Yayga!

イェイガ!(Yay!+映画)- 叫びたくなるような映画への思いを書き殴ります

『ワイルドライフ』

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監督:ポール・ダノ キャスト: キャリー・マリガンジェイク・ギレンホールエド・オクセンボールド/2018年
 
以前、世間の四、五歳児のブームが「ウ●コ」であるところ、うちの息子の場合は「ブタみたいだね。」であると報告をしました。ところが最近になって、「おんか(おかあさん)、この絵見て~。水色のウ●コ!」などと言うようになり・・・。遅れてのウ●コ期到来。世のガキのウ●コ期が、うちの息子のブタ期なのだと思っていたのに、これはどういうこと?息子にだけ余計なブタ期があったということ?
 
このウ●コ期、就学前には終わると思うでしょう?
小二の娘の報告によれば、先日給食に渦巻き状のデニッシュが出た際、男子がそれを分解して細長くし、「ウ●コ!」と言ったそうで。しかも、それをやったコに他の男子が「マジでお前、天才だな・・・」と羨望のまなざしを向け、次々とデニッシュを解体し出したというのです!男子のアホ期、いつ終わるのでしょうか。
 
最近の息子の流行りは私に「おんかは、まだつかえるよ」と優しく囁いてくること。「おんかはまだ、ここ何年かつかえるよ」「おんかは、まだ下駄としてつかえるよなど日々恐ろしいアレンジを加えてくる五歳児!ひぃぃぃ~っ、本気で将来が心配。
 
さぁ。本日はアホ男子とは縁遠く、大人にならざるを得なかった少年のお話ワイルドライフです。少年ジョーを演じたのはエド・オクセンボールド。おじいちゃんのオムツ&おばあちゃんのオケツ映画として知られる『ヴィジット』(2015)で、少年タイラーを演じていたコだよ。あのラップは最高だったよね。
 
 

◇あらすじ
1960年代、モンタナ州の田舎町で暮らす少年ジョー(エド・オクセンボールド)は、仲の良い両親ジェリー(ジェイク・ギレンホール)とジャネット(キャリー・マリガン)のもとで豊かではないが幸せな毎日を送っていた。ところがある日、ジェリーがゴルフ場の仕事を解雇され、山火事を食い止める危険な出稼ぎ仕事へと旅立ってしまう。残されたジャネットとジョーもそれぞれ仕事を見つけるが、生活が安定するはずもなく、優しかったジャネットは不安と孤独にさいなまれるようになっていく。(映画.com)
 
お待たせしました、ジェイク・ギレンホール祭り第二弾です。いつ、そんな祭りが始まったんだ。さっきだ。そして今回で終わる。

監督は、本作が初監督作品となるポールのダノちん。ジェイクが立ち上げたナイン・ストーリーズ・プロダクションズ製作作品です。
ダノちん&ジェイクと聞いて誰しもが思い浮かべるのが、コレ↓ですよね。
 

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ジェイクの取り調べに、「ノオーゥ」「ノオーゥ」と気持ちの悪い声を出すダノちん(『プリズナーズ』)

 
 
父親の失業をきっかけにバラバラになっていく家族を描いた本作。
物語は、越してきた地で得たゴルフコーチの職を、ジェイクが早々にクビになるところから始まる。この時点では、まだ優しく、しっかり者の妻キャリーは「あなたならもっといい仕事がある」とジェイクを励まし、「父さんは失業する度に仕事を見つけてきた」とエドを諭す。しかし、家庭に燻っていた「職の安定しない父親」という下火は、ついに大火事を引き起こすことになる。
 
家族の変化は、主にエドの目を通して描かれていく。ゴルフ場で父を見守るエドの不安気な表情から、観客はジェイクが解雇されたことを知り、キャリーがその事実を告げられるシーンでは、彼女に据えられたカメラが、エドが何より母の反応を心配していることを伝える。
 
このように、エドは自分のことよりも両親に気を配る大人びた少年だ。対して、本作のジェイクは、甘ったれでプライドの高さゆえに転職を繰り返しがちなドリーミング野郎。後日、ゴルフ場のオーナーからあった復職の申し入れも蹴り、ついには「俺は山火事を消しにいく」と家を出ていってしまう。
 
山火事は、その出来事自体は重要でなく、火種がやがて燃え上がる様が、また「下草を焼き払い森を再生させる」という点で、家族の有り様を象徴している。
 
エドは父の行動を、驚きつつも受け入れようとする。初雪が降る頃には父は帰る、父が帰れば家族は元に戻る、というエドなりのゴールがあるからだ。だからこそ、父よりも醜く年を取った男と関係を持ち、子供のように甘える母に理解が及ばず、困惑してしまう。
 
 

◇バービー人形としてのキャリー
ここからのキャリー・マリガンの、良き妻良き母であった女性が変貌していく様は見ものだ。行動や口調も然りだが、心理的な変化を表すファッションが楽しい。まずはピンク色のカーディガン。最初にこれを羽織っているキャリーは慎ましくも野暮ったいが、ジェイクが去った後、同じカーディガンを素肌に着て庭に立つ場面では憂いを含んだ表情も相まって色っぽい。
 
突然、私のファッション感をぶちこんですみませんが、カーディガンってのは、すごいヤツだと思いませんか。シャツの上に羽織ると清潔感があってキチンと見えるし、同じ服装でも袖を通さず肩に掛ければ、ユルッと力の抜けた感じに。「オンオフの切り替えにマストなヘビロテアイテム☆オフィスでのデキる女風からカレとの夜デートでは、さりげなくスキを演出して!」 とか定期的にファッション誌でも取り上げられている、たぶん。
前ボタンを留めて一枚で着れば、カジュアルにもセクシーにも使えるじゃないですか(あ、こういう言い方するから、息子が「つかえる」とか言うのかしら・・・)。
 
キャリーのカーディガンの着方を見て、私は、ほらね!と思った。
「おかあさん」だった人が、見知らぬ女性に見える瞬間、それを演出する小道具としての厚ぼったいピンクのカーディガンです。
頭を包んでいるスカーフは、ちょっと私には使いこなせない。あと、私はリカちゃんでなくバービー派だったの。
 
赤のセーターに深緑のワンピースといったキャリーの服装は彼女の変化を観客に印象付け、若い頃に好きだったという、やや幼稚な紫のブラウスをはしゃいで着て見せる頃には蓮っ葉ささえ感じさせるように。極めつけは、浮気相手のミラー宅を訪ねる際の背中と胸がばっくり開いたドレス。比例するように、彼女の振る舞いはヒステリック且つ幼いものへと変わり、反抗期のごとく親を放棄した母と冷静にならざるを得ない子の、母子逆転現象が起こってゆく。
 
その間、山火事を消しに行ったジェイクは、まったく出てきません。
 
 

◇家族は再生できるか
キャリーの行動を「浮気」と呼ぶのは、どうも違和感がある。ミラーに惹かれたというよりは、若くして結婚した過去を悔い、別の人生をやり直したいと望んだ結果、短絡的な思考が向かわせた先が権力のある男を得るという選択だったのだろう。ミラーは、たまたまそこにいた金持ちで包容力がある(ように見える)男に過ぎない。
 
やがてキャリー自身も、この状況が本当に自分が望んだものであるのかが分からなくなった頃、ようやく初雪が降る。母を持て余し、父のいる山に向かおうとバスを待つエドの前で雪が舞い出し、エドがバスに乗らずに駆け出すシーンは美しい。
 
さて、初雪とともに舞い戻ったものの、妻の裏切りを知って荒れるジェイク。
 
あ、やっぱり、そこは怒るんだね・・・。怖い怖い、その、いきなりバーン!って席立ったりされるのコワイ。いやまあ、怒るだろうけど、放ったらかしてったの、おまえやん?
 
キャリーの相手がミラーであると知ったジェイクはミラー宅に突撃、ガソリンを撒いて放火する。
 
 
さっきまで火ィ消しに行ってたのに、火ィつけた。
 
火消したいの?つけたいの?
さすがジェイク、考え得る中でも最悪の報復手段を採って私をびっくりさせてくれたが、この騒ぎにより現実へ引き戻されたキャリーの反抗期は終わりを告げる。

その後、家族はどうなったのか。
 
本作の印象的なジャケットは、エドがアルバイトをする写真店で家族写真を撮ろうとするシーケンスの一幕だ。
円満であった頃の食卓ではエドが中心になり、三人の支点を担っていた。事件の後、各自が異なる席についた同じ構図の食卓は、家族のちぐはぐであることを感じさせる。
 
だが、エドの発案で写真を撮るとき、それまで視線を合わせなかったキャリーとジェイクの二人は、エドのために空けた椅子を挟んでそっと視線を交わす。再生の予感を感じさせるラストシーンだった。
 
徹底的にぶっ壊すことで再生を試みる映画と言えば、同じくジェイク主演の『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(2015)を思い出さずにはいられない。ジェイクがとてもジェイクらしい良い映画だったが、本作でも、積み上げたものを壊し、更地としたのちに再生させるところが共通している。
あと、どっちも原因は自分。←ここポイントね。
 
ジェイクには、今後もぶっ壊し俳優として、ぶっ壊し映画に積極的に出演して頂きたい。
 

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そういえば、キーボードもぶっ壊してたな❤︎

 

映画を差し置いて中島みゆき特集

 

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ひどい風邪を引きました。幸い会社が、社員たちのしつこい「在宅、在宅制度を導入せい!」の声を受けて試験期間を開始、週二回までテレワークOKだったので助かった。

私は見栄っ張りで、社内で「今、忙しいですか?」と相談事を持ちかけられたとき、よくいるでしょ、「今ムリ!後にして」とか「いつでも忙しいけど・・・なに」と忙しいアピールするヤツ、それが嫌いなんですよ。だから「うわああああ!くんなくんなくんな今マジでムリ」と内心では思っても、「大丈夫だよ」と言うようにしてるんです。
この見栄のせいで後で「はああ!さっきまで何やってたっけ」と白目になるわけだけど。

在宅勤務だとそれがない。客からもウチの営業からも電話が掛かって来ない(ウチの営業、電話かけてきすぎ)。何より、通勤がないことの素晴らしさよ!しかも時間差出勤も利用してるから、17時には自宅でフリーですからね。イヤ、モンスターが二匹いて、全然フリーじゃないけど。
 
 
さて。唐突ですが、私は中島みゆきが好きです。ビッグ・ビガー・ビゲストファン、それはそれはファン。
両親が好きだったので小さい頃から自然と口ずさんでいたし、やがて立派なみゆきフリークとなり、両親ですら私のみゆき愛に追いつけなくなりました。もちろん小中学校では変わり者扱いされたけど、脇目も振らずに、みゆきLOVEでした。
高校生になって仲良くなったコーラス部の部長が、文化祭で発表する曲として選択したのが『世情』だったときにはムチャムチャ感動した覚えがある。高校生が歌う歌じゃないよ、と。
 
私の人生の節目節目に中島みゆきがいたと言っても過言ではありません。
すべて、中島みゆきの歌と共に乗り越えてきました。
うちの娘もすっかり中島みゆき好き・・・。ちなみに我が家では「みゆきちゃん」と呼んでます。
 
音楽活動45週年を迎え、全国ツアーは今年が最後と宣言しています。そのコンサートツアーの名称が「結果オーライ」。なんとも、らしいね。
前から、みゆき愛を語る記事を書きたいと思っていたところ、先日テレビをつけたら『ミュージックステーション』で45週年を記念して彼女の音楽史を振り返る特集と、何人かのミュージシャンによるカバーが放送されていたので、「あ、このタイミング」と思って記事を書く次第です。ありがとうございます。
 
 
 
70年代の歌姫
中島みゆき音楽史を紐解くには、活動期間があまりに長く曲数があまりに多い。世には、年代ごとの曲の特徴や音楽性の変遷などを緻密に分析・批評しているブログもあるので、それはそちらを参照させて頂くとして、私はみゆきちゃんのことになると「好き」「天才」「最高」と語彙不足に陥る。思い入れが強すぎて上手く書けないんだ。今回も「ああもう、こんな陳腐な表現じゃ表せない!」とこねくり回した挙句、ワケの分からない文章になったので、開き直って陳腐な表現をすることにした。文章の推敲もせず短時間でウワーっと書いた。よろしく。
 
1975年のデビューから1983年まで、数々のヒット曲を世に送り出してきた中島みゆき。デビュー曲『アザミ嬢のララバイ』や次のシングル『時代』はデビューアルバム「私の声が聞こえますか」(1976)に、有名な『わかれうた』なんかは4枚目のアルバム「愛していると云ってくれ」(1978)に収録されております。また、アルバムの名前もいいでしょ?

そして1980年、『うらみ・ます』を始め衝撃的な曲ばかりを収録した、ファンの間でも最も凶悪なアルバムとして語り継がれる「生きていてもいいですか」をリリース。デビューから80年代始めまで、まさに駆け抜けたという感じね。
 
中島みゆきは、言わずもがな同じ時代にディーバとして名を馳せた松任谷由美とよく比較され、「失恋ソングの女王」と言われております。確かに叶わぬ恋の曲が多く、そのイメージを本人に対しても抱く人が多い。しかし、彼女が話すのを聞いたことがあるだろうか。テレビに出ない主義の人なので、私が中島みゆきがどんな人か知ったのは、受験勉強しながら聴いていた土曜深夜のラジオだった(私は音楽がガンガン流れていても気にならない)。
 
喋り方が衝撃だった。天然か作りか?と今でも話題になるが、間違いなく生来のもの。あっけらかんとしていて可愛らしい人なのだ、元々、大したお嬢様だしね。ラジオでは視聴者からのハガキを紹介するコーナーで、バックに流れる鳥の鳴き声かなんかに対して、いつも「んもう、ちゃーちゃーちゃーちゃーうるさいわねッ!」と言うのが楽しかった。

「テレビに出ない」を貫いてきた人が、「プロジェクトX」主題歌の地上の星(2000)のヒットを受け、黒部ダムからの中継という条件で紅白に出場したわけだが、その後「もう、さっぶいのさっぶいのって!あーた、あたしの格好見た!?あの場所、気温何度か知っているぅ?」とぎゃーぎゃー言っていて爆笑よ。私はこの年と『麦の唄』のとき紅白をリアルで観ていたんだけど、「ああ緊張してる~!」と正座して見守ってしまい、歌どころではなかった。
 
脱線したが、「楽曲と本人の為人は別」。失恋ソングを書いているから、本人も失恋ばかりしている暗い人?そんなわけがない。前に作家の桐野夏生が、「子供を愛せない母親」の小説を書いたら「桐野は自分の子供を愛していないらしい」とどこかで書かれたと。「んなわけないだろ」と娘さんと一緒に笑ったと話していた。創作ってものを、みんながみんな、自分の体験を元に身を削って絞り出していると思わないで欲しいよね。もちろん、そういうスタイルの歌手や作家もいるだろうし、中島みゆきの歌にも明らかに自身の経験を歌ったものはある。でもそれで終わる人間は、終わってしまう。これだけの曲を「創作」し続けてきたことこそ、稀有の天才たる所以なわけだ。
 
さらに、中島みゆきの音楽にジメッと感があるかと言えば、ないの、案外と、これが。からしてみたら、ガサガサ声で「バスルームにルージュの伝言」とか言ってる方が陰湿だよ。
こちとら、ドアに爪で書いてゆくわ!
桜井和寿がカバーした『糸』の方がよほど、ぬめっとしてるしな。
もちろん『うらみ・ます』『異国』『エレーン』(全てアルバム「生きていてもいいですか」に収録)のように救われないまま終わる曲もあるんだけど、多くの曲が恋敵や別れた相手に対する恨みと情念を噴出させつつも、どこかあっけらかんとして人間味に溢れている。
あの人柄で、ああいう曲を書くこと、それがみゆきちゃんの凄さだと私は思っている。
 
 
 
御乱心時代!
1983年から1988年まで、この五年間をのちに本人が「御乱心時代」と評したために、ファンからもそのように呼ばれている。いわゆるスランプ期、みゆきちゃんが自身の音楽性の変換を図ろうと模索し悩んでいた期間のようだ。アルバムで見ると、様々な意見があるが、「はじめまして」「御色なおし」「miss M.」「36.5℃」「中島みゆきあたりがそれに当たると言われている。
 
なにが御乱心か?簡単に言うと、楽曲や歌い方をフォークからロックへ変えようとした。私はこの時代の曲も好きだけど。「miss M.」に収録された『あしたバーボンハウスで』『ノスタルジアはカッコいいし、「中島みゆき」の一曲『ローリング』は、後にリメイクされたバージョンよりも、こちらのオリジナルの方が味があって好き。だがしかし、「御乱心時代」幕開け直前のアルバム「予感」、これは私の超お気に入りのアルバムなのだが、この無機質とも感じる淡々としたフォークから、急に『幸福論』『生まれた時から』の音を聞いた当時のファンの衝撃は、推して知るべしといったところ。
 
年代で考えると、やっぱり70年代の曲が大好き。「予感」までのアルバムが良すぎたね。
 
 
 
みゆきちゃんの真骨頂は「応援ソング」ではない
ミュージックステーション」での、コンサートに訪れたお客さんへのインタビューでは皆「励まされる」「年代問わず寄り添ってくれる気がする」と言っていたので、「暗い曲と言わない人がこんなにたくさんいる」と嬉しくなった(中学のとき、暗い暗い言われ続けたので)。
 
ただ。AI、TOSHI、竹原ピストルが披露したカバーの三曲、これは番組側の選曲だと思うんだけど、まあ予想通りで。
 
 ・『空と君のあいだに』
 ・『糸』
 ・『ファイト!』
 
やはり、「中島みゆき的応援ソング」というテーマがぶち上げられてしまっていた。
「ファイト」の直接的な言葉、「縦の糸はあなた」「君が笑ってくれるなら」など誰の耳にも触りがよく、「励まされた!」という感想に直結するような飲み込み易い歌詞、そういうものが応援ソングとして賞賛されることに、ちょっとがっかりしてしまったのね。
 
いや、私も嫌いではない、これらの曲。でも「嫌いではない」であって、みゆきちゃんの凄さはここにはない、という思いの方が強くて。

この中でも『ファイト!』は、実はトンがってる内容なんだが(地方から東京に出してもらえない若者や、男にひどい目にあった女とかディープ)、「ファーイトッ」という軽快なシャウトと徐々に明るくなっていく曲調が災いし、あっという間に大衆向け応援歌として消費されてしまった。本当は、どうしようもない場所で藻掻く人を歌った、ダークな曲だと思うんだけどね(だから曲調は明るい)。ヘンに皆が口にするようになってから、イヤになっちゃった。
 
まあ、そこは前述した人柄にも繋がるわけだけど、中島みゆきは異様に寛容なのだ。自分のために作った曲だったのに、TOKIOにちょうだいと言われて「え・・え・・」って思いながらあげちゃったとか、ラジオでケラケラ~と話していたし。アーティストっぽい気難しさがない。それで、みゆきちゃんの曲を私はカラッと感じるのかもしれない。多分「こう解釈してほしくない!」とかムッとした顔で言わないんだろうなあ。
 
中島みゆきが再び大衆の目に触れるようになったのは、まずは『空と君とのあいだに』(1994)、その後は『地上の星』(2000)などだと思うのだけど、他にも『誕生』(1992)、『命の別名』(1998)、『宙船』(2006)、『麦の唄』(2014)、『倒木の敗者復活戦』(アルバム「常夜灯」)などの、ドスが効いた声でシャウトし人生賛歌を浪々と歌い上げる系の曲は、もちろんいい曲だが、私の中ではそれほど価値は高くなく、ましてや「応援ソング」だと思ったことはない。これらの曲は系譜としては、件の「御乱心時代」を継いでいると思っていて、そうするとやはり80年代、90年代~現代に至るまでの中島みゆきより、70年代の中島みゆきが鮮烈だったと思わずにはいられないんだ。
 
ミュージックステーション」でのカバーに関して言えば、AIの『空と君のあいだに』に、TOSHIの『糸』は凡庸さで私の顔を能面のようにさせたが、『ファイト!』を歌った竹原ピストルは、私をちょっとニコッとさせました。番組としては一般に寄るのは仕方ないが、コアなみゆきファンは「それじゃないんだよなあ」と観ていたんじゃないかな?
 
あ、ちなみに、前にSNSのファンコミュニティに入ったことあるけど、細かくてねちっこい奴が多かった(気持ち悪くてすぐ抜けた)。なので、私は誰とも語り合ったことがない孤高のファンです。
 
 
 
じゃあ何が応援ソングだ
そもそも「応援ソング」って言い方が気持ち悪いな。私が思う、グサッと刺さる曲を紹介します。
 
1)『ばいばいどくおぶざべい』
 
「次の仕事が決まったんだってね ロックシンガー」で始まる、だいぶロックテイストな曲。それもそのはず、ミュージシャンを目指し店でギターを弾いていた男が左手をダメにしてしまい、一生ギターが弾けなくなったことの絶望と決別を歌った歌だ。「どくおぶざべい」はオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ(Sitting On The Dock Of The Bay)」のこと。
 
酔っ払ったような、投げ遣りな歌い方が大変いい。次の土曜の晩には、代わりの奴がいるんだろうな。俺はもう弾けないけど、最後に歌ってくれよと。
そして、サビの歌詞がこれ。
 
「幕を引かないでくれ 明かりを消さないでくれ」
「みんなわかってるから 誰も何も言わないでくれ」
「だから最後の歌は空より明るい ばいばいどくおぶざべい」
 
男の人生がここで終わってしまうくらい悲壮な内容なのだが、それを「空より明るい」と歌って幕引きしてみせる。カッコいいねえ、切ないね。
 
2)『令子』
 
誰にも心を開かない男と一人で町も歩けないほど頼りない女、令子が出会い、二人とも目を瞠るほどに変わっていく。それを傍で見ている「わたし」は実は、その男のことが好きだったという歌で。
ぎゅーっとなる歌詞がコレ。
 
「ひとの不幸を祈るようにだけは なりたくないと願ってきたが 今夜お前の幸せぶりが 風に追われる私の胸に痛すぎる」
 
うわああああ!!もうねえ、「人の不幸を祈るようにだけはなりたくない」ってところでハッとさせられるんだよォォォ!
 
3)『ホームにて』
 
飛び出してきた故郷に帰ろうと、何度も故郷ゆきの列車の切符を買う。ホームに停車した列車の中で、他の帰り人たちは暖かな灯りに包まれて楽しそうに笑っているが、自分の足はどうしても暗いホームから動かない。目の前でまた列車のドアが閉まる・・・という歌。
 
「走りだせば間に合うだろう かざり荷物をふり捨てて」
「ネオンライトでは燃やせない ふるさとゆきの乗車券」
 
哀しい物語に対して、なんとも美しいメロディと優しい歌声。
『ファイト!』の中にも出てくるが、地方に縛られる若者というのは、みゆきちゃんの中で一つのテーマのようだ。
 
4)蕎麦屋
 
これはね、みゆきちゃんのコアファンなら、多分ベストに入れる曲じゃないかな。
「世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきて まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時」と染み入るような歌声に、息が止まりそうになる歌い出し。
 
旧知の「おまえ」から電話が来て、蕎麦でも食おうと言う(これは実体験らしい)。風で暖簾がバタバタと鳴り、ラジオから大相撲中継が流れている蕎麦屋で、「今更お前と差し向かいで蕎麦なんか」と照れ臭く思っていたら、急に「おまえ」が言う。
 
「あのね、わかんない奴もいるさって」
「あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ」
 
うわあああん!!!
 
そして二人は余計なことは話さず、風がのれんをばたばたなかせる音と知ったかぶりの大相撲中継を聴きながら、蕎麦を啜るのだ。
 
5)『化粧』
 
「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど せめて今夜だけでもきれいになりたい」
 
年代を超えて全婦女子の目をカッと見開かせるような歌詞。けだるげな歌い方は『ばいばいどくおぶざべい』と似ているが、あちらの男視点に対して、こちらの歌い手は間違いなく女。

好きだった相手は、他の女と一緒にいて、自分を笑いものにしている。決別を告げる今夜、死んでもいいから綺麗になって、あいつを捨てなきゃよかったなと思わせたい、そんな女の意地を歌った歌なんだ。
 
「流れるな 涙 心でとまれ」
「流れるな 涙 バスが出るまで」
 
バスが出るまで、ってところが泣けるじゃないかァァ。
 
 
 
◆好きな歌詞
つかれてきた・・・。今までで一番の文字数だぞ。 気力を振り絞って、好きな歌詞を少しだけ紹介する。
 
『狼になりたい』から
 
 「買ったばかりのアロハは どしゃ降り雨で よれよれ まぁいいさ この女の化粧も同じようなもんだ」
 夜明け間際の吉野屋で、俺の分早く作れよこっちのが先だぜ、ってクダ巻いてる歌。
 どんな歌よ。
 
 「ビールはまだかァ!?」が最高。
 
 
『それ以上言わないで』から
 
 「君は強い人だからいいね1人でも だけど僕のあの娘は」
 「・・・それ以上言わないで」
 
 おい「僕」、ふざけんな!って毎回なる。
 
 
ノスタルジアから
 
 「泣いてないわ悔やまないわ もう一杯お酒頂戴」
 「嘆かないわ愚痴らないわ もう一本タバコ頂戴」
 「裁かないでね叱らないでね 思い出は物語」
 
 なんと、逞しくあろうとする歌でしょうか。こうありたいよね。

 
『異国』
 
 噂の『うらみ・ます』より、よっぽど落ち込む歌。
 「くにはどこかときかれるたびに まだありませんと うつむく」
 ぎゃー!!ってなる、聴くたびに。
 
 
『霧に走る』から
 
 「とりとめもない冗談になら あなたはいつでもうなづくのに やっと言葉を愛にかえれば あなたの心は急に霧もよう」
 
 あなたの心は、わたしにはないんですよ・・・ううう。って毎回なる。
 
キリがない! 
 
 
 
◆お気に入りのアルバムベスト3
 
第3位:
パワフルな歌に気持ちが高揚し叫び出したくなる「夜を往(ゆ)け」(1990)。名前もカッコいい!
 
第2位:
御乱心時代幕開け前夜、円熟の「予感」(1983)。
 
第1位:
言うまでもなく、凶悪アルバム「生きていてもいいですか」(1980)。聴くときは要注意だ!
 
 
 
◆好きな曲ベストテン
好きな曲、ベスト10を発表する。なんせ曲数が半端ないから少々迷うが、ここまでずっと聴き続けていると、ある程度は固まってブレないものだ。忘れてはいけないのは、中島みゆきは「北の国、北海道の女」だということ。なので雪や海、船乗りの歌が多い。体感し耳にし、生まれ育ったものにしか分かり得ない情感が歌詞とメロディに込められていて、トップ10も自然とその辺りの曲が多くなりました。
 
 
11位 アザミ嬢のララバイ
10位 タクシードライバー
9位  裸足で走れ
8位  船を出すのなら九月
7位  ふたりは
6位  ばいばいどくおぶざべい
5位  化粧
4位  根雪
3位  蕎麦屋
2位  雪
1位  誰のせいでもない雨が
 
おい、11曲あるじゃねェかよ。
 
特にベスト3は不動ですね。『誰のせいでもない雨が』は、私の人生のベストでもあります。
 
あと、『雪』はヤベえよ、『雪』は!
 
尽きないので、唐突ですが終わります。誤字脱字があったら教えてください。誰が読むのでしょうかこれみゆきファンは読むな

『ゴールデン・リバー』

 
皆さん、こニャンちは。
 
先日、S氏から「四月にクルレンツィスが来日する。歴史に残る第九になるかもしれんぞ」とメールが来たのですが、私はクルレンツィス氏が誰かを知りません。
 
誰も興味ないでしょうが説明すると、S氏は元々、私の夫の同僚です。家に遊びに来るうちに、たまたま居合わせた私の父とクラシックの話で意気投合、私の知らんとこで、手紙やCDをやり取りしているようなのです。なんだそれ。
 
なので、まあ父のためにクルレンツィス氏の公演のチケット取ってやれというメールだったんですね。「優しくしてやれよ」と書いてあったのですが、一体わたしのことをなんだと思っているのでしょうか。
 
じゃあ、うちの父が優しくされて喜ぶタイプの老人かというと、ノー。大病して身体こそガリガリですが、頭と自立心とプライドだけは人一倍キレているジジイで、ロッキンなエピソードには事欠きません。そんな父が「今回のクルレンツィスを聴けたら死んでもいい」みたいなことを言っているので、何とかチケットを取りたいところですが、激戦らしい。ゴールドラッシュ並みのチケット争奪戦となりそうだよ。この流れ、天才かよ。
 

◇あらすじ
ゴールドラッシュに沸く1851年、最強と呼ばれる殺し屋兄弟イーライ&チャーリー・シスターズは、町の権力者「提督」の命を受けて、黄金を探す化学式を発見したという化学者を追っていた。連絡係を務める男とともに化学者を追う兄弟だったが、ともに黄金に魅せられた男たちは、成り行きから手を組むことに。しかし、本来は組むはずのなかった4人が行動をともにしたことから、それぞれの思惑が交錯し、疑惑や友情などさまざまな感情が入り乱れていく。(映画.com)
 
シスターズ兄弟の兄にジョン・C・ライリー、弟にホアキン・フェニックス化学者にリズ・アーメッド、連絡係の男にジェイク・ギレンホールという超クセがありそうな顔ぶれでお送りします。
 
まず、この映画が面白いのが、監督がフランス人である点。
面倒くさいので、一足先に本作を取り上げたふかづめたんの『シネマ一刀両断』からパクると、
 
アメリカ西部になんの思い入れもないであろうフランス人のジャック・オーディアールが監督を務めていることから分かるように西部劇正史からは大きくかけ離れた作品」であり、「全ライリスト、全ホアキニスト、全ジェイカー必見の作」なのだ!
 
ライリストなんているのかよ。
 
何だか暗くて地味そうなこの映画に、私が劇場公開時から目をつけていたのは、もちろんジェイク・ギレンホールが出ているからに他ならない!(例によって主演ではない!)
私の好きな俳優と言えばジェイクとキリアン・マーフィだが、バーミンガム辺りで威張り散らかしてばかりのキリアンと異なり、ジェイクはコンスタントに映画に出てくれるし、特に昨年は出演作公開が続いた。『世界にひとつのロマンティック』(2015)は記憶から消去するとして、キャリー・マリガンとのワイルドライフ(2018)や本作は、らしいなって感じでした。ジェイカーの私としては、とても嬉しい。
 
まあ、最も存在感を放っていたのは、原作の『シスターズ・ブラザーズ』に惚れて映画化の権利をゲットしたジョン・C・ライリーだったが。
 
「ジェイカー」という言葉もふかづめたんが編み出したものだった。著作権を侵しまくったお詫びとして、将来ふかたんが本を出版したときは、300円までなら買うし、「著者近影」の写真は私が撮ることを約束します。カメラは苦手です。
 

◇シスターズ兄弟★珍道中
巷のうわさ通り、西部劇だと思ったらなんか違う。金に群がる人間たちの醜悪さや欲望が描き出されるのかと思ったら、どうもそんな感じでもない。
 
西部劇の定石に照らして語るほど西部劇を観てはいないが、それでも「こういうモンだろう」というイメージはある。例えば、敵と味方の間に引かれた境界線であったり、お約束のキャラクター造形(ニヒルor乾いてるor飄々)であったり。だが監督はフランス人であるので、そもそも「こういうモン」に拘泥する様子もなく、観客は、物語が徐々に西部劇のラインからズレていく感覚を味わうことになる。
 
シスターズ兄弟は、提督ルトガー・ハウアーの命令で、砂金を特定できる薬品を発明した科学者リズを追っている。先の町マートル・クリークでは、兄弟が到着するまでの偵察役として、ジェイクがリズを見張っていた。本作でのジェイクは気取り屋で、報告記録や手紙を書く時にもどこか詞的になりがちなインテリジェンス野郎。やはり思考を掘り下げるタイプであるリズに共鳴すると、共に理想郷を実現すべく、あっさりと役目を放棄してしまう。
 
兄弟が目的の町についてみれば、寝返ったジェイクとリズは既に発った後。彼らを追ってジャクソンビル→メイフィールド→サンフランシスコと旅をしていく中で、歯ブラシを手に入れたり酔っ払って馬から落ちたり森で蜘蛛に刺されたり、メイフィールド一族を返り討ちにしたりと、ジェイクとリズに関係のない物語が綴られていく。
 
とにかく、シスターズ兄弟の素の顔とやり取りが面白い。
 
アホの弟、ホアキンは、いつも酔っ払っている。
一見狂暴そうなジョン・C・ライリーは、弟のフォローに明け暮れる面倒見のいい兄貴。ライリーに関しては、そこここで垣間見られるコンプレックスの描写が、なかなかに切なくて。女性からもらったショールを夜な夜な取り出してスーハーするライリー。買った娼婦にそのシチュエーションを演じさせ、「もっと優しく」「そこはショールを見ないと!」と細かい演技指導をつける。
 
ある店で買った歯ブラシで初めて歯を磨き、口臭を確かめてニマッとするところでは、なぜか胸がキュンとね。あれ・・・?わたしジェイクを観てたのに、いつの間にか、磨いてんのが歯だか唇だかも分かんないライリーにキュンとしてるぞ、みたいなね。
慣れた仕草で歯を磨くジェイクと、口を泡だらけにしながら縦磨きに懸命なライリーの対比で、彼が殺し以外で如何に不器用な人間かがとっても分かる。
 
私のオススメシーンは、兄弟が殺し屋家業をやめるやめないで揉めるシーンだ。前の晩、ライリーを殴ったことを覚えていないと言い張るアホアキン
 
ホアキン「じゃあ、俺を殴れ、それでチャラだ」
ライリー、グーで殴る。
ホアキン「いってー、俺は平手だっただろうが!」
ライリー「ほーら、覚えてるじゃんか!」
 
うーん、どうにも締まらない殺し屋たち。でも、嫌いになれない。
 
観客は早いうちで、あ、これは西部劇ではなくて、「殺し屋ブラザーズ★珍道中」なんだな、と気づくことだろう。
 

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この眉間の線は、どうやったら入りますか?
 
 
兄弟はジェイクとリズに追いつくが、メイフィールドの部下を撃退するために共闘、あっさり和解して共に黄金探しに勤しむこととなる。どこかでシスターズが牙を剥くではないかしらという私のつまらない予想が当たることもなく、自然の中で楽しそうに過ごす。
 
しかし、牧歌的な雰囲気は長くは続かなかった。
やらかしたのは、やっぱりアホアキンであった。
 
リズの作った薬品は、川の中に流すと砂金だけがキラキラ光るというものだが、水の中に入る時間を限定しなければならないほどの劇薬。だが、砂金の輝きに興奮したアホアキンは、「もっと入れろ!」と薬品の入った入れ物をひっくり返してしまう。それをモロに浴びたジェイクとリズは瀕死の状態となり、アホアキン自身も右腕に重傷を負う。
 
夢の時間は終わりを告げる。
リズは息を引き取り、アホアキンはジェイクに銃を握らせ、彼の苦しみを終わらせる。
 
 

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ハァ、やっぱジェイク、かわいいわ。

 
 
◇珍道中の最後は帰郷だった
四人に偶然共通していたものは、強権的であった父親の影を払えず、いまだその影響下にいるという点だ。幼少期の恐怖を共有するがゆえに固く結ばれていたシスターズ兄弟は、図らずも同類であるジェイクらとの縁を得て、初めて他者と交流することになる。繊細で内向的なライリーはリズに心の鬱屈を聞いてもらい、ホアキンとジェイクは川で遊びながら何となく友情を深める。
 
兄弟のボス「提督」は、名前こそ頻繁に上るものの、画面上では遠目で窓越しに映されるのみ。また、ホアキンが殺したという実の父親も、夢の中の影としてしか現れないため、人物というより概念のようだ。

兄弟は、幼少時代は父親の、そして現在は父親に代わる存在である「提督」の支配下にある。終始二人が大人になりきれていないと感じるのは、このためだろう。兄弟は、ジェイクとリズの死の犠牲を経て、
父親の呪縛から解放されるため提督を殺すことを決断する。そしてクライマックスでは母親の元に戻り、ようやく失われた子供時代を過ごすことができるのだ。
 
この支配から卒業、ってことだな、まさに。
いや、『卒業』を聴くと鳥肌が立つって言ってるじゃん。
 
つまるところ本作は、兄弟の離郷と帰郷の物語であろう。
 
私は、この結末はハッピーと見たが、ジェイクとリズとの出会いで一瞬崩れた閉鎖的な世界が、再び閉鎖してしまったことを考えると、まさに「理想郷は理想であった」とする皮肉な結末なのかもしれないよね。
 
(C)2018 Annapurna Productions, LLC. and Why Not Productions. All Rights Reserved.

『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』

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監督:アレクセイ・シドロフ キャスト:アレクサンドル・ペトロフ、ビンツェンツ・キーファー/2018年
 
あっけおめー。
皆さん、何か面白いことがありましたか?私は料理ばっかりしてました。

正月ボケしながら出社したら、隣の席の新潟男子が開口一番、「やなぎやさん、実家帰ったら、知らない間に妹が結婚してました」と面白い話を披露してくれました。
賢くて静かなユーモアを持った青年だと思うのですが、何しろ自分でも認めている通り、反応と感情が薄ーい。家族との関係が特殊で、これまで報告してくれた「知らない間に」エピソードが面白く。
 
・知らない間に、兄に子供ができていた
・知らない間に、兄が家を建てていた
・知らない間に、自分を抜かした家族全員が温泉旅行に行っていた
 
まあ、最後の旅行の話はね。友達のつっちーも昔、家帰ったら誰もいなくて、母親から「ハワイ行ってきます。大丈夫、あんたはまた行けるよ」とメールが一本来ていたと憤慨してたっけ。わたしも将来、息子をそんな風に扱うような気がする。
 
さて本日は、正月に自由時間ができたので夫を引きずって行って鑑賞した『T-34 レジェンド・オブ・ウォー』をご紹介。上映しているのが池袋のシネマロサのみだったので、何十年かぶりに行ったわ、懐かしかったー。
 
『映画.com』での点数4.0と世間の評判は異様に良く、熱狂的なファンも生まれている様子。なにより、映画とカレーを愛するミキちゃん(S氏の幼馴染という可愛そうなコだ!)が、2019年のベストテンに挙げていた作品。そして、少年少女にお勧めしたいサッカー漫画『フットボールネーション』の作者大武ユキさんが昨年から盛んに推してらっしゃる映画。
 
残念ながら、私は酷評気味です。
この盛り上がり方、ちょっと盲目的というか、マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)のときと似ているよな。
 
最初に断っておくと、「あなたはあなた、わたしはわたし」を貫いてきたので、「好きな人に悪いかしら?」と思いながら書くくらいならブログなどやらないし、「あくまで個人の意見です」なんて当たり前なことも言いたくない。
例え私が、このケーキは不味いと言っても、美味しいと思う人はそのケーキがどれだけ美味しいかを自信を持って語れば良い。
 
とはいえ、ですよ。
私も、かわいいミキちゃんや大武ユキさんに不快な思いなどさせたくないし(ユキさんは読まないだろうが。)、本当に嫌いなら、わざわざ時間を割いてブログを書いたりしない。いずれ子供達が観たいって言ったら、脇で居眠りしながら、もう一回観てもいいくらいの気持ちではある。
 
 
 
◇あらすじ
第二次世界大戦時、ソ連の士官イヴシュキン(アレクサンドル・ペトロフは、ナチス・ドイツ軍のイェーガー大佐(ビンツェンツ・キーファー)に敗れて捕虜となる。三年後、収容所で行われるナチスの戦車戦演習のため、ソ連軍の戦車T-34の操縦を命じられたイヴシュキンは、仲間とともに無謀な脱出計画を立てる。
 
とにかく大味な映画である。それ以外、言い表しようがない。
脚本、設定、撮影、演出、すべてが大雑把。心に響かぬ音楽も辛い。
『鬼戦車T-34』(1965)のリメイクなのかな?あちらは映画館に突っ込んだり、もっと無茶苦茶していた記憶があるが・・・。んで、バッドエンドなんだよね、当たり前だけど。
 
それなりに戦争映画を観ている立場から言うと、戦争映画の醍醐味は、ほぼない。下調べが緻密?残念ながら感じないねぇ。戦車と戦車をぶっつけたい!が先にあって自ずと舞台が大戦時になったようにしか見えず、かと言って、鋼鉄の肌を美しく撮ることに執心するでもなく、戦車に魅了された兵士たちのドラマを描くわけでもない。キャラクターありきの物語が進む。
 
ドイツ軍のイェーガー大佐を演じたのは、前回の記事で2019年ヤナデミー賞大賞に輝いた『犯罪「幸運」』のカッレくんことビンツェンツ・キーファー。カッレくんに軍服着せるとは、やってくれるじゃないの。
 
 
 
◇ストーリーを追っていきましょう
序盤のネフェドヴォ村の対戦から三年後、イヴシュキンは捕虜として、イェーガーは収容所の責任者として再会する。ソ連軍から奪った最新型T-34戦車を相手に実戦同様の演習を行おうとするイェーガーは、イヴシュキンと彼の部下たちを敵の戦車部隊役に指名、演習への参加を命じる。戦車の中を片付けていたイヴシュキンらは、兵士の遺体の下に砲弾と手榴弾を見つける。
 
・・・。
 
ドイツ軍は、敵の戦車の中を調べもせず捕虜に受け渡すと・・・いうのかッ?
 
 
いやあ、、、私、ドイツ好きじゃん?
スターリングラード(1993)やヒトラー最期の12日間』(2004)などのドイツの敗戦をドイツが撮った映画が好きだし、浦和レッズのレジェンド、ギド・ブッフバルトもドイツ人なわけ。退団セレモニーには白馬に乗って登場したんやで?
私の永遠の脳内彼氏、『エロイカより愛をこめて』の少佐も愛国主義のドイツ人、だから、ドイツ軍をナメくった映画はそれだけで評価下がるんだよね。
 
さて、ザルすぎるドイツ軍の監視に労せずして砲弾を隠したイヴシュキンらは、その後も戦車の整備を進めつつ砂で演習場のミニチュアを作って逃亡計画を練ったり、ペラペラと自由にロシア語で会話したり、捕虜生活の間にいい感じになった翻訳担当のアーニャと目と目で通じ合ったりと、やりたい放題。
 
こうなると、イェーガーがどんだけマヌケなの?という話になってしまう。
挽回するかのように、「演習場の周囲に地雷を埋めろ」と薄笑いを浮かべるイェーガー。ああ、お見通しなんだな、どうなるイヴシュキン隊!と観客をワクワクさせてくれるのだが。
 
アーニャがこの事実をイヴシュキンに告げると、地雷の件は、すっかりなかったことに。イェーガーは、地雷どこに埋めたん。自分の頭ン中か?
 
演習当日。イヴシュキン隊は隠しておいた砲弾をぶっ放してドイツ兵を蹴散らし、脱出に成功。楽しく街道を転がして、腹が減ったなと街で食料などもゲット(途中のバス停でアーニャも乗せた)、特に労せずにして、あと一時間で目的地のチェコ国境というところまで辿り着く。
 
・・・。
 
そうだね、うん、手段は色々あると思うが、ドイツ軍には、爆撃機とか。ない?
 
気を揉む私に応えるように、やっとこさイェーガーが言う、「空軍に連絡だ」。
それそれ~。もう、おそいってー、数時間前に言うべきだって。
 
 
 
次の瞬間、出てきたのは偵察機だった。
 
 
ううん、違うよ、偵察機飛ばしてどうするの?頭ン中の地雷が爆発したの?
 
イェーガー「あ、空軍ですか?捕虜に戦車で逃げられちゃって、ハハッ。爆撃機出して欲しいんですが。え?全機、故障中?オーマイイェーガー」。
まあ、恐らくこんな感じだろう。
 
偵察機に同乗したイェーガーは、空からイヴシュキンらの戦車を見つけると満足そうに微笑み、そして戻っていった。こっからまた戦車で出動するんだって。その間に逃げられるぞ。しかし戦車でドライブ気分のイヴシュキンらは、もう少しで国境という森の中で野営をすることに。
 
・・・。
 
いま野営を、するんじゃない。
そこ、湖で泳ぐのはドイツを脱出してからになさい。
あコラ、そこの二人、ヤるんじゃない。
 
そんなことをしてたから、ほーら、一度戻って出直してきたイェーガーに追いつかれちゃった。てか、もう戦車にこだわる意味。捨ててけ、目立つから。
 
※ラストには、わざわざ場所を変えて戦車同士が一騎討ちするというワケのわからん一幕があるが、もはや触れまい。
 
 
 
◇アップショットのカッコ悪さ
本作が全編を通じて鈍重に感じられるのは、スローモーション及びストップモーションとCGの乱用による大仰な演出が原因だろう。砲弾が発射される瞬間、着弾して爆発する瞬間、あるいは弾と弾が宙ですれ違う瞬間が都度、スローモーションで切り取られる。これがダサい。
 

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こんなことせんでええ。
 
 
また、人物の顔のアップショットの切り返しも、うまくない。ネフェドヴォ村での戦闘や、収容所で会話する場面では、主役二人の顔のアップが交互に切り返され、それ以外の情報が入って来ない単調な画面に瞼が重くなってしまう。
 
映画終盤、ある街を舞台に再び戦車戦へと突入するのだが、理解に苦しむのは、一番の見せ場となるべきこのシーケンスを、冒頭と同様の市街戦とした点だ。
 
狭い道を戦車が塞ぎ、近距離でジーッと睨み合う退屈な時間が続く。緊迫感を演出するために戦車と人を繰り返しドアップで撮るやり方にうんざりしているのに、またぞろ、戦車同士が目と鼻の先で戦車砲を突き付け合う息苦しい画を見なければならない。
 
 

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これな。
 
 
当然、戦車は走らせるべきだ。走らせずして、戦車の獰猛さを、戦車乗りが誇る卓越した技術をどう伝えるというのか?
キュラキュラと不気味な音を響かせて迫って来るキャタピラを撮れどちらのスピードが早いか、より頑強か、操縦技術が優れているか、それを横から上から下から撮れよ。
 
この世には、『レッド・アフガン』(1998)や『フューリー』(2014)などの優れた戦車ラブ映画がある。戦車偏愛映画『レッド・アフガン』では、こちらも口の中が乾くほど緊張したし、戦車対戦車の息を飲む攻防に関しては『フューリー』が素晴らしい。ドイツの化け物ティーガーと出会して戦闘に雪崩れ込む緊迫のシーケンスを見習ってほしいものだ。
 
また鬱陶しいのが、イヴシュキンの恋の相手アーニャを絡めるために発生する、ドイツ語⇔ロシア語の翻訳のムダ時間。例えば、こうだ。
 
・イェーガーがドイツ語で何か言う(字幕出ない)
・アーニャがそれをロシア語に訳す(ここで字幕が出る)
・イヴシュキンがロシア語で答える(字幕出る)
・アーニャがそれをドイツ語に訳す(字幕出ない)
 
イヴシュキンとイェーガーの会話であるはずなのに、アーニャを介するがゆえに同じ内容のセリフを×2で聞かされることの煩わしさ。単純に二人がロシア語とドイツ語を解する設定にすれば良かっただけの話である。
 
最後の、立場は違えどの体で友情らしきものをチラつかせる演出など、恥ずかしくて直視できなかったわ。
とにかくダメなのはコレを大真面目に撮っていることだ。無茶苦茶な感じに振り切れば、まだマシだったかも。
 
あと、も一つだけ言わせて。
キーファーくん(イェーガーね)を正面、煽り気味の位置から撮るな。その理由は、キーファーくんは前歯が、すきっ歯だからだ!
 
文句言い過ぎたから、フォローしようと思ったけど、あんまり出てきませんでした。
あ、白鳥の湖のところと、バス停で待ってたら戦車来た、は面白かったと思うよ。
 
(C)Mars Media Entertainment, Amedia, Russia One, Trite Studio 2018

『犯罪「幸運」』

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監督:ドリス・ドゥリー キャスト:アルバ・ロルバケル、ビンツェンツ・キーファー/2012年
 
皆様、掃除はこれからですか。
最近、面白いことが二つありました。
 
娘は、NHKの『にほんごであそぼ』がお気に入りで、「汚れっちまった悲しみに・・・」などと口ずさんでいるので、「すごいねえ」と言いました。すると、姉が褒められれば同等の扱いを受けずには気が済まない弟が(逆もまた然りだが)、割り込んできて足を組み、私を見ながら気取った様子で歌い始めました。
 
コガネムシは~、金持ちだ~♪
金蔵建~てた蔵建てた~♪
 
うん・・・。なんだろね、キミって面白いよ。
 
その後、これをバカにした姉との間で戦争が勃発。息子の膝が娘の唇にクリーンヒットして流血事件に発展しました。息子に比べれば遥かに信頼のおける強く優しい系女子な娘ですが、これも結構な調子乗りで、ふざけすぎて乳歯のころ前歯を折ったことがあります。
 
もう一つは、リエコとLINEをしていたときのこと。彼女が「今日ラザニアを作ったよ〜」と言ってきたので、へえレシピ教えてと言ったら、秒で青の洞窟のリンクと「健康と信頼の日清」というコメントが送られてきました。専業主婦なのに手抜きを怠らず、独身時代の貯金で10万円の靴を買うリエコを私は愛しています。
 
さて、年内最後の更新です。
私も忙しいんです。掃除、洗濯、掃除、正月用にそれらしい料理の制作、また掃除。その合間に子供をシバき、上司のケツも蹴り上げなければなりません。
 
本日紹介する映画に、「2019年やなぎやアワード大賞」を差し上げます。
そんな賞があったんだぜ。 
 

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◇あらすじ
祖国の内戦で幸福な日々を奪われたイリーナ(アルバ・ロルバケル)は、ベルリンに流れ着き、「ナターシャ」という名の娼婦となっていた。彼女はある日、黒い犬を連れたホームレスの青年カッレ(ビンツェンツ・キーファー)と出会う。
 
2012年製作のドイツ映画。この二人の幸福を全力で祈らずにはいられない。
幸福とはなにか、愛とはなにか。うんざりするほど繰り返され、だが人が逃れられないテーマを、身を寄せ合って生きようとする男女を通して映した大変いい映画です。示唆に富んだ作品だと思うが、気取った感じや小難しさはない。

鑑賞時には、うっすいパンとハチミツを用意して臨むことをお勧めする。パンにハチミツで好きな相手の名前を書くと、なお良し。
 
何はともあれ、邦題やパッケージを見て避けないで欲しい(このパッケージはマシなの探してきたが、Amazonのはぎょっとする)。
原題は「Glück」(グリュック)、ドイツ語で「幸福」という意味だ。何がどうなって、『犯罪「幸運」』という題名になったのか、そしてあのようなグログロしいパッケージになったのかが皆目わからん。確かに一か所、目を逸らしたくなるシーンはある。だが、そこまで観続けた人間なら、その行為にむしろ嘆息せずにはいられないはずだ。
 
冒頭、イリーナの両親との幸福な日々、そして家族を襲った残酷な出来事が一切の台詞なくスローモーションで映される。故郷の赤い花畑と、ベルリンで生活するようになった彼女の銀髪の白々しさとの対比が印象的だ。
 
身を落としながらも踏み留まるイリーナの誠実さは、規則正しい生活の描写で伝えられる。仕事を終えて安ホテルに帰り、素顔になり、一枚のパンにハチミツを塗って窓際で食べる。食事の時はテーブルにクロスをかけ、きちんと皿を置く。監督の、人間が人間らしくある所以は生活にあるとする考えが見えるかのようだ。
 
強制送還の恐怖に怯えながら吐き気のするような相手に身体を売り、その日その日をどうにか食いつなぐ、そんな中でなぜ見知らぬ青年にブランケットなどを買い与えてやれるのか?どのような悪環境でも、イリーナの生来の優しさは損なわれないことが静かに伝えられる。ブランケットが、彼女の幸福の象徴である真っ赤な色であるのがまた切ない。
 
赤の色とともに、幸福な時代を思い起こさせるのは、ハチミツの黄金色。一人で食べていたパンは、やがて丁寧に半分に分けられようになり、またある日、食卓が三人になったときは、「これはステーキよ」とフォークとナイフで小さく切り分けられる。パンは、イリーナに人との繋がりができたことの幸福の象徴となる。
また、故郷から持ってきた羊と花の刺繍がされた白い布は、恐ろしい世界と自分を遮断するときに使われる。
 

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「カッレ」と書いているよ。
 
 
カッレくん
詳しい背景は語られないが、劣悪な家庭環境から路上で生活するようになったらしいカッレくんは、イリーナにブランケットをもらった後、彼女の後をくっついて回るようになる。やがて二人は、イリーナが自宅兼仕事場として借りた小さなアパートに一緒に住むように。イリーナは、彼に生活のために働くよう勧めるが、カッレくんは通行人に小銭を無心する以外の、生計の立て方を知らない。
 
そこで得たのは、新聞配達の仕事。これがなかなか厄介な作業だ。詳しく説明すると、自転車に新聞の束を積んで移動し、人々のポストに新聞を入れる。だが、ポストの口は非常に狭い。瞬時に適切な大きさを見極めて新聞を綺麗に折り畳み、スムーズに入り口に差し込まなければならない。つまり、この仕事は時間勝負だし、熟練の技術が必要なのだ・・・。
 
 
って、そんなわけあるか!
 
カッレは、新聞を折る気もなくズボッ!と無理くりポストの口に突っ込もうとするので、そりゃうまく入らないし、時には落ちる。それにイライラし、ついに新聞の束を投げ捨てて、花壇から盗んだ花を手土産にスキップしながらイリーナの家に戻るカッレ。すがすがしいほどダメな野郎だな!顔はめっちゃカワイイけど!
 
主にイリーナの方が彼に与える描写が続く。最初は赤いブランケット。シャワーと食べ物、住む家、愛情と忍耐。カッレが盗んできた花を、窓から投げ捨てることで、「私は貴方を見捨てない」ことを示す。また、これは終盤への布石ともなるのだが、徹底したベジタリアンであるカッレのために、手をかけて用意していた鶏肉をやはり同じ窓から投げ捨てる。繰り返される「捨てる」行為は本作の中で重要な意味を持っていて、イリーナがカッレに示す愛情、これを物理的に見せるのが、窓から捨てるという行為だ。

一方カッレも、耳や唇につけていたピアスを外し、長い髪を切り、自分のこだわりを捨てることでイリーナの愛情に応える。
 
 
捨てる=与える
穏やかな日々が過ごしていた矢先、「ナターシャ」の常連客の男が、彼女の部屋で心臓発作を起こして死んでしまう。人の死にショックを受けると同時に、警察と関わることができない事情を抱えるイリーナは動揺し、部屋を飛び出す。入れ違いに部屋に戻ってきたカッレは、彼女が客を殺したと勘違いをしてしまう。カッレはついにベジタリアンであることまでを捨て、イリーナに対する愛を示す。
 
・・・こう書くと、カッレがデブの客を食べたみたいなんだけど、比喩表現です。カッレは見るだけで嫌悪感を覚えるほど肉の生生しさと血が苦手。先に書いた通り、イリーナは彼のために、鶏肉を投げ捨てた。彼女に報いるため、カッレは巨大な肉塊を「調理」する(現にここで使用するのは調理用カッター)。
 
繰り返されてきた、「捨てることで与える」行為の集大成だ。カッレが最後の砦を崩してまで、イリーナに与えてもらったものを返すことが暗喩されている。私はここでカッレと一緒に泣いた。
 
案の定、どこかのレビューで、「死んだ人を切り刻むなんて不謹慎。それが愛だなんてただの美化だ」というコメントを見たけれどオーケー、学級委員長、道徳的に不謹慎であろうとなかろうと、デブの客はここでは「肉塊」なんだよ。
 
だからデブなの。ガリガリの客だったら、ベジタリアンのカッレが挑む肉としてふさわしくないだろ?
 
主に二人の世界だけを映す本作には、唯一、第三者がいる。死体損壊の罪で逮捕されたイリーナとカッレを担当することになる弁護士だ。生真面目で人の良い弁護士は、二人の事情を知るうち、「自分は愛のために罪を犯したことがない」ことに劣等感を感じる。そして彼は、事件の解決後、赤い花を花壇から盗んで愛する妻に贈るのである。
 
真面目な男が自身の正義を裏切り、自分にしか分かり得ない形で、これもまた愛のためにささやかな犠牲を払う。フフンフン、と頷きたくなるような小洒落た脚本ではないか。
やはりどこかのレビューで、「最後に弁護士が花を盗むのはちがうとおもいます」というコメントを見たが、オーケー、ちょっとおねえさんと温泉にでも浸かろう、委員長。
 
本作の登場人物は全員が誠実でピュア、表面だけなぞれば綺麗事に見えるかもしれないが、イリーナの優しさが絵空事を超えて、どうかこの二人を放っておいてやってくれ、という気持ちにさせられるんだなあ。
 
また、全編通して、音楽が良い。ラストの曲は、切なく痛々しい物語から一転、観た人をハッピーな気持ちにしてくれるだろう。
そんなわけで、私はこの映画に心を奪われました。是非、年末年始のお休みにどうぞ。ハチミツとパンを忘れないでください。
 
って、これ前にイクコさんがミーハーdeCINEMA』で賞賛してた映画じゃないの!
やられたわあ、流石イクコさんだわあ。イラストが美麗!!
 
さて皆様、今年も個性溢れる楽しい記事をありがとうございました。
 
イクコさんはもう持ち上げたからっと、5児の父の人、孤高の天才、北海道の素敵主婦、出張来ても連絡くれない南国の人、大体服着てない新潟県人、車とリンゴとコーヒーの人、内容で★の数を変えてくれる音楽を愛する会社員の人、ザッカリー狂の漫画家、旅好きカップル、お菓子のあい間に映画とサザンな人、神奈川在住二児のパパ、SF好きのコーイチさん。
 
今後もまた楽しませて下さい。あまり交流できず上に挙げることができなかった方、いつも★をありがとうございます。来年はよろしくお願いします。
 
う~ん、誰か忘れてるような気がするのよね・・・?
確か、Gがついたような?

『2019年に観た映画ベスト10』

皆さん、こんにゃちは。
 
表題の通りです。お友達のブロガーが、こぞってテンテン言い始めたので、私もやりたい。ただ、沢山の中から限られた件数を選ぶのが苦手です。そこで、製作や公開年に関わらず今年観た映画のベストを考えてみました。
 
ちなみに、友人のS氏が毎年、頼んでもないのに「オレのベスト10」を送ってくるので、「今年は?」と訊いたら、「今年のベストの発表は31日に決まってるだろ」と言われました。まあ、そうね、暫定ね。
 
本日はリトル・ヤナギヤと共に、ゆるっとお送りします。長いです。
 
 
◇10位から1位
 
第10位 『アナと雪の女王2』(2019)
2019年製作/103分/アメリ
監督:クリス・バック ジェニファー・リー

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リトル・ヤナギヤ「この映画、子供たちと観に行ってたわね。席についた途端、子供じゃなくてあなたがポップコーンをぶちまけたのよね」
やなぎや「まあ、そうです。」
リトル・ヤナギヤ「アナと雪の女王(2013)は好きなの?」
やなぎや「普通かなあ。圧倒的に2がよかった。エルサが自分の出生の謎に食らいつくように迫るときのスピード感が素晴らしかった。アアーアアー♪のメロディも忘れられない」
リトル・ヤナギヤ「そういえば最近、あなたの息子が鼻ほじってパクッて口にしたの見て仰天したんだけど。前作でクリストフが言ってたわね、『男はみんなやる』って」
やなぎや「シー、うちの息子の恥を晒すな!・・・びっくりして怒ったんだけど、ホントに男は皆やるのかな?」
リトル・ヤナギヤ「天下のディズニーが言ってんだから間違いないでしょ」
 
 
 
第9位 『ONCE ダブリンの街角で
2006年製作/87分/アイルランド
監督:ジョン・カーニー

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リトル・ヤナギヤ「『はじまりのうた』(2013)でお馴染みのジョン・カーニーがその前に撮った作品ね」
やなぎや「全体的に暗いしハンディカム(多分)の映像は見にくいし、お世辞にも綺麗とは言えないんだけど、歌がいい!楽器店で二人が歌を合わせるところと、ヒロインが夜道を歩きながら歌うシーンが好き」
リトル・ヤナギヤ「歌がいい、しか言えないからレビューを書かなかったのね」
やなぎや「まあ、そうです。主人公
二人には、それぞれ引きずっている相手がいる。でも惹かれ合っていて、互いを支える様子が音楽を通じて静かに描かれていくんだよ」
リトル・ヤナギヤ「惹かれ合ってもすぐに寝ないところが、アメリカ映画と違って慎ましいわよね」
 
 
 
第8位 『勝手にふるえてろ
2017年製作/117分/日本
監督:大九明子

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やなぎや「これは良かった」
リトル・ヤナギヤ「『これは良かった』しか言えないからブログに書かなかったのね」
やなぎや「まあ、そうだよ。松岡茉優が素晴らしかったし、ぞっとするくらいリアルだった」
リトル・ヤナギヤ「好きだった人に覚えてもらってないとか、そもそもホントにその人のことが好きだったのかも実は分かってないとか」
やなぎや「そうそう。本人は善意のつもりの友達のお節介が許せなかったり」
リトル・ヤナギヤ「でも、人と関わらずに閉じこもっては生きていけないもんね」
やなぎや「渡辺大知も良かった。最後にドアに足を突っ込んで、松岡が守っていた聖域にずいずい入って来るとこが好きね」
リトル・ヤナギヤ「松岡に自己紹介するときの『俺のこと知ってくれてます?』がキモかったじゃない」
やなぎや「確かに気持ち悪かった~、『知ってます?』でいいじゃない。でも、それも妙にリアルだった」
 
 
 
第7位 『レスラー』
2008年製作/109分/アメリカ・フランス合作
監督:ダーレン・アロノフスキー
 
 
リトル・ヤナギヤ「レビュー上げたあとに『娘がかわいそうすぎる』って人も結構いたわねえ」
やなぎや「言われて私も『ありゃ、ないよな』って思った。けど、ラムの無骨さがいとおしくて」
リトル・ヤナギヤ「やっぱりベストはあのシーンよね」
やなぎや「ラストで跳ぶところ!」
リトル・ヤナギヤ「ちっげーよ、惣菜売り場を、めっちゃ回すとこだよ!」
やなぎや「・・・いきなり怒らないで」
リトル・ヤナギヤラム・ジャムラム・ジャム!(`□´) 」
 
 
 
第6位 『駅馬車
1939年製作/99分/アメリ
監督:ジョン・フォード

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リトル・ヤナギヤ「今更!?」
やなぎや「今更ながら荒野の決闘(1946)と続けて観ました。良かった」
リトル・ヤナギヤ「どちらも、馬車と馬の爆走シーンがド迫力だわよね」
やなぎや「そうそう・・・。ところで、2019年中にはっきりさせておきたいことがあるんだけど」
リトル・ヤナギヤ「なに?ダンナから回収できてない雑費の額?」
やなぎや「『シーン』と『シーケンス』が未だによく分からんと。例えば、上で『シーン』と言った馬車と馬の場面は『シーケンス』が正しいのかな」
リトル・ヤナギヤ「そんなの私が知るわけないじゃん。適した人を呼びましょうよ。
ちょっと、ふかづめさん、ふかづめさん(ドンドンドン!!)。シーンなのシーケンスなの!?とっとと答えるんだよォォ
やなぎや「ちょ、やめて!前にふかづめさんちドンドン事件で怒られたんだから!」
 
リトル・ヤナギヤ「で、『駅馬車』のどこが良かったの?」
やなぎや「乗合馬車が町から町へ人を運ぶわけだけど、その中の人間模様が良かった」
リトル・ヤナギヤ「『荒野の決闘』も同じよね。弟殺しと牛泥棒を追っていたはずなのに、保安官になって街に居ついちゃって、一目惚れしてダンスまでしてるぞオイ」
やなぎや「ジョン・ウェインの、演技してんだかしてないんだか分からない演技が魅力的だった。ブラっと来てブラっと帰る、みたいな
リトル・ヤナギヤ「日本映画で言うと、三船敏郎っぽいわね」
 
 
 
第4位 『駆込み女と駆出し男
2015年製作/143分/日本
監督:原田眞人
 
 

リトル・ヤナギヤ「・・・?5位がトンだわよ」
やなぎや「第5位はギレルモ・デル・トロパシフィック・リム(2013)です。ぱちぱちぱち」
リトル・ヤナギヤ「なんで書かないの」
やなぎや「綺麗と熱いと面白かった、しか言えないから。こういうの、感想書けないやつなんだよ~。とにかく5位は『パシフィック・リム』です!」

リトル・ヤナギヤ「まあいいや。で、4位これね~」
やなぎや「言葉もなにもかも情報量が多いから苦手な人もいると思うけど、美しくてパワーがある作品だった。あとやっぱり時代劇が好きね」
リトル・ヤナギヤ「あの場面で、全部持っていかれるわ」
 
ヤ&や「べったべった、だんだん!」
 
リトル・ヤナギヤ「原田眞人監督は好き?」
やなぎや「全部観ているわけじゃないけど、面白い試みをする監督だと思っていてチェックはしてる。来年5月、山田裕貴主演の『燃えよ剣が楽しみ!」
リトル・ヤナギヤ「主演、違うわよ」
やなぎや「え!?・・・山田くんは徳川慶喜役!?主演は岡田准一??土方には年齢行き過ぎでしょ。山田くんでいいよ、きっとうまくやるよ?」
リトル・ヤナギヤ「だからって、いきなりあのレベルの主役はないわよ」
やなぎや「それより今、もえよけんって打ったら『萌えよ健』って出てきたんだけどww健だれww草生える」
リトル・ヤナギヤ「今年一番どうでもいいわ」
 
 
 
特別賞
リトル・ヤナギヤ「ここで特別賞の発表でーす」
やなぎや「はい、これでーす」
 

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『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)
2018年製作/152分/デンマーク・フランス・ドイツ・スウェーデン合作
監督:ラース・フォン・トリアー
 
リトル・ヤナギヤ「製作に関わった国多すぎじゃない?この国全部、ド変態ってことでいいわよね
やなぎや「頭がおかしいのはトリアーでしょ。個人的には『ヘレディタリー』(2018)で経験したのと同じ種類の笑いが、そこここでこみ上げたね」
リトル・ヤナギヤ「わたしはアレ、未亡人を殺した後、強迫性の潔癖症のせいで何度も何度も家の中に戻るやつ」
やなぎや「あれは笑った・・・」
リトル・ヤナギヤ「その後、死体引きずってくとこも」
やなぎや「お前は警官を、死体てんこもりの隠れ家に案内する気か、と」
リトル・ヤナギヤ「で、最強はあれよね。『にっこりぼうや』
やなぎや「死ぬかと思った・・・。家で観てよかった。映画館で観てたら笑い過ぎて不謹慎の罪で学級委員長に追い出されてる
リトル・ヤナギヤ「本作を今年ベストに挙げたinoチャンのブログを改めて読んだんだけど、ツボるわツボるわ。『未亡人すりおろし』『団子5兄弟』魔改造』!
やなぎや「inoち、『しかもトリアー、魔改造した子供をいたく気に入ったのか、その後も隙あらば画面にINさせやがる!』って」
リトル・ヤナギヤ「・・・みぞおちに入った・・・」
やなぎや「・・・私も笑い過ぎて動けない・・・」
リトル・ヤナギヤ「思ったもん。『なんでちょいちょい画面に映りこませるの!?気に入りすぎでしょ!』って」
やなぎや「いやもう、穴に落ちた後とか、ホントなにやってんの??で」
リトル・ヤナギヤ「けど、妙~に忘れられないのよね、あの感じ。くせになるわあ」
 
 
 
第3位 『オーバー・フェンス』
2016年製作/112分/日本
監督:山下敦弘

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リトル・ヤナギヤ「これ良かったわね~」
やなぎや「これ良かった~」
リトル・ヤナギヤ「職業訓練所のメンバーにそれぞれクセあって」
やなぎや「勝間田さんが最高だった。ソフトボールのメンバーに選ばれたときの『ええ~!』。わたし、あの『ええ~!』をマスターしたい」
リトル・ヤナギヤ「頑張れば。オダジョーが毎日弁当とビール二本買って部屋で食べるのは『孤独』だったのかしら?」
やなぎや「『孤独』とは感じなかったなあ。
決まった生活をすることで『俺は普通だ』って言い聞かせているようだった、人を壊す人間なんかじゃない、と。ぶっ壊れた女とぶっ壊す男が惹かれ合っては反発し合うのにヒリヒリした」
リトル・ヤナギヤ「改めて蒼井優の恐ろしさに唸ったわ。『こんな女むり』って男性目線のレビューを割と見かけたけど、そもそもアンタの人生圏内にいない女だしアンタの価値観関係ないって思う」
やなぎや「思った、思った」
リトル・ヤナギヤ「人の痛みも分からない自己評価だけは東京タワーな野郎が生意気に女選べる立場だと思ってんのかァ?お前みたいな奴が大概飲み会で女子がサラダ取り分けるの待ってたりクリプレに手編みのマフラー貰って『重い』とかぬかすんだよなこの豚野郎がって思ったわよね」
やなぎや「いや、思ってません。」
リトル・ヤナギヤ「オダジョーは、こういうのよね」
やなぎや「うん、オダジョーはこういうの!」
 
 
 
第2位 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
2019年製作/161分/アメリ
監督:クエンティン・タランティーノ

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リトル・ヤナギヤ「あ、二位なんだ?観たあと、えっらい興奮してたけど」
やなぎや「Blu-ray出たら買うかも」
リトル・ヤナギヤ「ブログには書かなかったのね?」
やなぎや「すごい濃いレビューがあちこちで上がってたからねぇ。私これは結構、ブラピとデカプの関係性とか絡みが良かったに尽きるのよね。あと、マーゴット・ロビーが映画館にいく場面が好きで」
リトル・ヤナギヤ「好きな音楽流したり、タラちゃんが好きなハリウッドの夕暮れの街をブラつかせたり、ゆるっとした流れから、事件当日に向かって締まっていく感じはすごかったわ」
やなぎや「職場の、あまり映画を観ない友達が観に行くっていうから、シャロン・テート事件を知ってるか訊いたら、やっぱり知らないんだよね。観た後、『すっごく面白かった、シャロン・テート事件聞いといてよかった』って喜んでた」
リトル・ヤナギヤ「まあ、知らなくても、カルトのヒッピーがラリったブラピにボコボコにされて、デカプの火炎放射器ここに繋がる!?ってので十分面白いんじゃない」
やなぎや「いやあ、あの火炎放射器のとこは、あ、リエコと観に行ったんだけど互いに手を握って身を捩るほど爆笑したよ」
リトル・ヤナギヤ「いい年して」
やなぎや「年は関係ないじゃん」
 
 
 
第1位 ???
リトル・ヤナギヤ「??? 一位はなんなの?」
やなぎや「来週、今年最後の更新として、レビューを書きます」
リトル・ヤナギヤ「はあ?なんのためにそんな勿体ぶるわけ?」
やなぎや「勿体ぶっているわけじゃないし。最後に一本書きたいだけだもん」
リトル・ヤナギヤ「誰も気にしている人なんかいないわよ。更新した日で100、その他の日は30くらいのPVのくせに」
やなぎや「100もあれば立派でしょうが!大体、PVとかどうでもいいんだよ。マジ興味なくて草生えるw」
リトル・ヤナギヤ「覚えたての草生えるを使いまくるのやめて」
やなぎや「じゃあもう帰って。よいお年を!」
 
 
◇それ以外
順位はつけられなかったものの、印象的だった作品は以下の通りです。
 
・青春でしょう:ワンダー 君は太陽(2017) 
監督:スティーブン・チョボウスキー
お姉ちゃんとその友達のエピソードが良かったね!けれど私としては、同監督『ウォールフラワー』(2012)が、2018年に観た映画のベスト5に入るくらいのお気に入りなので、つい比べてしまいました。
 
・思いのほか面白かったでしょう:『ロスト・バケーション』(2016)
監督:ジャウム・コレット=セラ
ブレイク・ライヴリーランボー並みのサバイバル力にうっとりする。『シンプル・フェイバー』(2018)ではめちゃめちゃカッコよかったし、ブレイク・ライヴリー大好き。
 
・最強ババアでしょう:『あなたの旅立ち綴ります』(2016)
監督:マーク・ペリントン
憎ったらしいシャーリー・マクレーンが最高だった。
 
・ジャンクーでしょう:『罪の手ざわり』(2013)
監督:ジャ・ジャンクー
S氏に教えてもらった監督。良いです。来年は、ジャ・ジャンクーを掘ります!
 
 
<オマケ>
映画じゃなくてドラマなんですけどね。今年は特に、衝撃的なのが二つありました。
 
『全裸監督』
「お待たせしました。お待たせしすぎたかもしれません」がしばらく耳から消えない。
森田望智の体当たりぶりと、それを受け止める山田孝之に観入る。森田望智は蒼井優に憧れているそうで「天才」と言っていたけど、この人も天才肌だよなあ。あと、『オーバー・フェンス』でも思ったけど、満島真之介はいい俳優だよね。
 
チェルノブイリ
これは凄まじく面白かった。最終話はあまりの圧迫感と辛さで涙が出そうになった。
HBOのドラマは素晴らしい。
 
来年は、もっと一杯映画を観たい。
本日は以上です。チャオ。

『ボーダーライン』

 
みなさん、こニャニャちは。
 
前回の薔薇の名前では、映画の話が全然できませんでした。いや、普段から映画の話なんかできていないのですが、これまで少なくとも「コレ観てみたい」という声はもらっていたのね、友人知人から。
しかし前回に関しては、正直者が多い私の友達の中でもドストレートのドSで知られるつっちーが「守りに入ってない? 攻めてるのは『おねえさん』てキーワードだけじゃねえか」みたいなこと言ってきて。
 
うるせェな、書きたいこと書いたんだよ、このドSが!
 
ところで、このブログの存在は、職場ではブログタイトルを考えてくれたN氏だけ知っているのですが、N氏が自分の営業先で「同僚の映画ブログのネーミングしたんすよ」とネタにしていて、同席していたチャラ男の営業がそれ聞いていて、「ぎーやなパイセン(←私)、アレすか、やっぱブログに『●●(←部長)消えろ。ハチミツでも舐めてろ(←プーさんに似てるから)』とか書き殴ってるワケすか」と言われて地獄です。
 
やっぱり、職場にはバレたくないよね。そこは、ボーダーライン引きたいよね・・・。
というわけで、本日の映画は『ボーダーライン』です。ワーオ。
 
 
◇あらすじ
巨大化するメキシコの麻薬カルテルを殲滅するため、米国防総省の特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイトは、謎のコロンビア人とともにアメリカとメキシコの国境付近を拠点とする麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加する。しかし、仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した作戦内容や、人の命が簡単に失われていく現場に直面し、ケイトの中で善と悪の境界が揺らいでいく。(映画.com)
 
原題の『Sicario』に対し、邦題は『ボーダーライン』。あらすじでも当たり前のように「善と悪の境界線」と書かれているが、日本のドラマとか映画ってホント善と悪に境界線引くのが好きだよねえ。

大まかに説明しますと、本作は、正義を為そうとするエミリー・ブラントが全く力及ばぬ世界があることを思い知り、無力感と口惜しさに苛まれたまま終わるブラント迫害映画となっております。あ、ネタバレだよ!
 
ヴィルヌーヴ監督は大好きな監督で、作品は恐らく全て観ていると思う。なんといっても、全世界の婦女子を卒倒させたロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)の壁ドンが見られる『プリズナーズ』、こちらは過去に当ブログでも取り上げております。卒倒壁ドンについて、異論は許さない。
 
不穏な空気を描かせたらピカイチな監督だが、中でも冒頭、カルテル所有の家屋で大量の死体が発見されるシーンはキング・オブ・不穏。個人的に、壁の中に何かあるとかが本当に嫌なのよ。
 
凄惨な現場を経験したエミリーは、カルテル撲滅の特殊作戦にアサインされて静かに情熱を燃やす。だが、彼女の意気込みを挫くように、作戦の責任者ジョシュ・ブローリンと謎の男ベニチオ・デル・トロは作戦の内容や目的を一切明かさない。エミリー受難の日々が始まる。
 
 
◇心臓バクバク国境シーン
碌に説明を受けぬまま、ある重要人物をメキシコの裁判所からアメリカ国内に移送する作戦に加わるエミリー。危険な地に赴くというのに、エミリーにインプットされた情報は、「帰りの国境地帯がもっとも危険」ということのみだ。行き先がメキシコということも、その場で知らされた。
 

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「ウェルカム トゥ フアレス」じゃねーよ。メキシコ行くなら先に言っとけ。

あ、エミリーは誘拐事件のスペシャリストであり、麻薬関係は専門外なのです。
 
ジョシュ・ブローリンの乗る車、デル・トロとエミリーが乗る護送車が連なってフアレスの街を抜け、重要人物をピックアップするまでの緊迫のシーケンス、そして国境地点でのシーンが本作一番の見どころだ。
エミリーと観客は、状況が把握できない点において同じ立場におり、帰りの国境が危険ということだけ頭にこびりついている。そして一行は、まさにその危険な場所で、渋滞する車の列に巻き込まれ停車を余儀無くされる。前後左右、どこからカルテルに送り込まれた殺し屋が襲ってくるか分からない。停まった車の中で、エミリーと観客の緊張はピークを迎える。
 
ここの緊迫感は、ヴィルヌーヴ監督の名を世に知らしめた『灼熱の魂』(2010)のバス襲撃シーケンスに通じるものを感じる。あれはすごかった。ヴィルヌーヴ監督作品の中でお気に入りの場面を挙げろと言われたら、間違いなくアレだ。
ジェイクの壁ドン?ソレはアレだ。
 
主人公はある少女の命を救うために咄嗟の芝居をし、努力むなしく少女は射殺されてしまうのだが、そこでカメラが映すのは主人公の無の表情で、その背後でバスが燃え上がる画が非常にクール。本作でも終盤、デル・トロがカルテルの幹部アラルコンの子供二人を射殺するが、これも直接には観客の目に触れない。対象物を映さずに事の非情さを伝えるのも、監督の得意技だと思う。
 
 
◇エミリー受難の日々
有無を言わさずフアレスに連れて行かれ、銃撃戦に巻き込まれてクタクタで戻ってきたエミリーは、その段階になってもまだ自分の役割が分からない。当然、彼女と立ち場を同じくするこちらの消化不良感もすごい。ガムをくちゃくちゃするジョシュ・ブローリンにイライラするわあ。
 
凡庸な作品ならば、エミリーがここで味わった悔しさをバネに本来以上の力を発揮し、ジョシュ・ブローリンやデル・トロに一目置かれる存在になっていく・・・という展開になるのだろう。だが、世の期待にヴィルヌー監督は応えない。全容を知るのはキーマンの二人のみ、その後も主人公の蚊帳の外状態は続く。
 
エミリーと観客の抱く感情が、映像に反映されているのが面白い。
メキシコの広大な土地を映した俯瞰の画に感じるのは、荒野に一人立っているような心細さと恐怖。件の国境シーンで渋滞した車が縦に長く並ぶ画は、のちの特殊作戦の際、侵入経路となる米国-メキシコ間のトンネルの映像とリンクする。どちらにも、物理的にも心理的にも先行きが見えない不安や焦燥感を煽る効果がある。
 
トンネルからメキシコに抜けたのちは、カメラの被写体はエミリーからデル・トロへと移る。ゴールの見えない縦の構図が印象的な彼女のパートとは正反対に、デル・トロの目標物は常に彼の目前、手の内にある。アラルコンとの対峙シーンで真横の構図が取られるのも、状況はデル・トロのコントロール下にあることを示す。

最後まで自分の立ち位置がつかめず、理解と力の及ばぬ世界で戸惑うエミリーと、そちら側の世界で生きるデル・トロ。境界線があるとすれば、その間ではないだろうか。
 

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この息苦しさ。
 
 
◇恋愛要素も・・・あったよね?
ストレスマックスなエミリーは、憂さを晴らすために飲みに行った先で警官をお持ち帰りする。だが、そいつはカルテルの手先で、危ういところをデル・トロに救われることとなる。彼女は、カルテルに買収された警官を炙り出すためのカモにされたのだった。状況を逆手に取ったジョシュ・ブローリン&デル・トロの老獪さばかりが際立ち、反対に、エミリーの身の置きどころのなさと言ったらない。気の毒すぎるよ、もうー。
 
だが、ここまで必要最低限のことしか喋らなかったデル・トロが、「大丈夫か」と無愛想ながら彼女を気遣う。「殺し屋と寝ようとしたなんて」、自嘲するエミリーを無骨に慰めるデル・トロ。そして言う。
 
「君は、俺の大切な人に似ている」。
 
 
え・・・? なんで、そんなこと?
 
 
ここまで、得体が知れない上にイヤな事しか言わないデル・トロを、ブラピの出来損ないめと思ってきたが、そんなことをポツリ言われたら、がらりと印象が変わってしまう。しょぼくれ顔の皺は大木に刻まれた年輪のごとく頼もしく、辛気臭い表情は、壮絶な人生を送ってきたがゆえの渋みに思えてきてしまって・・・。
 
エミリーも、初めて人間らしい表情を見せたデル・トロに戸惑う。もしかしたら、ちょっとドキッとしたかもしれまない。
だが、オーマイガー、何と言うことだろう、これもラストで肩透かしを食らうこととなる。
 
「大切な人」って、そっちかよ。誤解しただろうが、このしょぼくれたブラピがァ。
 
やること為すこと裏目に出て、コケにされ続けるエミリーが気の毒である・・・。だが、デル・トロの言う通り、全編、怯えた少女のようなエミリーが美しい。
 
 
◇『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ
続編のボーダーライン:ソルジャーズ・デイ(2018)にも軽く触れておこう。この扱いを見れば分かる通り、『ボーダーライン』と比較すれば、取り立てて語るべきところのない凡作だ。
 
カルテルが扱う商品を、麻薬から不法入国者へと切り替えたものの、途中から不法入国問題はどこへやら。「俺は荒っぽいぜ」と宣言したジョシュ・ブローリンが言葉以上にムチャをやりよったせいでアメリカ政府がビビり、事態収束の代償としてデル・トロとカルテルのボスの娘の抹殺を要求、二人の逃亡劇になってしまう。
 
前作で「君は俺の娘に似ている」と言ってエミリー・ブラントをがっかりさせたデル・トロは、今度は攫った敵の娘に亡き娘の面影を重ね、「人質を始末しろ」というジョシュの指示に逆らうのである。ことさらにデル・トロの過去に触れ、前作では無機質であった彼の人間性が炙り出されていく。まあ、それを評価する人もいるんだろうけど、この男は前作で顔色も変えずに子供を殺した「シカリオ」なのよ?今度は敵の子供を守らせて、何がしたいん。
 
ジョシュ・ブローリンのキャラクター造形もひどい。

『ボーダーライン』では、登場時のビーサンに象徴される通り、ドンパチは部下に、拷問はデル・トロに任せてニヤついているワケのわからないおっさんというキャラが秀逸だった。指揮官は手を下さず判断するのみ、実はこういう奴が一番ワルくて怖いという見本のような人物だったのだ。が、続編では完全に実働部隊の一員になっている上、基本政府の言いなりで、ぐっとハクが落ちる(人質の娘を殺せという命令に逆らって、ちょぴっとの反骨精神を見せるあたりもショボい)。

要は、「得体の知れなさ」が「あちら側の世界」の不気味さを体現していた二人に、正体を与えてしまったのが逆効果だった。メインのストーリーもぼやけ気味だったしね。
 
というわけで、結論、「ドゥニ・ヴィルヌーヴはよい」ということになりましょうか。
今日はこの辺でお別れです。チャオ。
 
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