢たかおだ。門閉まってただろ?どうやって入ってきた。
 
王騎は、「んっふ」「んっふ」「でっす」と言いながら、場を掌握してしまう。さらに、昌文君の領地を奪ったかに見せて実は彼の家族を保護していたこと、民が王宮の内紛に巻き込まれないよう守っていたことなどが分かり、おいしいところを全部掻っ攫っていったのである・・・。
 
一見文句ばっかり言っているように見えるでしょうが、私はこの映画をせいいっぱい褒めました。褒めてないって?言葉だけに振り回されてはいけません。今後は私のことを「『キングダム』見守り隊(たい)」と呼んでください。
 
もちろん続編が出たら観ます。でも・・・いやこれ監督が悪いよ。変えてもらえないかな!?
 

引用:(C)原泰久集英社 (C)2019映画「キングダム」製作委員会